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1949年1月31日、山に抱かれ清らかな川の流れる岐阜県は東白川村で生まれる。進学のため、15歳で村を離れ岐阜市へ移るが、豊かな自然の中で子供時代をすごしたことは、氏の音楽の基底をなす自然への深い愛と抒情性に大きな影響を与えることになる。加納高校音楽課を卒業後、愛知県立芸術大学作曲課へ進み、同大学院修士課程を修了する。

1977年に、世界三大コンクールのひとつであるエリザベート王妃国際音楽コンクール作曲部門で、日本人として初めてグランプリを受賞。大編成オーケストラのための受賞作『縄文譜』は、ベルギー国立交響楽団によって初演され、聴衆から熱狂的な喝采を浴びた。国内では、日本音楽コンクール、全日本吹奏楽コンクール課題曲作曲コンクール、笹川賞作曲コンクールをはじめ、多数のコンクールで輝かしい受賞歴を誇る。

作品は、交響曲、オペラ、ミュージカル、管弦楽曲、バレエ音楽、合唱組曲などの大作から、親しみやすい歌曲やピアノのための小品、吹奏楽曲、さらには邦楽曲まで、多岐にわたる。マンドリン界とのかかわりも深く、多数のマンドリン・オーケストラのための作品があり、マンドリン界では氏の名前を知らない人はいない。ギター・オーケストラのための作品もいくつかある。

JASRAC「日本音楽著作権協会」正会員であるとともに、Hiro Fujikakeの名でLondon/New Yorkの音楽出版社と契約、その作品は日本は言うにおよばず世界各地で演奏されている。

テレビやラジオ、映画等の為の作曲も数多く、NHKのドキュメンタリーや教育番組、「中学生日記」「銀河テレビ小説」といったドラマの劇伴、民放では「ふるさと紀行」をはじめとするテレビ番組の音楽をレギュラーで担当した。博覧会等イベントのための曲も手がけ、1989年の名古屋デザイン博では作曲だけでなく、総合音楽プロデューサーも務めた。

編曲者としての手腕にもすぐれ、イ・ムジチ合奏団とオーボエの世界的名手ハインツ・ホリガーによるアルバム「日本の四季」では、全12曲のアレンジを担当し、オランダのフィリップスより世界発売された。

また、フルートの世界的プレイヤーであるサー・ジェームズ・ゴールウェイとの共演アルバムでは、作曲、編曲、シンセサイザー演奏を全て担当し、アメリカより世界発売された。その1枚目である『妖精の森』(英語タイトル:The Enchanted Forest )は、全米ビルボード誌「クラシカル・クロスオーヴァー部門」で5カ月間連続してベスト10入りという快挙を成し遂げ、2枚目の The Lark in the Clear Air とともに現在も売れ続けている。3枚目の共演アルバムには、氏の編曲、シンセ演奏による3曲の韓国の曲を収録していたが、現在では残念ながら絶版になっている。

自身の作品を自ら指揮することも多いが、演奏者の自主的な表現意欲を尊重しつつ、最大限の力を引き出してみせる指導には、多くの演奏者が敬愛の念を抱いている。指揮スタイルは、繊細かつダイナミック。体全体から指先まで表現力豊かにしなやかに使いわけて、オーケストラをみごとにまとめあげるさまは、それ自体「音楽」である。

シンセサイザー・プレーヤーとしても、小ホールから大規模な野外イベントにおいてまで、さまざまなコンサートをこなす。数台のシンセサイザーをひとりで弾きこなしたソロ・アルバム『銀河交響曲』は1983年にリリースされたが、コンピューターの発達に伴い、氏はやがてパソコンとシンセからなる独自のシステムを考案、ソロ・オーケストラと名乗るようになる。これは、演奏者はたったひとりでありながら、大編成オーケストラに匹敵する迫力と重厚さを持ち、しかも従来のシンフォニー・オーケストラには不可能なサウンドまでもカバーして、これまでにない幻想的な音楽世界の構築をなしとげている。ソロ・オーケストラによる文字通りソロのコンサートも多いが、さまざまな共演者を迎えたコンサートもしばしば行われている。

忙しい合間をぬって、指揮や作曲について後輩の指導にも意欲的である。また、子供たちの可能性をのばしたいという願いから、自身の経験を披露しながら「夢は必ず実現する」とポジティブなメッセージを発信する講演は、教育関係者からひっぱりだこである。千葉県市原市に在住。