典礼アンケート報告

藤沢教会では2001年6月3日より7月8日までの6週間、祭壇を聖堂の中央近くに配置し全員で囲むような形の典礼を試行しました。これは、八角形というこの聖堂の特色を生かし、感謝の祭儀をとおして教会共同体が一つに結ばれると言うことを、より豊かに表現できる典礼をめざしてのことでした。

このような典礼を行ってみようと考えた背景について簡単に述べてみようと思います。

言うまでもなく、ミサの出発点は最後の晩餐です。その晩、イエス様は弟子たちとともに高間の広間に集い、食卓の周りを囲み過ぎ越の食事をともにしました。そこでのイエス様の遺言に従い、弟子たちはイエス様の死と復活の後、毎週安息日の前夜どこかの家に集まり、皆で食卓を囲み、イエス様のされたように神に賛美と感謝を捧げてパンを割き皆で分けていただきました。そして食事の後にぶどう酒の聖別の祈りを行い皆で分かち合いました。そして翌日の安息日の朝には会堂に行き、聖書の言葉を聴き、祈りを捧げました。

時とともに徐々にユダヤ教から離れていったキリスト者たちは、イエス様が復活した日曜日の朝にどこかの家か集会所に集い、会堂での伝統から受け継いだ聖書と説教と共同祈願によることばの典礼を行い、それに続いて食卓でパンとぶどう酒を捧げ聖別し、それを皆で分かち合う感謝の典礼を行っていました。

キリスト教がローマ帝国の国教となりヨーロッパ全土に広まるにつれて、ミサは大規模な集いとなっていき、それとともに典礼は専門家の行うものとなっていきました。中世以降はミサは犠牲の生け贄であるとの側面のみが強調され、司祭が捧げる生け贄の祭儀に信徒が会衆席からあずかるようになっていきました。それに伴い、生け贄の祭壇は会衆席と切り離され、奥の至聖所の高みに置かれるようになっていきました。

第2バチカン公会議では、典礼の面からも多くの刷新がなされ、ミサも犠牲の生け贄の面よりも、初代教会がそうであったように、ともに食卓を囲み一つのパン、一つの杯を分かち合い、キリストのうちに共同体が一つに結ばれる、主の食卓としての側面が強調されるようになってきました。これはまた、聖堂、祭壇、ホスチアなど、ものや場所が聖であるという考え方から、感謝の祭儀をとおしてそこに集う共同体こそが聖なるものへと変えられていくという見方への転換でもありました。この精神を生かしやすいように、公会議後にたてられた多くの聖堂では円形(多面形を含む)、扇形、正方形の形が採用されました。藤沢教会も八角形という形で、奥にある祭壇を浅い扇形で囲むような形で作られました。

しかし、正八角形という形状を考えたとき、祭壇の位置を奥に配置するのではなく、もう少し中央に配置した方が、皆で主の食卓を囲むということをよりよく表現できるのではないかという意見が、典礼に関心を持っている人々の中から幾度か出てきました。そして2001年の横浜教区典礼研修会で実際に祭壇を中央に移してのミサを実施してみました。その結果、参加者の皆さまからも一つになるということを体感できる良い典礼だったとのご意見をいただけましたので、その後聖週間の典礼で、前回の気付いた点などを修正し、再度祭壇を中央に配置する形を設定してみました。

それらの経験をもとに、この形を通常の主日のミサで試行してみようと言うことになり、6月からの6週間、この配置で試行しながら様々なものの配置や司式者、奉仕者の動き、その他のこと試行錯誤しながらふさわしい典礼のあり方を模索してきました。

そこで浮かび上がらせたかったポイントは、

  1. 司祭がミサを捧げ、会衆がそれにあずかるのではなく、司式者、その他の奉仕者、会衆がともに祝う共同体のミサであるということ。

  2. ミサの主要な2つの部分、言葉の祭儀と感謝の祭儀をはっきりと分けた場所で行い、み言葉を聞いた後に皆が主の食卓に招かれているということ。

  3. 主の食卓に招かれているわたしたちが、一つのパン、一つの杯を分かち合うことによって、一つに結ばれるということ。

等でした。

それら以外にも、工夫次第では典礼により豊かな味付けをしていくことができるかもしれません。今回の試行について、皆さまよりいただいたアンケートの集計はこちらの表の通りです。アンケートには多くのコメントや感想もいただきました。後日整理して、お答えすべきものにはお答えしていきたいと考えています。

ミサはわたしたちがイエス様のことを忘れずに、弟子として日々の生活を生きていくための源泉です。そのわたしたちの典礼は、皆の力でもっともっと豊かで実りあるものにしていくことが出きると思います。これからもご一緒に考えていきましょう。



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