沖雅也 舞台出演 一覧


「焼け跡の女侠」
1973年12月6日〜20日 渋谷・西武劇場
西武劇場 / 立動舎 提携公演
福田善之 作・演出
主演 清川 虹子
共演 江原真二郎 吉行和子 沢竜二 林ゆたか 他


アイドルの頃はワンマンショーも何度かあったし、営業で地方の舞台にたって「持ち歌」を披露していた沖さんだが、本格的な芝居はこの「焼け跡の女侠」が 初舞台だ。未見なので内容は不明だが、チラシによれば『マッカーサーの日本に、咲いた血桜、闇の花、特攻くずれの大武闘』『仁義と掟の幻想に狂死した女侠のへど・鎮魂歌』とあるので、沖氏の役は特攻くずれか。配役の欄では沖さんの名前が清川虹子さんのすぐ横にある。相手役だろうか。劇中劇「幻影奇偶 −まぼろし半次郎」という文字も見える。1973年といえば、アイドルから脱出して棺桶の錠などを演じた直後だ。大人の俳優としての脱皮を図っていたのだろう。


「ふりむくな鶴吉・冬の女」「新門辰五郎」
1976年10月30日〜11月25日 大阪・中座
昼の部 11時半開演 「拍手かっさい」「ふりむくな鶴吉」
夜の部 4時開演 「ふりむくな鶴吉」「新門辰五郎」


「ふりむくな鶴吉」
作・杉山義法
鶴吉 沖雅也
おきた(あや) 野川由美子
利平 藤村有弘
寅吉 瀬川新蔵
やよい 五大路子
夢斎 中村公三郎 他

言わずと知れたNHKの時代劇の舞台化であり、放映作品の中でも一番の名作とされる『冬の女』が演目となった。
放浪の果てに江戸に戻った鶴吉が、流浪の先で所帯を持った女・あやと江戸で再会。彼女の今の旦那・利平がお尋ね者となっており、鶴吉は苦悩の末に利平を捕らえるのだが・・。
詳細は、出演番組紹介の「ふりむくな鶴吉」参照。

「新門辰五郎」
中村翫右衛門俳優生活七十周年記念
作・真山青果
新門辰五郎 中村翫右衛門
山谷堀の彦造 沖雅也
会津の小鉄 市川祥之助 他

江戸の町火消、新門辰五郎が水戸家の依頼を受けて上洛、京都の市中取締役であった会津藩との衝突と仁義の物語。杵屋の長唄、三味線、お囃子も入って、にぎやかな時代劇の舞台となった。昼の部は「ふりむくな鶴吉」だけだが、夜の部は両演目に出演した沖さん。かなりのハードスケジュールだ。

パンフレットの荻迫太郎氏の解説では、
「沖雅也という役者、いまや押しも押されぬスターだが、いつまでも初々しいところが抜けない。長身、やさしく素直そうな眼、甘くてスマートな印象を与えるが、一方では気鋭で、シンの強いところがうかがえる。若い女の子はもちろん、主婦層に人気があるが、眼の肥えた大人たちに“この男、やるな”と思わせたのが、こんど舞台になる『ふりむくな鶴吉』だった。」
「沖の鶴吉は律義に、克明に、そして他人を傷つけないように終始低姿勢で、事件解明に努力する。人柄がにじみ出ていたが、私にはそこに苦労時代の体験が実ったように思えてならかなった」
と絶賛だ。(パンフレットだから当たり前か)


「花の巴里の橘や」
1978年2月2日〜28日 有楽町・帝国劇場
作・橋田寿賀子
主演・京マチ子
共演・中村勘九郎 井上順 ジュディ・オング 沢田雅美 他


東宝の制作なので、沖さんとしては「お義理」の出演だった。三幕中の一幕、第二場のみに出演する。
上野の芸者・君龍(京マチ子)は将来政界入りを目指す青年・長谷進吾(沖さん)と恋仲だったが、長谷は将来を考えて令嬢と見合いをする。見合いの場に乗り込んでカミソリを出す君龍だが、「君の好きなようにしなさい」と動じない進吾。結局二人は別れてその後の物語は進んでしまう。沖さんの出番はこれっきりだ。その後、君龍は進吾の子供を産むが、生まれた男の子は歌舞伎役者の家に養子に出される。君龍は彼女に首ったけだったフランス人・シャルル(益田喜頓)と結婚し渡仏する。
二十年後、彼女は自分の子供と再会する。その子こそ橘屋となった進之介(中村勘九郎)だった。

橋田寿賀子・石井ふく子コンビの舞台だ。ここで気に入られていれば、沖さんも今は橋田ファミリーとして中華そばでも作っていたかも知れない。
後援会で切符をとってもらったら、何と一番前の席だった。女優さんのお化粧は目立ちすぎるわ、埃は立つわ、首は痛いわ、沖さんの出番はないわで悲しい気分だった。しかも、後で後援会のお姉さんにきいたら、「あら、楽屋に行かなかったの?あの舞台は出番が少ないから、沖さんがファンの方は楽屋でおもてなしすることになっていたのよ」おもてなしだと〜?!
知っていたにせよ、この舞台も母と観劇したので、楽屋へ行くことはなかったであろう。私の母はおしゃべりでお調子者である。沖さんに何を言うかわからない。
しかし母はこの舞台のことを今もよく覚えている。それは京マチ子の目バリとフランス人のハーフ役のジュディ・オングの「パッパアー」という尻上がりの不思議な発音だった。


「沖雅也 特別公演」
1982年6月1日〜26日 大阪・新歌舞伎座
「恋剣法・若さま春秋」
作・山本周五郎(原作は「野分」)
共演・辰巳柳太郎 土田早苗 黒川弥太郎 芦屋雁平


又三郎(沖氏)は町娘のお紋(土屋早苗)と恋仲になるが、側室の子で養子に出されたにもかかわらず出羽新庄藩のお世継ぎ争いにかつぎ出され、無理矢理藩主教育を施される。嫌気がさして下屋敷を脱出・お紋と祝言をあげようとする又三郎だが・・。

コミカルな立ち上がりと殺陣で見せ、最後は人情で涙。早変わりも多く、見せ場が満載の脚本だが、私が観劇した4日の時点で、すでに沖さんの体調は最悪だった。風邪をこじらせて声が出ないのだ。大声を出すシーンでは声が裏返る。
のちにトーク番組で、最後まで出来たことを「自分でも驚いた」と語っているように、躁鬱病の薬による肥満も最高潮に達していた時期だ。開演とほぼ同時に、背中に汗がにじんで来た。
これが本当に沖さんかと目を疑うような出来だった。台詞の間、目の光り、動き、どれをとっても、「ふりむくな鶴吉」の舞台で観客を涙で包んだ沖さんの演技ではない。かろうじて舞台に立っているのがありありと伝わった。
だが、幸いにも観劇に来ていたのは沖さんのファンというよりは、団体で舞台観劇に来た中高年層だったので、その違いに気がつかないようだった。笑うべきシーンでちゃんと笑ってくれているし、みつからないように隠れているシーンでは、ちゃんと「きゃー、そこそこ!」と声を上げている。ファンとしては「助かった」というのが正直な感想だった。
沖さんにとって更に気の毒だったのは、肥満が目立つこの時期に、舞台の中央で着物を脱がねばならないシーンがあったことだ。時代劇俳優としては恰幅が良い方が着物が決まる。だが、スマートで売った沖雅也にとっては辛いことであっただろう。それでもそのハードな舞台で何が一番楽しかったかときかれ、「舞台に立っている時」が一番楽しかったとトーク番組で答えた沖さん。本当だろうか。

パンフレットの挨拶より
初夏の候、皆様方にはますますご清祥の御事と心よりお慶び申し上げます。
さて、私このたび当大阪新歌舞伎座松尾國三社長のお招きにより、この桧舞台を踏ませていただくことになりましたが、これは私にとりまして身に余る光栄と存じ、深く御礼を申し上げます反面、体の震える程の感激と不安を覚えるものでございます。
顧みますれば、私、昭和四十三年、日活映画のニューフェイスとしてデビューして以来、十五年間、主として映画・テレビの仕事に専念して参りましたが、その間、一日として忘れることが出来なかったことは、一日も早く立派な役者となり、大劇場の舞台で思う存分熱演し、お客様と一体となって感動できる舞台をすることが、私の夢でございました。
ここにその夢がようやく叶いましたからは、未だ若年未熟の私ではございますが、千秋楽まで一生懸命舞台をつとめさせて頂きますので、何卒宜しくお願い申し上げます。また本年は私も満三十歳を迎え、そのうえこの六月は誕生月でもありまして、本公演は私の俳優人生におきましても、誠に大きな意義をもつものと信じ、これを機に『沖雅也三十歳の出発』として本日からは尚一層精進に精進を重ね、舞台俳優としても必ずや皆様方のご期待に応えられる俳優に成ることを、固く心に期している次第でございます。何卒皆様方には末永くご支援、お引立て下さいますよう伏して御願い申し上げます。
昭和五十七年六月


誠に堅苦しい挨拶だが、確かにこの舞台の最中に沖さんは三十歳の誕生日を迎え、後援会ではその日に観劇ツアーを組んでいるし、観劇用トレーナー、Tシャツまで用意していた。

パンフレットに言葉を寄せてくれた皆さまの言葉。
市川昆監督
私は山本周五郎さんの小説のひそかな愛読者であるし、沖雅也君の代ファンでもある。普遍的な人間像を巧緻に造形しつづけた山本文学と、さわやかな透明感溢れた芸風を持つ沖ちゃんとの組み合わせは、誰が考えたか知らないが、なかなか興味深い試みだ。
沖ちゃんとは、まだニ、三度しか一緒に仕事をしていないが、随分と長いあいだ付き合っているような気がする。彼の親しみのある人柄のせいもあるが、やはり俳優としての存在感が立派にあるからだと思う。
撮影をしている時、沖ちゃんは役のことで、自分のわからないことはどんどん聞いてくる。気どりというものが全然ない。これは、仕事が好きで好きでたまらないという彼の姿勢を、如実に示している。
初舞台だそうである。映画やテレビとは演技の表現に多少の違いもあるだろうが、本質的なものは同じだ。自分の個性を十分に発揮して、更に成長してほしい。

平幹二朗氏
前略 雅也様
あの輝く夏を迎える前に必ず通り抜けねばならない雨の季節がやって来ましたが、元気ですか?樹々の緑がより美しくなるに必要な時期と考えれば、この雨期もまた、楽しいものですね。
この度は本当におめでとう!
六月、新歌舞伎座での初座長公演、時には梅雨時のように苦しいこともあるかもしれませんが、それも皆、舞台役者として花咲く時の為のもの、がんばって下さい。
僕の持論ですが、役者は、特に華のある役者は姿形の美しさよりも、心が美しくなければ、生身で接するお客様を本当に酔わせることは出来ないと思うのです。
沖君はその恵まれた姿の美しさにも勝る、やさしい心の持ち主だと、いくつかの共演作品でのつき合い仲で感じました。華の役者としての条件は揃っているのです。そして機は今!これから長い道なのです。臆することなく、焦ることなく、さあ、歩き出して下さい。そして大阪の梅雨空を、日本一の男前で、芝居という夢で晴れ上がらせてくれ給え。
大向うから叫びます。
“待ってました! 沖雅也!”

盆栽の師・加藤三郎氏 沖雅也君と盆栽を通じて知り合ってから、もう十年以上にもなる。若い彼が、なぜ盆栽に心ひかれたのか。ちょっと不思議なようにも思われるが、彼の人柄がわかるにつれて、もの言わぬ植物に心通わせ、慈しみ育てていこうという彼の心情を知ることが出来た。
黙して語らぬ盆栽が人々を感動させるのは、鉢の中で数十年、数百年もの生命を保ち、なおかつ自然美の極致をもって人々に迫ってくるからである。そして、四季折々に見せてくれる美しさは、素直な植物のいのちの躍動である。
彼は、厳しい自然の風雪に耐えてきた樹が好みである。彼が盆栽に心ひかれたのは、外見の姿ではなく、植物との精神的な触れ合い、心の触れ合いにあったと思う。ひたすら年輪を重ねつつ、自然美の極致に迫る盆栽芸術の妙技を、自分自身のものとしたい、と話す彼を、私は好きだ。
新歌舞伎座は初舞台と聞いている。個性に磨きをかけられるだけでなく、その個性をより鋭く豊かなものへと成長させ、芸風を一段と高めてくれることを楽しみにしている。

日本テレビ・岡田晋吉プロデューサー
沖君は、とにかく“頑張り屋”である。はじめて彼と仕事をした時、彼は左肩を骨折し、殆んど片手しか動かない状態だったが、二十六本のシリーズの主役を演じ通した。その“頑張り”には、全く頭がさがった。その後も、彼のこの姿勢はかわらない。あれから十年、何回も、彼と一緒の仕事をしたが、そのつど、彼の“頑張り”に助けられ、番組をヒットさせることが出来た。
今回、沖君が座長になっての舞台公演が実現したのも、彼の“頑張り”が認められたからだと思うと、今回の舞台は、何としても成功してもらいたい。昨年、病に倒れ、「太陽にほえろ!」の戦列を離れなければならなくなってしまった時のことを思うと、今回の舞台は、何としても成功してもらいたい。今まで、沖君が、探求して来た芝居道の花を咲かせる絶好の機会でもあると思う。
そして、一皮も、二皮もむけた沖君と、再び、素晴らしい作品で、一緒に仕事をしたいものと思う。頑張って下さい。

朝日放送・山内久司制作局次長
俳優が大きくなる為には、演技力を超えた「何か」が必要であるようです。世阿弥は、それを「花」と呼びました。歌舞伎の世界では「色気」と言います。現代風に表現すれば「存在感」という言葉が、それに近いでしょう。
沖雅也は、その「何か」がある俳優です。彼とのつきあいは、テレビドラマ「必殺仕置人」にはじまります。10年前のことです。藤田まこと、山崎努などの腕達者にまじって見事に「棺桶の錠」という役を演じていました。正直言って演技的にはまだまだでしたが、それをカバーする、「何か」があったのです。
「これは大きくなる役者だ」と直感しました。それ以後の彼のテレビでの活躍はご存知の通りです。
このたび、新歌舞伎座という大きな劇場で、主役をつとめるという事を聞きました。
頑張ってほしいと思います。
沖雅也という役者の「花」が、新歌舞伎座の舞台いっぱいに咲くことを期待しています。

大阪日日新聞文化部・岡崎文氏の解説
六月、興行界の玄人筋の目は大方、沖雅也の集まっている。成功すれば大劇場公演のあり方が従来と変わってくる可能性が多い。テレビでダントツの人気者か、歌手。ここ数年の興行界の新しい座長はそうと決まっていた。つまり既成の人気を頼って、新しい星を生み出し育てようとはしない。ある意味ではここ大阪新歌舞伎座の興行形態もそれに近かった。沖雅也はもちろん無名の新人ではない。テレビの人気者だが、安全経営主義で高い成果を上げている興行界切ってのつわもの、大阪新歌舞伎座が、こんな冒険を試みるとだれが思っただろうか。これは沖雅也の人気、実力を低くみての見解ではない。懸念される第一の理由は舞台経験がなく、最近のテレビ、映画でも一時代のブームを招へいとまではいかなかった、そして、それにしては品よく、大衆にアピールする強烈な個性がまだ出来上がっていないことなどだった。
これがかなりの認識不足だったことは、はじめて来阪した記者会見の席上で明らかになった。優さ男めいた色の白さは別として、かなり強い眼光の顔構えをしている。態度が堂々としていて千両役者の風情がある。笑顔にも得もいえぬ愛嬌すらあった。前売り状況をきくまでもなく“当り”の手ごたえは沖雅也その人からあった。
大分の出身。迫力がはずはず、九州男児だった。そのふるさとに彼の「隠れ里」がある。くわしくは大分県大分郡湯布院町。由布丘と四方の山々のふところで、湯布院温泉は湯けむりに包まれて、沖雅也の少年期のドラマを秘めていまもひっそりと静まっている。過去の生い立ちに関して無口な彼だが、小学生のころ父と訪ねた湯布院温泉の想い出はなつかしそうだ。それが中学、高校時代までつづいたが青年になって上京したあと、萬葉以来歌にも読まれ、平家落人や隠れキリシタンの遺跡まであるこの湯の町が亡父の青春をきざんんだところだと知った。父宗生氏が大分市で亡くなったのは五十年。帰郷した雅也は父の死を知らずその時湯布院温泉に滞在していたという。父と母がめぐり合い、父と子の時間の長かったこの土地は雅也にとっては“隠れ里”と呼ぶのが一番ふさわしいし、そういうことを胸に秘めている彼は純でロマンチックな青年にちがいない。
二年前から歌舞伎座出演の交渉を受けていた。思い切って腰を上げたのは、“ある反省が胸にうずき、その突破口となる確信のようなものが持てたこと、また五、六年前に中座に出演したときの体験で、客席とステージのナマの交流の魅力を知ったことなど理由はいろいろある。テレビで売れっ子の彼は本番、リハーサルを加えると一週間八本ものテレビドラマをこなさなければならぬハードスケジュールとなる。疲労からダウンした時に考えた。これが続けば、一作、一役ごとに全力投球が出来なくなり、どれかを手抜きするという恐ろしい事態にならないだろうかと。そんな時、新歌舞伎座出演の話が舞い込んできた。舞台出演によってテレビの回数をへらすことが出来たら、そして舞台でまた新しい沖雅也の面を引き出してもらえることが出来たら − 公演はこうして実現をみた。山本周五郎の「野分」が下敷きになっているが、これからも沖雅也の若さまものを売りものにしていく。「三年は見守っていただきたい」と彼もこのシリーズに賭けている。
男、三十歳。再スタートにはいい年だ。これまで最も影響を受けた男は父の他、先輩の山崎努と三国連太郎。二人とも強い個性を持つ特異な俳優である点が共通している。とくに山崎とは必殺シリーズで長く共同生活をして人生観を大いに学んだという。ジムでボクシングもやった彼は、キラキラする汗がにおうような男の世界にあこがれる。決してみかけのような優弱なやさ男ではなかった。五月はベストの75キロを目指して体調もととのえた。注目しているのは玄人筋ばかりではなく、ファンたちも胸をはずませている。

舞台出演によってテレビ出演の数を減らすことができれば・・・。
だが、この時の沖さんは明らかに病気だったのだ。何ヶ月か旅行をして休養した後ではあったが、もっと長期休養して病気を良くする必要があったのではないだろうか。主治医は何と言っていたのか。事務所側は何故ここまでして沖さんを働かせたのだろうか。何も出来なかった私が批判することではないかも知れない。だが、ファンとしては、どうしてもこのことははっきりさせたいと思う時がある。

「花のステージ・沖雅也と共に」
第一景「口上」
第二景「舞・松竹梅」
第三景「雅也初夏に唄う」『男なら』『裏通りのランプ』
第四景「藤の精」舞踊−藤娘音頭 夏川かほる
第五景「沖雅也と共に」『さすらい』『ジャックナイフ』『みちのくひとり旅』
第六景「雁平コーナー」
第七景「夏まつり」『木遣りくずし』『深川マンボ』
「太鼓披露」
第八景「フィナーレ」『浪花小唄』

舞台より歌はもっと悲惨だった。「男なら」は高倉健氏が渋く歌った印象があるが、沖さんはヤケクソ気味に足を交互に踏み鳴らし、ハイスピードでどなるように唄った。もうどうにでもなれ、という表情に私には見えたが、登場した時は観客から「男前ね〜」とどよめきすら起った。だが、時間がたつにつれて、さすがにその気にしない人々も、声が出ない沖さんに気がつきはじめた。声が裏返る度に失笑すら湧いた。万事休すだが、沖さんの顔には何の変化も見られない。ロボットのように歌い続ける。観ている私の方が具合が悪くなって来た。
これは沖さんにとってもファンにとっても拷問だった。第五景では浴衣を纏って舞台後方から歌いながら登場した沖さんが、客と握手しながら前に進んで来る。
「どちらからいらしたんですか?」「本日はわざわざありがとうございます」
笑顔で沖さんが近づいて来る。しまった。何故後援会が私に通路の席をとってくれたのかやっとわかった。ファンとしては花束を用意するべきだったのだ。ちゃんと花を渡している人もいるのを見て、私は自分が情けなくなった。
沖さんの姿が近づいて来ると共に、ものすごい香水の香りも漂ってきた。それは沖さんが大変な汗をかいていたから、体に染み込んだ香水が発散しているものと思われた。花とみつばちの関係が逆転して、みつばちが香りを放ちながら無香の花に近寄って来る。いよいよ私のそばへ来た。皆が手を出している。私の胸にある言葉が浮かんだ。
「最後のチャンス。」
この時点で十一年応援して来た沖さんに、私は指一本触れたことがなかった。今、勇気を出して手を出さなければ、もう一生その機会は訪れないかもしれない。何故そう思ったのかはわからないが、明らかに私の中では切羽詰まった気持ちが盛り上がり、沖さんが30cmの位置まで迫った時、咄嗟に手を出した。
だが、それは沖さんがちょうど反対側の席に振り向いた瞬間だった。再びこちら側を振り返った時、沖さんの姿は私の前方2メートルほどに進んでいた。そして、生涯それより近くに来ることはなかった。それが、この世で自分より大切だと思った人間と私の運命だったのだ。

翌年8月、沖さんは同じ新歌舞伎座で2度目の舞台が予定されていたが、その日を迎えることはとうとうなかった。


「今いくよ・くるよ十周年記念公演」ゲスト出演
1983年3月31日 大阪難波・花月劇場
「開演ベルは鈴なりに」

「ファイティングショー」


82年の舞台の宣伝のために出演した「2時のワイドショー」では、躁気味と言えるほど明るい沖さんと、今いくよ・くるよの二人は絶妙の会話で楽しい番組を演出した。その縁と、京都での「大奥」の撮影で関西に滞在していたことから、この吉本の共演が実現したようだ。沖氏は舞台で見栄を切り、歌を唄い、と大サービスだったそうだが、写真に残る沖さんの笑顔は、どこか淋しそうだ。考えすぎだろうか。
おまけ
「沖雅也 特別公演・一心太助」
1983年8月1日〜23日 大阪・新歌舞伎座
共演・辰巳柳太郎 東千代之介 沢田雅美 芦屋雁平 他
※ 小林旭氏が代演