おそばを食べる。と言ったら、蕎麦を食べるという意味。蕎麦は植物の名称。食べる蕎麦と、植物の蕎麦。どちらが先に存在していたのか?考えた事がありますか?良く考えたら答えが出ますよ!
調べてみると蕎麦専門誌のほとんどは文系の人が書いており、流石に文才にたけて読みやすい。科学を文章能力で補う状態が長らく続いた。そして蕎麦と携わりの少ない他分野の学者や、蕎麦育種学者の文章も多い。だが本質から外れた記事が多かったように思える。いやもしかしたら、職人にとっては私の方が的外れなのかもしれない。

私がまだ学生時代、「蕎麦粉のつながりってなんだ」の父の問いに、「蕎粉のつながり粘性に関係しているんじゃないかな」と助言したそれからかれこれ2年半、私は日本を離れてしまっていた。この言葉の責任を取るために、その後蕎麦粉だけでつなげる力を十分に証明する必要性が私にあった。
「蕎麦匠心得」という形而を形而出来るだけ引き下げる「蕎麦弁証論」のような本を書いた。原稿はもっとあって単独で出版するつもりであった。しかし出版社側で、文章が固すぎて売れないという事になった。製粉工場を人体になぞらえてみると、心臓は脈動を生じている。製粉工場は足のない人間ロボットそのものだ・・・のような変わった着眼をしている。

出版後、お褒めのお言葉をいただいたのは3名のみ。筑波食品総合研究所の元所長、同志社大学の亡粉体工学名誉教授、昭和産業株式会社の研究室長であった。同業者はもちろんのことマスコミも無視であった。自画自賛ではないが幻の名著だと思っている。蕎麦科学の面白さを解ってもらえたかなと自分では喜んだ。出版は著者のもつ知的財産であり、当然の保護を受けなければならない。
蕎麦業界全体の粉に対する専門知識不足と、それを把握できなかった専門記者の責任は解決していない。理念の外れた該当者は、卑怯な手段にうつつを抜かした。日本の蕎麦業界はこんなもんか。バランス感覚が抜けた鈍い感性で、偏狭な蕎麦の世界もあるものだと落胆している。

父は記者の中にも敵がいるとマスコミ報道にだいぶ神経を使っていた。本筋を見ずになぶりかかる悪意に満ちた記事を気にしていたのだ報道は時により基本的人権を踏みにじる。専門誌の一部でさえ職人騙しにつながる情報記事を流してはならない。職人主体であるはずの蕎麦専門誌記者の一端が職人を見くびっている。父は帝国軍人であった。

父から直接聞いた話にいると、1979年の前半、父と現在の社長が同席のところ蕎麦製粉組合を除名になったのだ。私はドイツ製粉学校に留学しておりこれについては関与できなかったが無念である父は「蕎麦用蕎麦粉という名で特許を申請した。それを会合で話したところ、組合は「それじゃあ我々の製粉している蕎麦粉は蕎麦粉ではないのかと反論したらしい。却下しなければ除名だといわれたのだ。そんな理不尽で馬鹿な話しがあるものか!工業所有権法では、承知の事実を独占することはできない。そんな組合側の解釈はありえないのだ関与した人物が謝り通す筋だろう。

知的財産をめぐる蕎麦業界が巻き起こした、不当な判断が許せないだけでなく、身代わりする卑怯な企みが輪をかけて許せない。業界の汚点である。基本的人権を何だと解釈している。この時世になって、その時の敵は私のサイレントセルになった。私は父の鎮魂を継ぐ。