【老年期 第三部】 ● 同窓会
● 初日の出
● どわすれ
● 金婚旅行
● 老いの愉しみ
● 大正生れ
● 老いじたく
● 早すぎる遺言


【 大 正 生 れ 】

 大正生れという人は、いまではだいぶ少なくなったのではないかと思う。大正の年号が十五年と短かかったうえに、戦争の犠牲者も多く出た。それに加えて、もう寄る年なみだ。おおかたの人は、戦い終って第一線のマウンドから降りたはずである。
 私たち大正生れといえば、若いころから働き蜂として生きてきた。それが習い性となり、悠々とした達観の生活を送ることができない。私が物心ついたのは昭和の初期である。幼いときから軍国主義の教育を受けて育ち、長じて戦争が直撃した。

 多くの人は前線に送られ、お国のために散っていった者もいる。私は徴兵を免れたので、弾の飛びかう戦線には出なかったが、そのかわり軍需工場で油まみれになって働いた。そして、B29の爆弾や焼夷弾が雨アラレと降るなかを生き延びてきた。
 戦時中、日本の軍部は、もし戦争に負けるようなことがあれば、相手は鬼畜米英だから、間違いなく男は虐殺、女は強姦の運命に晒されるだろうと国民の恐怖心を煽り立てていた。将兵たちも天皇陛下のために死ぬという表向きの大義よりも、妻や恋人をこうした目に遭わせたくないという思いで戦場に赴いていった。

 軍部が何と言おうと大本営の発表を普通に考えれば、日本の敗けは見当がつく筈だ。だが、人々には焦燥の色も諦めた感じも伺えず、わが身に火の粉の降りかかる予想も人ごとめいていた。そして敗戦である。
 初めて進駐軍の米兵を見たのは昭和20年10月初旬で名古屋駅頭だった。進駐して来た白人の肌は日に焼けて真っ赤になっていた。少し前まで 「鬼畜米兵」 を叫んでいたものだから、本当に 「赤鬼」 のようだと感じた。

 ところがいざ占領されてみると、軍部が戦時中に宣伝していた恐ろしい事態はほとんど起こらなかった。町を行くG I たちは、チョコレートやチューインガムを手にしていた。子供たちが 「ギブ・ミー・チョコレート」 などと声をかける光景があった。さもしい話である。G I たちはほとんど相手にせず、素通りしていた。

 こんな状態だったから、男も女も拍子抜けして、戦争に負けるとはこの程度のことだったのかと、タカをくくるようになった。敗戦・占領のイメージが、虐殺・強姦から、民主主義へと百八十度回転すると、日本人は進駐軍の占領の方法が当り前のことで、虐殺・強姦などは好戦気分を煽るための軍部のデマだったと思うようになったのである。

 戦後は焼け跡で暮し、アメリカの物資の豊かさを羨んでいた。アメリカ人の生活振りをどんな状況で知ったのか。これは人や世代によってかなり違うだろうが、私などは映画からだった。ひどい食糧難を経験してきた者の目には、まばゆいほど豊かに映った。

 だから人一倍アメリカに憧れたのも、またアメリカを嫌ったのも大正生れである だが、こんな国と戦争をやって、勝てるはずがないというのが実感で、アメリカに憎しみを抱く人は思いのほか少なかったようだ。むしろ人々はアメリカに強く心を惹かれた。
 荒んだ廃墟のなかにも陽気さのようなムードが国民の間にあった。食糧事情は笑いごとではなく悲惨で、下手をすれば飢えて死ぬというほどだったが、それとはべつに、突き抜けるような明るさがあった。

 ゼロからの出発だった。街には軽快なジャズが流れて、ラジオからは大本営発表ではなく、並木路子の 「リンゴの歌」 が聞こえてきた。
 戦争が終ったときは残念無念というより、空腹を抱えて恥ずかしながらひもじさが先だった。だから何時までたっても食い意地がはっていて、勿体ないが先に立つ。食卓に出るものは殆ど平らげるし、酒はお銚子の底をはたいて最後の一滴まで飲んだ。

 戦争中は欲しい物も買えず、好きなことも出来ず我慢してきた。 私たちには質素倹約が美徳であるとの意識が、何時までも染みついて離れない。「欲しがりません勝つまでは」 という標語があったが、最悪の時代に育った日々の記憶が、人生観の底辺にあったので、戦後の物資不足の混乱期も逞しく乗り越えられた。

 私たち大正生れは、目まぐるしい時代をさまざまな思いをして生きてきた。その長い年月さえ束の間のことと思えるが、驚くべき世の移り変りを見てきた。そして、バブルの絶頂期とその崩壊を見届けて、一つの時代はいつしか大正生れとともに終った。
 やがて忍びよる夕暮れが、だれかれの分けへだてなく茜色にくるんでいくとき、一日一日の積み重ねのなかで、人生の沈まない夕日に行きあぐみ、いまなお、途方に暮れている私たち大正生れを、夕映えの残照が微かに映し出している。

ページTOPへ

【ホームへ戻る】 直接このページにいらした方は、こちらにメニュー画面があります。


   藤根鍵市
   copyright (c) 2004 Kenichi Fujine All Right Reserved.