高橋郁丸 朝の随想 (NHKラジオ第一放送)

 

  平成16年7月2日〜7月30日

放送前にひとこと(ブログより)

2004年7月、ひと月の間、金曜日の朝、お耳だけ拝借いたします。

朝7時40分から、NHKラジオ第一放送で、「朝の随想」を担当いたします。

この番組が三十周年になるのを記念して、特別OBとしての参加です。

私がこの放送を担当したのは、なんと14年前。花も恥らう二十代の若さでした(T-T)。

当時はまだ駆け出しの民俗研究家で、若気の至りの失敗談を

毎週毎週しゃべっていたので、意外と好評だったようです。

それで、有難くもまた、選抜されたのでありますが、やっぱり歳を食うとあれですね、理屈っぽくなる。

五本やりますけれども、力がこもりすぎたかも。

でも、よりすぐりのお話ですので、ぜひ聞いてくださいね(^^)。


 第一話 「福の神さまのリハビリ」7/ 2

 第二話 「妖怪たちに導かれて」 7/ 9

 第三話 「語りと昔話とお笑い芸人さん」 7/16

 第四話 「泣き虫良寛さんのお笑い寺子屋」7/23

 第五話 「奴奈川姫、幻の恋」 7/30
 

 

第一話 「福の神さまのリハビリ」 7月2日

 
おはようございます。

 短大時代、私は「民俗研究会」という会に入っておりまして、

古くから伝わる習俗の話を聞いたり、お祭りを見に行ったりしておりました。
 

 ある時、東北で舞われている山伏神楽の演目、「三番叟」は、

実はエビス様が修行をしている姿を現したものである、というお話を聞きました。

そういえば、舞を見ると、確かに屈伸や跳躍の練習をしているようです。

なぜ、修行なのかと言うと、エビスさまは生まれつき体が不自由で、

そのために修行、言い換えればリハビリをしたのだそうです

 エビスさまの素性については、いくつかの説がありますが、通説は、古事記に登場する、

イザナギとイザナミの神の最初の子ども、ヒルコ様であると考えられています

ヒルコ様は幼い頃に足腰が立たなかったということで、神さまの数に入れられませんでした。

そのヒルコ様がリハビリをし、エビス様として成長して、七福神の一人となったのです。

今でもその名残で、神様が出雲大社に集まる神無月にも出雲に行かず、

各地で「エビス講」のお祭をしてもらっているのだそうです。

 このエビスさまの像を作るために、一番よい材料というのは、

木の橋の三枚目の橋板だといわれています。

なぜかといいますと、三枚目の板が、一番多くの人に踏まれるからなのだそうです。

多くの人に踏まれれば踏まれるほど、その板には大きな呪力が備わり、

その板によって作られた像にも力が備わるのだそうです。


 話は変わりますが、タレントのピーコさんが病気で義眼を入れたときに、

テレビ局や視聴者からの要請でサングラスをかけるように言われた、

というエピソードを聞き、悲しくなったことがあります。

広い世の中、いろいろな人がいます。

ですから、障害や容姿で存在を排除することに疑問を持ちます。

そんな中、片足を曲げた姿でニコニコ笑い続け、福の神として信仰されているエビス様は、

とても勇気を与えてくれる神様です。


 私は、学生時代からマンガを描いておりまして、

ペンネームを考えていた時にエビスさまの逸話を知りました。

民俗の研究をマンガで描きたいという夢があったので、

万葉集で伝説の歌を読んだ歌人、「高橋虫麻呂」と、

エビス様の「踏まれて強くなる」を掛け合わせて「高橋ふみまる」という名にしました。

踏まれっぱなしでへこんでしまいそうですが、本名が郁子ですので、いくまる、

と呼ばれても違和感なく今に至っております。


 苦しいこと、つらいことを胸に秘め、ニッコリ笑いかけて人々の願いを聞くエビス様。

私も、へこむ、なんて言わずに見習わなければならないなぁ、と思っております。
 

 

第二話 「妖怪たちに導かれて」 7月9日

おはようございます。

 神様は全知全能という感じがしますが、

エビス様のように足の不自由な神さまや、

鍛冶屋の神様のように目の不自由な神様もおられます。

 大黒様は毎年「大黒様の嫁どり」という行事があるので、

女好き、などと笑われたりします。

 日本には古くから、山の神様や、水の神様、

はたまた便所の神様など、いたるところに神さまがいました。

 神さまは、信仰に基づいて祀られるものです。

山に入って薪や山菜を採ったりするときに、山で事故にあわないように祈ることで、

山に対する信仰が生まれ、山の神さまが祀られます。

川の水を飲んだり、舟で移動したりする時には、事故がないように水神様や船玉様に無事を祈ります。

こんな感じで、人々の生活の広がりに応じ、信仰の数だけ、神さまが存在するといってもいいかもしれません。

 人は、神様に対して畏怖の念を感じます。

これは、ありがたい、恐れ多い、という気持ちからです。

もし、信じる必要がなくなって、神様の存在だけが残ってしまったらどうなるでしょうか?

意味がわからなくなって、恐れだけが残ってしまうと、

「何だかわからないけれど、怖いだけの存在」になってしまいます。

神様だった存在は、そうして得体の知れない怖い存在、「妖怪」へと、姿を変えていきました。

 水辺では、河童やアズキとぎ、地すべり地帯では、大蛇の伝説が聞かれます。

河童や大蛇は、水の神様の末裔のようで、全国区の存在です。

全国区に混じり、新潟生まれのローカルな妖怪もおります。

ヤサブロバサ、酒呑童子、茨木童子などです。

 ヤサブロバサの伝説は県内各地に点在しています。

高名な民俗研究家の谷川健一氏が「鍛冶屋の母」という論文で紹介したために、

全国の民俗学者の間で注目すべき妖怪として知られるようになりました。

酒呑童子は、平安時代に京都の大江山で鬼の大将として退治されましたが、

実は分水町の砂子塚出身で、良寛様も住んでいた五合庵のある国上寺でお稚児さんをしていました。

 酒呑童子の一の子分と言われている茨木童子は、栃尾市軽井沢の出身です。

今では分水町には酒呑童子神社、栃尾市には茨木童子神社があります。

鬼の人気にあやかろうと、町おこしで作られた神社のようです。

京都に行くと、酒呑童子の首塚神社があり、京都の刑場でさらされたはずの首がご神体になっています。

 妖怪と神様は紙一重、という感じですが、深く考えると、

ある理由で妖怪にされても、人々の心の奥底で、

「これは妖怪ではない」という意思が働いているとも考えられます。

「なぜ私がここにいるのか考えてごらん」と、妖怪に導かれる旅は、まだまだ続きます。
 

第三話 「語りと昔話とお笑い芸人さん」 7月16日

 おはようございます。

江戸時代に書かれた「北越奇談」という書物の中に、

信じてくれる人がいなくなった神様が、本来の力もなくしてしまったという話が紹介されています。

存在の意味が失われると、神様も奇妙なものになってしまい、効力もなくなります。

ですから、古くから伝承されてきたものを掘りおこし、歴史的な古さがわかっても、

その意味が伝えられていなければ、それはただの、「珍しいもの」でしかありません。



 私は以前、昔語りについてのアンケートをとり、結果を見て愕然としたことがあります。

中学生の「好きな昔話」「嫌いな昔話」の回答の上位がどちらも、

金太郎、桃太郎、浦島太郎と、ほぼ同じだったのです。

ローカルな話はほとんどありませんでした。

 これは、今の子どもたちが、昔話をほとんど知らないということです。

昔話は、古くから残る話や決まりごとを、優しい形で伝えるための、格好の伝達方法です。

昔話は、聞き手と語り手が、お互いの表情がわかる近さで語られていました。

現代は核家族が多くなった上に、家族以外での世代間の交流は少なくなっています。

語り手であるはずのお年よりも、若い人から嫌がられない、良い年寄りでありたいと、

若い人を叱ることにも控えめで、昔話も「嫌がられるから」話さない、と、遠慮がちです。

聞きたい人がいて、語りたいけど押さえている人がいる。何かもったいないような気がします。

 話を聴くことの出来ない子どもたちは、いいものも悪いものも選べないような情報量しか持てず、

世の中これだけか、と物足りない思いをしているのではないでしょうか。

アンケートでは、子どもたちは、知らない人からでも、挨拶されたり、

声をかけられるのがうれしい、と回答していました。

 お年寄りが遠慮する一方、古き良き時代に憧れ、昔話を求める人もいます。

炉辺での昔話に代わり、舞台上での昔語りが登場しています。

ある時、知りあいのアナウンサーが、「私、舞台劇に出たんだよ」、と話をしてくれました。

語るということの可能性を、いろいろな方法で試してみたいとのことでした。

そして、「昔話は会話だよね。舞台上からの一方通行の語りはどうなのかな」とおっしゃり、

なるほどと思いました。

 最近は、お笑い芸人さんが、舞台以外に、イベントの司会やコーディネートも勤めていたりします。

難しいものを、楽しく伝えるということは大変なことで、

お笑い芸人さんは、情報収集と勉強が強いられます。

多くの人と接し、年齢層を問わない話術も必要です。

先日、新潟のお笑い集団NAMARAのヤングキャベツさんときぬがささんが、

早稲田大学の教育学部でお笑い授業の実演をした、という話を聞きました。

お笑い芸人さんたちは、現代の、注目すべき新しい語り手なのかもしれません。
 


第四話 「泣き虫良寛さんのお笑い寺子屋」  7月23日

 おはようございます。

 今年の四月、NPO法人「お笑い事業団ニイガタ」という団体が、

大阪に本部を持つ「日本笑い学会」の会長、井上宏さんをお招きしました。

笑うということが、人を健康にし、幸せにするというご講演で、

百人以上の人たちで会場は満席でした。

 その井上さんが、「新潟に来たのだから、良寛さんの史跡を見てみたい」とおっしゃり、

良寛様のことを勉強している私が、案内をすることになりました。

そして、お笑い事業団の今井会長の車に乗せていただき、三人で良寛様の史跡めぐりをいたしました。

 井上さんの良寛様のイメージは、いつも子どもと遊んでいて、手まりをついているというものでした。

確かに、良寛様が描かれている絵を見ますと、子どもを従えてニコニコしている絵が多く、

子ども好きの僧侶、というイメージが先に立ちます。

 井上さんは、出雲崎の町並みや、国上山の五合庵の凛とした様子に、多少驚かれた様子でした。

 子どもと遊ぶ以外の良寛様のイメージとしては、

晩年に貞心尼という尼僧と親交があったこと、書がうまかったことなどでしょうか。

 

私が良寛様に強く引かれるのは、良寛様の孤独と向き合う心でした。それは、良寛様の歌から伺えます。


 ●今よりは 千草は植えじ きりぎりす 汝が鳴く声のいとものうきに

 ●いざさらば 涙くらべむきりぎりす かごとを音には立ててなかねど

       ・・・良寛様は五合庵で一人、虫の音を聞いて、こんなに寂しい思いをしていたのです。

 ●かくあらむと かねて知りせば なほざりに人に 心を許さまじもの

 ●人がつんとしたら つんとしてござれ 負けてござんな 一日も

       いったい何があったのでしょう。心を許した人に、どんな裏切りにあったのでしょうか。

 ●なげけども かひなきものを 懲りもせで またも涙のせき来るはなぞ

 ●かにかくに かわかぬものは 涙なり 人の見る目を しのぶばかりに

 笑顔で子どもたちに接していた良寛様も、実際は寺を持たない托鉢の僧です。

辛い思いを胸に秘めて、当時の周りの人たちや、現代の私たちにも

優しい心を届けてくださるのだなあ、と思うと、

やはり良寛様のことを語り告がなければならない、と思います。

 私は、数年前に「まんが良寛ものがたり」を出版し、

昨年は、新潟良寛会の方々と共に「良寛様お笑い寺子屋」というイベントを行いました。

どんな伝達方法でも、良寛様のことをアピールし続けられれば、と思っております。

 

第五話 「奴奈川姫、幻の恋」 7月30日

おはようございます。

 今年、長野県の諏訪大社で、御柱祭りという

壮大なお祭りが行われました。

山で切った巨大な木を人力で神社まで曳き、

立てる、という祭りです。

この祭りを行っている、諏訪大社の神様が、

実は新潟の神様ということは、あまり知られていません。

 古事記に、大国主命が、越の国の奴奈川姫に

求婚をする物語があります。

その2人の子どもが建御名方命、

つまり諏訪大社のご祭神です。

そして、国ゆずりという出来事により、

出雲の国は大和の国に譲られることになります。

 

大国主命は、国を譲る、譲らないの返答を二人の息子に託し、

長男は国をゆずることを認めますが、次男である建御名方命は、頑として認めず、

そのために大和の国から攻められ、諏訪へ逃げ込んだといわれています。

 出雲に行った時、タクシーの運転手さんに

「建御名方は、国譲りの時に父の意に反したから、勘当された。

 出雲大社には本妻のスセリ姫が祀られているので、奴奈川姫はご利益がない」

と言われました。

けれども、長野県の諏訪大社には奴奈川姫が祀られており、

諏訪の御座石神社には、奴奈川姫が単独で祀られています。

御座石神社の祭礼はどぶろく祭りといいます。

奴奈川姫が、息子のためにどぶろくを造ったことを伝える祭りです。 

 

今も神社境内に酒蔵があり、どぶろくが作られています。

諏訪の人たちは建御名方命を出雲の神様と思っていました。

そして、逃げ込んだのではなく、戦って諏訪に入ったのです。

戦うといっても武力ではなく、技比べのような一騎打ちです。

その戦いに建御名方命が勝ち、敗れたモレヤの神は、今も諏訪の神様の補佐として仕えています。


 神代のロマンスといわれた奴奈川姫と大国主との恋物語ですが、

実は奴奈川姫は大国主命が嫌で逃げ回ったとも言われています。

数年前、私は、東頚城郡牧村に「沼河彦命」という神様が祀られていることを知りました。

この神様の存在は何を現しているのでしょう。

 

牧村が「どぶろく特区」として認定されたニュースは、

どぶろく祭りや沼河彦命の存在と重なり、うれしいニュースでした。

  奴奈川姫の、過酷な現実や運命にも負けずに生きる姿が、

今でも遠く離れた地で信仰される理由なのでしょう。

また、石川県の気多大社では毎年、鵜祭りという祭りがあって、

祭りの主役である鵜は、実は奴奈川姫の魂をあらわしていて、

放されると糸魚川へ飛んでいく、といわれています。

 奴奈川姫が本当に愛した人は誰だったのでしょうか。

そんな話を追って、私も歩き続けます。

皆さんのところにも、面白いお話がありましたら、お教えください。

ぜひ伺いたいと思います。

 それでは、一ヶ月間、おつきあいいただきまして、本当にありがとうございました。


−了−

 

 

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