基本的人権
 
桜報道を朝日新聞が取り上げた。父が亡くなったとき。棺の上に、満開の桜を横たえた。病院へ駆けつけたとき、桜の満開があまりにも美しいので、枝を折ってそれを供えたのである。一本の桜の枝が、タスマニア桜に姿を変えたのだ。ともらい桜である。悲しい桜だ。囚人遺跡群であるタスマニア・ポートアーサーの桜は父の命の延長である。私の一連の行為を見て、その後桜の苗木をタスマニアの地に植えた事は、兄の性格をよく知る私にとって不思議ではない。しかし、手荒い報道によっては私の心情を傷つけるということが判断できないはずがない。しかも、タスマニアの地を最初に注目したのは、紛れもなく私である。朝日は基本的人権の尊重を軽視した、無神経な非礼極まりない報道機関である。

いったん報道に取り上げられると、ベクトルを取り違えた記事でも、読者はその情報が唯一の正当性と信じてしまう。一人の人間ではマスメディアの権力に屈服するしかない。なぜならば、メディアは多数派を作り出す手段を持っているからだ。社会性を認める人間は、溶け込むしか手立てがないのである。ニュアンスを変えることなど卑怯なやり方である。

目の見えない人の横で、「花火が綺麗ね」と,はしゃぐバカがどこにいる。そのような無神経報道の垂れ流しは、社会性格を悪くする。そのような記事を堂々と流す新聞を読んでいると、自然と人間として品格がなくなってくる。宗教心の欠けた報道機関は、薄っぺらで哲学を持たない。社会悪である。