2014年10月

武田城、出雲大社、世界遺産姫路城と鳥取砂丘、松江3日間

戸塚 寛
JA1PYP
前回の佐渡は東京駅集合で埼玉組は大宮駅途中乗車で時間差の不満があった神奈川組のため、今回は羽田集合のツアーを榎本さんが探してくれました。
姫路城は個人的には3回目なので石見銀山が代わりに入っていると完璧なのですが、改修後の姫路城なので良しとします。
2014年10月5日、日曜日に出発です。大型の台風18号が関東地方に上陸予定の日。荒天必至の旅行なので中止になって仕切り直しを期待していたのですが、旅行社からは連絡なしでした。
あきらめて出発です。犬の散歩を済ませていこうと思ったのですが、雨なのでパスです。
浦和発6時29分の上野行きに乗れました。7時45分には仲間は全員集合。昼食は各自購入と案内書にかいてあったので各々美味しそうな空弁を購入です。ただ森口さんは自作の弁当。ここでCT旅行社の行程表に一言。
行程があまりにアバウトなので細かい計画が立てられないのです。まあこれは旅行社の生活の知恵というものでしょう。時間節約のためバスの中での昼食と納得して購入しました。
今回は雨の中での鳥取砂丘と武田城登山を想定し皆トレッキングシューズに山行用の雨具持参でした。8時10分の集合時間前に添乗員の武井さんに会え、航空券を受領しました。
中身はほとんどお酒のスーツケースを1個預け、早いけど見る物もないので搭乗手続きを済ませました。荷物チェックでいつも引っかかる榎本さんも無事通過。 今回お酒の持ち込みで気を遣いましたが、国内線は蓋の空いているボトルでも蓋をあけて匂いを嗅ぐ程度で機内持ち込みできるようです。
台風の影響で鹿児島、宮崎行は欠航でした。大阪伊丹空港行きのANA17便は定刻の発着でした。途中かなり揺れ機内サービスは短時間でホットコーヒーはあ りませんでした。それでも伊丹空港に近づくと、何と、嬉しいことに晴れています。地上の景色がきれいに見えました。重装備で来ましたが晴れているに越した ことはありません。
今回気が付いたのですが羽田空港の設備は五つ星と掲示されていました。その目で伊丹と比較すると全てがゆったり出来ていると実感しました。



大阪城
伊丹空港内でツアー全員との顔合わせです。総勢約40名でした。観光バスは志賀交通で京都ナンバーでした。ガイドさんは三田佳子さんに似てはいませんが本人は、彼女を意識している髪型をしていました。
高速道路を通って姫路に向かいます。
我々4人はさっそく静かに宴会です。今回は何故か佐渡旅行の最後に寄った越後湯沢の売店で見た「新潟の酒人気ランキング」の上位を集めて持ってきました。
最初のアテはフグの卵巣の粕漬けです。佐渡のお土産にもらったものですが真空パックされていて賞味期限が15年の2月となっていたので旅行までとっておいたものです。
バスの中でお弁当を頂いて姫路城到着です。広い駐車場があって、茶屋が並んでいます。
このツアーでは「ろの茶屋」の城専門ガイドが我々のツアーについてくれて説明してくれました。代わりに割引で「ろの茶屋」でお土産を買うシステムになっているようです。
こちらは様子を知らないからどんどん遅れて行き、勝手に見学しました。
改装がなった姫路城の天守閣は白かった。バスガイドが白すぎて評判が良くない。と言っていましたが瓦の漆喰部分が、普通の家の普請と比較しても広いように感じました。


姫路城
まだ工事中です
白 鷺城だからわざとしたのかも知れませんが。本丸と天守閣にはまだ入れません。来年の3月とか言っていたような。印象として世界遺産は大きい。天守閣そのも のも大きいですが輝政死後、入封した千姫の舅、本多忠正が作った西の丸も大きい。ワの櫓から化粧櫓までの渡櫓を歩きました。長局(百間廊下)と言うそうで す。実際は121間(240m)だそうです。廊下の脇に10畳ほどの畳の間が続いています。この部屋が簡単な展示室にもなっていました。城の規模からいっ たら、大阪城、江戸城とは比べ物にならないでしょうが、池田輝政がこれだけのお城を作れたのは家康の次女督姫を後妻にしたからでしょう。同規模のお城の消 失、再建が多いなか、築城当時の建物がそのまま残っている総面積が異常に大きいから世界文化遺産になったのかと感じました。








二の丸前に無料の「黒田官兵衛歴史館」が開催されていました。官兵衛の甲冑とマントが展示してありました。見終わって出口で警備員の方に「十字紋の鬼瓦見た?」と言われ
榎本さんと乾曲輪まで戻りました。官兵衛はキリシタン洗礼名「シメオン」と言うそうです。せっかく二の丸まで行ったのに「お菊井戸」を見忘れたので、また 歴史館の前を通って井戸を見に行きました。そうしたら先ほどの警備員の方が近づいてきて、「空井戸の北側に横穴が開いているように見えるでしょう。あれは 本丸からの抜け穴かと思われる」と
言っていました。榎本さんは相槌を打っていましたが私は黙っていました。
逆だったかな?出口に向かうと団体にそれは丁寧に説明しているガイドさんが居ました。
ボランティアのガイド団体もあるようで、入り口に数人待機していました。
(あとで調べたら「姫路城シルバー観光ガイド」一回2000円とありました。)




城の外から上山里下段石垣と言う秀吉時代の野面積みの古代石垣というのがあり、安土城もこの方式と書いてありました。土木技術が高くなく段々畑のように積まれていました。
仲間と合流してバスに戻ります。お堀に掛かる橋の上でお城をバックにセルフタイマーで写真を撮ったのですが、構図を決めるのと人が通らないタイミングを逃し続けて、駐車場まで走る羽目になりました。(大げさです。急ぎ足です)
白鷺城の名の由来ですが、諸説あって、鷺山にお城を建てた、当然周りには白鷺が多かったという説もあるようです。姫路城の冒頭にガイドさんが白すぎて評判 が悪いがしばらくすると落ち着く。と言っていました。これも後で調べたことですが、黒くなるのは白漆喰にカビが生えるからだそうで、今回の改修では防カビ 剤を混入したとありました。
ですからいつまでも白いようです。




姫路から山陽自動車道に乗り、倉敷ジャンクションから瀬戸中央自動車道に入って瀬戸大橋に入る手前の児島ICで降りて一般道に降りました。(多分)
ここから本日の宿である鷲羽山下電ホテルの前を通過して、鷲羽山展望台に登りました。
鷲羽山と言えば25年ほど前にNKK福山製鉄所の仕事で会社の福山工場に長期滞在した時、ここから10数キロ東の「たまの温泉」にある渋川海水浴場に行ったことがあります。
海水浴は母の実家のある千葉富浦しか知らなかった私は、瀬戸内海は塩分が濃いのか浮き易いと思いましたが、今考えるとそんなことはないよね。調べたら、東 シナ海(3.49%)、太平洋(3.40%)、日本海(3.39%)、瀬戸内海(3.33%)、オホーツク海(2.95%)の順でした。やはり、勘違いで す。それと海底に蝦蛄がうようよいて足に当たって気持ちが悪かったことを覚えています。もちろん鷲羽山展望台にも行きましたが、瀬戸内海随一の展望の印象 は夏のせいかありませんでした。展望台に上がると雨がぱらぱら降ってきましたが、傘を差すほどでもなく助かりました。
展望台からは四国丸亀の飯野山(讃岐富士)がきれいに見えていました。




宿 に入ると、すぐにオプションの瀬戸大橋周遊観光船が待っていました。オプションに参加したのは約半数です。ホテルの前の桟橋に観光船が着岸していました。 93人乗り乗員を含めて。と書いてあったので客席は90席だったのでしょう。70過ぎの船長のほかにおばさんが乗ってきました。このおばさんは、船長の奥 さん風で、乗員ですが要するにもやい綱の受け渡ししかしませんでした。船は隅田川の水上バスの形です。船長がガイドを兼ねています。浪曲師のようなダミ声 でため口。今時、流行らないガイドでしたが、我々おじさんにはそれなりに面白かった。要約すると、瀬戸大橋が開通してすぐに大きなリゾート施設、豪華な観 光船が出来たが、今残っているのは前からやっているこの船と与島のパーキングエリアの食堂くらい。島の住人だけは特別なゲートがあって車で行ききできるが 観光客はバスでしか行けない。しかし、外部の人間が増えて盗難が多くなったので、駐在所が出来た。岡山から次の島、櫃石島間の橋は海面からの高さは30m で超大型船は航行できないが、坂出と与島間の橋は50m強で全ての船が航行できる。確かに下から見上げる橋は高かった。
残念ながら瀬戸の夕日は見えませんでした。
鷲羽山下電ホテルのお風呂は温泉ではありません。しかし混浴の露天風呂がありました。
脱衣場は別で水着着用です。このホテルは専用ビーチがあり、子供連れの海水浴には最適でしょうね。








二日目は山陽自動車道を岡山JCTまで戻り岡山自動車道から北房JCTで中国道に入ります。落合JCTよりさらに米子自動車道に入って蒜山ICで降り、蒜山高原です。
食事をして本日のメイン出雲大社に向かいます。
印象がないので蒜山高原はパスです。












米子東から山陰自動車道に入ったのだと思います。
出雲大社では持参の御朱印帳への記帳と、御札を買いました。拝殿と神楽殿のしめ縄には圧倒されました。出雲大社では二礼四拍手一礼とあったので調べてみた ら、伊勢神宮は八拍手だそうです。それではなぜ四拍手かというと不明です。出雲大社だけでなく、弥彦神社や宇佐神宮も四拍手だそうで、色々あったが明治政 府が二拍手に統一しただけのようです。また、神座が横を向いているそうで本殿の左に廻りこんでお参りしてきましたが、
うっかり二拍手でやってしまいました。
古代出雲大社の巨大神殿の高さを示す48mのポールが建っていました。




次の観光地、松江城に向かう途中で松江市内を通りましたが、あるホテルの前に報道陣が群がっています。そうです。前日に挙式を挙げられた、高円宮典子様と千家家の披露宴が終わったとところのようでした。
松江城の観光オプションは堀川めぐりの船旅と松江城内の見学です。我々は堀川めぐりを選択しました。乗船場所は黒田町堀川ふれあい広場からとお城の前の殿 町大手前広場からがあり我々は駐車場の関係からかふれあい広場から乗りました。このオプションも半数の20名ほどが参加され定員10名ほどの観光船2艘に 分乗しました。一部低い橋があり天蓋が電動で下がる仕組みになっています。当然乗客も頭を下げます。天気も良く川から眺める松江城の美しく、日本に城のお 堀がこんな形で残っている場所があったのかと少し感動しました。水路が狭いところが良いです。
皇居のお堀のボートより風情がありました。お勧めです。
宿は米子市内の全日空ホテルでした。本日はフリー夕食なのでホテル隣のしゃぶしゃぶ屋で済ませました。




三 日目の最初は鳥取砂丘です。天気も良く車窓から大山が良く見えました。やはり大きいです。方向で伯耆富士に見えたりただのごつごつ山に見えたりします。米 子付近からは形よく見えました。山陰自動車道を通りましたが一部が開通ということで無料区間が多く現在はお得です。新品の隧道の照明がLEDになっていて コンクリートの白さと相まってとても明るかったのが印象的です。水銀ランプより実際明るいのですかね。
途中の白兎海岸通過でバスガイドが初めて歌を歌いました。因幡の白ウサギの歌です。
湖山池も通過しました。巨大です。鳥取を巡る「こころ旅」が、この旅行の次週に放送されていて火野正平が湖山池のほとりで「池がこんなに大きいなんて、池山湖ではないですよ。」と言っていました。
関係ないけど。鳥取砂丘は山陰道の鳥取砂丘入り口を左折するとすぐです。県道319号線を挟んだ丘の上の駐車場からリフトで降ります。この丘は砂丘セン ターと言う所で土産物屋があり、ツアー客専用です。要するに一般客は下の駐車場に止めればこのリフトに乗らなくとも砂丘には行けます。スキーリフトと同様 のリフトですが、雪で足元をスリップさせない状態で乗降するのは違和感がありました。何か突っかかる感じです。リフトを下りると軽装の方のために長靴が用 意されていました。
駅舎をでると砂丘です。左にラクダが2頭繋がれていました。観光用で乗るのは当然有料ですが、写真を撮るのも有料の雰囲気だったので我々は素早く離れました。
大きさは縦2.4km、長さ16kmと謳っていましたが、この場所は海岸まで1kmぐらいです。馬の背と言われる高さ50mほどの丘に向かって歩きます。 観光時間はあまりなかったので取りあえず10分歩いて引き返そうということになりました。結果的には15分歩いて全員(我々関係者)無事に頂上から日本海 の眺めを楽しみました。
まあ、死ぬ前に一回の典型で二回目は良いでしょうの景色でした。砂山は歩きにくい。
日本の砂丘がこの程度で良かった。砂丘を後にします。








昼 食場所として「但馬の小京都出石(いずし)」に寄ります。名物は「皿そば」(出石そば)と言うものです。長崎の皿うどんのそば版ですというのは嘘で、白い 小皿に日本蕎麦が少量ずつ盛ってあり椀子(わんこ)そばのように、何枚食べたか競うものです。違うのは、タレは別で、もりそばのように、ソバチョコに浸け て食べます。薬味が変わっていてとろろと卵黄です。
この昼食もオプションで出石城山ガーデンという観光バス御用達で「皿そば定食」を食しました。結果的にはこの街の観光は時間も充分で有名蕎麦屋がたくさんあったので失敗でした。
冒頭に書いた、このツアーは行程が詳細でないので、計画が立てられない、の典型でした。
案内書には出石の「い」の字も出ていなかった。
辰鼓楼という昔は時の太鼓を打つ塔、今は時計台がこの町のランドマークです。
あとは桂小五郎が潜伏していたらしい家の前に石碑が建っていました。素晴らしかったのは出石酒造です。酒蔵が土壁で、建物も古くて風情がありましたが、女 将さんが親切で吟醸酒、大吟醸酒を大振りの利きチョコで惜しげもなく試飲させてくれました。意気に感じて購入したことは言うまでもありません。












出石を出て最後の観光地、武田城に向かう途中で余部鉄橋の下を通過しました。
ガイドさんは改修してコンクリート橋(きょう)と言いっていましたが、材料ではなく鉄道の橋だから鉄橋で、無理に訂正する必要もないだろうと思いました。
高さ41m、長さ310mで明治45年に完成した、東洋一という懐かしい表現です。
今、東洋と言う言葉は使いませんね。回送列車が強風で転落して真下にあった蟹加工工場の従業員が多数亡くなった事故がありましたが、地形を見てなるほどと思った次第です。
日本海からの風の通り道になっていました。回送電車で軽かったのも原因でしょうね。
最後の観光場所「天空の城武田城跡」です。国道312号線を加都で左折し虎臥大橋の下を潜って、左折し道端の狭い駐車場で大型バスを降り(山城の郷の第B 駐車場?)、29人乗りのマイクロバス2台に分乗して、中腹駐車場の第2駐車場で降ります。少し登ると第1駐車場があり売店とトイレがありました。バスガ イドは武田城にはトイレが少ないから我慢しろと言われていましたが、平日なので助かりました。10分ほど舗装した坂道を上ると料金所がありその下に2個目 のトイレがありました。2か所合わせて数個のトイレですからハイシーズンは大変なことは想像できます。
料金所を過ぎると山道ですが表現しづらい化学繊維のスリップ防止布が全体に敷き詰めてありました。すぐに城壁が見えてきて北千畳に着きます。三の丸、二の 丸と続きますが本丸と天守台には入れず北側を廻りこんで花屋敷を覗きながら平殿、南二の丸、南千畳で縄張りは終わりです。姫路城を見学した後なので、小さ い。あっという間の見学終了ですが、ここは山城です。よくこんな山の中に石を運んだなと思います。武田城のベストショットは本丸に登って「南千畳とその先 の雲海を眺めつつ南西にある大路山」を撮ることのようです。残念ながら本丸に上がれなかったので、南千畳の端にある松を入れての本丸城跡を撮りました。こ こで変わった観光客を紹介します。同じ場所から城跡をバックに自分のフィギャーを撮影されている方が居ました。穴井さんです。人形の名前は「穴ちゃん」と 言います。色が白くて遠目、女性かと思いました。
武田城は足利政権の時、山名持豊にて最初に築城されたとあります。しかしその時は砦のようなものだったのでしょう。パンフには武田城は穴太積、算木積で作 られた石垣とありますので、戦国末期に、秀吉の弟の小一郎秀長が縄張りをして赤松広秀が改修したのが今の形なのでしょう。姫路城もそうですが当時の天下人 の御威光がなければ後世に残るものはなかなか出来ないと感じました。話はベストショットに戻りますが、日本のマチュピチュみたいに見える写真は本丸からで すが天空の城ラピタみたいに見える写真は隣の山からでした。また、有料化されたのは昨年からなのですね。冬季は入山禁止ですが、隣の山は自由だそうです。












台風18号接近の中、傘も差さずのラッキー旅行でした。

以上

今回の訪問地

写真はここと、ここと、ここと、ここと、ここと、ここにも
GPS軌跡はここ
残念ながら電池切れらしく鳥取砂丘で終了。
過去のシリーズは2013年夏の「石垣島とその周辺」、今年2月の「札幌雪まつりと流氷見学の旅」、9月の「トキの棲む島、佐渡島の旅」

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