和寒の町中に、駅を背にして斜め二手に分かれる道がある。左は中和方向へ、他方右に向かえば平坦
な道を経て、やがて山間を流れる川沿いの道を10キロbも進むであろうか、福原入り口と言われる所に
辿り着く。第一辺乙部(ペオッペ)橋を渡り西へ進む、トンネルを潜ればそこは幌加内。
この橋の手前山裾の道を左に曲がれば、そこはかって覚礼(かくれ)と言われ、筆者が育った村がある。
覚礼とは入り口より眺め、この向こうに原野があるとは思えなかった為、そう名付けられたと子供の頃親
から聞かされた。面積27.7平方キロb、5,200b四方の小さな村である。
明治の末期、この地に入植し過酷な労働に耐えた人々。また先の大戦中砂金・クロムの採掘が、報国隊
学徒兵そして強制連行した朝鮮の人達(以後朝鮮人と記す)によって行われたこと。この地で終戦を迎え
以後農業に従事された方々等。その先人への労苦の感銘と地質にも関心を持ち、このホームページを
開設する次第です。作成にあたり御協力頂いた多くの方々に深謝してやみません。