司牧書簡

横浜教区の信徒、修道者、司祭の皆様へ

横浜教区における改革の基本方針


はじめに

 大聖年2000年の降誕祭に司牧書簡『交わりとしての教会をめざして』を発表しました。この司牧書簡で掲げた教区ヴィジョン実現のため、現在、さまざまな改革に取り組んでいます。具体的な取り組みにあたって特に大切にしたい基本的な姿勢を確認し、共有したいと思います。

1.意識変革の優先

 器を変えれば自ずとその中身も変わる、また変わらざるを得ないという考え方もありますが、横浜教区にあっては、組織・制度の改革よりも意識の変革を優先したいと思います。

 改革が目に見える形での組織・制度の改革に終始してはなりません。教会は霊的共同体でもあります。「教会の社会的機構は、教会を生かすキリストの霊に仕えるのである(エフェソ4:16参照)」1。「聖霊は教会の諸制度の魂である」2とも言われています。

「自分のふところに罪びとを抱いている教会は、悔い改めと刷新との努力を絶えず続けるのである」3。罪びとの教会ゆえ、教会は絶えず悔い改めと回心をもって刷新されなければなりません。その意味で、組織・制度の改革よりも意識の変革を優先させなければならないのです。愛における交わりと一致をいまだ十分に生きているとはいえないという謙虚な反省なくして「交わりとしての教会」の実現は望めません。組織・制度も含め教会のあらゆる改革は、信仰の刷新という土台のうえになされてこそ、はじめてその実りを期待することができるのです。自らの回心をもって歩むとき、この世に派遣されている教会は、神から託されている自らの使命を十全に果たすことができるのです4。改革の其の目的は、教会の使命である宣教にあります。

 ちなみに、信徒も然ることながら、何よりも司祭の回心、司祭の意識の変革を図らなければならないことを明記しておく必要があるでしょう。

 改革の目的が福音宣教という教会の使命にあることと関連して、「交わりとしての教会をめざして」いるわたしたちが留意すべきは、教会の宣教が交わりから生まれ、交わりをめざしているという点です5。交わりと宣教について使徒的勧告『信徒の召命と使命』はつぎのように述べています。「交わりと宣教は相互に深く結びついています。交わりは宣教の源であると同時に実りをも表しています。つまり、交わりは宣教を引き起こし、宣教は交わりのなかで完成されるのです。教会を呼び集め、一致させ、地の果てまで福音を告げ知らせるために派遣するのは、つねに同じ唯一の霊です。…教会は、たまものとして授かった交わりが、すべての人のためのものであることを知っています。

…福音記者ヨハネは、教会の宣教全体がめざしている目標をはっきりさせています。『わたしが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりとは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです』(1ヨハネ1:3)」(32項)。そのヨハネはつぎのような主ご自身の祈りを書き残しています。「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世はあなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになります。」(ヨハネ17:21)

2.多様性の中の一致の原則

 第ニバチカン公会議も教えているように教会の交わりと一致は、決して画一性を意味するものではありません。司牧書簡『交わりとしての教会をめざして』のなかで既に述べたように横浜教区にあっては特にこの多様性の中の一致の原則を大切にしたいと思います。横浜教区は広域に及んでおり、各教会は、それぞれ異なった状況に置かれていることを忘れてはならないでしょう。横浜教区の計画や活動がすべて横浜を中心とした教会を基準として行なわれることのないよう配慮しなければなりません。いわゆる「横浜中心主義」とならないようにということです。

 組織・制度面での改革も教区単位で一律に推し進めて行くことは実際に困難でありますし、また適当でもありません。各県、各地区の地域性を重んじ、それぞれの特性を活かしながら改革に取り組んで行く必要があります6

3.補完性の原理・原則

 各地域の独自性を尊重するならば、当然その自律性とともに幅広い裁量も認められなければなりません。そのためには補完性の原理の採用もあわせて考える必要があるでしょう。一般社会の機構とは本質を異にする教会の制度・組織においては必ずしもそのまま採用できる原理ではありませんが7、今後は教会のなかでもいっそう幅広い適応が考えられて然るべきです。1967年に開催された第一回世界代表司教会議では教会法典改正のガイドラインとなる十の原則が満場一致に近いかたちで承認されていますが、そのひとつに補完性の原理も挙げられています8。この原則をもって各地方教会の正当な自律性が保たれ、教会の法制における普遍教会の多様性の中の一致が図られることになりました9

小教区、地区、教区の交わりにおいて

 近年、日本の社会では「トップ・ダウン」が敬遠されるようになり、他方で「ボトム・アップ」の重要性がしきりと言われるようになりました。教会においても要請されつつある姿勢かも知れません。しかし、それでもなお、明確な目標設定をなすのはやはり指導者の責務であり、合議制の下に誰が決定したかわからないような無責任な方針の策定は回避されなければなりません。その意味で、教区司教として、司牧書簡『交わりとしての教会をめざして』を発表し、教区のこれからのめざすべき方向性や展望について明確にしたつもりです。ただ、それを実際に具体化するにあたっては、できる限り各小教区、各地区に任せてゆきたいと考えています。「交わりとしての教会をめざして」草の根からの提案や実践を重視し、教区の主導による画一的な取り組みはできるだけひかえたい意向です10

 各小教区あるいは各地区の独自性と自律性は尊重されて然るべきですが、しかし、その責務や機能を十全に果たすことができない、あるいは教区全体に関わる問題が生じた場合には、教区として主導権を発揮し、対応していく方針です11

信徒、修道者、司祭の交わりにおいて

 ここ数年の間に多くの教区で共同宣教司牧体制が導入されるようになりました。しかし、場合によっては、専ら「司祭を中心とした」共同宣教司牧が考えられているように見受けられるところもあります。導入の理由として、司祭召命の減少と司祭の高齢化により各小教区への司祭の派遣が困難になったことが挙げられています。その意味では、共同宣教司牧は単なる司祭不足による一時的な対応策であると言わざるを得ません。しかし、本来の共同宣教司牧は、「単なる司祭不足を解消するため」の制度改革ではないはずです。司牧書簡『交わりとしての教会をめざして』で指摘したとおり「すべてのキリスト信者の交わりという教会の本質を実現するための制度と考えるべきです」(14頁)。

 教会の交わりは、キリストを信じるすべての者の交わりであり、これまで以上にあらゆる領域において信徒の参画が求められています12。参加型の共同体づくりを促進して行く必要があります。教皇の使徒的勧告『アジアにおける教会』ではつぎのような指摘がなされています。「教会的交わりとは、各地方教会そのものが、『参加する教会』と表現されたような教会になるべきだということを意味しています。この参加する教会とは、それぞれが固有の召命を生き、固有の役割を果たす教会のことです。…それぞれが自分に与えられている特別な恵みのたまものに気づき、それを発展させ、効果的に活用する必要があります。司牧委員会や小教区集会など、参加型の組織をとおして、とりわけ信徒と修道者が司牧計画や意志決定によりいっそうかかわるように彼らを育てる必要があります13」(25項)。使徒的書簡『新千年期の初めに』では「第三千年期の教会は、洗礼を受け、堅信を受けたすべての人が、教会生活における積極的な自己の責任に目覚めるよう促されなければなりません」(46項)との勧告のことばがあります。

4.聖霊への信頼

 人間らしいやり方で、心のかよった方法で、急がず、地道に、改革を進めて行きましょう。信頼関係が損なわれることのないように心がけたいと思います。信頼関係のないところに真の交わりは生まれません。それは、聖霊が息吹く人々への信頼であり、一致の霊である聖霊への信頼とも言えます。互いに聴き合う、相互傾聴と対話の姿勢を学ぶよう努めましょう。使徒的書簡『新千年期の初めに』では「一人ひとりの信者に神の霊が注がれているのであるから、あらゆる信者の言葉に信頼しよう」(45項)というノラの聖パウリーノの言葉が引用されています。聖霊の働きに信頼を寄せ、聖霊に導かれることによって、わたしたちは人間的な思いや考えにとらわれることなく、神のみ旨、神の望みにそって改革を進めることができるのです。

 使徒的書簡『新千年期の初めに』に「教会を、交わりの家、交わりの学校にすること。これは、新しい千年期に、もしわたしたちが神のご計画に忠実でありたい、世の大きな期待にも応えたいと望むならば、わたしたちの目前に迫る大きな挑戟です。…具体的な企画を立てる前に、交わりの霊性を促すことが必要です」(43項)との指摘があります。さらにこの「交わりの霊性は、信頼すること、そして開かれること、という指針をもって、制度的なものに一つの魂を与えます」(45項)とも言われています。

わたしたちが洗礼の恵みに応えてともに歩むことができますように祈りのうちに

2004年1月11日 主の洗礼の祝日に

横浜司教区 教区長   司教 ラファエル梅村昌弘




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脚注

  1. 『教会憲章』 8項

  2. 『教会の宣教活動に関する教令4項

  3. 『教会憲章」8項では、教会が「罪びとの教会である」と明言されて いる。それゆえ、教会は信仰において常に刷新されなければならな い。第二バチカン公会議は、教会の外的構造よりも内的構造の問題に、つまり現代世界における信仰の刷新ということに、より多くの関 心を示していると言えよう。

  4. 「教会は、父と子と聖霊の交わり、三位の神の交わりへと人々を招く使命を担っているのです。…キリストは救い主として十字架上にあって大きく手を広げてすべての人を御父へと導かれました。その救いの使命を教会は受け継いでいるのです。キリストの救いの使命を果たすため、教会は自らが交わりと一致のしるしと道具になるよう努めなければなりません。」(司牧書簡『交わりとしての教会をめざして」2−3頁)

  5. 「教会の使命はコムニオから生まれコムニオを目指している。教会の コムニオの源は完全な愛の交わりである三位一体にあり、この愛は外へ流れる(創造、キリストの受肉)。人々をご自分の愛に与らせるために、同様に教会のコムニオは外へ流れなければならない(教会の使命、ミッシオ)。ミッシオにならないコムニオは閉鎖的なもので、真のコムニオではない。また、ミッシオはすべての人のコムニオを目標としている。」(カンペンハウド『宣教司牧評議会便り』「コムニオの心構え」2002年11月発行)

  6. それぞれの地域性を考慮し、チーム・ミニストリー(司牧書簡『交わりとしての教会をめざして』14頁)に向けての信徒奉仕者の養成も、各地区(静岡東部、静清、志太・榛原、長野中信・南信、神奈川)においてそれぞれ企画され実施されている。

  7. 教会がひとつの社会、団体であるとは言え、その本質、構造、働きが神によって制定されたものであるという点で自然的社会団体とは異なっており(Societas sui generis)、教会において補完性の原理が適用される場合、教会固有の本性とその使命が尊重され、またそれを損なうことがないよう考慮されなければならい。それゆえ補完性の原理の適用は類似的範囲に留まる。

  8. 教会法改正のための十の原則の第五番目で、教会における補完性の原理の適用(De applicando principium subsidiarietatis in Ecclesia)が挙げられている(『カトリック新教会法典』ラテン語版序文p.xiii−xiv 参照)。第二バチカン公会議の公文書のなかでも『現代世界憲章』86項、『キリスト教的教育に関する宣言』3項と6項の三箇所で補完性の原理への言及が見られる。

  9. 普遍教会における多様性の中の一致については『教会憲章』13項を参照。

  10. 2003年5月18日付けの『カトリック新聞』(第3715号)でも報じられたが、2002年度静清地区司教訪問の際、地区から教区に対して『共同宣教司牧にむかう組織のイメージ』という文書をもっての提言がなされた。「司祭のお手伝いをする小教区のあり方から、司祭がお手伝いをする小教区のあり方に変わっていこうとするのならば、たとえ司祭の人数が減少していったとしても、各々の小数区は消えていくことなく、イエス・キリストの教会として、いつまでも証し続けていくことができるでしょう」との指摘がなされ、新しい共同体の中心を担う信徒の意識化が図られている。また「イエス・キリストの教会が、一つの小教区において存在し、実現されていくためには、信仰が教えられていること、祈りが行なわれていること、小さい人々に愛がそそがれていること、の三つの条件が必要とされるでしょう」との指摘もなされ、各々の共l司体が、それぞれ自らの力によって信仰を伝え、祈り、貧しい人々に愛をそそいでいけるよう成長することが期待されている。

  11. ペイオフ解禁実施をひかえ、教区として経済問題評議会のなかに「資産運用会議」を設置し、金融機関に預けられている各小教区の預金保護と教区財産の保全を主たる目的として「資金運用規程」に基づく「資産運用基金」の運用を整備した(『カトリック横濱教区報』46号参 照)。また2004年度から導入される「司祭給与分担金制度」についても教区全体に関わる問題として教区の主導をもって対応した(『カトリック横濱教区報』48号参照)。

  12. 『信徒使徒職に関する教令』10項では「祭司・預言者・王であるキリストの任務に参加する者として、信徒は教会の生活と活動のなかで、積極的な役割をもっている」と言われている。『教会の宣教活動に関する教令』21項は「真の意味での信徒団が存在して活動しなければ」、「行動的な信徒が存在しなければ…教会は十分に生きていない」と断言する。教会法でも神の民としての教会理解に基づき、すべてのキリスト信者のキリスト者としての尊厳と働きにおける平等性の原則が確認されている(204粂第1項および208条参照)。使徒的勧告『信徒の召命と使命』では奉仕職とカリスマを考察するなかで「聖霊は、洗礼を受けたすべての者に位階的な違いやカリスマの賜物を与え、それぞれ別な方法で、積極的に共同責任を担う者となるよう招いています」(21項)という指摘がなされている。

  13. 諮問機関としての評議会制度の活用が考えられる。教会法上の恒常的な参画機関としては経済問題評議会、司牧評議会、小教区司牧評議会、小教区経済問題評議会などがある。