大分とハンセン病の歴史
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的ヶ浜事件


 1922年3月25日、大分県速見郡別府町(現別府市)の的ヶ浜海岸で、かなりの住居(報道では60余戸)が別府警察によって強制的に焼き払われた事件で、帝国議会でも取り上げられ、公権力による人権侵害として社会問題となりました。焼き打ちの時、海岸には、サンカ(山窩・定住地や生業を持たず漂泊する人々)や物乞いをは じめ、在郷軍人や職を持った納税者もおり、その中に少なくとも4人のハンセン病患者が小屋掛けして住んでいました。

 警察の主張は、春市が近い上に皇族の閑院宮別府訪問を控え、警備・風紀上問題のあるサンカ小屋を取り払っただけだというものでした。特別なことではないというその考えに人権意識は全くありませんが、警察の意図は別な所にありました。法的規制のもとで犯罪者集団扱いされていたサンカの摘発=サンカ狩りは、1890年ごろからすでに全国で行なわれていましたが、検挙して警察の管轄外に追い出すことが一般的で、住居まで焼き払うことはありませんでした。ところが、ハンセン病患者の住居焼き払いは、1900年初頭から、山梨、東京、高知、沖縄など各地で通例として行なわれていました。別府でも、1911年に亀川で浮浪癩の小屋を警察が焼いた報告があります。しかも、「大喪」「大礼」などの皇室行事の際には、そのつど内務省が「癩患者の厳重取締りを行ない、根拠地一掃に努める」よう指示を出しています。

 的ヶ浜事件は、皇族来訪を前に警察が行なったハンセン病患者への差別的取締りであり、批判が皇族まで及ぶことを避けるため、警察はもとより政府も真相を明かさず、最後まであえてサンカ狩りとして事件を決着させました。


【参考文献】
・県立図書館の所蔵マイクロフィルム
・エイズを学びながら人権を考える会(別府市)の調査資料