典礼部への意見及び提案書

藤沢教会で現在行っている聖堂の配置とそれに基づく典礼に関して、阿部、魚津の両氏より典礼部会において下記の紀行文及び提案書が提出され、提案者の考えが説明されました。その後紀行文の部分は八角形にゅーすに投稿されましたが、インターネット版では典礼部への意見と提案という趣旨を生かすために八角形にゅーすの記事の一部とするのではなく、別刷りの提案書とともに「典礼部への意見及び提案」として別枠で掲載する事といたしました。いただきました意見と提案を典礼部では、よりよい典礼を目指して2005年5月に予定されている「典礼の集い」でのテーマのひとつとして検討していく予定です。

以下に本文と参考の写真を掲載します。

聖ベネディクト会八ヶ岳三位一体修道院訪問記

藤沢1区  阿部 隆文
辻堂2区 魚津靖太郎

秋晴れに、抜けるような青空の日曜の朝、十月一七日、私たちを乗せた特急はまかいじは、横浜駅から信濃路へと滑り出した。八王子、大月、勝沼、甲府、韮山とススキの甲州路を過ぎて約三時間、甲信国境を越えて間もなく、列車は目的地・富士見駅に到着した。ここ信州富士見には、修道生活に相応しいその清澄な高原の空気を愛でて、ドミニコ会、幼きイエス会など修道院がいくつか点在している。聖ベネディクト会が、自然の中で祈りと労働の生活に身を捧げる共同体づくりという、観想修道会の原点に立ち戻るため、聖アンセルモ目黒教会に居を構えて以来五十年、住み慣れた東京から、新たに八ヶ岳三位一体修道院を建設し、この地に移り住んだのは、五年前の一九九九年五月のことであった。

この修道院を訪問し、その聖堂でミサ聖祭に与り、聖ベネディクト会神父に典礼の教えを請うことが、このたびの私たちの旅の目的であった。

 藤沢教会の現在の聖堂配置――祭壇が聖堂入り口手前に、聖書朗読台が聖堂奥に、遠く分離されて配置され、信徒席がその周囲を三百六十度ぐるりと取り囲む方式――は、この聖ベネディクト会三位一体修道院聖堂をひとつのひな形として始められています。最初に藤沢教会事務局長が二〇〇一年夏、単独でこの修道院聖堂を訪問したのをきっかけに、数人の信徒がここを訪れ、その話を主任司祭がとり入れられ(八角形にゅーす一四〇号一二ページ)、二〇〇一年十月バザー終了後藤沢教会の聖堂配置とそれに基づく典礼が、現在の形に変更され、そのまま今日に至っているのです。

以来三年、私たちはこの聖堂配置がもつ難点―

― ついていけずに茅ヶ崎、大船等近隣の教会に避難する教会難民を出すまでに悩み苦しんできました。なんとかこの苦しみを救済してもらいたいと、二〇〇三年四月には、八角形にゅーすご復活特集号で、主任司祭が「藤沢教会聖堂における真ん中の空間は、座禅の象徴である丸に似ています。丸の真ん中はからか、無か、すべてであるかとの意味だと思います。」と述べられたのを契機に、「聖堂・典礼考」を著し、それに基づいて宗教思想の異なる仏教の空観をキリスト教の典礼概念に適用することによるアイデンティティの喪失を諫め、その途次私たちの悩みを訴えた主任司祭との対談を、八角形にゅーす七月号にも掲載していただきました。その後更に典礼学者、神学者、また司牧現場の聖職者に判断を仰ぎ、藤沢教会聖堂の現状は神学的司牧的観点に照らして再検討に値する旨認知を得ましたが、そのお一人から、さりながら、ということで次の助言を頂きました。

曰く、「聖ベネディクト会の典礼に関する伝統と見識は深く尊敬に値する。その聖ベネディクト会修道院聖堂において、そのような聖堂配置と典礼が行われているのならば、そこになんらかの隠された意味があるのではないか。それを聴かずして軽々に判断してはいけない。行って直接、見て、聴いて、その上で判断することが必要だろう。」

こうして私たちの旅は始まったのです。

 澄み切った空気を通して木の間隠れに日差しが射し込むカラマツ林の中に、レンガづくりのその修道院はあった。遠来の客を待っていてくれたエドワード神父の案内で、私たちは聖堂に入った。三十坪ほどのこじんまりとした奥行き八bほどの六角形の聖堂は、天井、壁、床、すべてが木のぬくもりに包まれ、入り口近くに大部の聖書を乗せた聖書朗読台が荘厳に置かれ、その二bほど先の奥の壁際近くにシンプルな祭壇、その奥には戸外の日差しに深緑が鮮やかに映えるカラマツ林が透けて見えるガラス張りの大窓が壁全面に開かれている。やはり木づくりの会衆席は入り口と祭壇を結ぶ中央部の左右に各八席、司祭修道者席は奥の左右に各四席、計二十四席の規模である。

正午、エドワード神父の司式で主日のミサが始まった。司式司祭は聖堂奥の大窓の壁を背にして祭壇に向かい、左右の全会衆に対面し、ことばの典礼に入って司祭、会衆は着座した。外来者であるため、第一朗読者に指定された私は、聖書朗読台に進み、出エジプト記を朗読した。聖書朗読台を前にした朗読者の位置は、背中に入り口の閉じられた木の扉を背負うのみで、全会衆に対面しており、あの三百六十度の腹背に信徒席を控えた藤沢の、どこに向かってみ言葉を語るのか、拡散するような戸惑いや違和感はない。司式司祭は聖書朗読台にて福音書を朗読し、引き続き説教を終えるやそのままスーッと二b歩いて聖堂奥の祭壇に戻り、信仰宣言以降は再び聖堂奥の大窓の壁を背に、祭壇に向かって感謝の祭儀を執り行った。終始、祭壇、聖書朗読台に対面していない参列者は一人もおらず、ミサの白眉である聖変化も、全会衆が乱されることなく厳粛に聖体を遙拝することができ、秘蹟と祈りのうちに、やすらかに閉祭に至った。

ミサ後、修道院の昼食が終わるのを待って、聖堂にてエドワード神父に、聖ベネディクト会のこの修道院聖堂における典礼上のお考えを、約一時間かけて懇切にお教え頂きました。以下、エドワード神父のお話を細大漏らさず、記載いたします。

ここで、以上の所見に基づき、藤沢教会の、祭壇が入り口に、聖書朗読台が奥に、それぞれの所在が遠く切り離され、信徒席が三百六十度ぐるりと取り囲む現在の聖堂配置と、かっての祭壇が奥に位置する対面式の聖堂配置との、神学上、典礼学上の比較を包括的に行ってみる。


No

切 り 口
現在の取り囲み配置 以前の対面式配置
1 「生け贄」の祭壇の概念から、「主の晩餐」を囲む聖卓へという、第二バチカン公会議の精神が生かされているか。

2 聖書朗読台が、祭壇と同様の尊厳を与えられているか。 ×
3 祭壇・聖書朗読台が全会衆と対面しなければならない、という典礼の基本が守られているか。
×

4 言葉の典礼、感謝の祭儀は、二つの部分にして、両者は不可分のもので、遠く切り離されてはならず、同じ場所で執行されねばならない。
×

5 聖堂入り口に洗礼盤があり、そこで洗礼を受けて信仰に入り、その上で聖堂奥の祭壇に進む、という小教区聖堂としてのあり方が実現しているか。

6 信仰の中心である聖体即ち祭壇の位置は、遙拝する信徒席から見て、尊厳を伴った宗教的背景の下に位置しているか。
×

 こう見てくると、現在の取り囲み配置に問題は多いが、以前の対面式配置も完全とはいえない。典礼、つまり、神への礼拝は、人間の神への対し方であり、神に対する意識の問題にかかわっている。典礼のあり方はミサに日常的に接する信徒の意識、ひいては生き方の変革につながる。カトリック典礼の頂点であり、中心をなすのはミサである。私たちは変えてはならないものと、変えるべきものとを識別し、カトリック信仰の要中の要である典礼とミサ聖祭、そのベースとなる聖堂配置をあらゆる点で全きものに近づけ、より信仰生活を深めなければならない。

幸い教会委員会は、「これからの方向性としては、この聖堂配置を続けながら、望ましい配置について広く意見を頂きながら、検討を重ねていくことが、三月の教会委員会で決定されました。」(二〇〇二・四・一四信徒総会資料「典礼での試み」)としている。私たちは、日頃の苦しみ悩みを通して、このたび得られたこれらの知見をもとに、まず主任司祭と話し合い、すり合わせをした上で、典礼部会にて、藤沢教会聖堂配置のよりよい、更には全き姿、あり方を追求していきたいと考えている。

 はや日は西に傾き始めた。今日一日の恵みに感謝しながら、エドワード神父に見送られて、私たちは初秋の穏やかな陽光を背に、もと来た道を富士見駅へと、修道院の丘の坂道を降りていった。

 

 

阿部、魚津の両氏による提案

  基本理念 典  拠
1 聖書朗読台を祭壇と同等の位置づけにする。
(1) 聖書朗読台は、神が人間のことばを通して語られる聖霊の働きの場であるから、その位置は全会衆に対面する位置とする。

(2) 位置の検討とともに、聖書朗読台そのものを、現在
の事務机風の重みのないものから、荘厳なものに買い換える。そこには、聖堂が神のみ言葉が臨在する場であることを証するため常時聖書を置く。その聖書も現在の薄っぺらな存在感のないものではなく、大部の荘厳な装傾のものに置き換える。
「典礼の刷新」(土屋吉正)
聖ベネディクト全教示
(エドワード神父)
2 キリストの役割を務める司式司祭は、会衆一同に呼びかけて、その意識を起こすあいさつをしたり、一同を祈りに招くことば、会衆との対話句を述べる役割があるのであるから、司式司祭の立つ位置、すなわち祭壇と聖書朗読台は、ともに全会衆に明らかに見える場所に、“対面して”いなければならない。これは、それまでの“背面式”を覆した第ニバチカン公会議の典礼改革の基本である。 「典礼の刷新」
聖ベネディクト会教示
3 言葉の典礼と感謝の祭儀は、聖体の秘蹟の完全なる姿であるミサ聖祭の、二つの部分にして一つ七あり、不可分のもの故、切り離したり、離れた場所では執行しない。同じ場所にて執行する。 「典礼の刷新」
聖ベネディクト会教示
上智大学神学部名誉教授
4 すべての会衆席から見て、祭壇と聖書朗読台の背景は、聖俗の中で、俗を排除し、聖なるものを背景とする。 聖ベネディクト全教示
5 主聖堂に、聖橿すなわち聖体を安置し、その所在を赤ランプで表示する。 典礼憲章23条神の臨在の証

聖堂は、(1)礼拝集会の場として、神の現存を体験させる場であることを基本に据えなければならない。(2)更には、礼拝集会の場として、どんな人々がどれほど集まるかを基準にして、礼拝の場としての教会内部を考えなければならない。(いずれも「典礼の刷新」に拠る)
藤沢教会はメガチャーチを自称する、我が国第四の信徒数三千七百人を擁する規模の教会である。主日の朝九時半のミサには、数百人の信徒が与る。その藤沢教会のモデルとなるべき聖堂は、十人足らずの修道士を対象としたベネディクト会八ヶ岳修道院聖堂ではなく、我が国第一の規模の小教区聖堂であり、且つ第ニバチカン公会議の理念を踏まえて設計され、一九九九年五月という至近時に竣工した、聖イグナチオ教会を手本とすべきであろう。

 

参考写真

従来の配置 現在の配置
感謝の祭儀
ベネディクト会聖堂

 

この聖堂配置を始めた際の典礼部としての基本的な考えは、こちらに記されています。
現在の配置に対する専門家のコメントはこちらです。




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