スケープゴートから見るTPP

ユダヤ教の聖典は贖罪の日を定めている。(辞書による贖罪とは:神の子キリストが十字架にかかって犠牲の死を遂げることによって、人類の罪を償い救いをもたらしたという教義。)
この世一切の罪を山羊に背をわせて荒野に放す慣習があった。これをスケープゴートと呼んだ。つまりは、山羊が罪や苦悩の身代わり(犠牲)によって、この世に平和が訪れるという教えであり、救世主を持たないユダヤの人々は、教えの上において絶対的に必要だったのである。ニュージーランド、オーストラリアには、皆が知っているように、国民より何倍も羊のほうが多いほど関わりが深く、犠牲代謝のように羊を大切にしている。
インカ帝国の遺跡マチュピチュには、 いけにえを奉納する岩をテレビで見た。日本の神話にもヤマタノオロチ大蛇のいけにえ話しが残っているが、これは意味合いがちょっと違うような気がする。人類の犯した罪をあがなうという意味合いの昔話を、日本で聞いたことがない。仏教思想が解く、人間は生まれながらにして善であるという、性善説の考えが深部にあるからである。

パートナー選びには、どちらかを選んでいる間に、当然の結果として願いがかなわなかった者がでる。大げさな言い方をすれば、片思いが成立していれば、相手はもう犠牲者を出した被告である。少なからず、圧迫されたような気分になってしまった経験は誰にもあるだろう。何か事が生じた際、解決策としての落としどころを見つけ、無実の罪を着せられた贖罪の事件が発生したり、支配層が世間の不満を代謝してしまう手法である。輪をかけて、順調に運ばれていない背景が後押しをする。私自身、国際政治に関する事件に遭遇したとき、証人をスケープゴートにされてしまう手法がマスコミにはあると深く感じている。鬱積された不満の捌け口を投射するように、操作する力をマスコミはもっている。

TPPが一部の集団的スケープゴートに見えて仕方がない。どこの国が支配権を持っているのかは別として、農業の根底は地球上の土である。十分な土地を持たない日本は、農家がスケープゴートになってしまうことは容易に考えられる。日本は農業国で国際競争力があるとは、この上ない逆説と思うから、まったく信用していない。戦国時代の内乱と、蒙古襲来しか経験をしていない日本が全面戦争に突入してしまった、見通しの甘さという共通性だけはもう見たくない。農業政策だけを考えても無条件合意はありえない。カナダ、ニュージーランド、オーストラリア国土の豊かさに、どのようにして日本は近づけるのであろうか。今後の太平洋地域の安全と流通に注目したい。