沖に漕ぎ出し網をおろせ

濱尾文郎


 6月15日は、ちょうど司教協議会定例総会の最初の日にあたり、教皇大使アンプローズ・デ・パオリ大司教があいさつの後で、私の就任について公表しました。ほとんどの司教にとっては寝耳に水の情報でした。その日の午後7時(ローマ時間で正午)の発表の時刻になったとたん、いよいよ横浜教区長と日本司教協議会会長が解任かと思うと、急に足もとの踏み台が外されたような感じがして、いったい私は今、どこで、何をしたらよいのだろうかと、少し不安定な気持ちに襲われました。

◇移住者との関わり

1980年代に、インドシナ半島から多数の難民がボートピープルとして日本に到着しました。カトリック信者も大勢いて、後に司祭となったファム・ディン・ソン神父も、その一人でした。90年代には、韓国、フィリピン、中南米からの日系人の移住労働者が増大しました。現在、横浜教区の信徒約5万人に対して、外国人労働者の信者数は約7万人です。

 90年、AISA横浜(横浜教区の社会問題についてのアジア研修会)が開催され、滞日外国人労働者の司牧の研修が行われました。それを機に、教区に滞日外国人と連帯する会が発足し、フィリピン・デスク、ラテン・アメリカ・デスクや韓国デスクも設置され、現在まで大きな活動を展開しています。

 私は89年から、アジア司教協議会連盟(FABC)の人間開発局(OHD)の責任者を任命され、約7年間アジアの諸国の教会と共に、特に弱い立場に置かれた人たちの人権を守る運動に従事してきました。その中には、移住労働者とその背後で犠牲となる女性や子どもの人権保護の問題がありました。この課題のためにアジア諸国の正義と平和協議会やカリタスなどの組織との連携を図り、真の人間開発への関わりを持つ仕事がありました。またローマに本部がある国際カリタスの役員として関わりました。今年5月に開催されたアジア特別シノドスにおいても、大きな課題の一つとして、出稼ぎ労働者とその家族の問題が取り上げられて、その司牧の重要さが強調されました。

◇教皇庁移住・移動者司牧評議会とは

 同評議会は、バチカンの機関の中で何百年前から存在している福音宣教省、教理省、修道会省、典礼省などとは異なり、第二バチカン公会議(62〜65年)後、70年に教皇パウロ六世が設立しました。同じ頃に設置されたのは正義と平和評議会、諸宗教との対話評議会、家庭評議会などです。

 同評議会の主な活動は、難民、亡命者の人権擁護、移民、移住者の保護、ロマ(流浪の民で、かつてジプシーと言われていた人々)、船員や空、海の交通機関勤務者などとの関わりです。また巡礼者、留学生など祖国や母国、家族を離れて海外に移動する人々への精神的配慮を行います。

 第二次世界大戦前後から亡命、難民などが増加し、世界の移民の司牧は50年代から行われていました。近年、アフリカのルワンダ、エチオピア、中近東のユダヤ人とパレスチナ人の問題、中央アジアのアフガニスタンの難民、また東欧から西欧への移住者、アジアの出稼ぎ労働者の問題など、評議会の課題は増える一方です。

 移住・移動労働者の人権を守り、精神的配慮をする司牧は、ここ数年来、私の最大の関心事でした。横浜教区で、またアジアでの関わりを通して、これからは世界のレベルで従事できることに感謝して、挑戦することに燃えています。

 教会は、常に神の国の目に見えるしるしとなり、その促進の道具となることを目ざしています。地上での神の国の姿の顕著な現れは、民族、性、国籍、文化、言語などの別を越えて、誰でも一緒に住み、互いに兄弟姉妹のように関わりをもつ世界となることです。

国境、国籍、パスポート、ビザの取得など、人間の世界には複雑な法的な手続きが必要です。以前、宇宙から地球を眺めた宇宙飛行士が、「いちばん印象深かったことは、地球に国境線が書かれていないことだった」と書いていました。渡り鳥は、不法侵入や不法滞在として咎められることもなく自由に国々を巡っています。教会は、このような神の国の実現に力を注ぐ使命があります。当評議会の仕事も、まさにこれを目標にしていかなければなりません。

◇抱負と不安

 当評議会議長の任期は5年です。かつて私はローマには11年間、住んでいましたが、未知への期待と不安が半々です。語学の問題、膨大な仕事の範囲、正しい判断、決断と実行などを考えますと、私自身の能力的な限界から十分に仕事を果たせるかどうかという不安もあります。しかし当評議会前議長のケリ枢機卿、私の秘書となるジョイア大司教をはじめ、他のスタッフが必ずよい協力者となってくださると確信しています。

 「沖に漕ぎ出して、網をおろせ」(ルカ5章4)。ベテランの漁師の弟子たちが、夜中働いて何も取れなかった時、イエスはすばらしいことを言われました。危険や不安や謎などに包まれる未来や使命に対して、イエスはいつも「沖に漕ぎ出しなさい。私が一緒にいるから」と言っておられるのです。

◇横浜を去るにあたり

 80年1月15日、荒井司教様の後任の教区長として赴任して、18年経ちました。もうと言うのか、まだと言うべきなのかが分かりません。神奈川、静岡、長野、山梨の四県にわたる横浜教区は、港、海岸、山岳、平野、湖、河川、農村などが豊かで、実に自然に恵まれていて、日本一の富士山もあります。

 横浜教区の皆様の宣教・司牧の活動を、教区長として援助することは本当にやり甲斐のある仕事でした。宣教司牧評議会、地区福音宣教委員会などは教区設立50周年の実りでした。今年、60周年を迎えた教区は、それらを見直す時でもあります。このような時期に教区を離れることは、申し訳ない気持ちです。

 横浜教区は信徒、教区司祭、宣教会・修道会司祭、修道者の方々に恵まれて、本当にすばらしい教区だと思います。今まで司祭たちが司教の命令に従順に従う姿を見ている私は、教皇の希望と命令に対して、従順に従うべきと決意して、この任命をお受けしました。

 9月頃にローマに赴任する予定です。新しい私の職務を主の御心にそってより良く果たせますように、皆様どうぞお祈りください。私にとって決して忘れることの出来ない横浜教区のためにも、いつも祈りながら、世界の教会のために働きたいと思います。

 いろいろとありがとうございました。





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