ドイツ石臼からながめて見た製粉の歴史: 北ドイツ、ニーダーザクセン州、ゴスラー。10世紀後半から銀が発見され、銅や錫などをも産出する鉱山の町である。13世紀の初めころは帝国自由都市の権利を誇って広くヨーロッパの中心として栄華を誇る町であった。

 その町の歴史民族博物館。その横に何気なく置いてあるドイツ石臼。これは直径が、ゆうに胸の高さまである上臼で、真ん中に大きな穴がポッカリ空いているのが見てとれる。ここから原料が落とされ、その穴を橋渡しするように鉄を噛ましてある。これがリンドゥ(rynd)と呼ばれるものだ。下臼から出てくる回転軸を支える上臼の軸受け機構である。これがヨーロッパ臼の大きな特徴で、ここから原料が入れられて、一気に粉を挽くのだ。リンドゥの歴史はとても古く、古代ローマ時代以前にはもう発明されている。

 このの回転方向は、その目立て、(粉が良く挽けるように石に溝が彫ってある)から、ごく一般の,日本製手引き臼に使われている反時計回り(左回し)の逆、時計回り(右回り)だということがわかる。ちなみに、右利きの人が使う手引き臼は、人間の骨格のつくりで左回しでなければならない。

 もう少しよく見てみると、この臼は一枚の岩からできていない。9つのパーツの組み合わせだということがわかる。それをコンクリートでつなぎ合わせ、鉄製の箍(たが)で締め付けてある。穴の側面は場合によってはコンクリートである場合がある。実際に粉を挽くのは、臼の周囲だけだからだ。

 恩師の一人であるガウゼプールさんから調達した、20世紀の動乱まもなく発刊されたドイツ文献によると、中世の臼はこうではなかった事がなまなましく記されている。イギリス、フランスそしてドイツなど、ヨーロッパ諸国で動力を使った石臼製粉での大量生産が行われようとするなか、アメリカの独立が始まる。その後も、品質の良いヨーロッパ石材をアメリカへ際限も無く輸出したのだった。採掘現場からあまりにも無謀に、日持ちが良く持ち運びに優れ、あればいつでも空腹を満たすことができる有一無二な食べ物、それがパンだった。粉という原料の確保には、製粉に用いる石が絶対的に必要だったのだ。もはや一枚岩が取れなくなるまでとったのである。

 石の切片を組んで一台の臼にすることを最初にやってのけたのがフランスの優秀な技術である。アメリカ独立へのフランス援助が臼をこのような姿に変貌させ、その後ヨーロッパ全土にまで広がったという表現は、別に主観に依存しているわけではない。その果てが写真にでている石臼。これがまさしく、目の前にあるドイツ臼の正体である。