「寿福祉センター」の村田と申します。今日は今お話いただいたように、「依存症とそのかかわり」ということでお話させていただきます。私は現場で実践しているものですから、学者でもございませんし、私の経験、体験から出たもので、もしも皆さんで受け入れられるものがあったら受け入れていただく、ということで聞いていただけると気軽にお話ができると思いますのでよろしくお願いいたします。

 黒板に書きましたけれども「寿」はアルコール依存症の方が大変多いものですからアルコール依存症の方の一つの典型として大雑把にその回復があるということで話しの筋道として書かせていただきましたので、この辺の事を中心に話していきたいと思っています。

 現在私が仕事をしております「寿町」というのは今、6700人程の人が住んでいます。エリアとしては250m四方という大変狭いところですが、そこに簡易宿泊所というのが建っております。これが今百十数件、百二十件に近い数字で、古い建物は3、4階というのがありますけれども、最近建つ建物は6階建てで、部屋数としては多いところで200を超える部屋数がありますし、少ないところでは10数室というところもあります。部屋の構造は大体2帖、3帖が主流で、畳が大体2枚ないし3枚の広さですが。収納設備は中にはありません。布団を敷いてあるだけ、ということです。このフトンも大体年の2回か3回ぐらいしか替えませんから、最近私は泊まりませんけれども、前は仕事でおそくなると、ドヤに泊まったりしていました。職場に泊まってもいいんですけれども、ドヤがどんな感じか、というので泊まり歩いたことがあるんですけれども、私が寝るフトンは前の日に誰が寝てたか、それは知らないわけです。年に何回かしか替えませんから、もちろんドロドロになったりすれば替えてくれますけれども、そうでなければ替えませんので湿っけているし、ザラザラしているし、多分気になる人はそれだけで眠れないだろうと思います。私はそういうのは全然平気で、例えばその辺の道路のガード下の人がいっぱい歩くところでも平気で寝られますので、困ってもホームレスになってもどこでも寝られると思っています。これはどうも生来のもので慣れるとか慣れないとかではないと思っています。

 最近の簡易宿泊所の一部屋はエアコンが入っていたり、小さな冷蔵庫が入っていたりしていますので大分凌ぎやすくなってきています。大体一日の部屋代が2200円程です。この2200円というのは微妙な値段で、生活保護法というのがありまして、私たちが仕事を失い、また生活の糧を失って自力で生活できなくなった時に各地域に必ず福祉事務所というのがございます。今は福祉保険センターといっているところもありますが、そちらに行って相談をしていろいろな調査と質問を受けて、いいだろう、と言いますと、私ぐらいですと大体一ヶ月の生活費として12、3万(円)いただけるわけですけれども、その中に部屋代というのがございまして、これは国が特別基準ということで決めております。地方の過疎地などですと部屋代がとても安く済みますけれども、都市ですとそれなりに高い、ということがあって、寿地区の場合には一日2260円ぐらいでしたか、それまではいいですよ、という決まりがあります。簡易宿泊所の経営者はそれをよく知ってまして、多くの人は生活保護を受けていますから、2200円までは生活保護費で出るので払っていただけるだろうということで、大体国の基準を目安にして部屋代が決まっている、というところがございます。

 そんなところで皆さん、住んでいるわけですけれども、6700人ぐらいのほぼ98%に当る人たちが単身、一人で生活しています。女性でひとりで生活している人たちも、最近調査はしていませんが200人前後は住んでいます。割と年を取った方が多いです。寿町は割と優しいので女性には親切にしてくれます。男の単身の人は大体96%で、ほとんど男の単身といっていいかと思いますが、60歳以上の人が今3800人程住んでいて人口の半分以上が60歳を超えている、という事情があります。

 もう一つの特徴は依存症の人が大変多い。一番代表的なのはアルコール依存症であり、薬物依存症であり、ギャンブル依存症であり、その他に買い物依存であるとか様々な依存を抱えた方もいらっしゃいますけれども、人数として一番多いのはギャンブルかなと思います。その次がアルコールで、私たちが福祉事務所と保健所等で調査をしましたところ、アルコール依存症ですよ、と病院で診断名を付けられて、なおかつ寿で暮らしている人たちというのは大体500人前後ぐらいです。それから私たちが見ていてどうしてもアルコールに問題がある、という方たちを含めるとやはり1500人ぐらいは下らない人たちがお酒の問題を抱えていると思います。

 ある意味で言えば寿というのは依存症の症状に溢れた町ということができるんですが、今、私たちの仕事場ではやっていないんですが、以前診療所を開設して夜間診療などもやっておりまして、ここでずっと開設以来面接でお酒のことについて質問をしてきたんですけれども、まったくお酒を飲まない、という人が寿の中に2割程います。今、例えばキャンパスで学生に、お酒を飲むか飲まないかを聞いたとしても、2割の人が飲まない、ということは…(ないでしょう)。ほとんどの人が飲む、ですね、女性でも。程度はありますけれども、つき合い酒等も含めて、飲まない、という人はほとんどいないですけれども、寿の人たちは、全く飲まない、嫌いだ、という人は2割ぐらいいます。

 よく誤解されるんですけれども、寿町はアルコール中毒が多い、というのは寿でアルコール依存症になった人たちはほとんどいないです。アルコール依存症になってから寿町に来た、という、そういう人たちが圧倒的です。ギャンブルもそうです。薬物もそうです。ですから依存症で住めなくなった人たちがさまざまな生活の中で生活の解決とか模索しながらいろんな所を転々として寿に来た、という、そういう方が多いということです。

 実は依存症というのは特別の事じゃなくて自分たちのごく身近なところに、まるで生活の中に溶け込むような形である、ということをご理解いただきたいと思います。例えばアルコール依存症ですと、これはおじいちゃんの問題であり、おばあちゃんの問題である。例えば、今、身近にいないけれど、おじいちゃん、おばあちゃんは大変お酒の問題を抱えていた、とかということを聞いたこととか見たこととがある、という方が多分いらっしゃると思います。それから、お父さんであり、お母さんであり、息子であり、娘である、あるいは孫である、ということがあるかもしれませんね。それから会社の仲間であるとか、身近な友人であるとか、教会の関係でいえば、神父さんが重症のアルコール依存症であったりする、というのは結構ありますよね。もしかするとシスターもアルコール依存症になってるかも知れない。多分私、あると思うんですよね。はい。どうも今の感じではいそうだな、という感じがします。そういうことで依存症というのは本当に身近なものです。身近だけれどもこんなに誤解されているのもないくらいですね。

 ちょっと話は飛躍しますけれども、水俣病という病気は今でも大きな問題になっていますけれども、この水俣病というのは発生した時、原因を作った企業と一部の担当者は分かってたわけですけれども、ひた隠しに隠していたんですが、風土病と言われたりして、その人の近くを通ると移るから、と言われたりして遠回りして行ったり、息をしないでそこを駆け抜けるとか、結核なんかも昔ありましたね。これは誤解じゃなくて作られた偏見というものです。アルコール依存症というのは、依存症そのものですけれど、誤解と偏見が沢山ある病気、と言っていいと思います。水俣病が今だに大きな問題になっているのは、病気という認識の前に偏見が蔓延したせいです。人間の社会の中で様々な時代に様々な病気がございました。ペストもそうですし、必ず誤解と偏見がまつわってその病気を回復しにくくしてきた、という歴史が必ずあります。今までの歴史の中で、病気で一番死亡率が高い、というのはインフルエンザ。今でも猛威を奮っていますけれども、これが人類史上一番死亡率の高い病気です。アルコール依存症で死ぬ人なんてそれに比べればこれっぽっち、という感じですけれども、インフルエンザというのはかかるのが当たり前みたいに思っていますけれども、その陰で多くの人たちが死んでいるんですが、アルコール依存症と聞くともうビックリしてインフルエンザよりも何十倍、何百倍も恐い、おそろしい、という印象をお持ちなのかなと思います。そんなわけで依存症は大変身近な病気だということをご理解いただきたいと思います。

 病気というのは、ちょっと極端に言いますけれど、これは実は注文ができないですね、人間は。私、ガンは嫌だけど結核だったらいいわよ、とか、高血圧はいいけど糖尿病はいやだ、とか、これはちょっと注文できない。(依存症になる、ならないと言うことも、私依存症いやよ、っていう、)もしもアルコール依存症になりたくなければ道は一つですね。お酒を飲まない、これしかない。ところが多分ここにおられる方は結構お酒を飲んでるだろう、と思います。飲んでる方はアルコール依存症になる可能性がある、ということを承知して飲んでいただければと思います。なぜ依存症になるのか、というのは基本的には謎で、今のところ完全治癒というのはありません。慢性疾病と言われています。参考までに言いますと、回復はしないけれどもコントロールしながら生きていく事はできる、という病気は、例えば糖尿病。これは完全に治癒することはないんですがコントロールして大事にしながら生活していくことはできるし、激しい運動をする運動選手やプロ野球の選手の中にも糖尿病の方がいらっしゃいます。

 依存症というのは慢性疾病である、ということです。私がアルコール依存症という病気に仕事を通じて理解したのは実はカトリックの神父さん二人で、今でも感謝しています。一人はジャン・ミニーという方で、今はアメリカのコネティカットに帰っています。今一人は大阪教区で活躍していましたピート田中神父さんです。この二人は立派なアルコール依存症で重症中の重症で、ジャン・ミニーは日本に来て京都大学で講師をしながらアルコール依存症になり、だんだんだんだんひどくなって、どうもおかしい、と周りから言われるようになって本部から3人の男の人が身柄を引き取りに来まして連れて行った。まずは彦根の黙想の家に閉じ込めました。ところがその黙想の家の地下にはぶどう酒が山のように入れられていて、彼は夜な夜な地下に潜り込んでぶどう酒を浴びるように飲んでいた。彼の話が面白くて、最初ネズミがこんなに小さかったのに子牛みたいに大きくなった、というんですね。なぜかお分かりでしょう。幻覚が見えた、ということですね。アルコール依存症が進行してきて幻覚になった。そういう症状を出しまして、彼は3人に守られながら羽田空港からアメリカに帰るんですが、彼は東京でその3人をうまく撒くことができた。一週間程彼の所在が不明になってようやく見つけ出されてアメリカに帰ってアルコール依存症の治療をするわけです。最初は彼はそこに入った時、もう一生ここから出たくない、もうここにいたいものだ、と思ったそうですが、彼は回復して何年か経ちましたら、また、日本に行けと言われ、もうあんなところに行きたくない、と言ったそうですが、仕事だから、ということで、また彼は日本に戻ってくるわけです。

 実はアルコール依存症の人は飲まないで生きて行くためにアルコール依存症の仲間と出会って、ミーティングと言ってるんですけれども、そういうミーティングをしていくと、飲まないで、しかも気楽に生活していける、という実践と経験があります。これはA.A.の発祥になったそうなんですけれども、ビルとボブという株の仲買人とお医者さんの出会いがあって、二人ともどうしようもないアル中で、家族からはとうに諦められていた二人ですが、たまたま二人が出会って話をして、一週間後に会おう、ということでまた会うわけです。そんなことを何回かくり返す時に、本人たち、あれだけお酒をやめられなかったのが、飲んでいないことに気が付いたわけです。これはもしかすると仲間と話しをするとその日はやめられるのかも知れない、とだんだん気付いて、それが実はA.A.、アルコホリックアノニマスと言って、日本語に訳すと「名乗らないアルコール依存症者の集まり」ということになりますが、そういうミーティングの発祥になった、ということです。

 ミニーさんは日本に来てそういう場所を求めて探すんですがこれがなかったんですね。もう一つ驚いたのは日本ではアルコール依存症というのは病気として認められていないということが分かった。これは精神科医も含めてそうなんですけれども日本中アルコール依存症を病気として認めていなかった。どういうふうに言われていたかというと私たちが常に思っていることです。アルコール依存症なるというのは、育ちが悪かったんだ、とか、あるいは育てられ方が悪かった、とか、意志が弱くって人間的に欠陥があるんだとか、そういうこと。

 これは多分皆さん、何となくそう思っておられるんじゃないかな。これは誰かに教えられた、ということではなくて、知らず知らずのうちにそういう思いが、自分の知らないうちに、どういうところで教えられたのか、という出自が全く分からなくても、自分の中に巣食っています。こういうものというのは自分で気がつかないんですよね。こういうのが偏見で一番強固で取れにくいということです。例えばそういう人を見ると、皆さんきっと、ある目つきをしてみるんじゃないかと思います。ところが、どういう目つきをしているかというのは自分では分からないんです。そういう時の目つきを、そのままの目つきで自分の鏡で見てみると、多分びっくり仰天するぐらい冷たい、人を刺すような、刺し殺すような目をしているのではないかと私は思うんですけれども。実はこういう視線が一番人を傷つける。ところが自分では分からないんですね。そういうことで私たちはアルコール依存症というのを知らず知らずのうちに、とんでもない人間である、社会的に有用でない人間である、そういうふうに知らず知らずのうちに思い込んで、そういう目で見ている。ちょっと飛躍しますが、駅の近くで寝ている人たちに対する何気ない目ももしかするとそういう目をしているかもしれないですね。

 それでミニーさんは自分が飲まないで生きるために、そういうミーティングの場所、これを自分で作らなければいけない。こういうことで日本の仲間と一緒にそういうミーティング場を作るんです。そのために精神病院を訪ねて、これから一緒にやめようとする仲間を紹介してくれ、とか、あるいは断酒会に行って話しをしたりして仲間を募って、彼は昭和50年から蒲田でミーティング場を作ることを始めて少しづつ仲間を増やして行くんです。仲間を増やして行くのは自分が飲まないで生き残るためにそういう場が必要なんですね。そういうことで彼は仕事の傍らそういうことをやり始めました。

 その時に大阪に田中という神父がいて、これがまた素晴らしいアル中だということが耳に入ってきた。この田中神父は後日こんなふうにミーティングで表現していましたけれど、私は受取り手のない郵便物のようだった、というわけです。どこでも受け取ってくれない。彼は大阪で説教しているときに同じ説教を2度も3度もするわけです。それでおかしいと言われて反省をしてしばらく飲まないでいたんですね、2ヶ月、3ヶ月。自分ではずっとやめるつもりだったんだけれど、もう2ヶ月、3ヶ月やめているんだから一杯飲んだって大丈夫だろう、ちょっと試してみよう、って飲んだ。大丈夫だったんですね。あっ、なんだ、大丈夫じゃないか、って飲んでるうちにある日ブラックアウトになりまして、また同じように説教を何度もくり返す、ということで、とうとう彼は北海道のトラピスト修道院に閉じ込められた。彼はその時にジャン・ミニーという人が山谷の近くに箕輪マックという日本でははじめてのアルコールのデイケアセンターを作るんですが、それの片腕に彼がほしい、と思って彼を呼び出すんですね。そのために彼はトラピスト修道院まで行ったんですけれども、実はピート田中神父はその少し前にトラピスト修道院を脱走してたんです。裏山を通って。田中神父、後で言ってましたけれど、実はあの裏山はヒグマが一杯出るんだそうです。よくヒグマに食われなかったな、ということですが、ハイアーパワーかな、と言っていましたけれども、なんとかジャン・ミニーと田中神父は出会って、お互いにお酒飲まないで、なおかつ今苦しんでいるアルコール依存症の人たちに声をかけながら一緒にお酒をやめていこうということを始めることになります。

 その後ジャン・ミニー神父が寿町に来まして、「お前さんのところでアルコール依存症の人たちの相談をどういうふうにしているのかちょっと聞かせてほしい。実は東京の箕輪というところにアルコール依存症の人たちのデイケアセンターをつくりたい。今その準備をしている。実は日本ではアルコール依存症は病気として認められていない。認められるようになるためには山谷で暮らす単身のアルコール依存症の人が回復したら文句ないだろう。」と、こういう言い方を彼はしたんです。それは認めざるを得ないだろう、というニュアンスですが。そんなことで山谷の近くにつくりたい。私はその話を聞いて、「何言ってんだ、この人」と思った。「神父のアル中って、それは特別のアル中で寿町のアル中はあんたみたいなものじゃない。もっと磨きがかかったアル中、回復なんて縁がなくて、いつ死んでもおかしくないんだ。」なんて心の中で思ったんです。顔はニコニコ笑いながらうんうんと話しを聞いていたんです。人間って器用なことができるなと思ってるんですけれど。本当にそう思ったんです。

 こういう思いというのは病気と思ってることじゃないでしょう。例えば、東大出た人の盲腸はすごく治りやすくて、小学校しか出たことのない人の盲腸は絶望だ、とか、お金持ちの盲腸は治るけれど、貧乏人の盲腸は治らないとか、限りがないんですけれど、要するに、病気というのはそういうことです。アルコール依存症は病気と言っているんです。病気ですから回復する人もしない人もいるんです。回復しないからダメなやつだ、じゃないんです。たまたま盲腸で亡くなっちゃって、「あの人ダメな人ね、意志が弱かったのよ、きっと。」なんてことはないんですが、アルコールの場合は意志が弱かったってよく言われるんです。でもそれはお酒をやめさせようとする我々側からの見方なんです。お酒を飲んでる側の方から見ますと、これだけ徹底的に回りに迷惑をかけて恨まれて、それも1年や2年じゃないですよ、10年、20年、30年、それでもなおかつ飲み続けようっていうんだからこんなにメチャメチャに意志の強い強固な人なんてありゃしない。

 本当にそうなんです。笑い事じゃなくて大変なもんです。ですから、お酒をやめる、やめないというのは意志の問題ではまったくない、ということです。病気はコントロールできませんから無理なんです。アルコール依存症の人たちがよく使っている、「プレアンブル」という最初に読む小さな折りたたみのパンフレットがあるんです。そこの後ろの方に大変ドキッとするようなことが書いてあります。「この病気の回復にどんな愛も救いをもたらすことはできないだろう。」と書いてあるんです。これはドキっとしますね。私はそんなに愛が深い人間だとは思っていないんですけれど、一般論として依存症の人たちにいろいろな経験、嫌なことも含めて力を尽くしてこの方がお酒をやめて生きていかれるような援助をしたいと思ってさまざまな努力をするわけです。ある時は包丁で刺し殺したいと思いながらも。そう思うのはしょっちゅう思うんですが、実際にやる、やらないというこの距離はものすごく多いんです。例えば出勤するときにすごく満員電車で混んでて、こんなに混んでて東京まで行くの嫌だな、と思うんですけれどもほとんどの人は降りないで東京まで行きますよね。降りる人はいないんですけれども、それと同じに殺したいと思ってもなかなかそうしない。思い直してまた、なんとかやめてもらうように期待してやるわけです。身近な人だったらいろんな形でやると思います。私も長いことそういうことをやってきました。一緒にドヤに泊まったり、職場に一緒に泊まって30分おきに出てくる禁断(症状)で暴れ回るのを後ろから抱きかかえてずっと過ごして、そういうことをやっているうちにこちらの気持ちが伝われば相手は人間ですから感動してやめてくれるかな、とひそかに思っていたんですが、もしもやめてくれたら私は光り輝く存在になれるだろう、と思ってそれを夢見ながらずっとやってたんですが、この一言で目が覚めたんです。

 あるA.A.ですが、私の献身の力ではなくて仲間のところに行ったことで(お酒を)やめたアルコール依存症の人が、「あの当時村田さんによくお世話になったな。でも、村田さんのそばにいるといつでも困ったときに助けてくれるし、いつでも飲めると思ってるからそばにいたんだ。」と、こういうことですね。もう一つが決定的だったんです。「村田さんにいろいろ世話になったけれど、1週間か10日お酒やめれば全部返したんだ、恩を。」あれだけ苦労したのに、1週間か10日やめれば、本人は「もう恩は返したよ。」とこういうつもりでいるんです。本人は回復したから、回復しつつあるからそういう言葉が出てくるんです。アルコール依存症の真っ只中の人はそんなこと絶対言いません。そんなこと言ったらお酒飲めなくなりますから。本当に関わっていると死ぬ思いをしょっちゅうするんですよ。これは放っといたら命が無くなるからなんとか助けてやったのに、「余計なことしやがって。」と言われるわけです。そういうことを罵倒されながらずっとやってる私の方が余程おかしいのかな、と思ったりもするわけですが、この辺はある意味では当っていると思います。

 なぜこんな依存症の人たちとつき合う必要があるのか。依存症の人は何もつき合ってくれ、と言ってるわけじゃないんです。こちらの方でつき合ってくれ、って追っかけ回しているようなもんです。私も相当なもんだな、依存症の人に依存していると言いますか。誰かの役に立っている、ということを実感できる、というのはすごく嬉しいことじゃないですか。それがやっぱりありますよね。そういうことはすごく快いことなんですが、ただ、そういうことが実は依存症の人たちの回復をますます難しくしていることなんです。そういうことに気がつくと、やはり私の今までの、何とか一生懸命やっていればいい、というだけではすまなくなってくるわけです。そういうことで私はアルコール依存症というものがどういうことなのか、ということを知っていくことにとても興味を抱くようになりました。ジャン・ミニーがこういうふうに言うんですね。アルコール依存症は病気だから回復するけれども、それにはプログラムと仲間が必要だ、と。それは私ではない、ということなんです。私たちやお医者さんの存在は本当に大事なんですね。それはアルコール依存症の人は自分から進んでプログラムと仲間に繋がる、なんてことは絶対しないんです。オレを助けてくれるのはお医者さんとか福祉の人とか親とか兄弟とか。でもそのアルコール依存症の人が助けてくれると思うのは、やがてお酒を飲めるようにしてくれるだろう、と、そういう意味なんです。正しい回復に繋げるのは、アルコール依存症者はそう思っていますから、なにもアル中のオレみたいなやつらの話しを聞いたって回復なんか関係ないよ、って思ってるからこんなところへ行くわけないんですよね、そのためには、アルコール依存症者だけでなく、どんな依存を持っている人もそうですけれども自分の力では生きて行けなくなる時期が必ず来るんです。それは一生に一回じゃなく一年に何度も来るんです。その何度も来るときにこういうところに行ってごらんなさい、と言うと、本人が行かざるを得ないときがあるんです。そんなとこなんか行けるかってそのままどこか行っちゃう人もいますが、行くときもあるんです。

 そういうことで仲間と回復のプログラム、例えばこの藤沢教会にもA.A.のプログラムをやっているグループがあって1週間に1回か2回ミーティングをやってるそうですが、そういうところに1度でも出ると、その後しばらくして飲んだとしても、今度またああいうところに行ってみよう、という動機にはなるんです。そういうことがとても大事なんですね。1回こういうところに繋がってすぐ回復する人というのも無くはないですけれども、それはやはり稀有な例ですね。アルコール依存症の人が回復のプログラムに繋がってお酒を飲むときにスリップと言います。面白い言葉でしょう。私たち、よく、お酒飲まないで生活しているときに「克服」という言葉を使いますけれども、「克服」という言葉は私の中では、歯を食いしばって目を吊り上げて闘って乗り越えていくイメージなんですけれども、アルコール依存症の人はニコニコ笑いながら回復していく、というところで違うんですね。ところが一人でお酒をやめている人はそれこそもう歯を食いしばって、もう「克服」という感じです。目を吊り上げて。で、1ヶ月経っても、2ヶ月経っても、半年経っても顔は固くて笑顔ひとつも浮かんでこない、という感じですけれども、プログラムに繋がってくる人たちはまもなく柔らかい笑顔に包まれるようになります。

 こういうプログラムに繋げるには精神科医であるとか、私たちみたいな福祉の関係であるとか、そういうところに従事している人、またアルコール依存症が回復し、こういうプログラムの中で過ごすことで日常生活を恙無く送っていくことができると、こういうことを理解した私たちが、私たちで抱え込んでなんとかしようとするのでは無くて、こういう場所があるから行ってみたらどうですか、とすすめてみるとよろしいと思います。そういうふうにすすめていく人はほとんど皆無ですのでガッカリしないようにしてくださいね。なぜ皆無なのか、というのは、実はアルコール依存症の病気の症状の一つなんです。人様から言われて行くなんていうことはアルコール依存者の辞書にはないんです。ただ、本当に自分が困ったときにあそこに行かなきゃきっと助けてくれないだろうな、と思うんです。後で聞いたって、もう覚えていませんけれど、ギリギリの所で命のコントロール持っていますから、行くんです。それが命に繋がるということがあるんですけれども。そういうことで、人の言うことは耳に入らない、と言うのがアルコール依存症の特徴です、これには国境も年令の差もありません。学歴の差もありません。症状ですね。風邪を引くと熱が出る。それと同じようにアル中になると耳が聞こえなくなる。そのかわり、お酒飲ませるよ、と言う言葉は霊的に響いてくる、という症状です。そういうアルコール依存症の症状が分かると、お説教というのは全く耳に入らない、というのがよくお分かりだろうと思います。

 アルコール依存症にどんな偉い方が面と向かっていろいろお話ししてもアルコール依存症の人っていうのは本当に知恵があります。シンプルなんです。お前とオレと違う、ってそれだけで、もう耳に入らないんです。これはもう本当に知恵があると思いますね。もうそのものズバリですね。それはアルコール依存症の人にはここにあるお酒って神様なんです、もう。これが飲めるか飲めないか。これを飲むためにもう全身全霊を使って、よく話しに聞きますけれど、酒屋さんの倉庫に行って、いっぱいカートンに空き瓶があるでしょう、あれを1本づつていねいにやって行くと一杯になるんですって。

 横浜ですと、ちょうど寿から歩いて1時間ちょっと位のところにクボヤマという有名な墓地があるんですけれど、あそこまで歩いて行くとお墓の前にワンカップがのってたりするでしょ。それを飲みに行くんですよ。だからお酒を飲むためにはどんなふうにしても歩いて行きますね。ところが10分位先の福祉事務所を訪ねて行くのに歩いて行けないんです。そこで村田のところに、オイ、助けてくれって来るわけです。私も分からないときはおぶったり、自転車に乗せたりしてよく連れて行ったものですけれども、今から考えるとアルコール依存症者はお酒を飲むのが目的だった。でも本人は本当にそんなふうには思っていないんですよね。でも身体がそう思ってる。アルコール依存症の人が病院に入ります。大体、99%、1ヶ月以内に出てくるんですけれども、お酒やめて1ヶ月位すると、身体がお酒を求めるんですね。それはアルコール依存症の人たちはあまり自覚しないけれども気持ちでお酒が飲みたくなってくる。それを中毒者の人たちはギザギザという言い方をします。で、ここからが巧妙なところなんですけれども、「お酒が飲みたい。」とアルコール依存症の人たちは率直に言えないんです。どうするかといいますと、同室の人たちとトラブルを起こす。それから看護師さんとトラブルを起こす。お医者さんとトラブルを起こす。いわばイチャモンをつけてトラブルを起こす。トラブルを起こして飛び出して、その勢いで飲むんですね。これがアルコール依存症の人たちの症状です。要するにお酒の飲みやすい感じ方というのが無いとお酒飲めないんですよ。私たちは、多分アルコールに問題のない人間は、飲むのもやめるのもそんなに意識しないでやってると思いますけれども、アルコール依存症の人はしょっちゅう意識していますので、特に関係性の中で、飲みやすい感じ方、腹を立てたり、怒り狂ったり、そういうふうにして飲まないと飲めないくらい、人にうんと気を使っているところもあるように思います。

 アルコール依存症という病気は同じことを何度も何度もくり返しながら症状としては重く進行して行きます。身体も悪くなってくるし、心理的には恨みが相当重なってきますし、オレがこうなっているのは妻の責任だ、会社の責任だ、娘の責任だ、私の知っている人は「天皇制の責任だ。」っていうふうな人がいました。カトリックの責任だ、という人もいるかも知れませんね。これは例えば0歳。これが60としますね。どこからか飲み始めていくんですが、だんだんだんだんこういうふうに飲んでたんですが、例えばこの辺が二日酔いみたいな感じですね。いつの頃からかアルコール依存症になるとこういうふうになってくるんです。例えばこの辺で入院したり、この辺で会社をクビになったり、この辺で家庭が壊れたり、この辺が死という感じですね。それでこんなところで幻覚が出たり幻聴が出たりいろいろするわけですね。気が付いたら他人の家に乗り込んでたりとかっていうようなことがありますけれども、例えばこんなところで家族から泣きつかれて、一生やめるって約束します。一生やめるというのは明日から飲むという意味です。で、一生やめるっていったのに翌日もう飲んでるわけでしょう。家族の人は唖然として、この人は悪魔かとか、心がないとか、ある先生は脳がないといった先生がいますね。

 彼らが一定期間やめたとします。そしてまた飲むと一番悪かったここから始まるんです。で、また進行していくんです。ですからここに戻るということはないんです。でもアルコール依存症の人はここにもどりたいんですよね。それで飲むんですけれども戻らない。これで仲間とどこかで出会ったりしますと少しづつ回復していく、ってこういうふうになります。今まで生きてきたよりも質的に高い生活を、経済的という意味ではなくて精神的にも肉体的にも心理的にもそういう生活をいうわけですが、こういうプロセスがあって、これはやっぱり相当長い期間でございますけれども、こういうふうに大雑把ですけれども回復していきます。

 実はプログラムと仲間が必要ということで先程お医者さんとか私たちみたいな役割というのはこの仲間とプログラムに繋げるには私たちの力がやっぱり一番必要なところです。アルコール依存症の人はどうしようもないときは言うことを聞くんですよ。頭で理解して言うことを聞くんじゃなくて、命の問題のギリギリのところで聞くんですね。そういうところにいるということで私たちの存在というのは大変大事なところなんですが、日常生活を送って生きていくにはプログラムと仲間が必要なんですけれども、プログラムは主に12ステップといわれて、多分みなさんご存じだと思うんですけれども、一番最初のステップは私たちはアルコールに無力であることを認めた、というステップなんです。二番目が回復を信ずるようになった。三番目が自分のこれからの生き方も含めて自分より大きな存在みたいなものを認めてそれに任せることをするようになった。と、こういうふうなことですが、この部分がお酒をやめる一つの大事なプロセスになるわけですが、この12ステップはすべて過去形で書いてあるんですね。

 過去形で書いてあることに注目したのは斉藤学さんという精神科医が居ますけれども、この方が過去形のことについて触れていました。それはひとり一人の気付きに任されていることです。誰かから指導されたり教育して押しつけれたりするものではない。例えば教育の「教」の字、これは「鞭で叩いて教える」という意味があるそうですね。強制というのが含まれているわけですが、もうひとつ、「国」という、これは「ある地域を囲い込む、力で」。こういうのが国だっていっていますけれど、この国というのは教育を自由にする、ということは到底しないですよね。この辺は教育が持っている力と問題の根源だと思うんですけれども、実はこの12のステップと仲間が必要というのは、ある権威とかある愛情であるとか、そういうことじゃなくてアルコール依存症を生きている仲間同士がお互いに力になったり、力をもらったりという分かち合い、それで回復する、ということなんです。

 これも少し極端なのかもしれませんけど、このプログラムには肉体の健康と心理的な回復と霊的な回復、この3つが必要だというふうにいわれてますけれども、アルコール依存症が回復していく中で、信仰を得た方がいらっしゃいます。信仰を得た方はその信仰を大事にする、ということで、A.A.を捨ててしまいました。A.A.でいうハイヤーパワーというんですが、ある大きな力が自分を回復してくれると思うというところは特定の宗教ということではないんですね。先程お話したジャン・ミニー神父とピート田中神父というお二人は、私自身が第一にするのは何か、といったら、A.A.のミーティングをきちんと自分の日常生活の中に生かしていくことだ。信仰よりもまずA.A.だ、と言うんですね。なぜそうかというと、そうしないと私、信仰を守れませんと言うんです。信仰を守るために自分はお酒を飲まないことが大事だ。そのために第一なのはお酒をやめ続けるために必要なことをやる。それがあるから、私は今の信仰を続けられます。彼はこういう言い方をしていました。

 先程様々な依存症の話をしてくれ、と言われたのに、夢中になって全部そっくり忘れてアルコール依存症の話ばかりで、実は依存症ってみんな似てるから、ということで我慢してくださいね。アルコール依存症の人はお酒は信じてますけれども、自分は信じていませんし、人も信じていませんし、家族も信じていません。誰も信じていないんです。信じているのはお酒だけですね。最後はお酒で亡くなるわけですけれども。

 あるアルコール依存症の人がこういう話しをしていましたけれども、九州の生まれの人ですが、母親と弟に若い頃柿の木に縛りつけられたんだそうですね。この恨みは一生忘れない、と彼は言っていましたけれども、彼は他人の家に入って包丁を振り回して逮捕されたわけですけれども、たまたま私が身元引受人になるっていうことで、初犯だったので釈放されましたけれども、その彼がA.A.のミーティングで仲間と出会って自分と同じような経験をした人の話を聞いた時に思い出したんですが、あのとき、母親と弟は涙を流しながら、オイオイ泣きながら縛ってた。母親と弟をそこまで追い込んだのは自分のアルコールが問題だったんだ、ということが少しづつ分かってくるんですね。もちろんそこまで分かるまでには何ヶ月もかかる。あるいは一年以上もかかるわけですけれども、そういうことに気がついた時に彼の心を縛っていた恨みがどんどんどんどん解けていくわけですね。恨みが解けていくと自分の気持ちが少しづつ軽くなっていくというようなことがあります。最初に行きだした頃は、みんなきれいごとばかり言いやがって、アルコール依存症のやつがそんなきれいごとなんか言ったってしようがないじゃないか、バカヤロウ、なんて思って聞いているんですけれど、そのうちにハっと気がつくと、オッ、2週間ぐらい飲んでないじゃないか、と気がつくわけです、自分で。そうすると、あいつらきっと帰りに飲んでるに違いない、と思ったけど、どうも飲んでなさそうだ。アルコール依存症って現金なもので、自分が2週間やめてると2週間分信ずるんですね。1ケ月とか半年やめると半年分信ずるんですよ。そういう具合に少しづつ自分も仲間も信ずる気持ちがどんどんどんどん戻ってくる。そういうことがだんだんだんだん積み重なっていくとだんだん人間を信ずるようになるんですね。そうすると人を認めたり、今まで自分すら信じてなかったんですけれども、人も大事にするとか、自分を大事にするとか、そういう気持ちが出てくるんです。それはこういうプログラムと仲間がいるところに出て正直な話をすることで少しづつ聞こえてなかった耳も聞こえてくるし、本来あった人間的な気持ちも少しづつ戻ってくると。これが実は回復なんです。ですからお酒やめてるんじゃないんですよ。そういうふうに仲間と一緒にやっていく中で生き方が変わって行くんですね。ですから笑顔もできるし、柔らかい雰囲気になるし、映画に行ってみたいとか、海に行ってみたいとか、今までお酒だけだったんですけど、そういう興味も関心も出てくるんです。そういうことが実はプログラムをやったことによって回復していくプロセスなんですね。そのためにはやっぱり時間がかかるんです。

 アルコール依存症の回復はとても微妙でこういうことを言ってた人がいました。真冬に裸で町を歩いているとピリピリピリピリと感じますよね。皮膚が痛いように。実はアルコール依存症、飲んでいるときはそういう感じなんだそうです。いつでも真冬に裸で歩いていくように心がささくれ立っていてお酒を飲むことでしかそれが癒されない。ですから依存症の人はお酒をやめろ、って言われたら、あるいは節食障害をやめろ、と言われたら、買い物依存症をやめろ、と言われたら、あんた死にな、ということなんですよ。少なくとも依存症はお酒で死ぬんですし、薬物で死ぬし、買い物依存して破綻して死ぬんですけれども、実はそこまで生きてきたのはお酒があったから生きてこれた、ということが一方では言えるんです。ですから私たち、このお酒を取り上げる、そういう権限とか力というのは元々ないんです。その人がプログラムに繋がり、仲間に繋がっていくというのは、それなりに私たちメッセージを伝える努力はしますけれども、後は本人の生命力と仲間とプログラムの力に委ねて見ているということが必要な気がします。依存症の人たちは先程病気って言いましたけれども、病気のプロセスを進む中で今の社会と今の状況の中では生きられないよ、というメッセージなんだろう、と思います。そのためにはやっぱりお酒とか、あるいは節食障害ー過食する、拒食する、嘔吐する、そういうことに依存しないと生きていかれない。依存症でなくても私たち、ちょっと悩みがあると寝られなかったりとか、食事がちょっとできなくなるとか、逆に食事、大食いするとか、ってそういうのがやっぱりあるでしょう、大なり小なり。それは悩みをどこかで和らげるコントロールをしているっていう、そういうのがあると思いますね。

 人間の病気ってお医者さんに委ねて回復する病気もありますけれども、病気と一緒に連れ添いながら生きていくっていく病気というのは結構沢山ある。これはあまり下手に直さない方がいいんじゃないかなって私は思ってるんですけれども、病気って人類の敵じゃなくて生きていくために必要なんじゃないかなと思うんですよ。もちろん、治療はそれなりにきちっとしていく、というのはあるのかも知れませんけれど、もう少し病気のもう一つの側面、撲滅したり、無くしたりということではなくて、病気と共に生きていく、ということが必要かと思います。そういう点では依存症というのは人類の病気の中で、特にアルコールの問題なんかはそうですけれど、アルコールが多分発見されてなのかあるいは発明したのか分かりませんが、作るわけですから。それからの問題だろうということで、歴史的にはすごく古い病だと思いますけれど、昔はそういうことがいわば祭祀といいますか大事なお祭りの要素だったりして尊ばれた、ということがあるのかも知れませんし、あるものの本に、「天鈿女命」(アメノウズメノミコト)というんですか、「天の磐戸」の。あれはお酒を飲んで酔っぱらってたんじゃないか、という話もあって、もしかしたらそうかな、とも思ったりもするんですが。そういうことを考えると、依存というのは人類が生れてからずっとあるのかな、というふうに思いますけれども、そういう点では二十世紀の知的パワーと言いますか、教育パワーと言いますか、これは社会を席巻(設計?)してきたと思うんですけれども、そういう強大な力、あるいは貧困を解決する、とか様々な力を出してきたんですけれども、これが依存症の回復にはなかなか及ばない、といいますか、そういうものでもあるのかなとなんとなく思うんですけれども。

 依存症という病気そのものというのは大変な知恵のあるものなのかと思います。存在自体が。そんなことでアルコール依存症というのは私たちが生きづらさを抱えて生きていく時、頼るものが何もない時に依存というところで頼って何とか生きていく。多くの人たちが死んでいきますけれども、回復していく途上でこの12のステップという大変大切なものを残してくれていると思うんです。

 アルコールで30年、35年、40年と飲まないで生きている方がいらっしゃいます。日本でも30年を超えた人が出てきてますけれども、アメリカでは70数年の歴史がありますから。その何十年をやめている人たちは、実は今日一日お酒をやめることが私自身の生き方です、というふうに言います。「ワンデイアトアタイム」と言います。その今日一日のお酒を飲まない力を与えてくれるのは、今苦しんでいるアルコール依存症の人が私たちのところに訪ねてきてくれるからだ、というんですよ。その姿を見ると、私が30年前、40年前に苦しんでいる姿そのものですから、自分の病気のことが良く分かる、と言うんですね。オールドタイマーと言いますけれど、その人たちは今飲んで苦しんでいる仲間たちを本当に大事にしますね。大事にするから、その人の家に寄って強制的に連れてきてミーティング場に座らせる、ということはしないですね。メッセージは送りに行きますけれど、座らせることは強制しない。

 でもアルコール依存症の人は几帳面で親切な人が多いでしょう、だから自分がアルコール依存症だ、というのを忘れて、自分が回復しているのを一緒に味わわせたくて行って強制的に連れてきたりする人もいる。そして一生懸命、こうだ、って教えるわけですよ。で、不思議なことが起こるんですね。そういうふうにするとそういう人が飲んじゃう。で、アルコール依存症の申し伝え、宣べ伝えというんですけれど、こうしなさい、じゃなくて、こうするといいよ、とか、こうすると危ないよ、というのがあるんですけれど、その中の一つに「先生にならないように」というのがある。今の日本の教育で、先生が病気の真っ最中、と思える人が大勢いる、というのは、私はある意味ではアルコール依存より深刻に考えているんですけれども。アルコール依存症の先生の人たち、沢山いますね。お医者さんでアルコール依存症の人いますけれど、これがまた回復しにくいんだそうです。やっぱりプライドがあるのかな。

 アルコール依存症の回復にはこういうただし書きが付いているんです。自分に正直になる力が残っていれば回復するって言うんです。でも人間の中には自分に正直になれない人もいるようだと言ういい方がされています。これは私、すごく気になる言葉なんです。でもアルコール依存症の人の場合にはアルコール依存症で苦しんでいる仲間の宣べ伝えと分かち合いですから、そこのところが一番大事にするところなんですけれども、翻って私は自分自身に正直なんだろうか、と言いますと、どうも自信がないんですね。

 アルコール依存症の人たちは嘘ばかりやっていますけれども、その嘘というのはアルコールに依存して生きるために一つの生きる知恵として身に付けているものですから、症状ですので、そういうことに評価をつけてもしようがないんですけれども、私個人的には依存症の人を見ると間違いなく人間だと思います。それに惹かれて私、ずっとおつきあいを続けさせてもらってると思うんですけれども、これは私の感覚ですから説明つかないんです。けれども、私はこの人は人間だってやはり思います。ところが私自身はどうもそういう感じじゃない。自分自身の感覚と思いで生きているよりも、人間こうあるべきだとか、こういうものが必要だとか自分の外側の権威の方に合わせてそれに沿って生きてきた人間だと思います。

私自身の子供が小学校の頃登校拒否になったことがあるんですけれども、その時はもう仰天しまして、この子は登校拒否と知られたら私の名誉はどうなる、私生きて行かれないと思いまして、自分の兄弟とか地域の人、職場の人、そういう人に知られる前になんとか学校に行かせようと思って、それはもう目を吊り上げてやりましたね。そのときに、これは息子のためだと思ったんです。でもよくよく考えてみたら、考えてみたらというのは自分で気が付いたんじゃないんです。息子が私の思いにガンとして抵抗して学校へ行かなかったんです。連れて行くと電信柱にかじりついて行こうとしないんです。剥がそうと思ってもあんな小さい子供なのに剥がれない。気がついたら足を引っ張ってて彼はこうやってるんです。鯉のぼりみたいです。それで大泣きになって。あるとき部屋の中に入ったまま出てこなくなったんです。3日ぐらいして出てきたんですが部屋の中はズタズタでした。出てきたときは幼児返りっていうんですか、小学校の3年でしたけれど赤ちゃんみたいな感じでした。私、その時に初めて気が付いたんです。学校より子供の命が大事だとその時は思ったんですが、その時に考えたんですけれど、私は実は子供よりも自分の世間体を大事にした。私の命の方向とか生き方の方向というのは良くも悪くもどっちかというとそっちの方なんですよ。

 でもアルコール依存症の方とかその他の依存症、節食障害の方もそうですが、そういう方々を見ているとものすごく自分のせいということと自分の感覚に執着している。その執着の度合いというのは自分の命をなくす程執着するんですけれど、これはやっぱり、社会に有用であるとか、うまく人とつき合うかということに価値を見い出していたとしたならば、こんな人生生きていなくったっていいよというとか、あるいはどこかへ隔離しちゃいなよ、というふうになると思うんですけれども決してそうじゃないなという感じがします。依存症の人たちが提示している問題というのは多分幅広いと思うし、私一人では思い付かないわけですけれども、やはり人間が生きていく方向とかあり方とかにとても深く結びつているもので、どちらかというと私みたいな社会の価値とか権威ということに沿うような方向で自分を育て、生きてきた人間が思う社会というのはそう良いものではないな、という感じはしないではないんです。

 そんなことで私自身はアルコール依存症を問わず、実は私、節食障害という過食、拒食の方々のグループで「ナバ」というのがございます。ご存知の方もいらっしゃると思いますけれども、「日本アノレキシア・ブリミアアソシエイション(NIHONANOREXIABULIMIAASSOCIATION)」といいますけれども、過食と拒食それから嘔吐をくり返す人たちのグループですが、この方々が、これ女性の方が多いんです。男性の人もいるんですけれども、男性の人は、男なのに過食拒食だなんて恥ずかしい、ということで人様に言えない。女性はわりと言えちゃうんですね、アルコールと逆で。アルコール依存症の女の人は、アルコール依存て私言えないわ、というのがあります。最近そんなことはなくなってきたんですけど。その人たちが頭の良い人たちが多くてしっかりしてるんです。その彼女たちが書いて出してる新聞が「いい加減に生きよう」というんです。彼女たちはいい加減に生きられないものですから、「いい加減に生きよう」。実はそのいい加減というのは「いい加減」だと思っていたら「良い加減」なんだそうですね。そう言われりゃそうだな、と思うんですけど、そうすると、「ワガママ」というのは「我が儘」という感じですからそんな悪い意味じゃないんですけれど、やっぱり几帳面な彼女たちはいい加減な生き方はできないんですね。そういうことで私、その「ナバ」の応援団という組織を作らせていただいて、これは全国組織ですけれども、私、代表、応援団長ですねいわば。右翼みたいですけれど、一応団長になって全国からの寄付を募って、毎月17万づつ、「ナバ」の事務所の費用の一部ということで送り続けています。5年になりますけれども、毎月17万づつちゃんと送られているんです。それを送っていただける方は、本人で、少し回復してきた方に会員になってもらったり、お医者さんだったり、アル中とか薬物の依存症の方だったり、あるいは家族の方だったり、友人の方だったりします。できましたら寄付をお願いしたいと思います。

 アルコール依存症とか薬物の場合には飲んだり打ったりして死ぬか、やめて生きるかの二者択一なんです。どちらかというとはっきりしているんですけれども、節食障害の方というの食べるのをやめるわけにいかないじゃないですか。だから食べながらそういう自分の大きな症状をどうしていくか、という点では、依存の中ではまた大変むずかしい側面があると言えますが、でもやはり回復とプログラム、仲間が必要という事は変わりないんですね。節食障害の人たちの一人一人と話すと、もう、腹を抱えて笑えるような、要するに自分の節食障害で家を燃やしちゃった、とかいうのではなくて、家の土台が傾いじゃったんですって。それはいろいろなトラブルの中で家を水浸しにして土台が洗われてこんなになっちゃった、とかさまざまあったり、お医者さんなんですけれども、20数年来夜中に沢山食べて吐いてというのを一緒に暮らしている家族の方にまったく知られないでやってたとか。登校拒否の子供でもそうなんですけれども、自分の部屋にいて、お母さんが食事を持って来てくれるんですけれども、その食事を買った場所が家から学校側に近いものは絶対手を出さない。ところが学校から遠くに離れている方のものはちゃんと食べる。ここちゃんと通信があるんでしょうかね。別に超能力とかなんとかではないんですけれども、大変雰囲気とかなにか研ぎすまされたものがもちろんあると思います。

 私自身はアルコール依存症の方、それから様々な依存症の方、また寿で暮らすさまざまな方と関わって、人間には本当に様々な生き方があるな、というふうに思ってます。最後に一つだけお話をさせていただきたいいんですが、寿に少ないですけど、ガジリヤさんという人がいまして、ガジルっていうのはお願いごとをして相手がそのお願いごとに応じてくれるまでその人のそばから離れない、これをガジルっていうんですけど、仕事から帰ってきた労働者のそばにスっとよって「俺は数日ご飯食べてなくて腹が減ってるんだ。これじゃ仕事にいかれないからちょっと千円、2千円を俺に貸してくれないか。」と話すんです。「バカヤロウ、そんなの関係ネーヨ。自分の問題だろ、自分でやれ。」なんてその人が去っていこうとすると、そんなことじゃあきらめない。「兄い」ってずっとついていく。これガジリヤさん。私の所にもきましてね。私はずっと断り続けたら、「オイ、ここに書いてある福祉って言葉、どういう意味だ。これは人を助けるところだろう。」って。私はカチンときて大げんかになって罵りあって気分悪く別れたんですね。その後、町でその人とすれ違った時に冷やかしてやろうと思って「おっ、どうだ、カモでも見つかったか」って声をかけようと思ったら、こんな深刻な顔して下を向いて歩いているんですよ。だから声をかけそびれてしまったんですけど、その時後ろ姿見てふっと感じたんですけれども、彼は今次のターゲットに対する物語を創作しているにちがいないと思ったんですね。彼はきっと24時間そういうの考え続けてるんだって。彼は働かないで人にお金無心して暮らすんだから気楽なもんだなって何となく思ってたんですけど、気楽じゃないですよね。私にはやれって言われても仕事の方が楽っていう感じしました。彼にとっては大変だろうと大変じゃなかろうと、それが彼にあった今のところの生活の糧であり、もしかすると芸であるかもしれないんですね。今度彼が私のところに来ていい物語を聞かせてくれたら、2千円、3千円惜しくないなって、そういうふうに思ったらすごく気が楽になったのと本人が全然違って見えたんですね。

 寿にはいっぱい年の人いるんです。80幾つで、ずっと万引きをやってきて。80幾つまで万引きをやってきたって大変でしょう?感動もんですよね。そういうの聞くと私は人間て何やっても生きていかれると思って、ぐんと元気が出る。なにかとってもいいことしてますなんて聞くと嫉妬が湧いてくるんだけれど、そういう人聞くと本当に心底から、優越感なのかもしれないですけど、力が出たりするんですよ。ところが、おもしろいんだな、そこの帳場さんが、村田さんに一度保証人になってもらって警察からやってきたスリをやってたオッチャンなんだけど、同じドヤの部屋の人のヤツをやっちゃったってわけですよ。もう、まったく伊勢佐木行ってやるんならいいけどね、同じドヤなんかでやらないでよ、困ったわよ、なんて電話かかってきて、聞いているうちにもうお腹抱えて笑ってて、そのうち涙出てきたんだけど。というのは、その人が常習の万引きである、っていうのはドヤの人は大体みんな知ってるんですって。ところがみんな知ってるってことを本人だけ知らないんだそうなんです。寿町というのはそういうところがあるんです。そういうところで私、ずっと生かされて生活をしてるという、こういうことでございます。どうも長いことありがとうございました。

<質問1>アル中の方は、親とか祖父母の影響をもらってなるというのを聞いたことがあるんですが、アル中だけじゃなくて薬物もほかの依存症もそういうものなのでしょうか。

<答> アルコール依存の場合ですと遺伝という部分もやっぱりあるといわれています。もちろんそれがすべてではない。私の父の母、おばあちゃんですね。この人はものすごいアル中だったみたいで、毎朝瓶にお酒が入っててそれをひしゃくでガブ飲みをしてたそうです。金貸しもしてたらしくて、お酒一杯引っかけて金取りにいって帰りは戸板に乗せられて帰ってきた。戸板に乗せられたときはもう死んでたんですけれども。そういうおばあちゃんだったんですね。で、私の一番上の兄貴は今のところそんな症状出てないですけれども、結構大酒飲みですね。私はおちょこ一杯も飲めないぐらいお酒はダメです。相当個人差がありますけれども、遺伝というのは影響ありますね。

 アメリカなんかではわりと事例があるんですけども、アルコール依存症のお母さんから生れてアルコール依存症になるというか、生れた時に禁断症状がもうある、という、そういう事例も報告されています。そういう点では生まれつきアルコール依存症の体質を持っているということはいえるのかなと思います。もう一つはアルコール依存症の親子あるいは薬物なんかもそうですけれども、親がアルコール依存症で育った子供たちというのは、やっぱり、精神的にも肉体的にも心的にも様々な影響を受けますけれども、一番受けやすいっていうのは、相反する経験といいますか、例えば、お父さんがアルコール依存症とします。お父さんがニコニコしてるんでそばにいったらバチンと殴られた。ある時はニコニコしていてそばにいったら、いい子、いい子、って撫でられた。同じ笑顔してるのに撫でられたり殴られたり相反することを何度もやってるうちに人間との関係の取り方というのが非常に難しくなる、分からなってくる、という経験などはよく聞いたりします。もう一つは自分にとって様々な分からないことを受け続ける時に、自分自身の感情をマヒさせて耐えていくということと、もう一つはお父さんお母さんとの様々な様子を聞いていて、なぜこのお父さんお母さんに対して自分自身は力になれないのだろうかと思って自分自身を責める。もう一つは、そういう姿を見ていてなんとかみんなの助けになろうと思って一生懸命家事をしたり、お父さんお母さんのできないことを一生懸命やっていく、というそういう形で対処していくとか、さまざまな自分自身の安定を求めるためにその子供なりの対応の仕方でやっていく、ということがありますけれども、少しづつ社会に出る中でそういう事が自分の一つの防御的な反応から出るもので、本当に自分自身のやりたいこと、したいことの欲求ということじゃないわけですので、そういうところから人間関係の取り方が非常に難しくなって、その時にどう生きていくかっていうところ、そこのところに依存という形で生きて行かざるを得ない、という選択。これは実は依存だよっていうことを本人が知るんじゃなくて、そういうことで生きていく力を自分でともかく手にいれる。それは日本もアメリカも様々な国もそういう形でやっているんですね。

 登校拒否にしてもそうなんですけれども、一緒に今度登校拒否しよう、なんて相談をしてやってるんじゃないんです、あれ。過食、拒食もそうですね。あれ、やっぱり一つの文化があるんだろうと思うんです。詳しくは分からないんですけれども。そういう中からいくと生きて行こうとする大変大きなエネルギーを生み出すクリエイションだっていうふうに私は思っています。



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