悠々散歩

No 15
住吉大社 の周辺(住吉公園 ・ 高燈籠 ・ 生根神社)

住吉公園

南海本線の「住吉大社駅」を下りて、直ぐ西側に「住吉公園」がある。
かつては黒松の茂る美林で知られていた。
更に西には「高灯篭」があり、そこからは「出見の浜」と呼ばれた浜辺で、潮干狩りなどしていたそうです。
明治初年まで住吉大社の境内の馬場であったとか。明治政府が大阪に公園を、、、ということで「箕面」「天王寺」「住吉」に公園を作った。100年以上の歴史をもつ公園です。
現在は両側に花が植えられた石畳の並木道、桜の公園、心字池、子供の広場、野球場、テニスコートなどがあり市民の憩いの場となっています。


潮掛道 (しおかけみち)
公園の中央部を通っている石畳の道が潮掛道。
かつては住吉大社へ参拝する渡航者たちの参道でした。
道の両側は黒松の茂る美林だったそうです。
更に西には「高灯篭」があり、そこからは「出見の浜」と呼ばれた浜辺で、潮干狩りなどしていたそうです。
高燈篭

鎌倉時代末期に住吉大社への献灯として建てられた日本最古の灯台。
現在の灯台は昭和49年に復元されたものです 。

住吉公園の西側、国道26号線を渡ったところに建っています。






     〜〜摂津名所図会〜〜


芭蕉の句碑
『 升買って 分別かわる 月見かな 』 

松尾芭蕉が元禄7年(1694年)の9月12日夜、住吉大社の「宝の市」神事にお参りし、
社頭で升を売る店を見て詠んだといわれています。
芭蕉が亡くなる1ヶ月前のことですね。

この碑は 明治3年、芭蕉170回忌記念に建立。
  高さ170cmの自然石。
  上部の穴は月を表現したものといわれている。
  文字はかなり読みずらい。

     <公園に入ったすぐ左側に建っています>
源氏物語の碑
源氏物語の澪標(みおつくし)の巻の、
住吉詣における光源氏と明石の上を描いたレリーフ

次のような文が記されていた。
◆◆◆
「真住吉、住吉の国」は万葉の昔から数多くの和歌や文学作品にその名をとどめている。源氏物語の「澪標」に描かれた明石の上の悲しい恋もこの地が舞台である。船で訪れた明石上は懐かしい光源氏の華やかな住吉詣にであったが再会することなくそのまま帰る。
中世の住吉は王朝貴族の住吉詣が多く 平安のみやびにつつまれていた。
この碑はかかる王朝を偲び 歴史を振り返り 郷土を愛するためのよすがである。

   <住吉大社駅、西側の住吉公園側にあります>
      住吉大社 太鼓橋  鳥居 牛車の横に光源氏、  右上の舟が明石上の舟

住吉公園内にある 心字池
(マウスを重ねると写真が換わります)
万葉の歌碑
『 住吉の 粉浜のしじみ 開けも見ず 
      隠りてのみや 恋ひ渡りなむ 』 
(巻六、997)作者不詳

ご近所にお住まいだった、大阪大学名誉教授の犬養孝先生の筆によるもので、万葉仮名で表記されています。

万葉集を朗唱する「犬養節」は独自の歌い方で、多くの万葉ファンに親しまれた。
先生揮毫の万葉歌碑は131基に及ぶそうで、そのうちの一つがこの碑です。
側に、こような解説板があります。
    <南海本線粉浜駅の直ぐ東側に建っています>
六道の辻 閻魔地蔵
住吉大社の北側に生根神社があり、そこを下って行くと、三叉路になった場所にある。
「冥土の苦界六道の辻」
〜〜住吉名勝図会〜〜   

生根神社
祭神は少彦名命。
桧皮葺・壱間社流造りの建物で、正面千鳥破風や扉の装飾などに、桃山時代の華麗な様式を残しています。本殿は淀君が寄進し、片桐且元の手で竣工されたといわれています。
江戸時代は住吉大社の摂社であったが、明治5年分離されて郷社となりました。

昭和45年2月、府の有形文化財に指定されました。

住吉公園入り口の狛犬、吽暁は
珍しい 「子持ちの 狛犬」
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