『クリスマスそれは礼拝』ルカ2:8-20、マタイ2:1-11をお読み下さい

 クリスマスおめでとうございます。

 クリスマスというと、ほとんどの人は、サンタクロースがプレゼントをくれる日だということを喜んでお祝しているようです。

 私たち教会では、クリスマスはクリスはキリスト、ミサは礼拝、つまり、救い主イエスさまのお誕生を祝う「礼拝」を行う日として大事にされているのです。

 では、世間では、クリスマスツリーを飾ったり、クリスマスケーキを食べたり、プレゼントをあげたり、もらったりすることを楽しんでいますが、クリスチャンがそれをすることは、間違っているのでしょうか。

 そんなことはありません。もともとはクリスチャンたちが始めたことが、あまりに楽しそうなので、みんなが真似をしたのですから、それをすることは悪いことではありません。

 大事なことは、その意味をしっかり確認しながら、クリスマスを楽しむことが必要なのです。

 ただ、ツリーを飾って、サンタさんからプレゼントをもらうことを楽しみにするのでは、元祖サンタクロースのセントニコラウスさんも、がっかりするはずです。「私は、ただプレゼントをくれるやさしいおじさんではないのに…。」

 では、なぜツリーを飾るのでしょうか。「サンタのプレゼントを楽しみにするのではなく、暗いニュースばかりのこの罪の世界を、まことの光で照らす、救い主が来られた、そのことを喜ぶために、ツリーやキャンドルにあかりを灯すんだよ。」そのように飾りを楽しむことが大事なのです。 また、「元祖サンタクロースさんは、神様が最高のプレゼントである救い主イエス様をくださった喜びと、神様の愛を伝えるためにプレゼントをして、神様のお手伝いをしたんだよ。もし、プレゼントだけを楽しみにしたら、サンタさんはがっかりするだろうね。」そんなふうに神様からのプレゼントの意味を忘れないようにすることが大事なのです。本当のクリスマスプレゼントとは、あれが欲しいこれが欲しいという私たちのわがままに答えてくれるプレゼントではなくて、神様が、私たちのためにくださったイエス様だということを忘れないようにするわけです。

 クリスマスケーキも、自分がただ食べたいから、というのではなくて、イエス様のお誕生をお祝するケーキだということを確認したり、感謝する場面も必要でしょう。イエス様がこのお祝の主人公であり、この場に来てくださるように祈ることも大事です。イエス様がおられるという意識を持つわけです。

 私の娘の詩織は、寝る時に、枕を並べるのが、彼女の仕事です。そして教えたわけではないのに、彼女はいつも枕を4つ並べるのです。弟の佑介はベビーベットですから、私たち夫婦と、詩織の3人だけだが、もうひとつ、必ず並べるのです。「これはエス様の枕」と言って…

 子どものすることだと、ほのぼのと笑えることですが、これはイエス様は本当に嬉しいに違いないと私は思わされています。

 自分がいつもそばにいることを忘れない心、当然イエス様の誕生を祝うクリスマスこそ、イエス様がおられるクリスマスの演出は大事なことなのです。 

 たとえば、自分の誕生日をお祝することになったとします。会場は、にぎやかに飾られ、ケーキも用意され、自分の誕生日を祝ってくれる人たちのためのプレゼントも全員に足りるように召し使いに準備させました。いよいよお祝の始まりです。ケーキのロウソクに火がつけられ、誕生を祝う音楽も流れて来ます。あとは、主人公のあなたが呼ばれるのを待つだけです。

 しかし、いつまでたってもあなたは呼ばれません。みんなはそれぞれに楽しみ、プレゼントを開けて喜んでいます。そして、結局あなたは、呼ばれずに、誕生会は終わってしまったとしたら、あなたはどんな気持になるでしょうか。あなたも、そしてプレゼントを用意した召し使いも本当にがっかりするはずです。

 実は世界で最初のクリスマス、イエス様がお生まれになった時も、イエス様は同じような扱いをされたのです。

 イエス様が生まれた頃、ユダヤの人々は、そろそろ救い主キリストがお生まれになることを聖書の預言で知っていました。

 ダニエル9:25にあるエルサレムを再建せよという命令はペルシャの王様によって、今から2456前に出されていました。このダニエルの預言は、その命令の7週と62週の後にエルサレムが再建され、救い主が来るという意味だとユダヤ人たちは理解しました。合わせて69週。1週間は7日だから、69×7=483年。つまり命令が出されてから483年後、今から1973年前つまり、西暦27年頃にメシアが来ると多くのユダヤ人は信じていたのです。

 だから、それから2〜30年前のイエス様が生まれた頃は、ユダヤの女性は最初の産んだ子がお女の子だと悲しみ、男の子だと喜ぶという習慣があったと言われるほどでした。

 とにかく、ユダヤの人々は、キリストが生まれる最初のクリスマスの時期がそろそろだと言うことを知っていたのです。

 それから、ベツレヘムで生まれるということも聖書に預言されていたのですから、注意していればイエス様の誕生をお祝いできたはずです。

 でも、みな自分のことばかり考えて、イエス様が生まれた最初のクリスマスのお祝いができなかったです。

 マリヤとヨセフがどこの宿にも富まれずに、ベツレヘムの馬小屋で救い主を産まなければならなかった時、その宿に泊まっている人たちも、そろそろ救い主がうまれることをうわさしている人がいたかもしれません。そして、「そういえば、どこそこの家に男の子の初子が生まれたよ」、などとわくわくしながら話していたかも知れません。

 その日に、人々からのけものにされるように馬小屋で生まれなければならない赤ちゃんがいることなど気にも留めずに…。

 しかし、神様はその最初のクリスマスに招く人を決めておられました。それが、この羊飼いたちなのです。

 家畜を飼う人は、24時間しばられてしまう人達である。今で言えば、クリスマスの夜にどうしても仕事をしなければならない、人です。(病院の付き添いの人、命をあずかる人も…)

 神様は、そんな人々のところに天の御使いを遣わしてくださったのです。

 そして、彼らは天使の歌声とともにすばらしいクリスマスの日が到来したことを知ったのです。

 神様は、主役を除け者にして誕生会をしているような人々ではなくて、野原でさびしく羊の晩をしながらも、救い主を心から待ち望んでいる羊飼いたちに、その到来を伝えてくださったのです。そして彼らは、何もお祝らしきことはできなかったけれども、イエス様を礼拝することができたのです。そして、彼らは最高のプレゼントを神様からもらったのです。

 また、はるか東方で、救いの到来を星の知らせによって知った博士たちは、イエス様を拝むために2年近くも旅をしてクリスマスを祝いにやってきたました。ずいぶん遅れてしまったけれども、彼らはクリスマスを祝ったのです。その旅は、キリストを礼拝する旅だったのです。

 自分がサンタさんから欲しいものをもらうのではなく、一生に一度の人生をかけた長旅によって、キリストのために宝物を捧げて礼拝したのです。

 多くの人はクリスマスを祝う形だけは作り上げます。

 サンタからもらえるプレゼントだけに心奪われたり、寂しい思いをしたくないと、焦って、派手なパーティーをして騒いだり、一夜の楽しみに酔いしれるのです。それでは、誕生日に生まれた方を無視してむさぼるお客さんになってしまします。

 本当のクリスマスはどこにあるのでしょうか。イエス様はどんなクリスマスの準備をする人の所に来てくださるでしょうか。

 今年のクリスマス、地味でもいい、寂しくてもいい、そういう中で、あなたを罪から救うお方イエス様を待ち望んで、礼拝する心で迎えましょう。そういう心の人の所にイエス様がおられるクリスマスがあるのです。