ドイツ鉄道の軌跡ハルツ狭軌鉄道


 
 ドイツが統合してからこの鉄道は復活した。その山、ブロッケン山は国境線によって2つに分断されていた。私が最初に訪れた時はたしか1978年。途中まで車で登って、そこから散策した。当時の印象は、どういうわけか枯れ果てた木が点々とあって、岩でごつごつしたハゲ山という感じで、山頂へは東ドイツ領で行けず、国境線には監視櫓があり、気が縮む思いで戻った記憶がある。

 今回この鉄道を利用して登った印象は、以前とまったく違い、6月の新緑がきれいで、線路幅がシュマール(狭い)バーンという名が示す通り可愛く、まるで遊園地の汽車に乗っているみたい。しかも登りは1950年代に製造された汽車が吐く煙がすごく、情緒満点だった。この汽車は他の路線で、戦後も元気に東ドイツでは走っていたらしい。




 鉄道模型に関してはプロはだし、とても詳しい友人の高崎功君が1つ教えてくれた。ドイツの汽車は下が赤く塗ってあるよと。気がつかなかったが、写真を見てみるとご指摘のとおりやはり赤い。下に黄色の部分があればまるで走るドイツ国旗みたい。たしか、黒には力と勤労、赤は情熱を意味していた。ドイツ機関車を勝手に連想させてもらうと、国民の情熱に支えられた、力強く働く乗り物ということにでもなるだろうか。(御暇な方はどうぞ⇒My sailship)

 彼の父が作った模型は専門書の中でも拝見できるし、千葉県稲毛にある航空博物館を入って、一番目立つところにその飛行機が展示してある。伊藤式1号の製作者だ。ライト兄弟のフライヤー号から、たった12年後に日本の空を自由に飛んだ完成機だ。所沢や神田の交通博物館でも他の飛行機が展示してあるそうだ。この世にたった一つの模型を、図面をひいては、ホウの木で型を取り塑性物質を流し、精密部は針金から加工するんだといっていた。ほとんどの手法が独創から始まっているというから驚きだ。どうやら彼は、幼いころから父に連れられて、交通博物館に通っているうちにだんだんと鉄道に興味を持ってきたらしい。