栗生楽泉園 訪問レポート【写真4:重監房跡】


目次  レポート表紙  写真1(概略)  写真2(納骨堂〜宗教施設)  写真3(歴史)  写真4(重監房跡)  おまけ

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  【特別病室」の構造略図】

  ×が、鍵の掛かっているところ

  ○がトイレの位置

「風雪の紋」 497頁から資料3
「栗生楽泉園特別病室真相報告−1947(昭和22)年9月5日−」より


『本園は、群馬県草津町草津温泉から東へ一粁程のところにある国立療養所である。従来社会から隔絶されていたため園内の模様は全く判らなかったが今回はじめてその真相の一部を発表する。以下は特別病室=超重監獄についての報告である。

一、特別病室と称するも患者収容室は大きな錠前の掛かっている厚さ五寸の厳重なくぐり戸で四重の鍵に守られている。だからその実は超重監獄に外ならない。
(イ)室内は湿気にぬれて「黒かび」が生じている。(九月現在)
床は地上一尺高、便所は約四巾半外部コンクリート。
(ロ)半暗室で冬期積雪の候には昼夜の判別がつかぬ窓は縦約四寸、横約二寸五尺のもの上部の方に二ヶ所取付けられている。
(ハ)保温の設備がない。食事は握り飯一つ、梅干一つである。(注1)
(ニ)入室者の夜具は薄い敷布団一枚、掛布団一枚であった。
(ホ)入室者には「ゴザ」すら与えず板床のうえにおいた。
(ヘ)当地は冬期は零下十六、七度に低下し、就中当病室は山林中に所在するため、尚気温は降るものと思科される。だから冬期獄死者のほとんどは全身凍傷に侵されていたということである。
(ト)女監、男監の区別なきため女囚は婦人としての待遇を受けることが出来なかった。
(チ)冬期に於いては敷布団は湿気のためコチコチになり床板に凍りついてひきはなす事が出来ない。又掛布団の襟には患者の呼吸が凍って氷柱となりさがっていた。

二、患者の獄内に於ける苦悶の叫びが次の如き落書きとなって現れている。
(イ)「癩を病むが故にこの悲運!!なんという惨めさよ・・・」
(ロ)昭和十七年五月二十二日、「今日まで七十日余となる。」
(ハ)「出されるまでどうすることも出来ぬ」
(ニ)「十月二十八日今日で百日」
(ホ)昭和十九年十月五日、「無事(実)のつみにて入る」
(ヘ)カレンダーを作り一日一日と消していったあと、○や×をつけて日数を算へていったあとがはっきりと残っている。

三、自昭和十四年三月三十日至二十二年七月九日の間に於いて在室者総数九十二件である。(但し現在名簿に記載中のもの)

四、九十二件中書類の点より見て合法化されて処断されているのが只の一件である。
(イ)書類があって処断されている数一件 一%強
(ロ)書類が不備にて処断されている数二十七件 二九%強
(ハ)書類が全然皆無にて処断されている数六十四件 七〇%弱   合計九十二件  一〇〇%

五、九十二件中三十日以上の拘留が(不当拘留)八五%を占めている。
  (一部省略)

六、死者数の数を季節的に見れば冬期に於ける惨酷なる処遇のため死したるものが圧倒的で八二%に達している。
   冬期死亡件数 十八件   夏 三件   秋 一件  死亡者総数 二十二件
   但し越冬者二件につき事実は冬期死亡者数二十件である。

(中略)

一〇、無法なる拘留の実例。
(イ)(名前・所在地省略)入室昭和十六年六月六日、四十二日、○○の内妻であり、同は全生園に於いて騒擾をなしたるの故を以って当特別病室に四十二日間収容せられたる際、内妻たるの理由にて同罪に処せられた。
(ロ)(名前・所在地省略)入室昭和十六年九月二十六日、拘留日数八日、子息が馬鈴薯を畑より若干窃盗したるの故に子供の教育不足なりとして投獄され致死す。
(ハ)(名前・所在地省略)入室昭和十六年九月二十六日、拘留日数三九〇日、夫が大阪府にて不注意にも盗品の自転車を買ったとの理由(本園の書類には罪名賭博とあり)で拘留五三三日に処せられる際、妻であるとの理由で三九〇日拘留さる。
(ニ)(名前・所在地省略)入室昭和十七年十二月二十四日、拘留日数七六日間、園内改革の必要のある点を友人への手紙に書いたのを開封発見された。』

(注)原文のまま引用しています

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