寿支援者交流会主催交流学習会「依存症を考える」 報告

無力だと認めた時、自由になれた

話し手:村田由夫 氏(寿福祉センター所長)

村田といいます。寿福祉センタ−で相談、保育園、さまざまな地区活動をしています。1968年に建てられたときに来ましたので32年になります。ここで働くことで街の人の力になろう、なれるだろうと思って働いてきたわけですけど、今になってみると寿の人たちに活かされてきたという言葉のほうがしっくり来るかなあと思います。

今日はアルコ−ル依存症のことを中心に話そうと思います。アルコ−ル依存の問題は全人的なものを含んでいるので、私の話すことをどう受け取るかは皆さんの責任であるということで、気楽に話をさせてもらいます。

私が寿のどこに魅かれるかというと、一つには寿の街にいるとほっとできるということ、それから街の人が好きだ、ということでしかないのですが…。ドヤに住む人だけで6678人の人が寿にいますが(市営住宅に住む人は除く。1999年12月の調査より)、そのうち98%の人が単身者です。単身者の割合がこれだけ多い地域は日本ではほかの寄せ場以外にはないし、世界的にも例を見ないと思います。どうしてこのような地域が支えられ、継続してきたのか。そしてこの人たちの後ろ側にさまざまな問題が見えると思います。

いつからか私は寿という街を依存症という言葉で見るようになりました。アルコ−ル依存症の人は病院、保健所で把握できているだけでも600人強います。お酒で体を壊したり、生活できなくなった人を含めると1500から2000という人数になるのではないかと思います。ただ、寿に来てから依存症になる人は非常に少なくて、むしろ依存になってからいろいろな地域を点々として寿にたどり着いた人が圧倒的に多い。以前、夜間診療をやっていたときに、お酒を飲むかと質問されて飲まないと答えた人が2割強いました。皆さんの中でこの1年2年の間にまったくお酒を飲まなかった人いますか。(参加者のうち手を上げる人はほとんどいない。)いないでしょ。でも寿は飲まない人がいるんですよ。そういう意味では、寿はお酒の街とかって言われますけどそうでもないんです。

それから、ギャンブルをやる人が相当多い。ノミ屋(違法ギャンブル)に行っている人が相当いるのでアルコ−ルやっている人よりは多いという感じがします。あと、過食、拒食とかの摂食障害、買い物依存の話もたまに聞きます。薬物もあります。最近よく言われるAC(アダルト・チルドレン)という、アルコ−ルなどの問題があったり、機能不全だったりする家庭で育って、社会の中で生きがたいという経験のある人々や、地域の崩壊、産業構造の問題で、例えば都会に出ざるを得なかったなどという、さまざまな生きがたさを持った人は多いです。子どもの頃虐待を受けた人も多い。そういう意味では寿は依存症の街ということもできると言えます。

依存症を端的に言うと死に至る病ということ。突き詰めると死しかない。例えばギャンブルでも自殺するということは非常に多い。アルコ−ルも薬物も摂食障害もそうですが破綻して死ぬ。盲腸、結核といった病気は治療する側の進歩に負うという側面も強いと思いますが、依存症には意思、生き方が入っていますのでいくらお医者さんが直そうと思っても直らない。もう一つには依存症を直してあげましょうといって努力する、支えるということをしても、依存が強化されることはあっても回復することはない。依存症というのは不思議で、生きるためには依存が必要で依存を生み出すという側面がありますねお酒飲まなきゃ生きられない、薬物飲まなきゃ生きられない。死に至る病ではあるけれど依存があるから生きていけるという側面もあるわけです。周りのものが一方的に助けてやろうとすると、長い時間かけて殺しましょうということになったり、世話する側がペットにしてしまうということで、一方的に助けようとすると共倒れになるか、殺してしまうことにもなります。

それでは依存症の回復は何によってできるのか。人間と人間の対等な関係が成立しないと回復しないと言えます。これを考えることは21世紀の大きな課題ですし、また、依存症という病気は病気観を大きく変える。科学の進歩にたどり着けばなんとかなるというものではないということですね。私たちが生きてきた今の社会は、教育にしても、医療福祉にしてもなんとかしようとする側のシステムになっている。しかし、なんとかしようとすることも過度になれば依存です。人の世話をし、人の力になることに依存する。そういうことで評価されたいと思う、絶えず人の役に立っていないと安心できない、という意味では医療に従事する人もソ−シャルワ−カ−も依存だといえます。だから一方的な関係のうちに回復はないといえます。

例えばアルコ−ル依存症の息子を持つ親が駄目な息子をなんとかしようとがんばっている、と思われた時期もあるんですが、依存症という病気が理解されるにしたがって、アルコ−ル依存症の息子を世話することでかろうじて自分の生きる意味を見いだしている、ということになる。他人に依存することで生きているという、そういう生き方と関係は、お互いが独立して生きるということを阻害している。そういう点で、アルコ−ル依存の息子にとって、そういう親がいて、アルコ−ル依存症という立場におこうとする社会があるという状況下では回復は絶望的ですね。今の社会では、なんとかする側も依存を免れないと思います。

こういう社会は、他人の評価が最も気になる社会ですから、周りの要請にしたがって生きるということを無意識に強制されている。そういう中で生きていくには依存しかない、というのがあって(やや笑い)、おおみんなで依存しようじゃないかと。みんな仕事や勉強に追われて忙しい毎日を送っている。そういうところから離れようとするときには大怪我をするわけですよ。みんなと違うことをするわけですから。その緊張や不安から逃れるために、そうしてさまざまな依存を見つけということもあります。

寿の人たちは依存というかたちで社会からドロップアウトしていっているんではなかろうかなあと思っています。依存というのは現在熱心に研究する対象ではないんですね。金かけてどうするんだ、ロケット飛ばした方がいいみたいな。そういうわけで社会で生きがたくて寿に来る人に単身者が多いのは、依存が進行すると家族・会社・地域と合わなくなっていくという事情によります。進行すると独りになって行く。依存症は独りになる病気だと。

寿という地域は管理できないところです。人口一つとってもどこかに漏れが出る。皆さんの場合ですと、住んでいるところなど把握されていて当然という感じでしょうが。人間の生き方、地域は、これは生き物ですから本来管理できないはずのものですが、私たちの住まっている世界ではお互いの便利さ、快適さのために管理されていないと…というのが前提にあります。でもここは違う。そのために市民的な権利を奪われているという側面もあるわけですけど、どうがんばっても管理できない。そういうことを受け入れない人がここにたくさん住んでいるのだろうと思います。ただ、今の社会は管理を超えて監視という面が強い。子どもに対して期待を超えて一挙手一投足を眺めなければいけない、というような、監視するところに追い込まれている。話は飛躍しますが、最近、家庭というのが危険な場になってきたと思うんですね。お互いが支えあうという場から、社会に完全な人間として送り出す訓練の場になってきている。父親は企業の価値を伝え、母親は勉強をさせる。子どもからすると、父親は企業の下請けで、母親は学校の手下みたいなもんで。知らず知らずのうちに人の評価がなければ生きていけないような社会にいて、いつも緊張と不安にさらされてという中で、例えばお酒に向かう。なんでお酒になるのか、薬になるのか、その他になるのか。何に来るのかというのは謎なんです。多少の選択はあるにせよどうしてこの依存症になったかというのは謎なんです。

例えば摂食障害というのは食べ物に依存するわけでしょう。命のもとでしょ。これに依存するってのはすごいことですよ。過食、拒食、嘔吐。アルコ−ル依存の場合だと、飲んで生きるか、飲まないで死ぬか、どっちかしかない。でも食べ物は、食べないで生きるか、食べて死ぬかじゃない、食べ続けなけりゃいけないですね。ですからアルコ−ルや薬物の場合には回復という言葉がピッタリ来るんですよ。ところが摂食障害の場合に、何をもって回復とするかは分からない。

摂食障害も、登校拒否なんかもそうですが、お互い携帯電話などで「どうしましょうか」という情報交換はしていない。みんな自分で創造しているんですよ。この不登校の問題が始まった時期には、お医者さんに行くと「おまえ、どこも悪くないではないか」なんて言われて、そうするとお母さんが「悪くないんだから学校行きなさい」と。ところが翌日になると、また頭が痛い、熱が7度2分ある。お母さんが「7度2分くらい大丈夫。学校行きなさい。」で、翌日8度にいるとかね。すごい創造力と思うんですよね。

私も昔仮病使ったことがありますけど、「腹痛い」って行っても、本当に腹が痛くはならない。でも今の子どもたちは本当に痛くなる。それだけ追い込まれていると思います。体温計こすったりいろいろ工夫しましたけど、今は本当に痛くなる。それでみんなが学校行く時間帯になるとふっと安心して良くなる。お医者さんもデリカシ−がない方もいるから「悪いとこないから行け」なんて言っていたんですけど、要するに子どもが生き残るために自分で病気を作っているわけですから、これは大事にしなけりゃいけないと。

私自身でも怒ったり悔しかったりするときは食欲がなくなると思うんですけど、人間っていろいろな緊張や不安や、悔しさ、悲しさがあるときにはバランスをとろうとするわけですよね。そういうことが大きく依存になっていくということがいえると思いますし、そういう環境に私たちが囲まれていると思います。誰しも依存を抱える要素は持っています。病気ですから、私、アルコ−ルは嫌だけど摂食障害ならいいというわけにはいきませんが。

お酒は、飲むときは気持ちが高揚し、醒めるときには離脱症状が出るというような繰り返しが普通なんですけど、アルコ−ル依存症ですといつの頃からか落ち込んで行く。例えば、お酒の問題で会社で仕事の失敗をしたりして、これはまずいということで3カ月はお酒を断つ。それでもういいんじゃないかなあと思ってお酒を飲む。ここから始まる。手が震えたり、心臓がドキドキしたり、場合によると幻聴が聞こえたりと。これで3カ月くらい入院しましょうと。良くなって出てきて退院祝いで飲みます。ここから始まる。ここで娘の貯金箱からお金を盗んでお酒を飲んじゃうとか、いろいろやりますんで、家庭をとるのか、お酒をとるのかといわれるんですね。心の中では家庭が大事なんだけど、俺から酒をとったら何が残るんだなんて言って飲む。これで家庭から放り出されちゃう。この頃には仕事も駄目で転々としている。最後には命か酒かになる。最初人間関係、そして家族を失い、ここで命のコントロ−ルを失うのね。いつ死んでもおかしくない状態、寿にいるアルコ−ル依存症の人は大体このあたりですね。このようにアルコ−ル依存症は進行性なんです。どのように深くなっていくかというと、関係性を失い孤立する。こういう進行のたどり方はどの依存症にも共通だと思うんです。

ここまで行けば立派な絶望ですから、死ぬっきゃないと、本人たちもそう思っているわけですよ。「俺なんかいつ死んでもいいんだ」なんて言う。でも一人一人の中では決してそうでなくて、いつでも酒やめたいと思っている。断酒道場へ行くとか、神社で祈るとかさまざまな努力をしている。涙ぐましいくらいですよ。で、意志強いですよ。アルコ−ル依存症の人は。自分は意志が弱いからやめられないと思っているんですけど。平均的には男の人で15年、女の人なら12年かかると言われていますが、こうなるまでに15年20年かかっているんですが、それでもどこかに、やめようという気持ちは持っている。ただ、すっぱりとではなく、コントロ−ルしてやめようと思っていますね。うまく飲みたいと。それは本人もそうですけど周りが、病気だということを知らないからだと思うんですよね。

病気は意志では治らないですよね。盲腸が直るのに意志の強さは関係ない。意志の点で行けばアルコ−ル依存の人の意志は強いと思います。病気には必ず回復するための治療法があってアルコ−ル依存症の治療法もあるんですが、家族や周りがアルコ−ル依存症のことを病気だと認めていないですね。これは文化の問題だと思っていますけど。

アルコ−ル依存の回復プロセスとして、現在AAというミ−ティングのグル−プ、断酒会があります。厳密には治療とは言えないかも知れないですけど、寿地区には寿、横浜、アヒル、横浜AAの3つのグル−プが中心になって神奈川県下に広がってグル−プになっていると思います。

AAには大事にしている原理がありまして、一つにはそこに参加する、しないは本人が決めるということ。もう一つにはいつ行ってもいつ行かなくても個人の自由。それには誰も干渉しないということが守られている。それだから仲間同士の分かち合いがあるということ。今まで持っていた誤解やら偏見やらが分かち合いの中で解けていく。社会の見方も解けていく。解放されて行く。もう一つは仲間と共に歩みながら、独り立ちをして社会に参加していくということがあります。依存を抱える側は、自分の病気で相手をコントロ−ルしようとするんですね。こんなに痛い、こんなに困っている、ということを人に見せることによって人をコントロ−ルしようとする。これは天才的です。命がかかっていますから。私もここで30年関わっていますが、いまだにくらくらっと手を出して巻き込まれてグチャグチャになっちゃうということがあります。

あるアルコ−ル依存の人が来て「死にそうだ、病院に入れてくれ」と。でもその人は長い間福祉事務所も病院もは入ったり出たり、刑務所も出たり入ったりしているので、相手にされなくて、病院に入ってもらって手当を受けてもらうだけでも大変なエネルギ−がいる。「病院はいいから、方法を変えてAAでやってみませんか」ということでAAのミ−ティングで回復して「実はあの時村田のところへ行ったけど、1週間から10日お酒を飲まなければ義理は果たせたと思っていた」と私に言うんですね。

この方も回復した人ですけど、歩いて福祉事務所に行けないと言った人は、夜中に、ここから歩いて1時間かかる久保山の墓地までお酒をさがしに行っているんです。お酒のためなら1日だって2日だって歩きます。ところが10分先の福祉事務所へ行って話をするのはとてもつらいんです。

段々とそういうことがわかってくると、個人の評価じゃなく、病気の症状としてそういうふうになるということがわかってくると「何だこの野郎」と思わなくなりますよね。私としてもアルコ−ル依存症の症状と回復のプロセスを知ることで、関係性というか、本人との距離感がはっきりしてくるということがありました。

AAの仲間の間で大事にしていることの一つに無名性ということがあります。ミ−ティングは1時間から1時間半。司会がいて普通はテ−マに基づいて、参加する一人一人が自分のことを話す。こういうことで進めるんですね。で、本名を名乗らないで「重症です」と。アルコ−ル依存の重症はかえって直りやすいとも言われるんですが。自分は重症よりも重症なので「和尚」と名乗る人もいます。

本名を名乗らないということ。ここに集まる人の唯一の目的はアルコ−ル依存から回復することであって、そこに学校の先生だとか、日雇い労働者だとか社会的立場を持ち込むと序列ができる。お互いの病気を支え支えられる関係が崩れるということになります。仲間はみんな同じということです。

それからAAは組織ではないということがあります。ある場所で一定の時間になると始まってそこでAAが成立する。そして解散と同時に消滅します。だからいわばAAというのは方法のことであって…。ミ−ティングがいつでも仲間を受け入れるために、時間と場所を維持するためグル−プの活動は必要だということで、グループはAAではなく、サ−ビスの提供を絶やさないということです。こういうように回復のために組織でないということはしっかり守られています。

それから役割分担。会場の準備だとか、ミーティングの司会、グループの会計。世話役活動をやります。交替制です。

AAの中では20年やめている人も今日1日やめようとする人も同じということですね。俺はアルコ−ルをやめることができないという方がいるんですけど、ずっと飲み続けているかというと1日2日お酒をやめていることがあるわけですよね。どんな人でも一日ならやめることができます。AAにワンディ、今日1日という言葉がありますが、普通お酒を飲む人は「明日からやめる」といいますよね。ところが明日という日は永遠に来ない。今日1日やめるということですね。基本的に年数は関係ない。お酒をやめている人は自分が何者だったか、自分の病気を忘れがちになりますけど、ミ−ティングに出て、これからお酒をやめるという人を見ると15年前20年前の自分を見るということで、仲間を見ることが自分の支えになるということです。ところがこれからやめようとする人が20年前にやめた人を見てもこの人誰れ、ということで。1週間前にやめている人なら近いとか。3月前にやめた人にとっては半年前にやめた人の姿が力になる。ある意味ではお酒を飲んで亡くなった仲間を見てやめる力になりますし、お酒をやめて仕事を始めている人を見て、励みと希望をもらって、酒を止め続けられるという人もいます。アルコ−ル依存の仲間は、飲んで苦しんでいる仲間、今日やめた仲間、1年、20年やめている仲間、みんな必要なんです。常に新しい仲間を受け入れるということで自分も飲まないで生活を続けられるという面がある。新しい仲間が出来ることでアルコール依存症の人は生きていけると言えるのです。だから、新しい仲間を大切にし、苦しんでいる仲間にメッセージを送ることを大事にしています。

AAの人たちは12のステップというのを持っていまして、お酒をやめて生きていくための道具なんですけど、この中の1、2、3だけ読ませてください。「我々はアルコ−ルに対して無力であり生きて行くことがどうにもならなくなったことを認めた」と。「我々は自分より偉大な力が我々を正気に戻してくれると信じるようになった」と。3番目に「我々の意志と命の方法かえ自分で理解してくれるハイヤ−パワ−の配慮へ委ねる決心した」。アルコ−ルに対して無力であるというのは、ずっとコントロ−ルしようと思ってきたけどもうお手上げよ、ってことです。お手上げの自分を受け入れようということなんですけど。私とすればアルコ−ル依存の人にお酒をやめさせようとするとにお手上げというわけです。

これ、みんな過去形でしょ。「認めた」とか、「決心をした」とか。「認めろ」「認めるべきだ」とは書いていないんです。「認めなさい」とも書いていない。この過去形というのは一人一人の気付きのことなんですよ。強制じゃないということですね。これが、死ぬしかない絶望の底まで行った人が最後の最後に出会うメッセ−ジです。あなた自身の問題ですよ。回復がありますということです。

もうコントロ−ルできないと思った途端に気が楽になって、お酒を何日もやめていたということはよくあることです。それから自分の力じゃできないけど、どうも仲間といればお酒をやめられるのは不思議で仕様がない。でも不思議なものを信じましょうと。どうにもならなくなった人は自分が良くなるということを信じていない。やめたいとは思っているけど、やめられるとは信じていないですね。ところが何かを信ずるということが回復してくる。そうすると仲間が信じられる。それが信じられない前は、ミーティングに出てもボ−ッとして「こいつら何調子のいいこと言ってやがるんだ。帰ってから飲んでるんだろう」って、こう思っているわけですよ。ところが自分が飲まなくなって1週間・2週間経つと、1週間分信ずるわけですよね。少しずつ。

もう一つ、お任せするということ。考えて、悩んで、やめつづけられるか、仕事に就けるかと思っても、自分ではどうしようもないじゃないですか。どうなるか分からないけど、"何か"にこれはお任せしようということで悩みを抱え込まないということ。こういうことでステップを自分の生活に具体的に使うということ。

こうしてアルコ−ル依存から回復しながら生き方も変わってきます。お酒を飲まなければ生きていけないという生き方から、お酒を飲まない生き方を少しずつ身に付けていくというか。そういうことでアルコ−ル依存症になって良かったと言う人もいます。

私にとって一番力になったのは、この、アルコ−ルに対して無力であり、というところを、アルコ−ル依存症者に対して無力であり、と読み変えて受け取ったときからですね。依存症者の人を良くできないということは身に染みて感じていましたけど、本当は私の力でアルコ−ル依存症の人が治りますと、私は世界的に有名になれたと思う(笑い)。光り輝く存在になれたと。実は光り輝く存在になりたかったんですけど。AAを認めたくなかったんだけど。で、無力だと認めたときから、アルコ−ル依存症者の人から、何とかしたいという思いやとらわれから、自由になれたんですね。だから私の中では無力という言葉は自由というふうに読み変えています。

まじめで力のある人がトラブルの種、ということはよくありますね。そうじゃない人を許せない。あの、気をつけて下さい。社会的には不真面目な人がトラブルのもとだと思っているようですが、まじめな人がトラブルを起こすことの方が多いじゃないですかね。余計なお世話をする。私はどうしたって世話をする方なんですけど、前は世話をすることに生き甲斐を感じていましたけど、今は世話することの難しさを感じています。

世話をする方とされる方というのは対等な関係じゃなければなりませんね。世話をすることは相手の生死に影響を与えることなので簡単に手出しはできない。一方的にはできないということです。今は自分自身のためにその人の世話をさせてもらっているということですから、以前よりは少しトラブルは減ったかなということと、距離感ができたかなと思っています。

以前自分の子どもが学校へ行かなくなって、この子どもを学校へ行かそうと思って相当悩んでいた時期があるんですね。そういうことを近所や職場の同僚に知られたら死ぬほど恥ずかしいと思いまして、人様に知られない前に解決しようと、子どもを起こしたり、手を引いて連れていったり。でも、子どものためじゃなく自分のためなんですよね。自分の世間体を保つためにやっているというのがわかると、子どもに対して距離感ができる。あるとき文部省の「登校拒否を解決するために」という談話が新聞で報道されました。この時、「ああ、俺と息子は文部省に解決されるのか」と思って。見も知らぬ人の考えたことで解決されてなるものかと思いました。人の問題を解決するという発想は自分と他人の境界を見失っていることなんですよ。いろいろな考えを認めないというのは知的境界を認めないということなんですよ。野宿している人に上から声をかけないといったことにも通じます。みだりに人の境界に侵入しないということですね。

寿で生活する人との話を少しすると、おばあちゃんで体が弱って老人ホ−ムに入ることが決まっていて急にいなくなった人がいて2年経ってふらっと戻ってきたので、「どこ行ってたの」と聞いたら、最初山谷へ行ったけど独り暮らしはつらくてできなくて、山谷を出て放浪して山梨のとある駅で行き倒れになっちゃう。そこで病院に入院、それから山梨の老人ホ−ムで1年半ほど生活したけど同室の人とうまくいかなくて、それで寿に帰ってきた。理由は、老人ホ−ムで予防接種をするという、たったそれだけですよ。それが嫌なんです。「注射見ると気を失うの」って。私、大笑いしちゃったんですけど涙が出てきちゃってね。注射1本で2年間ですよ。でも、これがやっぱり生活なのかなって感じがしますよね。

80近くなってずっとスリをして生活している人もいました。周りの人はみんな知っていて、本人だけは全然知らないと思っているんですが。でも、人のものを盗って70・80まで暮らせるんだと思うとすごく元気が出るでしょう(笑い)。そういう生活をする人がいるのは紛れもない事実でしょう。

あるおばあちゃんは子どもを生むんだけど全然育てないの。同じドヤに住む人が3人子ども育てたんだけど、その3人ともそのおばあちゃんが育てたんですよ。生んだ方は「あのおばあちゃん過保護で」なんて言うし、育てた方は「あのおばあちゃん産みっ放しで何もしねえ」なんて言うし。育てた方のおばあちゃんは全部育っちゃって、今度は私を育てようとして私の職場に3年間通ってくれましたね。朝5時に来て掃除してお湯沸かして、5時になると帰る。私が捜し物をしていると「あそこにあるよ」なんて言ったりして、タ−ゲットが私になって。あの3年間はすごく楽しかったですね。

それからガジリ屋って知っていますか。「仕事をしていないし、食事もしていない。ついては2千円でも3千円でも貸してくれ」と。それを私のとこへ来たり、街の労働者をつかまえたりしてお金を借りるわけですよ。相手がお金を出すまでくっついて離れない。そういう方々がいまして私も「そんなの出せるか」と言ったんですが、「ここは福祉だろ。困っているのになんで助けないんだ」なんて言われてカーッときて、もみ合いになって、肩に担いで外におっぽりだして、なんでそんなことをしたのかと、後々不愉快な思いを残したこともありました。あるとき街ですれ違って、声をかけようとしたら深刻な顔をして下を向いて歩いているわけですね。声をかけそびれたんですけど、その瞬間に彼が理解できた様な気がしたんです。彼は誰を次のターゲットにしてお金を得ようかということをしきりに考えているに違いない。たぶん24時間考えているんじゃないですかね。私は8時間働いて開放されるわけですけど彼はズーッと考える訳でしょ。大変なエネルギ−ですよ。そっちの方が大変だと。人はまじめに定職を持てと言うけど彼にとってはそれが生活の術なんですよ。そう考えると、この次私のところに来て、物語が面白ければ2千円でも3千円でも惜しくはないなあと思いました。そう思えたら、すごく気楽になれて、彼から生きる力を貰える、そういう感じがしますね。何でもあり。仕事しないで生きていくってのも芸だと思うんですけど。できたら試してみてください。で、それができない人はそういう人を蔑まないようにしていただいて。(笑い)

AAのミ−ティングでよく、変えられるものは変えていく勇気を、変えられないものは受け入れる落ち着きを、2つのものを見分ける賢さを、という、これは古いヨ−ロッパの神父さんか牧師さんが作った言葉なんですけど、そういうことをよく言います。アルコ−ル依存から回復した人で現在、食料を運ぶトラックの運転手をやっている人がいて、よく(国道)246を使う。その246でこの言葉を思い出すという。渋滞でいらいらしている自分は変えられるけど、渋滞は変えられない、そう思ったら気持ちが落ち着いたと。

アルコ−ル依存の方の言葉は権威づけられたものではないんですけど非常に生活の中で元気づけられる。依存症に関わることで自分自身が今まで以上に気楽に生きていかれる、そんなことを経験している、というのが実情です。


寿支援者交流会主催の交流学習会「依存症を考える」(2000年2月5日)で話された内容を主催者の承認を得て転載させていただきました。寿支援者交流会へのご連絡はこちらまで。



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