必殺仕置屋稼業



放送:1975年7月4日〜1976年1月9日
出演:藤田まこと 中村玉緒 新克利 渡辺篤史 他
沖さんの役名:市松



「ふりむくな鶴吉」の撮影がいよいよ大詰めに入った7月、「必殺仕置屋稼業」がスタートした。
必殺シリーズはキー局の変更でチャンネルが変わることになった。関東地方では、6チャンネルから10チャンネルへ移動した。
元々必殺を放映していた局は、その同じ時間帯に似たような時代劇を持って来て視聴者を同じチャンネルに留まらせる作戦に出たが、「必殺」も負けてはいなかった。
人気のあった藤田まこと氏の中村主水を復活させ、仕置人で棺桶の錠が好評だった沖さんも再登場させて「必殺」の人気をつなごうとした。

ただし、沖さんの役は錠ではなく、全く新しいキャラクターが誕生した。いつもクールで、無表情の殺し屋・市松だ。
クールさを前面に出したこの役が「太陽にほえろ!」のスコッチ刑事のキャラクター作りにに影響を与えた可能性がある。

オープニングのおなじみもしものコーナー(おなじみじゃないってば)、「もしも市松が現代に生きていたら」とでも言うように、街角でアクセサリーを売る沖さんが登場する。それは何を考えているかわからない現代の若者を象徴しているのだそうだが、良くも悪くもこの役柄が沖さんの役者の方向性にとって分岐点となったかも知れない。
それまで明るい青年や真面目な人柄の役柄が多かった沖さんは、天からの授かりものである美貌と、今まで演じた役柄ではむしろ隠すようにしていた遠い眼をフル活用するかのように、この市松を演じている。

そしてこの市松以降、クールな横顔を持つ孤独な男という役柄が「明るい青年」に替わって沖さんの演じる人物として台頭することになる。その筆頭が、代表作と言われる「太陽にほえろ!」のスコッチ刑事ではないだろうか。

必殺シリーズの中でも「殺しの美学」については必殺ファンに定評のある市松の表向きの職業は竹細工師で、竹やぶの中の一軒家の中で正座して、シュッシュッと竹を砥いでいる姿だけでも美しい。普段は猫背気味の沖氏さんなのに、すっきりと伸びた姿勢もまた、着流しの着物を引き立たせる。
第一回では中村主水との対決シーンで必殺ファンを喜ばせたし、仕置をした時に竹串に指した折鶴がすっと血に染まる仕掛けなど、随所に「美学」への工夫が見られる。おでんの串で仕置した時ですら、絵になっていた。

仲間は中村主水(藤田まこと)の他、
インチキ坊主の印玄(新克利)
風呂屋の釜番の捨吉(渡辺篤史)
髪結いのおこう(中村玉緒)

あくまで仕事として割り切って仕置をする市松は、人道的仕置を主張する仲間と意見が対立することも多かった。
やはり仕置屋であった父・市造(あまりに瓜ふたつな親子だ。二役だってば)への想いや、親を亡くした子供へ注ぐ愛情など、暖かい一面も魅せるが、幼なじみの女(中川梨絵)と情交を結びながら、彼女に自分と同じ殺人鬼の血を見た瞬間、無表情にその女を仕置してしまう無情さは、市松の孤独を際立たせている。

本放送当時は、それまで熱血漢の沖さんの役柄ばかり見てきたので、個人的には多少不満が残った。「男の色気」などというものに疎かった私には、同じ必殺でも棺桶の錠の方が魅力ある人物に思えたのだ。

三年後、沖さんは「必殺からくり人・富嶽百景殺し旅」で三たび必殺に登場するが、その唐十郎と合わせても、私のイチ押しは錠である。
(これ以上書くと反論が恐ろしいのでやめる。あ、嘘です。反論、お待ちしています)

そして、このシリーズで一番気のツボは、中村主水の密かな憧れの少女、おはっちゃん(石原初音)の声だ。
前にも書いたように、私の同級生も彼女と一緒にオーディションを受けた。本当は同級生の方が選ばれたのだが、かつらをかぶった時に彼女の方が似合ったことからそちらに決定したらしいが、声で選べば絶対に私の同級生が選ばれたと思う。(彼女も髪結い屋ののぞみちゃんとして準レギュラー出演)
何とも甘ったるくて歯切れの悪い声が、何度も聞いているうちに何故か癖になる。
主水がよく行く飯屋で甲斐甲斐しく働く姿はカワイイのだが、「おじさ〜ん」と粘り気のある声を発した瞬間、いつも私は「わーっはっは・・・」と大笑いしてしまうのだった。

だが、不思議なもので、この「おじさ〜ん」の声は耳に残る。耳に残るということは、これもひとつの個性と呼べるのかも知れない。

私の同級生はその後、芸能界に残ることなく一流大学に進学した。成績優秀で、やんごとなき方にもお会いする機会があったと伝え聞く。
その頃、どこを向いても行き止まりのような状態にあった私から見れば、その同級生は羨望の的だった。
彼女がもしも当時これをきっかけに芸能界入りを目指していて、
「昨日、沖さんに会っちゃった〜」と自慢するような子だったら、私は後ろから竹串で突き刺していたかも知れない。だが、彼女は一度もそんな話をしなかった。今になれば、意地を張らないで聞いておけば良かったと悔やむ今日この頃なのだ。


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