仏教とキリスト教

兼子盾夫

目 次

(1)つまるところは同じか

(2)どこが同じで、どこが違うか

(3)神の愛と仏の慈悲

(4)求道グドウの厳しさ

(5)仏教の空と無、仏教はニヒリズムか

(6)日本的霊性、その1「茶道」

(7)日本的霊性、その2「歌道」

(8)日本的霊性、その3「師家」

(9)キリスト教的霊性、その1「聖霊の働き」

(10)キリスト教的霊性、その2「復活」

(11)キリスト教的霊性、その3「主の祈り」

(12)キリスト教的霊性、その4「聖書」

(13)キリスト教的霊性 その5「赦し、癒し、徴し」

(14)キリスト教的霊性 その6「ヨナのしるし」

(15)釈尊とは誰か、仏陀とは誰か

(16)仏教的霊性(その一) 阿弥陀仏をイメ−ジする

(17)仏教的霊性(その二) 極楽に往生するには

(18)仏教的霊性(その三) 「弥陀の本願」とは

(19)『法華経』の方便「火宅」と「長者 窮子」の喩え

(20)[最終回] ――永遠の今を生きる―― "つまるところは同じ"


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(1)つまるところは同じか

学生時代の夏休みだったと思う。東慶寺の庭で草引きをしていた時だ。ご住職の井上禅定師(現閑棲和尚)がいつのまにか・・・私の知るところ優れた禅家の行動には時空を超越するかの如き遍在の印象がある。つまりいま法堂で看経をされていたかと思うと、次には庭の草引きに汗を流し、そのまた次の瞬間には、もう涼しい顔で車中の客になっておられる・・隣で草をひきながら私に尋ねられた。

「ところでおまえは耶蘇だそうだな」

「はい」すると続けて言われた。「耶蘇も仏も、つまるところは同じだな」

「はい! 」即座に私は答えた。この時の気合が大事だ。そのとき、もしも「いえ、同じではありません。キリスト教は宗教ですが、(釈尊の説かれた) 仏教は哲学です」とか、「仏教には聖浄二門(自己の能力をたよりにしてこの世で悟りを得ようとする聖道門とひたすら弥陀の誓願を信じ、それにすがって死後、浄土に悟りを得んとする浄土門)ありますが、キリスト教には他力しかありません」というような返答をしていたら、たちどころに一喝を食らったに違いない。そういう時に「はい!」と間髪をいれず答えることこそ禅の極意に通じる。

実際、ひとくちに仏教と言っても、仏教は時代や地域によってじつに多様な展開を見せる。ここで「キリスト教だって多種多様だ」と異を唱える人は、およそ学問に毒された気の毒な人だ。では根底において、両者は同じだという、その意味は何か。

 先ず第一にどちらの宗教(大乗仏教もキリスト教) も衆生を済度することに究極の目標をおく点で同じだと言えるのではないか。例えば、歴史上受肉されたイエスの地上での使命とは十字架上で己の生命を捨てて、衆生を済度する道を拓くことに尽きる。釈尊の使命もまた法ダルマの化身として歴史上のある時期に人(ゴータマ・シッタッタ)の形を取られた訳で、多くの弟子をもち衆生を済度する道を残されたのではなかったか。仮に釈尊の説かれた仏教は小乗で今日の仏教の如きものではなかったという人がいても、釈尊なくして大乗仏教の「弥陀の本願」・・仏になる以前、即ち阿弥陀仏が法蔵菩薩だった頃に、すべての人を救済するまで自分は仏にならないという願をたてられ、いま、既に仏になられているのだから、すべての衆生は救われている筈だという浄土系の救済観・・の思想があり得たであろうか。

イエスの「十字架上の贖い」と「阿弥陀仏の本願」とはいずれも、己を捨てて先ず人間(衆生)を愛し、救済されんとする究極の宗教的使命においてまったく同一と考えられるのではないか。

 さらに阿弥陀仏の「浄土(理想国家)」とは極楽に他ならぬが、イエスの説く「神の国(支配) 」とは何であろうか。イエスはパリサイ派の「神の国はいつ到来するか」という問いに答えて「神の国はここにあるとかあそこにあるとか、言えるものではなく、じつに神の国はあなた方の間にある」と言われた。パリサイ派の「いつくるか」と言う問いにイエスはそれは「既にあなたがたの間に始まっている」と答えられた。つまり人々の間で愛が十全に実践される社会とは空間的にその所在と始まりとを「いつ、どこに」と特定できるようなものではなく、それを実践する人々の間において既に現前しつつあると言われたのだ。イエスは理想国家を時・空のうちに物理的に出現するものとしてではなく、現実の世の中における人間同士の愛の実践的関係において成立するとみておられるのだ。

実はこれと殆ど同じことを曹洞宗の始祖道元は(「正法眼蔵」仏性で)次のように表現している。「一切衆生悉有仏性」、「欲知仏性義、当観時節因縁。時節若至、仏性現前」すべての存在に仏性がある(すべての存在が仏性そのもの)。もし仏性の義を知ろうとすれば、まさに時節因縁を観ずべし。時節もし至れば仏性現前す。この「仏性は既に現前している」という答え方はイエスの返答と次の意味でまったく同じである。即ち仏性とは時間的にいつあらわれると言えるものではなく、すべての存在のなかに既に現れていると。じつに宗教的真理というものは地上で支配的な物理的法則にはしばられないのだ。これらは私の体験的理解による解釈なので、うまく言葉で説明し尽くせない。

次に違いを述べよう。どのような宗教であれ、来世あるいは死後の世界のことを説かない宗教はない。キリスト教では人が死ぬと肉体と霊魂は分離し、肉体は朽ちるけれども霊魂は滅びずに残ると説く。そして終末の日に来臨したキリストによって最後の審判が下され、復活した霊魂は再び肉体をとって最終的に天国か地獄かに振り分けらる。キリスト教には人間が生まれる前の人生という考え方はない。すべては人の誕生から死、復活へと直線的に進む。しかし仏教では来世ばかりでなく、人がこの世に生まれる以前の前世(過去世)をも考える。言い換えると仏教の来世は有限で、人は未来永劫、生まれ変わり死に変わりする。これが輪廻転生である。人も人以外の生き物も五趣あるいは六道(天、人、畜生、餓鬼、地獄、修羅)の世界の生死を永遠に繰り返す。そこから逃れるには悟りを開いて解脱し仏陀になるしかない。イエスはみずからの死と復活を生前に弟子たちに語り、約束を履行された。イエスを信じれば彼にあやかり彼の再臨のときに私たちも復活する。この点で私にはどうも仏教は哲学で、キリスト教は宗教だという気がするのだ。



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(2)どこが同じで、どこが違うか

人は死んだらどうなるかという不安や死という未知の体験に対する言葉で言い尽くせない恐怖から人々を救い、安心立命の境地に導くのは宗教の最も大事な勤めだから、死後の世界のことをしっかり保証し、「私についておいで。私はつねにお前と共にいる」と説くキリスト教に比べて、仏教はどちらかと言うとエリートのための(人生とは何ぞや、人は何のために生きるのかを問う) 人生哲学であり、衆生(一般大衆) を死の恐怖から救うことに無関心なのではないか。しかしこれも仏教の聖道門を考えているからで、もう一つの浄土門の「ひたすら念仏を唱えて、阿弥陀仏の浄土に迎えられることをかたく信じる」という信仰の形態を考えれば同じことだ。

今ここで私は遷化された或る老師(尾関南岳師) の言葉を思い出す。学生時代にヨ−ロッパ旅行のお供をした時のことだ。バチカンのサン・ピエトロの結構に腰を抜かさんばかりにして階段に座り込んだ私に老師は言われた。「こんなんで驚いたらあかんで、本願寺さんかて負けへん」。その老師に私はある時、「裏をかえす」という言葉の由来を尋ねた。老師は真顔で答えられた。直後、私は「ところで老師、本当に死後の世界はありますか」と問うた。すると、温顔は一変し両眼は・ルビ・炯々・けいけい・と輝き、背筋をピンとして仰った「もし私達(宗教者)がそれを信じられんかったら、どうして人を救うことができようか」と。

私は今でも時々「本当は死んだらお終いで何もないのかも知れない。何もないことを認識する主観すら含めて、死後には何もないのかも知れない」とニヒリズムや懐疑主義に陥る時がある。しかしそう言う時に私は老師のこの言葉を思い出し、生きている限りその疑い(死後には何もない)が出るのは当然だがもし私達(仏教とキリスト教を問わず)信者が信じられなかったら、どうして人々を死の不安から救うことなど出来るだろうかと思い味でこれは私のエマオ体験なのだ。

再び勇気と希望を得るのである。そういう意 またキリスト教と仏教の罪の概念は異なるが、罪人を憐れみ赦す愛の深さは同じだ。愛と慈悲(仏教では愛は渇愛といい、執着を意味するあまりいい言葉ではない)を考えてみよう。「蕩児の帰宅(失われた息子)」の譬えの最後の所はこうだ。父(神) は遠くから弟(義人) の落ちぶれた姿をみつけ憐れに思い、家人に大急ぎで上等の衣服、指輪と履物を用意させ、弟の帰宅を祝うパーティの準備をさせる。一方、畑仕事から帰ってきた真面目な兄(義人) は、騒ぎの原因を知って父親に対して不満をぶつける。たしかにここでの兄の怒りは尤もだ。こんな間尺に合わない話はない。この譬えを聞いてそう思うなら貴方はイエスにその義人ぶりを非難されるファリサイ人と同じ視点にたっている。しかしもし貴方がこれは有り難い話だ、何故なら自分はどうしようもない罪人で、この譬え話こそ他人ならぬ自分に向けられたものだと感じ取るならば、つまり神に背き罪を犯した自分のような者にさえ、未だに神が愛を注いで下さるのだと、そのかたじけなさに涙がこぼれるようなら、貴方はこの譬えでイエスが言われることを理解しているのだ。失われた者が再び神の下に帰ってくる、神にとってこれ以上の喜びはない。また兄(義人) も神の愛が何かを知っているならば、父(神) のやり方を全部みていて、「お父さん、私も喜んで宴会に加わらせて下さい。弟とちがって私はずっと貴方の側にいましたから。それにあの時、ふたつに分けたお父さんの財産も一生懸命に働いたので、またもと以上に増えました」と言えるだろう。この財産とは本当は神からの恵みなので、半分にしたから半分しかないというものではない。むしろすぐまた元以上に増えているのだ。神から戴く恵みというものは二つに分けても元とまったく同じか、むしろそれ以上にすぐ大きくなる。義人ぶりを非難されるファリサイ人ではなく、罪人である弟と自分を同定すること、これがこの譬えの肝心な所だ。

 次に仏教の側の罪人に対する慈悲の例を述べてみよう。阿闍世王(大般涅槃経や観無量寿経などのいろいろな経典にでてくる)のために釈尊が入滅(死)を遅らせて、阿闍世王の来るのを待つ所を。阿闍世は釈尊の従兄弟、例の悪名高き調達(提婆達多)に唆され父王を殺し、母をもあやめんとした大悪人。仏教でいうところの五逆(地獄行きが間違いない五の大罪)の幾つをも犯し、堕地獄を免れない罪人である。父王殺害のために阿闍世は身体中に悪臭を放つ出来物に悩まされる。大臣の一人である耆婆が釈尊のところに行き癒して貰うことを薦める。阿闍世王がジャングルの中を象の背に揺られて釈尊のところに向かってくる。すると釈尊の額の真ん中から放たれた光明が阿闍世王の皮膚の出来物をたちどころに治癒させる。

阿闍世王は耆婆に向かって問う「世尊如来は自分のことをこころにかけて下さっているのか」。それに対して耆婆はこう答える。「一人の人に大勢の子供があった。その大勢の子供のなかに病気の子が出ると、両親は子供たちに対して平等の愛情を注がないわけではないが、しかし病気の子にはとくに心をかける。それと同じく如来(仏陀になるひとつ手前の存在。その時の釈尊のこと) の心はもとより、一切衆生に対して平等であるが、とくに罪の程度の重いものに対しては一層の慈悲が生じるのだ」と。

 自分が罪人(悪人)であるという自覚がなければ本当の神の愛(仏の慈悲)に目覚める必要もない。罪人でなければ神仏は不要だ。これは聖書にも仏典にも通じる真理だ。



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(3)神の愛と仏の慈悲

「愛より憂いと虞れが生ず。愛を離れたる人には憂いも虞もなし」法句経二一二。仏教では愛を否定する。愛は欲愛であり渇愛であり、所詮は解脱を妨げるところの執着だから。でもこの仏教でいうところの愛はすべて自己愛に発すると考える点でキリスト教的な愛(主としてアガペー)とは本質的に異なる。自己を捨て他者のために行う無償の愛は、根底において少しも自己愛を含まない。なるほど異性愛(エロース)には、根底に自己愛が潜んでいるとしても、福音書やパウロの書簡に説かれるキリスト教的愛は自己愛とは無縁だ。そう言う意味でアガペーは独特である。私はエロースとアガペーの違いを説明するとき、A・ニーグレンの有名な対比も援用するが、もっと俗っぽく次のように違いを述べる。つまりエロース(勿論、プラトン的な意味ではない) というのは「いつでも可愛さ余って憎さ百倍」になる。数々の名場面、耳に谺する旋律(ハバネラ、乾杯の歌)で有名な歌劇『カルメン』。私は最後の場面でドン・ホセがカルメンを刺す所にギリシャ悲劇をみているような感動を覚える。あれは極限の愛(エロース)の表現だ。あれ程までに男が女を愛せるだろうか。あれ程までに現代人は情熱に突き動かされることがあるだろうか。それに対してアガペーは忍耐強い。現代においてキリストの愛を実践したマザー・テレサが、もしインドで狂信者から殺害されたら(勿論、現実にはそうでなかったのだが)、彼女は臨終に際してこう呟いたことだろう。「主よ、どうか、この人をお許し下さい。この人は自分のしたことが判・っていないのですから」と。

仏教では愛の代わりに慈悲を説く。慈悲の慈はサンスクリットのマイトレーアで、その意味はすべての人間に対する共感、深い理解。悲はカルナー苦しみだ。それ故、慈悲とは他者をその根底から理解し苦しみを抜く行為。私たちの苦しみを己が苦しみとして抜き取って下さる方が菩薩なのだ。このような仏教の慈悲の意味を知れば、あの北森嘉蔵師の『神の痛みの神学』や遠藤周作の『同伴者イエス』がなぜ日本の宗教的土壌の中から生まれたのか理解できるだろう。遠藤の『沈黙』という作品のなかで神がロドリゴに「踏むがいい、お前の足の痛みは私がいちばんよく知っている」と言う箇所がある。実際はそう語ったというより、ロドリゴの回想の中で神がそう語ったような気がしたのだが・・。たいへん感動したという人もあれば、最後まで神に沈黙を守って欲しかった。もし沈黙を破るのなら、我に従えとのみ言って欲しかったとか人々の反応は様々だ。司祭として踏絵を踏むべきでないという当為と他人の苦痛を見捨てられぬという人間としての憐憫による葛藤。あそこではあっさり憐憫が勝つ。小説作法から言えば、神が沈黙を破るにいたるプロセスの心理描写が必ずしも十分とは言えず、所謂「ため」がないのだが、あそこで遠藤が神に沈黙を破らせたこと自体はたいへんな快挙だ。何故ならロドリゴは自分の苦痛を免れるため(自利)ではなく、穴吊るしにあって苦しんでいる農民を苦痛から解放するため、全くの憐憫の情(他利)から踏むのだから。無辜の農民の苦しみを見捨てることによって手に入れられる殉教者の栄光。そんな栄光になんの価値があるのか。遠藤はそう言いたかったのだ。むしろ殉教の栄光もすべての名誉も奪われ女犯の罪さえ犯す、そのような惨めな境遇に落ちた己れを自嘲することなく、なお周囲の人々にキリストの愛を説く転び司祭ロドリゴ。そこに差し込む冬の日溜まりのようなしみじみとした神の愛。それは転び者でなければ判らぬ。遠藤はそれを見事に描いたのである。愛の一種である憐憫の行為が当為に勝さる。私はここに遠藤の文学者としての賭をみる。ここには遠藤が尊敬する芥川の『杜子春』が影響しているかも知れない。もっと明確なのは遠藤が小説を書く上で参考にしたグレアム・グリーンだ。『事件の核心』の中で、グリーンは妻と若い愛人に対する憐憫の板挟みから逃れるため自殺の大罪を侵すスコービーという主人公を描く。自殺や犯罪がらみのうさんくさい背景にもかかわらず、神父の口からスコービーは自殺を選んだけれども誰よりも神を愛していたことが述べられる。勿論、スコービーが神をより多く愛したが故にその罪は許されたことが暗示されている。

 石丸晶子氏の編訳『法然の手紙』(人文書院)のなかに上人が室津の遊女に示された言葉がある。遊女は自分の身すぎの罪深さを自覚して地獄に落ちなければならぬことを恐れる。それに対し上人は「遊女をしている貴女の罪障は軽くない。それは過去世からの因縁であるが、現在のあなたの罪障がまた未来の災いの種になるだろう。もし遊女以外の生活の手段があり、またそれを厭う気持ちが身命を省みぬくらい強ければ、この仕事から足を洗いなさい。しかし身命を捨てる気迄はないのなら、今のままでよいからひたすら念仏を唱えなさい。そうすれば阿弥陀如来は必ずあなたを極楽往生させて下さる。如来はあなたのような罪ふかい女性の往生のために願をたてられたのだから」と答える。それを聞いて遊女は安堵の涙を流して帰っていった。法然のなんという優しさか。

 イエスの頃に不幸な境遇の女性の職業は限られていた。義人として律法を犯す罪人を断罪することはたやすい。しかし神の眼からみれば人間はすべて罪人である。一人として罪を免れている者はない。流石にユダヤ人はこのことを深く自覚していた。だからイエスは「このなかで罪を犯したことのない者が先ず石を投げよ」と言われ、辺りに一人もいなくなると「私もあなたを罪にさだめない。今後は罪を犯さないように」と諭されたのだった。



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(4)求道グドウの厳しさ

 或る日、井上禅定師が言われた。「大拙は惜しいことをした。かきをくって亡くなったのだ」。それを聞いた私は早とちりして「柿はお腹が冷えますから」と石田三成の故事を想い浮かべて答えた。すると老師は「違う、違う。柿ではない牡蠣だ。大拙は牡蠣が好物だったのだ」と仰った。大拙ならずとも日本人で牡蠣を好む人は大勢いる。古代ローマ人も宴会で生牡蠣を盛んに食したようだ。私は日本各地の生牡蠣の美味しさも怖さも十分知っている。三十七年前にナポリ湾の生牡蠣を初めて食べた。日焼けした漁師のおじさんが殻を外し、レモンを絞って差し出したのをツルリと呑み込んだ味を未だに記憶している。

 さすがに牡蠣を食べて亡くなったと迄は書いてないが、大拙の死と葬儀の件は古田紹欽先生の年譜(『大拙つれづれ草』読売新聞社)で知ることが出来る。即ち、昭和四十一年七月十日早暁、九十六歳で腹痛発病、同十一日午前五時五分、築地聖路加病院にて腸閉塞のため死去。十四日東慶寺にて葬儀。八月二十九日に四十九日忌を営み東慶寺墓地に я窒ウる。故郷の金沢と高野山にも分骨されたが、東慶寺にある大拙の墓地と縁の松ケ岡文庫のことは当節、余り知られない。大拙と言っても段々、知る人も少なくなったのでここで

少し説明する。大拙は明治三年、金沢市に生まれ石川専門学校初等中学校(後の第四高等学校)に学び西田幾太郎とも同窓となる。西田とは後に共に東大哲学科の選科生として、生涯、心友となる間柄である。大拙は円覚寺管長釈宗演に師事し禅に励み、その釈宗演について渡米し講演の通訳をつとめ仏教文献を英文で著し、むしろ海外で知られるようになる。上田閑照先生によれば、大拙の英文による仏教についての著作や翻訳は、単に英語による禅仏教の紹介という類のものではなく、むしろ英語で禅を行うものであり、それはちょうど道元が『正法眼蔵』を著すことによって、日本人で初めて日本語で禅を行い得たことに匹敵するのであると。明治四十三年、学習院の教授となり東大の教壇にも立つ。大正十年、西田の勧めで学習院から大谷

大の教授に転ず。要するに大拙は戦前、欧米各地で日本仏教や東洋の霊性について講演を重ね、東洋の霊性に西洋人の眼を初めて開かせた人だ。

 その大拙のなんという本だったか今、思いだせないのだが、或いは大拙でなくて懐奘の『正法眼蔵随問記』( 第五の十二は似ている) のなかの道元の話だったかも知れない。とにかく昔、学生時代にサルトルの『実存主義とは何か』を読んだときに、ああサルトルも禅に触れたことがあるのだなと思ったのだ。因みにS・ヴェイーユは大拙を読んでいたと大拙

自身が述べている。サルトルの話はこういう内容である。母ひとり子ひとりの親子があった。その子供(息子)は抗独のパルチザンになりたいのだが、彼がパルチザンになろうとして家を出ると、老母の面倒をみる者がいなくなる。さりとて彼が母の面倒をみるためにそのまま家に留まるならば、抗独運動に身を挺することは出来ない。いずれにしてもこちらをたてれば、あちらがたたず、というジレンマに陥るというものである。

 他方、禅の方の話というのは、老父の面倒をみている一人息子が出家しようと一念発起するが、彼が出家して求道の道を歩めば老父を見捨てざるを得ない。しかし逆に老父に最後まで孝養を尽くせば今度は自分が年老いてしまって修行を積むことが出来ない。さていったい自分はどうすべきかという難問である。

 日本人で臨済禅を極めた、かの夢窓国師は『夢中問答』の中で「小慈は大慈の妨げとなる」と小慈を戒めているが、禅のほうの話には次のような回答が示されていた。即ち、どちらも大切な選択肢なので、いちがいにこうしろああせよとは言えないが、ただひたすら自分の進むべき道を祈り求めよ。そうすれば必ず道はひらける。ひたすら祈り求めることによってのみ、希望は叶えられるというものだったように記憶している。

 キリスト教、仏教を問わず人生の一大事に際しては、とるべき道を神仏に真剣に祈り求めること。そうすれば、神仏は必ずこれに答えて下さる。人生の一大事においては法律や世間道徳や人情よりもさらに優先させるものすらあり得る。大事なことは普遍的な法則で一律に個別的ケースを割り切らないことだ。大事な問いはひとつひとつ答えが違い、その意味が違い、ふたつ同じものはない。そこで問われるのは、その人の全人格的な取り組みの姿勢だ。ジレンマというかアポリアというか、どちらを選択しても大変な困難に遭遇する上のような問いに対しては、分別智でその問いの解答をみつけようとしても無駄だ。ただひたすら祈り求めること、祈り求めるプロセスそのものの中にしか正答はない。

生意気にその際に参考になることをここに記せば、それは自己を捨て去る決意である。老父の孝養と出家の選択では老父を見捨てられぬという自分の気持ちのなかに、よくみると世間体とか出家することに対する不安のようなものが見え隠れする。じつはそれがその問いを解答不能な堅固なものにみせている。それに気がついたらさっさと老父も家族も捨て去ることだ。釈尊は二三〇〇年前にそれをされた。じつはイエスも同じことを仰っている。「我に従え」とイエスが言われると、その人は「主よ、まず父を葬りに行かせて下さいと言った。イエスは「死者をして死者を葬らせよ。あなたは行って神の国を言い広めよ」また別の人も言った。「主よあなたに従います。しかし先ず家族に暇乞いさせて下さい」するとイエスは「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は神の国に相応しくない」と言われた。悩んで悩み抜いた最後には自己を放擲する。それが禅家の言う大死一番だ。



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(5)仏教の空と無、仏教はニヒリズムか

 仏教では無常アニカとか無我アナタンとか言う。この無はギリシャ語の否定の接頭辞アと同じだ。この時の無はあくまで、在るもの・右揃え・(常住、自我) がないという意味で、本源的な虚無の主張ではない。さらに言えば二元論的対立の否定だ。大乗仏教の中心的教理は空クウだから仏教では空や無という言葉がとかく多く使われる。因みに『般若心経』という短いお経の中で無という言葉は何回出てくるか。小乗仏教に説一切有部なる学派があるが、その学派は文字通り、ありとあらゆる存在の有ウ(実在性、実体)を主張する。故に『大毘婆沙論』の中で三世実有論サンゼジチュウロンを展開し「もし過去、未来が実在しなければ現在もまた無い。…もし三世が無ければ一切法無く、一切法無くば解脱・涅槃もない。しかし解脱・涅槃が無いというのは馬鹿げた考えだ。故に三世はある」と論証する。これは西洋論理学で言う帰謬法 reductio ad absurdum による証明である。

 有部は有を肯定しているが、大乗仏教になるとニュアンスが違ってくる。例えば二〜三世紀、中観派の龍樹ナーガールジュナは有もそれの否定の無もともに観念上の戯論ケロンで実相ではないと否定する。即ち龍樹によれば真理は有無の相対性を離れた平安な寂滅にある。その後の唯識説の主張も我々の認識を離れ独立した所に実体としての外的存在はないという、一種の観念論である。

 無はこのように有の否定であり、空はさらに積極的な世界観・哲学である。それは煩悩から開放され解脱の境地にある状態、心が一切の執着から解き放たれた状態である。たしかに空と言う概念はサンスクリットのプリミティヴな意味ではシュンヤ空(何もない、何かが欠けている)を意味するが、大乗仏教の中心的教理としての空は何もない、空っぽであると言う形而下的な意味ではなく、何物にも実体がない、即ち人間の自己のなかに自我という実体がない(人空)、またすべての存在は因縁によって生じたのであるから、存在それ自体のもつ固有の性格(自性)をもたない無自性ムジショウ(法空)を意味する。

 一代の碩学、井筒俊彦先生はここのところを、我々の意識と言語の働きを手掛かりに分かりやすく『意識と本質』岩波書店の中で説明されているので以下に引用する。

 「様々に文節された事物の世界の中に…それらの事物の存在中核に、それぞれをひとつのものとして凝固させる本質を認めない…それらはただそういう形で現れているだけであり、本当はないものであり、いわゆる本質は虚構である。ここに大乗仏教特有の徹底的な本質否定が、本質虚妄説として現れてくる。『般若経』以来、ナーガールジュナ龍樹の中観を通って唯識へと展開する大乗仏教の存在論の主流の、これが中枢的テーゼをなす空観である。注目に値するのは、仏教のこの空観的存在論の構成においても、さきほどから問題にしてきた言語の本質喚起的機能が重大な役割を担わされているという事実である。本質などというものはどこにも存在しない。そのないものがあたかもあるかのように見えてくる…『この故に一切の法は言説の相を離れ名字の相を離れ心縁の相(意識の対象としてのあり方) を離れ、畢竟、平等』と『起信論』がいっている。究極的境位まで追い詰めて観れば何の差別もないという。すなわち絶対無文節ということだ。こうしていわゆる本質は実に完膚なき迄にその虚構性を暴露され徹底的に実在性を否定されてしまう。」

  さらに私が付け足せば絶対無文節(無意識)の世界では主客は不二である。道元のいう身心脱落すれば主観と対象世界の区別はない。道元でなくとも遊行上人一遍が法燈国師に示した歌のなかにも見事にその境地が表されている。そこにはもはや自力と他力の区別はない。あるのは浅原才市の言うただ一面の他力ばかりである。「唱うれば、仏も我もなかりけり、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」。一心に弥陀の名号を唱すれば、いつのまにか唱えている主体も唱えられている客体の別なく、あるのは只無量、無碍の光ばかりである。 ところで仏教の中で特に空を重視するのは禅宗だ。それ故、ここで『般若心経』の中でも有名な一節「色即是空、空即是色」を取り上げよう。これはただ諸々の感覚で捉えられる物質界は空である(実体がない)という意味を述べたに過ぎない。有形・無形のすべての存在に我々は名前をつけ概念規定しているが、それらすべては本性上、実体のないもの(空)であるから、それらの名称も概念もみな虚構にすぎぬと言う意味である。因みにそれに続く箇所も大要を述べるとこうだ。即ち感じたり知ったり意欲したり判断する精神の働きもまた空である。このように物質と精神のすべてが空であるから、事物の生滅も、きれい汚いも、増減もない。空の中には肉体もなく、また諸々の精神作用もない。小乗仏教では老死という苦悩の原因は人間の根源的迷妄(無明ムミョウ)にあるとし、無明をなくせば苦悩も消滅すると説き、これが十二縁起という小乗仏教の教理であるが、すべては空であるので空の中に、この無明や老死もない。また小乗仏教には四諦シタイ(四の真理)があるが、この四諦にこだわる必要もない。大乗仏教では悟りを開いてもその悟りに執着する必要が無いからである。こういうふうに「一切がないない尽くし」であるので、門外漢は無を虚無主義ニヒリズムと早とちりするのだ。最後にあの「ギャアテイ、ギャアテイ、ハーラギャアテイ、ハーラソギャアテイ、ボジソワカ、ハンニャシンギョー(彼岸に達したとの意)」という真言マントラが続く。子供ごころに坊さんがギャアテイ、ギャアテイとやりだすと足の痺れも、もう少しの辛抱とばかり元気を取り戻したものである。



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(6)日本的霊性、その1「茶道」

 十九世紀から二十世紀のイギリスにR・キップリングと言う文人がおり、『ジャングルブック』という本で日本でもその名前はよく知られている。その人の詩に「東は東、西は西…。両巨人は決して相まみえることはない」というのがある。詩というと一般に多感な青年期の浪漫的な手すさびというように思われがちだが、西洋ではいささか事情が異なる。

 それは叙情詩についてであって、こと叙事詩に関してはグレコ・ローマンのものであれ、近世ヨーロッパのものであれ、どうして雄渾な男性的なものばかりである。考えてみれば我国でも明治以来の西洋的な自由詩には浪漫的なものが多いが、万葉以来の和歌の伝統を顧みれば、もっと骨太の形式であることが分かる。かつて三島由紀夫は毎年初に行われる宮中の歌会初めを評して他国に類をみない国民的文化行事であると指摘した。国民の約一割もの老若男女が宮中の歌のコンテストに応募するのである。なんというすそ野の広がりか。なんという詩歌の伝統か。このことも日本的霊性とじつにふかく関わっているのであるが、それは後で扱うとしてここでは、この東西の対比という話をもう少し続けよう。

よく西欧の物質文明対東洋の精神文化というようなことが言われる。戦前はドイツ観念論の強い影響下で、(物質)文明対(精神)文化という対比が持て囃されたらしい。そしてそこに更に西欧と東洋がくっつく。しかし精神的文化がけっして東洋の専売特許でないのと同じく、物質文明もまた西欧の専売特許ではない。どちらも長い精神文化と物質文明を誇った時代をもつ。しかし誤りはその組み合わせの陳腐さと根拠のなさだけではない。

 その括り方にもまた大いに問題があるのだ。すなわち西欧というのがグレコ・ローマンの伝統(ヘレニズム文明)やキリスト教で一つに纏まっている(だからE・U・も可能なのだ)のに対して、東洋というのはあまりにも膨大多岐でとても一括りにはできないのである。例えば東洋というとたぶん、地理的にはトルコ(小アジア)から以東の全地域、即ち中東、インド、中国から極東の日本までを指すと思われる。しかし六、七千年前から最古の文明を担い十二、三世紀には世界最高の精神的物質的文明を誇った中東のアラビア、五千年の歴史を誇る多様そのもののインド、さらにそのインドに勝るとも劣らない歴史と広大な版図をもつ中国とをどうやって一からげにしようというのか。所詮無理な話である。だから私はヘロドトスがギリシャとペルシャとを対比するのには意味があったと思うが、現在、西欧と対比する形で余りにも軽々に東洋対西洋などと言われると、まったく困惑してしまう。だからこの際、西欧のことを念頭におきながらも、日本一国の霊性について、それも近世日本の霊性を表現する文化の形態「茶道」を通じて語ろうと思う。

  十六世紀から現在までイエズス会では日本的霊性を最もよく表すものとして茶道を捉えている。日本各地の修道院の中には必ずと言っていいほど茶室があり「和敬静寂」の四文字が掲げられている。大拙とともにハーバードで講演した、西田の高弟、久松真一は超一流の学者であるとともに現代における最高の趣味人(数奇者)でもあった。その久松は日本文化のなかに凝縮されている禅の精神を侘茶のなかに見る。即ち「茶道仏道一如なり」だが、そう言う意味でいま『南方録』の次の件をみてみよう。「茶の道かと思えば、即、祖師仏の悟道なり。水を運び薪をとり湯をわかし、茶をたてて仏にそなえ、人にも施し、吾ものむ。花をたて、香をたく、みなみな仏祖の行いの跡を学ぶなり」『南方録』覚書。武野紹鴎はこの侘茶の心が定家の次の歌によく表れていると言う。「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」。浦の苫屋は無一物の境界を表すという。紹鴎を師と仰ぐ利久は家隆の次の歌で補完する。「花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春をみせばや」。ここで俗流の解釈を少し踏み出してみよう。先の歌は秋の夕景色の中には華やかな桜花(秋に桜と紅葉が同時にある筈がない。従ってこの歌は秋の景色による無常を歌ったものではなく、当時の仏教思想、殊に天台の虚空中三諦論で解釈すべきか)も紅葉もない。見えるのは唯、一軒の茅屋のみ。その茅屋も夕暮れの闇の中に沈みこんで行く。

後の歌は、花の季節を待ち焦がれている人には、一切が雪に埋もれている山里(浦の苫屋と同じく侘しい所)の雪の下から緑の草が顔を出そうとしている。それによって告げられる春の到来をこそみせたいものだ。これらの歌は二人の茶の湯の違いをも示している。紹鴎の侘茶は侘そのもの、利久の茶は侘寂のなかにも華やぎがある。このように茶道も、そしてここでは言及しないが能楽という芸能にも、日本的霊性の源泉たる禅仏教が通底している。さらに言えば、この日本的霊性を最高度に表現するものは和歌であり、その短詩形としての俳句だ。日本人にとって自然とは周囲の自然的・物理的環境の謂ではない。それは日本人の心を写し出す鏡だ。長い間、日本人は和歌(俳句)を通じ、自然の移ろいとともに自らの宗教的境地をそれら自然(雪月花)に託して表現してきたのだ。

「春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり」。夏の郭公ホトトギス、雪のすずしかりけりに、道元らしさがある。この歌は道元の心境を恰もハイビジョンで捉えたかのようだ。次に芭蕉の句を二首、掲げる。「一家に遊女もねたり萩と月」。この句にシュールレアリズム風の面白さを感じるのは私だけだろうか。若い二人づれの遊女と旅の途上で同宿する僧形の芭蕉と曽良。ふと庭を見ると皓々と照らす月光にこぼれる如き可憐な風情の萩がある。この句を見ると私は芭蕉の句の特徴である諧謔味を先ず感じる。



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(7)日本的霊性、その2「歌道」

越後・越中の旅の途上、一振で同宿となる遊女が自分たちだけでは心もとないので、どうか後について行くことをお許し下さい、大慈の恵みを垂れ仏道に心開く切っ掛けとさせ給えと懇願する。芭蕉が必ずや神仏のご加護がありましょう。しかし同行の件はお断りしますと述べた後の作となっている。実際にはフィクション( 曽良のメモにはない) かも知れぬこの句には人間に対する共感と不憫を敢えて拒絶する芭蕉の覚悟とを感じる。ものの本には「会者定離」エシャジョウリ云々と記してあるが、私にはむしろ芭蕉のこの旅に対する覚悟、夢窓国師風に言えば、大慈のために小慈を捨てるという覚悟を感じる。

「やがて死ぬ気色もみえず蝉の声」。蝉の旺盛な生命讃歌の前には死の影など微塵もない。しかしこの世における一切の事物は飛矢の如く素早くうつろう。無常迅速である。また激しく強い生命讃歌の只中にこそ蝉の儚い生の終わりが潜む。メメント・モーリ死を忘れるな。芭蕉の胸中には蝉に自らを重ね「無常迅速、生死事大」が去来していたことだろう。「なにごとにおわしますかはしらねども、かたじけなさになみだこぼるる」と日本人一般の「聖なるもの」Das Heilige に対する気持ちを歌った西行は、この芭蕉によって「笈の小文」の中で「西行の和歌における….雪舟の絵における、利久が茶における、その貫道する物は、一なり」と評される。勿論、芭蕉自らそこに連なる自負を持つ。

平安末から鎌倉期に興隆した仏教は日本的霊性の中核にあり現代迄、影響している。私たちが路傍の虫を踏まぬように歩くのも大袈裟に言えば輪廻転生を信じているからだ。遠藤の『海と毒薬』で聖職者の役割を果たす女性、阿部ミツが親鸞の『和讃』を唱えて病友の死の不安を鎮める。日本における仏教の浸透ぶりを知っていれば、『菊と刀』のR・ベネディクトも日本の「恥の文化」対西洋の「罪の文化」という図式で日本人の精神性を一刀両断することはなかったろう。また、柳田国男が「およそ日本人くらい朝夕、つみという言葉を口にした国民もないだろうに」と皮肉っぽく反論することもなかった。

さて日本的霊性にどうやって信仰の火をつけるか。それが問題である。ここで参考になるのは、ザビエルが布教の可能性に関してヤジローから得た答えである。ザビエルは「自分たちが日本に行って布教したら沢山の日本人がキリストの教えを信じるようになるだろうか」と尋ねた。それに対してヤジローは次のように答えたという。「日本人はすぐには信者にならないだろう。日本人は知識を大事にする国民だから、先ず神父がたの知識の深さが試される。人知に関すること、自然の理に関すること、日本人の質問に明確に答えられなければならない。次に聖職者が信者に教える通りの生活をしているか、つまり言行一致が問われる。そして三番目には領主や国王がその教えを信ずるようになれば、多くの日本人は信じるようになるでしょう」

私はこれは今でもそのまま通用する布教の要諦だと思う。日本人は階層、職業、教育程度の差異にかかわらず知的水準が高い。だから宗教者として尊敬され、教えを広めるためには先ず、日本人以上に知的能力が必要だ。と言っても日本人以上に漢字が読めるとか、日本仏教に詳しいことが要求されるのではない。聖書の譬え話を学問的蘊蓄と体験的理解の両方から、真摯に淡々と語って下さればよい。次に聖職者の言行一致が問われる。黙々と模範を示すこと。N・ホ─ソンの『緋文字』はピューリタニズムに対する一種の皮肉だそうだが、あそこには信仰の真理が描かれている。女主人公は姦淫の罪のために村八部になるが困窮者に黙々と手を差し伸べて菩薩行に励み、ついには周囲の人々から慈悲の女と迄、尊敬される。改悛、滅私的な、崇高なまでの牧師に対する愛により彼女はついに聖女に等しくなる。そのような黙々たる菩薩行こそが仏教、キリスト教を問わず日本の宗教的指導者には大事なのだ。

最後のは十六世紀、日本の歴史的状況によるものであり、これは同時代のヨーロッパ(宗教改革時) の領主・国王と領民の間の信仰の関係と同じである。領主がプロテスタントになれば領民もなったし、国王がカトリックに再び改宗すれば国民はやがてまたカトリックになったのだから。むしろここのところはこう解釈したらよい。日本人は教義上の優劣ではなく(仏教でも教相判釈−−教えを批判的に比較し選ぶことはある) 教えを信奉している人の人格や徳により判断するのである。「教義の内容は(面倒くさくて) よくわからないが、あの方がそう仰るのだから信じようではないか」。それが日本的信仰入門の姿だ。と言うことは我々信者や聖職者が黙々と社会に対して模範を示せということになる。

禅はつまるところ「己事究明」(自分さがし) に始まり「己事究明」に終わる。そのたどりつくところは「調己丈夫」(己を頼みとすること) である。キリスト教の信仰も先ず自分とは誰か、本当の自分に出会うことから始まる。近藤雅弘師の近著『私とは誰ですか』を読めばそうだし、グリフィン師の養成講座でも入門者は先ず自分を知り、ありのままの自分を受容することから始まる。となればキリスト教も禅仏教もつまるところは同じと言える。日本人は今、自分がもっているもの、と言うより自分自身が日本的霊性という宝物に埋もれているのに気づいていない。恰も洪水の中で水が呑めないようなものだ。日本的霊性、しかしそれは決して外形を指すのではない。信仰から生活迄、日本的霊性における真理は一言で尽くせば無、空、「無一物中、無尽蔵」なのである。



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(8)日本的霊性、その3「師家」

 日本人は純粋に教義上の優劣ではなく、その教えを信奉している人の人格や徳によってその教えの価値を判断する。つまり「あの方がそうおっしゃっているのだから間違いない。教えの内容はともかく、あの方がそうおっしゃるのだから信じよう」。それが日本的信仰の特徴だと思う。そう言う意味では日本人は教義や宗教的理論のもっている体系美や言表された真理の効力よりも、師から弟子へと文字を介さず(不立文字)体験的に伝えられる真理の方(教外別伝)を重視するようだ。しかし古代のイエスと弟子の関係を見ていると、やはりそうだったのではないか。懐疑家のトマスはイエスの傷痕に触れると翻然としてイエスの復活を信じたし、かつてイエスの上京のもつ意味をそれほど深く理解していなかったときでさえ(それを言えば、イエスの弟子の誰一人、生前にイエスの死に終わる使命の意味を理解していた者はいない)、「イエスの行く所にどこにでもついていき、ともに死のうではないか」と言っているのだ。意味はわからないが、師イエスに殉じようとするのだ。

禅宗はじめ日本仏教では師弟の関係は重視される。だからキリスト教においても多くの信徒、そして私自身もやはり聖職者の徳に魅かれる。そう言う意味では、私たちの周りには数多くの有徳の師がおられるが、とりわけ奥村一郎師はキリスト教と日本的霊性を考える上で、先ず第一に挙げられよう。著作や講演によって存在を存じあげていたのだが、実際に謦咳に接する機会を得たのは2000年(大聖年) のファチマ・ローマ巡礼の時である。旅の途上のごく早い時期に大テレジアで有名なアビラで相見の機会に恵まれた。

 その頃、私の心の中には大きな疑問があった。昭和40年代の中頃に私は渋谷のドミニコ教会で教会学校の校長をしていたのだが、疑問とはその教会学校での体験に由来する。小学校高学年クラスで初聖体の準備の時間だった。私が「ご聖体とはイエス様の体です」と言ったところ「それじゃあ、人食い人種だ!」とある学童が喝破した。その言葉は私の心の底に永い間、沈んでいたが、最近になって疑問として浮かび上がって来たのだ。

 奥村師は一言「大事な問題ですね」と呟くと、直ぐに私を小部屋へ招き入れ話をじっくり聴いて下さった。日本でも古来、超自然的な霊威に対して生贄を捧げること、供犠の習慣(人身御供人柱) はある。古代のギリシャと同じく捧げられる生贄動物は生きた動物から米(小麦)の粉で作られた餅に変わったが今でも収穫物を供えることはその名残である。しかし地中海世界で行われていたように生贄動物を屍り、その血を完全に抜いた後に火に炙り神(神々)に捧げ、しかもその肉を陪食する習慣はない。イエスが最後の晩餐の席上、パンと葡萄酒を祝別され、ご自分の肉と血であるとして、その後のミサにおける聖体祭儀のモデルを制定されたときに、お弟子たちは暗にイエスが生贄の小羊として、まさに祭壇上の犠牲獣に擬されていることを意識しただろう。「以後、私の記念としてこれを行いなさい」。レヴィ記によればユダヤ人が動物の血を飲んではいけない理由は「血は(その動物の)生命」だからである。逆に言えば、イエスの血を飲むことは、その生命そのものをいただくことであり、その体をいただくことはその聖なる生命に与かることである。だからこそ永遠に死なずに生きると言われるのだ。それは理解できる。しかし問題はその聖変化させられたパンが象徴ではなく、文字通りイエスの体である点なのだ。恰もイエスの体である「かのように」振る舞うことならば、つまり象徴として受け取ることは出来る。しかし師は「いいえ、象徴ではありません」と明言された。しかしそうならば、文字通りイエスの体で、それは食人カニバリズムだ。勿論復活されたイエスの体は生前の人間としての体ではないと言う解釈(パウロならそう言うだろう)もあるだろう。奥村師は「難しいが大事な問題ですね。しかしそれは神秘なのです」と仰ったように記憶している。

 私の素朴な、十歳の児童のような質問を師は正面から受けとめて下さった。解決するよりも、とにかく受けとめて下さる方を私は欲していたのだ。その時いらい、私は師のお供をして毎年、巡礼に参加したり黙想会でご指導を仰ぐ。その中で私が特に忘れられないのは2001年の10月の巡礼だ。9・11テロの直後だけに私自身も家族の強い反対にあった。巡礼そのものが中止になるかも知れない。いっそ、その方がいいのだ。誰もが迷った。どんどん出発の日は近づく。しかし不思議な事に三、四日前になると迷いは一切なくなった。明鏡止水の境地である。成田に集合しルルド(私は近代合理主義の哲学の徒であるから、それ迄ルルドには些か縁が薄かった)アッシジ、ローマへの巡礼に旅立った。病欠の一名を除いて最初の申し込み時から一人も欠けなかった。この師と一緒なら死んでも本望であると誰もが思ったに違いない。帰国後に上野毛迄お送りした時、神父様との付き合いが長いもう一人の方から伺った。一時は神父様も血の汗を流して判断に苦しまれたそうだ。大勢の信徒の生命に関わることなので責任感から中止の選択もあった。「中止はしかし、旅行社の方の生活がかかっていますからねえ」と仰ったそうである。出発の直前迄、文字通り皮膚から血の汗を流し、どうすべきか神様に祈られ、ご自分の体調まで崩して、しかも、巡礼の途上でそれをおくびにも出されない師。食卓においては壮年を凌ぐ健啖家、ミサの司式においては謹厳実直、人々に混じっては談論風発たえず微笑を絶やさぬ度量の人。自己に厳しく他者に優しい修道者。日本の土着性と東西の最高の知性の組合せ。仏、伊への巡礼の間中、侍者もどきを勤め、つねに師の傍に侍った至福の十日余であった。



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(9)キリスト教的霊性、その1「聖霊の働き」

 師の入滅を前に「私たちはこれから一体、誰をたよりにすればいいのですか」と嘆く弟子たちに釈尊はこう言われた「これからは人をたよりとするのではなく、ただ法ダルマ(永遠の真理) だけをより所とせよ」と。移り行く人間ではなく法(永遠の真理) こそ究極的より所にせよとは如何にも理性的な(宗教と言うより) 哲学の最高の師たる釈尊に相応しい言葉である。同様にキリストの弟子たちも主が御父のもとに行かなくてはならぬことを告げると激しく動揺した。しかしキリストは優しくこう告げられた「心を騒がせるな、神を信じなさい。(自分は父のもとに行かなければならぬが自分が去った後も) 父なる神に自分とは別の弁護者パラクレートスを遣わしていただくようお願いしよう。その方は永遠にあなたがたとともにいる真理の霊「聖霊」である」と。(ヨハネ14:16〜17)

キリストは続けて、その聖霊を世間は受けいれようとしないが、キリストの弟子たちやキリストを信じる人達は彼らのなかで聖霊がいつまでもともに働き続けることを理解するだろうと。すなわちキリストはその生前の言葉や自らの残した「互いに愛し合うように」という教えのすべてを、父なる神がキリストの名によって遣わす「聖霊」によって弟子たちに悉く思い起こさせて下さることを約束されたのだ。このように生前に自分の去った後のことを心配し「おまえたちを孤児にはしない。自分は必ず戻ってくる」と復活を約束され、しっかりとそれらの約束を成就されたキリストに対して弟子たちはどんなに心強く感じたであろうか。ではキリストが遣わすことを約束された「聖霊」とは何か。また私たちはそれをどのように体験的に知っているのだろうか。

神の「実体」とか「本質的存在」と言われてもピンとこない私たちにも、私たちの内に働く「聖霊の働き(機能)」と言うと比較的わかりやすい。これも私たち日本人が抽象的概念の極みである「唯一神」という存在を理論的に把握できないと言うのではなく、むしろ私たち日本人が仏教的な空クウ(すべては関係性によって成立っているので、すべての存在に固有の本質・実体を認めない)という発想に慣れているからではないだろうか。つまり、私たち日本人は「存在」について議論するよりも、或る「前提」を真理だと仮定し、そこから演繹的に議論を展開しその議論の展開に破綻がなければよいとする。その「前提」は、だから言うなれば「作業仮説」みたいなもので絶対的に真なる前提とはしない。議論の展開は精緻で見事な迄に論理的、整合的なものではあるが、(もしそうでなければ、日本人が数学の分野や理論物理学の分野で優れた業績をあげられる筈がない。余談ではあるがアインシュタインやハイゼンベルクよりも、ある意味ではもっと秀れていたとも言われるボーアは囲碁に大変な興味を抱いたと言う) 議論の中核に据える最初の「仮説」の実在性にはあまり頓着しない。さらに言えば日本人が存在よりも機能を重視するのは、日本人が民族としてプラグマティスト(論理よりも経験的実用性を重んじる哲学の徒)だからとも言えよう。それが何であるかと本質的存在について侃々諤々の議論をするより、それが巧く機能するかしないか(私たちが生かされているか)。理屈では不分明ながら、もしそれが有効であればよしとする考えの持主だからではなかろうか。

存在論的に語られた神を私たちは西欧中世の哲学や神学の概念による信仰上の教理として受けとるが、本当に実感するのはキリストを信じる私たちが二人、三人と集まり互いに愛し合う時、そこにキリストがおられ、愛の教えを実践する人々の行為の只中に「聖霊」が働いていることである。それはちょうど、空気の存在はふつう眼に見えないが、梢が風に揺れることは眼に見える。したがって梢が揺れることによって、眼に見えない空気の存在が分かるというのと同じである。しかしここで注意しなければならぬことがある。それは私たちの内に神(聖霊) が働くという時に神をあまりに内在化して把握しては危険だということである。現代人である私たちは、ともすれば神の存在を内在的に心理学等の合理的な言葉で語りがちである。現代人はその思考方法において科学的、合理的であらねばならぬが、同時に科学には明確な限界があること。ハムレットの、友人ホレーショに対する科白ではないが、この天地の間には我々の与かり知らぬものが多くあることも・弁えねばならぬ。そしてなによりもすべての救いは人間の内部ではなく、外から、神から来ることを忘れてはならぬと言うことである。つまり神を人間の心の中の良心と置き換えることは陳腐なモダニスティックな誤りである。人間の良心を神と代替することは出来ない。人間の良心はどんなに崇高であってもやはり限界を持つ。20世紀の二つの大戦、アウシュヴィッツを初めとする民族大虐殺、原爆投下、世界中で現在も続く圧政や拷問という、人間の犯す言語に尽くせぬ愚かな行為を未だに繰り返している我々はそれを忘れてはならない。すべての救いは人からはこない。人間は小さなものである。人間が偉大なもの、素晴らしいものであり得るのはただ神から力をいただいたときだけである。「互いに愛し合うように」教え、しかし愛し合えぬ人間を愛し合えるようにと少しづつ導くことの出来るのは人間ではなくただ神ひとりである。ここにヒューマニズム(人類愛) とクリスチャニティー(キリスト教) の違いが存する。キリストが「(私が去っても、私の代わりの弁護者を遣わし、私の教えをいつもあなたたちに思い起こさせ)私はあなたがたに私の平和を残し、あなたがたに私の平和を与える。(ヨハネ14:17)」といわれたのはこのことである。



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(10)キリスト教的霊性、その2「復活」

クレタ島にはラザロの墓があるという。それは単なる伝承だろうがイエスによって一度は蘇ったラザロも結局、最後にはまた死んだと言うことで興味深い。ここでラザロの蘇り(蘇生) とイエスの黄泉帰り(復活) とは異なるものだと注意を喚起しておかなくてはならない。ミサのなかで私たちは「神のひとり子、主イエスキリスト・死者のうちから三日目に復活し・」と使徒信条を唱える。このときの復活は単に蘇生したということではない。イエスキリストは二度と死なれることはないのだ。パウロの「コリントの信徒への手紙(一手紙十五章)」のなかで、「霊の体」の復活を遂げられたイエスキリストは二度と死なれることはなく、そのキリストにあやかって私たちもまた「霊の体」の復活を遂げ、永遠の生命を戴くことが述べられている。「霊の体」とは一寸、聞くと「丸い四角」のように形容矛盾に聞こえるが、要はパウロに言わしめれば来世における体は現世における体とは違うということだ。それ故、福音書の中で復活して弟子の前に現れたキリストが焼き魚を食べたりされると、当時の人々には生き生きした説得力があったとは思うが、現代の私たちにはむしろ当惑の種になる。復活の体(霊の体) は現世の体と同じではないと言い切った方が分かりやすい。いずれにしてもヨハネによる福音を繙くとイエスを信じるならば、私たちは永遠に死なないことが保証されている。つまり洗礼の秘蹟によってイエスの再生に与かった私たちは、その死においてもまたイエスの復活に与かるのである。言い換えるとイエスキリストを信じることによって復活されたイエスから永遠の生命を戴くのだ。

 いずれにしても復活という奇跡をそのまま素直には信じられぬ私たち現代人も、インドにおけるマザー・テレサの奇跡的活動は信じられる。あのような働きを奇跡と呼ばずしてでは何と形容すべきか。マザーがカルカッタの路上で死にいく人々の人生をその最後の瞬間に意味あるものに変化させるのも、彼らが神の恵みを感謝し病や貧困でボロボロになった体を神の栄光の体に変化させるのも、只キリストの「復活」の奇跡によるのである。すべてはキリストの「復活」を信じるマザーのうちに聖霊が働くことによって可能となる。毎朝、ミサに与かりキリストのご聖体と御血を戴きキリストの「復活」を感謝と賛美のうちに確信し、体の隅々まで聖霊の力で満たされて再び路上の最も小さい人々への奉仕へと向かう。この時、マザーのなかにイエスが「復活」されたのだ。2000年前の愛の実践が現代に再現されたとき、イエスがマザーのなかに「復活」されたと言えないだろうか。

遠藤周作に『死海のほとり』という小説がある。『沈黙』の後の七年間を遠藤はこの作品の準備に費やし7回もパレスチナに渡った。後に一本『イエスの生涯』に纏められた連続エッセイの中に、2000年前の死海のほとりでおきたイエスの事跡に寄せる遠藤の思いが述べられている。『イエスの生涯』を読むと遠藤は聖書の奇跡について徹底した非神話化を行い、他の聖書的事跡に対してもイエスの同時代人にそれがどう受け取られたかという実存論的解釈にのみ真実を認めていることが読み取れる。堀田雄康神父のように「この小説は言わばブルトマンの非神話化理論の受肉化である」「対談集日本人はキリスト教を信じられるか」と言っても的外れではない。しかし遠藤の無力の人イエスはもとを正せば第2イザヤの「苦難の僕」から来ているのでありモダーンな聖書批評を真似たものではない。かくして「無力の人」が死を境に奇跡の人になる理由は実証的には最大の謎である。学問的にイエスの「復活」について納得のいく解決はない。そこで遠藤は「復活」を小説の形で提示してみせた。永遠に解けぬ謎だからこそ小説家の想像力で肉迫する。現代の哲学者や聖書学者ならば「語りえぬ所では沈黙する」のだが、遠藤は想像力でそれを超えたのだ。

 『死海のほとり』の粗筋はこうである。遠藤の分身とも言うべき中年の小説家がヨーロッパの帰途パレスチナに立ち寄り、永い間の自分の中途半端な信仰にけりをつけようとして、イエスの足跡のなかに事実を探そうとする。つまり聖地に滞在する旧友の聖書学者戸田に導かれ、作家はイエスの足跡を辿り、イエス「復活」の謎を探ろうとする。謎とは生前にまったく無力だったとしか思われないイエスの死後に、あれ程、弱虫で裏切り者だった弟子たちがどうしてあそこまで強くなれたのかその秘密である。イエスの死と復活以外に手掛かりはない。しかしそれではイエスの「復活」とはいったい何なのか。

 『死海のほとり』にはイエスを見倣う二種類の愛の行為が述べられる。一つは旧大戦中にナチスの強制収容所で若い男の身代わりとなって死んだ一人の神父(実在のコルベ神父がモデル) のイエスの愛の実践であり、もう一つは前作『沈黙』のキチジロー役に当たる「ねずみ」という仇名の修道士がイエスの愛によってちょっぴり聖化される話である。身代わり死を遂げた神父も戦時中に寮の舎監をしていた神父もともに『沈黙』の所謂「強かもん」であって、彼らに共通する行為の手本は2000年前のイエスの愛の行為である。他方、「ねずみ」は小心で、前者の如き自己犠牲的行為は到底出来ないが、「同伴者イエス」によってちょっぴり強められ、イエスの愛の行為の真似事が出来るようになる。主人公の作家と戸田は「ねずみ」の最後の様子を知るためにキブツの医者のもとに車を走らせながら、イエスが2000年前にモデルとならなければ、そのような二つの自己犠牲的行為は到底、人間にはできないだろうと言い、「復活」とは結局、人間がそういうイエスが示された愛の行為を受け継ぐということかしらんと呟き合う。私の復活観も今のところそうである。



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(11)キリスト教的霊性、その3「主の祈り」

 キリスト者の祈りのなかで最もよく知られミサや礼拝のなかで必ず唱えられる祈りがこの「主の祈り」である。福音書ではイエスの弟子の一人が「主よ、洗礼者ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えて下さい」(ルカ11:1) とイエスに乞う。文脈から察すると、この出来事はイエスが何人かの弟子とともに、それまで属していた兄貴分の洗礼者ヨハネの所を出て独自の分派活動を始めた頃のことと思われる。

史的にはパリサイ派の敬虔主義ハシディームのラビ(ユダヤ教教師) だったイエスは、代々ユダヤ教に伝わる最も大事な祈りのエッセンスをルカやマタイの福音書にみるような形で弟子たちに教えられたのだろう。その「主の祈り」を我々はどう祈るべきか。

そもそも祈りには四つの要素があり、それを英語の頭文字アクロニムでいうと次の四つになる。即ちACTS:Aはアドミレーションで主の賛美、Cは懺悔コンフェッション(尤もこの英語の語義は信仰などを証しすることである。英国史にエドワード懺悔王と呼ばれる王様がいるが正しくは神の証誓王というべきであろう) 、Tはサンクスギヴィング感謝そしてSはサプリケーション懇願である。これを念頭に今、主イエスが弟子たちに教えられた「主の祈り」を考えてみよう。

「天におられる私たちの父よ」これはイエスが自分を遣わされた天の父なる神に対してする親愛にみちた呼びかけだ。神の子である主イエスをとおして、我々もまた天なる父(神)の子と呼ばれ得るのだ。「み名が聖とされますように」は神のみ名(古代においては名は実体そのものと考えられた)が人々に相応しい尊崇の対象として崇められるように。言い換えると人々が聖なるもの、神のものとなるようにという意味である。「み国が来ますように」の「み国」とは神の国(敬虔なユダヤ人キリスト者であったマタイによると天国)、神の支配バジレイア・セウであるが、これは我々が死後に行く天国のことではなく、現実の人間社会の只中で人間が人間として扱われること。隣人愛に貫かれた関係が現実社会の中に行き渡りますようにという意味だ。現実を見てみると、当時も今も人は人にとって狼であるし、多くの他人の存在は搾取の対象や無人格の労働力でしかない。それは個人と個人との関係においても同じである。何故なら現代人の多くは、例えば異性との関係を考えてみれば、殆どの場合、男女とも異性を単なる欲望充足の対象と見ているのではないか。はたして恋人(または配偶者)を人格的な存在愛の対象とみているだろうか。多くは人格ではなく肉体をもつ物的存在と見なしているのではないか。イエスは無論、死後などどうでもいいとは仰らなかったが、大事なことは現世の対人関係において我々が他人を人格的存在として捉え、単なる物としてみないこと。それをイエスは教えておられるのではなかろうか。だからこそ、別な箇所でイエスは「神の国はいつ来るか」という問いに対して神の国は何時とかどこにとかいうように、時空にその所在を問うべきものではなく、イエスの愛の教えを実践する人々の間において既に始まっていると仰っているのだ。

「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」。これに関して言えば、上の「み名が聖とされますように」からこの「みこころが・地にも行われますように」までは実は同じことを言っておられるのだ。つまりこれら三つの祈りはすべて愛にみちた社会をこの日常世界において実現するようにという懇願であり、神の賛美でもある。

「わたしたちの日毎の糧をきょうもお与え下さい」。この日毎の糧という言葉はイエスの弟子たちには「出エジプト記16」中のマナの奇跡(モーゼの祈りに応えて、毎日、その日に食べる分の食物だけが与えられた故事) を想起させたであろう。また古代のパレスチナにおいて、この祈りは本当に切実な心からの祈りだったに違いない。現代においてすら地球上の略25%の人は毎日、満足に食べていない。だからもし先進国に住む我々がこの祈りを口にするときは、地球上の兄弟たちが、毎日、その日の食物はせめて食べられるようにと神に祈り願わなくてはならぬし、翻って自分たちは恵みによって毎日の糧が確実に与えられていることを神に感謝すべきだ。だからこれは懇願であるし感謝でもある。

「わたしたちの罪をおゆるし下さい。私たちもひとをゆるします」。これは祈りの中に仏教でもキリスト教でも必ず入っている懺悔と言える。罪と言う言葉の元の意味は負債である(古代のユダヤ人は毎年、年の終わりに負債を整理し、7年毎に他人の負債を免除し返せない負債のため奴隷奉公していた同胞を無償で贖い、・組み方向・50・年に一度のヨベルの年には借金のかたに取られていた土地を返還したという) 。私たちが神様に対して負っている負債、罪を懺悔して許して戴くことがここで教えられている。だからこの祈りは罪人として神の前に許しを乞うとともに(古代のユダヤ人は他の民族よりも、この点においては特にすぐれていた)愛を行う妨げになる他人に対する蟠りを捨てなさいという教えなのだ。

「私たちを誘惑に陥らせず悪からお救い下さい」人間は弱いものであるから神に守って戴かなくては誘惑にはかてない。菩薩行の只中にさえ悪魔の誘惑はやってくる。日常生活の中では善悪不二(善悪が判然と分かたれてはいない)である。祈りの最中にさえ悪への誘いがおこる。悪魔の声を神の声と聞き間違うことさえある。それにはただ真剣に懇願するしかない「私たちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください」と。「ア−メン」とはすべてにかかる結びの文句でそのとおりとか、そうあって欲しいとの懇願である。



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(12)キリスト教的霊性、その4「聖書」

 M・ルターはキリスト者が神と直接向き合うために聖書を信徒一人ひとりが自分の母国語で読めなくてはならぬとドイツ語訳を生んだ。神と信徒の間の余計な介在を出来るだけ排除しようと言う彼の主張は当時のローマ教会の堕落ぶりからすれば妥当なものであった。聖書を母国語で読めることは信者として素晴らしいことだ。古典語を少しでも齧った人なら、外国語で書かれた遠い昔のテキストを十分、読み解くことなど出来る筈がないと知っている。逆に、近代の西欧語が何か一つでも読める人は母国語で分かりにくかった聖書の箇所が明確になることも経験する。そもそもカトリックは第二バチカン公会議まで、信徒が新約時代のギリシャ語コイネーやラテン語が読めたとしても、自分で読んだ内容を他人に講釈するなど許されなかったのである。だからカトリックは教会も個人もプロテスタントにその分野で遅れをとっていた。とにかくカトリックの一般信徒は第二バチカン公会議後も聖書と縁が薄かったのである。しかも共同訳が誰にでも自由に読める現在、私たちが聖書を読みこなしているかと言うとそうでもない。聖書は退屈であるとか、読んでもよくわからないとか言う声をきく。聖書(新約)が読み難いのは何故なのだろうか。一つには2000年も前の異国の話で、宗教的・歴史的背景に疎ければ、霧の中にでもいるような見通しの悪さがあるだろう。さらにもう一つは福音独特の求道的発想による視点である。

もう少し分かりやすく言うとイエスが誰に向かって仰っている言葉なのか。聖書のその箇所を今、読んでいるあなた(読者) は自分とその言葉とをどう結びつけているか。イエスが憐れんで救われたのはもっぱら罪人、病人、弱者であるが、あなたは自分が罪人であり、イエスの言葉はまさに自分に向けられていると思っているのかと言うことである。隙あらばイエスを罠に嵌めようと次々と論争を挑んできたファリサイ派、サドカイ派、ヘロデ・アンティパスの息のかかった連中がイエスと議論するときに、読者であるあなたは第三者的にイエスが揶揄している対象の側に立ちイエスの譬え話を聴いてはいないだろうか。

私はここで聖書を読む際に客観的・常識的な価値観によってではなくイエスが何を一番大事(なくてはならぬ)としてメッセージを発信しているかの例と、そして自分をイエスの憐れむ罪人と同定しない限りまるで間尺に合わない話の二例をあげ説明しようと思う。

先の例は「マルタとマリア」ルカ10・38 〜42の話である。ベタニアという、都の近郊の村にマリアとマルタという姉妹がおりイエスは上京のたびにそこを定宿にしていた。マルタはイエスを迎えるともてなしのために忙しく立ち働くが、マリアはといえばイエスの側にぺたっと座って話を懸命に聴いているだけだ。マルタは不機嫌になってイエスに「マリアは私にばかり働かせています。少しは私を手伝うように言ってください」と文句を言う。するとマルタにとって心外なことにイエスは「マルタよ、あなたはいろいろ思いわずらっている。しかし無くてはならぬのはただ一つだけだ。マリアはそのよい方を選んだ。それを彼女から取り去ってはいけない」と言う。どうしてイエスはマルタの言うことを退けてマリアをほめたのか。聖書は難しいとか、だから聖書はきらいと言うまったく当然な疑問に私たちは何と答えればよいか。私は次の譬え話をすることにしている。

久しぶりに旧友を訪問した女性がいるとする。彼女は積る話を聴いて貰おうと旧友を訪れたのに、その友だちはたった今、紅茶とケーキをだしてくれたと思ったら、今度は苺をとりに冷蔵庫の所にいく。そして坐ったと思った瞬間、「そうだ夕飯には二人でお寿司を食べましょう。ゆっくりしていってね、ひさしぶりだから」と電話をかけに立ち上がる。少しも席の温まる暇がない。そこで、ついに訪問者は「ちょっと、待ってよ。私が一番して欲しいのは、じっと坐って私の話を聴いてくれることよ」と注文をつける。そういう状況は案外あるし「なるほどそうか」と納得して貰えるのではないだろうか。要はそのとき相手が一番、何を望んでいるのか。それを叶えることが一番の御馳走なのだ。ましてそれが求道に関することならまさに「生死事大」である。イエスはマルタに一見、つれないように見えるが実にこの人生の一大事に関することを優先せよと仰っているのだ。

 次に「99匹の羊と一匹の迷える羊」の譬え ルカ15:1〜7。100匹の羊をもっている人が、そのうちの一匹を見失ったとする。その人は99匹をおいて迷った一匹を捜しに行き、見つけたら肩にかついで連れ帰り、周囲の人に「亡くした羊を見つけたのです。悦んで下さい」と祝うだろうというものだ。常識的な会社経営者にこの話をしたら「そんなアホな、その間に99匹がいなくなったり、狼に喰われたらどうします」と言うだろうし、教員なら「引率していた生徒が一人いなくなったら、99人の安全を確保した上で、大急ぎで引き返します」と責任感の強い所を見せるかも知れぬ。「では亡くしたんではなく、一人の子が勉強がわからない場合はどうでしょう。99人をおいて面倒みますか」と問えば、「いや、それは無理ですね」と答えるだろう。そう答える人の方が常識的なのだ。だから99匹をおいて捜しに行くというのは、まったく常識外れである。しかしこの時、この話を聴いている貴方はどちらに属するのですか。99匹の方なのかそれとも迷える一匹なのかと問えば問題はだいぶ明確になる。そうなのだ、もし99匹だと答えるならば貴方は常識的ではあるが求道者として相応しくない。そしてもし一匹の方なら貴方はイエスが何処までも探しに来て下さる罪人であり、救いを必要としているが故にいつかは必ず救われる人なのだ。



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(13)キリスト教的霊性 その5「赦し、癒し、徴し」

ヨハネによる福音に描かれている奇跡には文字通りの意味というよりは何か象徴的な深い意味が隠されている。生まれつきの盲人の両眼を開ける奇跡がそうだ。9章全体に展開するその話は明らかに「心の目でイエスを見ているか、イエスを神の子と信じているか」と信仰が問われている。両眼を開けて貰った男はイエスが「人の子を信じるか」と言うと「はい信じます」と告白するが、一緒に居合わせたファリサイ派の人々は「我々も見えない(真理に目を瞑っている) ということか」と臍を曲げる。イエスは「(目が) 見えなかったのであれば罪はない。しかし目が見える(真理を知ることが出来る) と主張しているのに見なかった(真理を知ろうとしなかった)のだから罪がのこる」と断罪する。41節この章には当時のユダヤ社会における病気(障害)観がよく現れている。つまり罪とその結果である病気の関係、さらに罪の赦しと癒し(奇跡的治癒)の関係が。弟子たちはイエスに尋ねる。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは誰が罪を犯したからですか。本人ですかそれとも両親ですか」イエスは答え「本人でも両親でもない。神の業がこの人に現れるためだ」。神の業(奇跡) が現れるためとはどう言う意味だろうか。当時の病気観によれば病気(障害) は罪に課せられる罰、神に個人が負っている自分や祖先の負債だ。しかし罪に因る結果としての病気という考えはユダヤ教だけのものではない。わが国の仏教的な精神風土でも「親の因果が子に報い」という発想はある。もう少し深刻な、道徳的な例もフランス文学にある。今は読まれなくなったスタンダールの『赤と黒』、その中に登場する野心的な美貌の家庭教師ジュリアン・ソレル。彼と過ちを犯した田舎貴族の婦人は子供が病気になったのは自分の不倫の結果だ、天罰がくだったのだと思い込む。

 それはさておきイエスが因果的ではなく目的論的に答えられたことに注目しよう。当時の偏見に囚われずイエスは飽くまで大事なのは過去ではなく未来だと言われる。即ち「(誰が罪を犯したかという) 過去が問題なのではなく奇跡的な徴しが行われることにより、イエスを神の子であるとする正しい認識(信仰)を人が受けいれるかどうかという将来が問題なのだ」と言われるのである。しかも徴し(奇跡、業、栄光) を見て当事者個人が救いに到るだけではなく罪が赦されること(癒し)によって、多くの人が信仰に導かれる(真理が見えるようになる) ためだ、という所がイエスの答えの最も大事な点なのである。

その後、イエスは唾で土をこね男の両眼に塗り、シロアムの池で洗わせ両眼を開けられる。描写が極めて具体的でリアリティがあるので、私たちは文字通りの癒しの徴し(奇跡)と思いがちだが、この話もファリサイ派の断罪のところまで読むと、じつは上に述べたように人々がイエスの行われる徴しをみて、真理に目覚める(正しい信仰に導かれる)ことが要点なのだと判る。

以上述べたことは「罪の赦しと癒しの関係」であるが、福音の中ではもうひとつ「信仰があなたを救った(癒す)」という表現がある。これはどう言うことだろうか。図式的に言うと、その人の信仰(神に対する全幅の信頼)をみてイエスが憐れに思い、罪の赦しが行われ病気(障害) 治癒が実現する。信仰をみてと言うのは、只々治りたい一心でという心理状態の意味ではない。勿論、治りたいという気持ちは大事である。しかしその強い気持ちは必要条件ではあっても十分な条件ではない。神が癒されるのは治りたいというその思いの強さだけによるのではなく、自分は「神によって癒される」という神への100%の信頼が必要なのだ。そのときイエスは「あなたの信仰があなたを救った(罪の結果としての病気や障害があなたの信仰によって赦された)」と言われるのである。ここに12・年間、長血を患っていた女性の話を要約的に引用する。ルカ8章43節以降。会堂長ヤイロの娘の所に急いでおられたイエスは大勢の群衆に取り囲まれた。その中に医者に全財産を使い果たしてなお12年間出血が止まらぬ娘がいた。娘は治りたい一心で背後からイエスの服の房に触れる。出血は直ちに止まった。イエスは「私にふれたのは誰か」と尋ねる。誰もが否定する。人々が押し合っているのですからという弟子の言葉にイエスはでも確かに誰かが触ったと言う。娘は正直に触れた理由と直ちに癒されたことを震えながら告白する。するとイエスは「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。

現代の懐疑主義に毒されている我々は癒しを祈り願うことによって、たとえ病気そのものは治らなくとも、その病気に耐える力、即ち希望と忍耐心が培われ、病者の意識が変化するのだとして癒しの効力そのものについて合理的解釈をとる傾向がある。しかし時代を問わず、本人の治りたい気持ちと100%神を信頼する信仰があれば癒しは必ず起こる。直ちに瞬間的に起きれば奇跡であるが、この世の中には文字通りの奇跡的治癒もある。信仰やその人の生き方を根本から変えるような奇跡はあるのだ。この時に我々はペテロになってはいけない。湖上を歩行していたペテロ(マタイ14章30節) のように中途で疑い始めるとすべてを失うことになる。では100%の信頼とは何か。そのためにはゲッセマネでイエスが御父に祈られた祈りを模範とすることである。「この杯を退けて下さい…しかしみ心のままに…」ここには与えられるものが最善であるという100%の信頼がある。み心のままには決して相手にゲタをあずけて「さあどうして呉れますか」と言う開き直りではない。癒しで言えば「私はあなたによって癒されることを100%信じています」ということなのだ。



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(14)キリスト教的霊性その6「ヨナのしるし」

 ローマを訪れる人でシスティナ礼拝堂にあるミケランジェロの天井画(天地創造)と祭壇画(最後の審判) を見ない人はいない。人類史上最高の傑作であるその二つのフレスコ画の接点に巨大なヨナの姿が描かれている。今まさに審判をくだそうと右手を高く掲げているキリストの頭上に見事な短縮法の実例としてヨナは坐っている。彼は当時の漁師の着る短い皮チョッキを着て体を後ろに反らし両手は右の脇の方にねじっている。これはその方向に描かれたハーマン(モルデカイをつるそうとした木に自分が吊るされたエステル記の宰相)を指すのではなく復活後のキリストが不漁で帰ってきた弟子達に「船の右舷に網を降ろせ」と命じ、その結果大漁だったと言う聖書の記述ヨハネ21章6節に依るものだ。

 では何故ヨナなのか。ヨナは神からニネベに行きその民に悔い改めを告げよと命じられるや否や逆の方向に逃亡した人物だ。ところが船でタルシシュに向かう途中、海は大荒れになり水夫達に大海原に投げ込まれる。そして大魚(鯨)に呑み込まれ3日3晩、腹の中にいた。話は二つのテ−マからなり、一つはヨナの逃亡と3日3晩大魚の腹の中にいたこと。もう一つは神の命じるままにニネベにおもむいたヨナが、ニネベの民の示した悔い改めを嘉する神の寛大なやり方に不満を抱くことである。しかし「新約」に出てくる「ヨナのしるし」マタイ12章40節、16章1−4節とルカ11章30節の記述は解釈が二つに別れている。即ちマタイでは鯨の腹に3日3晩いたことからイエスが復活に言及しているという解釈。しかもニネベの民(異邦人)の方がユダヤ人より素直に悔い改めたことが評価されている。ルカではヨナがニネベの民にとって「しるし」となったように「人の子」もこの時代の人々に対して「しるし」となるだろう、つまりヨナはイエスの運命の予表という解釈に分かれる。だから「新約」のここの意味は全体としてもう一つピンとこない。

 しかしミケランジェロがここにヨナを描いた意図ははっきりしている。一つはミケランジェロに彼の生きていた時代が邪な世であるという認識があったこと。さらに神の救いはイスラエル人(ローマ教会) よりもむしろニネベの人々(異邦人) に向けられているのかも知れぬこと。そしてこれが大事なのだが、ローマ教会の罪深い体制派がニネベの人々のように直ちに悔い改めれば神は寛大にも人類の罪を(そこには彼も含め) 赦して下さる希望があること。復活されたキリストにより人類もまた再生の希望が許されている。悔い改めて再生を願う人類を愛そのものであるキリストが決して見捨てられることはない。だからあれは厳しい「最後の審判」ではなくダンテの「神曲」と同じく再生を謳った愛の曼陀羅なのだ。ファリサイ派(彼の眼には敬愛するヴィットリア・コロンナを拷問で転向させたローマ教会の体制派がそう映ったかも知れぬ) はイエスに天からの「しるし」を要求するが、イエスは「邪な世にはヨナの徴ししか与えられない」と答える。

だからキリストの頭上にヨナ(こちらの方が旧いのだが) が描かれていると言うのは実に意味深長だ。

 聖書のなかの「しるし(奇跡)」を私たち現代人はどう捉えたらいいのだろうか。宇宙に人工衛星が飛び交い遺伝子操作により両性を必要としないクローン動物が誕生した今、イエスによる不思議な業は科学や合理主義になれ親しんだ者にとってどう理解したらよいのだろうか。私はある時、次のように思ったことがある。即ち神はなぜ奇跡をもっと頻繁に行おうとされないのか。もし神が次々と人前で不思議な業(奇跡) を行えば、それこそドミノ倒し的にこの世界の人々を篤い信仰に導くことが出来るだろうにと。そうすれば話は簡単ではないか。(勿論、いまはそう思わない。何故なら私にも人間というものが分かってきたし神は初めから知っておられたのだ) 人間の信仰というものがそれ程、確かなものではないことを。 いま仮に眼の前で(神による) 不思議な業が行われたとしよう。そのとき無神論者や懐疑主義者も含むすべての人々、善男善女は挙って「ホザンナ、ホザンナ」と神を賛美し、争って不思議な業を行った人(神) の膝下にひれ伏し、口々にその業を誉めそやすだろう。 しかし翌日になったらその人々のうちの何人かは「はて、あれは自分の見間違いだったかも知れぬ。あんなことが今の世の中でおこる筈がない」「そうだ、自分はあの時、きっとどうかしていたのだ。あれには容易に見抜けない何か手品の種か仕掛けのようなものがあるのだ」「あの体験はショウとしては実に面白かったが、あの出来事によって今の自分の生活を変えたり世の中の何かが変わるわけではない」と口の中でぶつぶつ呟き始める。そして翌日になるとさらにもっと多くの人々がそう思い始めるだろう。そして1月もたつともはやその不思議な業のことなど誰の口の端にも登らなくなる。そう、それが人間なのだ。しるし(奇跡) をみて最初の感激がどんなに大きくてもやがて最後には単なる摩訶不思議な手品か何かと思ってしまい、あんなことはもう忘れたい、或いはもっと面白い手のこんだ手品がみたいものだと思う。そうなることは古今東西の人間性から言って間違いない。それが不思議な業(神の奇跡) に対する人間の性サガなのだ。    いつの時代の人々も他の時代に負けない位に邪なのだ。ただしニネベの民の如く異邦人であると否とにかかわらず神の愛に対する信頼、悔い改めの心、不思議な業に対する幼子のような感嘆、困った人を放っておけない憐れみの心が、ほんの芥子粒ほどでもあれば、人類は変わり得るのである。少なくとも変わろうとし始めるのだ。その変わろうとし始めることこそが現代における「ヨナのしるし(奇跡)」の意味ではないだろうか。



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(15)釈尊とは誰か、仏陀とは誰か

 キリスト教はイエスをキリストとして信じる宗教だ。つまりイエス・キリストという呼称にはイエスをキリスト(メシア)として信じる信仰告白が籠められている。我々が実証的、学問的に史的イエスを求めていくと恰も玉葱の皮を剥いていくように何も残らない。 

 他方、我々は宣教の視点から記された福音書の記述を通じ、生きいきとしたイエス像を持っている。釈尊(釈迦牟尼シャーキャムニ)の場合はどうなのか。釈尊もイエスより史的証拠が多少多いとは言え、その史像と神話化された姿が渾然とする点は変わりない。

 釈尊の全体像を挙げて行くと先ず歴史上の或る時点に出現した人間ゴータマ・シッタルタ(シッダンタ)の姿があり、その後、出家・修行し悟りを得(仏陀・覚者)、説法により弟子・修行者を教化され、さらに入滅(死)後には生前の説法と人格がともに尊崇の対象となり、そしてまた永遠の過去から未来へと無限に続く真理としての姿(法身) (ヨハネ福音書のロゴスと法身、久遠実成の釈迦牟尼仏には何と近い平行関係があるのだろう)、最後に宇宙全体を支配する構成要素たる密教的な大日如来(ヴァイローチャナ) と様々である。一言で尽くせば仏教とは仏陀の教えを信じる宗教と言えようが、では一体仏陀とは誰のことなのか。釈尊と仏陀の関係は。そしてまた本生譚ジャータカ(釈尊の前生の物語)の菩薩とは何か。史的釈尊とは一体、誰のことなのか、先ずそこから考えてみよう。 今から2400〜2500年位前(尤も西欧の研究者の年代より日本人研究者の年代は百年程下る場合もある)にインド北部ヒマラヤ山麓に近いカピラヴァスト国の王子として釈尊は生まれた。17歳または19で結婚し(ヤシューダラを含む3人の妃があった)、一人の男子を得たが29歳の時に出家し修行を積みガンジス河を南下してマガダ国で苦行を続けた。修行の方法としての苦行の虚しさを悟るが一人瞑想を続け3・歳のときにナイランジャナー河の辺で悟りを得る。その後、45年間に出家集団(僧伽サンギァ)を組織し修行の指導をし、また在家集団を教化指導され、80歳で故郷に近いクシナガラで入滅された。お釈迦様の伝記物語については『今昔物語天竺部』平凡社東洋文庫を読物として眼を通されるとよい。

 釈尊とは釈迦族出身の聖者という意味だ。釈尊は経典の中で「世尊(バガヴァン)よ」と呼びかけられるが世尊も釈尊も同じだ。そしてイエスが「人の子」と自称されたように釈尊もまた自らを「如来タターガタ」と自称される。如来とは語義的には真理に到達した者または真理(如)から来て真理について証する者の意味である。修行者仲間は釈尊を親しくゴータマと呼んだようだが、シッダルタは釈尊の固有名詞で「願望が満たされた」という意味であり、王子として両親からその誕生が待ち望まれていたことが伺える。

 仏陀ブッダ(如)(覚者)の仏ブツと言うのはサンスクリットの動詞(目覚める)であり、仏陀は正しい悟りを啓いた者、永遠の真理に目覚めた者、正覚(正しい悟り)をとった者と言う意味である。したがって仏陀それ自体は固有名詞ではない。さらに釈尊在世の頃に既に過去七仏という観念があり釈尊の出現以前にも、既に仏陀が存在したという信仰があった。いや過去だけではない。未来においてもまた仏陀(弥勒菩薩マイトレーヤ)が出現することになっている。従って釈尊はこの世の中に極めて稀に存在される仏陀の一人ではあるが、歴史上、唯一の仏陀ではない。その点がイエスとはっきり異なる点である。

 日本では往生とか成仏とか言う言葉が日常的に使われる。また誰かが亡くなると仏ホトケになると言うが、仏教では本来、死んだからと言って仏になれる訳ではない。修行の結果、悟りをひらいた者だけが仏になるのだ。また同じく往生するという言葉も現代日本では一般に死ぬことを意味するが、これも仏教では浄土(仏の楽園)に菩薩(仏陀の有資格者)として生まれ来ることを言う。では悟りを啓く(解脱)とはどういうことか。それは六道(天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄)に永遠に生死を繰り返す輪廻転生から解放されることである。仏教では生死は苦であるから永遠に続く苦から解放されることになる。

 私は系統だてて仏教を論じる資格も力もないが門外漢として大胆な言い方を許して戴ければ仏教の求道、即ち釈尊の悟りの中には本来、真理探究の姿勢「自利」とそれを衆生に分け与えたいという「利他」の二つの契機がある。自分だけ悟り切るのではなく無明という根源的な人生苦に懊悩する衆生を救済するという二つの姿勢があると思う。それが歴史とともに小乗仏教、大乗仏教として展開してきたと言えるのではないか(密教については割愛)。私は史的な釈尊を最も偉大な哲学者として尊敬する。そして仏教を世界で最も味わい深い宗教として故郷日本の山河の如く愛する。しかし仏教には同時に私を躓かせる教えも二、三ある。その一つが浄土教の中核的神学とも言える「弥陀の本願力」の根拠だ。阿弥陀仏になる前の法蔵菩薩が仏になる前の修行の目標として願をたてる。そして阿弥陀仏は既に仏になられ、世尊の説法によると現に今もいつも、かの極楽浄土において説法を続けておられるという。だから論理的に言えば本願(誓)によって全ての衆生は浄土に往生している筈だというのだが、では本願はすでに成就されているのか、それとも進行中なのか。そして本願力の根拠はどこに求められるのであろうか。この問題に突き当たると私は『パイドン』におけるソクラテスの言葉「決してミソロゴス(哲学的な論究の態度を放棄する)になるな」を想起するのだが、私には世自在王如来(そして多くの陪席する諸天人)の前で誓願される弥陀の本願力の根拠がいま一つ納得できないままなのである。



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(16)仏教的霊性(その一) 阿弥陀仏をイメ−ジする

 よく晴れた真冬の相模湾のどこの浜辺からでもいいのだが、海の向こうの山際にゆっくりと沈んでいく太陽を見ると、その神秘的な赤あかと満ち足りた美しさに誰でも一度は心を奪われるに違いない。かつて南回りで欧州に向かった時、さすがにもうプロペラ機ではなかったが途中で何回か給油のために寄港した。インドのどこだったか記憶していないのだが、空港ロビーで時間を潰した時、インドのムッとする暑さに辟易した記憶がある。そしてその時、何故インド人が西方(太陽の沈む方向)に多くの浄土を考え出したのか、なぜ、旭日よりも落日に心惹かれるのか判る気がした。

宗派の如何に関わらず「南無阿弥陀仏」の六字の名号を知らぬ日本人はいない。「浄土三部経」の最初の『観無量寿経』によれば、あの阿闍世王の母、韋提希夫人イダイケブニンは釈尊の前に自己の罪深さを懺悔し、悲しみの余り慟哭し多くの仏国土はあれど、自分は特に阿弥陀仏のおわす極楽浄土に生まれたいと切望する。釈尊は一心に西方を思うべしと正座し日没の太陽を観想イメージすることを説く。つまりこの経は浄土と阿弥陀仏をイメージする為のテキストである。赤々とした落日をイメージした後は水を、水の後には氷をと計六つの観想を過ぎると愈、今度は眩いばかりの光明を放つ阿弥陀仏(アミターバ、アミターユス)と脇に侍る菩薩像が浮かび上る。ここで具体的なイメージとしては兵庫県小野市浄土寺の国宝三尊立像を想起せよ。阿弥陀仏の特徴はその名(アミタ無限の、アーバ光、アーユス寿命) の如く無限の光、無量の寿命をもつことである。阿弥陀仏(無量寿仏)の光明は無限の慈悲を遍く衆生、それも自ら受け取ろうとする衆生の上に注ぐ。法然の次の歌はそれをよく伝えている。「月影の到らぬ里はなけれども眺むる人の心にぞ住む」。

 ここで慈・悲について少し述べる。慈とは難儀している人に頼まれなくとも(不請の友)手を差し伸べることであり、悲とは他人とその苦しみを分かつこと、他人の苦しみに共感することである。例えば子を亡くした親の気持ちは所詮、経験したことのない他人にはわからぬ。しかし自ら同じ経験をした者ならばその辛さや痛みを分かつことは出来る。だから悲とは自己の悲しい感情ではなく他人と痛みを分かつ憐み(compassion)のことである。 イエスは福音のなかで心底から(ギリシャ語原文では腸が震えるくらいに)他人を憐れまれる。例えばラザロが死んで四日目にイエスは漸くマリアとマルタの所に到着する。二人の悲しみの大きさと自らのラザロを愛する気持ちから、イエスは心底から憐れまれラザロを蘇生させた。ヨハネ11章38節。心底から他人の苦しみ、痛みに共感すること。仏の大慈悲とは正にそれである。さて十三の観想のうち中心は第九番目の仏身観である。即ち阿弥陀(無量寿)仏の無限に大きい体とその光明を観ずる方法である。「この無量寿仏には八万四千の相(特徴)があり、その相の一つ一つにはまた八万四千の微細な相がある」。その続きには、さらにその一つ一つに八万四千の光明のあることが述べられ、光明は遍く十方世界を照らし、一心に念仏(仏のイメ−ジを心に思い描く)する衆生を摂取して捨てることがない。仏身を見ることは即ち仏心をみることであり、仏心とは大慈悲そのものである。阿弥陀仏はじつに無量・無縁(無条件で、限りのない)の慈悲を衆生に及ぼすために世に出られたのだ。このように超巨大な仏身を観想したかと思うと、一転して今度はその仏身の微細な特徴の一つひとつをクローズアップする。こう言う観想を、しかし、絶えず続けることに凡夫はよく堪え得るものであろうか。

 そこで無量寿仏(阿弥陀)の観想(心のなかでイメージを思い浮かべること)が困難な凡夫には九種類の修行方法が説かれる。即ち大乗仏教を修める凡夫、小乗仏教を修める凡夫、世間的な善を行う凡夫、そして悪を行う計九種類の凡夫のための修行方法が。最上位の上品上生 ジョウホン ジョウショウ の凡夫はたとえ浄土に往生しても再びこの濁世に戻って(還相ケンソウ)菩薩行に携わりえる程、高貴な恵まれた存在だが、最下位の下品下生ゲホン ゲショウの者も、ある意味ではもっと仏の慈悲に恵まれる。何故なら五逆(父・母を殺害、聖者を殺害、仏陀の身体を傷つける、教団の分裂)、十悪(殺生、盗み、邪淫、妄語、貪り、怒り、愚かさ等の十の悪事)を犯し本来なら堕地獄を免れない極悪人である下品下生の凡夫(実は我々)でさえ臨終のときに自分はそれまで念仏する暇がなかったと懺悔すると「もしあなたが阿弥陀仏をイメージできなければ、ただ口で南無阿弥陀仏と称えなさい」と教えられる。そこで悪人は十回「南無阿弥陀仏(ああ、あみださま。あなたに帰依します。罪深い私を救い取って下さい)」と称える。すると一声毎に実に八十億刧(とほうもなく永い期間)の一切の罪が赦され、たちまち浄土に生まれ変わることが出来た。

『観経』に対するコメンタリーである『観経疏』を著した唐の善導は浄土宗の開祖法然が「偏に善導一師に依る」と私淑する善知識であるが「自身はこれ罪悪生死の凡夫」と、悟とは無縁の自己を深く自覚し、そういう自己をも救って下さる阿弥陀仏の慈悲の大きさに感動する。その善導によれば観仏(仏を観想する)と念仏(仏を憶念しつつ口で南無阿弥陀仏と称える)は一如だが、それでもなお従来、観仏は念仏よりも優れた方法と見なされてきた。源信の立場もまたそうである。しかし「凡夫こそ仏の正客」とする法然に至って、口称念仏こそ我々凡夫(衆生)が極楽往生に到る至上の方法とされたのである。ここに日本仏教における阿弥陀仏信仰のその後の驚異的発展の基礎が築かれたと言えよう。



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(17) 仏教的霊性(その二) 極楽に往生するには

「これより西方十万億の仏土を過ぎて世界あり名づけて極楽という従是西方、過十万億仏土、有世界、名曰極楽」。その極楽に仏ありて阿弥陀と号すと『阿弥陀経』は続く。釈尊が大勢の弟子・修行者達に念仏往生と阿弥陀仏について説かれる経典が『阿弥陀経』である。釈尊は阿弥陀仏の浄土「極楽(諸仏はそれぞれ固有の楽園である浄土を持つ)」とはどんなに素晴らしい所か。そこに住まう阿弥陀仏とはどのような方か。さらに聖衆(その阿弥陀仏の浄土に生まれ得た人々)はどのような人々かを詳述する。次に念仏往生、つまり念仏の功徳について述べ、最後に釈尊自身と諸仏による功徳の明証を挙げられる。時宗の宗祖一遍は臨終に先立ち『阿弥陀経』以外の一切の書籍を焼却させたと言う。また先に述べた『観経』は法然の、『無量寿経』は親鸞の第一の聖典とされたが、これら三つは浄土三部経として「南無阿弥陀仏」を称える浄土系仏教のバイブルである。

なぜ、阿弥陀仏の浄土を極楽と呼ぶのか、釈尊は舎利弗シャーリプトラに問う。「その国の衆生、諸々の苦しみなくただ諸々の楽しみを受く。故にその仏土を極楽となづく」。源信の『往生要集』によれば、そこでは寿命も無量であるが四苦八苦の苦しみもない。即ち生老病死の四苦(生れる苦、老いる苦、病苦、死ぬ苦)とさらに愛別離苦(愛する者と離別する苦)怨憎会苦(互いに憎みあう人間と出会う苦)、不求得苦(欲しい物が手に入らぬ苦)五蘊盛苦(実存的な生きる苦)の四苦もないとされる。金、銀、瑠璃、玻璃という宝石(四宝)をふんだんに嵌め込んだ城壁。宮殿の庭には孔雀、白鵠をはじめ各種の珍鳥が遊び、囀り(阿弥陀は鳥に姿を変えてまで説法して下さる)、真中の四角い泉水(七宝の池)には冷たく甘い、渇きを癒す液体(八功徳)が充満している。あたりから絶えず吹く微風が耳には妙なる音楽として聞こえる。そこには無碍ムゲ(絶対の自由)・平和・涅槃ネハン ニルヴァーナ(心身が何ものにも乱されずゆったりと満たされている)がある。ここで注意すべきことは、いかにインド藩王マハーラジャの宮殿や都市をモデルに写実的に描かれているにせよ、これらは実体として思い描かれるべきものではなく、すべて阿弥陀仏の荘厳と同じく慈悲による功徳の「象徴」として想起すべきことだ。

私たち日本人にとってこの経が最もアピールする点は「倶会一所」クエイッショという教えである。即ち法然は現世において親しかった親兄弟、妻子眷属、苦楽を共にした師友と浄土において再会したければ極楽往生すべしと説く。16世紀に来日した宣教師たちを面食らわせたのは日本人の次のような言葉だった。キリスト教の教えが尊く有り難いものだとはよく分かった。だから洗礼の秘蹟にあずかり自分たちも天国に参りたい。しかし洗礼を受けぬまま亡くなったご先祖様が地獄におられるのは辛い。それではあの世で申開きが出来ぬではないか。個人の信仰と分かち難く結びついている祖先崇拝。だから日本人はキリスト教とは所詮、無縁の衆生だと土壇場で首うな垂れて去るしかなかった善男善女は少なくなかったろう。しかし現在でも多くの日本人の心境は殆ど同じで、この問題が完全にはクリアー出来ていない。私個人ももう一度、お会して話を伺いたい師(複数)がおられる。人生の中で善き師に恵まれることは何事にも代えがたい喜びだ。もし極楽往生すればそう言う方々と再会出来る。だから浄土に往生せよと勧めるこのお経は素晴らしい。

ダンテの『神曲』の中で一番面白いのは「地獄篇」であるが、その中にグレコ・ローマンの哲人・文人のことが出てくる。彼等は年代的に当然、異教徒である。大哲人のプラトンもソクラテスもダンテの眼からみれば評価は低い。フィレンチェやイタリア各地で新プラトン主義が盛んになるのは、もう少し後だからプラトンの低い評価もやむなしかと思う。しかしキリスト生誕以前の偉人、賢人たちがキリストの教えを知らなかったと言っても、それは本人の責任ではない。洗礼を受けキリスト教徒になっていなければ天国にいけぬ。これは永い間、ローマ教会の公式のテーゼだった。1965年に終了した第二バチカン公会議によって「ローマ教会以外に救いなし」が緩和される迄はとにかくそういう教えだったのである。プロテスタントでも地獄におちる。ましてや仏教徒などとんでもない。

私はこう勝手に解釈している。昔の話だが田舎の温泉にいくと露天風呂の入口に男女の別の札が掛かっている。だが中を進んでみると同じ所に出る。同様に一つの札には「パライソ」、他の札には「極楽」と書いてある。行ってみると実は同じ所に出る。それと同じと考えられないか。もっと大胆に言うと史的釈尊は死後のこと等仰っていないのである。だから大事なのは今現在の心の在りようで、死後の事など二の次三の次でいいのではないか。それはしかし死後の世界を信じないという無神論、無信仰とは違う。飽くまで死後に拘泥しないこと。何故なら「天国」に行くために現世で菩薩行に励むのではなく、現世で菩薩行に励み、その結果として「天国」に行く。だから仮に「天国」が無いとか実は死後の世界がないとしても、それはそれで既に十分報われているのである。柳宗悦『南無阿弥陀仏』の中の次の言葉はそれをも示唆しているのではないか。「法然は往生を臨終の刹那に、親鸞は平生の一念に、一遍は六字に結ばれる平生即臨終にそれ(聖衆が来て浄土に迎えて下さる) を見た」。「天国」や「極楽」は目的ではなく、結果として与えられるご褒美で、その逆ではない。そう思えば札の上に書いてあるのが「パライソ・天国」でも「極楽」でも(「地獄」は、ちょっと困るが)いっこうに構わないと思うのである。



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(18) 仏教的霊性(その三) 「弥陀の本願」とは

『観経』が無量寿(阿弥陀)仏を観想する方法を、「小経(阿弥陀経)」が阿弥陀仏の極楽浄土と称名の功徳について説く経典ならば、『大経(上下二巻)』と呼ばれる『無量寿経』は「弥陀の本願」という浄土神学の中核を説く経典である。即ち親鸞によれば「弥陀の本願は念仏往生を説く浄土の教えの宗(眼目)であり、念仏が体(中核)」である。「弥陀の本願」の意味を初めて知った時、私は正直言ってこの身が震えるくらい感動した。何故ならこの言葉を聞くと「私が愛したようにあなたたちも互いに愛し合いなさい」と人間をその極みまで愛し尽くされたイエスの愛の深さとともに、阿弥陀仏の慈悲の途轍もない大きさにうたれるからである。弥陀の本願がなければ、たとえ我々が一心に南無阿弥陀仏と称えても、自力では浄土に往生することは出来ぬ。つまり阿弥陀仏が一切衆生を救い取るという不退転の決意をもって願をたてなければ、そもそも浄土に往生することはあり得ぬ。これが他力の他力たる所以である。では一体、「弥陀の本願」とは何か。

釈尊の従兄弟でもう25年もお傍に仕え、多聞第一と言われた阿南アーナンダはこれ迄ずっ

と釈尊の説法を聞いてきたが、今日ほど釈尊の姿やお顔が威厳をもって光り輝いて見えたことはない。「その時、釈尊は悦びに溢れていてお姿は神々しく尊顔には威厳が溢れている爾時世尊、諸根悦与、姿色清浄、光顔巍々」。それにしても「釈尊のこの輝きの源は何だろう」というのが阿南の問である。この輝きとは霊的に優れた人格が出会ったときの師弟の間に発する心からの悦びの表現であろう。釈尊は顔の輝きは何かという阿南のこの問をほめ、出世シュッセの本懐ホンガイ(なぜ仏がこの世に出現されたか)を説き起こされる。

そもそも三世(過去、現在、未来の世界)の諸仏がこの世に現れたもう所以は大悲心から一切衆生に悟りへの道を示し、洩れなく救い取りたいがためである。過去七仏という言葉があり、その意味は釈尊の前に悟りを開いた人が六人いたと言う意味であるが、七という象徴的な数字は多とか完全なと言う意味であって、実際に釈尊以前に悟りを開いた人が六人しかいないのではなくそれは限りなく遡上っていく。そこで一番最初の仏を錠光如来と言う。そこから数えて五十四番目の仏が世自在王如来である。この如来(仏)に出会って、如来の教えに心から感動し、自らもより深い悟りの道を求める決意を告げる人が法蔵ダルマーカラ(ダルマ法とアーカラ鉱脈から出来た言葉)である。彼はもとある国の王であったが出家し修行者となった。智慧と才能において並外れたこの法蔵菩薩は世自在王如来(仏)の前で感激に震えながら、誓い(本願)を立て修行して自らも仏となる過程が述べられる。法蔵は如来の足を両手で押し戴き、額を地につけ礼拝し如来の周囲を右周りに三度廻ってその徳を褒め称える。法蔵は如来に諸仏の運営される非常に多くの現存する浄土(理想国家)について教えを請う。当初、如来は自身で自己の理想的国家像を描きなさいというが、終には法蔵の決意の固いのを知り二百十億の国について述べる。法蔵はそれらの長所を選択し五刧の間(永い永い時間) 沈思黙考し、愈、その理想国家の設計図が心の中で明確になると、師に励まされて四十八項目にわたる願(小乗仏教にはない)を表明する。弥陀の本願とは言ってみれば四十八からなる「こう言う浄土にします」というマニフェストである。だから例えば第一は「無三悪趣願」ムサンマクシュノガンたとい我仏を得たらんに国に地獄、餓鬼、畜生あらば正覚をとらじというものであるが、この意味は自分個人が悟りを得て仏になる境地に達しても、もしこの世界に人間同士の醜い争いがあるならば自分だけ先に仏になることはしない。換言すれば自分の理想国家では非人間的振舞を一切なくそうという決意表明である。こういう表明が幾つも続くが興味深いのは第二十二願、「還相回向願」ゲンソウエコウガンである。たとえ…しても、菩薩になった人が再び来生し恒沙無量ゴウサムリョウ(ガンジス河の砂の数ほど多く)の衆生を救うのでなければ自分だけ先に仏にはならない。自分の力で悟りを得たと思っても実は二重三重の他力のお蔭なのである。

 勿論、この四十八願の中心は法然が「王本願」と呼んだ十八番目の願、「至心信楽願」シシンシンギョウガンである。即ち「たとい我仏をえたらんに十方の衆生、至心信楽して我が国に生ぜんと思い乃至十念せん。もし生ぜずば我正覚をとらじ。ただし五逆と誹謗正法とを除く」。たとえ自分が悟りを得て、仏になることが可能になっても、世界中の人々が心から仏を信じ極楽浄土に生まれたいと願いそう思って十回念仏を称えても、もし極楽往生しないならば私だけ正しい悟りを得る(仏陀になる) ことはしない。自らの悟りよりも利他を優先する。この世に一人でも不幸な人がいれば私は幸福にならない。何と素晴らしい阿弥陀仏の大慈悲心であろうか。説明を要するのは但し書である。「ただし五逆と誹謗正法とを除く」。五逆とは父・母を殺害、阿羅漢(聖者)を殺害、仏陀の身体を傷つける、教団の分裂を謀る罪等の重罪を言い、誹謗正法とは仏の正しい教えを否定することである。阿弥陀仏の説く一切衆生を救済せんという正しい教えそのものをも否定するならば、その者が救われないのは当然だ。しかし「観経」によれば阿弥陀仏の無限の慈悲は下品下生の凡夫の犯す五逆十悪の罪でも救う筈ではなかったか。阿闍世は赦されているし釈尊の体を傷つけた提婆達多でさえも救われる(法華経「提婆達多品」)がしかし阿弥陀仏の救い(弥陀の本願力)を信じない(謗法) 者は決して救われないのである。つまり他力とは阿弥陀仏による救済の力( 弥陀の本願の不思議)を百%信じてそれに応えることである。



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(19)『法華経』の方便「火宅」と「長者 窮子」の喩え

その名のとおり白蓮花の如く美しく華麗壮大なエディフィスである『法蓮華経』。歴史的に日本仏教に最多の影響を与えた経典は『法華経』である。『法華経』を根本聖典とするのは日蓮宗やそこに発する新興の宗教運動だけではない。『法華経』は古くは聖徳太子の『義梳』により日本人の仏教信仰の定着に与って力があったし、平安時代に最澄が開いた天台宗という日本仏教の母胎、国家祭壇においても根本聖典とされたからである。この経典は内容的には大乗仏教が小乗の教えを包摂していく過程を反映する。また文学的な手法を駆使し、その功徳を再三強調する意味ではプロパガンダ的である。私自身にとってこの経は宮沢賢治と切り離せないものだ。国柱会に傾倒していた賢治は臨終にあたり父親(家の宗教は真宗だった) に国訳『法華経』一千部を配布するよう遺言した。彼の思想的背景をなす「法華経」による人類愛という創作の秘密にいつか迫ろうと思っている。

さて大乗仏教の興隆(紀元一世紀頃)と共に成立した『法華経』は当時の(釈尊の舎利を納めた)ストゥーパ卒塔婆信仰の隆盛を反映している。方便品では仏陀の舎利を供養するために金、銀、水晶、宝石、石・木材、煉瓦、粘土等によりストゥーパを建てることの功徳(成仏) が述べられる。私たちが何かの法会やお盆の施餓鬼会に卒塔婆を建てるのもこの故である。釈尊が多くの弟子たちに法を説いているその場所に巨大な七宝づくりのストゥーパが地中から出現し空中高く静止する。当世流行りのC.G.でも見ているかのようである。その中には多宝如来という過去の仏陀(大乗仏教では永遠に続く法身としての仏陀があり、法身は歴史的に受肉し応身となって地上に出現する。だから釈尊シャーキャムニの出現の以前にも無数の仏陀は存在し、釈尊はたまたま歴史の一点に生まれ悟りを開いて仏陀となった)が坐している。釈尊はそこに昇って横に坐る。智慧第一と言われる高弟舎利弗シャーリプトラが釈尊の周囲の人を代表して教えを聴く。

この経典は内容的に二つ(迹門と本門) に分かれ前者の中心的神学は方便品第二に記される、有名な火宅の譬え「三乗方便・一乗真実」である。それをかい摘んで紹介する。

ある所に老齢の長者(仏) が大きな古い邸に住んでいたが、ある時にその邸が火事(迷いの多いこの世)になった。邸内では大勢の子供達が遊びに夢中になっていて(凡夫が現世的な快楽にかまけ)火事に気づかず逃げようとはしない。長者は無事に邸外に抜け出し子供達に避難するよう呼びかけるが、子供達が驚いて恐怖の余り立ち竦んで仕舞わないように邸の外に面白い玩具(羊、鹿のひく車、牛車)が来たから出ておいでと誘導(方便) する。子供達は欲しがっていた玩具があるというので燃える邸から飛び出してくる。さて安全な所へ避難した子供達が面白い玩具を要求すると、長者はそれら三種類の玩具の乗物よりもっと本格的な乗物、即ち白牛に引かせた大きな牛車(一乗) を与える。

つまり仏は三界の火宅に迷う凡夫を救おうと三乗という三種類の車(羊車は声聞乗、鹿車は縁覚乗、牛車は菩薩乗)を方便として説いたのであるが、この三乗(方便) によって凡夫が迷いの世界の外に誘導されたからには、こんどは本物の車(一仏乗) を与えたのである。次に『法華経』には法華七喩と言う有名な七つの譬えがあるが、信解品シンゲホン第四の譬えが「長者窮子テョウジャ グウジ」である。これは我々キリスト教徒には「蕩児の帰宅(失われた息子)」として知られるルカ15章にある譬えと余りにも似ている内容である。私はかつてその二つの譬えの異同を詳細に論じた。紀元一世紀のローマとインドはかなり頻繁な交流があったので、両者の影響関係を検討してみたのだ。世尊(釈尊)の弟子たちのなかでも長老、即ち舎利弗以下5人の声聞ショウモン(小乗的な悟りを得ている人)は高齢でもあり、世尊が彼らも仏陀になれると説いてもそれ以上を望もうとしなかった。しかし舎利弗に世尊が今から決心して

菩薩(大乗仏教的な悟りをえている人)の修行をつめば、必ず仏陀になれると励ますと4人の声聞も歓喜し世尊の足元に跪き礼拝してその心境を譬えの形で述べる。それがこの長者窮子の譬えである。内容をかい摘んで述べると以下の如くである。特に関心の有る方は岩波文庫『法華経上』を読まれることをお勧めする。

 いま仮に他国で貧乏暮らしをしている男がいるとする。男は幼少時に父親と離れて生活するが、やがて衣食にも困窮し大金持ちの父親の下に帰ってくる。いったん生き別れとなった息子と再会した父親は大いに喜ぶが、息子が少しづつ親下での生活に慣れるよう色々配慮する。息子は便所掃除のような汚い仕事から始めて信頼を得ていき、父親は終に大勢の客の前で「これは生き別れた自分の息子である」と告げ彼に家督を譲ることを宣言する。この譬えを述べ終わり声聞は釈尊に「世尊よ、この大富長者とは如来(仏)のことであり、我々は皆仏子に似たり。如来は常に我等は是れ我が子なりと説きたまえばなり」と感謝して言う。つまり上の譬えで息子が貧乏暮らしに安住しているというのは声聞が小乗的な悟り、自己のみの救済に自足していると言う譬えであり、その声聞が少しずつ大乗の正しい教えに引き戻されていく方法が「方便」なのである。義人である兄がいない点でルカの譬えとは異なる。しかし我々が読む現存の訳(鳩摩羅什クマラジュウ『妙法蓮華教』)ではなく、失われた訳(竺法護ジクホウゴ『正法華経』)ではルカにかなり近い内容だったとも言われる。父親(仏・神)が一度は失った息子(罪人)が戻ってきたことに大悦びする点など、あながち偶然とも思えない。聖書のその箇所を読む度に気になる点ではある。



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(20)[最終回] ――永遠の今を生きる―― "つまるところは同じ"

 インドは不思議な国である。世界有数の大富豪とカルカッタの路上の極貧の人達。多数の国民の識字率の低さと、反比例する上流知識階層の天才的頭脳。桁外れの相反する要素の共存という、ダイナミズムから宗教的天才も生まれる。2400年前の釈尊は当時の既成宗教(バラモン教)に対する宗教改革を試みた。イエスもまた形骸化した律法、教条主義化した当時のユダヤ教に対して宗教改革を断行された。イエスの思想は、インドの人達にも無縁ではない。ガンジーの非暴力主義はイエスの非暴力・無抵抗に倣ったものだという。そのガンジーはある時こう言った。「私はキリストが好きだ。もしこの世の中のキリスト教徒が皆キリストのようだったら、世界はキリスト教国になっているでしょう」これはキリスト教徒にとっては耳の痛い話だ。こういう人の出るインドが相手だと、キリスト教の宣教者であっても、自ずとマザー・テレサのように謙虚になるのだろう。現代の聖人マザーについて今更、私が何かつけ足すことは何もない。むしろ私は或る晩、マザーに関する夢を見たのでその内容を語ろうと思う。古典哲学や文学ではロゴスが沈黙した所でミュートス神話が始まる。それを今ここで少し真似てみよう。場所は70年代のカルカッタ。僕はマザー・ハウスにボランティアに来ていた。マザーは、まだそれ程有名ではなく超多忙でもなかったので、早朝のミサの時に声を掛けることが出来た。するとマザーは病院に手が足りないと言う。そこでその日一日、僕はマザーが絶えず出入りする病棟で働くことになった。マザーのすぐそばで僕が手伝っていた時、僕は思いきって尋ねた。「マザー、どうしてこの世の中には貧困があるのですか」マザーは答えた「それは持てる人たちが貧しい兄弟たちに分け与えようとしないからです」「なるほど。では何故この世の中には苦しみがあるのですか」(マザーは人間が傲慢にならないためだと答えた気がする)。「マザー、昨日、僕は見たんです。3歳になる女の子が病気で死にました。神様はどうしてこんな小さな女の子の命を召されたのですか。この子は傲慢になりようがないんです。生まれた時に、親に捨てられて栄養不良をやっと生きてきたんです。それなのに、その子は3歳の誕生日も迎えずに死んでしまった。何故なんです」するとマザーは手を休めることなく、あの鷹のような鋭い眼で僕をじっと見つめて「日本から来た若いお方(マザーの英語はゴツゴツして聞き取り難かった)、ちょっと、その鋏をとって」。期待した答えがないので僕は更に続けた。「マザー、生まれつき病気で親に捨てられたその子の短い一生の意味は一体何だったのですか、教えてください。その子は傲慢になりようがなかった。その子の人生に一体、どんな意味があったのですか」(もしマザーがその子は今頃きっとイエス様の傍らで苦しみから開放されて幸せになっているとでも答えたら、僕の行き場のない怒りはいっぺんに爆発したかも知れない)でもマザーは僕の問いには答えず、再び「ねえ、あなた、この包帯を鋏で切ってくださいな」と答えただけだ。痺れを切らして僕はもう一度、マザーに同じ質問をした。「ねえ、マザー、どうしてその子はこの世に苦しむためだけに生まれてきたのですか」それでもマザーは何も答えずに、僕にもう一度「さあ、こっちに来てこの人に包帯を巻き終わったら、今度はご飯を食べさせてくださいな」。その時、突然僕にもマザーの真意がわかった。マザーはこう言っておられるのだ。神様が創られた、この世の中のすべての存在には意味がある。

 ただ、それがすべて、今判らないからといって判るまで手を拱いていては駄目だ。大事なことは現実に今、苦しんでいる人の痛みを癒すこと。現実に今、飢えている人に食物を与えること。現実に今、裸の人に服を着せて包帯を巻いてあげること。それが私達人間(キリスト者)に出来る一番大事なことなのだ。マザーはそう言われているのだ。ここで私は眼が醒めた。あるいはその時、本物のマザーがおられたのかも知れぬ。

釈尊は何事にも執着するなという教えを徹底し『金剛経』の中で譬えをもって悟、修行、教説の関係についてこう言われる。「もし此岸が危険に満ちた所で彼岸は安全な所だとすると、その間に横たわる大河を修行者は何とか渡ろうとし、その辺にある木や植物の材料を集めて船か筏を造り、これに乗って漕ぎ渡ろう努めるだろう。では無事に彼岸に着いたら、今度はその筏を背中に担いでその後の道を歩こうとするだろうか」弟子たちは「いいえ、そうはしません。」と答えた。釈尊はそれを肯定し、今迄に教えてこられた教説をも修行者が一度、悟りに達した後は執着せず捨て去ること。求道の道では悟りにいたる釈尊の教え( 筏、無上の法) でさえ捨てらるべきだ」と諭された。これは修行の最中に仏に遇ったら仏を殺せと教える禅宗では永い間、金科玉条の如き原理として扱われてきた。

かの宗教的英才道元禅師はしかし一層高い境地から批判的にのり超えられる。即ち「只管打座」である。その意味は「ただ座れ。座禅が悟への手段ではなく座りきることがそのまま悟」である。ふつう人は座禅(修行)をして悟(宗)を得ると考える。目的は悟を得ることで座禅そのものではない。座禅はこの場合あくまでも手段。しかし今、この瞬間(永遠の今)に座禅に徹し結果として悟の境地にいたれば、それは悟を目的とし座禅をその手段としてのみ考えることと雲泥の差がある。仏道の本質から言えば宗(悟) 、説(教) 、行(修行・座禅) の三つは一如であると。だからこそ我々信徒は修行として菩薩行に励み、神仏から与えられた毎日の瞬間を精一杯生き抜く。それがイエスの言われる「永遠の生命」に到る道なのだ。神の眼から見れば、3歳が短く90歳が永いとは言えない。   (終)



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