バリアフリーをめざす
藤沢教会では・・・。

藤沢教会では、バリアフリーをめざす活動をスタートさせることになりました。ゼロからのスタートですが、とりあえずバリアフリーについての基本的なことがらを学ぶ勉強会を去る9月6日に開きましたのでその内容をお知らせいたします。発題者は藤沢教会信徒、カトリック障害者連絡協議会渉外担当委員長唐木邦子氏で、お話のあと参加者同士で分かち合いもおこなわれました。

発題要旨

1.バリアって何だろう?

最近マスコミ等でも「バリア・フリー」という言葉をよく耳にしますが、まず「バリア」について考えてみましょう。

1.物理的バリア

「バリアフリー」という言葉はふつう、例えば「段差があると車椅子の通行に不便だから段差を無くそう。」、「点字ブロックをつけましょう。」、「手話通訳も必要です。」というふうに障害を持つ人の社会参加を妨げている物を取り除くという物理的な意味で使われます。これは障害者の社会参加にとってとても大切なことです。

2.理解面でのバリア

物理的なバリアが解消されても理解に障害がある知的発達障害を持つ人達は、うまく社会参加ができません。例えば視覚障害のために信号が見えない人には音声で知らせれば良いのですが、「信号」というシステム自体を理解出来ない障害者は信号を見ることができても利用できません。

3.心のバリア。

現代の社会では障害を持つ人のニーズはほとんど考慮されていません。障害を持つ人と持たない人が一緒にいる場があまりにも少ないので相互理解がなかなか進みません。障害者や家族が疎外感を感じることもあります。この「心のバリア」が障害を持つ人家族にとっては一番の重荷になっているかもしれません。

2.障害を持つ人やその家族にとってバリアとは?

現在の社会では「歩けないこと、目が見えないこと、耳が聞こえないこと、知的理解が充分にできないこと」が「障害」ということになっていますが、障害を持つ人や家族は「車椅子で移動しづらい町、手話通訳が十分保証されていない町、点字や音声ガイドが不備な町、知的障害者に対応できていない町」が自分たちにとってバリアになっていると感じています。

3.バリアフリーの教会とは?

聖書の中でイエス様はいつも「弱い人・小さくされた人」の立場に立っていらっしゃいます。バリアフリーの教会をめざすということは、教会がより本来の姿に近づくということだと思います。そのためには、物理的なバリアや理解面のバリアを解消することが必要ですが、その前提となるのは

信仰共同体の仲間として尊重しあう。

ということです。これは「障害者」として特別な目で見て「何かしてあげよう」と考えるのではなく、障害を持たない人達と同じように「ひとりの人間として尊重されたい。信仰共同体の仲間として尊重され、共同体の活動に参加したい。」という願いを持った「仲間」として共に歩むということです。教会としてこの点が大切だと思います。

4.藤沢教会がバリアフリーの教会をめざすために。

残念なことに現在の社会では障害を持つ人と持たない人が同じ場を共有する機会があまりありません。だから、

まず、共に居ることから。

始めようと思います。「教会」と言っても障害を持つ人も持たない人もまだ「共に歩む」ことについては初心者です。だから、「共に歩むためのポイント」は、

  1. 完璧をめざさないこと。
  2. 障害について尋ね上手、教え上手になろう。

の2つだと思います。特に日本人は「こんなことを尋ねたら失礼じゃないか?」という遠慮から結果として行き違いが起こる場合が多いと思います。障害を持たない人は「わからないことを尋ねる勇気」が、障害を持つ人や家族には「相手の立場に立って、わかりやすく自分のニーズや気持ちを伝えること」が必要だと思います。

参考資料

関係団体



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