司教のモットーによせて

横浜教区長 梅村昌弘

司教叙階、教区長就任にあたり、司教の紋章にコムニオ・コムニオーヌム(COMMUNIO COMMUNlONUM)という標語を選びました。ラテン語のコムニオは、普通、交わりあるいは一致と訳されます。しかし、実際には一言では言い尽くせない深い意味を含むことばなので、式次第の表紙には一応、「皆がひとつとなって」としました。司教のモットーを受けて、白柳枢機卿様は説教の中で、「たくさんの交わりがさらに一つに交わることを意味し、三位一体の神に由来する教会の本質を表すものである」と説き明かしてくださいました。

第二バチカン公会議は教会をして「キリストにおけるいわば秘跡、すなわち神との親密な交わりと全人類の一致のしるしであり道具である」と定義しました。教会はすべての人を父と子と聖霊の三位の交わりへと導き入れる使命を担っているのです。ヘブライ語でアッバ(父)の文字が入るミトラ(司教帽)で表された御父のいつくしみにつつまれて、鳩で表された聖霊の息吹を受け、キリストの十字架をマストとする船で表された教会は、旅する神の民として世の海原を三位の神の交わりへと巡礼の旅を続けます。マストとなっている十字架の横木は、縦木よりも長めに見えます。キリストは救い主として十字架上にあって大きく手を広げてすべての人を御父へと導かれました。その救いの使命を教会は受け継いでいることを表しています。

キリストの救いの使命を果たすため、教会は、交わりと一致のしるしと道具となるよう努めます。この実現のために、一致の秘跡と呼ばれる聖体はとくに大切です。教会の交わりと一致の源泉は、コムニオと呼ばれる聖体にあるのです。紋章の中では麦とぶどうをもって表されています。

聖体の祭儀は「教会活動が目指す頂点であり、同時に教会のあらゆる力が流れ出る泉」(典礼憲章10項)なのです。

ミサはキリストの死と復活によってもたらされたゆるしと和解の恵みを祝い、そこから生きる力をいただく食事です。イエスはかつて徴税人や罪人とたびたび食事をともにして、そのことによって誰もが神の国の食卓に招かれ、神に受け入れられていることを示されました。

当時のユダヤ人にとって、ともに食事をするということは、来るべき終末の神の国の宴をこの世にあって表すものでした。それは神の救いにあずかっていることのしるしでした。ファリサイ派の人びとや律法学者たちにとって、徴税人や罪人が神の救いにあずかる自分たちの仲間だとは考えられないことでした。そこでイエスに対して非難したのです。ルカ福音書十五章にある、有名な「見失った羊」「無くした銀貨」「放蕩息子」のたとえ話も、イエスが罪人と食事をしていたことへの非難がきっかけとなりました。三つのたとえ話に共通して大切なことは、「一緒に喜んでください」という呼びかけに応えることです。教会が互いにゆるし合い、受け入れ合う共同体ならば、それはキリストの救いを告げ知らせる共同体でもあります。

イエスが「アッバ」父と呼ばれた神は、まさに放蕩息子の父親のような方なのです。神はどんな人をもけっして見捨てず、無条件で愛し、ゆるし、受け入れてくださる。大きく手を広げて放蕩息子を迎え入れる父親と十字架上で大きく手を広げて人々の罪のゆるしを願うキリストの姿とを重ね合わせることができます。

私たちもその姿を教会にあって世に示してゆきましょう。大聖年とは、まさにキリストによってもたらされた神のゆるしと解放を告げ知らせるときなのです。

教皇ヨハネ・パウロ二世は、大聖年公布の大勅書『受肉の秘義』の中で「キリスト教信仰の中心の秘義が二千年目を迎えます。それを和解への歩みとして、キリストとその教会を見つめるすべての人の真の希望のしるしとして生きてください。教会は『神との深い一致と全人類の一体性の』秘跡なのです(4項)。人間社会は『キリストのうちに新たにされ、神の家族に変わらねばならない』のです。この課題に応えるために、教会は一致を守り、交わりのいのちのうちに育っていかねばなりません(2項)」と呼びかけておられます。

(横浜教区報より)



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