「遠藤周作文学館」落成記念ツアーに参加して

カトリック藤沢教会宣教部 兼子盾夫

1.遠藤の心の故郷長崎と外海町の文学館落成

 「私が死んだら、長崎に墓を...」と遠藤は高田長崎県知事(当時)に語ったそうだ。西巣鴨で生まれ、幼・少年期を大連・夙川で過ごした遠藤は、その後の人生の大半を東京で過ごしたにもかかわらず、東京を故郷と感じることはなかったようだ。『沈黙』の取材で長崎を訪れて以来、長崎は遠藤の心の故郷ふるさとになった。その長崎は外海町(『沈黙』の舞台トモギ村のモデル黒崎のあるところ)には文学ファンの手で既に「沈黙の碑」が建てられている。そしてこの度、「沈黙の碑」を対岸に見下ろす夕陽の綺麗な丘の上に「遠藤周作文学館」が完成した。

 その姿は遠目には鶴が風に向かい翼を拡げて舞い上がろうとするかのように見える。眼を右下の沖に向けると、碑の除幕式で「この海はとおくポルトガルまで続いている」と遠藤に語らせた外海の海が拡がっている。軽井沢、京都、東京など遠藤に縁の各地から文学館建設の誘致はあったようだが、最終的にこの地に文学館が開館されたことを天国の遠藤もさぞ喜んでいることだろう。

2.5月13日(土)出津教会での記念ミサ

 出津の海を見下ろす丘の途中にある沈黙の碑。「人間がこんなに哀しいのに主よ海があまりに碧いのです」という、その碑を左に見て登って行くと、やがて強い西風を避けるようにして丘の頂近くにフランス風の瀟洒な聖堂が見えて来る。それが出津教会である。9時、山内主任司祭の司式で落成記念ミサが始まる。さほど広くない聖堂内に何百人もの人が集い、内部は文字通り立錐の余地もない。さらに人の輪が聖堂の外まで延びている。山内神父のよく通る涼やかな声が聖堂内に響き、厳粛なうちに喜びで参列者の顔が輝く。

3.加賀乙彦氏の追悼講演

 記念ミサが終わると加賀乙彦氏の「沈黙の時代背景」と題する追悼講演が始まる。加賀氏は科学者(精神内科)らしい淡々とした口調で『沈黙』の読み方を提示された。先ず『沈黙』の時代背景−−16世紀中頃のザヴィエルの渡来、徳川幕府による17世紀初めのキリシタン弾圧、島原の乱後の幕府による徹底した鎖国政策。その直後、『沈黙』のモデルの外人司祭たちが渡来、捕縛される歴史背景−−が語られる。氏の講演のなかで特に印象に残ったことを2つ挙げる。その1は加賀氏が遠藤と、オペラ『沈黙』の作曲家松村氏の3人で話されたときのこと。作曲が遅々として進まぬことに遠藤は苛立ちを隠さず、「早く完成して欲しい。考えたり迷ったりする必要はない。あの作品の主人公はキチジローなんだ」と松村氏に言う。司祭ロドリゴを役人に売り渡すキチジロー。司祭を売った後で自分も転び,その後、執拗に「コンヒサンばしてつかわさい」と司祭につきまとうキチジロー。福音書のイエスを裏切ったユダに擬せられるキチジローの存在はたしかに重要で、キチジローを弱者の代表として、小説の主題そのものも「弱者の復権」とする解釈もこれまでにあった。

 しかし「主役はキチジローなんだ」という遠藤の言葉は,彼がロドリゴの脇役として重要だという意味ではなく,この作品の主題が、この地方で「隠れ(キリシタン)」として2百年余も裏切りの負い目を感じながら、信仰を守り通した人達の不屈の信仰に対する讃辞だということなのだ。キチジローとは,単に一人の重要な人物ではなく「隠れキリシタン」全体の象徴として重要なのだ。キチジローの度重なる裏切りとは毎年の絵踏み(踏み絵を踏む行為)の象徴だったのだ。

 毎年毎年正月に踏絵を踏んではオラショを唱え、神に許しを乞う「隠れ」の人達の信仰生活の辛さ。彼らの屈折した信仰とその人生に対する憐れみの讃歌がこの作品の主題なのだ。私はあの小説を初めて読んだときに、キチジローの執拗な裏切りの意味がもう一つ判然としなかったが、その後、キチジローの存在が「隠れキリシタン」全体の象徴であることに思い至り、初めて納得がいった。そして今度の加賀氏の講演でそれが確認され、私はこの作品に籠められた遠藤のメッセージを正確に把握できたと思う。

 遠藤はこの作品において3の問いを提出している−−即ち(1)日本はキリスト教の教えを枯らしてしまう泥沼か(2)裏切り者のユダはイエスによって許されたか(司祭ロドリゴはキチジローを許すべきか)(3)なぜ神は迫害に苦しむ信徒を前に沈黙したままなのか−−が、この(1)の問いに対するそれは明確な答えだったのだ。

 つまり「日本はキリスト教を枯らしてしまう泥沼だ」という井上筑後守やフェレイラの主張に対する遠藤の否定的回答は明確に示されているのだ。今までの私は小説の最後に付足されている「キリシタン屋敷役人日記」の件(転びバテレンのロドリゴによる布教活動の証)によって、微かに日本泥沼論の否定の可能性が遠藤によって暗示されていると思っていたが,しかし(1)の問いに対するもっと明確な回答が与えられていたのだ。

 それはその後の歴史的事実が証している。小説の最後のところでロドリゴが自分の信仰のあり方について,自分の生き方がそれを証ししていると述べているが、そのことと併せて考えると示唆的である。「泥沼である」という議論は「隠れ」の存在と言う歴史的事実によって明確に否定されているのだ。遠藤は日本の精神的土壌はキリスト教にとって根を腐らしてしまう泥沼などではない。信仰はしっかりと根を下ろしている。なによりもその歴史的証拠として「隠れキリシタン」の存在があると言いたかったのではないだろうか。

(上の(2)と(3)の問いに対する遠藤の回答については、すでに私は他の箇所や真生会館での講演で詳述したので、ここでは割愛する)

 次に氏の講演の印象的だった二つめのこととは,遠藤の『沈黙』における創作と史実とのズレ,つまり『沈黙』における「詩と真実」の違いがもつ意味を吟味すると、作者の『沈黙』におけるメッセージがより明らかになるというものである。加賀氏が挙げられた例として、例えば『沈黙』の中で,司祭ロドリゴを尋問する日本人通辞がカプラルという司祭のことに言及し「カプラルというパードレをを知っとりましたが、あのお方は格別、我々を蔑まれておられた」(p.115)と言う所がある。彼は日本人の食事、作法や言語を嘲り、聖職者としての働きにおいてもヨーロッパ人の優位を信じて疑わないような存在であったという。しかし、加賀氏が言われるにはカブラルの来日は小説の設定の時期(島原の乱の直後)より70年も昔のことであり,両者が接点をもっているという遠藤の話は整合性に欠ける。(因みに加賀氏も近著『高山右近』p.205の中でこのカブラル布教長について右近の意見として否定的に描写されている)しかしこの整合性を無視しても遠藤が描きたかった点に,作者のメッセージがより多く籠められているのではないか。

 この加賀氏の論点を私なりに敷衍するとこうなる。例えばカブラルのこの態度はその後の西欧キリスト教の布教における西欧中心主義の姿勢を表しており,これは教会史のなかで修正されるべき姿勢だ。このことと小説のなかで日本人職人の描くキリスト像が初めてロドリゴに対して、その沈黙を破るという象徴的な出来事を併せて考えると遠藤の説く日本人のキリスト教というイメージがより明確になるのではないか。そういう意味では、順子夫人の「今までキリスト教は西から来たが、今後は東からも西(世界)に向けて発信しなくては。そのための基地としてこの文学館がなって欲しい」という発言はまさに遠藤の考えを踏襲するものなのだ。

4.文学館落成式とアトラクション

 午前11時、テープカットで式典が始まった時には激しい雨だった。文学館の内部は祝賀ムードの参列者で溢れている。その雨も正午頃には止み,海を見下ろす文学館西南のテラスでツアーの参加者一同、受入れ側のこころ尽くしのお弁当をひろげることが出来た。西の洋上の雨と霧が少しづつ晴れ、空と海が次第にハッキリと分かれて来た。午後2時のアトラクション開始までの間に,第1展示室の展示と遠藤の蔵書の一部が無造作に並んでいる室を覗く。展示室で生原稿をいくつか見る。遠藤は小説を書くに当たって,先ず下書き用の大きい罫線もなにもない紙にかなりのスピードで書き下ろし、次にそれを原稿用紙に写しかえて,最後に清書して(貰って)完成したようだ。遠藤愛用の大きな書斎机の写真を撮る。

 玄関近くで午前中,出津教会で講演をされた加賀先生に紹介さる。「とてもいいお話で,眼から鱗が落ちました。」とお礼を申しあげた。お世辞ではなく、私は上に述べたような発見を先生の講演をきっかけに確認したのだった。午後からのアトラクションはプロの演奏家によるヴァイオリン(塩川悠子氏)とピアノ(遠山慶子氏)の華麗な二重奏(曲目はいずれもモーツアルトのヴァイオリン・ソナタから)に始まる。次いで長崎のアマチュア合唱団プロ・ムジカ・アンティカ・ナガサキのメンバーによるア・カペラの合唱曲(曲目はパレストリーナやジョスカン・デ・プレによるものだが,最後に黒人霊歌の「深い河」も歌われた)が続く。いずれも心に響く素晴らしい演奏、合唱である。母上譲りの造詣の深さから言っても,文学館落成を祝う催しとしてまことに遠藤に相応しい音楽の演奏であった。

 最後は劇団樹座音楽部の出番である。一言で尽くせば、それは本当に楽しい遊び心一杯の演奏で、天国の遠藤が「どうです,皆さん。クラシックもいいが,わが樹座アンサンブルによる楽器演奏と私の愛唱歌メドレー(お猿の駕籠屋と可愛い魚屋さんを交互に歌う)はさらに楽しかったでしょう」と低いだみ声で語りかけて来るような気がした。参列者は多分、心の中でこう呟いていただろう「じっさい遠藤という人は,自分も楽しみながら,徹底的に他人の人生を楽しくさせる天才だったのだ。」

 午後4時、外海町を後にして長崎市に移動する時間が来た。「沈黙の碑」の文句のような「あまりにも碧い海」と抜けるような青空をみてみたいので、外海町には秋の快晴の日にもう一度、出直さなければならない。しばらく経てば文学館も徐々に充実して来るだろう。そう思いつつ「沈黙の碑」の傍らでツアーの面々と写真を撮りバス上の人となる。夜、宿舎ホテル・ニュー長崎の最上階レストランから稲佐山や市内の美しい夜景を楽しむ。 

5.5月14日浦上天主堂における追悼ミサ

 気のおけないツアーの仲間と午前中に大浦の天主堂を何十年振りかで訪れる。ここは慶応3年、隠れキリシタンがプチジャン神父に「サンタマリアのご像はいずこ」と問うた教会である。隣接の資料館を見て、長崎市内を横断、浦上天主堂に向かう。午後1時から遠藤周作を偲ぶ会主催の「遠藤周作とすべてのキリシタンのための追悼ミサ」が始まる。あの大きな浦上天主堂が東京,大阪,広島からのツアーのグループと一般から特にこの日の追悼ミサに応募された方々によって満杯になった。聖堂内にフォーレのレクィエムが静かに響く中、大勢の司祭によって荘厳に本場長崎のミサがあげられた。説教の橋本師は「遠藤文学ファンの一人としてお話します。キリスト教は教理よりも消化器官(食べること)を大事にする宗教です。遠藤先生はそのキリスト教を味わう心境で,味わいの世界で自在に遊んでおられたのではないでしょうか。勿論、人間の夜・沈黙・孤独などの姿に深い同情を示しながら」と述べられた。

 最後に順子夫人が挨拶に立たれ「沈黙発表の頃に比べるとじつに隔世の感があります。伝統あるこの浦上天主堂でミサをあげて戴けるなんて。また本日、仏教の僧侶がここで話をするなんてことは初めての出来事で、トインビーは20世紀は仏教とキリスト教の和解の世紀だと言ったそうですが、第2バチカン公会議の精神がついにこの長崎まで伝わったのかというような気がします...三村師、深森師と1年間、準備をして下さった聖歌隊の皆さんに心から感謝申しあげます。」と締めくくられた。

6.三浦朱門氏、瀬戸内寂聴師による追悼講演

 三浦氏は「ポール遠藤周作からの受け売り」と題する講演をユーモアを交えつつこう始められた。「遠藤は私の代父です。この長崎を教えてくれたのは遠藤でした。ある時、遠藤、井上神父と私は島原への取材旅行をしました。季節は春、桜は満開で、海は青く、周囲は一面の菜の花畑です。旅の途上でこんな美しい長崎にあのような迫害があったのかと遠藤はしきりに感じ入っておりました。遠藤には故郷と呼べる所がありません。だから長崎は遠藤の心の故郷でした...思えば遠藤は少年の時から愛する者を裏切る辛さを知っていました。それはある時はドジョウであったり、犬のクロであったりしましたが、最愛の対象は母上で、遠藤が一生、その信仰を捨てずにもち続けられたのは、一重に母上を裏切らないためでありました。遠藤が申すには、殉教も偉大だが、殉教しなかった人もまた辛い。踏み絵を踏むことによって、隠れキリシタンの人々は動かしがたい信仰をもつにいたったのだ...」と三浦氏はやや舌足らずに聞こえる口調ながら、まことに理路整然と思い出話を披露された。

 「深い河について」話された瀬戸内師は開口一番、「葬式と結婚式はやはり教会がいい」と聴衆を笑わせて「遠藤さんは自分と1才しか年が違わないのに、姉様、姉様と私をからかった。遠藤さんのホラ話、ウソ話はそれは沢山あって、その際たるものは自分の故郷の徳島における晴美人形と夜尿症の治るレコードの話だ(昭和31年9月の講談社刊『遠藤周作文庫 1・2・3!』解説、「嘘つき聖人」の前半参照)。だが遠藤さんのウソは人を楽しくするウソで、考えてみれば小説家はいかにウソをつくかの商売と言える...

 遠藤さんの周囲の作家はみなカトリックに改宗した。なぜか戦後の上等な作家はみなカトリックになった。キリスト教が嫌いだとばかり思っていた安岡さん迄受洗されたのでびっくりした。世の中は眼に見えないものの大いなる摂理で動いている。戦後の荒廃はこの眼に見えないものを無視することから生まれた...

 私が出家をする前に遠藤さんは京都にきて、二人でお寺を訪問した。遠藤さんは珍しく「死ぬのがこわい」と本気で言い、何か懸命に考えている様子だった。『深い河』には何も新しいものはない。今までの作品の集大成だ。今日のこの題は係の方に適当に見繕って下さいといって、ついた題ではあるが、責任があるので、今度のこの講演のためにまた一度読んできた。遠藤さんは結局、あの人(遠藤さんのイエス像)を描きたかったのだ。その人一人のことを書くために遠藤さんはあのような『深い河』全編を書いたのだ...

 遠藤夫人は近い将来、仏教とキリスト教は仲よくなると言われたが、なんと言っても両方とも頑固だから、私はそうは思わない。」なんとも含蓄のある言葉の連続であった。

7.さいごに−遠藤事務所主催の感謝の会

 浦上天主堂を出て、西坂の26聖人の殉教の碑と資料館を訪れる。その後、宿舎のホテル・ニュー長崎に帰り6時からの遠藤事務所主催の感謝の会に出席する。長崎県知事や外海町長の挨拶もあったが、再び、昨日の落成式での樹座アンサンブルやプロ・ムジカ・アンティカ・長崎の面々が素晴らしい合唱、独唱(樹座のからたちの花が特に秀逸)を聞かせて下さった。遠藤夫人が「偲ぶ会」の実行委員長夫妻に感謝の言葉を贈る。それにしても参加者の間の和気藹々の雰囲気はどこから来るのだろうか。それはやはり遠藤の人徳なのだろうか。私個人もこのツアーとそして最後のパーティに参加して、全集の解題を担当している山根道公さん、『侍』『深い河』の英訳者アメリカ人研究者ゲッセル氏と文字ではなく直接、語り合うことができてたいへん有意義であった。順子夫人、事務所の方々、関係者に厚くお礼申し上げます。

以上



ホームページに戻る  元のページに戻る