共同体の奉仕する典礼

<第一部>

〔一体なぜ私達は日曜日にミサに与るのですか〕

こんにちわ

お暑い中をご苦労様です。

午前中それぞれの小教区でミサに参加しただけでなく、多分いろんな奉仕も終えてこられたところだと思いますが、更に聖体奉仕者の準備のためにこうやってたくさんお集まりになっておられる。なぜミサはそんなに大事なものなのでしょうか。別の言い方をすれば、なぜ、一体私達は日曜日に集まってミサに与るのですか。なぜ、カトリック教会は毎日曜日ミサがあるのですか。

いろんな答があると思いますけども、<だって行かないと罪になるでしょう…>とかね、それが一番消極的な態度ですが、<行かないと罪になりますから行きます>、<行かないと怒られるから行く>とか、まあ、一方的に言えば大人の場合は、なぜ行くのか、と言われたら、それは<私が行きたいから行くんです>。なぜ行きたいか。強制されて行くわけではありません。<私が自分で選んで>、<行けばいいことだから>、<行かなければならないことだから進んで行く>。<行かないと誰かに怒られるから…>、そういうことではないんですね。

〔これを私を忘れないために行いなさい〕

先程読んでいただいた「コリントの教会への手紙」で、<これを私を思い出すために行いなさい>。フランシスコ会の訳ではこういう訳がありました。<これを私の記念として行いなさい>。ということは?を使っていました。<記念>よりはまだ<思い出すために>とやった方がいいと思います。私は<記念>という訳には非常に不満も感じております。あまりにも薄っぺらな<時の記念日>だとか<結婚記念日>、<天皇陛下が来られた記念に樹を植えました>、<もう何年経ちました>とか。

ミサで行う<記念>ていうのはそういう何か私の出来事、ちょっとしたことを忘れないためのものじゃないんです。もっともっと大変な事、まあ、多分、私なりに一番納得のできる訳は<これを私を忘れないために行いなさい。このことを行って私があなた方にとってどういう救い主なのか。私が何を教えたのか。どのような生き方をしたのか。そのためにどんな目に会わなければならなかったか。そのことを忘れるな。このことを行う度毎にそれをもう一度心に刻みこんで目の前にまざまざと見て、そしてあなたの道を歩みなさい。私に付いて来なさい>。こういう呼びかけだと思いますが、ギリシャ語で<アナムネーシス>という言葉がありますが、記念とか想起、思い起こす、忘れない。何年も前にシェイクスピアのハムレットという劇が映画化された時にローレンス・オリビエという有名なシェイクスピア俳優がハムレットをやりました。あの中で非常に印象的だったのは、あの映画はお父さんがおじさんに毒殺されるんですね。それをある時、嵐の夜、お城の塔の上のようなところで、真っ暗で、雲が巻いて、霧が出てきて、その辺りに父親の亡霊が出てきて、毒殺されたことをハムレットに告げて、そのあと嵐の中だんだん消えて行くんですけども、その父親がハムレットに残した最後の言葉が<リメンバー…>、私のことをリメンバ−、憶えていなさい、記憶していなさい。

日本語で<憶えていなさい>って全く別のニュアンス蛾会って、<憶えていろ、そのうちに仕返しをしてやる>、これだけ。<憶えてろ>。

<アナムネ−シス、リメンバ−>、その時出ていた字幕は、<私のことを忘れるな>。憶えている。いつも心に刻んで目の前にみていること。

〔すべてを捨てて…?〕

衝撃的な出来事、それを初代教会の人たちは忘れないためにいろんあことをやったと思います。ユダを除いて11人の弟子達はみんなそれぞれ十字架に躓いて口先ではペトロさんのように<私は死ぬことがあってもあなたから離れるもんですか。私は一緒に死にに行きます。>という舌の根の乾かないうちに、カヤパの法廷で賄いさんに<あんたもあの人と一緒にいたでしょう。>と言われたら、<わしは知らん。>ってね。あまりに分かるんでおもしろいんですよ。

今、ケセン語訳の聖書というのが出ています。あれは素晴しい出来で、機会があれば皆さん読んでみれば分かると思います。気仙沼、盛岡、岩手県の南の地方で話されているケセンの方言で、お医者さんの山浦さんという方がもう30年も前からイエス様がもしケセン生まれで…、東北地方のそれこそ典型的なズ−ズ−弁です。それを福音に訳して、彼はそれを方言と言わないで、ケセン語で、とおっしゃってるんですけどね、そのマタイが出ました。それを書いてある本を読んでみて、分かりにくいんですが、CDが付いていてそれを聴くといいんですよね。本当にジーンときますよ。

それを聴くとやっぱりね、本当にイエス様が、もしケセン地方ならケセン語で話しておられる…。

イエス様はナザレ在住の頃には、ユダヤ人はアラム語を話していたかも知れないけれども、イエス様はそのアラム語のガリラヤ弁だった。エルサレムのよく知られている大祭司やサドカイ派やお金持ちのアラム語とは違う田舎の人の言葉をお話になった。

ペトロもガリラヤの漁師でした。だからペトロは一生懸命になってガリラヤ弁を隠そうとしました。でも言葉で分かる。イエス様をそうやって一度は否定してみんな弟子達が逃げてしまった。この弟子達は本当にものすごいラディカルな回心を体験しました。

その復活体験について本当はお話したいんですけど長くなってしまうのでやめますけどね、やっぱり彼等にとってイエス様は本当にものすごい魅力のある方だったと思います。ものすごい迫力のある方でした。気迫にこもっていて。やっぱりイエス様に出会うとイエスの弟子になるか、敵になるか、イエス様に対して中立の立場をとることはできない。それ位鮮烈な生き方をされた方だと思います。

弟子達はみんな、まあ、イチコロでイエス様に惚れ込みました。そして<ついてこい>と言われると喜んで、ペトロが言うように、<私達はすべてを捨てて…>従いました。でもね、本当はすべてを捨てていなかったんですよ。イエス様についていったけれども野心がありました。この点では、田舎のナザレ出身の田舎預言者で終わる方ではない。そのうちにこの方は天下を取る方だ。今でこそローマの支配下で苦しんでいるけれども、この方はやがて神の力をいただいて天下をひっくり返して新しいエルサレムを、新しいイスラエルを創ってくださる方だ。だから今、お尽くしし、お仕えしておればそのうち、この私もどこかの県知事か大臣にゆくかしてもらえるだろう。そういう野心がありました。

福音書の中に出てきますね。私達の中で誰が偉いか、というので口論が始まった。やっぱり偉くなりたかったんです。ルカの福音書を読むと、最後の晩餐のそれこそ聖体制定のあとで弟子達はまだもめます。誰が偉いか、一番偉いか口論していた。そういうイエスに会えて、惚れ込んで、これほどの立派な方はいない、とついていくんだけれども、まだ人間的な計算は残っていて、自分は、でも、やっぱり、一緒に偉くなりたい…。その気持ちは十字架でツルっと潰えさりました。<あの方こそイスラエルを復興してくださる方だと私達は思っていたのですが…。>エマオへ行く弟子達の言葉です。

彼等もやっぱり十字架に躓いて都落をして田舎にトボトボと帰っていく。やっぱりお話しした方がいいかな。3日前までイエス様と一緒にいた弟子達はいかに十字架に躓いて逃げてしまったとはいえ、復活の日の午後ですよ、道を歩いていてイエス様が現れて一緒に歩き始められたのに、彼等は目が遮られていてイエス様とは気がつかなかった。そんなバカな話がありますか。3日前で、2年か3年寝食を共にしていたイエスが一緒に歩いてくださる。そのイエスが分からない。ペトロを含めて彼等は十字架に躓いた。いざ、というとき、イエス様が一番友だちを必要とされたときに何一つ友だちらしいことをしませんでした。我が身可愛さにみんな逃げてしまいました。で、そしてその後十字架から降ろされて、葬られて、お墓に封印をして、婦人達に現れても弟子達は信じませんでした。

4つの福音書の復活の箇所をまとめて読んでみてください。みんな異口同音に、<彼等は信じなかった。>中には<疑う者がいた。><イエスは彼等の不信仰をおとがめになった。><彼等は受け入れられなかった。>ペトロのようにそれぞれがイエス様の素晴しさに、魅力に引っ張られて弟子になった。だけれども自分の中に人間的な野心があった。そのまま出てくれば全部ダメになってしまった。私はなんという情けない人間なんだ。行くときにはカッコイイ大きなことを言って、関西弁で「エエカッコしい。」イイカッコをしてしまう。ペトロなども最後何かことがあるとシャシャリ出てきて「あなたは生ける神の子メシアです。」て言ったりとかね。いろいろ言いますよね。で、ちょっと言っては失敗して怒られていた。

カッコのイイときには目立ちたがり屋で自分のことを褒めてもらいたい。カッコのイイことを言うんですが、いざ、となると何もできない。逃げてしまう。イエス様ほど素晴しい方はいなかったのに、その方が本当にいざ、というときに私は何もできなかった。その自分の情けなさ。薄っぺらさ。口先人間。その自分の嫌らしさ。罪深さ。本当に自己嫌悪のどん底に会った。自分でも自分を赦すことができない。そして自分で落ち込んだ暗い穴の中でもがいてももがいてももう出口はありません。そういう心理的な状況の中にある人の前にたとえ復活されたイエス様が現れてもまず、日本語の言葉で言うと、会わせる顔がない。あっ、生きてらっっしゃったんですか、よかったですね。でも十字架って痛かったでしょう。そんなこと言えた義理じゃない。本当に自分の罪深さにほとほと愛想を尽かして、それでも自分で自分を赦すことができない程真っ暗な穴に落ち込んでしまっているその弟子達。ある日、ある時、それは聖書に書いてないから私の想像なんですけども、でも、あながち間違っているとは思いませんが、私はこんな人間だけれど、口先ばっかりでいざとなったら何もできない無責任な人間だけれども、そしてあんな先生を裏切ってしまった男だけれども、それでもイエス様はまだ私のことを愛してくださる。こんな私をイエス様は赦してくださっている。私がしたのはイエス様を裏切ることだけだけれども、でもイエス様は私がこんな人間であることを知っていながら選んでおられたんだ。そしてそのイエス様が今の私を愛してくださっている。私の裏切りを赦してくださっている。まあ、皆さんもたとえば<赦しの秘跡>なんかで<罪の赦し>の体験がおありだと思いますが、その<罪の赦し>というのは自分が作り出すものではありません。完全に与えられるもの。そして罪の赦しが与えられるときに一遍に心が明るくなる。それは神様の働きです。私達人間の魂に直に触れることができるのは神様だけです。外科手術の名医の先生がどんなに鋭いメスでもって身体を切り刻んでも魂に触れることはできません。人間の魂の暗闇に、深い傷に触れてその闇を一挙に光に変えることができるのは神様だけです。魂にのしかかってくるその罪の重荷。そこでもう打ち拉がれてしまうような重荷から一挙に解放してくださることができるのは神様だけです。(私は)ユウシンの弟子、使徒一人一人がそれの体験者で多分その体験を<聖霊降臨>という。あるいは神学者派それを<復活体験>という。イエス様は復活だったから我々関係のないところで死んで、まるで野球の外野席から「アッ、変わりました。十字架にかけられました。はい、葬られました。3日目になりました。アッ、戸口が開きました。出てきました。」そんなことじゃないんです。イエス様が復活されるところを見た人は誰もいません。ただ分かっているのは、葬られた、お墓が空になっていた、そしてそのあと婦人達にお現れになった、弟子達にお現れになった。でも現れてくださっても心が閉じられている時は分からない。イエス様だって分かったのは彼等が自分の罪深さ、弱さ、それを正直に認めて受け入れてしかもその私をそれでもイエス様は愛してくださっている。私は愛されている。それ程の働きをしてくださる方は私しかいない。生きておられます。だから初代教会、イエス様の復活されたという言葉より以上に使うのは、<主は生きておられる。>その体験なんです。

確かに十字架につけられて、殺されて、亡くなって、お墓に葬られたけれども、その方が今は生きていて、そしてこんな罪深い私達の魂に直に触れて罪を赦し、その重荷を取り去り、自分が落ち込んでしまっていた底なしの暗闇を一挙に光りに変えてくださる。そのことをしてくださる方は確かに生きておられる。そのことをまとめて<復活>という特別の言葉を使うようになります。私達は復活体験をしました。そして彼等は人が、人間が、変わりました。ヨハネ以外はみんな<復活の証人>となって殉教しました。それ程の体験をしたら完全に新しい人間に生まれ変わります。もう口先人間ではない。自分は罪人なのだ。だけども私を通してイエス様が働いてくださるのだ。みんな復活の<主は生きておられる>、そのことのために命を捧げる。だから弟子達はもう、イエス様のことを忘れる、というのは思いもよりません。でもそのあとの世代の人達、イエス様を知らない人達が、例えば使徒の宣教によって受け入れて共同体に入ってイエス様のことをいろいろ教わる。正しい教えだ。正しい生き方だ。だけども使徒達もそうであったように、人間は燃えているときもあるけれども、燃えないときもある。燃えるような信仰で、神様、神様、アーメン、ハレルヤって朝から晩まで過ごせるわけじゃありません。結婚した夫婦が結婚以後最後までハネムーン続きだった。考えただけでもゾッとしますね。そんなもんじゃありません。ちゃんと育っていかなければならない。育っていくプロセスの中では必ず、もう古い言葉かもしれませんが、倦怠期がやってくる。でも、それを乗り越えていく。信仰だっていつも燃えているわけじゃありません。神様は信仰の慰めを与えてくださるときがあるし、もうちょっと大人になりなさい、というので、慰めを取り去ってしまわれるときが必ずきます。そういうときにこそ慰めはなくても祈りつづける。祈って神様が聞いてくださるように思わなくてもそれでも祈りつづける。それが大事なんです。そうでないとお祈りが、何かの慰めがあるから祈ります、慰めがなくなったから止めました。それは「金の切れ目が縁の切れ目。」その人は神様を愛していたのではなくて神様のお恵みを愛していた。お恵みをください。神様はどうでもいい、お恵みさえあれば、っていうのは、それはもう赤ん坊の幼稚な信仰ですね。そこからもっともっと大人の信仰になっていくためにはいろんな試みがあり、慰めがなくても、人から悪口を言われても、誤解されても、きちんと熱心に従って行く。神の言葉を守って生きる。それによって初めて信仰の命は育っていく。そういうときに人間は弱いものだから自分だけでは、一人だけでは信仰は守ることができない。だから仲間が必要です。共同体の支えが必要です。だから自分がいろんな悩みや試みや困難に直面しているときにやっぱりね、信仰共同体、信仰深い友だちも、生き方、励まし、祈り、そういうものに支えられて困難を乗り越えていく。だから金がなくっても頑張ってしがみついていく。そして全くそれは予定表には入れることはできませんが、私は〇月〇日に神様からお恵みをいただくことになっています、って予定が立たないんですね。思いがけない形で神様のお恵みが起っている。そして、まあ、人間的な言葉で言うと、一皮剥けてもう一つレベルの深い、もっとしっかりした信仰に成長していく。そういう共同体がイエス様のことを忘れないためにいろんなことをしなければならない。特に初期のキリスト信者は全部ユダヤ人。ユダヤ教の本部からは睨まれている。反対される。あるいはローマの迫害がいつやってくるかわからない。そういう、もう本当に四面楚歌のような状態でどうやったらイエス様の記憶を、イエス様のことを忘れないで生きていくのか、いろんなことをしたと思いますが、その中で一番簡潔な方法は一緒に定期的に集まるということでしょう。定期的に集まって食事をする。そしてその集まりの中でイエス様の思いでを語り継いでいく。そして共同で食後のイエス様の教え、生き方を話し合う、語り合う。いつ集まったのか。多分初期の共同体はユダヤ人として金曜日の晩に集まる週間がありました。金曜日の晩というのはどういうことなんでしょうかね。(ハガキにこう書いてあったんでしょうか)ユダヤ教徒は金曜日の晩に安息日がありました。金曜日の日没と共に次の日になりました。そしてその安息日を祝う最初の食事、安息日初めの食事、それは今でもユダヤ人はサバスの食事を大事にします。

「屋根の上のバイオリン弾き」という素晴しいミュ−ジカルがありますが、ご存知と思います。機会があれば見てください。すごく面白い。その中にちゃんとサバスの食事が出てきます。イエス様の時代にも初代教会にはやっぱり、彼等ユダヤ人にとっての安息日初めの金曜日の晩の食事はハブラ−、友だちが集まって共にする宗教的な食事。食事でありながら半分祈りであるようなね。楽しいけれどもまた、同時に祈りである、その瞬間がありました。そしてそこで食事を共にしながら、また、イエス様の思いでを語り継いで行きます。この食事の土台からやがて今日読んでいただいた、パウロが言う<主の晩餐>に<死>にと進んでいきます。

共同体で語り合っていた、そこから共同体のテキストを作らなければならない。共同体の記憶を確保するために、決まった言葉にする。イエスの生涯について。教えについて。特に死と復活。それをある人はこんな話し方をする。別の人はこんな話し方をする。いろいろあったでしょうが、それをまとめてきちんとした決まった言葉でまとめる。そして集まった人が同じ言葉でキリストの、イエスの思いでを語り、一緒に祈る。一緒に唱える、一緒に聴く。日常性の中からやがて4つの福音書が編集されていくことになります。それは共同体の記憶を、共通の記憶を確保するためだったと言っていいと思います。初代教会の共同体がイエスのことを忘れないためにあの手この手でやった中で一番確実なものとして残ったものはまず「食卓の典礼」でした。その「食卓の典礼」から今の「ミサの典礼」へと移っていくんですが、最後の食事で「主イエスはパンを取り、感謝し、その次に割ったんですね。割って、さいてそして割って与えて仰せになった。そしてパウロとルカではこの間に食事が入ります。そして食事が終わると食事のあとにぶどう酒の入った杯を取って杯を取り、その次は「感謝を捧げ」、そして、「与えた」。

ただ、初期の初代教会のミサの順序、主の晩餐の順序というのはまず、食事の席でした。そして食事の初めに、いわば「食前の祈り」にあたるパンの祝福、といってパンを祝福するのではなくて、パンをとって神様を祝福する。神様を祝福するっていうのは変な話ですから、神様に賛美を捧げる、そしてそれを割って食べる。それがいわば「食前の祈り」でした。これで食事が始まって、そして食事が終わると最後に「食後の祈り」。で、その時にぶどう酒をとって、ぶどう酒の上の特別の感謝の祈りを捧げてそれをみんなが飲む。それで「主の晩餐」は終わりました。「これを私の記念として行いなさい。私を忘れないために行いなさい。」

でも、そのうちにだんだん、どうも食事をやるっていうのはむずかしい。うまく行く時があるけれどもいろいろ困難がある。コリント前書に出てくるようにそこでお金持ちと貧しい人が差別される。そんなようなことがあって。今日は聖体制定の所だけ聞きましたけどね。あの前後関係はパウロがどのようにミサが始まったか、っていうことを言っているのではなくて、あそこではコリントの人たちがお金持ちと貧しい人たちを差別して主の晩餐をやっている。そんなことでは主の晩餐を祝ったことにはならない。私が伝えたのはこういうことだ。それで今日

だからイエスが差別なしにご自分の命を与えられたように、あなた達も全部一緒に分かち合わなければならないのだ。でも実際に食事っていうのはなかなかむずかしいのでだんだんここから進化してパンとぶどう酒がたてつづけに行われるようになった。その時に聖書にあるようにまず、パンをとって祝福があって、いわばパンの拝領をひとまずパンでやりました。はい、今度はぶどう酒です。またパン。ぶどう酒をとって感謝の祈りを捧げてそれから御血の拝領がある。そういうまとめ方をしませんでした。古今東西、東から西までいろんな古い奉献文がありますけれども、その2つがまとまった時に、初代教会、ちょっとあとにだんだんミサの典礼が形造られていく中で、パンをとり、それからぶどう酒をとり、その2つを一緒にまとめて行います。これが奉納になるのです。今の言葉では供え物の準備。主の食卓を準備する。パンとぶどう酒、水、いろんな必要なもの等を準備する。その段階にまとめる。それからパンをとった。パンの上の賛美。パンをとって賛美し、ぶどう酒を取って感謝の祈りを捧げ、これが感謝の祈り、奉献になる。感謝の祈りです。そしてB番目パンを割って与える。それからぶどう酒を与える。この3つがくっついて今の交わりの儀、分かりやすくいうと拝領、聖体拝領になっていく。こういうまとめ方をしました。だからもともとは主の晩餐が新約聖書の文章に書いてある。パンをとってから食事があってぶどう酒をとってD、E、Fといく。そういう儀式の順序をとった教会の伝統は一つもありません。東方教会でも西方教会でもこのパンとぶどう酒がくっついて主の晩餐の記念を行うのにはパンとぶどう酒をとって準備する。パンとぶどう酒の上に感謝の祈り、奉献文をいった。そしてパンとぶどう酒が与えられる。パンだけとってまずパン、はい、今度はぶどう酒、と、こういうまとめ方をしませんでした。これが今私達が感謝の典礼、食卓の典礼。源は金曜日の晩の共同体の食事でした。そこで語り合うこと、共通のテキストを作っていく。そこでいろんなガリラヤ地方の伝承がある、エルサレムの伝承がある、ヨハネの弟子達によるグループがある。こういう伝承の違いが4つの福音書という形で残されていく。この中で特に「感謝の典礼」をもう少し詳しくお話ししておきたいと思います。

新約聖書を見ると、今、私達は「ミサ」という言葉を使いますが、先程出てきた一番古い言葉は「主の晩餐」。あるいはルカが残している使徒言行録にあるのは「パンを割く」。そのあと初代教会で使うようになった言葉がエウカリスチア、ギリシャ語で「感謝」。これはこのままラテン語でも「エウカリスティア」という言葉を使います。これにはいろんな意味があって、一つはミサ全体のことを「エウカリスティア」と言います。もう一つは司式者がパンとぶどう酒の上に捧げる祈りのこと、「感謝の祈り」のこと。奉献文、これも「エウカリスティア」。もう一つはそこで聖別されたパンとぶどう酒。聖別されてキリストの身体、キリストの血となったもの。それを「エウカリスティア」。あるいはご聖体のことを「エウカリスティア」。

それに対してミサという言葉はミラノの司教、アプロジオ、4世紀の聖人ですが、聖アウグスチヌスに洗礼を授けたんですが、彼が彼が書いた本の中でミサの説明なんかをしていて、ミサの終わりに司祭が「終わりましたよ、行きなさい。」「イテ・ミサ・エスト。」どういう意味なのか、言葉のニュアンスまで私達には分かりませんけども、あなた達は送りだされるのです。ミサは終わったのですから。いろんなニュアンスがミサの最後に使う「イテ・ミサ・エスト」。「イテ」は「行きなさい、皆さん行きなさい」、「ミサ・エスト」は「終わりましたよ。もう出ていっていいんですよ」、あるいは「派遣されるのですよ」。言葉そのものは大事な言葉じゃないんです。言葉自体大したことはないんだけれども、この言葉によってミサの儀式全体を表そうとした。それで「ミサ」っていう方が定着していますけれども「エウカリスティア」という方がもう少し内容を表すんですね。いずれにしても、どちらの言葉を使うにしても、その言葉が何を表しているか、中身の方を私達はもっと理解しておきたいものです。それでこの「最後の晩餐」から出た「感謝の典礼」。「言葉の典礼」が終わって「感謝の典礼」に入る。この「エウカリスティアの典礼」でパンをとり、「感謝の祈り」、「奉献文」、「拝領」。パンをとり、ぶどう酒をとり…。長い間「奉納」という言葉を使ってきました。正式にはもう「奉納」という言葉を使いません。ここは「供え物の準備」。それからパンとぶどう酒。ミサで使うもの。要するに「主の食卓」を準備する。ただそれに伴うときに「奉納の歌」だとか「奉納祈願」、「奉納行列」。そっちには奉納という言葉が残っているわけで紛らわしいんですけども、でも、ミサの流れの中で儀式そのものは奉納、捧げるところじゃない、準備するところ。本当の捧げものは奉献文の中でいう。だからそれを混同しない為に、正式にはこれは奉納ではありません、食卓を準備する。

<第二部>

〔ミサのはじまり〕

奉献文のお話をするつもりでしたが、その前に初代教会の共同体はイエス様のことを忘れないために、決まった日に共同体が集まって食事を共にして、そこでイエス様の記憶を語り継いでいく、そういうことをしました。その記憶がバラバラにならないためにきちんとしたテキストを残す。そういう努力から福音書が編集されていきました。それからだんだん金曜日の晩から、キリスト教がユダヤ教から独立していくプロセスで金曜日の晩ではなくて日曜日の、多分、朝早くか夜遅く、その頃迫害の時代、日曜日は休みではなかった。普通の仕事をしてきたが、その日に集まるようになった。ユダヤ教の安息日からキリスト教の主の日、週の初めの日に、イエスは復活によって主となられた。その週の初めの日のことをキリスト教では「主日」とか「主の日」と呼ぶようになりました。主日にキリスト者は集まる。例えば150年の頃の聖ユスチノフという殉教者がいるんですが、この人がその当時のロ−マ皇帝とかいろいろキリスト教に対して誤解のある人たちにキリスト教のことを説明している手紙が残っていまして、ユスチノスの働きやキリスト教の弁明というふうなことが窺えますが、例えばその中の手紙で、私達キリスト者は日曜日に太陽の日に町でも村でも全部が集まります。そして時間の許す限り預言者と使徒の思い出を聞きます。旧約聖書と新約聖書を聞く。それからパンと水とぶどう酒が準備されて司式者がその上に長い感謝の祈りを捧げる。長い祈りだったんですね。その祈りに会衆は大声で「アーメン」と応えます。それはヘブル語で「そうでありますように。」と言った。そのミサの方法は今とほとんど同じ。中心的なところは。つまり、前半に「言葉の典礼」。聖書を中心にして、旧約聖書や新約聖書の朗読があり、説教があり、共同祈願がありました。今と違うのは共同祈願のあと「平和のあいさつ」をしました。それから「食卓の典礼」に入って「感謝の祈り」が行われ、みんながそこで割かれたパンをいただきます。基本的な構造はいわゆるミサの形。最初の話の流れで言うならば、共同体がどのようにイエス様の記憶を保つか。イエス様のことを忘れないために皆でどういうふうにするか、っていう基本的な形はその頃出来上がりました。あともう少しきちんと決められた通りっていうことがありますけれども、基本的な形はできた。ただ、大きな歴史の流れの中でとても大事なことは、では一体誰がミサを捧げるか、もしくはこの問い方自体にも問題があるんです。本来は誰がイエスの記憶を保つのか。個人ではなく例えば共同体でした。共同体が集まってこのことを行って、そしてその共同体の記憶の中にまた新しい人たちを、子供達をその中で養い育てていって、それが又、次の世代に伝えられる。しかし中世にはその共同体が崩壊してしまいます。

〔共同体の崩壊〕

いくつかの理由がありました。一つか二つ大きなものだけ。一つは言葉の壁がありました。全般的にこの時代にイエスはアラム語を使っていらっしゃいました。しかもガリラヤ弁。ペトロもアラム語のガリラヤ弁。でもそのイエスの記憶を、イエス様の福音を全世界に宣べ伝えなさい、と言われるとき、アラム語で説教しても誰も聞いてくれないかも分からない。だからもう、使徒達の時代、すでに当時の地中海もロ−マ帝国もヘレニズムの世界も共通の国際語、それはギリシャ語でした。だから新約聖書は全部ギリシャ語で書かれています。ギリシャ語で祈りました。でもそれはアンティオキアとか今のシリアとかその辺りはシリア語になっている。シリア語の典礼がある。エジプトのアレクサンドリアを中心にエジプトの言葉、コプト、エジプト、エキプト、昔のコプト、コプト語で祈る。ローマではギリシャ語で祈っていましたが、300年代の中頃になると、昔のキケロとかセネカとかラテン語の伝統が復活してきて、民衆の言葉がラテン語になっていきます。ギリシャ語は貴族の言葉、学者の言葉。民衆はラテン語。それで360〜370年の頃、ダマスという教皇様の決定で、ローマでは典礼・祈りはラテン語で行う。民衆の言葉、ラテン語で行う。それでギリシャ語の伝統を捨てたんです。で、新約聖書など全部ギリシャ語で書かれているその伝統を捨てて民衆の言葉をとりました。でもそのためには聖書はラテン語でなければどうにもならないので、それで教皇は当代きっての聖書学者、ヒエロニモ、聖ヒエロニモに命じて旧約と新約の聖書全部をラテン語に訳しなさいと。ヒエロニモというのは大聖人だけれども、又、お口がお悪いという点ではこれ又、彼の右に出る者はない、というすごい人だったんですけど筆の立つ人で、彼が何か一言言うとローマ中がハチの巣をつついたようになってしまう。とうとうローマにおれなくなってベツレヘムに行って、今ベツレヘムの生誕教会の地下の洞窟に10何年間こもって聖書をラテン語に訳しました。それをウルガータ、ラテン語でウルガータ、英語でバーガ−、俗っぽい。大衆語訳的。でもこのヒエロニモのウルガータ、ラテン語訳が1500 年の間ローマ教会を支配します。

聖書を翻訳するっていうのは大変なことなんですよ。ヒエロニモのこのラテン語の訳で、例えばトマスアクィナスが神学大全を書き、あるいはベネディクトの修道院の教会の祈り、聖務日課をこのラテン語の訳で詩編をうたう、この訳に基づいて神学がなされ、小説が書かれ、詩が作られていく。大きな貢献をいたしました。ところがこれが1000年頃になるとお膝元のイタリアではラテン語がどんどん変わって言ってイタリア語になっていきます。だから12世紀、ダンテの神曲というのはイタリア語で書かれます。同じラテン語はフランスではだんだん変わってきてフランス語になっていく。イベリア半島ではスペイン語になっていく。だから1000年の頃になると民衆はもうラテン語を使いません。わからなくなりました。ただ学者、法律家、医者、そして司祭がラテン語を使う。民衆はもうラテン語は分からなくなったけれども教会はラテン語を使い続けました。その結果、もう司祭が何を祈っているか、ある程度勉強した人は分かるかもしれないけれども普通の人はもう分からなくなりました。そこで会衆と司祭の間にだんだん壁が出来ていきます。ミゾができていきます。司祭が祈っている。会衆はもう何のことか分からない。それから大きなシンボルの変化。それは食卓がだんだんと祭壇になっていきました。ミサの出発点は「最後の晩餐」でした。食事でした。家族が、弟子たち共同体仲間が集まって食卓を囲んで一緒に食事をする。それが中心でした。初期の教会は真ん中に食卓がありました。食卓は四角い1m四方ぐらいのものがあり、その周りをみんな立って囲んでいたようです。各国によって違うものがありますけれども、中心が食卓。またいろんな歴史的な理由があって、その食卓がだんだん会衆から離れていきます。特にペトロ大聖堂が改築された時かなんかに細長い建物になって、でも祭壇はペトロの遺骨の真上でなければならない、と誰かが主張してそこに祭壇を設けた。それは建物のはしっこだった。そうすると後ろの方の人はそれでは見えない。だから祭壇を見えるようにするために、というので10何段のステージの上に建てました。階段の数があるだけ会衆から離れます。それだけ高くなります。ステージの上に上げられた食卓はもう食卓ではない。祭壇なのです。このシンボルの違いは言葉の説明だけではもうミゾを埋めることはできません。ここにある食卓は本当は共同体の食卓なんです。肌で感じることは、それは祭壇なんです。食卓が持っている意味は、それは家族が、友人が一緒に集まって、それを囲んで、座って一緒に食事をする。そしていろんな話し合いをする。いろんなことを分かち合う。人間さまが物を食べるところなんです。ところが祭壇となるとそうはいきません。祭壇は普通のイメ−ジでは、普通の人が軽々しく近寄ってはいけないところです。ごく限られた特権階級の人たちだけがそこに恐る恐る近付いて神様に捧げものをするところです。神様がそれを受け取って食べてくださるところです。人間が食べるところじゃないんです。まあ、神道なんかだったら捧げたものが後で下ろされてきて、みんなで分けて食べますけどね。祭壇そのものは人間が食べるところじゃないんです。こうして共同体の中心にあった食卓が祭壇になっていった。これはやっぱりミサは共同体そのものであるというその意識を根底から覆すものになりました。そして共同体から離れていった祭壇はとうとうこれ以上離れられないところに、壁にくっついてしまった。壁にくっついた祭壇。そこで司祭がミサを捧げる時にももう囲むことはできなくて会衆に背中を向けてやりますね。会衆から司祭の方も背中だけしか見えません。言葉はラテン語でわからない。見ることも見えない。本当に、「何ごとのおわしますかは知らねども…」。ただ何となく神々しい気持ちになるけれども本当のところは何のことか分からない。これを信仰の神秘といいます、って言っちゃダメなんです。まあこのほかにもいろいろな要因があって、ここで、要するに、共同体が崩壊してしまって、その結果、ミサとは司祭が行った。共同体の中で司祭のミサになりました。特にこの時代から広まっていった個人ミサと言うと、司祭が一人でミサを行った。悪い習慣ができました。そしてこれがやっぱり1000年続いたんです。だからそういう意識がまだまだ今の教会に残っている。共同体の中にも司祭の中にも残っています。

〔共同体の役割〕

だからこれを変えようとしたヴァチカン第2公会議、典礼憲章、その前後の典礼運動、そしてその後の又いろんな刷新の動き。これはものすごいことだと思います。ミサっていうのはカトリックのトレードマークなんですよ。そのトレードマークの基本的な考え方を変えるっていうのは本当に大変なことで、やっぱりこれね、聖霊が働いてくださらなければ不可能なことだと思います。よくミサの典礼に信者の人が、労働的に積極的に参加する、典礼に参加するっていう言葉を使いますが、時々ある人が間違えて、司祭がミサを捧げて。信者の人はその司祭が捧げるミサに参加する、と思っていらっしゃる方が、皆さんの中にはいらっしゃらないと思いますが、とんでもない大誤解。大誤解どころか十解ぐらいになりますが、そうじゃありません。参加という言葉を使うならば司祭も典礼に参加いたします。典礼を行うのは共同体です。共同体が行うその共同体に司祭は司式者として参加します。決して司祭一人が全部やってそれに信者の人に参加させてあげる。そんな司祭の私有物ではありません。ミサは共同体のものです。司祭は司式者として参加する。あるいは司式者として奉仕する。信者の人は会衆、朗読、先唱、オルガン、聖歌、案内、いろんな役割があって、オーケストラにいろんな楽器があるように共同体全部がみんな初めから終りまで同じことをするんじゃなくて、で、共同体の行為の中に、聖パウロが教会のことをキリストの身体っていうイメージで表しているように、目があり、手があり、口があり…。身体中口だったらどうするのか。身体中じゃ困るんですね。やっぱり、手があって働かないといけないし、足があって歩かなきゃいけないし。それでね、ちょっと話しを思い出しました。去年、韓国人のイエズス会士が、とにかく何でもいいから面白い話をしなさいって課題を与えたことがあったんですね。そしたら彼が日本語が韓国語のなまりがあるんですが、「今、韓国の教会でこんな話が流行っています。神父が死んだら口だけ天国に行く。シスターは病院や市場やよくあちこち行くので足だけ天国に入る。信者の人は耳だけ天国に行く。耳だけでも口だけでも困りますよね。共同体にはいろんな役割があります。人間の身体にいろんな部分があるように役割がある。それでそれぞれがその役割を果たして一つの共同体の一つのミサになります。だから時々昔の考え方だったら、誰々神父さまの何時のごミサ、この教会では絶対そんなこと言わないでください。神父のミサじゃありません。藤沢のどこかの共同体の何時のミサ、それを司祭か誰か司式をいたしますけれども、決してその神父のミサじゃありません。共同体のミサです。共同体のミサに司祭も参加させていただきます。みんなが参加して、参加の形は違うけれども、それで一つの共同体の一つの食卓を囲んで一つのミサ、キリストのミサになります。

共同体の真ん中から離れてステ−ジの上に上げられて時には壁にくっついてしまった、祭壇になってしまったものを、どのようにもう一度共同体の真ん中に。どのように食卓に囲むか。まあ、ちょっとセンセ−ショナルな言い方をすれば、公会議後の典礼の刷新の努力の方法っていうのはそれなんです。

〔みんなのミサへ〕

司祭の私物になってしまっていた司祭のミサをどのようにしてもう一度共同体の手に返すか、どのようにしてそれを共同体のミサにするか。まだまだその理想的な解決は分かりません。でもいろんなところで暗中模索じゃない、暗中じゃないですね、もう先は少しづつ見えてきます。例えばこの教会で「言葉の典礼」のときは朗読台、み言葉の食卓。それをみんなで囲んでいる。そして「感謝の典礼」のときには今こちらに動かしてありますが、この主の食卓がこの辺に置いてあってこちらに司式者がやってくる。皆さんがいつもそれを囲んでいる。片方から一方的にっていうんじゃなくて、これはやっぱり一つの、特にこういう形の教会では非常に意義のある場所の配列の仕方、配置の仕方なんですね。縦長の細長い教会はどうするか。むずかしいと思いますけれどもやっぱりいろんなことをやってみないと。私達はどうしてもこれまで自分の慣れてきたそういうものがあるし、それを変えていくとか新しいものを試みるっていう時にすごい抵抗があったり、ノスタルジアがあったり、いろいろあるものですからね、かえるのはむずかしいかも知れませんが、でも、大事なことはどういうかたちのミサにしたら、どういう参加の形にしたら、本当にイエス様の記憶を共同体として新たにしていくことができるのか。新しく来る人にイエス様の記憶を本当に生きる力として伝えていくことができるのか。それはまだまだ努力は続いていくと思います。ですから1000年の頃にミサも共同体が崩壊してしまってとても残念ですが、それでミサが司祭のものになってしまった。もう一度典礼は共同体のものであり、皆さん、勉強なさるものの中に、ミサ典礼書の総則っていうのがあると思いますが、それの本文というのは祭壇の上に置いてある赤い大きなミサ典礼書ってありますよね。あの一番初めの部分の100ページくらいはミサ典礼書の総則って、ミサは何であるのかを書いてあるんです。最初に前文とか何とかあって本文に入っていく第一、冒頭に書いてあることが、ミサの祭儀はキリストの行為であり、神の民の行為である。先程ミサは誰がって書きましたけど、ミサを行うのは誰か。今教会がミサ典礼書の最初の言葉として言明しているのはミサを行うのはまず第一に大祭司キリストである。そのキリストを頭として結ばれている神の民、共同体なんです。ミサを行うのはキリストとキリストに結ばれた共同体です。この総則の中でミサを捧げるのは司祭であるっていう言葉は一度も出てきません。司祭のミサではないからです。これが公会議後の教会のミサについてのオフィシャルな見解というとおかしいですけれども正しい理解なんです。でもどうしてもやっぱり司式者というのは一番目立つし、確かにミサがどう行われるかに一番大きな影響を持っていますから司祭が目立つのは仕方がないんですけれども、まだまだ私の考えでは司式者がやることが多すぎると思います。司祭の言葉が多すぎると思います。それはこれから何年も経つうちにもっといいやり方が、もっといい祈りが、もっといい、例えば奉献文、会衆がもっと参加していく、本当に会衆がみんなでイエスさまのことを思い起こして、そして父なる神様に賛美を捧げる、感謝を捧げる、そういう祈りがこれからミサの中に現れてくると思います。だから私達はそこに向かって共同体としてイエス様の記憶を保っていく。そして自分の中で新たにしていく。それをまた新しい人に伝えていくことができるように、そのことを心掛けたいですね。この誰がミサを行うのか、ということは神学者キルケゴ−ルという人がル−テル教会の人ですが、300年位まえだと思いますが面白いことを言ったんですね。共同体の役割で沢山の人は典礼的に言って間違った考えを持っている。間違った考えというのはミサの主役は司祭である、と。そしてそれを見ている、聴いている聴衆。見ているのが会衆。会衆が見ている。そしてプロンプター、後ろから台詞を教えてくれる人、それが神様である。だから司祭が一番目立つ。司祭がステ−ジの真ん中に立って、会衆は見ている。司祭が何を言うか、後ろから神様が教えてくださる。そんなイメージで考えているけどそれは間違いである。この演劇のイメ−ジで考えるならば主役は会衆である。そして会衆席に居てそれを見て、聴いて、楽しんでおられるのは、それは神様である。会衆がどういう言葉を言うか、どんな祈りをするか、それもプロンプタ−、言葉を教える、それが司祭である。まっ、例えですからちょっとひずみがあるかも知れませんが、でもやっぱり特に17世紀に出てきたというのはこれはすごいことです。やっぱり大神学者です。だから典礼の主役は皆さんなんですよ。司祭は司式者の役割。勿論自分でいろいろできることがありますけれどもそれだけではなくて、どういうふうに会衆の祈りを導き出すか、そこに集まった人たちをどういうふうに安心して落ち着いて祈ることができるか、どういうふうにみんなの一致した雰囲気になることができるか、そういうことはいろいろ司式者が気を遣わなければならない。ここで大事なことは、共同体のミサで大事なことはその中の役割の分担。共同体の典礼の中でどう言う役割ができたか。司式者のことは今ちょっと言いました。そしてミサではなくてこれから必要になるかもしれない集会祭儀。集会祭儀やってらっしゃるところありますか。ミサの中の聖体奉仕とか病人への奉仕とかありましたけれど、集会祭儀を司式してらっしゃるところ。(返事があって) 修道院でですか。教会ですか。(返事)修道院。(返事:司祭が不在のために)そうそう、勿論、そうですよ。行っているということです。司祭がいない時にその集会祭儀を行って、言葉の典礼を行って、聖体拝領をおこなって、それを集会祭儀というんです。それをシスターのところでしてらっしゃる。どこですか。みんなで祈りあってるのは。修道院。だからそのうちに普通ミサのときには司祭が司式いたしますけれども、司祭のいないところではミサは行われないけれども言葉の典礼とそれからご聖体はすでに聖別されたものでそこに置いてあるものか他所の教会から持ってくるかどちらかで聖体拝領を行う、そういう儀式のことを聖体祭儀というんですね。で、集会祭儀の司式者は聖体奉仕者、あるいは祭壇奉仕者という言葉を使うこともあります。そっちはちょっとややこしくなるから今のところ司式者、ミサの司式者で考えてみます。そうするとまあ、司式者はいいとして、ミサの中で他にどんな大切な役割がありますでしょうか。思いつくままにどんどん言ってください。ミサの、共同体のなかの役割、何がありました?はい、朗読、それから聖歌、先唱、教会によってはこれを解説と言います。はい、他に?祭壇奉仕。祭壇奉仕っていうのは侍者のことですか?はい。わかりやすく侍者にしておきますね。あとはどうでしょう。<答:オルガニスト>。それから?<答:説教>。ありがとうございます。まあ共同司式者になっているんですけれども。大事なところはこれ位ですかね。勿論あと共同体が大きくなれば例えば案内係の人が必要だったり、それからスピーカーとかマイクがうまくいっているのかっていう裏方も本当に必要になってきます。あるいは皆さんこっちでやっている間、駐車場の方もちゃんと整理しなければいけない。見えないところで奉仕をしてくださる、そういう人もいろいろ出てきますけれども、でま、やっぱり今出てきたように多分朗読者、聖歌、先唱、侍者、オルガニスト、この辺のところは小さな共同体でもできればきちんと確保した方がいいですね。で、この中で聖体奉仕者はまずはね、聖体拝領のときのお手伝いがあるし、病人に持って行くことがあります。それからもうちょっと大変なことになると集会祭儀を司式する司式者の役割が求められることがあります。

〔オ−ルラウンドプレイヤーへの挑戦〕

で、ここでね、私がお薦めしたいと思うのはある奉仕職、一つの奉仕職の専門にならないでいただきたい。オルガニストって方、これはやっぱり誰にでもできるわけじゃないから、複数のオルガニストがいらっしゃればいいけれども小さな共同体だったら一人しかいらっしゃらないともういつもお世話にならないといけないので仕方がないかも知れませんけど、聖体奉仕者は本当に共同体に奉仕する。そのためにはできるだけ他の奉仕職も体験していること。朗読もできる。朗読者としての役割がある。侍者もできる。歌も歌える(それは無理かな、まあ、人によっては)。あるいは他の役割がないときは初めて教会に来られた人を案内する。横に座っていろいろ質問を聴く、そういう案内役も買って出ることができる。一つの奉仕職の専門家にならないようにする。別の言い方をしますとね、今の日本のサッカ−の日本代表はジーコジャパンになりましたがワールドカップまではトルシエジャパンでしたね。トルシエジャパンが強くなった一つの理由はトルシエは才能のある選手達が2つ以上のポジションがこな競るように訓練したことなんです。フォワ−ドだけではない、私はサッカ−そんなに知りませんけどポジションだけは知っています。だからフォワードだけではない、ミッドフィルダーもできる。あるいはディフェンスもできる。ゴールキーパーはちょっと違うかもしれません。とにかくフォワードだけではなくって例えばその横もミッドフィルダ−とかって言うやったことがないことをやらされる。例えば中田なんかでも最初戸惑いました。でも他のポジションやってみると、あっ、こういう時に例えばフォワ−ドやっている人は他のポジションやると、フォワ−ドがこう来るんだからこういう時にこういう球を出すとフォワードがシュートしやすいんだとか。他のポジションをやるとその人の立場が見えてくる。まあ、スポーツばっかりになりますけど、野球でもね、例えばね、外野センターを守っている。外野フライがセンターにいった時に例えばセカンドがね、ああ、あれはセンタ−だからセカンド関係ないっていうんだったらそれはチームになりません。チームプレイになるときには例えばセンターに球が飛んだらセカンドがどうとりに行くのか、ランナーがいるのかいないのかで全部変わってきます。逆にセカンドしかやったことのない人がセンターをやってみる、レフトをやってみる、あるいはファ−ストをやってみる。違うポジションをこなしてみると球がどう飛んだときに皆がどう動くのか、チームプレイでちゃんといろんなフォ−メーションがあったり、作戦があったりそれはすごくおもしろいものなんです。それと同じように共同体路線(?)というものがあるんです。私は朗読専門です、あとは関係ありません、じゃなくてやっぱり朗読をする時、あるいは先唱をする時、侍者をするとき、奉納の行列の準備をするとき。やっぱりいろんなことをこなしてみると、あっ、なるほど共同体の典礼が成立するためにはこんないろんなことを考えないといけない。こういう人達がいろんなことをやってくださるから、それで初めて共同体の典礼になるのである。ただ朗読者だけが聞かせどころでジッと聞かせてあげましょうっていうんじゃないんですね。朗読がミサ典礼全体の中でどういう場所を占めているのか、どういう段階があるのか、それを他の立場から見る。本当は時々みなさんにミサを司式してもらったり説教してもらったり。ですから聖体奉仕をなさる方は聖体奉仕だけではなく他の奉仕もして複数の奉仕をしてくださるといいと思います。それから、まあ実際の共同体の典礼が行われる中でのいろんな奉仕があります。もうみなさんすでに十分にご体験済みだと思いますけれども、典礼が始まる前の段階で日曜日のミサがきちんと行われるためにどれほど準備をしなければならないのか、聖書と典礼を準備しなければならない、歌をえらばなければいけない、朗読者をきちんと頼んでおかないといけない、香部屋ではちゃんといろんなものがちゃんとできてるかどうか見直しておかないといけない、ミサのあとの掃除はどこの地区なのか、それを連絡しておかないといけない、聖書と典礼のうしろ側にどんなお知らせを入れるか、いろんなことがありますね。そのいろんなことをできるだけ経験してください。聖体奉仕っていうのはまたキリストの身体である共同体への奉仕なんです。今日最初に読まれた「コリントの教会への手紙」に書いてある54年か5年のこのパウロがコリントの教会へ手紙を書きました。その前パウロはコリントができて宣教をしてそこでは人間的に言えば大成?、パウロはその前にアテネでアレオパゴスで大説教を試みてそれは失敗でしたね。復活の話までいったときに皆ギリシャ人で哲学者達、あっ復活、そのことならまたいつか聞かしてもらいましょうか、って無視されました。2、3にんの人は受け入れました。それでもう本当にパウロはどん底の傷心… コリントという全くアテネとは違う港町のいろんな多人種、多職業、多宗教、多言語。それからコリント人のように生きる、っていうのはなんだかとても不道徳な生き方をする言葉に使われている、そういう町に行ったときにパウロはもう学者の言葉、知恵のあるものの言葉ではなくて、私はキリスト、それも十字架につけられたキリスト以外にはもう絶対見ないことにした。そしてパウロは本当にもうある意味で戦々恐々とした。その体験からパウロは、私は弱い、と決め込み、自分の弱さの中で神様が働いてくださることを回心の印とした。そしてコリントでは案に反してものすごく人間的な成長をいたします。信者が増えます。ものすごい生き生きとした共同体ができます。でも生き生きとし過ぎてまたいろんな問題が出てきて、その中の一つがお金持ちと貧しい一人の…なんです。パウロにとって世の中には確かに男性、女性、ギリシャ人、ユダヤ人、自由な人、奴隷、階級の差別、性の差別、いろいろあるけれども、キリストにおいてはみんな同じである、それが彼の信念でした。それなのにコリントの人がそのお金持ちと貧しい人の差別を主の晩餐に持ち込んできた。それが許せなかった。それであの手紙を書きました。あなた方がやっているそんなことでは主の晩餐を行うことにはならない、私が教えてもらったのはこういうことだ、と言ってあの最後の晩餐をのこしました。だからどういう状態で主のからだをいただくか気を付けなさい。無差別にいただくならば裁きを飲み込むことになりますよ。事実あなた方の中には病気になった人も沢山いるし、死んだ人までいるではありませんか。この辺まで行くとちょっと行き過ぎでしょうが、要するにパウロが言いたいのはこういうことだと思います。パウロにとっては主の晩餐のパンもキリストの体であるし、それを祝うために集まっている共同体もキリストの体なんです。ご聖体だけがキリストの体ではなくて、ご聖体がキリストの体であるのと同じようにそのキリストの体に与る共同体もキリストの体なんです。だから片方ではお金持ちと貧乏人を差別することによって共同体のキリストの体の中に分裂をおこしておきながら片方でミサの中でご聖体であるキリストの体をいただいてもそれは魂を売ることになる。だからご聖体のキリストの体をいただくならば、自分が共同体に対してどういう立場に立っているか、どういう態度をとっているかよく吟味しなさい、と。これはパウロの本当に深い洞察なんです。

これから皆さんは聖体奉仕者になられる。ただ、ミサの中で聖別されたキリストの体、それを皆さんにいろんな形で配るのを手伝われる。まず目に見える奉仕はそういうことかもしれません。じゃ、キリストの体に仕えることは同時にその体に養われる共同体に仕えることです。共同体の中でいろんな人間関係、共同体の中の分裂のあるところに癒しをもたらす、誤解のあるところに誤解を解く努力をする、みんなから除け者にされたりないがしろにされたりしている教会から離れそうになっている人たちをなんとか話し掛けて受け入れて連れ戻して共同体にもう一度入れるように配慮をしてあげる、いろんな形でのキリストの体である共同体への奉仕、ある意味じゃこの方がもっと大事なんです。その共同体への奉仕があって初めて、だからミサの中でもこういう形で共同体に奉仕が、目に見える奉仕が意味のある奉仕になるわけです。共同体の中でいろんな奉仕、そして典礼の中でこの聖体奉仕以外の朗読とか歌、先唱とかいろいろオールラウンドプレイヤーになっていただけたら本当に聖体奉仕をするっていうことがミサ全体の中でどういうことか分かってくるのではないでしょうか。

2003年横浜教区聖体奉仕者養成講座での国井神父さまのお話よりテープ起こししました。(文責:藤沢教会典礼部)

 



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