生き生きとした共同体を築くために
松田神父講演会

9月21日(日)午前9:30のミサより、コンベンツァル・フランシスコ会の松田神父様(日本カトリック研修センター)をお招きして現代社会に根付いた生きた共同体を築いていくためにどの様にしていったらよいかについてお話をしていただきました。

ミサの説教では、講話の導入として当日の福音から、イエスの真意を理解できなかった弟子たちの姿、それにも関わらず、弟子たちとともにいて導くイエスの姿を通して、不完全な私たちであってもともにいて導いてくださるキリストを中心に据えるところから、教会が真のキリストの共同体として社会の中に生きることが出来る。その中心にミサがある。ミサはその共同体が全員で、そのただ中にいるキリストを祝う祭りである。司祭はただその祭儀の司式を共同体のために奉仕するのであって、祭儀には共同体全員が能動的に関わって行くはずのものである。そのときミサはより多くの人を引きつけることの出来る祭儀となれるのではないか。と話されました。

ミサ後行われた講話では、1990年のFABC(アジア司教協議会)で提起されたアジアにおける宣教・司牧のあり方の中から生み出された実践のためのプログラム(ASIPA=アジアにおける包括的な司牧へのアプローチ)の紹介をしてくださり、その中でも特に中心であり基礎ともなるみ言葉の分かち合いについて話されました。

このみ言葉の分かち合いは4〜8名程度の小グループで行われます。み言葉の分かち合いは、聖書研究と混同されがちだが、実際には大きく異なった神学的な背景がある。聖書研究は、歴史的背景の元で、キリストのメッセージを理解することを主としていますが、分かち合いはそうではなく、今日も私たちの中に生きていらっしゃる復活のキリストとの出会いにあります。「二人三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのです」とのみ言葉のように、そこで語り、分かち合われるみ言葉の中に、ご聖体における現存のように秘跡的にキリストが現存しています。その主に私たちは分かち合いを通して出会い、共同体に命を与えて、生かしてくださるのです。

み言葉を中心に生かされている共同体は、必然的に社会に対しても開かれたものとなるでしょう。生活と信仰の遊離の多くも解消されるでしょう。今までの実践でも、それらは多くの実績を上げており、またみ言葉の中におられるキリストとの出会いは、その人々をミサへと招きます。そこで行われるミサは、より生き生きとしたものとなっていくのです。

そのような話の中に、み言葉の分かち合いの実践の具体例を入れながら1時間半の講話を終了しました。

このような、信仰共同体での生きているキリストとの出会いの体験こそ、現代社会に生きるキリスト者にとってもっとも必要とされていることであり、その礎の上に、社会に福音を証しする、いわば秘跡としての教会共同体が実現できるのでは無かろうかと考えさせられました。





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