出生前診断をめぐって

−生まれてきてはいけないの?
カトリック障害者連絡協議会事務局渉外担当委員(藤沢1区)唐木邦子

カトリックの信仰と出生前診断

皆さんは「出生前診断」という言葉に出会われたらどんな感じがなさいますか?一般の人たちは「障害がある子供が産まれないための検査でしょう。」とあっけらかんと答えるかもしれません。カトリック信者なら「出生前診断……」と眉をひそめるかもしれません。 出生前診断が暗黙のうちに「障害の可能性がある赤ちゃんを中絶する」ことを意味していることを何となく知っているからです。カトリック信者として「大事な問題だけれど、医学的なことはよくわからないし、障害についてもあまり知らないし……」とややもすれば及び腰になりがちなこのテーマについて私はカトリック障害者連絡協議会の機関紙「わ」に連載記事を書きましたが、その記事に一部手を入れて転載させていただきました。専門用語も出てきて読みづらいかもしれませんが、医学の進歩が私たちの信仰と日常生活にどんな問いを投げかけているかをご一緒に考えていただければ幸いです。

障害のある赤ちゃんが欲しいですか?

藤沢教会では毎月1回タラントの会という障害を持つ子どもと母親の会が開かれています。メンバーで一番小さい小学校1年生の有一郎君は「もやもや病」という血管の病気のために平塚市の肢体不自由障害児学級に通っています。普通学級との交流もあり、お母さんが普通クラスの女の子から「私がクラスで一番好きなのは有一郎君だよ。」と言われてびっくりしたお話をうかがいました。まだ小さい子どもたちは大人が邪魔しなければ障害を持つ子どもを仲間として受けとめることができると、私も娘とお友達の関係を見ていて感じます。しかし最近、もしかしたらそのような「子どもらしい関係」が断ち切られるかもしれないような社会状況の変化を感じます。 それは、「出生前診断」が急速に普及し、また「障害胎児の中絶の合法化」も推進されつつあるからです。この2つは基本的に「障害を持つ赤ちゃんは産まれないほうが良い。」という考え方に基づいています。私自身も子どもが生まれる前に「障害のある赤ちゃんが欲しいですか?」と尋ねられたら「欲しくありません!」と答えたでしょう。でも、現実に障害のある子を授かってそれ以前よりも神様を身近に感じるようになりました。「生命の神秘」と言うほかはありません。

この「神秘」を限りなく100%に近く人間の思いのままにコントロールしようとする動きに対してカトリック信者ははっきり「ノ−」と言う責任があると私は考えますが、そのためには「出生前診断とは何か?」についての知識を持ちひとりひとりが信仰の光に照らして判断し、行動してゆく必要があると思います。

私は一昨年10月にカトリック医師会が主催した「公開講座出生前診断を考える」に出席し、障害を持つ子どもの親として、カトリック障害者連絡協議会渉外担当委員長として意見を述べさせていただきました。連載の第1回では、その時の資料や他の文献を参考にしながら現在一番問題になっている「母体血清マーカーテスト」についてごく簡単に述べさせていただきたいと思います。より詳細、正確なご理解のために参考文献をあげておきましたのでご参照ください。

母体血清マ−カ−テストとその問題点

医療における検査はふつう、例えば心電図のように、心臓の状態を知り心臓疾患の予防や悪化防止のための「治療のための検査」としておこなわれますが、出生前診断は通常の検査と異なり治療につながることが稀な検査です。出生前診断の技法としては、

があります。最近の技術の進歩によりさまざまな先天性異常の診断が可能になってきましたが、一番問題になるのが「検査や診断が治療につながらない」、つまり検査・診断技術が治療技術をはるかに超えて進歩した点です。例えば二分脊椎や染色体異常は診断が可能でも根本的治療は不可能です。つまり、出生前診断は大多数の場合、「障害を持つ可能性がある赤ちゃんを産むか産まないか?」の選択を両親に迫る検査であり、多くの場合妊娠中絶につながる検査と言えます。

母体血清マ−カ−テストは、従来の出生前診断に比べて危険が少なく(妊婦からの採血による検査)、費用も従来の出生前診断にくらべて少なくて済むので現在急速に普及しつつあります。しかし「治療につながらず、中絶につながりやすい検査」であることのほかに次のような問題があると一般的に言われています。

  1. 「胎児に障害がある可能性を同年齢の女性に比べて危険が高いか低いかという 確率で示す検査」であり結果をどのように判断するかわかりづらい。
  2. 現在の日本の医療システムでは検査の内容や限界についてのインフォームドコンセントが不十分なままで検査が実施される恐れがある。また検査結果についてもわかりやすい言葉による充分な説明やカウンセリングがおこなわれない恐れがある。

また、日本ダウン症協会は平成9年4月に厚生省に対して提出した意見書の中で、一般的な問題点以外にこの検査の普及について「生命倫理に対する重大な冒涜でありダウン症などの障害をもつ人々の『存在の否定』と障害をもつ人々とその家族の福祉の否定につながることは明らかです。」として「母体血清マーカーテストの無規制な開発・普及を凍結し、ダウン症協会を含めた障害者とその家族の当事者団体を含めてガイドラインを作成すること。」などを要望しています。

母体血清マーカーテストの普及は「障害を持って生まれてくることは不幸である」という意識をさらに広げ、それに加えて「障害を持つ子どもを産まないのが母親の責任」という差別意識を助長、普及させることにつながると私は思います。さらに言えば「人間が生命を操作する」という傲慢な風潮が日常生活レベルに広がってゆく懸念も感じられます。現代は、「生命操作と信仰」の問題が全てのカトリック信者に問いかけられている時代だと思います。この連載が皆様のご判断の材料のひとつにでもなれば幸いです。

〈参考文献〉


「おそれ」を超えて
カトリック障害者連絡協議会事務局 渉外担当委員長
藤沢1区 唐木邦子

〈着床前診断へゴーサイン〉

 昨年6月27日、日本産科婦人科学会は体外受精卵の着床前診断(遺伝子診断)を「重篤かつ現在治療法が見出されていない疾患に限りおこなう」ことに決定しました。体外受精は不妊治療のひとつの方法として、医療現場で一般的におこなわれているもので、体外で受精させた受精卵を母胎に入れて着床させる前に遺伝子診断をおこない、上記のような疾患を防ぐことを学会内で内部規定として決定したということです。これは言外に、遺伝子診断の結果上記のような疾患があると診断された受精卵は着床させず、廃棄するということを意味しています。この決定には次の大きな3つの問題点があると私は考えます。

  1. お母さんのおなかの中にいる赤ちゃんを中絶することに対しては法律上の規制がありますが、受精卵は人間とは認められていないので、着床前診断の結果着床させるか否かの決定は学会の内部規定でおこなえること。言いかえれば現在の法律では「胎児が障害を持つ可能性がある」ということは中絶をおこなっても良い理由になっていないのに、受精卵については法律でなく一つの学会の内部規定で取り決めることができるということ。

  2. 着床前診断について公聴会が開かれたとは言え、決定するのが産科婦人科学会員で、生命にかかわり、ひいては一般の生命観にかかわる重大な問題の決定が実質的には医療専門家によってなされていること。

  3. 当初の案では対象疾患名を限定することになっていたが、対象疾患を持つ方の存在を脅かすことになるという関係団体の反対で疾患名を限定しない形で決定された。これは当然のことだが、そのかわり「重篤で治療法がない疾患」という、いくらでも拡大解釈されうる規定になったこと。

 そしてその結果、法律に「胎児に障害があることを理由に中絶ができる」という「胎児条項」を加えようという動きが促進され、連載第1回で述べた数々の問題がある「母体血清マーカーテスト」が普及すると「障害を持つ子を産まないで中絶するのが母親の責任」 という意識が人々の間に広がり、ひいては「生まれてくる目的は生産性の高い人間になること」という効率主義をますます助長し、人間が築きあげてきたモラルという文化を突き崩し、「効率主義」がモラルに取って代わるほんとうに恐ろしい時代がもうそこまで来てしまったと言えます。

〈おびやかされているのは誰?〉

この現状に直面して、障害を持つ子の母親である私は「自分のこどもの存在がおびやかされている」という恐怖を感じました。私たち家族が「神様から授かった子」と考え、「神様がこの子にお与えになった使命は何なのだろう?」と日々問いつつ一日一日を大切に生活しながら、地域社会やさまざまなネットワーク、そして何よりも教会の中で築きかけてきた「共に歩む」という世界がもろくも崩れ去るおそれに私は恐怖を通り越して深い絶望を感じました。私は絶望の中で神様に叫びました。

「神様、私は『障害児』と呼ばれる娘とあなたの御前にいます。娘の障害発見以来私は『障害の重荷』のために神様に、人々に自分が心を閉ざすことがないように、かえって心を開きあなたの『平和の道具』となるように懸命に生きてきました。あなたのお導きによって『平和の道具』として働く無上の喜びも味わわせていただきました。でも今私は無力です。絶望的な状況を目の前にして私はもうこれ以上、神様に、人々に心を開き続ける勇気がありません。」と涙を流しながら心の中で叫びました。

 絶望と涙の中で何とか気力をふるい起こしながら私は参考文献を読み進んでゆきました。すると、実は存在をおびやかされているのは、単に障害児・者やその家族だけではなく、「いのちを大切にする」という人間が有史以来営々と築き上げてきた文化、そして「人間の存在」自体なのだと気づきました。そして「自分自身のおそれを超えて事実を多くの人に伝えたい。現実を少しでも良い方向に変えたい。それが神様の愛を伝えたい私の一番の望みなのだ。」という気持ちが自分の中に静かに芽生えてきているのに気づきました。

〈ヒューマンボディショップ〉(*注)

 「ヒューマンボディショップ」は「人体部品ショップ」とも訳されるでしょうか?本書は序文で「生命を操作し売買する風潮のせいで、かつて神聖で犯してはならないものであったはずの人体が、生物産業の新時代にとっては単なる素材でしかなくなってしまった。 人体はいまや商品になってしまったのである。私たちは現在のところ、この人間部品産業がもたらすであろう倫理的な、経済的な、そして政治的な諸問題に、いかにして対応してゆくかについてまったくの無策状態である。」と述べ、「人体の操作と商品化がもたらした諸問題は、人類がかつて直面したなかでもっとも重要なものである。にもかかわらず、私たちはこの混沌としたモラルの乱れた状態を切り抜けてゆくために指針となる適切な政策を生み出す努力を怠っている」と、私たちにまず現実を直視してこの問題について真剣に考えるように訴えています。内容のほんの一部をご紹介すると、「卵子提供の報酬20万円」「インドの移植用臓器バザールに群がる金持ち」「代理母出産のためにブローカーに7千万円支払う」等です。そして、「不幸な赤ちゃんを産まないため」の美名のもとにおこなわれる母体血清マーカーテストによって製薬会社が大きな利益を上げ、中絶された胎児は胎児ブローカーが研究者に胎児組織として提供するために集められているのです。つまり、出生前診断は「人体の商品化」という人間のモラルに逆行する流れの一部で、「不幸な赤ちゃんを産まないため」という美名 のもとに一般の人たちが、人間が生命を操作し、命に値段をつけることを「正しいこと」と考えるきっけになってしまうと私は考えます。これは、人間の価値を「生産性が高いか低いか」によって判断するということで、カトリックの信仰と相反することだと思います。

〈そして、私ができることは?〉

私はカトリック信者として、障害児の母親として、その前に一人の人間として、ひとりでも多くの人が出生前診断を、単なる障害者問題ではなく「自分たちの社会が人間の命の価値を効率によって判断して、人体を金儲けの手段にすることを許す野蛮な社会になることに手を貸すのかどうか?」という「自分自身の問題」という視点から考えるように訴えたいと思います。そのために私が、この複雑な問題をできるだけ多くの人達にわかりやすく正確に伝えられるように神様のお導きを切に願いながら・・・。

【参考文献】

なお、日本ダウン症協会が作成した

《生まれようとする「いのち」を選別しないで》というキャンペーンや、同協会が意見聴取団体として出席した厚生省の審議会の議事録、障害者諸団体の意見書などを日本ダウウン症協会のホームページで見ることができます。内容豊富で密度の高いホームページです。アドレスは、http://www.jah.ne.jp/~jds97/


むさぼる社会からはぐくむ社会へ

〈出生前診断を必要とする社会とは?〉

 連載最終回では、出生前診断を必要とする社会について考察して私なりにできることを考えてゆこうと思いますが、その前に出生前診断の問題点を確認したいと思います。それは、出生前診断は通常の医療的検査と異なり検査や診断が治療につながらない場合が多いということです。母体血清マーカーテストが簡便な出生前診断として普及し始めていて、「障害胎児の中絶の合法化」を促進していますし、体外受精の場合にはすでに遺伝子診断による着床前診断がおこなわれています。

 連載にあたり私は出生前診断とその背景についてできるだけ多くの資料を読みましたが、その結果、「出生前診断は障害者だけの問題でない!」という結論に達しました。つまり、出生前診断は「生産性」を人間の一番大切な価値として位置づける効率至上主義の競争社会から必然的に生まれてきたということです。(注1)そのような社会は、「効率と利益」を最優先するために、人類が有史以来営々と築き上げてきたさまざまな文化や人間同士のつながりを破壊し、効率と利益のためには資源やエネルギーを地球という環境を破壊し尽くすまで使い続ける「むさぼる社会」、つまり「消費社会」 と呼ばれています。(注2)

「消費社会」は「大量に消費することが幸福につながる」ということに大多数が同意する社会ですが、先進工業国を中心にこのライフスタイルが広がった結果、地球環境とそこに住む人間の心の荒廃は危険値を超えようとしています。「母乳にダイオキシン」、「オゾン層破壊」、「異常気象」は地球の環境や資源が現在の消費のペースに耐えられないことを示し、「家族の崩壊」、「地域社会の衰退」、「青少年の凶悪事件の増加」は「消費」「効率」「お金」などの消費社会の価値観が人間の精神を大きくゆがめていることを示しています。(注3)つまり、「消費社会」に対して社会のさまざまな分野で警報の赤ランプが点滅しているということですが、「消費社会」を見直すどころか「命、誕生、人体」までも産業と利潤の対象としようとする流れのひとつが「出生前診断」であるわけです。 (注4)人間が人間の命や体までも消費の対象とすることによって、どれだけ大きな人心の荒廃が起こるかは想像を絶します。

〈神様のみ旨に従いながら〉

 ひとりの人間は、暴走を止めるどころかさらにその勢いを増そうとしている社会に対してほんとうに無力です。いくら「出生前診断は障害者だけの問題でなく、社会全体に取り返しのつかない重大な影響を与える問題なのです!」と声を大にして叫んでも、ほとんどの人は「自分には関係ない」と注意を払いさえしないでしょう。現在大問題になっているダイオキシンや地球温暖化の問題も、取り上げられはじめた約20年前は完全に黙殺されていましたが、現在、当時から地道な研究活動を続けてきた人達による「循環型持続可能な社会の提案」が環境破壊を食い止める方策として注目されています。同様に、「出生前診断」の実体をできるだけ多くの人に伝えながら「キリストの価値観」で生活するために家族で努力し続けることが、一般社会と異なる価値観を世の中に問い続けることであり、同時に私にとって「自分の十字架を背負ってキリストに従う」 ことになると思います。

この厳しい状況の中、日本ダウン症協会の有志の方達は「生まれようとする『いのち』を選別しないで」

というキャンペーンの中で次のようなメッセージをインターネットで流していらっしゃいます。「ダウン症をもったこどもたちお誕生おめでとう!家族のみなさんおめでとう!私たちは心からそう言います。(中略)こどもを生むってことは何がおこるかわからないけれど、そんなことをとりあえず引き受けようと覚悟することかも知れないな。(中略)予期せぬ出来事、降ってわいたような事態にも人は日々を重ねる中で誰でも暮らし合う力をもっている(後略)」

そうです!私たち母親は何の専門知識も力もないけれど、神様から命をはぐくむ経験と力をいただいているのです。そして人を愛する心と穏やかな力強さも!私はそれらを与えてくださった方に従って歩み続けたいと思います。「み旨の天におこなわれるごとく地にもおこなわれんことを」願いながら。

〈連載終了にあたって〉

 連載を終わるにあたって、非常に複雑な問題をどこまで正確にお伝えできたか不安が残ります。この連載で出生前診断とその周辺の問題について関心を持たれた方は、是非参考文献をお読みになっていただきたいと思います。最後に、この連載を快く掲載してくださった編集委員の方々と、ホームページのリンクの件でお手数をお掛けした事務局の方に心からお礼を申し上げたいと思います。

〈参考図書〉



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