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藤掛さんがコンサートのトークその他でお話しされたこと
人生について何を考え、何に感動され、何を伝えたいと思っておられるか
その場にいた人たちだけでなくもっと多くの人たちにお聞かせしたいので
抜きだして記録にとどめておこうと思います。(文責 IZZY)




講演「知恵と知識」  2004年8月25日 岐阜県可児郡御嵩町にて教育関係者を対象とした講演


ソロ・オーケストラ事始

ぼくは作曲家なので、これまでですと、一生懸命楽譜を書いて、オーケストラや合唱団にそれを渡して演奏してもらって、それで初めて音楽という形で世に出ます。ところが、なかなかいい演奏をしてくれないんですね。心をこめて書いた曲なのに、ひどい演奏をされたことが何度もあり、くやしいなあと思っていました。

ベートーベンやモーツァルトといった評価の定まった作曲家の作品なら、ひどい演奏をすれば、あれは演奏家が悪いと言ってもらえます。ところが、ぼくの作品を初演するような場合、演奏がひどくても、それは曲が悪いからだとなってしまいます。

昔の作曲家の中には、死後何十年も経ってから、いい演奏家によって演奏されてようやく、ああ、本当はいい曲だったんだ、大作曲家だったんだと見直されるということが結構ありました。ぼくは死後に大作曲家だったと言われなくていい。今生きているんだから、生きている今のうちにいい演奏を聞いてほしいと思っていたところへ、ちょうどシンセサイザーという新しい楽器が出てきました。これなら自分でオーケストラを作って思うとおりの演奏ができる、これはいいと始めたのが、ソロ・オーケストラのきっかけです。





楽譜に書ききれなかった事を発見して欲しい!

演奏者に向けて
皆さんの前にある楽譜には、最低限のことしか書かれていません。それは、どういう道を通ってどこへ行きつくかという指示です。道を逸れてしまっては困るので楽譜がありますが、その道筋で何を見、何を感じるかは、みなさん次第です。楽譜に忠実なあまり、わき目もふらずにただ目的地を目指したのでは、つまらない演奏になってしまいます。役者が台本の行間を読んでセリフに感情をこめるように、楽譜に書ききれなかった思いを想像して、演奏にそれをこめてください。
註:上の藤掛さんのお話は、実際はたとえもまじえたもっとずっと長いものでしたが、そのとおりにはとても載せきれないので、お話のエッセンスだけをとりだしました。要約を掲載するにあたっては、藤掛さんのご了承をいただきました。(IZZY)

合唱団に向けて
いったい同じメロディーを歌うのに、これだけ大勢のの人数が必要だろうか、声の大きな人がひとりマイクを持って歌えばいいんじゃないか。それはちがうんです。単に大きな音を出すために大勢集まっているわけじゃないんです。そうじゃなくて、ひとりひとりの人が、何十年かのそれぞれの人生を生きてきた思い――辛いことや苦しいこと、また、うれしいことなど、いっぱいあった人生のいろいろなことを歌に託して、ひとりひとりの人がそのエネルギーをぶつける。それが、10人集まり、20人集まり、30人集まると、ものすごく大きな力になります。その思いがほしいのです。それがひとつになったときの力はすばらしいものです。

2006年6月談





「銀バエ先生」後日談

4、5年前のことですが、ある政治家と寿司屋で話す機会がありました。その時、たまたま「銀バエ先生」の話をしたら、ちょうどそこへハエがブーンと飛んできたんです。まさかこんなにタイミングよく飛んでくるとは思わなかったのですが、「ほら、ハエが来ました」と言われたので、「自信はないけど、きっとこちらの気持がわかると思いますよ」と手を出して、やってみました。

すると、ハエはほんとに手にとまって、全然逃げようとはしませんでした。「ほらね、ハエだってわかるんですよ。気持って、言葉にしなければわからないわけじゃないんです。心でほんとうに思うことが、やっぱりすごく大事じゃないですか。教育についても、知識を教えることも大切ですが、こういう心を育てることも大切ですよ」と言ったのでした。

その方もためしにやってみたのですが、いくらやっても逃げてしまうので、「やっぱりあれは超能力があるんじゃないか」と言われて、違うと言ったのですが、それ以来、千葉県にはハエと話ができる作曲家がいると話していらっしゃるようです。

2006年5月談





コンサートを通じて何を語りかけたいですか?

聞いていただくのが一番です。言葉でどうのこうの言うんだったら(演奏するより)しゃべったほうがいいわけでして、聞いていただいて感じていただけるのが一番で、特別こういうことを感じてくださいと言うつもりはないんです。

ただ、ぼくが今までやってきたことというのは、大自然もそうですが、すべてを思いやること。人間だけじゃなく、すべての生きもの――木も草もそうですし、虫とか花とか、そういうものも含めたすべて…… ただ人間だけが豊かになってもだめで、木がなかったら、ほんとうには人間も幸せにすごせない。すべての命あるものに対する思いというものを深めていただけたら、と思っています。

1989年8月18日談 (20日の「自然讃歌」コンサートのリハーサルにおいて、岐阜放送のインタビューに答えて)





力を合わせて作り出すのが人間のよさ

こうしてひとりでソロ・オーケストラをやっていますが、ひとりが好きでやっているわけじゃないんですよ。安上がりにやらなきゃいけないからなんです。零細企業楽団でね(笑)。ほんとはみんなで協力してやった方がずっと楽しいです。作曲というのは孤独な仕事ですから、もう一方で、オーケストラを指揮して演奏者とともに曲を表現したり、さまざまな方とコンサートで共演するのはとても楽しくて、ぼくは大好きです。人間はひとりだけでは生きていけません。いろんな人と話し合ったり協力したりして、いろいろなものを作りあげていく、そういうところが人間のよさだと思います。

補足:2005年2月談





楽しい道を選ぼう  

最近読んだ本に、分かれ道でどっちか選ばなきゃいけないときには、こっちの道は正しい、だからこっちを選ぼうというのではなくて、そういうのはやめて、楽しい方を選ぼうと書いてありました。これは素晴らしいなと思った。どっちが正しいかで決めるから、争いなどが起きる。どっちが楽しいかということでやれば、けんかすることもないだろうというのです。ぼくはとても感動して、なんかいいなあと思って、すごく嬉しくなりました。生きてるということは、ほんと、二度とないんだから、どうせ生きるなら楽しく、命を粗末にしたり、けんかしたりしないで、一瞬でも生きていることを大事にしたいなと思いました。

2005年2月談





無駄と思ったことが後で生きてくる  

ぼくは高校に入学したとき、ピアノ課に入れてもらえなくて声楽課だったんですが、ほんとにいやだった。こんちくしょうと思って一生懸命、一日十時間、日曜日など十二時間くらいピアノを練習してなんとか弾けるようになってきたんですが、卒業の時にはシューベルトの『冬の旅』の中の歌を歌わされまして、あの頃はほんとにいやでいやでしょうがなかったものです。けれど作曲家としてやり始めてから、ああ、あの時歌をやっておいてよかったなあと、今はすごく感謝しています。合唱曲を書いたりオペラを書いたりするとき、こういうのはちょっと歌いにくいから変えた方がいいとわかるようになりましたから。どんなことでも一生懸命やっておくもんだなあと思いました。

2005年2月談





何ごとも まずやってみよう

九州の宮崎県に幸島という小さな島があります。そこがなぜ有名かというと、その島に猿がいて餌付けされているんですが、その猿たちは芋をもらうと海の水で洗って食べるのです。海岸で芋をやると、時に海に落ちたりしますが、塩味がつくとそのまま食べるよりおいしいということに、ある子供の猿が気づいて、芋をもらうと自分で海水で洗って食べるようになりました。それを見て、他の猿もまねをするようになったわけです。

ところが、群に最後まで決して海水で洗って食べようとしない猿が何匹かいます。人間でもそういう人、いるでしょう。同じことならやってみればいいじゃないか。やってみて、なんだ、洗ったって大して味は違わないじゃないかと思ったらやめればいい。

ぼくは今53歳だけど、いくつまで生きるかはわからない。いつかは死ななくちゃいけないのだけれど、死ぬ時までそういう気持ちを失いたくないなあと、自分で自分に言い聞かせています。

2002年10月談





想像力で人生を楽しむ

今ぼくは「出雲」をテーマにした交響曲を書いていて、その曲想を得るためにちょうど1週間前、出雲に3泊して伝説の地を訪れてきたんだけど、そこは、どんなふうだと思う? 実のところ、今は日本中どこへ行っても変わらないんだ。2千年前には原野が広がっていたのだろうけど、ここがスサノオノミコトのゆかりの地、ここがヤマタノオロチの伝説の土地と言われても、古ぼけた社があるだけで、周りは住宅地だったり、コンビニやスーパーが建っていたり。かつては大河だった川も、上流にダムができて川幅が小さくなってしまっている。表面を見ているだけだと、全然おもしろくないかもしれない。そこで想像力を働かせるんだ。

目の前にある風景ではなく、2千年前に広がっていた原野や原始林を思い浮かべてみる。船ではるか新潟や韓国、中国にまで出かけていったその頃の人たちは、どんな服を着て、どんなものを食べて、どんなふうに愛を伝えあっていたのだろう、と想像してみるんだ。

歴史の勉強をする時も同じだよ。教科書に書いてあることを丸暗記するだけではおもしろくもなんともない。そうじゃなく、その時代の人たちの生活はどんなふうだったのだろう。歴史的なできごとの裏に何があったのだろう。そういうことを考えてみると、勉強ってすごく楽しくなるよ。人生は楽しむためにあるんだ。楽しまなくちゃ損だ。勉強だって楽しんでやってごらん。

2002年10月談





『樹魂の歌』マンドリン版初演に寄せて

最後に中条先生にお会いしたのは今年の9月ごろでした。「生きるということはかなりエネルギーがいるけれども、まだ新しいことをやっていきたい」とおっしゃっていて、その生き方って素晴らしいな、90歳になっても、ああいう生き方をしたいなと思いました。

今日演奏する『樹魂の歌』の詩も中条先生にお願いしたのですが、詩ができあがってきた時には、作曲がもうある程度進行していて、メロディーもだいぶできあがっていました。「見てよ ほら見て 今年も咲いた花」という詩なんですが、詩を読んで書いたわけではないのに、すでにできあがっていた曲と詩がぴったり合ったのです。なんかゾクゾクっとしました。こういう創作の仕事をしていると、そういう瞬間に立ち会えるというのは、すごい幸せです。

2001年11月談





植物だって生きている

ある時、新聞で読んだのですが、木の葉にセンサーをつけて、それをコンピューターにつなぎます。そうしておいて、別のところで、さあ、切るぞとハサミをチョキチョキやると、ビビビビ……と信号がでるそうです。そして、その信号は他の植物にも伝わっていくのだそうです。それを聞いた時、ぼくはものすごく感動しました。ぼくらはふだん何気なく木を切ったり野菜を食べたりしているけれど、みんな生きているんだ、と。世界が広がった気がしました。

2002年3月談





子供たちへのメッセージ

現代のいろんな考え方を、君たちは当たり前のことのように思っているかもしれないけど、ほんの数百年さかのぼっただけで、それらは当たり前じゃなくなるんだよ。これは、少し前に本で読んだことだけど、鎌倉時代の正しい死に方というのは戦場で死ぬことで、畳の上で死ぬのは非常な死に方、つまり普通じゃない死に方だとされていたんだ。それを知って、すごくショックだった。今はいい時代だなあと思う。やりたいと思ったら何でもできるんだ。

戦後の何十年かと違って、これからの世の中は、どこかへ就職すれば安泰というものではなくなった。今後はますます混沌としてくるだろう。考えようによっては、これはとてもおもしろいことだ。よーし、やるぞ!という人にとっては、有利な時代だと思う。反対に、楽して生きられればいいやという気持ちではやっていけなくなる。

みんなそれぞれ、勉強に限らず、自分の好きなことをひとつ見つけてください。ひとつあるだけで人生がすごく違ってきます。そしてまた、好きなことならいくらでもがんばれる。ただし、これしかないと執着しすぎないこと。道はいくつもあります。柔軟な気持ちを持つことが大事です。

2003年10月談





大人たちへのメッセージ

ぼくが作曲家になろうと決めたのは中学3年の時でした。その時の周りの反応は、できっこないからやめておきなさいというものでした。でも、人間って意外にできるものなんです。だから、子供たちがああなりたい、こういうことをしたいという気持ちを持っていたら、決して頭ごなしにだめだと言わないで、できるだけ前向きに応援してあげてください。人間ってすごい力を持っているんです。

2003年10月談





死生観

生と死についてはとても気楽に考えています。
いくら長生きしても100才を超えては生きられません。
生まれて来た命はいつかは燃え尽きるのは当たり前、と冷静に捉えています。
だからこそ今、ここに生きていられる事を最大限に大切にしたい、と思っています。
死後はこの大宇宙の分子の一部分として帰って行くだけだと思っています。
悲しくはないし当然の事です。

2002年11月にいただいたメールの中で





藤掛廣幸氏オフィシャル・ホームページ

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