教会の未来を考える会 記録

目次

「明日へ」 (95.12)

カトリック藤沢教会の未来を共に考える会開催報告 (96.03)

「福音マーケット」の報告及び「第2回教会の未来を考える会」へのお誘い。 (96.07)

「第2回教会の未来を考える会」の報告 (96.08)

未来の教会・教会の未来 (96.09)

明日の教会 (96.12)

「第3回教会の未来を考える会」の報告 (97.03)

「第4回教会の未来を考える会」の報告 (97.07)

教会の未来を考える会 分課会報告 (97.08)

生き生きとした共同体を築くために (97.10)

「第5回教会の未来を考える会報告」 (97.11)

各地区の婦人の集会より (98.02)

「第6回教会の未来を考える会」の報告 (98.03)

《教会の未来を考える会》を考える (98.03)

98信徒総会 教会の未来を考える会報告 (98.04)

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「明日へ」 (95.12)
マーティン・ダビユーク

 東京・有楽町の数寄屋橋下を地下鉄丸の内線が通っているが、この地下鉄を作るとき、これにもう一階下で交差する線が計画され、ついでにそのトンネルも掘られました。一九四六年に開通した日比谷線がそれですが、惜しいことに、十年とたたない前に作ったトンネルなのに、高さが五十センチばかり低すぎて役に立ちませんでした。そこで、すっかりこわして新たに作り直すという時と金をむだにする大工事になってしまいました。

 「明日へ」について考えるとき、先ず第一に明日になると私達に、私達の教会に、私達の社会に何が必要になるかについて真剣に検討する必要があると私は思います。第二に、必要な物、人材などを準備するためには、私達が今すべきことは何でしょうかについて考える必要があります。

 藤沢教会の司祭が属している聖コロンバン宣教会は去年「ビジョン二千年」という文書を出しました。その文書は二十一世紀に入ろうとしているコロンバン会を見て、二十一世紀の宣教会には何が必要か、何処の国で働くべきか、大体何人の宣教師がそのときにいるかなどの将来の活動について語っている文書です。

 同じように、日本管区も「ビジョン二千年日本」という文書を会員全員で準備しました。現在の私達コロンバン会は五十数名で四つの地区(東京、横浜、関西、九州)で働いていますが、高齢化の問題、召命の減少などを考えると、二十一世紀に入ったとき同じ司牧が出来るでしょうか。一人の司祭がこれから二つか三つの小数区を担当することになるが、現在の四つの地区で働くことが出来るでしょうか。そして、信徒宣教者の役割はどんな役割になるでしょうか。「明日へ」ということについて考えるとちょっと怖くなります。先がはっきり分からないからです。しかし、その「明日」その「将来」について考える必要があります。小教区のレベルでも、小教区の明日について考えるべき時期は明日ではなく今日です。

 ルカ福音書の十四章では次のように書いてあります。「あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。(中略)どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。」

 藤沢教会として「腰をすえて」教会の明日について考えることはこの藤沢教会にとっては大切な課題の一つと思います。藤沢カトリック教会の明日はどんな明日になりますか。その明日を迎えるために私達には今、何が要求されているのでしょうか?湘南台センターの明日はどんな明日になるでしょうか。新しい小数区が誕生するでしょうか?今の三名の司祭が一名になるとき、どうなるでしょうか。将来の教会のあるべき姿を想俊するとどのような信徒養成が必要でしょうか。

 年が明けてから藤沢教会の明日について考えて見たいと思います。一緒に考えてみたい方は事務所までお名前をお伝え下さい。これは空想家や夢想家だけの集まりになるかもしれません。具体的なビジョンや案はすぐ出ないかもしれません。それでもよいのです。藤沢教会には大切な明日が待っています。その明日を迎えるために、その準備を今少しずつしましょう。

 フランスの物理学者キュリーが書きました。「未来(明日)は人間の手の中に」。



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カトリック藤沢教会の未来を共に考える会開催報告 (96.03)

 昨年創立四十周年を迎えた藤沢教会は、これからの世紀を有意義に生かして五十周年を迎えるように、皆様と話し合いを深めていきたいと考えてきております。この趣旨で、二月二十五日に初めて皆様と一緒に考える会を開催致し多くの方々の出席を頂さました。

 マーティン神父様の開催の祈りに続き、お話があった。米国の教会報にも二千年を迎えるためのミサが司教座聖堂で行われたと報告があったこと。また、濱尾司教様も二千年に向けていろいろ課題を抱えている。また、高齢者社会の時代を想定し、教会敷地を活用するため、ビルを建てその一部に聖堂を作り、他の部屋を高齢者用に活用するなど将来課題になるかもしれない。是非とも各位の意見を生かして、ご協力を頂きたい。

 その後、委員長より問題提起があった。

昨年のアンケートを元にして、教会の歩む方向を皆で討議していこう。第一回としているが、小数区として進むべき方向への意見を積極的に頂さ、一、二年後にまとめていければと思う。

アンケートのレビューを行った。(川辺事務局長)

その後質疑に移り、色々なご意見を頂いた。

 将来を考えた時に、社会的背景として、老齢化、外国人との融和、教会の信仰、カトリック教会としてのあり方の変化(バチカン公会議以降)=社会と共に歩む教会として宣教の拠点を確保する施策、などが先ず問頴提起された。その後質疑が続いた。編集の都合上、箇条書きにする。

  1. 司祭館の老朽化とその対応をどうするのか。三階部分の傾きがある。緊急性とにらみ合わせ教会全体の将来構想の一つとして検討して提案する予定。

  2. 今後、福祉対応を考える時に、藤沢市で遅れている知恵遅れの人達の対応を考えてほしいとの指摘を頂いた。

  3. 湘南台センターに派遣された時の経験で、教会の仕事を進めるために、必要なキリスト教知識や、カウンセリング教育を頂くとより十分な活動が出来ると思われるので、教会全体での教育対応を検討したらよいとの提案を頂いた。他にも、社会講座や、キリスト者の福音宣教セミナーや教育をより幅広くする必要が指摘された。生涯教育も含め、皆の活性化の為の教育と言うことが何人かの方から提案があった。

  4. 発足してから三年弱になるブロック活動について、ブロック活動がどうしても分からない、また何をしたらよいか分からないとの指摘があった。提案した時の意向としては、以前は地区として活動していたが本当に力を発揮するにはもう少し大きな単位にする必要があると思われた。しかし、教会全体では大きすぎるので、中間規模のブロック活動を提唱した。まだ定着していない実態を踏まえ、今後普及させるには、皆が共同で問題意識を持つよう、例えば座談会や、八角形ニュースなどで、更に度々取り上げたらよかろうなどの提案を頂いた。

 反面、高齢化してきている社会に、近隣同士で家庭集会を持つなどのこともよいこととの提案があった。

これ以外にも大変多くご意見を頂いた。今回の討議は将来課題を考えるよいステップになった。



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「福音マーケット」の報告及び
「第2回教会の未来を考える会」へのお誘い。 (96.07)

 6月23日(日)9:30ミサ後、日本宣教研究所の小田神父様の指導で「福音マーケット」が行われました。「福音マーケット」というのは、NICE1(第1回福音宣教推進全国会議)のアフターケアのために作られたプログラムで、私たちの教会の現状を見出すための体験学習プログラムです。

 当日参加した70名強の人々は、簡単な説明を受けた後7グループにわかれて作業を始めました。最初に教会を「福音」を販売する「マーケット」にたとえ、私たちはそこで何を売っているかを一人づつ思い思いに記し、それを出し合い話し合いながら大きな項目にまとめていきました。続いて今度はその「福音マーケット」に買い物に来る人々が、いったい何を求めて来るだろうかと言うことを、「今、○○は××で悩んでいる(困っている)」と行った具合に書き出し、それも同じようにグループで話し合いながらまとめていきました。そしてその双方を見比べ、私たちが売ろうとしているものと、人々が求めているものとの差を見、私たちの教会は今どのような状態かについて話し合い、まとめ、全体会で報告されました。

各グループの報告と、小田神父様によるまとめは以下の通りです。

「福音マーケット」の共同作業で前半と後半を見比べて何が見えてきたか。

グループ1

(発言)

(報告)

前半では、平安があるとか、友達がいて幸せなど、よい事ばかり出てきたが、後半では孤独であるとか、助けを求めているなど裏腹なものが出てきた。一つあげるならば、「私たちひとりひとりはキリストの命につながるマーケットの売り手である。」

グループ2

(発言)

(報告)

共同体、赦し、癒し、祈り、伝統などを売りたい。買い手が求めているものは親たちの悩み、生きがい、子供たちの悩みに対する回答。売っているものはその役に立つだろうが、果たして売っているものは本物か。本物ならば社会のニーズに答えられるはずだが。

グループ3

(発言)

グループ4

(発言)

(報告)

前半では、赦しあう仲間が多いとか助け合うなどいろいろいい事があったが、後半では孤独とか愛の不足などそれと相反する内容だった。私たちの一番の売り物は福音、しかし宣教方法が日本の風土や方法に合っていないのではないか。売り物は良いが売り方や宣伝が悪ければお客は入ってこない。

グループ5

(発言)

教会は

(報告)

売り物の一番は信仰。しかし、同時に困っている事がこんなにもあるという事も見えた。売りの前提でも賞味期限の無い信仰は、死の間際にあればよいとの思いがある。教会はブティック(限られた人のもの、中が見えず入りにくい、いったん入ると買わされる)になっていないか。それから売り子も不足なのでは。

グループ6

(発言)

(報告)

売り子の資格・・何が売り子になるのを妨げているのか。見合うものはあるのに社会の人々と分かち合えていない。教会はこういうものとか、こうでなければならないと決めてかかっている。司祭とか力ある人にたよってひとりひとりが自立できていない。本当の意味での回心が求められている。

グループ7

(発言)

(報告)

前半では、社会との関わりや仲間との関わりなどすばらしい売り物がたくさんある。後半では、子ども、夫婦、老後、社会で生きる事の悩みが多い。どこかで、誰かが橋渡しをしなければならない。橋渡しをするのは誰か。私たちひとりひとりが洗礼を受けたものとして橋渡し役(福音のセールスマン)にならなければならない。そのためにはセールスマンの教育、養成が必要。

グループ8

(発言と報告)

グループ9

(報告)

教会は万能ではないが、社会で病める人々を受け入れるように努力し、共に祈る。

小田神父様のまとめ

 今回もう少し大勢の方々の参加を期待していましたが、他の行事との重なり合いや、内容の説明不足などもあり、このような結果になりましたが、参加された方々からは楽しく、また話し合いながら新たな視点で教会の現状を見つめるよい体験をしたとの声が届けられています。これは、大きなグループばかりではなく、5、6人いれば行えるプログラムですので、地区や家庭の集会などでも一度やってみてはいかがでしょうか。さまざまな新しい発見があると思います。

 今回の結果をふまえ、7月21日の9:30ミサ後に「第2回教会の未来を考える会」を行います。私たちの教会がこれからどのように歩んで行ったら良いのか、みんなで一緒に考えていきたいと思います。



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「第2回教会の未来を考える会」の報告 (96.08)
教会委員長高野修(藤沢一区)

 七月二十一日(日)九時三十分ミサ後、自分たちの教会はどうあるべきなのかを考えるための集いを開催した。

 これはすでに「八角形にゅ−す第59号」で「福音マーケット」の報告及び「第二回教会の未来を考える会」へのお誘い”で報告しさらに内容を説明してあるので重複を避けてここでは触れない。

 当日は台風余波の影響もあってか、参加者は40名程度であったが、それだけに問題意識の高い人々の参加のため、活発な意見が出されたことは、まさに、これからの藤沢教会の未来を考えるのに相応しい会であった。

 さて、今回の目的はすでに述べたように、自分たちの教会はどうあるべきなのかを考える事であって、すぐにこうあるべきであるという結論を出すことではない。むしろ事務局長の川辺さんから事前に説明されたように、「私たちの教会に問い掛けられているものは何か。」「自分達の教会は何ができるのか。何かできるとするならどのようにすればよいのか」といった点に的を絞って、前回の「福音マーケット」で出された問題を、さらに整理しながら、新たな問題を考えようということであった。

 今回は、六グループに別れて協議検討していただき、前回同様にそれぞれのグループから発表していただいた。つぎにその趣旨を紹介しよう。

  1. 活動体が見えない。つまり教会が内外ともに開かれていないということ。
  2. 個人的に教会活動に参加出来ないような雰囲気がある。既存のメンバーの間に和が出来ているので。これは解決法の一つであるが、今の活動チームの環の中に入りにくいという前に、兎に角参加してみたら、という意見もあるが、これは問題として提起し、解決法はこれから

 以上数々の問題が、約三十分のグループ討議で出てきたのである。まとめの段階でグループの意志が、正確に伝わらなかった面があれば、ご寛容いただきたい、これは今後「教会の未来を考える」上で、大きな財産であり、さらに教会の未来に光明が見えて来たなと思うのは、私の思い過ごしであろうか。



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未来の教会・教会の未来 (96.09)
ジョン・バーガー

 人間の考え方には二通りあります。未来について関心の強い人と明日のことをあまり考えない楽観的な人がいます。アルバート・アインシュタインは「私は未来のことは考えないことにしている、そのうちに未来はくるでしょう。」と言ったそうです。おそらく未来について考えるという考えは、科学者であるアインシュタインにとっては何の魅力もなかったのでしょう。確固たる情報がほとんどない問題に関して考えることは無意味に近いものでした。科学者は確率の低いことについては論じたくないという考えです。

 もちろん、未来のことに関心を示すべきだという人々もいます。それは私たちが余生をどのように過ごすつもりであるかということに関心が向いているのです。

 未来の種は現在蒔かれていると言えるでしょう。多分、将来良い結果をもたらすための一番良い方法は勇敢にそして建設的に現在の状況を直面することです。それでは、現在わたしたちが見ている未来の種はどんなものでしょうか。

  1. 変化しつつある女性の役割です。妻として、母親としての役割と、社会すなわち職場での役割を両立させている女性がますます増えています。この変化は家族全体に必然的に影響を及ぼしています。もし、家庭における妻そして母親の役割が変わりつつあるなら、夫や子供達の生活に影響があるのは当然です。昔から女性は家庭の宗教的雰囲気を守る大切な役割を演じてきました。しかし、現在、仕事を持つ女性は教会のボランティア活動ができなくなっています。この現象は今もすでにあらわれていますが、将来どのような芽になって、出てくるでしょうか。

  2. ここ数十年のもう一つの傾向は家族形態が縮小していることです。子供の数が減少し、大勢の兄弟姉妹の中で育つ子供はほとんどいなくなりました。このことは子供達が将来地域社会へより心を開かせることになるでしょうか。それとも、心を閉ざしてしまうのでしょうか。私にはわかりません。

  3. 若者の教育期間が長くなっている傾向もあります。若い人たちは社会に出る前に、学校で、昔の人たちより長い期間学校教育を受けています。

  4. 年々、高齢化社会になっています。このように、老人の数が急増することは、歴史上非常に珍しいことです、

  5. 現在、司祭の数が少なくなっています。たとえ、この傾向が今年大幅に変わったとしても(そのような兆は全くありませんが)世界の新しい司祭の数が世界のカトリック人口と同じ割合で増えるには、かなりの年月を要します。

  6. また、修道会の会員数も減少しています。私たちはシスターや他の修道会の会員がこのまま引き継いで行くことを期待できません。

 このように世界の状態を見て、消極的に悩んでいる信者もいます。 でも、私はいつも未来について考える時、昔見たあるポスターに書いてあった言葉を思い出し、沢山の力をもらっています。それには「私が明日のことで分かることは、神の御摂理があることは太陽が昇ることより明らかである。」と書いてありました。これは、何が起ころうと神は御自分が造られたものたちを愛しつづけてくださるということです。愛そのものである神だけは、変わることなく共におられるということを心に留めておくことは、何と心安らぐことでしょう。

 私は人間の心もそんなに簡単に変わるとは思っていません。聖書で読んだ話を思い返すとき、当時の慣習と現在の慣習は大きく変わっていても、人間の心理はそれほど変わっていないことがわかります。 2000年以上前でさえ、人々は今日の私たちと同じようなものを必要としていました。おそらく、はるか未来の教会の人々も現在の私たちと同じようなものを求めて、愛、共同体、生きがい、アイデンティテイー、の必要性に取り組んでいるでしょう。

 しかし、もし神は変わらず、人間の心もほとんど変わらなければ、未来の教会も今日の教会と変わらないのではないでしょうか。そうです。私たちが今日と同じように隣人を愛しつづける限り教会は変わらないと思います。しかし、社会情勢は変わっていきます。そして、この社会の変化と共に、神学的な立場もだんだん発展していくでしょう。また社会や個人に神のメッセージを伝える方法にも影響を及ぼすでしょう。

 現在、社会に蒔かれている種を見据え、将来どのような芽を出すかを考えるとき、多分サレジオの聖フランシスコの言葉は助けになると思います。「恐れることはありません。明日、何が起こっても、神は今日も、明日も、そしていつの日も、あなたがたを愛し心に留めてくださいます。神はあなたがたを苦しみから守り、また苦しみのあるところにはそれに耐える力を与えてくださいます。心配しないで、心和やかにすごしてください。」



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明日の教会 (96.12)
川辺克郎

 「藤沢教会の現状をどう思いますか?」という質問にみなさんはどの様にお答えになりますか?賛成、反対、肯定的、否定的な様々な答えが返ってくると思います。昨年はじめに藤沢教会についてのアンケートを行ったのを覚えていらっしゃる方も多いと思います。このアンケートには、約400名の方々が回答してくださいました。400名という数字は、藤沢の信徒数から見ると少ないようですが、毎週のように教会にいらしている方々の人数から小さなお子さんや外国人の方をのぞくとせいぜい5〜600人ですから、その内の7〜8割の方が回答してくださったことになります。その回答では、今の藤沢教会には全体としては満足しているというものでした。今日の藤沢教会は、概ね良い教会であることが確認されたといえるでしょう。これは、40年前にここ藤沢に教会が建てられてから今日まで、司牧してくださった多くの神父様方、中心となって働いてくださった信者の方々のお働きに負うものだと思います。

 私たちの教会は”概ね良い”とされたので、もうそのままで良いのでしょうか?今までやって来たことをそのまま続けていけばいいのでしょうか?アンケートの結果を見ても、多くの足りない点が指摘されていました。また、このアンケートに答えてくださった方々のほとんどは、イエス様が好きで、この教会が好きで、毎週のように教会に来ていらっしゃる方々です。もしかして、違う人々の視点から私たちの教会を見てみたら”概ね良い”どころでは無いのではないでしょうか。私たちが、この日本の社会で、藤沢という場所で、イエス様の福音を証しし、のべ伝えていく教会であるためには、これからどの様な方向に進んでいけば良いのでしょうか?

 今年の2月25日に、第1回の「教会の未来を考える会」が行われました。そこでは、私たちの教会がこれからどの様にしていったらよいかを考えるには、私たちが自分たちの現状をよく知り、教会とは何かを学ぶことから始めていきたいとの声が多く出されました。その手始めとして宣教研究所の小田神父様を招いて、私たちの教会の現状を見つめ直すワークショップ「福音マーケット」を6月23日に行いました。そして、その結果を踏まえ第2回目の「教会の未来を考える会」を7月21日行いました。これらの報告は八角形ニュース59号と60号に詳しく載っていますので、重複を避けそちらを参照していただきたいと思いますが、そこでは、内輪からの目で見た教会の姿ばかりではなく、福音を必要としているが教会の外にいる人々にとって、今の私たちの教会はどの様な姿だろうかということが話し合われ、少しずつ見えてきました。その後、八角形ニュース61号には、バーガー師の教会共同体に関する個人的なビジョンも掲載されました。

 教会共同体は生きているものだと思います。それも、イエス・キリストの命に結ばれて生きているものでしょう。ですから、私たちの教会はいつでも生き生きとしているもののはずです。教会が生き生きとしたものであるためには、共同体として、また私たち一人一人の、絶え間ざる回心と刷新が必要とされるでしょう。

 これからも、「教会の未来を考える会」は続けていく予定です。次回は来年の2月9日(日)9時半ミサ後に予定されています。様々な意見や、ビジョンを出し合いながら、皆で、私たちの教会がどの様に進んでいったら良いかをいっしょに考えましょう。私たちが、祈りと、開かれた心を持って道を探し求める時、神様の望まれる「明日の教会」の姿を示してくださると思います。私たちが、生き生きとした「明日の教会」を築いていくことが出来ますように、皆で祈り、考えていきましょう。



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「第3回教会の未来を考える会」の報告 (97.03)

二月九日(日)に未来の教会のあるべき姿を見つけていくための集いが開催された。

これは、すでに二回ほど開催された、私たちの教会はどうあるべきなのかを考えるための集いの、さらに具体的な問題を提起するためのものであった。そのためテーマは『明日の教会、私のビジョン』とされた。

信徒が例えば主任司祭や教会委員長になったとして、わたしならこのような教会にしたいという抱負、あるいは問題を提起していただこうというわけである。

最初にバーガー主任司祭の祈りにつづいて、経過報告がなされた。そのなかでとくに記録しておきたいことは、私達は藤沢教会の未来について考えているが、この問題は藤沢教会という小教区だけの問題ではなく、横浜教区、日本のカトリック教会、世界のカトリック教会と連帯した形で、教会が「神の国の到来を目に見える姿で表すこと、また、それを実現するのが最終目的です。神の国の協力者に招かれたのがキリスト者です」と濱尾司教様は一九九五年四月二十三日宣教司牧評議会総会の講演「キリスト者とは」の中で述べられている。この司教様の講演は教皇パウロ六世の使徒的勧告である「福音をのべ伝える」一九七五年二月の影響をうけてのご発言であった。司教様はまたつぎのようにも話されている。「日本の教会全体に関係しますが、小教区が自分の教会のことだけを考えていればいいというわけではありません」。むしろ「社会に神の国が存在することの、しるしとなり道具となることが教会の務めです」とも。つまり私たちが今、検討しようとしていることは、世界のカトリック全体の問題でもあるというのである。

なお今後日程として、出来れば一九九七年度中には纏めたいということ。そのためには、五月二十五日に第四回「教会の未来を考える会」を開催し全体としてのビジョンを示すことが出来ればと考えていること。さらに、秋ごろには具体的な施策を纏める作業に入れたらと思っている、との報告がなされた。

今回も前回同様に八グループに分かれて協議検討していただき、それぞれのグループから発表していただいた。

以上、メモを紹介しましたが、これらは教会内部に対しての問題、教会外部に対しての問題というように整理し、さらに教会内部の問題を司祭の問題、信徒の問題、委員会の問題などと区別して、検討することが必要だと思います。総括質問のところで「足元をみつめ、そこから未来をみつめる、そのためには情報交換が必要ではないか」というご発言がありましたが、この言葉に期待して報告とさせていただきます。



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「第4回教会の未来を考える会」の報告 (97.07)

 5月25日に「第4回教会の未来を考える会」が開催された。

 当日は参加者が希望する4つの分科会に分かれ話し合いがもたれた。( )内は各グループの代表者。

  1. 社会に開かれた教会  (善行 辻垣)
  2. 信仰を豊かにする教会  (F2 平野)
  3. 信徒の築く教会  (K1 竹田)
  4. 一人一人を大切にする教会  (長後 高橋)

 今後は、次回10月に開催予定の「未来に考える会」に向けて、それぞれのグループで何回か会合を重ね提言をまとめ、来年の信徒総会頃に具体的施策を打ち出すことが出来るようにしたい。各グループの代表者に連絡をとったり、お知らせで会合の日程を確認することにより、今回参加されなかった方も是非興味のあるグループに参加してほしい。

 また随時八角形にゅーす等で話し合いの内容を報告してほしい。

「信徒が築く教会」
5月25日の「未来を考える」集いからの報告

 わたしたちは、4つの主題の第3「信徒が礎きあげる教会」について話しあいました。 今回は、はじめに、第3の主題を選択したねらいは何かを互いに分かちあいました。

 第2バチカン公会議前は、ローマを中心にした縦割り組織によって教会の運営が聖職者の権限のもとに行われ信徒はその手足であり、主体的に活躍することは考えられなかったのです。公会議後は、教会の主体は洗礼を受けた者の全体であって、聖職者はその全体の大事な一部分であることを指摘し、社会の中に生きる教会の主体が信徒であることに変わりました。

 聖職者と信徒の尊厳は洗礼からくるのであり、キリストの神秘体のメンバーであること教会が多様性をもった交わり、みな平等、対等であり上下はありません。機能が違うのでそれぞれ段階がありますが上下の関係ではありません。みな同心円の中におるのです。

 この同心円である教会共同体の現状をみるとき、重要な機能を果たす司祭の召出しも減少しその上高齢化の時代を迎え、司祭方への負担も多くみられ、ここで信徒が可能な限り、共同体に必要な機能を見出し積極的に担うことが出来るならば、共同体の活性化となるのではないかと意見が出されました。

 私たちは教会というと建物を意識するのですが、世に在ること、神の霊に生かされている実社会、実生活の場で生きる信徒のことであります。

 この実生活の中で信徒の交わりは地区でありブロックであります。今回の話し合いではブロックを強化してゆき、二重構造(壮年部婦人部)をなくし、連絡網なども総括する方向にもってゆけないか!など話が出されました。

 つまり社会の変革に対して教会の組織も変わって新しくし、社会へ適応することであるとの意見もでました。

 これらを推進してゆくために、先ず実社会の中に生きる信徒が実生活に於いてキリストの弟子であることを意識することが最も大切であると確認いたしました。

 信徒の意識化(信仰を見直す)と組織化によって共同体は活性化され、その中でリーダーも育ち教会が社会から遊離しないようにすることが肝心であると話し合われました。 主に於いて心をあわせ、互いの思いが一つ  になりますように祈りながら!

 次回は7月13日(日)ミサ後集まります。私共の主題にご関心のある方は、是非ご参加下さい。

「一人一人を大切にする」
5月25日の「未来を考える」集いからの報告

 「一人一人を大切にする」のグループでは、先ずはじめに、この主題がどんな話合いから引き出されたのか、という質問がありました。いままで話し合われたなかに、私たちの間で老人、在日外国人とその家族、心身障害者、子供たちが大切にされていない状況があるということからその主題が引き出されたと言います。なぜそれが、その主題に結び付くのだろうか、はじめはわかりませんでした。一般の人も大切にされていないのではないかとの発言をうけて話合いがはじまりました。

 例えば、親同士が挨拶をかわすとき、そばに居る子供にはことばがかけられないとか、私たちみんなの活動や問題について、若い人たちの意見を聞いているだろうとか、よく知っている者同士で話し合っているそばに見かけない人やよく知らない人が立っていても、そちらに顔を向けたり声をかけたりしないのではないか、などの状況があります。新しく私たちのなかに入ってきた人に、いきなり私たちのしきたりを教えるだけで、知らないその人のことにこころを向けて話を聞こうとはしないし、その時そこで私たちにその人との新しい出来事がはじまって居るとは思いもしないのではないでしょうか。

 後から来た人は、先の人に従うのがあたりまえと思っているのでしょうか。

 あまり多くない体験でも教会はどこも同じで声をかけられるのを待つより自分からはたらきかけなければいけないのではないか、という意見もありました。しかし、人には様々な性格もあり特に知らないところに入っていく人の弱い立場も考えなければならないという話になり、変わらなけらばならないのは先の人か後から来た人か、どちらの立場だろうと考えさせられました。

 私たちは互いに同じ者にならなければやっていかれないのでしょうか。ちがいのあることはよくないことなのでしょうか。

 同じ者になれないこと、つまり互いにちがいがあることを認め受け入れ合って、それぞれがそれとどう取り組むかを考え変わっていくことで、私たちはその可能性をひろげますます豊かに生きることができるのではないでしょうか。

 それが、私たちの、一人一人を大切にする目的なのかも知れません。

 そんなことが話合いのなかで浮かび上がって見えてきました。

 自分の話を聞いてもらいたいと同時に他の人の話も聞きたい。そんなこころの渇きを癒す場をどこに求めたらよいのでしょうか。

 身近に、こころの傷ついた人が居ると知ってそれをみんなに知らせて何とかしてもらおうと思ってもどこに持ち出したらよいのでしょうか。という切実な話も聞きました。活動が必要だと言っても、その組織や制度が一人一人のこころの問題を受け止められないなら、わたしたちは死んでいるも同じではないでしょうか。

 しかし、私たちのなかにあるしくみを変えていく責任は私たち一人一人にあります。私たち一人一人が、私たちの欠けている足りない弱いと感じることに引き合わされたら、それは責任を果たすにまたとないよい機会です。それがどんなに小さなことであっても、その機会をできるだけ活かそうとする気持ちが私たちにあるならば、しくみを変えるために私たち自身の変わる道を必ず一緒に見つけることができるでしょう。

 機会は、いつでも私たちのところに来ているのに、それに気付かないのでしょうか。親しい交わりは、その機会に気付いて、一回一回わたしたちがつくっていく他ないと言う人。頭で受け止めるのではなくこころに感じなければならないと言う人。どちらも、わかっているところでものごとを終わりにして片づけないように、そして変わって行くようにと言っているのでしょう。

 私たちがものごとを一般の大人を規準にして考えるとき、切り捨てられる人たちが、老人、在日外国人とその家族、心身障害者、子供たちでした。

 それと同じに誰にでも当てはまると思い込んで一般の規準でものごとを片づけるとき、私たちは一人一人を大切にしていないのではないでしょうか。

 他の人について聞かなければならないことがまだまだたくさんあるのだと認めましょう。というところで私たちの第1回目の話合いを終わりました。

 これで終わりではありません。まだまだ私たちのなかにある「一人一人を大切にしていない」ことに気付いたら、一体私たちの何が「大切にする」妨げになっているのかを、話し合いながら考え一緒に見つけましょう。分科会開催の知らせを聞かれたら、どなたでも、いつでもご自由にご参加下さい。

 「わたしが来たのは、羊が命をうけるため、しかも豊かに受けるためである。」ヨハネ 10:10

「社会に開かれた教会」
5月25日の「未来を考える集い」からの報告

話し合い概要:

<現状について>

<妨げていること>

くあって欲しい姿>

<こうしたらよい>



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教会の未来を考える会 分課会報告 (97.08)

「信仰を豊かにする(深める)教会」グループ

 このグループは、信仰と祈りが生活の土台であるという意識を持ちたいと願ったメンバーが、5月25日の集いと6月28日に話し合いました。以下、話し合いの内容を簡単に記します。

 この話し合いのあと、7月13日の9時30分のミサ後、メンバーが中心になって集まり、当日のお説教についての分かちあいをしました。

 今後も不定期ながら、ミサ後の分かちあいを続けていきますので、聖堂の片隅や祈りの庭、憩いの庭等で集まっているグループを見かけた時はどうぞ仲間になって下さい。

 また、若い方々にも是非、グループのメンバーになっていただきたいと願っています。

「社会に開かれた教会」を考えるグループ

 集い 1997年6月1日、29日

 司会 辻垣 正彦

 話し合い概要について列記してみました。今後、これらの意見を参考にして、課題を絞り込み、今年末までに、可能な限り、具体的な対応策を提案したいと考えています。

〈現状について〉

〈妨げていること〉

〈あって欲しい姿〉

〈こうしたらよい〉

(記録・落合)



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生き生きとした共同体を築くために (97.10)

 9月21日(日)午前9時30分のミサより、コンベツァル・フランシスコ会の松田神父様(日本カトリック研修センター)をお招きして現代社会に根付いた生きた共同体を築いていくためにどの様にしていったらよいかについてお話をしていただきました。

 ミサの説教では、講話の導入として当日の福音から、イエスの真意を理解できなかった弟子たちの姿、それにも関わらず、弟子たちとともにいて導くイエスの姿を通して、不完全な私たちであってもともにいて導いてくださるキリストを中心に据えるところから、教会が真のキリストの共同体として社会の中に生きることが出来る。その中心にミサがある。

 ミサはその共同体が全員で、そのただ中にいるキリストを祝う祭りである。司祭はただその祭儀の司式を共同体のために奉仕するのであって、祭儀には共同体全員が能動的に関わって行くはずのものである。そのときミサはより多くの人を引きつけることの出来る祭儀となれるのではないか。と話されました。

 ミサ後行われた講話では、199〇年のFABC(アジア司教協議会)で提起されたアジアにおける宣教・司牧のあり方の中から生み出された実践のためのプログラム(ASIPA=アジアにおける包括的な司牧へのアプローチ)の紹介をしてくださり、その中でも特に中心であり基礎ともなるみ言葉の分かち合いについて話されました。

 このみ言葉の分かち合いは4〜8名程度の小グループで行われます。み言葉の分かち合いは、聖書研究と混同されがちだが、実際には大きく異なった神学的な背景があります。聖書研究は、歴史的背景の元で、キリストのメッセージを理解することを主としていますが、分かち合いはそうではなく、今日も私たちの中に生きていらっしゃる復活のキリストとの出会いにあります。「二人三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのです」とのみ言葉のように、そこで語り、分かち合われるみ言葉の中に、ご聖体における現存のように秘跡的にキリストが現存しています。その主に私たちは分かち合いを通して出会い、共同体に命を与えて、生かしてくださるのです。

 み言葉を中心に生かされている共同体は、必然的に社会に対しても開かれたものとなるでしょう。生活と信仰の遊離の多くも解消されるでしょう。今までの実践でも、それらは多くの実績を上げており、またみ言葉の中におられるキリストとの出会いは、その人々をミサへと招きます。そこで行われるミサは、より生き生きとしたものとなっていくのです。

 そのような話の中に、み言葉の分かち合いの実践の具体例を入れながら1時間半の講話を終了しました。

 このような、信仰共同体での生きているキリストとの出会いの体験こそ、現代社会に生きるキリスト者にとってもっとも必要とされていることであり、その礎の上に、社会に福音を証しする、いわば秘跡としての教会共同体が実現できるのではなかろうかと考えさせられました。(文責 川辺)



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「第5回教会の未来を考える会報告」 (97.11)

 10月12日に開催された「教会の未来を考える会」のご報告をいたします。

 5月25日に開催された第4回「未来を考える会」では4分科会に分かれ話し合いがもたれたが、その後各グループで続けられた話し合いの内容が先ず発表された。(以下は、それぞれの発表者の報告)

1、信徒が築く教会

私達は5回集会をもちました。

 他の集会とかち合って、参加出来ない人が毎回あるようです。教会の活動が盛んなのは結構ですが、かち合わないような方法はないものでしょうか。私達は毎回少ない時は6、7人、多いときは12、3人集まりました。そして活発な話し合いが出来ました。結論として、信徒自分自身が教会をささえるという意識が足りないことがわかってきました。

 司祭を助ける手足的な信徒から、信徒が主体であることの意識を強めるためにはどうしたらよいか、話し合いました。

 信徒は教会共同体及び、社会の人々に奉仕するために神からよばれたのです。この自覚を深めるのには、どうすればいいのでしょうか。それには互いに学び合う必要があります。そこで“教会とはなにか”をテーマに話し合いをもつことしました。テキストは、百瀬文晃神父編集の「教会その本質と課題を学ぶ」という本です。題名がかたくて、むずかしそうですが、内容はそんなことありません。多分1月から始められると思います。その節は大勢いらしゃることを期待します。

 もう一つ、信徒がより親しくなり、活発に働くために、今別々の部の壮年部と婦人部を一つにして、ブロックを強化することが必要であるとの提案があります。

(鵠沼1区 竹田美穂子)

2、社会に開かれた教会

「教会の未来を考える」と言うことは、とりもなおさず「教会」とは何かと言うことを認識することから始まります。

 ミサに参加し典礼を人々と共に深く味わうことができるなら、一人一人を大切にし、信仰豊かに、社会に開かれた信徒の築く教会が実現するのではないでしょうか。

 ミサの最後に「ミサ聖祭を終ります。行きましょう、主の平和のうちに」と祈ります。最近迄「あゝ終ったんだ、これから家に帰ってのんびりしよう」と言う意味に思っておりましたが、実はそうではなく「今ここであなたが体験したことを、さあ社会の中にもって行きなさい。そして、いただいたものを世の兄弟姉妹と分かち合いなさい」という大変驚くべき深い意味をもっていたのに気付きました。

 これは大変なことです。ことばの典礼で伝えられる旧約のことば、新約におけるキリストのことばを、各々の生活の場で、各々のカリスマで廻りの人々と分かち合うことを約束してしまっているのです。

 まず家庭に於て、近隣の人々特にお年寄りや病人を通して、外国の人々と共に「愛」を実践するようにキリストは、ミサを通してみことばを通して教え導いていらっしゃることがうすうす解って来ました。キリストは公生活のたった3年の間、説教だけを繰り返していた訳ではなさそうです。らい病の患者は誰でも近づかないように、首に鈴を付けていたと言いますが、積極的に近づいて行き、清くなさいました。事件が起きるとそれに向かって行きました。私にはとてもそんな勇気がありません。いつも強い者や汚い者から逃げることが多いのです。全てを捨てて従う者にはなれません。卑怯者でしょう。どうしたらキリストに少しでも従う者となるのでしょう。典礼の中のことばの意味を深く味わい、赦しをお願いして、聖霊の恵みを受け、勇気と力をいただく以外にはないように思います。

 神の国の実現のための具体的行動のきっかけは、ブロック活動の活性化でしょう。

いきなり社会だ、仕事場だ、学校だと言っても仲々取組みにくいものです。神から派遣されているのですから、いつも教会へ内向きになることはないでしょう。地元で福音を生きることが大切のようです。毎月のミサを担当ブロックの信徒がこぞって奉仕することもとても大切です。ブロックの存在意義が未だはっきりしない方々も多いようですが、少しずつでも全信徒がブロックの意味を理解できるようにしたいものです。

 最後に、教皇ヨハネスパウロ二世の私の好きなことばがあります「ミサは何よりも大切な社会活動である。すべての人が、お互いと、またキリストとひとつになる最も大切な『時』はミサである。その時、どんな分裂も、どんな階級闘争も不可能となる」

(善行 辻垣 正彦)

3、信仰を深める(豊かにする)教会

 このグループでの話し合いのなかで、二つの問題点が見つかりました。

  1. 受洗後、1、2年経つと教会から離れてしまう方がいる。
  2. ただミサに与かるだけで安心してしまう。豊かな信仰と言えるか。

以下その対策案を簡単に記します。

1.について。

2.について。

 また、このグループのメンバーが中心となって、7月から日曜日の9時半のミサ後に当日のミサについての分かち合いを何度か実施いたしました。今後も不定期ながら、ミサ後の分かち合いを続けて行きたいと思います。聖堂の片隅や祈りの庭、憩いの庭等で集まっているグループを見かけたときは、どうぞ仲間になって下さい。

(藤沢2区 平野和子)

4、一人一人を大切にする教会

 一人一人を大切にするということは、様々な具体例を聞くと結局、一人一人のちがいを大切にすることにつきると思います。

 かつてあり、今あり、またあるであろう神、存在のすべてに結ばれる交わりのなかで、わたしたち一人一人は与えられるその存在の意味とはたらきを異にしており、わたしたちは決して同じではありません。これが、神に結ばれる交わりのなかで、一人一人のちがいが大切にされなければならない理由です。そのように神はわたしたちを互いに引き合わせて居られるのだと思います。

 わたしたちは、互いのちがいを、それぞれの成長に役立てることができ、ひいては共同体の成長に役立てることができるでしょう。

 ところで、わたしたちは今までの体験や知識に支えを求める思いや考えで、人やものごとを比べたり量ったりして選んで生きています。それで、今ここに、その思いや考えを超える神に結ばれる交わりのために、互いに引き合わされているとは殆ど感じて居ないのではないでしょうか。

 今ここに神がわたしたちに必要とされることを、引き合わせをとおしてわたしたちのなかで語っておられるとは思いもしないのです。まして今ここに、わたしたちのなかに、今までの体験や知識を超える交わりがはじまっているなどとは思いもしません。今までの体験や知識で「よい」とわかっていることを選んでしたい。 これが、わたしたちのアダムとエワ以来変わらない願望なのです。 それなら、今ここにある神に結ばれる交わりは一体どこに行ってしまうのでしょうか。一人一人のちがいを大切にするには、それによって起こる大きなマイナスを引き受けなければならないでしょう。

 しかし、そのマイナスには、わたしたちのこの先に生まれるいのちに結ばれた意味とはたらきとがあります。

 今はまだないが、わたしたちのこの先に必要とされていることのために引き受けるマイナスこそ創造のはたらきになること即ち十字架であろうと思います。また祈りでもあります。組織も制度も、わたしたちのこの先に生まれるいのちのためであって、それ自体が目的になることは決してありません。

 共に生きるわたしたちが、一人一人のちがいをとおして、それぞれが今までしてきたことを見直し問い直してまだしていないことをはじめるなら、わたしたちに神に結ばれる交わりがはじまるでしょう。これは、教会のなかだけでなく、わたしたちの派遣される先、人々のなかでも是非はじめたいものです。今までのところでものごとを終わりにしないで、未知のこの先があると認めるなら、それがすべての人に福音になるでしょう。

 分科会で一番多く出たのは、今わたしたちの教会のなかに、一人一人の抱えている問題を聞いたり話したりする場がないが、そういう場が欲しいという発言でした。おそらく、社会にも家庭にさえもそれを見いだすことのむずかしい時代をわたしたちは生きています。

 誰かがその場を提案してつくらなければなりません。これからあちらでもこちらでもそれがはじまるでしょう。しかし、その気になれば、互いのちがいを認める一人一人のちょっとした心がけで、今までのどんな場でもその場に作り替えることができるでしょう。

 わたしたちのなかで、互いのちがいをとおして語りかけておられるみことばに耳を傾け、わたしたちの欠けている足りない弱いところに気付けば、その必要に応えてわたしたちは今までとは変わらなければならないでしょう。今までの体験や知識で人やものごとを片附けることはできなくなります。未知のこの先に触れるのを感じないような交わりはありません。思いや考えを超える何かが生まれないような交わりもありません。そのような、神に結ばれ交わりがわたしたちに欠けているとしたら、一体何が妨げているのでしょうか。毎日のどんな場でも、その時そこでその妨げに気付けば変わることはできるでしょう。思いや考えを超える神の引き合わせを感じるならば。

(北1 岡村  正)

 4分科会の発表の後、自由に意見交換が行われた。以下は自由意見の中から。

等々。

 今後のこの会の進め方として、各分科会の話し合いを継続すると同時に、それらを基に来年の信徒総会までに、私たちの目指している4つの教会の姿をまとめ、具体策を示すことを確認して散会となった。



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各地区の婦人の集会より (98.02)

平成9年12月15日 鵠沼地区婦人部集会

  1. 教会に来て、又は奉仕に出ていれば、未来の会についての中身の様な話しは、普段の雑談の中で自然に話し合われている。(そうだ!と云う声多し)

  2. テーマをきめて、わざわざ集まって話し合う必要をあまり感じない、忙しいので出席しにくい。

  3. 心と体とが働けば、感謝、得るものも多い、心だけの信仰だと口ばかり達者になり、理屈っぽくなる。

  4. 教会委員もブロック長も男子が多い、男の感覚で物事が決められている様に感じられる。

  5. 学習したい時、求めている時にその受皿があるとよい、決められた日時に集められるのは嫌だ。

  6. 神父様のお説教の内容がわかりにくい、未来の会で話し合われている様な事を、わかりやすくお説教の中に盛り込んで欲しい。

  7. 御ミサ後にでも、続けて、未来を考える会の話し合い等をやれないものか、日を変えたり、場所を変えたりすると、どうも出席しにくくなる。

  8. 信仰について、心ばかりでなく、体も供に働かせると云う事を子供のうちから教育する事が必要ではないか。

  9. 平成8年度のバザーで特に感じたのですが、バザーを成功させようとするあまりに、責任者にベテランの年配の方が多かった、若い世代が遠慮して入りにくかった。

  10. でも年配者が引いてしまったら、教会はまわらなくなりますよ。

  11. 若い世代が、パワーを発揮出来れば良いのだが、子育て等で時間的に無理があって、人数が集まらないのが弱い。年配者が自分だけ頑張り続けるのでなく、後継者を育てる気持、優しい気持が必要だ。

  12. 現在壮年部と婦人部、地区と別れていて、それぞれに集会が有り、煩わしい、いちいち出席していられない。

  13. 女子も多くの人が働きに出ていて、定年迄勤めたいと思っている、現実が変わって来ている事を男子も認識して欲しい。

  14. 地区長は女子の方が良い、又は男女2人制にでも。

  15. 八角形二ュース75号の未来を考える会のまとめについては、どのまとめもご尤もとしか言い様がない、理想はよくわかっています、人によって成長度は違うのですから後は個人々に任せたら。(賛成多し)

  16. 教会の奉仕に参加出来なくてひけ目に感じている、仕事をしているのは生きがいも有りますが経済的な理由が大きい、今、行われている奉仕の仕事を有料にして下さるとパートで働き、維持費も収められるのですが。

  17. 教会の仕事を簡素化して欲しい、カード等では配らないで郵送にするとか、現在の一部のお掃除を外部の方に頼んでいる様ですが、聖堂の方のトイレもお願い出来ないでしょうか。

  18. 眠っている信者さんに皆が折にふれ電話を掛けてみるとよい、断わられる事もあるが答えて下さる方もいる、他人に対してもう少し関心を持ちましょう。

  19. それぞれのテーマは話し合って行くと、重なり繋がってゆくので無理に分けて話し合う必要はないと思う。

  20. 壮年部、婦人部をひとつにまとめ、ブロックを強化し、現在壮年部、婦人部が別々に行っている教会の仕事を地区の子供から年配者迄、地区の1員であると云う意識を持って協力し、一緒にする事が出来ればそれが一番です。1日も早く実現させて欲しい。(出席者20名全員賛成)

  21. 当番がブロック中心になっても女子ばかりが出るのでは何も変わらない、これには男子の意識の改革が必要である、早急に地区で話し合いを重ねて欲しい。

  22. ブロック単位の方が若い人も出席しやすく、ブロック別になってから教会の未来を考えた方がまとまりやすく、又実行に移しやすい。(賛成多し)

  23. ブロック単位になっても当番月が3ヵ月続いたり、年に3回も当番月がまわって来るのは困る、今の小さな地区制度も残す必要がある。

出席者20名                  記 録  婦人部 内嶋

平成10年1月18日 北地区婦人部合同家庭集会

(教会の未来を考える会について)

  1. 司祭が不足してくる事を前提にして話しをしないで、神父の養成や励ましに関心が薄いのではないか、神父様の指導のもと、もっと子供達の練成会等がやれないものか…大阪の在る教会では子供達でさえ一粒会に入っている。

  2. 一粒会に入る事も大切だが、家庭で我子の召し出しに消極的だと思う。神父様は出て欲しいけど自分の子はちょっと、と云う気持、厳しい修道生活、又は親が自分の老後をみて欲しい云う事もあるのだろうか?

  3. 女性も司祭になれないものだろうか。

  4. 教会に来ない人に呼びかけても返事がない、拒否される。どうしたらよいか。(若い連絡員)

  5. 地区の方は慣れない、又は若い連絡員さんに教えてあげたり、育てゝいこうと云う気持が大事だ。

  6. 呼びかけを連絡員さんばかり任せないで、近い方が、隣人を大切にする努力が必要だ。

  7. でも教会って、拒否をしたままでも生きていけるんですよね…最近、連絡しないで下さいと云う人が増えています。原因が知りたい。

  8. 地区の中に入る努力をしてくれない。

  9. 洗礼を受けた人のアフターケアが必要だ、代父・代母の役目では。

  10. 日曜日のミサ後、教会の内情をまめに説明して欲しい。

  11. 20代で連絡員をした時は体力もあって楽しかったが30代でやったら囲りの支えがあまりなく心細い、役員に出た人を地区の人は支えて下さい。母娘で信者の場合など母親が娘を引っぱって行かないと、娘は母親が大変な思いをして来ているのを見て消極的になる事もあるみたいです。又は母親が娘を庇う例もある様です。(30代連絡員)

  12. 今迄母の陰に隠れていましたが、母に助けてもらえると思い連絡員を引き受けました。そして大変さがわかりました。20代の頃はバザーの時等、燃えていた事もあるのですが、新しい事をすると「今まではこうしてた!!」と反対されるのでガッカリして消極的になり、頼まれた事しかしなくなりました。でも今は教えて下さる先輩の言葉に感謝できる様になりました。(30代連絡員)

  13. 世代の違いがあるのです、今の若い世代に年配の方の良い所を見習う気持が薄いのです。自分を通したい、でもお互いの意識のぶつかり合う接点の所で何とか譲り合わなくては…先輩の実績を認めなくてはいけません。(30代連絡員)

  14. 教会の運営が地区中心になったら、現在男性の力も大きいと思うが、一部の方々に限られている様に感じる、やっぱり婦人の力の方が大きいと思うので、そうなったとしたら本当に男性の方は自覚して下さるでしょうか。

  15. 地区によって力に差がある、力の弱い地区でも組織を変えたら上が出てくるでしょうか?心配です。

  16. 意識を変える努力をし、マンネリ化に歯止めをかけたら、地区中心に賛成です。

  17. 教会の集会、奉仕を一覧表にして常時出しておいて欲しい、時間の有る時に行きやすい。

  18. 受洗した方に、いただくだけでなく、義務もある事を具体的に伝える様にする。

  19. その他、鵠沼地区のナンバー9・13・18と同じ様な御意見が出ました。

出席者20名                   記 録  婦人部 内嶋

平成10年1月30日 藤沢地区婦人部集会

        (教会の未来を考える会について)

  1. 藤沢一区については人数も多く婦人部としてはスムースに動いているので地区の強化とか必要性をあまり感じないが……

  2. 子供会のリーダーの不足がよく言われていますが、地区が強化され、年配者から子供達にまで地区の一員であると云う意識が持てると子供達のお世話役として大人も入って行きやすいのではないか。

  3. ひとつの活動を長くやっている場合、時々自分を見直し、本当にこれをやる必要があるのかどうか、必要であれば続けるし、必要がないとと思えばやめて、新しく取り組むべき事があれば、そちらをする事も考えてみたら。

  4. 壮年部・婦人部共に役割分担がうまくいってると思う、変える必要がないと思う。

  5. レオの会の方がなさっている仕事等、女子も手伝える部分があるのでは、又逆に婦人部が受け持っている仕事の中には男子も手伝える部分があるので、やはり一諸にやった方が良い。

  6. 今、自分が一番必要性を感じ、大事だと信じている奉仕に携わっているが、地区や婦人部、その他の会合と重なってしまい出られなく、淋しい。色々なグループが次々に誕生し、暫くするとメンバーが足りないとか、次の責任者がいないとかぐちが出てくる。少し複雑になり過ぎていると思います。整理して、それでも手の足りない所は助け合ったらどうでしょう。

  7. もっとブロック会の回数を増やして下さい、そうしたら顔なじみも多くなります。藤沢教会だけ婦人部がなくなるのは淋しいです、とても良い感じなのに……

  8. 教会の動きも、地区の情報もよくわからない、婦人部も今の活動で負担になっている部分があったら見直したら良い。

  9. 転入してきたばかりだが、事務所の方の対応がそっけなかった。大きい教会だから仕方がない面もあるのでしょうけど……前にいた教会も婦人部が忙しくて大変でしたが、土曜日にお掃除をしていて、働く女性や男性も参加していました。

  10. 連絡員をして教会の事が良くわかりました。しばらく教会に出ていない人には、又出てくるきっかけになるかも知れません。プロテスタントの教会では、礼拝の後等で新しく入って来た方を紹介していました。

  11. 転入してきたばかりですが、人が多くてとっかかりが掴めない。ブロック別になった方が、年代の達う方とも話し合えるし、小さい範囲からの方が活動に入りやすい。

  12. 教会にいらしゃればメリット沢山ありますよ。

  13. ブロックの世話役をしていますが、組織をつくったり、活性化を云うのはよいのですが、ほとんど横の繋がりがない、役員同志も知らないのです。

  14. 壮年部、婦人部がひとつになって地区主体になったら、ブロック長は責任が重くてなりてがないのではありませんか。

  15. でも、逆に婦人部の負担が軽くなります。

  16. 受洗した方、転入していらした方は、八角形二ュースにのりますので、連絡員さんはチェックして、その方を初金の時に呼び皆に紹介したらどうでしょう。

  17. 事務所の方から知らせてもらう訳にはいかないでしょうか。

  18. 連絡員は受洗者や転入者に地区の電話連絡網を直に渡したり、婦人部の活動を伝える事ができる。

  19. 勉強会や祈りの集い等は教会全体と地区と両方であった方が良い。

  20. 事務所は電話がひっきりなしに掛かってき忙しいのです。思いやりを持って下さい。

  21. 世代の交代も考えて、働いている人が参加しやすいような状況をつくって下さい。

  22. その他、北地区のナンバー17と同じようなご意見が出ました。

出席者24名                  記 録  婦人部 内嶋

平成10年2月1日 辻堂地区婦人部合同家庭集会

           (教会の未来を考える)

  1. 男子と女子では働きの分野が違う、やりやすい仕事を選べば男子と女子は自ずから別れてしまうと思う、今迄通り壮年部と婦人部は別で良い。

  2. 現状のまま協力し、積み重ねて来た事を大事にして新しい事を経験してみたら。

  3. ブロックの活性化、強化と聞いても漠然としていてわからない、壮年部、婦人部をなくすのならメリット、デメリットをはっきりさせ、準備委員会をつくるべきだ、それからでないと意見が述べられない。

  4. こう言う会は男性も一緒の方が良かったのではないか。

  5. 基本的にはバザーの様に、男女が一緒にした方が良い、その中でも細かい所で分担が生じてくるはず。それにしても婦人部の負担が重い、婦人部の細かい意見を取り上げて欲しい、壮年部がまとめると大まかです。

  6. でも男性は社会性もあり、一目置いていますし、尊敬もしています。

  7. 今が充実しているので、少しずつ変えていって欲しい、漠然としていて、もっと具体的に云われないと、わからない。

  8. 教会ウェルカミングデスク設置はとっても良い。

  9. 教会の未来を考える会の分科会に出席した時、男性の方から、「女性の発言は細かい、もっとスケールの大きい話しをしてくれ」と云われた。男性の話しは大きく、発言されると一歩退いてしまう。

  10. 教会の共同体とはそう云うものではない、小さな話しでも新しい共同体を考える素地になる事がある。

  11. 地区の底辺に親睦の気持があるので、未来は明るいと信じている、今さら云わないでも良い。

  12. とにかく人が会えば次に繋がって行く。

  13. やっと教会に慣れてきたばかり、問題が大き過ぎてわからない、奉仕活動の話しを聞きたい。とにかく方々に首を突っ込む事です、自分から求めていかなくてはね。

  14. 子連れで集まろうに奉仕していますが、集まる若いお母さんがだんだん減ってきた。勉強する気持が薄くなってきている様に感じます、問題です。

  15. サンパギタの会でマドレーヌ作りに奉仕しています。売上金をフィリピンにお送りしています、子供達の学費や設備費に使われていますが、マドレーヌを作る私達にも祈りが必要ですしフィリピンでは子供達が私達の為に祈って下さっているとの事で、祈りと祈りで繋がるのが私達の本来の姿であり、教会の本来の姿ではないでしょうか。でも送金は1ヶ所に限られているので、その周辺の人達が羨ましいがっているそうで、それがジレンマです。

  16. 教会に集まるばかりでなく、お年寄りや病気がちの人の為に家の近くで集会がもてると良い。

  17. 周囲の人を常に意識して、お互いにかかわろうとする事が大切、その土台が出来ていないとすべて机上のプランとなる。

  18. 責任をあまり持ちたがらない人がいる、お客様気分なのです、キリスト者としての姿勢がおかしい。

  19. 2年間、婦人部の連絡員をしました、近所に信者が多くて支えてくれたから出来ました、一人ぼっちの人に疎外感を与えないように。

  20. 責任者を嫌がるのは、出来るかどうか怖いのでは。

  21. 教会の事を知らなかった時は重荷に感じたが、年がたったら違ってきた。

  22. エルダーズの会の食事会に参加しましたが、病院の帰りに先生がうちの教会を紹介されたとの事で、人を求めて教会外の方が来られました。丁度食事中で、皆が暖かく迎えました、大変喜ばれて、又人を誘ってくるとおしゃっていました、心が温まると心が開くのですね。これから淋しそうな人に声を掛けたいと思います、最初の一歩が怖いのですね。

  23. 聖体拝領の時、奉仕者の列に人が少ない、意識の改革が必要だ、それが未来の会に繋がる。

  24. 私達が生きて行く事、生かされている事を考え、根本的な所でわかち合う事が出来れば良いですね。

  25. 年をとってくると奉仕が出来なくなりますから、いっそう祈りが大切になります。26.連絡網は最後まで届けましょう、声を掛けて行く事が大きな実りになる事があります。

  26. 日曜学校の先生方の御努力で、子供達が良い感じに育ち、難しい年頃を迎えようとしています。共同体、地区の子供として親と一緒にその成長を見守って下さい、辻堂地区は少し年配の方の老後の事等に関心が傾いている様に感じます。

  27. 青少年の恐ろしい犯罪の二ュース等が毎日流されていて、親は人を信じなさい、と云いながら子供に自分の身を守る事も教えなければならず、毎日子育てに戦いの日々です、身近で、自殺をしてしまった友人もいます。子育てを終わった年代の方でも、どうぞ関心を寄せ、支えになって下さい。

  28. 藤沢教会は干渉されず、御ミサに授かってさっと帰れて楽なのが好きです。

  29. 福祉部の係のかたに、あまりお申し出がないと伺いましたが老後に他人の介護を受け入れられる様な、やわらかな心の老人になれたらと思います。

  30. 教会の仕事を男と女にわけないで、個人の個性で選べば、一つの仕事を男女が一緒に自然な形で出来るのではありませんか、今は入りにくいです。(料理の上手な男性、庭いじりの好きな女性もいるでしょう。)

  31. その他北地区のN0.17と同じ意見が出ました。

出席者27名                  記 録  婦人部 内嶋



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「第6回教会の未来を考える会」の報告 (98.03)

2月15日(日)に未来の教会のあるべき姿を見つけていくための集いが開催された。

  1. 最初にバーガー主任司祭の祈りにつづいて、婦人部長から「未来を考える会」に参加できない婦人のために、各ブロック(鵠沼、北、藤沢、辻堂)単位で話し合いの場を設けられた経過と、そこでの報告がなされた。しかし、以下に紹介する意見はすべてではない。 すでに各ブロックごとの報告書は纏められているので、必要な方は事務所まで申し出られたいとのこと。

  2. 地区活動の活性化の方法として、具体的に教会連絡網を作成してはどうか。という提案が「未来を考える会」の世話人から出された。
     現在は婦人部の連絡網を使用しているが、信徒の意識をかえるためには、連絡網を整備して、婦人部の仕事ではなく、地区の仕事として位置付ける。勿論、今までの婦人部連絡網を基礎として、婦人部に加入していない男性世帯も記入されることになる。
    連絡方法は→教会→ブロック委員→地区連絡員→個人→個人→個人→個人となる。
     これに関しては、全体会として承認された。 なお、地区当番とし、婦人だけではなく、男性も掃除・典礼・敬老会・・・・に積極的に参加してほしいとの希望が出された。

  3. 「教会の未来を考える会」では既に、4つのグループ(信徒が築く教会・社会に開かれた教会・信仰を豊かにする教会・一人一人が大切にされる教会)に分かれて検討会を重ねているが、それぞれのグループから報告がなされた。基本的には、すでに広報「八角形にゅーす」に掲載されていることと重複するので省略させていただく。

  4. その他では、組織の変革を求めるのではなく、個人個人の意識をかえることが最も求められていることを確認し、目で見えることから変革を行なっていく。それが未来に向かっての一つ一つの前進になればよいのないか。始められるところから始める。例えば「教会奉仕の会、教会行事、勉強会・・・」を広報誌に掲載して周知をはかるなど。具体的に実施していくことが、未来につながる。未来という虹は美しいが、それを現実のものにするためには、一人一人が汗を出して「共に」一歩一歩この足で、歩いて行く以外に道はないのですから。

(「教会の未来を考える会」世話人・記録)



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《教会の未来を考える会》を考える (98.03)
北1  岡村 正

 もしも、「教会を、福音を実現する場と考え、今ある教会の制度や組織を、教会を目指すすべてのはたらきの部分である。」と考えることが許されるなら、4つの分科会のテーマはすべて「福音」を目指す一つに結ばれた活動と見えるでしょう。

「福音」は、イエスがナザレの会堂に立たれたとき、手渡されたイザヤ書を開いて読まれた個所に示されていること、即ち、「生きられなくなっている人が生きられるようになること。」とまとめることができるでしょう。

 人が生きるのは、引き合わされるそのまわりとの交わりによってであり、その交わりによって人のいのちが生まれます。

 何らかの妨げでその交わりができなくなるのが、生きられなくなるという状態でしょう。どんな場合でも、妨げは人とそのまわりの両方にあると考えられます。

 生きるための交わりを妨げるのは何かと考えることは、「福音」 はどのようにわたしたちに実現するかを考えることになります。

「教会をつくる。」とは、「福音」を実現する場をつくると言うことです。

「外に向って開かれる」のは何か、と言えば「外」に対する「内」の他にありません。

 「福音」を実現するのになぜ開かれなけれはならないのでしょうか。たとえば、「内」をよくわかっている自分とし、「外」を未知の他者としたらどうでしょうか。

 人の生きるのが、引き合わされるそのまわりつまり、他者との交わりによってであるとは「外に向って開かれる」が、未知の他者に触れてよくわかっていると思っていた自分が問い直され、知ろうとしなかった未知の自分を発見することになるでしょう。

 神は、わたしたちにとって常に未知のものとして現われ、わたしたちは神に向って開かれます。「神は、わたしの耳を開かれた。」 とあるように、「聞く耳」とは、神に向って開かれた耳のことです。

 人が神に出会うのは、「福音」においての他にありません。としたら、何によって信仰は育つのかはもはや明らかです。

 「よい」とわかっていることをするのに信仰は必要でしょうか。 「あなたはなぜ<よい>と言うのか」と問われて答えられなかった青年に欠けているのは何でしょうか。それが必要とされていると感じて応えるとき、<よい>も<よくない>も超えています。その時信じているのは何でしょうか。

 「福音」の実現する場こそ、神との交わりの場です。典礼は、わたしたちにどのようにして神との交わりが実現するのかをあらわしています。

 生きるための交わりを妨げることはすべて、「福音」の妨げとなります。その妨げに気付き、それを人前に明らかにし、妨げから離れると、わたしたちに神との交わりがはじまります。

 全身全霊を神に向って開くことが回心です。よくわかっている、と思いこんで自分にとどまって居るのが、神から離れ隠れている状態です。<よい>と思うものを選んで<よく>なりたいのがわたしたちの心情ですが、それは、「外」に向って閉じているのではないでしょうか。引き合わされるまわりとの交わりがそこに欠けているのです。

無関心は、生きられない状態と言ってよいでしょう。

 「一人ひとりを大切にする」のは、引き合わされる一人ひとりのちがいを認め互いに受けいれることで、共に生きるように結ばれているいのち、「今ここにある」いのちが、どんないのちなのか明らかになるからです。

このことが、神との交わりであるのは確かです。

 わたしが与えられたいのちは、唯一のいのちに結ばれて他者に引き合わされていて、そのわたしの位置付けは誰とも交換できません。 わたしにとって「今ここにある」いのちは、唯一1回切りのいのちです。このことは、誰にとっても真実であり普遍のことです。

 もしもわたしが、互いのちがいを認めず受けいれないなら、わたしは、わたしを認めず受けいれないことになり、神との交わりは、わたしにありません。

 互いのちがいを知り、自分に与えられたいのちの位置づけを感じて、その交わりに必要とされている固有のはたらきになるのが、自分になる、ということでしょう。

自分になることは、1回1回新たな、神との交わりのなかにしかないと信じます。

 互いのちがいに対する無関心と無責任が、わたしたちのなかに様々な問題を引き起すにちがいありません。他者を自分と同じものにしようとする同化は、交わりを妨げます。創造のはたらきになるのも妨げます。

「今ここにある」いのちを知りたいと思わないからです。生きようとしないからです。ここにも、生きられなくなっている人が居ります。

 唯一のいのちをわたしたちは頒ちあっているから、わたしたちに互いのちがいがあるのです。そのちがいによって未知の自分を知り、唯一のいのちに結ばれた、かけがえのない自分になるように招かれているのです。

 「パンを裂く」のは、その招きをあらわしていると感じます。その招きに対しての無関心と無責任とが引き起す十字架上の死は、「福音」の実現の過程として輝き、わたしたちの心に永遠に生きつづけるでしょう。



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98信徒総会 教会の未来を考える会報告 (98.04)

 一昨年より始めました「教会の未来を考える会」の集い、昨年度も5月25日、10月12日、2月15日と3回の全体会を開き、また9月21日には名古屋の日本カトリック研修センターより松田神父様におこしいただき「教会共同体を支え、生かすみ言葉」についての講演会を開催いたしました。

 5月の集いからは、それまでの話し合いの中より浮き上がってきた教会の目指す4つの姿、1.社会に開かれた教会、2.信仰を豊かにする教会、3.信徒の築く教会、4.一人一人を大切にする教会 のグループに分かれていただき、それぞれのグループで、それぞれが目指す姿の実現に向けての道筋を適時話し合っていただき、そこから出てきたことを次回の全体会で報告していただくというかたちを取りました。また、12月から2月にかけて、各ブロックで婦人の集会も行われ、100名近い方々より様々なご意見をいただきました。

 各グループからの報告などにつきましては、八角形ニュースなどに詳しい報告がありますので割愛させていただきますが、各グループから出された様々な意見の共通項として、ブロック(地区)活動の活性化、ブロック制度の確立などがあげられておりました。

 教会共同体をより生きたものとするために、活動部のみでなく、地域を中心とした共同体の活性化を目指してブロック制度が6年前より導入されましたが、一昨年のアンケート結果にもあらわされていたように、ブロック制度の必要性は認めるものの、具体的な姿がつかめずブロックの一員としての実感がもてないとか、婦人部地区制との関係がわからないなどの指摘がありました。そのため、各ブロック委員や世話人方のご努力にもかかわらず、6年たった今も、ブロック活動=親睦会、実際の活動は婦人部の地区当番と言うような意識が主ではなかったかと思います。

 そこで、2月15日に行われた「教会の未来を考える会」では、今年度をブロック活動のよりいっそうの活性化と定着を目指し、教会共同体のメンバーとして、一人ひとりの意識を高めていくための年にする。その具体的な現れとして、今まで婦人部主体であった連絡網を教会全体のものとして位置づけ、全体に関わりのある連絡(帰天の知らせなど)はブロックの連絡係などを通して連絡する、また葬儀の手伝いなど地区全体で関わるべきものについては、婦人部の担当ではなくブロック(地区)の担当とするよう、特別に意識する等、意識の変革についての方針が提案され、全体として了承されました。

 また、ブロック活性化など教会共同体が成長していくために、様々な場で奉仕していただくリーダーの養成は欠かすことが出来ません。幸いに今年の9月より、横浜教区第5地区を中心とした教会のための「リーダー養成講座」が当藤沢教会で行われることになりました。これは狭い意味では、「キリスト教講座」のリーダー養成のものですが、そこでのプログラムはそれ以外の場(典礼奉仕、教会学校、地区での聖書の分かち合い、様々な集会、等々)でのリーダー養成にも十分役立つものですので、当教会からも様々な活動部や各ブロックより代表者を参加させるなど、積極的な対応をしていきたいと考えています。

 上記のように、「教会の未来を考える会」では、2年間の話し合いを通して見えてきた私たちの教会の目指すべき姿の実現のために、少しずつ具体的な歩みを始めようとしています。もちろん、これらの実施にあたっては、皆様の理解と協力、支えはなくてはならないものと思います。そこで、この信徒総会で上に記しました2点につきまして、皆様のご了解をいただきたいと思います。



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