<第2回教会フォーラム資料> 2000/11/17

  1. 教会フォーラムについて

  2. 教会フォーラム(案)の初年度テーマに教会委員会のあり方を取り上げる理由

  3. 話し合いの土台としての教会像


教会フォーラムについて

この資料は、今回第2回となった教会フォーラムの仕組みを整理して皆様にお示しするためにまとめたものです。(2000年10月7日教会委員会提出資料要約)

[1]フォーラムとは

従来の反省として、「フォーラム」と言う言葉から持つイメージが各人で可成り巾があったので、ここでもう一度フォーラムについてのイメージを明確にしたいと考え、とりあえず名称を「教会フォーラム」として、「教会に係る種々の問題について広く信徒の意見を出し合う公開討論会の場」と定義づけました。

フォーラムの役割は、既存の教会組織にとらわれずに広く信徒から出された意見をまとめて、教会委員会、あるいは信徒総会などに提言を出すことです。

従って、信徒総会のように信徒の意志決定機関ではありません。しかし、提言を受けた教会委員会等は、その経緯を踏まえ、これを尊重することは云うまでもありません。

[2]教会フォーラムの構成

公開討論会としての場は、以下の構成となります。

1)自由意志により参加する個々の信徒(主役)

2)座長

3)専門検討チーム 4)事務局

[3]教会フォーラム開催の流れ

[4]フォーラムのテーマについて

今回のフォーラムはすでに進行形であるので、これまでの経緯を踏まえ、小教区内の運営について(教会委員会のあり方など)のテーマで実施致します。

さらに今後、

についても取り上げていく予定です。

[5]これからの進め方

本日の内容(目的:議論の土台作り)

  1. 論議を進める前の準備体操
  2. 教会の未来を考える会の結論
  3. 教会委員会のあり方を取り上げる理由
  4. 私たちのイメージ(私たちの教会/私たちの教会委員会)
  5. 専門検討チームおよび座長について

今後の予定

  1. 専門検討チームを発足し、検討作業開始、次回フォーラムの準備。
  2. 検討結果について次回フォーラムで皆様からのコメントを頂く。
  3. これを基にさらに検討を進め、最終的には次回信徒総会の前までに、教会委員会への提言(案)を出せるように最終フォーラムを開く。

以 上


教会フォーラムの初年度テーマに教会委員会のあり方を取り上げる理由

(この文書は、壮年部世話役会を中心として、この問題についての議論を進めている中で、あえて共通理解が出来るのではないかと言うところを擬人化してまとめたものであり、未だ未完成のものです。しかしこの問題を提案した壮年の心を少しでも知っていただくのに役立つのではないかと云うことでまとめたものです。是非参考にしていただければ幸いです)

◇話の発端は

今回の、教会委員会のあり方についての問題提起は、すでに何度も教会報などでも訴えさせていただいたとおりです。3500名の信徒をかかえる藤沢小教区は、日本でも大変大きな規模の教会といえます。人数が多いと云うことは、それだけ多くのタレントや考え方の人々が集まっており、このことは本当に主に感謝しなければならないと思います。しかし、一方ではそれだけ多くの人種や考え方の人が集まっているものを「一つになって」というかけ声の中で、まとめていくのは本当に至難の業だと考えています。その意味で教会委員会の委員長はじめ役員の方のご苦労は本当に大変なものだと常々思っています。私たち壮年も本当に幅広い考えの方の集団ですが、一般には現在、又は最近まで社会のただ中で働いてきたという共通点を持っている場合が多いといえます。そのような点で、でこぼこはありますが、組織の運営のあり方や、その重要性についてはかなり意識を持っているのではないかと自分たちでは考えています。もちろん、この教会には、ご婦人や若者、そしてお年寄りなど、それぞれの生活経験とそれに根ざした信仰をお持ちの方々かたくさんおられる集団だと言うことは良く理解しているつもりで、これらは、イエス様の御言葉のようにどれも体の部分であり自分一人では成り立たないと云うことも理解しているつもりです。しかしそれぞれいただいた賜は、やはり活かすようにとのメッセージを聞くことが出来ます。このような自己理解の基に、現在の教会を見ると、第2バチカン公会議以降、私たちカトリック信徒の果たすべき役割が、本当に重要になってきていることを知ります。

◇教会の運営について

しかし一方、この私たちの藤沢小教区のなかを振り返ると、本当に神の国建設のために自分自身が働けているのだろうか、教会の組織が、この3500人のそれぞれいただいた賜を活かして働けるように助ける機能を果たしているのだろうかとふと疑問を持ちます。一旦疑問を持って見てみると、今までそんなものかと思っていたものが、実は、主からいただいた大切なものをちゃんと活かしていない、すなわち、信徒一人一人の考えや想いが、教会の中になかなか反映されない、一部の人だけが教会の運営をやっているように見える、さらに、信仰というレベル以前に、一般社会でも守られるべき約束事が守られない、こんな事では福音宣教も神の国建設もあったものではないのではないか。これを端的に顕わし、そしてまた教会の運営に当たっては非常に重要な役割を担っている教会委員会そのものの運営が、本当に重要なことをしっかりととらえ、目的に向かって着実に事を運んでいる、そんな理想の姿からはほど遠いのではないかという現実に突き当たりました。

◇フォーラムの提案

当初は、現在それを担当されている方に、現在すでに非常に良く検討されて作られた教会委員会規約と言うものがあるのだから、是非この原点に戻って運営をしてみては頂けないだろうかという提言を致しました。今年の4月の信徒総会ではそのような想いで提案をしましたが、しかし現実にはなかなか難しいと言うような教会委員長のお話もあり、この件は、ぜひ広く教会の信徒の中でも議論して頂けるようにとの想いで教会委員会のあり方を考えるフォーラムを開いてくれるよう提案し、委員長も含め、信徒総会でこのフォーラムの開催が決定されました。

◇皆様の反応

私たちは、すぐにも教会のあり方を考えるフォーラムを開催して欲しいと切望しておりましたが、正に多くの信徒の方の反応は様々でした。よく考えればそれは当然で、皆それぞれの賜を受け、その上で今の教会の問題がどこにあるのか、認識は違っているのです。どちらが正しいと言うことではないと言うことです。別の立場の見方からからすると、教会の中に、会社的なマネージメントのセンスを持ち込むことはいかがなものかとか、それは社会的に強い人の理屈でそのような考えについていけない人をおいていくのかと言うようなご批判の意見もいただきました。又、信徒総会での議論のやりとりの中で双方とも議論が白熱し、法律を守るのか守らないのか!と言うような言葉も出ました。このようなやりとりを、第三者的に見ていた方々の一部には、この信徒総会は株主総会のようで驚いたと言うような意見も聞かれました。一方では、若い方などの一部からは、言い方の問題はあるにしても、教会のために云うべきと思ったことは云う方が、云わない人よりも良いのではないかと言う意見も聞きました。その後壮年部の世話役会等を中心に本当に多くの議論や意見交換を重ねてきたと思います。

◇フォーラム第1年目のテーマの具体的なイメージ

いま、幅広い壮年の思いをあえて一つにまとめ、これからのスタンスを示すとすると次のようになるのではないかと思います。教会のかかえる3つの大きなテーマの内、どれを最初に取り上げるかは、本当にそれぞれの方の考えで違いのだろうと思います。しかし、私たちの理解では、まずこれを取り上げてもらいたいと考えます。内容の切り口をイメージするためにその一つの例を示します。

切り口例、

  1. 教会委員会、教会委員長とは何か、そのミッションとは何かの確認

  2. 教会委員会で行うべき業務の棚卸し その濃淡と優先順位づけ

  3. 業務遂行のための中長期計画と年間計画の立案方法、表現を変えれば施政方針の立案

  4. 上部組織としての信徒総会、下部組織としての事務局との報告、指示などアクセス関係の整理、確立

  5. 現行の月一回漫然と集まるだけの委員をなくし、教会委員の役割分担の制度化

  6. 委員会活動の準備期間を念頭に置いた教会委員会メンバーの選出時期の秋への移行と選出方法の改善 など

◇赦しと和解を祈りつつ

これを見て、多くの方が感じると思われるのは、なんと堅苦しいことを考えているのか、そんなことをしなくても今までも教会はそれなりに回っていたではないか。

理想的なものを検討するのなら誰にでもできる。それよりもいったいそんなものをつくって誰がそれを責任もってやるのか。今でさえ委員長のなり手が少なくて苦労し、他の役員もなってもらうのがやっとのなかでそんな美辞麗句を並べたものをつくって、それを人の肩の上に載せる。それこそファリサイ派ではないか、など。これを作った人が責任を持って実行もするのでしょうね、など。「はいそうです、お任せ下さい」、と自信を持って云いたいところですが実は、そこのところが本当に心配なのです。でも、少なくとも、私たちは、それを人の肩だけに背負わせて、自分は一本の指も懸けないファリサイ人になりたいとは思っていないことを信じていただきたいのです。

◇新たな出発へ

この問題が、突き詰めれば単に教会組織の仕組みだけの問題でないことは理解しているつもりです。正に最初に述べた自分も含めた我々信徒の信仰が問われているのだと思います。私たちは、出発の時にはゴールは保証されていなくても、皆で力を合わせてこのフォーラムで議論し、この大切な教会委員会をいかにすればよいのかを人事を尽くして行けば、きっとどこかで主が解決策を出して下さるのではないかと言うことを信仰体験の中で知っています。これを信じてまず手元のこの問題、「教会委員会のあり方について」と言うテーマを是非最初に取り上げていただきたいと訴えているのです。多くの方のゆるしと愛の心の中でこの大切な大聖年の残された大切なときを、皆でまず一歩スタートしたいと思っているのです。

最後に参考として97年2月の横浜教区典礼集会の資料から岩島忠彦神父の言葉を自分たちの反省とこれからの力の糧にしたいという祈りを込めてここに紹介します。

・岩島忠彦神父

教会が仲良しの集まりでなくて、信仰共同体となるために――

「私たち一人一人が現代社会に生きるために学び、理解していることは膨大なもの。それに比べて信仰の分野だけは子供のような知識と理解しか持っていないとすれば、それは異常です。」

以上


話し合いの土台としての教会像

今後フォーラムで教会の様々な具体的な側面を話し合って行くにあたって、その出発点として今わたしたちの教会が向かっていく方向を再確認するために、いくつかのビジョンを紹介します。

日本の教会の基本方針

  1. 私たち力トリック教会の一人ひとりが、宣教者として、まだキリストの食卓を囲んでい ない人々に信仰の喜びを伝え、より多くの人を洗礼に導き、彼らとともに救いのみ業 の協力者となる。

  2. 今日の日本の社会や文化の中には、すでに福音的な芽生えもあるが、多くの人々を弱い 立場に追いやり、抑圧、差別している現実もある。私たちカトリック教会の全員が、 このような「小さな人々」とともに、キリストの力でこの芽生えを育て、全ての人を 大切にする社会と文化に変革する福音の担い手になる。

藤沢教会の未来を考える会でまとめた4つの教会像

  1. 社会に開かれた教会

  2. 祈りを深める教会

  3. 一人一人が大切にされる教会

  4. 信徒が築く教会

大阪教区の求めていく教会像

  1. 「谷間」に置かれた人々の心を生きる教会

  2. 交わりの教会

  3. 「共同責任」を担い合い、協働する教会

  4. 聖霊の導きを識別しながらともに歩む教会

  5. 司祭・修道者との協力を重視しながら、信徒の役割と責任(使命)を前面に出す教会

横浜教区の目指す「開かれた福音宣教共同体」のための優先課題

  1. 信徒の養成

  2. 青少年司牧

  3. アジア・第3世界との関わり

  4. 環境問題

NICE1の3本柱

  1. 日本の社会とともに歩む教会

  2. 生活をとおして育てられる信仰

  3. 福音宣教する小教区

以上に掲げた教会像はいずれも第2バチカン公会議の打ち出した教会像に基づいて、それぞれの教会の持っている問題に答えた形で、より具体的な方向を打ち出したものです。ですからそれらは大きな方向性としてはどれも共通のものであるといえると思います。

ここに、教会の未来を考える会の話し合いの中から見えてきた、4つの教会像についての簡単な説明を掲げます。

「社会に開かれた教会」

第二バチカン公会議で起こったこと、それは、人類社会の諸現実に対して自己を閉ざしがちだった近代的カトリック教会から、「開かれた教会」への刷新でした。
それは小教区が自分の教会のことだけを考えていればいいというわけではなく、むしろ社会に神の国が存在することのしるしとなり道具となることが教会の務めであると言うことでした。現代世界憲章はその冒頭で「現代人の喜びと希望、悲しみと苦しみ、とりわけ、貧しい人々とすべての苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、悲しみと苦しみでもある。真に人間的な事柄で、キリストの弟子たちの心の中に反響を呼び起こさないものは一つもない」とうたっています。
ナイス1でも日本の現状を分析し、そこに福音の光をあて、いかに具体的にかかわるかの答えを求めることが、日本の教会が本来の姿を取り戻すと同時に、日本の社会に対して福音的使命を果たすことだと確信したのです。
開かれた教会を実現するために、小教区の存在する地域にしっかりと目を開いてみることが必要です。すでにバザーなどの活動を通して、また福祉部のネットワークを通じて地域の福祉団体などとの協力体制を築き上げてきていますが、それ以外にも災害時のボランティアネットワークやホームレスへの対応などで、地域での教会への期待は大きいのです。特にこれらの福祉や社会活動の分野では、出来る形で教会としてのビジョンを持ちながら、教会内部だけではなく地域の諸団体とも積極的に関わっていくことは、福音の証としても大切なことだと言えます。

「祈りを深める教会」

教会は信じるものの集いです。そこに集う人々の生活の土台は信仰と祈りですし、教会共同体で行われるすべての活動の礎もそこにあります。
わたしたちが、ともにいて導いてくださるキリストを中心に据えることによって、教会が真のキリストの共同体として社会の中に生きることが出来るようになります。その中心にミサがあるのです。
祈り(信仰)を深めていくために、わたしたちは個人としても共同体としても、日々私たちの中に生きていらっしゃる復活のキリストとの出会いを深めていく必要があるでしょう。
「二人三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのです」とのみ言葉のように、共同体の中でみ言葉が読まれ、それを互いに分かち合うとき、そこにはご聖体における現存のように秘跡的にキリストが現存しています。その主に私たちは出会い、主は共同体に命を与えて、生かしてくださるのです。
み言葉を中心に生かされている共同体は、必然的に社会に対しても開かれたものとなるでしょう。生活と信仰の遊離の多くも解消されるでしょう。またみ言葉の中におられるキリストとの出会いは、わたしたちをミサへと招きます。そこで行われるミサは、より生き生きとしたものとなっていくのです。
このような、信仰共同体での生きているキリストとの出会いの体験こそ、現代社会に生きるキリスト者にとってもっとも必要とされていることであり、その礎の上に、社会に福音を証しする、いわば秘跡としての教会共同体が実現できるのではないでしょうか。

「一人一人を大切にする教会」

イエスの告げられた福音は一人一人、特に小さくされた人、病んだ人、迷った人へ向けられた救いのメッセージでした。その福音を生きようとする私たちの教会も、同じ心で歩みたいと思います。教会に集う一人一人が疎外感を持つことなく、互いに愛と尊敬を持って交われる場を目指さなければならないでしょう。ナイス2の主な主題も「一人ひとりを大切にしておられるキリストとの出会いを深め、愛の共同体を育てる」ことでした。
私たちが物事をいわゆる一般的な大人を規準にして考えるとき、切り捨てられる人たちが、老人、在日外国人、ホームレス、障害者、子供たちでしょう。それと同じに誰にでも当てはまると思い込んで一般常識を規準に物事を片づけるとき、私たちは一人一人を大切にしていないのではないでしょうか。
私たち一人一人は性格も、能力も違っていますし、考え方も、実行力も違います。それが物事を進める際に困難と感じることもあります。しかし、私たちは互いに同じ者にならなければやっていかれないのでしょうか。違いのあることはよくないことなのでしょうか。同じ者になれないこと、つまり互いに違いがあることを認め受け入れ合って、それぞれがそれとどう取り組むかを考え変わっていくことで、私たちはその可能性をひろげますます豊かに生きることができるのではないでしょうか。
お年寄りや若者に自分たちの特徴を生かした持ち場があり、活動的な人も引っ込み思案の人もそれなりに参加できる教会。だれもがよそ者ではなく、家族として受け入れられる教会共同体を築きたいと思います。

「信徒が築く教会」

以前教会は、ローマを中心にした縦割り組織によって運営が聖職者の権限のもとに行われていました。そこでは、信徒は聖職者を補助する手足であり、主体的に活躍することは考えられなかったのです。第2バチカン公会議は、教会の主体は洗礼を受けた者全体であって、聖職者はその全体の大事な一部分であることを指摘し、社会の中に生きる教会の主体が信徒であることを打ち出しました。
聖職者と信徒の尊厳は洗礼からくるのであり、キリストの神秘体である教会は多様性をもった交わりで、そこではみなが平等、対等であり上下はありません。機能が違うのでそれぞれ段階がありますが上下の関係ではありません。みな同心円の中にいるのです。
ですから、信徒が教会共同体の中で責任や使命を持って主体的な役割を担うのは、司祭や修道者の減少を補うためではなく、もっと本質的なものであるといえるでしょう。
私たちは教会というと建物や場所を意識しがちですが、第2バチカン公会議で定義されたように、教会は神の国を世に証しする「キリストにおける、秘跡」なのです。そしてその実践の場にいるのは、実社会、実生活の場で生きる信徒です。
そのために先ず実社会の中に生きる信徒が実生活に於いてキリストの弟子であることを意識することが最も大切であるのではないでしょうか。そして、その信徒の意識化(信仰の見直し)によって築かれる共同体は社会から遊離しない、神の国を証しし福音をのべ伝える教会になるのではないでしょうか。

これらの教会像を実現していくために、共同体の育成は欠くことが出来ません。未来を考える会の話し合いの中では、教会を支えていく基礎として、それぞれの顔が見渡せる程度の小さな共同体の必要性が打ち出され、その実践のひとつとして地区の活性化に力を注ぐ方針が打ち出されました。

また、性別や年齢、その他の様々な関わりをベースにした地区をこえた形での小さな共同体の育成も大切でしょう。それらの共同体の中で聖書の分かち合いや祈りの集いが定期的にもたれ、生活に根ざした信仰が強められていくとしたら、また、教会の様々なことが話し合われて、共同体としての意識が高められていくとしたら素晴らしいことではないでしょうか。

教会の目指す姿、それは復活されたキリストを中心に、人々や様々な小さなグループが多様性を持ちながら一致して、社会に目を開き、救いを必要としている人々に福音をのべ伝え、愛の共同体として神の国の目に見えるしるしとなっていくことではないでしょうか。



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