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講演「知恵と知識」

はじめに

もう20年ほど前になりますが、岐阜の市民会館の大ホールで話をしてくれと言われたことがあります。私が作曲家になったいきさつとか、どうやって勉強したかというようなことを話してほしいと。その時はシンセサイザーではなく、ピアノで1曲演奏して話をしたのですが、そうしたら、音楽より話の方がおもしろいと、講演を聞かれた校長先生から県に話があったようで、講演会の講師として登録して、いろいろ話をしてほしいと県から頼まれました。私は、それは困る、私は作曲家ですので、曲を聞いていただくのはいいですが、話をするのは仕事ではありませんと言ってお断りしたおぼえがあります。今回またこうして講演することになって、なんだか不思議な縁を感じています。私の体験も含めて今からお話しすることが、これから教育にあたられる時に、少しでも皆さんのヒントになればいいなと思います。

変化に対応する知恵

少し前に『絶対音感』という本がベストセラーになりました。本自体はいい書き方をしてあるなと思って読んだのですが、でも、こういう本がヒットするようでは感性を殺すことになると私は思いました。絶対音感は、はっきり言って必要ないです。かえって邪魔になります。ピアノはそうでもありませんが、たとえばバイオリンなどは音を作りますので、弾く人によって微妙に音が変わります。相手がこう変えたら、それに対してこちらも少し変えてやる。音楽の感動はそういうところから生まれるのです。絶対音感があるからこの音だけが正しいのだと、ひとつの音に固執していてはそういう対応はできません。

ものごとというのはすべて変わっていきます。昨日と今日では違いますし、去年の8月25日と今年の8月25日は全く違います。100年も経てば、ここにいる人たちはみんな骨になっていることでしょう。今ここにあるコンピューターも昔はありませんでした。ピアノだってそうです。最初はピアノフォルテと呼ばれていたのですが、それは大きな音も小さな音も出る画期的な新発明だということで、ピアノフォルテという名前がつけられたのでした。それまでのチェンバロは大きな音や小さな音を出すことができませんでしたが、ハンマーで弦を叩く方式をある人が発明したのです。それはたかだかベートーベンの時代でした。それほど昔のことではありません。

さらにシンセサイザーができたのはほんの40年ほど前のことです。ご存知の方もみえると思いますが、昔のラジオはチューニングを合わせる時、周波数が合っていないところでは、ピーとかガーという雑音がしたものです。たいていの人にはただの雑音でしかないのですが、ここに頭のいい人がいて、チューニングを変えることによって音が変わるというこの現象を何かに使えないだろうかと考えたのです。これが知恵です。ラジオなんてこんなものだと思って終わりにするのではなく、その耳障りな雑音を、電圧を調整してきれいな音に変えてやることで、音楽もできるんじゃないかという発想を持った。そこから、シンセサイザーが生まれました。工夫することによって思わぬものができてしまうのです。

知識や技術は道具にすぎない

知識を知識だけで終わらせるのではなく、これをどのように使ったらおもしろいものになるだろうか、もっとよくすることができるのではないだろうか、もっと違う使い方をしたらどうだろうかという発想をすることは、全く未知のものに挑戦することです。どんどん変わっていくものに対して、新しいものを付け加えるには、知識だけではだめです。たしかに知識は役にたちます。しかし、知識というのは道具なのです。

私が音楽を教える時にいつも言うことですが、ピアノを早く弾く技を競ったところで大して意味はない。コンピューターを使えば、そんなものはいくらでも早くすることができます。それは単なる技術です。でも、奏でる音を使って人の心に届く感動を創ろうという時には、技術だけでは絶対に不可能です。感動ということになると、知識だけを使って教育してもだめです。

知恵が知識を生かす

学校では点数が良くて秀才だった子が大人になったらさえない一方で、できが悪くて先生を困らせていたような子が大きくなって能力を発揮したという話を聞きます。これはなぜかというと、実際の世の中というものは学校で学んだ知識のとおりに動いてはいないので、こうしたらこうなるという方式にのっとって行動するだけではやっていけないからです。絶え間なく変化している社会や時代において、何をしたら効果的か、どうしたらよくしていけるか、自分が直面している問題に対応していくにはどうしたらいいかというようなことを考えるには、形や技術や知識だけにとらわれていてはだめで、知恵が必要になります。どう応用していったら現実の社会で生かせるかを考える知恵です。

これは私がフランスのホテルで遭遇したできことですが、食事の時にある人が自分の前にだけスプーンとフォークがないことに気づきました。その人は大きな声で添乗員さんを呼んで、それらをもらってくれるようにたのんだのでした。こういう場合、みんなならどうする?と、学校でコンサートをした時など子供たちに聞いてみると、様々な答えが返ってきます。スプーンとフォークを持ってきてもらうというしごく簡単なことなのに、その人はフランス語が話せないという知識面にこだわったために、知恵で工夫することをシャットアウトしてしまったのです。自分で知恵をしぼってコミュニケートしていたら、それはひとつの経験としていい思い出になったでしょう。

こういうことは、毎日いろんな場面で起こりうることですが、いつも決められた手順どおりにしかやらないでいると、知恵を働かせる場がなくなってしまいます。知識をいっぱい持っていたとしても、それを生かすチャンスがなくなります。あらゆるところで機転をきかすように努めて、いろいろなところで知恵を働かせていると、知識はどんどん生きてきます。

感動が知恵を働かせる

知識というのは表面的なものです。今は知識をむりやり詰め込まなくても、コンピューターが全部蓄えていてくれます。その情報を使って何をするか、その技術をみんなが幸せになるためにどう使うかということを考えていくためにこそ、知恵が必要になります。

先日、大学で作曲について講義した時にも言ったのですが、作曲するには、技術は10%あればいい。大事なのは感じること、ひらめき、感動する右脳の働きだ、と。言い換えると、右脳が90%、左脳が10%ということです。これは、作曲家としての私のイメージなのですが、知識の層というのは、脳の表面をずうっとおおっている。そこを掘り進んでいって感動する層まで達すると、知恵が活性化されるのではないか。すなわち、感動する心を育てると知恵が働くようになるのではないかと、私は思うのです。あくまでも私のイメージですが。

今ここにひまわりが飾ってありますが、これを初めて見るかのように、黄色の鮮やかさや、花びらの並び方、種がぎっしり詰まったようすを眺めてみると、ひとつの花だけでも感動するところはいっぱいあります。それを、なんだ、ひまわりか、と思ってしまうと、見たことは知識の層で止まってしまって、それ以上奥の知恵の層まで届きません。おもしろいな、きれいだなと感動する気持が知恵を働かせます。そして、知恵というのは地下水のようなもので、いろいろなところに深くでつながっている気がします。

そういうふうなものの考え方をしていくと、勉強もすごくおもしろくなります。英語にしても、数学にしても、歴史にしても、知識として覚えるだけの勉強ではおもしろくないけれど、感動につながる勉強をしていくと、知恵となって知識が生きてくるのです。

想像力がおもしろさを増す

私自身、自分でおもしろいこと、楽しいことしかやりません。私はこうやってソロ・オーケストラというのをやっていますが、これも、シンセサイザーがあって、コンピューターがあって、これらを使って何かできないだろうかと知恵を働かせた結果です。

私は今、『出雲』という交響曲を作曲しています。それで、少し前に出雲へ行ってきました。いろいろな神社や伝説の地をまわって、出雲大社へも行きました。そこで出会ったルクセンブルクから来たという人と話したのですが、出雲なんてちっともおもしろくないと言うんですね。私は、それは想像力がないからですよ。ここでは昔、日本の中でも壮大な文化が栄えていたんです。目の前にある景色を見るだけでなく、想像力を働かせてごらんなさいと言ってあげました。

歴史の勉強でも同じことです。想像力を使って、その時代の暮らしを思い浮かべてみると、とたんに世界がぱあーっと広がって、すごくおもしろくなります。楽しくて自分から掘り下げて勉強したくなるので、傍から勉強しなさいなどと口を出す必要はなくなってしまいます。

感動から曲が生まれる

曲を作る時でも、感動抜きでは絶対に書けません。たとえば今、この2つの音から曲を作りなさいと言われれば、私は1時間でも2時間でも続けて弾くことができます。そうして弾いた曲は、今はなんとなく気分が乗っているので、いいように思えるとしても、後で聞くとそうでもない。いつ聞いても、何度聞いても感動できるような曲を作るには、書いては捨て、書いては捨てて、何日も、何ヶ月も、時には1年も2年も、自分の心の中に感動が現れてくるまで待ちます。自分の中に湧いてくるものは意図して作ることができません。そうして、感動が満を持した時にできた曲というのは、より深いところ、心が動かされるところまで達します。 

音楽は楽しむもの

音楽が好きとか嫌いとかは別として、音楽がわかりませんという言い方、あれは変ですね。わからなくたって、音楽は楽しめます。日本ではピアノを演奏すると言いますが、英語では play the piano と言います。play は遊ぶという意味です。知識として音楽を聞くのではなく、遊んで楽しんで感動につながっていくのです。

頭は常にやわらかく

おじんギャグってありますよね。若い子たちはそう言って馬鹿にしますが、おじんギャグを言える人というのは、私はとても知識が豊富な人だと思います。ひとつの言葉から次々といろんな連想が出てくるわけですから。でも、実はこれは深いところまで踏み込んでいない。表層だけなんですね。感動が伝わるような言葉とは違います。いつもいつも思考が表層だけを巡っていると、だんだん頭が固くなってしまいますから、これには気をつけた方がいいと思います。自分でも、おじんギャグを言いそうになった時は、知恵の域まで達していないぞ、頭が固くなりかけてるんじゃないか、もっと頭をやわらかく保って、と自分をいましめています。

以上、私がいつも感じていることですが、少しでもヒントになればと思い、お話ししてみました。



2004年8月25日 岐阜県可児郡御嵩町にて教育関係者を対象とした講演
文責:IZZY


藤掛廣幸氏オフィシャル・ホームページ

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