皇紀対応表


■『写真週報』(第百四十号)より
紀元二千六百年祝典(昭和十五年)の列席者に与えられた記念章。どこの骨董屋に行っても見かけるほど流通しているので、入手は難しくなく、値段もお手頃である。
紀元二千六百年記念観兵式での昭和天皇陛下。愛馬の白雪にまたがった陛下は、東京代々木練兵場に集結した将兵に勅語を賜った。


 皇紀とは明治五年に制定されたわが国独自の日本紀元のことである。神武天皇即位の年を元年とし、毎年二月十一日が紀元節になっている。
 現在、世界的に使われている西暦は、キリスト教の開祖であるキリストの生誕日から数えられている。日本人のわれわれが使用するには明らかに違和感を覚えるが、戦後の堕落した風潮の後押しもあって、不可思議に使われ続けている。
 天皇陛下が即位するたびに年号が切り替わるので、つながりが分かりづらいという意見が一部にあるものの、だからといって西洋人の暦に頼る必要はない。由緒正しき皇紀を復活させればよいではないか。しかし、戦前戦中の国家神道に反対している左派が黙ってはいないだろう。
 参考として述べるが、タイでは仏歴が採用されている。西暦に五四三年足したものである。私の知人がタイに行ったとき、仏歴の下二桁の数字に出くわして面食らったという。
 敬虔な仏教徒であるタイ人は仏歴を大事にしている。異教徒の暦を無思慮に使用しない姿勢は、わが国も見習うべきである。
 イスラム世界では、メッカを支配していたクライシュ族の迫害によって、開祖ムハンマドが故郷のメディナに脱出した西暦六二二年七月十六日をもってイスラム歴元年とするヘディラ紀元があり、大切にされている。ヘディラとは移住を意味し、聖遷ともいう。ヘディラ紀元は月の満ち欠けをもとにして作られた太陰暦である。
 一番よい世界のあり方は、それぞれの国、民族、文化が尊重されていることだと思う。とはいえ、大航海時代以降、西洋中心の世界秩序が構築されていった歴史的経緯があるので、ある程度の妥協は致し方ないのかもしれない。つまり、通常はわが国の年号を使用し、通しに際して不便なら皇紀を使えばいい。さらに世界共通で差し障りがあるなら、渋々の選択で西暦を活用しようというのである。ただし、無自覚に西暦を用いるのではなく、日本民族の誇りを見失わないことが大前提だ。


皇紀二六〇〇年 昭和十五年 西暦一九四〇年
皇紀二六〇一年 昭和十六年 西暦一九四一年
皇紀二六〇二年 昭和十七年 西暦一九四二年
皇紀二六〇三年 昭和十八年 西暦一九四三年
皇紀二六〇四年 昭和十九年 西暦一九四四年
皇紀二六〇五年 昭和二十年 西暦一九四五年
皇紀二六〇六年 昭和二十一年 西暦一九四六年
皇紀二六〇七年 昭和二十二年 西暦一九四七年
皇紀二六〇八年 昭和二十三年 西暦一九四八年
皇紀二六〇九年 昭和二十四年 西暦一九四九年
皇紀二六一〇年 昭和二十五年 西暦一九五〇年
皇紀二六一一年 昭和二十六年 西暦一九五一年
皇紀二六一二年 昭和二十七年 西暦一九五二年
皇紀二六一三年 昭和二十八年 西暦一九五三年
皇紀二六一四年 昭和二十九年 西暦一九五四年
皇紀二六一五年 昭和三十年 西暦一九五五年
皇紀二六一六年 昭和三十一年 西暦一九五六年
皇紀二六一七年 昭和三十二年 西暦一九五七年
皇紀二六一八年 昭和三十三年 西暦一九五八年
皇紀二六一九年 昭和三十四年 西暦一九五九年
皇紀二六二〇年 昭和三十五年 西暦一九六〇年
皇紀二六二一年 昭和三十六年 西暦一九六一年
皇紀二六二二年 昭和三十七年 西暦一九六二年
皇紀二六二三年 昭和三十八年 西暦一九六三年
皇紀二六二四年 昭和三十九年 西暦一九六四年
皇紀二六二五年 昭和四十年 西暦一九六五年
皇紀二六二六年 昭和四十一年 西暦一九六六年
皇紀二六二七年 昭和四十二年 西暦一九六七年
皇紀二六二八年 昭和四十三年 西暦一九六八年
皇紀二六二九年 昭和四十四年 西暦一九六九年
皇紀二六三〇年 昭和四十五年 西暦一九七〇年
皇紀二六三一年 昭和四十六年 西暦一九七一年
皇紀二六三二年 昭和四十七年 西暦一九七二年
皇紀二六三三年 昭和四十八年 西暦一九七三年
皇紀二六三四年 昭和四十九年 西暦一九七四年
皇紀二六三五年 昭和五十年 西暦一九七五年
皇紀二六三六年 昭和五十一年 西暦一九七六年
皇紀二六三七年 昭和五十二年 西暦一九七七年
皇紀二六三八年 昭和五十三年 西暦一九七八年
皇紀二六三九年 昭和五十四年 西暦一九七九年
皇紀二六四〇年 昭和五十五年 西暦一九八〇年
皇紀二六四一年 昭和五十六年 西暦一九八一年
皇紀二六四二年 昭和五十七年 西暦一九八二年
皇紀二六四三年 昭和五十八年 西暦一九八三年
皇紀二六四四年 昭和五十九年 西暦一九八四年
皇紀二六四五年 昭和六十年 西暦一九八五年
皇紀二六四六年 昭和六十一年 西暦一九八六年
皇紀二六四七年 昭和六十二年 西暦一九八七年
皇紀二六四八年 昭和六十三年 西暦一九八八年
皇紀二六四九年 平成元年 西暦一九八九年
皇紀二六五〇年 平成二年 西暦一九九〇年
皇紀二六五一年 平成三年 西暦一九九一年
皇紀二六五二年 平成四年 西暦一九九二年
皇紀二六五三年 平成五年 西暦一九九三年
皇紀二六五四年 平成六年 西暦一九九四年
皇紀二六五五年 平成七年 西暦一九九五年
皇紀二六五六年 平成八年 西暦一九九六年
皇紀二六五七年 平成九年 西暦一九九七年
皇紀二六五八年 平成十年 西暦一九九八年
皇紀二六五九年 平成十一年 西暦一九九九年
皇紀二六六〇年 平成十二年 西暦二〇〇〇年
皇紀二六六一年 平成十三年 西暦二〇〇一年
皇紀二六六二年 平成十四年 西暦二〇〇二年
皇紀二六六三年 平成十五年 西暦二〇〇三年
皇紀二六六四年 平成十六年 西暦二〇〇四年
皇紀二六六五年 平成十七年 西暦二〇〇五年
皇紀二六六六年 平成十八年 西暦二〇〇六年
皇紀二六六七年 平成十九年 西暦二〇〇七年
皇紀二六六八年 平成二十年 西暦二〇〇八年
皇紀二六六九年 平成二十一年 西暦二〇〇九年
皇紀二六七〇年 平成二十二年 西暦二〇一〇年
皇紀二六七一年 平成二十三年 西暦二〇一一年
皇紀二六七二年 平成二十四年 西暦二〇一二年
皇紀二六七三年 平成二十五年 西暦二〇一三年
皇紀二六七四年 平成二十六年 西暦二〇一四年
皇紀二六七五年 平成二十七年 西暦二〇一五年
皇紀二六七六年 平成二十八年 西暦二〇一六年
皇紀二六七七年 平成二十九年 西暦二〇一七年
皇紀二六七八年 平成三十年 西暦二〇一八年
皇紀二六七九年 平成三十一年 西暦二〇一九年



紀元二千六百年頌歌 紀元二千六百年奉祝会の歌

紀元二千六百年奉祝会 制定
東京音楽学校 作曲

一、
遠すめろぎの かしこくも
はじめたまひし おほ大和
天つ日嗣の つぎつぎに
御代しろしめす たふとさよ

仰げば 遠し 皇国の
紀元は 二千 六百年

二、
あを人民に い照る日の
光あまねき おほ八州
春のさかりを さく花の
薫ふがごとき ゆたかさよ

仰げば 遠し 皇国の
紀元は 二千 六百年

三、
大わだつみの 八潮路の
めぐり行きあふ八紘
ひじりのみ業 うけもちて
宇とおほはん かしこさよ

仰げば 遠し 皇国の
紀元は 二千 六百年




 
  表紙

 『元帥 東郷平八郎』(伊藤痴遊/郁文舎出版部)という本の中に興味深い記述を見つけた。以下に引用しよう。

***

 昨今の日本人は、西洋かぶれがして、一にも西洋、二にも欧米、といった調子で、日常の言葉の上にさえ、西洋の言葉を用いるように、なって来た。
 私は、そういう傾向を、悪い事である、という程には、見ていないが、良い事だとも、思っておらぬ。出来ることならば、日本人らしく、あって欲しい、と思っておる。どうせ、西洋の科学を取り入れて、学問させる、世の中になったのだから、ある程度までは、そうした事を、認めるほかはないけれど、左迄に、必要のない場合にまで、西洋の言葉を、使う事は、どんなものであろうか。日本国という事を、根本に置いて、考えて来る、と、これを、よい傾向として、認める事は出来ぬ。
 日本には、父、母という言葉が、あるにも拘わらず、パパ、ママと、呼ばせているのは、どういう訳だろうか。何を苦しんで、そこ迄、西洋かぶれに、ならなければ、納まらぬのであるか。それらの人の本心を、疑うのである。
 なお甚だしきに至っては、日本の事を、日本の文字で、日本人に、見せる場合、西暦を用いておる人がある。日本には、神武紀元の暦数が、あるのだから、それを用いれば、よいのであって、あるいは、明治とか、大正とか、いうように、その時の年号を、呼びかけたら、よいではないか。
 もし、西洋の人に、日本の事を、示す場合には、西暦を用いる必要があろう。それにしても、同時に、日本の暦数を、書き入れて置くのが、日本人として、当然の措置である、と、こういう風に、私は、考えておるのだが、今の学者だとか、新しい人だとか、いう人達は、日本人放れがしていて、前に言うた通り、家庭の中にまで、西洋の言葉を、用いなければならぬ、と、いうようになって来たのは、まことに、困ったものである。
 それであるから、日本人本来の精神、あるいは思想の上にまで、悪い響きを及ぼして、昨今の如き、世相になって来たのだ。それ以上に、例を挙げて、いう事は、差し控えるが、政治や、教育の任に、当たっておる人は、大いに心しなければならぬ、と思う。

***

 著者の主張は全う至極、誰もがもろ手を挙げて賛同することだろう。しかも、この文章、昭和九年に発表されている(『元帥 東郷平八郎』 初版 昭和九年)
 外国産のカタカナ言葉が日常会話や書籍の中にあふれかえっている状況を、私も心ある日本人の一人として日々憤慨しているが、戦前戦中の頃から、大和魂を取り戻せ、との警告を発していた良識人がいたことには驚いた。
 不必要、無意味、日本植民地化の象徴ともいえる外来語の氾濫は絶対に許さない、との念を一層固くして今後もあらがい続けていきたいと思う。


参考文献
『標準軍歌集』 今村大佐 著 辻軍楽大尉 序/野ばら社
写真週報』(第百四十号) 内閣情報部 編/内閣印刷局
元帥 東郷平八郎』 伊藤痴遊/郁文舎出版部



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