Uボートの怪異


 二度の世界大戦で活躍したドイツ潜水艦Uボートにまつわる、にわかには信じ難い怪奇話がいろいろと語られている。
 例えば、一九一五年七月三十日、U28がフランスの西海岸沖でイギリス汽船イベリアン号を魚雷攻撃したときの話がある。爆発、炎上するイベリアン号が噴き上げる水柱の中に古代生物とおぼしき謎の竜を目撃した、とU28が報告しているのだ。
 また、一九一八年十月二十八日、UB116が英国のスカパフロー軍港への侵入を試みて触雷、沈没しているが、この事件以降、大嵐の日になるとUB116の幽霊艦が姿を現すという。
 以上のようなたぐいのうわさ話を真っ向から否定する人にとっては噴飯ものの伝説に違いない。しかし、ことの信憑性はともかく、単純に面白いと思ったので、ここに幾つかのUボート奇談を集めてみた。
 眠れぬ夜のほら話、どうぞおつき合い願いたい。


「U17の怨霊」

 第一次世界大戦のさなか、故障しているわけでもないのに、ドイツ潜水艦U17は退役艦として処分されている。ドイツ軍にとっては一隻たりとも貴重なUボートのはずである。普通に考えれば釈然としない。
 話はU17の現役時代にさかのぼる。
 あるとき、敵艦を認めたU17は危険から逃れるため、急速潜航して身を隠さなければならない事態となった。
 よほど差し迫った状況であったのだろう。副長が甲板から海に投げ出されて、命を落としてしまったというのだから。
 副長のもがき苦しむ姿を乗組員は目撃していないようだが、当の本人は自分を見殺しにした仲間を心底恨みながら死んでいったと思われる。いかなる危機であれ、副長を放り出して潜行するとは許し難い暴挙に違いない。
 当事件が起こってからというもの、奇怪な現象をU17の乗組員が目撃するようになった。U17が暗くなってから浮上すると、いつも妙なことが起こるのである。
 最初の目撃談はこうだ。
 ある乗組員の一人が艦首付近に顔を向けると、甲板にたたずむ人影が目に入った。
 彼は怪しみながら人影の方に近づいていった。
 が、そのときである。
 乗組員は体を硬直させ、芯から震え上がった。艦首に立っている人物こそ、あの死んでしまったはずの副長だったからだ。
 恐怖で顔を引きつらせながら、彼は勇気を奮って副長に話しかけた。しかし、返答はなかった。
 霧が薄れるように、やがて副長の姿は跡形もなく消え去ってしまった。
 それ以降、副長の亡霊は毎晩のように現れ、皆一様に不気味な影におびえる日々が続いた。このままでは艦の安全な運航は不可能であると判断した潜水艦長は、半ば任務を放棄する形で港に引き返すしかなかった。
 その後、新たな乗組員を得て、U17は生まれ変わった。以前の乗組員はほかの潜水艦に分散させられた。今後一切、U17に搭乗するのを全員が拒否したからである。
「これでもう亡霊騒ぎは治まることだろう」
 誰もがそう思った。
 狭い潜水艦に押し込められていると、人間は精神不安定になるものだ。まして頼みとしていた副長が突然亡くなってしまえばなおさらのことである。集団で幻覚を見てしまうのも、うなずける。
 そうした見方が支配的である中、新しい乗組員が操艦するU17は大海原へ出撃した。亡霊話など新潜水艦長以下、誰も信じようとはしなかった。栄光あるドイツ海軍の恥さらしだとして、前任の水兵らをこき下ろす人間さえいた。しかし、すぐに彼らは自分たちが誤っていることを悟った。うわさになっていた副長の亡霊が現れたからである。
 乗組員の狼狽は以前の比ではなかった。亡霊騒動は乗組員の反乱にまで発展した。
 こうして、U17は激しい大戦の中途で、敵軍に撃沈されたわけでもなく、退役艦として役目を終えることとなった。


「U31の謎めいた最後」

 一九一五年一月十三日、フォン・シュピーゲル男爵の指揮するU32、ホッペ中佐の指揮するU22、ヴァッヘンドルフ中佐の指揮するU31は、ヴィルヘルムスハーフェンの港から出撃した。
 それら計三隻のUボートに与えられた任務は索敵だった。状況いかんではあるものの、敵の戦闘艦を撃沈することが主たる作戦目標でない以上、生還する確率は高いように思われた。無事に帰ってこられそうだ、と海の男たちは考えたことだろう。ただ、折しも、出航当日は十三日の金曜日だった。
 二十世紀にもなって迷信を真に受けている人間などあろうはずもないが、U32の潜水艦長フォン・シュピーゲル男爵に限っては「この悲劇的な事件」が起こってからというもの、十三日の金曜日の因縁を強く確信するに至ったのであった。
 平穏に任務を終えたU32とU22は、その後、港に帰ってきた。もうすぐヴァッヘンドルフ中佐のU31も悠々と寄港してくるに違いない。しかし、何日経ってもU31の姿は港に現れなかった。
 そうこうするうちに数ヶ月が過ぎた。軍当局は以下のような推論を下した。
「U31は北海で機雷に接触し、海底奥深くに眠っているのだろう」
 疑う者などありはしなかった。U31は敵のまいた機雷により、武運拙く撃沈の憂き目を見たように考えられた。
 U31が消息を絶った半年後、奇妙な潜水艦が目撃されるようになった。風を艦体に受けながら、大西洋上をゆっくりと進んでいる漂流艦である。一見すると整備が行き届いているように思われ、しかも今にも急速潜行して魚雷を発射するのが可能であるかのような恐ろしさを漂わせていた。
 謎の潜水艦は流されるままに移動を続けた。そうして、イングランドの東海岸の浅瀬に漂着したとき、驚愕の事実が明らかになった。
 第一発見者は地元の漁師たちだった。腰を抜かした彼らは、すぐさま軍に通報した。
 程なくして、海軍の人間が現場にやってきた。砂州に乗り上げて不気味に艦体を揺らしている潜水艦は、イギリス軍の艦で最寄りのドックに曳航されていった。
 待ち受けていた調査担当官が一目見るなり、潜水艦はUボートであると断定した。しかも、艦の名は、ヴァッヘンドルフ中佐のU31であることが後に判明した。
 U31は外観も内部も全く問題なかった。今すぐにでも戦闘行動をおこなえる状態であった。
 ではなぜ、U31は漂流していたのだろうか。知っているのは艦の乗組員だけだ。しかし、明確な回答は得られなかった。乗組員は全員、寝台に横たわったまま死んでいたからである。この異様な光景を目にしたある調査官は強い衝撃を受けたという。
 不可思議な状況を解き明かすため、航海日誌が精査された。日誌の最後はちょうど半年前の日付で止まっていた。しかし、異状を示す記述は見当たらなかった。U31の艦体以上に、凡庸かつ簡潔な筆致で、悲劇が起こったと推定される日までの記録が正常にしたためられているだけだった。
 結局、U31の怪事件は謎のまま歴史の闇に葬られることとなった。しかし、U32の潜水艦長フォン・シュピーゲル男爵は興味深い憶説を唱えている。
 フォン・シュピーゲル男爵の主張を以下にまとめる。

 U31がイギリスの沿岸付近に接近したときには日が暮れはじめていたので、海底に身を沈めて夜が明けるのを待ったように思われる。そして、イギリス軍の気配がないので、夜になると不寝番の水兵を一人残して、全員が眠りについたのだろう。そのうち、不寝番の水兵は静寂な雰囲気に安心して、居眠りしたのではないかと想像される。
 そうしたさなか、エンジンの動力源である電池に漏電が生じて、塩素ガスが艦内を覆ってしまったようである。乗組員が寝台の上に横たわったまま死んでいた謎はそのように推測することができる。
 しばらくの間、U31は海底にあったのだろう。やがて、ときが経つと、圧縮空気がバラストタンクの中に流れ出して、U31は徐々に浮上していったと考えられる。奇妙な漂流艦が目撃されるようになったのはこの頃である。
 その後は周知のとおり、波間に漂うU31がイギリスの東海岸に漂着して地元の漁師たちに発見されたのだ。


「呪われし潜水艦UB65」

 あの「謎の爆沈」は、建造時から呪われていたUB65の来たるべき運命に違いなかった。
 原因は永遠の謎として解明されないように思われる。超自然的な最後は、あらかじめ悲劇を覚悟していた搭乗者たちに等しく襲いかかった。
 この際、科学的考察は何らの意味もなさないと断言したい。避けられないUB65の末路だったのだ。
 では一体、そうなってしまう以前に、UB65に何があったというのだろうか。
 第一次世界大戦中のこと、UB65はフランドル地方沿岸を遊弋する潜水艦として建造された二十四隻のうちの中型Uボートの一隻であった。
 排水量は五百十トン、速度は十三ノット、兵装は十九・七インチ魚雷が十本に百五ミリ砲が一門、搭乗員は士官三名に下士官兵二十八名を合わせた計三十一名。
 ベルギーのブルージュの造船所で竣工した新型潜水艦の性能はなかなかのものだった。特に水上速度が十三ノットという数値は既存のUボートと比較すると、約二倍相当の能力を有していた。これはイギリス、アイルランド沿岸をも見据えた作戦行動を可能とし、実際にフランドル地方沿岸部だけでなく、当該海域までUB65は出撃している。
 UB65のある下士官はこう証言している。
「われわれが上官に恵まれていた点においては常に幸運といえた」
 潜水艦の能力だけでなく、士官の人間性も優れていたようである。しかし、これはUB65の数多い悲劇を除外して述べたわずかな美点にすぎない。UB65はブルージュの造船所当時から、信じられないような不運の連続に見舞われているのだ。
 UB65の建造がはじまった一週間目、二人の作業員が話をしていると突然頭上に鋼鉄の大梁が落下してきた。大梁はUB65に取りつけるために吊り降ろしがおこなわれている最中だったが、吊り索から外れてしまったのである。周りにいた人間はすぐさま危ないと叫んだものの、二人の作業員が避ける間もなかった。一人は即死し、もう一人は両足を押し潰されてしまった。作業員は皆仕事を放り出して、仲間を救おうとやっきになった。しかし、ついていないことに大梁を吊り上げる滑車装置が故障していた。この不運によって犠牲者の両足にのしかかっている大梁を取り除くのに一時間もかかってしまった。その影響かどうかは分からないが、彼は結局、担ぎ込まれた病院で亡くなった。
 二名の死者を出した事故にもめげず、間もなく作業が再開された。三週間すると、UB65は完成しつつあった。進水の日も間近である。
 最後の点検と調整をするために、三人の作業員が艦内に入った。そして、しばらくすると、この三人の作業員の助けを求める悲鳴が辺りに響いた。彼らは何やらせき込んでいるようである。早く隔壁を開けてやらねば大変なことになりそうだ。ただ、どうしたことか、急の事態に集まった者たちが隔壁を開けようにも扉はびくともしなかった。まごまごしているうちに、隔壁の向こう側で苦しんでいる三人の作業員の声がだんだんと遠のいていった。しまいには、声がしなくなってしまった。
 やっとのことで隔壁が開けられたが、救助活動に当たった者たちの目に映ったものは無残な光景であった。三人の作業員の息絶えた姿である。機関室から漏れ出したガスが原因だった。
 すでに五人の犠牲者を出しているUB65だったが、困難を乗り越えて、やがて完成した。一面に晴れ上がった青空のもと、UB65の試験航海の日がやってきた。
 UB65は姉妹艦とともにスケルト川から出航していった。潜水艦長の意気込みは相当なものであったらしい。何としても、試験航海を順調に消化しようと決意していたようだ。
 UB65に潜水命令が下されようとしていた。緊張の一瞬である。潜水艦としての成果が今問われるのだ。
 潜水艦長は水兵の一人に艦の出入口と甲板砲の砲尾がしっかり閉じているかどうか確認させた。
 が、またもや悲劇は起こった。見張り員の目撃談によると、その水兵は甲板を横切って歩いていった後、こともなげにへりを越えて海面に吸い込まれていったそうである。自殺でないとするならば、強風にさらわれたとするのが妥当なところだろうか。
 理由は判然としないものの、水兵の捜索がおこなわれた。しかし、死体が発見されることはなく、行方不明者として処理されることとなった。
 重苦しい空気が支配する中、UB65は潜水試験を再開した。全てのハッチが閉められ、乗組員は艦内に退避した。タンクに海水が注入され、艦はだんだんと潜航していった。九メートルほど潜ったところで、潜水艦長が停止命令を出した。ところが、思うようにならず、UB65は潜航をやめなかった。
 あれよあれよという間に、UB65は海底に鎮座してしまった。どうやら、タンクに穴が開いてしまっているようだった。
 圧縮空気がタンクに送られたが、一向にUB65は浮上しなかった。しかも、バッテリーが海水を浴びたことによって、もうもうたる白煙が艦内を満たしていた。このままでは全員が窒息死するのは目に見えて明らかだった。
 UB65の最高潜水時間はおよそ十二時間。何とかして刻限までに海面へ出なくてはならない。
 考えられ得る手段は全て講じられた。が、状況は絶望的だった。残酷にも時間は刻々と過ぎていった。乗組員の顔は一様に青ざめ、呼吸停止寸前である。
 もう駄目だと誰しもが思った。だが、そう諦めかけたとき、UB65は突然浮上しはじめた──確たる理由もなく。
 UB65が海から顔を出すと、我先にと乗組員は甲板に躍り出た。大きく息を吸って、皆の無事を確かめあった。幸いにも、誰一人として命を落とさなかった。
 UB65を見舞った不運は以上に述べただけでも充分だが、これは真の恐るべき厄災を予感させる発端にすぎなかった。
 波乱の試験航海を終えたUB65は、程なく実戦配備された。処女航海で与えられた任務は偵察だった。乗組員は皆おののきながら出航していったものだが、初の出動は無事に終了した。
 ブルージュに寄港したUB65に弾薬、食糧、魚雷などの補給がおこなわれた。しかし、積み込みの最中、事件が起こった。魚雷を前部ハッチから運び入れている際に、その魚雷が突然、爆発したのである。同艦の二等航海士F・リヒターをはじめ、作業をしていた五人の命が失われたほか、大勢の負傷者を出した。ちなみに、二等航海士リヒターは、日焼けした黒い顔から「シュバルツェ」(独語で黒の意)とあだ名されている大柄な男だった。
 浅黒い肌に堂々たる体格の持ち主──二等航海士リヒター。UB65にとって、見間違うはずのないその二等航海士こそ、艦を襲う怪奇現象の主役になることが後に判明する。
 五人の死者はヴィルヘルムスハーフェンの墓地に埋葬された。一方、魚雷の爆発で被害を被ったUB65はドックに移送されて修理を受けることとなった。数週間後、補修作業をしていると、ある手だれの下士官がノックもせずに士官室に躍り込んできた。下士官は硬直した面持ちで、二等航海士のリヒターがタラップを上っていく姿を目撃した、と報告した。
 士官室にいた潜水艦長と中尉は、下士官の意味不明な発言を取り合わなかった。彼が酔っぱらっているのは明らかだった。死んだ二等航海士の幽霊を見たなど、到底しらふの言葉とは思えなかった。ただ、どうにも不思議だったのは、よくよく見れば下士官は酒に酔った風でもなく、彼はまた潜水試験のとき、非常に落ち着いた行動を取った模範的な軍人であった。
 首をひねる潜水艦長と中尉に下士官は補足した。自分以外にもペーターゼンがリヒターの姿を見ている、と。
 しばらくして、甲板にうずくまっているペーターゼンが発見された。ペーターゼンが言うには、二等航海士のリヒターが腕組みをしながら艦首に立っていたという。
 目撃者が二人もいるとなると、さすがに潜水艦長と中尉は幽霊話をぞんざいに扱えなくなった。心ない悪ふざけとの見方も解釈の一つではあるが、乗組員は全員、信頼できる人間だった。
 一九一八年一月二十一日、乗組員一同がもはやUB65の忌まわしき呪いを疑い得なくなっていたその日、同艦はイギリス近傍の海域を航行していた。そのとき、UB65の三人の見張り員は抜け目なく海を監視していたが、思いがけず、またもや怪奇現象に遭遇した。司令塔以外の全てのハッチが閉じられていたにもかかわらず、艦橋に士官とおぼしき人物が立っているので目を見張ると、あのヴィルヘルムスハーフェンの墓地に葬られているはずのリヒターだったのである。
 UB65の艦内は一瞬にして大騒ぎになった。皆が艦橋に駆けつけてきた。しかし、見張り員以外の乗組員が来たときにはリヒターの亡霊は消えうせていた。ただ、潜水艦長だけは間に合った。リヒターがいなくなってしまう前に彼は展望塔に到着して幽霊の姿をはっきりと見たのである。
 この頃から潜水艦長の態度が急変した。黒く日焼けしたリヒターの顔が脳裏に焼きついてしまったからであろうか。三人の見張り員を迷信深いばか者と叱責している一方で、どこか態度に落ち着きがなかった。実際、将校クラブに勤務している、ある下士官が聞いた話によると、潜水艦長はUB65をたたられた艦であると公言していたそうである。
 潜水艦長はその後、不慮の災難に遭って命を失った。連合軍が投下した爆弾の破片によって首を切断されてしまったのである。
 ことここに至り、さすがの軍当局もUB65の呪いを本気で信じるようになった。潜水艦隊司令が自ら足を運んで、対応に当たった。ルター派の司祭も呼ばれてUB65の悪魔払いの儀式が執りおこなわれた。亡くなった潜水艦長の後任にはシェレ少佐が着任して、一部を除いたほとんどの乗組員も入れ替わった。しかし、UB65の運命はもはや誰にも変えられなかった。以後もリヒターの幽霊は幾度も現れて、事故が続発したのである。
 砲手のエバーハルトは幽霊がいると叫びつつ、海に身を投げた……。主砲の装填手リヒャルト・マイヤーは波にさらわれて溺死した……。機関主任は悪天候の折に、はずみで転倒して足を骨折した……。
 一九一八年七月二日、ヘルゴラント島を出航したUB65は、その航海を最後に消息を絶った。アイルランド西岸クリア岬沖を航行中のフォスター大尉指揮するアメリカ潜水艦AL2がUB65の最期の姿を目撃している。彼らがUB65を捕捉して今まさに攻撃しようと魚雷発射口を開いたときに、同艦は大きな水柱を上げて大爆発したというのだ。
 原因は全く分からなかった。フォスター大尉はあぜんとしつつも、同時に奇妙なものを目撃していた。つい先ほどまで海上を遊弋していたUB65の艦橋に人影が見えたのだ。腕組みをしながら身動き一つしないドイツ海軍士官は、実に奇妙だった。何と言ったらよいのか、まるでこの世のものとは思えない幻影のように映った。
 得体の知れない恐怖に駆られたフォスター大尉がことの真相を知る由もなかった。
 果たして、艦橋にたたずむドイツ海軍士官がいかなる人物であったのか──そう、二等航海士リヒターに違いない。
 リヒターはとうとうUB65を覆い尽くす呪いを成就させて、艦を海の底に引き込んでいった。乗組員一同、この結末を覚悟していたことだろう。
 呪われし潜水艦UB65は、こうして姿を消した。数々の不思議な惨事にふさわしく、謎の爆沈という末路を迎えたのである。


「さまよえるUボート──クラウス・ティル少佐の幽霊艦」

 第二次世界大戦中のある日、クラウス・ティル少佐の指揮するUボートにイギリス船籍の商船が捕捉された。海の狼Uボートに狙われては、彼らのたどる運命は一つしかなかった。
 残念ながら、戦闘の詳細は分からない。迫りくる魚雷を何本か回避する大立ち回りがあったのだろうか。あるいは不発弾に胸を撫で下ろす、つかの間の幸運などもあったのだろうか。
 どちらにせよ、ティル少佐は冷酷な調子で攻撃命令を発していたはずである。
 発射された魚雷が尾を引きながらイギリス商船に向かってゆく光景が目に浮かぶ。
 船を震わす衝撃、炸裂音、水しぶき。
 真っ二つに折れてしまった船体。
 断末魔の悲鳴と怒号。
 イギリス商船は大西洋の藻くずと消え果てた。
 しかし、イギリス商船の船員たちは、まだ生きる望みを捨ててはいなかった。冷たい海に飛び込んで、Uボートに救助を求めたのだ。
 Uボートはすでに敵の船舶を撃沈しているのだから、彼らを助ける義務が生じる。当然のように、救命艇が派遣されるはずだった。しかし、ティル少佐は血も涙もない男だった。彼はわずかに生き残った生存者を銃で撃ち殺してしまったのである。
 その後、非道な戦争犯罪を犯したティル少佐に、神の天罰が降った。イギリス海軍のコルベット艦がUボートを撃沈したのである。
 ただ、この頃から、大西洋の船乗りの間で妙なうわさがささやかれるようになった。Uボートの幽霊艦がたびたび現れるというのだ。
 ある目撃者によると、ティル少佐のUボートだという。
 償い難い罪を犯したクラウス・ティル少佐に、魂の安寧は許されないということだろうか。


「U145を襲う謎の音」

 第二次世界大戦の末期、重要書類を所持した要人・バウトマンを乗せたU145は、ドイツ北部の港を出港し、某中立国を目指した。
 バウトマンの携行する書類の中身は戦局を左右するほどのものであった。
 敗色濃厚な状況下、U145に課せられた任務は重い。何としてでも重要書類を第三国に届けなければならない。
 しかし、U145の出港後、程なくして、けちがついた。
 出し抜けに、
「ゴーン、ゴーン、ゴーン」
 という、不気味な音が艦内に響き渡ったのだ。
 原因は分からなかった。
 U145の隅々まで調査されたが、異状は何ら発見されなかった。
 その夜、バウトマンの歓迎会がU145で催された。バウトマンが上機嫌で乗組員たちにビールをつぎ回っていると、あの不気味な音が艦内に響き渡った。
 たちまち、機嫌を損ねたバウトマンは、原因を究明するように艦長に言いつけた。しかし、艦内をくまなく調べてみても、やはり、原因は分からなかった。
 この頃からであろうか。
 バウトマンは不気味な音におびえるあまり、正気ではいられなくなっていた。
 その後、ドイツ本国からU145に衝撃的な一報が入電する。ヒトラー総統の自決と、ドイツ降伏の知らせである。しかし、錯乱状態に陥っていたバウトマンは、この情報を歯牙にもかけず、うそだと決めつけてしまう。
 そんな折、またしても不気味な音がU145に響き渡った――バウトマンが頭を押さえながら床をのたうち回る。
 しかも、悪いことは重なる。
 そのとき、敵の駆逐艦がU145に接近していたのだ。
 すぐさま、U145は急速潜行をおこない、機関停止、海の中で息を潜める。
 乗組員たちは、あの不気味な音が聞こえてこないように、と神に祈っていた。あんな音がしようものなら、すぐに敵艦に発見されてしまう。爆雷の餌食になるのは火を見るよりも明らかだ。しかし、敵艦と対峙(たいじ)している際に不気味な音が発生することはなく、やがて、敵の駆逐艦はコースを外れて去っていった。
 一方、バウトマンの病状は思わしくなかった。
 寝台でうなされている。しかも、バウトマンのうなり声に合わせるかのように、あの不気味な音が鳴り響く。
 バウトマンのもとに駆けつけた乗組員が麻酔を打って彼を眠らせる。
 と、不思議なことが起こった。不気味な音がすっかりやんでしまったのである。
 ここにきて、U145の艦長が、はたと気づいた。
 不気味な音の発生とバウトマンとの間には何か関係があるのではないか、と。
 その後、U145は連合軍に投降する。U145はアメリカのコネチカット州に送られ、ホーンズビー・サルベージ社に譲渡される。しかし、そのときになって、妙な事実が明らかになる。
 U145のタンクの中から、ユダヤ人とおぼしき白骨化した遺体とスパナが見つかったのである。
 なぜ、U145のタンクの中にユダヤ人の死体とスパナが混入していたのか分かっていない。しかし、この点だけは、はっきりしている。ユダヤ人の絶滅政策にバウトマンが深く関与していた、ということだ。
 そうすると、関係者の間で、こんなうわさがささやかれるようになった。
 大量虐殺されたユダヤ人の恨みを晴らそうとして、この白骨化した遺体が霊現象を起こしたのではないか、と。


参考文献
『沈没への航路』 マイケル・ゴス ジョージ・ベーエ 著 五十嵐洋子 訳/翔泳社
ワールド・グレーティスト・シリーズ 未解決事件19の謎』 ジョン・カニング 編 喜多元子 訳/社会思想社
エンサイクロペディア ファンタジア 想像と幻想の不思議な世界』 マイケル・ページ 著 ロバート・イングペン 絵/教育社
『月刊ムー』(平成三年五月号) 学習研究社
世界の 怪奇夜話 本当に起きた、ゾッとする話……』 青木日出夫/河出書房新社
『世界史・呪われた怪奇ミステリー』 桐生 操/PHP研究所
ほか



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