横浜司教区 司教教書

終身助祭制度の導入に関して

はじめに

日本の教会における終身助祭制度導入の経緯

助祭職の任務

横浜教区の現状と導入にあたっての課題と問題点

むすびに


はじめに

東京大司教区では1999年3月7日付の司教教書をもって終身助祭制度が公に導入されました。また、これにあわせて、はじめての終身助祭も誕生しました。その他の教区でも、たとえば、名古屋教区では教区報をとおして終身助祭制度の導入が発表されていますし、浦和教区や那覇教区ではすでに終身助祭の養成が始まっています。このような状況のなかで横浜教区においても導入の有無についての問い合わせが少なからずあります。また同時に、信徒のなかには「終身助祭」という聞き慣れないことばを耳にしてある種の戸惑いや困惑を覚えたりしている人がいるのも事実です。そこで、日本の教会における終身助祭制度の導入の経緯を説明したうえで、今まで日本の教会にとって馴染みのなかった終身助祭の意義を明らかにするとともに、横浜教区における今後のあり方について述べたいと思います。

1.日本の教会における終身助祭制度導入の経緯

1)第二バチカン公会議による終身助祭制度の再興

二世紀の終わり頃、使徒以後の時代になると、それぞれの教会のなかに監督、長老、執事(1)という役務が次第に定着するようになり、やがてこれらの役務が司教、司祭、助祭の三段階からなる教会の位階的職制として確立されます。しかし、その後の教会の歴史のなかで、助祭職は司祭職に就くための一過程として位置づけられるようになり、終身という形態での助祭職は十世紀の半ばにはその姿を消すことになります。司祭職の前の段階として、司祭叙階を受ける前に、ある一定期間果たすべき過渡的な役務としての助祭職のみが残される結果となったのです。しかし、第二バチカン公会議は、助祭職が単に司祭職のためだけにあるのではなく、それ自体、教会のなかで固有の役割をもつものであることを確認し、「今後、助祭職を聖職位階の固有の永続的な段階として再興することができる」(2)としました。

2)日本の教会における終身助祭制度導入の経緯

第二バチカン公会議(1962〜65年)後、諸外国ではいちはやく終身助祭制度を導入した教会もありましたが、日本においては慎重な姿勢が堅持されました。1972年の定例司教総会においてはじめて「日本における助祭養成」の必要性や課題について検討されました。1982年の臨時司教総会では特に終身助祭制度の神学的、司牧的側面からの検討がなされましたが、実際の導人については時期尚早と判断され見送られました。その10年後の1992年の臨時司教総会では「日本の社会の現状と教会の情勢は、10年前とは明らかに変化している」との理由で、再度、議題として取り上げられ、導入のための具体的な検討が教会行政法制委員会に委ねられることになりました。その後、同委員会で審議が重ねられ、1994年の定例司教総会に答申がなされました。この総会において日本のカトリック教会としての終身助祭制度の導入およびその実施が満場一致をもって決議されました。この決定を受けた教会行政法剃委員会はさっそくに『日本のカトリック教会における終身助祭制度および養成要綱』の作成に取りかかり、1995年度定例司教総会において承認を受けました。この折り、新たに終身助祭制度検討特別委員会が設置され、同委員会は1995年7月20日付で教皇庁福音宣教省へ認可の申請をしました。同省により1998年10月12日付の書面をもって、これが正式に認可されました。

3)各教区への導入

制度として終身助祭を導入するためには、教会法上、司教協議会の一致した同意を必要とします。そこで、日本でも司教協議会として聖座にその申請をしましたが、いずれの教区においても終身助祭制度を一律に導入しなければならないということではありません。1994年度の定例司教総会においても確認されていますが、終身助祭制度の導入にあたっては、各教区によって事情が異なるので、その具体的な導入については、各教区の自主的な判断に任せられています。第二バチカン公会議の『教会憲章』においても、また『終身助祭養成のための基本要綱』においても「終身助祭制度の再興は、すべての教区にこの制度の導入を義務づけるものではない」(3)と明確に述べられています。具体的な導入に関して識別の責にある教区司教は、教区固有の事情を考慮しながら、必要性の有無を確認したうえで、司祭評議会ならびに宣教司牧評議会の意見を聴取し、慎重に導入を決定しなければならないことになっています。

2.助祭職の任務

1)終身助祭の形態と身分

終身助祭には独身の助祭と妻帯の助祭の区別があります。ただし、独身、既婚を問わず離婚歴のない男性が原則として対象とされ、助祭叙階後の新たな結婚は認められません。
教会のなかの身分としては、助祭叙階の秘跡を受けることによって司教や司祭と同じ聖職者の身分に属することになります(4)。ですから、聖職者としてその生活にふさわしい報酬を受けることができます(5)

2)終身助祭の固有な役務

第二バチカン公会議による終身助祭制度の再興は、助祭職を司祭職への通過的段階としてではなく、叙階の秘跡の一職位として位置づけたことを意味しています。このことはまた同時に、助祭職それ自体が教会のなかで司祭職とは異なる固有の役務をもつものであるということを指しています。
公会議は聖職位階制度について扱っている『教会憲章』第3章の冒頭で、「主キリストは、神の民を牧し、また常に発展させるために、自分の教会の中に、からだ全体の善を目ざす種々の役務を制定した」と述べるとともにさらに続けて、「神の民に属するすべての人が同一の目的に向かって自由に秩序正しく協力しながら、救いに到達するように、自分の兄弟たちに奉仕する」(6)と言い、役務の本質が奉仕にあることを指摘しています。実際、使徒の後継者としての司教の任務について述べるなかでも、「主が自分の民の牧者たちにゆだねた任務は真の奉仕であって、それは聖書の中で意味深く『デイアコニア』すなわち奉仕であると呼ばれている」(7)と明記しています。このように公会議は教会の役務全体が奉仕であることを示し、そのなかでもとりわけ助祭の任務が奉仕にあることを「祭司職のためではなく、奉仕のために」(8)あると明確に述べるとともに、さらに続けて「司教およびその司祭団との交わりの中で、典礼とことばと愛の奉仕において神の民に仕える」と言っています。助祭は「典礼とことばと愛の奉仕」、すなわちエウカリステアの食卓、みことばの食卓、そして愛の食卓という三つの食卓に奉仕する者なのです。

3.横浜教区の現状と導入にあたっての課題と問題点

1)導入にあたっての準備不足と体制の不整備

  1. 導入にあたっては、助祭職に関する信徒、司祭、修道者の理解が不可欠とされていますが(9)、いまだその理解は十分に得られていません。

  2. 財政的基盤の整備が求められます。聖職者として教区に入籍する終身助祭の生活費については、教会法典第281条の規定に従い、教区が賄わなければなりません。妻帯の終身助祭の場合は、家族の生活に関しても責任を負うことになります。しかし、助祭の給与その他の必要経費について教区の財政基盤は未整備のままです。そればかりか、『横濱教区報』をとおして報告しているとおり、教区本部会計はここ数年赤字が続いています。終身助祭の場合、助祭自身の収人に頼ることもできます。しかし、誰もが年金その他の収入で事足りるとも限りません。その場合は、当然教区が不足分を補助することになります。かといって、教区の経済的な負担が大きくならないように収入の多い者だけを採用するわけにもいきません。秘跡の授与が金銭的な有無に結びつくことがあってはならないからです。収入の多寡が終身助祭採用の基準の一つになることがあってはなりません。

  3. 終身助祭制度導入にあたっては、各教区に養成の責任主体である「終身助祭養成委員会」の設立が求められていますが、メンバーの人材確保をはじめ多くの困難が予想されます。相当な準備期問を必要とします。

2)優先順位

  1. 横浜教区に終身助祭制度を導入するにあたって問題とされる点については今述べたとおりですが、横浜教区にはこの制度の導入の前にもっと急いで取り組まなければならない課題があります。それは信徒の養成です。先の司牧書簡『交わりとしての教会をめざして』のなかで、すべてのキリスト信者における交わりについて述べましたが、洗礼と堅信の秘跡に基づくキリスト信者としての尊厳と働きにおける平等性を認めつつ、男女の信徒の養成を促進して行かなくてはなりません。

  2. 終身助祭制度の再興によって、「司教と司祭に限られていた聖職者に、助祭が加わり、聖職者の層は確かに厚くなります」(10)。しかし、信徒の養成を促進せずに終身助祭制度の導入をはかることは、信徒の間にあって終身助祭制度の再興が聖職者中心主義(clericalism)の再興につながりかねないという危惧を抱かせます。

  3. 横浜教区にあっては、終身助祭制度の導入をもって叙階の秘跡に基づく聖職位階制度の補強をはかるよりも、特に男女の信徒の養成をもって洗礼と堅信の秘跡をとおしてすべての信徒に与えられている聖霊の賜物(カリスマ)の活性化をはかるべき時機にあると判断します。すなわち、終身助祭制度の導入によって新たな教会の位階的構造の強化をはかるのではなく、信徒の養成をもって教会のカリスマ的構造の強化をはかるべき時だということです。日本の教会に終身助祭制度が導入されるべきだとの理由の一つとして「助祭の叙階は秘跡であり、神による救いの恵みの手段である」(11)ということが挙げられています。確かにそのとおりですが、今の段階で終身助祭制度を導入することは、教会を単に秘跡および位階制度を備えた可見的な制度的機関と見なした教会の過去の轍を再び踏むことになりはしないかとの懸念を生みます(12)。そのような見方は「神の霊に生かされた教会」という教会の本質を歪め、教会にとって本質的なカリスマの働きを失いかねません。位階制度に基づく役務は、元来、教会における聖霊の働きを現実化するための奉仕職であり、自らもカリスマによるものなのです。役務は霊の識別により他のカリスマに開かれていることが求められています。特に信徒のカリスマに対して深い尊敬と注意を払いながらそれらを識別していくことが大切です。司牧者に期待されていることは「霊を消すことではなく、すべてを試し、よいものを保つこと」(13)だからです。教会のカリスマ的構造は、教会の位階的、制度的構造を内包し、また同時にそれを凌駕するものなのです。『教会の宣教活動に関する教令』は「聖霊は、教会の諸制度の魂である」(14)と述べています。

3)助祭職の本質に基づく問題

最後に、助祭職の本質にかかわるもっと重要な問題を指摘しておかなければなりません。
先に助祭職それ自体が司祭職とは異なる固有の役割をもつものであるということを確認しました。ですから、助祭職を司祭職の代替として位置づけることはできません。しかし、日本の教会の現状を顧みるとき、司祭の高齢化、司祭召命の著しい減少という問題を目の前にして、終身助祭制度の導入が司祭不足を補うための恰好の手段、有効な手だてとしてしか考えられていないのではないでしょうか。終身助祭への召命の動機についても同様なことが言えます。結婚前に抱いていた司祭召命に代わるものとして、既婚者でも許されている終身助祭を志すということにも疑問を持ちます。終身助祭の職が司祭職とは異なる固有の役割を有しているというならば、その召命も固有のものでなければならないからです。
確かに助祭はエウカリスチアの食卓、みことばの食卓、そして愛の食卓という三つの食卓に奉仕する者ですが、助祭職を司祭職の代替のように考えるならば、特にエウカリステアの食卓とみことばの食卓への奉仕だけが求められることになります。ミサに代わってみことばの祭儀を司式し、聖体を分配し、結婚に立ち会って祝福し、福音を宣言し、説教をし、葬儀を司式するという役割です。
しかし、みことばとエウカリステアの奉仕に限っていうならば、信徒も当然担うことができる役割です。今では多くの信徒が集会司式者、聖体奉仕者として任命されています。場合によっては結婚式を司式したり、また葬儀を執り行うこともできます。洗礼のためのカテケージス、初聖体や堅信のための準備も多くの教会で信徒に委せられています。ただし、信徒には聖体をもって会衆を祝福することが許されていないとか、あるいは説教ができないとかいうことはあります。しかし、信徒が集会祭儀を司式する場合、説教に代わって教話という形でみことばについて話をすることができます。典礼やカテケージスばかりでなく、宣教司牧に関しても、また教会の運営や財政問題にも多数の信徒が積極的にかかわっています。
さらに、助祭の任務が「祭司職のためではなく、奉仕のために」あるのならば、助祭の本来の任務は、とりわけ愛の奉仕においてこそ、その本領を発揮できるのではないかとも考えられます。日本の教会は、福音宣教推進全国会議(NICE)を契機に、社会に開かれた教会として歩もうとしています。世のただなかにあって、わたしたちの教会が、社会とともに歩み、人々と苦しみや悲しみを分かち合っていく共同体となるようにとの決意を新たにしました(15)。ヨハネ・パウロ二世教皇は、アジア特別シノドス後の使徒的勧告『アジアにおける教会』のなかで「アジアにおける教会は、多くの貧しい抑圧された人々とともに、いのちの交わりを生きる使命を持っています。いのちの交わりは、貧しく自らを守るすべを持たない人々への愛の奉仕において特に現れます。」(16)と述べています。そして、「貧しい人と声を上げることのできない人々を優先する愛」(17)を示していくことを呼びかけておられます。現代社会にあって求められているこのような教会の使命をよりよく果たすために終身助祭制度の導入がはかられてもよいのではないでしょうか。

むすびに

終身助祭制度の意義を認識しつつも、横浜教区にあっては時期尚早と判断し、当面本制度の導入を見合わせることにします。決して終身助祭制度の再興を評価しないわけではありませんし、今後いかなる状況の変化があっても絶対に導入しないということでもありません。少なくとも現在の横浜教区の現状を見る限りにおいては優先課題が他にあるということです。横浜教区としては『交わりとしての教会』ヴィジョンに基づく信徒の養成に力を注いでいく必要があります。今まで以上に信徒の養成に取り組むことによって教区全体が活性化されることを期待しています。

横浜教区の皆様方の上に聖霊の豊かな導きがありますように

2001年6月3日聖霊降臨の主日

横浜司教区教区長 司教 ラファエル梅村昌弘




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脚注

1.これらの役務については、すでに新約聖書のなかで言及されており、新共同訳では監督、長老、奉仕者と翻訳されている。ギリシャ語では、エビスコボス(episkopos)、プレスビテロス(presbyteros)、デイアコノス(diaconos)と言われ、日本のカトリック教会では、司教、司祭、助祭と呼び慣わされている。

2.『教会憲章』29項

3.Ratio fundamentalis diaconorum permanentium n.6

4.教会法第266条

5.教会法第281条

6.『教会憲章』18項

7.『教会憲章』 24項

8.『教会憲章』 29項

9 .Ratio fundamentalis diaconorum permanentium n.6

10.『終身助祭制度日本の教会への導入にあたって』5頁

11.『日本カトリック教会における終身助祭制度および養成要綱』1頁

12.目に見える聖職位階制度を備えた組織としての教会という伝統的な教会理解である。教会は、世界にあって神の救いを仲介する制度を備えた唯一の機関なのである。歴史的には、制度としての教会が強調されるようになるのは、宗教改革以降のことである。プロテスタントは、当時の腐敗したカトリック教会を批判し、真の教会は「目に見えない霊的な教会」であると主張した。これに対して、カトリックは「目に見える位階制度を備えた組織としての教会」こそイエスの定めた教会であると主張したのである。反宗教改革を標模したトレント公会議は、歴史的に培われた伝統や制度を擁護し、その後の教会論はほぼこの線に沿ってカトリック教会の正統性を固持しようとした。その後、絶対主義王制、フランス革命、ナポレオンの覇権、市民革命の波及、国民国家の成立などといったヨーロッパの歴史の流れの中で、特に近代的な社会機構を備えた近代国家が誕生するに及んで、人間が組織するこれら不完全な国家形態に対して、教会は完全な組織を有する超自然的な「完全な社会」(societas perfecta)であると主張するようになった。こうした見方は、特に十九世紀から二十世紀初頭にかけて支配的な教会観となった。

13.『教会憲章』12項

14.『教会の宣教活動に関する教令』4項

15.日本カトリック司教団『ともに喜びをもって生きよう』

16.教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的勧告『アジアにおける教会』32項

17.同上34項「許しい人を優先する愛」