沖さんと王子中学の同級生だった方が、貴重な思い出話をファンのために公開することを、快諾して下さいました。


私は大分県在住の楠城児君の王子中学時代の同級生のものです。
「沖雅也を永遠に」を公開して頂き、同級生として大変嬉しく思います。

 彼とは、クラス(学年14クラスで彼は3年6組で私は○組でした)は違いましたが、クラブ活動関係で親しくなり、通学路も同じで、よく一緒に学校に通っていました。
一緒に遊んだりはしなかったのですが、時々学校で色々な話をしたような記憶がかすかにあります。
また、私が大学時代(1974〜1975?)にデパートで「必殺」の歌のキャンペーンに歌手と一緒に来ていて、再会しサインをもらいました。
その時、彼は右手でサインしながら、左手を出し、下を向いてサインをしていました。
私は、左手で握手?と思い「久しぶり楠!」と声をかけました。
すると、びっくりして「おお!OO(Oさんの苗字)久しぶり!」と立って挨拶してくれました。
歌手の歌とトークショーが終わり、再び私に「また会おうな!」と言って別れたのが彼との最後となりました(その後の活躍はテレビで見ていました)。
50歳半ばとなり、彼が生きていたら大分に時々は帰ってきてくれたと思います。寂しいですね。

 中学3年生のある朝,中学に行く途中,彼の家の近く(現:大分市王子中町ふたば公園近く;注,彼は南王子町,現;王子中町のアパートに住んでいた。そういえば、遊びに行った記憶がある?)を通りかかると彼が私に声をかけてきました。
そして、一緒に王子中学に行きました。
中学に着くと校門の上の校舎の窓にたくさんの女子(下級生と思う)が顔を出してこちらを見て、手を振っていました。
その時,私は「俺も○○○部だからもてるようになったのかな?」と思い、ふと背の高い隣の彼を見て、「違うよ!目的は楠か!」と思いがっかりしました。

複雑な家庭事情で家出して、相当の苦難を乗り越えたものと思います。
それに比べ、のんびりと高校生活を満喫し、大学も順調に行かせてもらった私は本当に幸せ者でした。

これからも、「沖雅也を永遠に」を更新して頂き、ファンを増やして下さい。
私も大分から応援致します。
中学の同窓会があったら宣伝します。

※ 十五歳で家出した沖さんは、ともすれば故郷に忘れられているように受け取られがちですが、こうして今も沖さんのことを思っていらっしゃる同級生の方からメールをいただくと、胸が熱くなります。

現在は地元・大分で活躍されているOさん。素敵なエピソードをありがとうございます!



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