第10回「沖雅也研究会」兼「『沖雅也よ 永遠に』第17回オフ会」

2018年5月19日(土)、今回も映画監督であり脚本家の柏原寛司氏のご協力により、
人形町「Base KOM」にて「第10回沖雅也研究会」が開催されました。
今回もミルキーさんにポスターを作っていただきました〜♪
「大追跡」最終回の矢吹刑事です。






ゲストはなんと!映画監督の村川透氏をお迎えして、柏原監督との夢の対談です。
村川監督は「沖くんが大好きだった。沖くんのためなら」と、
今年拠点を移された山形からお越しいただきました。この時点ですでに感涙です。


柏原脚本・村川監督といえば沖さんファンには「大追跡」ですが、
村川監督は日活で助監督時代に、デビュー前の沖さんと出会っていらっしゃいましたので、
この日はそのお話もたっぷりとしていただきました。
では、その夢のような一日を、参加出来なかった皆様のためにも
ご報告させていただきます。


今回の参加者は24名。キャンセルがありましたが当日でしたので、
キャンセル待ちの方にご連絡が出来ませんでした。御了承下さい。


午後1時30分から研究開始。
まずは沖さんが在籍されていた頃の日活の雰囲気を感じていただくために
1969年と1970年の日活の新春宣伝映像を参加者の皆様に観ていただきました。
すでに石原裕次郎さんが独立された後なので、この頃の日活のスターといえば
渡哲也さん、高橋英樹さん、小林旭さん。
女優さんは松原智恵子さん、和泉雅子さん、梶芽衣子さんなどのお顔が見えます。
沖さんはこの前年に丘みつ子さん主演の「ある少女の告白・純潔」でデビューされています。
1969年の映像では最後のほんの少し画面の端に映っていただけの沖さんですが、
1970年には岡崎二朗さん等と一緒にお顔のアップもありました。
続いて1979年「ミセス・ミセス」に沖さんがご出演された時、
デビュー作「純潔」を観て盛んに照れていらっしゃる音声に映像をかぶせたものを観ていただきました。
16歳、初々しい学生服の沖さんの映像に
「しゃべらないでくれ、頼む!」「うわ〜!」「しっかりしろよ」「ヤメテ」
と、困り果てる沖さんの声がかぶります。

その後はモチロン「大追跡」。
村川監督がカメオ出演されている最終回をチョイスさせていただきました。
ほとんどの方が何度も観ている「大追跡」ですが、この日は柏原監督秘蔵の16mmフィルム。
それを創った脚本家の方と監督とご一緒に…という夢のようなひとときです。
この日の参加者は、貴重な時間を堪能されました。

実はこの日、管理人と、村川監督に橋渡しをして下さったミカン・シボッターさんご夫妻は、
一時間以上前から村川監督をそわそわしてお待ちしていました。

前週の日曜日(2018年5月13日)放送の「鉄道捜査官」のHPを読んだ管理人は、
決して村川監督より遅れてはならないと心していました。

(以下「鉄道捜査官18」HPより)
「村川監督は、フツーの常識では語りつくせない、野性的な監督です。
神がかっていて、村川監督が『雨が降るぞ』と言ったら、ホントに降ります(笑)。
『蘇える金狼』『野獣死すべし』などハードボイルドの名作を数々手がけた巨匠だけに、
監督のお名前を聞いただけで、男性の俳優さんは喜んでオファーを受けてくださいます。
監督は御年81歳でスタッフの中でもダントツに年齢が上なのですが、
歩くのもいちばん早いですし、いちばん颯爽としています。
現場には"村川タイム”というものが浸透していて、
たとえば"朝7時半にロケバス出発”となっていたら7時には集合していないと置いていかれます(笑)。」

がーん!これは急がねばと朝から走った管理人ですが、
この日は待てど暮らせど村川監督のお姿は見えません。

当日お手伝いをお願いしていた方々に続き、参加者のお顔がちらほらと見えても到着されないので、
もしかしてロケハンでもされているのかと思っていたら、やはりそうでした。
ジャストタイムにいらした村川監督は、すでに人形町から水天宮付近を歩いて
撮影に使えそうな場所を見ていらしたそうです。パワフル〜。

まさか一緒に観てくださるとは思わず、こんなことなら日活の映像も、
もっとちゃんと編集しておくべきだったと緊張する管理人をよそに、
颯爽と登場された村川監督は、皆さんと一緒に席につかれました。
贅沢なひとときに参加者の間に緊張が走ります。

そして、村川監督と柏原監督のトーク。
正に一言一句聞き逃したくないという参加者の空気が感じられます。






(以下、村川透監督=赤、柏原寛司監督=青、管理人=黒 で表示。敬称略)

こういう映像は絶対あらためて観た方がいいですね。
今、ふっと思い出したけど、二人とも故人でしょ。
二人ともっていうのは(松田)優作なんです。優作も故人でしょ。今観た時に共通点をひとつ。
やっぱり孤独感というのはね、亡くなったからなのか、観てても深い孤独感が二人にあるね。
若くして夭折するっていうのは、何かが共通しているような気がしてしょうがない。
優作だって40でしょ。沖さんはいくつだっけ。
31歳です。
そう、そんなに若いでしょ。
やっぱり同じような影、感じますね。
観てても、まさか死ぬとは思えないですよ。
でも、あれだけの人が忽然と、何か自分の道を導かれるようにあちらに行くっていう、
何か孤独感というか自分だけが感じるような、それを持って生きているなって。
後から感じるのかそれは分からないですが、くしくもこうして何十年も経って観ていて、
幸せ感と同時に、ああ、なるほどなっていうか、卑近な例で言えば『天才は夭折する』ってよく言うけどね。
(石原)裕ちゃんにしてもそうだけど、若くして亡くなる方の孤独感っていうんだろうか、言葉では言い表せないような…
今観ていてつくづく思いましたね。
それが今回こちらに招いていただいて皆さんにお目にかかったというのも、何か必然というのか…感じました。
皆さんそれぞれ感じるとは思いますが、私が今それを感じたと伝えなくてはと思って。
最後に優作が出て来るとなお、全部イコールだなと思いますね。
招いてくれたっていう必然性に対して仲介をして下さった皆さんに感激の言葉を。(「わ〜〜」という参加者の感激の声が響く)
もしかして知らない方も多いとは思うんですが、沖くんが最初に芸能界に来たのは日活なんですよ。
最初から話すと、日活というのは戦前の娯楽のための財閥だったんです。
それを戦後GHQによって財閥解体があり、日活と大映に分かれたんです。
松竹だとか東宝だとかあった中で大映は制作、日活は配給ということになり、
日活は堀久作っていう兜町の風雲児(※1)みたいに言われた男が戦後の経済人と組んで作って。
当時は映画ぐらいしか国民の娯楽がなかったので、はちきれるぐらいに入ったんです。
日活も配給だけでなく作らせてくれといって制作に手を出し、調布の布田っていうところに撮影所を作ったわけです。
それが昭和29年頃なんですよ。その時に私が入るわけです。
今日観た(1969-1970年の)映像の頃、私はもうチーフでしたね。
(映像の)看板に出ていた「嵐の勇者たち」とか3つ出ていた作品の2つに
私はチーフとして参加していました。
(映像の中で)裕次郎がいて、こっちに小百合がいて、
真ん中にいた眼鏡かけていたのが舛田利雄さんで、私の師匠です。あの人に鍛えられて。
沖さんの「純潔」を撮った森永健次郎さんの助監督もしていて、私は本当に可愛がられた覚えがあります。
その後舛田さんにつくんですけど、優しい方でした。
今観た沖くんの初々しい姿、その時、私は舛田さんにすでについていましたけど、
森永さんの映画だったので当時すでに観ていました。
私が入った頃は日活が新生日活の時。
スタッフもそうでしたが、学閥も何もなく全日本から誰でも試験さえ受ければということで千人近く受けに来て。
布田の駅から日活まで繋がるぐらいの列が出来て、撮影所いっぱいになって(試験を)受けたという時代なんです。
そういう時代だから、あまり俳優さんもスターがいなくて、五社協定っていうのがありまして。(※2)
裕ちゃんも入っていましたが、まだまだ俳優さんが足りなかった時代です。
だから、主役と準主役を決めて、あとは渡哲ちゃんの妹役とかいいますと、
助監督が劇団に行って劇団の卵みたいな人たちがカエル跳びなんか一生懸命している中から探して。
劇団に入るっているのもすごく難関だったんですよ。
今活躍している人もほとんど劇団に所属していて、そこを受けるのも大変な時代だったんです。
しかし、オスカーっていう会社があるでしょ。今、古賀さんっていう人(※3)が社長で。
世の中の綺麗な人……山本富士子さんとかミス日本になった人ですよね。
ああいう美男美女が映画界に行っていますので、
彼はモデルをいっぱい集めて、新生日活にモデルを持って新人を売りに来たんです。
その時に僕らが劇団に行っていて、例えば哲ちゃんの「人斬り」っていう映画なんですが、
それの妹役がいないということになると、私が劇団に行って30人ぐらい呼んでオーディションをやるわけです。
芝居をやらせて見て来るんですよ。それでA点、B点ってつけて帰って来るんですけども、
その頃に古賀社長がスーツケースを持って来て「是非見て欲しい人がいる」と言って。
モデルですよね。それをずっと見て。
劇団からも集めた中で、丘みっちゃん(丘みつ子)が十朱幸代さんに似ていると思いません?そっくりだったんですよ。
抜群に似ているし雰囲気が良かったんで、「人斬り」の哲ちゃんの妹役に丘みっちゃんを決めた経緯があったりしたんです。
それで、その頃に古賀さんがもう一人いい子がいるって言って沖くんを紹介してくれたんですよ。
当時沖くんのマネージャーだった日景さんが古賀さんと一緒に写真を持って来たんです。
一度現場で見せてもらいたいということで、「人斬り」の場面で子分役で
哲ちゃんにやられてドーンと押されるシーンを、身体能力がすごいですよって言うんで、やってもらったんです。
テストだから普通でいいんだからねって言ってやってもらったんですが、
ちょっとやったらドーンって木の壁を突き抜けて(笑)。
そんなにやらなくていんだよって言っても、そのぐらいに物事に関して真摯っていう概念を超えるほどで。
それがいいことか悪いことかっていうのは、後を見れば分かるんですけど、皆そういう経験をしているんです。
我々が想像出来ないような瞬発力、何か超えているというかね。
そういうことを自分でやるタイプの人なんだよ。
沖くん、そんなにやらなくていいからとにかく本番行こうって全部片付けて綺麗にして(笑)やったんですよ。
そうしたら、また同じに……そこは〜っ!って(笑)。
結局そこは使えないけど。壁に行く前までは使ったけどね。
その後もチラチラと見ていたから、私の師匠の森永さんが撮った「純潔」なんかは当時観ているんです。
だから、その後は(日活では)沖くんとは一緒には仕事をしないんですが、そのことは強烈に覚えています。
でも、「嵐の勇者たち」というのはオールスター作品なので、それにチョイ役で出ているかも知れないですね。
名前のクレジットがなくても、どこかに出ている可能性があるということですか?
そう、そうなんですよ。
日活映画のあのあたりの年を全部探さなくちゃいけませんね(笑)。
探さなくたっていいですけどね(笑)。
舛田利雄さんが裕ちゃんをずっと育てましたから、付き合いで出ろって言ったこともあったかも知れません。
オスカーの古賀がペーペーの頃にセールスに来ていたんですが、まずは助監督に来るわけですよ。
必ず俺のところに来て、今度こういう人が入りましたって。
沖さん、オスカーだったんだ。
オスカーなんですよ。最初はあの人(古賀氏)から始まったんだ。
黒いカバンにモデルの写真を持って来て、必ず日活の助監督のところに来て、
村川さん、一緒にって言ってね。いつもキャスティングしていたんですよ。
だから、彼とは長いんです。
だから彼の子供が女優さんになったんだけど、村川さん頼むって言われて、
テレビの二時間ものを2、3本一緒にやったんですよ。
今、聞いたらものすごいデカイ会社になっているらしくて。
オスカー、すごいですよ(笑)。
俺、全然知らなくて(笑)。
今こうやってみると、すべて必然みたいな気がして。
(作品を)観ると、あらためてというか、やっぱり違うなって気がして。そういうことなんだなって。
観ていると、やっぱり沖さんと優作って何となく重みが違いますよ。
今日観てて、役者さんはそれぞれに良いけれど、やっぱり沖くんはね。
三十一歳ってとりわけ若いじゃない。
ただ「大追跡」っていうのは、比較的沖さんの中では明るいキャラクターですね。
他の役はどちらかというと孤高の男みたいな役が多くて、影の部分を前面に出した役が多かったんですが、
「大追跡」はわりと皆さんのおかげなのか、明るい役で。
そりゃあそうでしょうね。(柏原監督を指して)俺らがそうだから(笑)。
でも、その後俺は京都撮影所でもやっていた時に会うたびに色々な話をしていたんだけど、
残念ながら俺の作品に主役でっていうのはなかったんですよ。
でも強烈なのは最初に出て来た時。
古賀が連れて来て、じゃあアクションやらせてみようって舛田さんの組でやったエピソードは、
とてつもないことだったので。丸ごと穴開けるんだもの。バックが壊れたら映せないじゃない(笑)。
そういうことはお構いなしで、自分の世界なんですね。
ということは、日活のスターの募集で来たのではなくて、オスカーさんの売り込みで。
間違いなくそうだったと思いますよ。
試験受けてどうだっていうことではなく。当時日活では必ず試験があったんですが。
例えば高橋英樹が来た時は俺は助監督で、ニューフェイスの試験で来て。
書類試験から始まって、審査が何回かあって、面接で。
5回目ぐらいで監督や関係者たちが集まるんだけど、
その監督に対する資料なんかを俺らが助監督だから集めた時に高橋英樹もいて藤竜也もいて。
(沖さんは)そういう系譜でニューフェイスで入って来たのではなく、古賀の方からだと思いますよ。
オスカーの方からいい役者がいますからっていうことで。
いきなり主役デビューですよね。
そうです。その時からやっぱりスター性があったのに、さっきのアクションのエピソードなんかは素っ頓狂で(笑)。
俳優さんとしては、まさかそんなことをしないだろうということをやったというので(笑)、
そういう群を抜いて印象が残って。まことに素晴らしかったですね。
で、雰囲気あの通りでしょ。二枚目だしさ、柔らかくて色白で、どこかノーブルで。
ただ、まだ少年ですよね。16歳ですから。18歳とごまかして入ったんですが、実は16歳だったということで。
だから、わからなくて跳んじゃったんじゃないでしょうか。
そうそう、でしょうね(笑)。
だけど、こうやってここからすっ飛んで行くんだよって言ったら、それを自分の思うままに……。
他のことを鑑みるよりも自分の思いの中でそれをやりたい、
やらなきゃっていうのが非常に強いんじゃないですかね。
その分、印象に残るっていうことですか。
印象に残るか残らないかじゃなくて、やっぱり自分のやりたいことを
どんなことがあってもやるみたいなところがあるんじゃないですかね。
皆、初心はそうじゃないですか。怖いもの知らずっていう感じですよね。
怖いものっていうのは何かというと、私は俳優になりたいと思うこと、そういうことが怖いことだよね。
だけど、その怖いものを思っていても感じていないっていうか、その辺の矛盾したすごいものがあって、
周りの人がやらないこともやってしまうっていうことで、スタッフもすごいよな、大丈夫かなっていう印象を持ったわけです。
そういうことがあって、かえって面白いなっていうことがあって。
日活の小林旭っていう人は鋼のような精神と肉体を持った人なんですけどね、
すごく合っていたみたいですね。似てはいた、旭にね。
沖くんも小林旭に傾倒しているようで、その後ずっと仲が良かったみたいですね。
だから日活も強靭な旭二世みたいなものを創りたいと思ったんだと思う。
何となく似ているところがありますよね。
似てる、似てる。体躯もね。体でかいし。
精神的にも似てるとか。
それは似てない。まるで違う(笑)。
沖くんの場合は孤独というか影というか。
自分で決して孤独だなんて思ってなくても、やることなすことがそういう風に…。
そういう風に思っているなあなんて俺たちが思っても、それはいささかのものもないんじゃないですかね。
自分の運命に従って、自分で必然を創り、偶然なんてない、俺は俺で必然を創るっていう…。
「大追跡」では楽しくやったけど、今観ると深い感銘を受けたっていうか。ラストの優作とのねえ。
あの後姿、監督ですよね(笑)。
そうだそうだ(笑)。
わざとあれをラストシーンに持って来て。
あれは全部アドリブですか?
そうです。それをラストにしようっていうことで。
ラストに花束を投げたりするのは、勿論色々と用意しなきゃいけないからその場ということはないですが、
シナリオにないものを全部最後だからっていうことでやりました。
あれは全部『カーテンコール』としか書いてないから。
だからカーテンコールで、それぞれを生かすよう現場で演出をしていただいて。
すみません、村川さん(笑)。

劇中出て来る『村川船舶』というのは、わざと書かれたのですか?
いやいやいや、もう。(村川監督を指す)
書いたってその通りやるわけないじゃない(笑)。
役者さんたちが「ここ村川船舶にしようじゃない」って言って、それで皆がワァッと(笑)。
村川さんはああいう遊びが好きだったね。
沖さんはアドリブを入れるような作品がそれまであまりなくて、
わりと決まったことを職人のようにやって行くお仕事が多かったんですが、
「大追跡」はそうじゃないですよね。
もちろん監督も(役者を)泳がせて、脚本もだいぶ変えて、ということが許されていて。
脚本家の方によっては一字一句変えないで下さいっている方がいらっしゃるっていう…。
そうですね。
僕なんかそうです。(笑)
そのあたりは作品作りではやはり…。
とにかくまずは筋ですよね、テーマ。
その後はやっぱり生身の人間をキャスティングしてするわけじゃないですか。
たとえば青の人が主役で、赤の人がもう一人の主役なりゲストだとすると、
青と赤ばっかりじゃあっていうことで、じゃあ別の赤の人を連れて来れば良いっていう、
そういうことじゃないと思うな。
青と赤を合わせれば紫にしかならないじゃない。
三連色にすればまた別な色が出て来る。これはいい事でもある。
でも、それだけで合わせないでやってしまうとその色しかないから、
合わせて芝居をやった方がいいって言って実際やるわけ。
青だけ赤だけって言わないで、その調和の中で何かを足して行く。
筋があってそのバックの、抜けっていうんですけど、絵を作って行く。
出演者ひとつでも絵ひとつでも、演じている人の気持ち、状況、
どういう社会性を持ったものか、絵で一場面を創るわけです。
だから、『一筋二抜け(いちすじにぬけ)三動作』。
動作っていうのは演技なんですけど、この三つを作るわけだから、
ホンにだけ拘泥してせっかくの他のものを逃してはダメ。
だから、あらゆる可能性を合わせて、そこに何月何日何曜日何時、今雨降ってたっていう、
あの時に撮っていた方がバックは廃船のある汚い港にした方が良いとか、
工場跡がいいかとか取捨選択するわけですよ。
だから、あらゆることに決めない面白さっていうのは現場で。
監督やってるから分かるわけだけど、絶対ダメっていうことは言わない。
一字一句変えても絶対ダメだっていうのは、私はあまりよろしくないと思うわけ。
役者といると、やっぱりやった方がいいとか悪いとかいうのは、
シナリオを全部読み込んで何十回も読んで、もう私の一部となった時に、ふっと違和感を覚えるんですよ。
もうちょっと柔らかく行こうよ、もっとぎゃあぎゃあ行こうよっていうことが色々あるわけよ。
だから僕はシナリオは…先生を前にして悪いけど(笑)、
シナリオの読み方によって表現の仕方も全然変わって来るからね。
そのへんだけは気をつけるんだけど、もっと激しく言えよとか…。
泣くのだって偲び泣くのと男泣きに泣くとか、色々あるんだから。
それはテーマの中のシチュエーションによって、どの程度が適当かっていうのは、
全体を見て監督の演出に任せられるべきだと思うのね。
だからその後で多少の…多少でない時もあるけどね(笑)。
勝新(太郎)さんなんかは「お前、リアクション書くな」って言うわけですよ。
泣いてとか笑ってとか、書くなって。 逆に笑わない方が面白くなる時があるし、泣かない方が悲しく感じる時もあるから、と。
書かれると役者はその通りやりますからね。
そうそう、やっちゃうんだ。これが怖いよね。
それはカメラが回り始めてから急に動かれちゃうということも?
いやいや、それはないです。
監督が最初に決めて、その中で動くということですね。
そうです。
バックの渺茫たる海原が白波を立てる風の中でしゃべることと、
穏やかな、でも悲しい日本海の海岸を歩きながら、どういう話をするかによって声の質、
立ち止まる、立ち止まらない、海原を見る、見ない、波打ち際を見ながら等と話をする。
もちろん我々も分かっているけれど、それを醸し出さなくてはいけないのが俳優さんたち。
それも俳優さんによって違うわけ。
違うなって思われると嫌だから、もっと素晴らしいものをって頭の中で考える。
どこまで行くかなって思いながら、うまく行かなかったらもう一回。
このシーンは立ち止まらない方がいいんじゃない、とか、色々あるわけよ。
立ち止まったらこっちのカメラもどう動いて行くかと。
座っても二人の顔と心の交情とどっちがいいかっていうのは、やってみないと分からないので、
立ち止まるかそのまま行きたいか、まずはやって御覧なさいって言って、カメラの方は追って行く。
それでピタリと合うと、次本番行こうって言うんだけどね。
そういう風に台詞だってその時の状況によって多少は変わっても、
その良さとかハマリっていうのは、その時になってみないと分からない。
台詞だけじゃわからないですよね。
ただし、やる方は台詞のテーマだとか情感だとかは、
自分の勉強して来た中で精一杯のものを出してもらわないと困るんだな、私は。
だから演技っていうのは、ものすごく難しいわけ。
ちょっと出ちゃうといけないのね、本当は。
「大追跡」は1話は播磨幸治さんがやってたんですよ。
だから、沖さんの役に関しては、最初は堅物の設定だったんですよ。
俺も2話書いているんだけど、そういう風に書いていた。
でも、観ていてだんだんそうじゃない方が面白いって分かると、こっちもいろんなことやり始めて(笑)。
じゃあ堅物に女つけてみるとどうなるかとか、テレたところとか面白いじゃないかとか。
沖さんも変なことをだんだんやって来たりするから。
そうするとキャラクターが膨らんで来ますよ。沖さんのキャラはだんだん変わって来ている。
監督なんか平気でいじるから(笑)。
いじらしておいてくれるからありがたいですよ(笑)。
そういうアドリブは役者さんの方から「こういう風にやりたいんですけど」と申し出があるんですか。
ここをこう直してこう行きたいっていうのは、しょっちゅう来るよ。
こういう方がカッコよく映るかとか。
いや、カッコよくとかじゃなくて、自分の中で。
この間も一緒にやった沢口靖子(※5)っているでしょ。
沢口靖子さんは "てにおは” まで拘る。
"てにおは” を直して来てどうでしょうかって必ず訊く。
ここはしゃべらないで芝居だけで行きたいとか。
彼女の場合は最低一回、時間を下さいって言って来る。
たいてい二、三日かけて必ず。僕は全然平気ですから。
向こうもここはどう言うべきかと悩んでいるから、それをすると自分もいい芝居が出来るんだね。
ラストシーンなんか事件が解決して皆集まるじゃない。
その時に自分はどういう芝居をしてどう動くんですかって。
だから絵も描いて、この人がこう動いてカメラがこう動くからと全部教えてあげると、
向こうも全然迷わないで早いわけよ。
だからスタッフにも全部指示しておいて、無駄なことするなって。(笑)
早く一歩でも先に行って、やるべきことをやれ、と。
「大追跡」も藤さんが一番やるじゃないですか。途中で恭兵もなんか一緒に。長谷直美もやるじゃないですか。
沖さんはどうだったんですか?自分でこうやりたいとかは。
やっぱり悩んでいる自分があってさ。それを見せないから。貴公子だからさ(笑)。
でも考えてるの、やっぱり。バランスをとってね、クレバーなんですよ、実に。
ただし、我々には決して触れないもの、そりゃあ他人だから触れないけど、暗いものはあったね。
とにかく監督としては苦労しない人だったな。
あとで観るとね、「ルパン三世」の五右衛門は、このキャラで書いてるんです。
クールで何を考えているのか分からない求道的なところがある。女に対しても。
だから女をくっつけてみたくなる。
この頃はルパンまだ書いてなかったんで、五右衛門を面白くしようとした時に
「大追跡」の沖さんのキャラはベースになっているところがある。(驚きの声があがる)
求道的なところがよく似てるよ。
藤竜也さんとか柴田恭兵さんが自由に動かれるので、沖さんは最初戸惑われたんじゃないかと思うんですけど。
「太陽にほえろ!」なんかは私も撮影を拝見していたことがあるんですけれども、
役者さんは職人さんで、台本を変えないでやるのが「太陽〜」のやりかたじゃないですか。
それで来た沖さんは、「大追跡」で皆さんが自由に動かれるのに、
自分はどういう風に対応しようかと思われたところがあるんじゃないでしょうか。
いや、あっても、たちどころに俺はやってるぞ、みたいな(笑)。
だから俺、全然心配していなかったの。ちゃんとカメラの影になんか絶対なっていないよ。
さりげなくね。例えば、カメラがこっちにあって、しゃべっている人がふっと巻いて来てしゃべったりすると、
しゃべっている人はわかんないんだけど、そういう時さりげなく後ろに来て、すっと芝居を外したりして、彼は全部見てる。
だから彼はこういう状況、こういう芝居があるんだなってことを楽しんでやってたと思うけど。
現場に行くまでは考えると思うけど、現場に行ったらたちどころにさっと融和して、
台詞も動きもちゃんと自分で考えて楽しくやっている気がした。すごいと思って。
「太陽にほえろ!」は、俺は必ずクランク・インする前に台本に色々書き込んで監督に渡すんだよ。
プロデューサーの要望みたいなものを。
監督もそれを汲んでやるし、役者さんもあまりはじけられない。
だから、多分そのままやったんだ。
「大追跡」で自由を知ってしまったんで(笑)俺天につながるんだね。
「大都会」の時は俺がやる以上、そうは行きませんよって最初に言ったから、自由に直しましたよ(笑)。
だから人間、そうであるならそうであると確信を持ってやらなきゃ。覚悟してやらなきゃ。
「覚悟と矜持」って俺はよく言うんですけど、何事にも覚悟しないと。
だから沖さんだって最初に壁にぶつかった時を目の当たりにして(笑)、
なんだかんだって話をしながら仲良くなって行くんだけど、
彼が京都で仕事をしていた時も色々話をして、最後にとってもいい、彼の盆栽好きな話を懇々として。
なぜ盆栽をって……ナルシストの極だと思うんだけど、盆栽に語りかけてさ。
ロケーションなんか長期になると、
「私は本当に盆栽が好きで心配でたまらないから、盆栽1本ずつに話しかけて行くんだ」って。
「俺を悲しませないでくれよ、心配してるんだから元気でいてな。わかった?頼むね?」
って、一本一本に話しかけて行くんだって。帰ってくると
「ありがとう。俺、おかげで精一杯仕事出来たよ。元気だったな、変わりなくて」って。
本当に愛でるんですって。真剣になって話してくれた。
そういう深い、普通には出来ねえ(笑)優しいものがあって。
「盆栽の方もそう言われると絶対わかってるんだ。でないと、あんなにはならない」って。
彼も信じてるし、その表情を見ていた盆栽や生きとし生けるもの全てだとは思うけど、
深い愛を与えると何でも共に生きて行くものだと思うんですよ。
そういう話を真剣に京都までの間、じっくり話し合ったこともあるしね。
あいつと……だから、ずっと思ってた。あいつとなぁって…。
自分が(日活で)助監督でチーフでやっていた頃は十も違うと子供だよね。
でも、その時のこととか、ちゃんと覚えてるんだよね。
その盆栽の話は、俺の心の中ですごく印象に残ってて。
だから自分の決心した時のこととか……涅槃っていう深い言葉は軽く出たもんじゃないって気がする。
行く時に、そして帰って来た時に同じように一本一本に話しかけるって。
そうすると表情も分かるし、呼吸も分かるしって。
そういうことを聞いた時に、おぬしやるなって(笑)。
俺には本当のことを色々話してたよ。優作もそうだけどね。ただし孤独は…。
話さない、話せない、話すこともないっていう。
ただ、印象は毎日変わるからね。その相克っていうのは必ずあるよね、人間っていうのはね。

(他の俳優さんの話から続いて)
俳優っていうのは表現者だから、世の中の人がスターとして好ましいと思って、
あなたを見たいと思うのがスターだと思うんだけど、
俳優さんは俳優さんで、求められているものならば表現者としての芝居なり態度なりは
大衆に対して真摯に表わして行かないと、価値がないと俺は思う。
だから俺たちも求められれば求められる限りやるし、
あぶ刑事もやるし「野獣死すべし」みたいな哲学的なものもちらっと参加して。
かと思うとエンターテイメントもやるしね。
高木彬光の「白昼の死角」やロマンポルノだって頼むと言われればやったしね。
その中にシュールなロマンポルノというものの表現を俺の中でやるわけですよね。
求められている限り、どんな演出であろうともね。
今、アクトザールっていうものをやっているんだけど、寛ちゃんに刺激されてこういう空間を作って、
僕がやっていることを小さな町に作って、皆に来てもらって文化講演会なりやって楽しんだりしてる。(※6)

日活時代のことをもう少しうかがいたいのですが。
沖さんが番組に出られた時に投書のはがきがあって、
日活時代に先輩に殴られたり役を降ろされたりしたという内容だったのですが、
沖さんの回答は、殴られたりということではなく、当時はツッパっていたので
先輩から生意気だけで終わるなということで厳しくしつけられたということでしたが、
思い当たることはおありでしたか。
○○さん主演のによく出てたよね(笑)。
いえ、渡哲也さんの作品が多かったんですが。
哲ちゃんは決して怒らない人だから。
沖さんは渡さんにはすごく可愛がっていただいたとおっしゃっていました。
でしょ。哲ちゃんは本当に素晴らしい人。
人は一人では生きられないんだから、俳優さんだって常識が必要だからという考えの人。
(高橋)英樹もちょっと孤独なところがあるけど、同じだね。
千葉の校長先生の三男坊で俺みたいなところもあるんだけど、
あの方はああ見えて芸術に富んでいて、書家として素晴らしい作品を書いている。
個展を開くような人だから、見えない中での芸術に富んだ人。


ここで質問コーナーに入りますが、皆さん緊張気味です。

Q. さっき沖さんがバランスを考えて、とおっしゃっていましたが、
それは例えば藤さんとか恭兵さんとのバランスの中で、
自分がどう動いたらいいのかっていうことを考えていらしたのでしょうか。

A. そうだね。やりたい奴にまず最初にやらしておく、みたいな(笑)。
沖くんはその点はね。
恭兵くんは自分で。「大追跡」は彼、最初のレギュラーでしょ?
まあ、俺も……おだてた方もおだてた方なんだけど(笑)、舞台での跳ね方じゃない、あれは。
キッドブラザースの。舞台のそのままを、動きたいように動いてみればって。
俺たちちゃんとついてってあげるよって言ったんだけど、彼はそのまま受け取って(笑)、
跳ねたり走ったりしたんだよね。
藤くんはベテランで映画育ちだから、動きをちゃんと計算している。
沖くんは沖くんで逆にやり易かったんじゃないかな。
みんなと楽しみながら自分の芝居の位置関係をバランスをとってやっていると僕は見ていて、非常に安心して出来た。
困ったな、あいつもうちょっとこっちに…なんて思ったことなかったな。
あの通りアップにしても耐えられるもんね(笑)。
(「大追跡」の最終回は)観ていると安部徹とか阿藤海とか、亡くなった方が多いですねえ。
あと、草薙幸二郎は「真昼の暗黒」っていう戦後の映画で最初の男優賞をもらったんですよ。(※7)
今、息子の草薙仁が出てますね。
この前の監督の「鉄道捜査官」に出てましたね。

Q. 「大追跡」なんですが、柏原監督がおっしゃっていたように、
最初カチッとしていたのが回を追うごとに、だんだん布が少なくなって行き、
ボタンを外して行きっていう感じなんですが、
それっていうのは現場の雰囲気で作られたのでしょうか。それとも沖さんの発案で。

A. 両方ですよ。これの方がいいなっていうのは役者の本能で分かるし、
前から見た時に、やっぱりもっとリラックスしたり、締めるところは締めてって。リズムですから。
そうなって行くのは村川さんのタイプ(笑)。
村川さんの回になると手綱を緩めてキャラを生かそうとするわけ。
「大追跡」も「あぶ刑事」も村川さんの回から弾んで来る。
沖さんもそう。村川さんの回から変わって来てる。
芝居するなっていうと、固い芝居の中でいいのかっていうことになっちゃうわけ。
台詞だってバランスを見て書いている方も書いているわけで。
きちっとする以外に隠されたものを想像するっていう方が、
観ている方も納得していいんじゃないかと俺は思うんだけど。
藤さんは全体のことを考えて、役者さんのバランスも考えてたから。
「大追跡」も役者さんの頭は藤さんですよね。
加山さんは刑事部屋にいるから外では藤さんが頭で、
藤さんが沖さんにも自由に出来る雰囲気を作ってくれたと思う。監督と一緒に。
藤くんっていうのも試験受けて日活に入って来て、同期に中尾が。(首の下をねじねじする)(笑)
彼らも最初大部屋に入るわけ。で、毎日明日は何々組何人っていう感じで行くんだけど、
藤くんだけは俺のところに来て、どういう役で行きましょうかって訊いてた。
ただの歩く人だよ。台詞も何もないんだよ。
じゃあ、去年大学受けてすべって予備校に行ってるんだけど、
その日は予備校行かないでそこに来た通行人っていう風にしたらどうって言うと、
そこに学生カバンがいいのか、むき出しのままでいいのか、帽子かぶった方がいいですかねと、毎日聞きに来るんだよ。
で、今日はサラリーマンで行こうとかと。そういうのが普通だったんですよ。
今はただ歩けとかいうのが多いんだけど、本当は違うんだよ、一人ひとり。
だからこの前のも観てくれた?(「鉄道捜査官18」のこと)。
あれだって、自由にとか、一人ひとり、どういう風にとか言ってね。
普通、助監督がやるんだけどね、それは。
監督が直々に指示されるんですか?
そう。(ひぇ〜)
だから皆、俺から言われると一生懸命歩くの。
主役も集めてさ、一言言っただけでさっと動きを変えて、きちんとやってくれる。
みんな役者さんだからきちっと対応しなくてはと思ってくれている。
藤くんともその後、俺がどうしても彼とやりたかったから、
「行き止まりの挽歌」(※8)っていうのをやって。
大島渚監督の作品の後ですよ、例の。(笑)
これだってね、すごく面白い。(柏原監督の方を見て)アナタがこれ書いたんだっけ?
そうですよ(爆笑)。

日活時代、藤さんはもちろん先輩で、沖さんは可愛がっていただいて、
岡崎二朗さんと三人で食事に行ったりしていたと藤さんはおっしゃっていて。
沖さんは「僕たちは日活かすり組ですから」っておっしゃって。
日活がダメになって来た頃で、沖さんが出るような映画がなかったんですね。

そうです、ほとんど。まもなくロマンポルノとかになってしまうから。
沖さんは18歳未満でしたから、児童福祉法にひっかかってしまうかも(笑)。
それで「八月の濡れた砂」で事故起こして降板したりとか色々あるけれども、本当にカスカスのかすりでした(笑)。

Q. 監督にうかがうことではないかも知れませんが、
日活の小林旭、藤竜也、沖雅也、村川透、みたいな三文字の方が多いですが(笑)。

A. そういえば、誰かトオルくんとか言ってたな。「純潔」の中でか(笑)。
森永健次郎さんの作品で、俺の師匠だから。
それでトオルくんだったんですか?!
そうそう。ま、わかんないんだけど。(えぇ〜!)
三文字っていうのはよくわかんないけどね。確かに多いね、言われれば。
僕らじゃなくて宣伝部とかプロデューサーとかが、
ニューフェースが出るとなれば俳優部長とか宣伝部が来て、監督ももちろん行くけどね。
あまり本名っていう人はいなかったな。
郷鍈治さんも三文字だな。
ああ、そうだね。
高品格(笑)。
なぜ急に(笑)。
裕次郎さんは本名だね。
俺も「司」を外そうかな。売れるかも知れない(笑)。

Q. 「大追跡」はこの人生で一番好きなドラマなんですけど、
疑問なんですがフィクサーを花村を逮捕出来たのに、どうして遊撃捜査班は解散になったんですか。

事件が解決しなければ解散っていうことだったんだよ。解決したから。
でも、ラストで刑事部屋がからっぽでしたから…。
終わりごろになってファンが増えて、続けてくれっていうファンレターがすごく多くて、
続けるかどうしようかって迷っていた時期がある。
ただ、役者さんを押さえるのがうまく行かなくて。
今だったら確実に半年おいてもう一度やるっていうパターン。
ただ、この後に石原プロが決まってて(※9)、その後には「探偵物語」が来るから
もう入る隙間がなくなっていたけど、(続編を考えて)多少、曖昧な終わり方にしていた。
だから「I shall return」とか言ってる(笑)。
結局はスケジュールの問題で。
解散じゃなかったんですね。長年の疑問が解けました(笑)。
あれ、なぜ「カーテンコール」って書いたかっていうと、
「傷だらけの天使」の時の台本、最終回は市川森一さんなんだよね。
最後に「カーテンコール」って書いてあったんだ。それで(笑)。
「傷だらけの天使」はカーテンコールにはなってなかったけどね。
ショーケンが最後バスに乗り遅れて行くっていう終わりで。
「大追跡」は村川さんがちゃんとカーテンコールにしてくれた。優作まで出して(笑)。
あれが予告編だと思って「なんで『大都会Part掘戮僕ズ遒出てないんだ」って、相当局に電話があったって。
本当?知らなかったな。

Q. 柴田恭兵さんの「三四郎みたい」という台詞は、三四郎の番宣だったんですかね。あれはアドリブで?

A. あったあった。あれもアドリブでね。おかしかった〜(笑)。
ああいうの拍手したい。
恭兵も次のレギュラーに決まってたから。

Q. 「大追跡」第三話の山口美也子さん。
ヘロイン中毒になって矢吹が押さえつけてっていうファンが羨ましがったシーンなんですが(笑)、
山口さんも舞台の女優さんだったのを村川監督がみつけていらしたんですよね。

A. 山口さんはすごい芝居の上手な人ですよ。感性の鋭い人でね。
あの回、面白かったよね。
彼女も優作の仲間というか、よく飲んでましたね。だから、感性が似てるな、優作と。

Q. 最後の銃撃戦の場所はどこですか。

A. 横浜のスターダスト(※10)のそば。
CJカフェ(※11)のクルーズで行くと、すぐわかる。ロケ地好きの方が教えてくれて。まだ残ってます。

Q. 村川監督はよく使われる横浜のロケ地ってありますよね。貯木場とか。
横浜に思い入れがおありですか。

A. ありますよ。私は山形の山に囲まれた田舎町の出身なわけ。
その頃から海や港が憧れなんですよ。
それが長じて、大学に入ったらいの一番に行ったのが横浜なんです。それで横浜が好きになって。
それから日活にしか行かないと思ってたから日活に入って助監督になったら、
何かといえば「俺は待ってるぜ」じゃないけど波止場に(笑)。
すぐに横浜に遊びに行ってという風になって、だから横浜は一時間前に来て隅から隅まで回ったりして。
横浜じゃなくて横須賀もそうですよ。沿岸沿いをずっと歩きます。
村川さんと歩いてるとね、すぐ立ち止まって場所見て、撮れるかどうかを見てる。
皆、ついて来れないんだけどね(笑)。でも、それがものすごく役に立ってる。
台本初見で、これはあそこあそこってつながっちゃうんだ。

Q. 柏原監督はなぜそんなに横浜がお気に入りになられたのですか。
こんな都会で育っても、やっぱり横浜とおっしゃるのは。

A. 大学時代の友達が、ハマの日本橋っていう料亭街で家が食堂をやってたの。
裏がすぐヤクザの事務所で、手入れがあると銃を預けに来るの、ヤクザが(笑)。
そういう環境のところなんだけど、結構そいつのところに遊びに行ってたの。
その頃の横浜ってまだヤバかったから、面白かったんだ、雰囲気が。
夜、車で行くと30分ぐらいで行っちゃうんで、
じゃあ本牧行ってって飯食おうとかいうことになって、ちょっちゅう行ってたんだ。
それでもう一人の友達が若葉町(※12)の設計事務所に勤めることになって。
若葉町も当時は立ちンボが多くて、治安が悪いところで。
そういうのが全部ベースになってる。悪がはびこってたんだ(笑)。
このお二人が一緒になってしまったから、すぐ廃墟で銃撃戦が起こってしまうんですね(笑)。
そこらじゅうで撃たれてる(笑)。
俺も今話した通り、昭和33、4年の頃は本当に今シルクセンターのあるところは瓦礫だったし、
大桟橋に屋台があって、朝から晩までやってた。
そこへ遊びに行って、それこそラーメン一杯10円、20円の時代だからさ。
で、朝職安に行って、みんなそこの人が引っ張って行かれて行くわけよ。
その時に俺がカッコつけてレインコートなんか着てると、チャカいるかって(笑)。本当にそういう時代。
横浜は血を売るところもあって。
今でいうドヤ街ね。中華街もあの頃は本当に面白かったんだよ。
「大追跡」の頃はまだバタ臭くて、外国みたいな雰囲気もあった。
本牧にリキシャルームっていうクラブみたいなのがあって、
あとゴールデンカップ(※13)っていうところは、今でも付き合いがある。そういう店が何軒もあった。
すぐ前がベースでね。
あと元町ね。元町は面白いとこだったんだよ。家と家がまたげるんだから(笑)。
昔は本当に面白かった。今はオシャレになっちゃったけど、今でも買い物に行きます。

そしてこの後、撮影タイムです。
両氏に挟まれて贅沢なスリーショットを、各々楽しませていただきました。

※1 沖雅也の芸名は当時の日活の社長であった堀久作氏の長男・雅彦氏から一文字もらったという説がある。
※2 映画会社五社が自社に所属する俳優は他の会社の映画に出ないという協定。
※3 現・株式会社オスカー・プロモーション代表取締役の古賀誠一氏のこと。
※4 「沖雅也と「大追跡」」かわだわか著・ワイズ出版 2008年11月発行。
   村川・柏原両氏の沖さんについてのインタビューが掲載されている
※5 2018年5月13日放送「鉄道捜査官18」。
   2000年からシリーズで放送されており、ほとんどが村川透監督による作品。
※6 アクトザールは村川監督と、実兄である山形交響楽団創設者の村川千秋氏によって、
   山形県に創設された芸術空間。講演会の他、音楽会なども開催されている。
※7 1956年映画「真昼の暗黒」で主役に抜擢された草薙幸二郎氏は、
   この作品で第1回製作者協会の新人賞を受賞している。
※8 「行き止まりの挽歌」は1988年にっかつ作品。脚本はもちろん柏原寛司氏。
※9 「大追跡」は「大都会 PARTII」と「 PART掘廚隆屬吠送された。
※10 「大追跡」18話『レディ・キラー』にも登場するバー。東神奈川に今もある。
※11 横浜市中区にあるカフェ。
   「さらばあぶない刑事」のロケ地としても使われている。
※12 横浜市中区若葉町。伊勢崎町と黄金町の間あたり。
※13 今も本牧にあるバー。名前の通りゴールデンカップスが誕生した店。キャロルなども演奏していたという。


撮影の後は2F三日月座に移動して懇親会です。
村川監督の音頭で乾杯をしましたが、
監督の「出会いは偶然でありながら必然で、今日の出会いも意味のあるもの」というお言葉に、一同感激。
自己紹介では今回の村川監督のゲスト招聘に尽力下さったミカン・シボッターさんが
感激のあまり泣き出す場面もありました。
初参加で「緊張します」という方。
北海道や名古屋から駆けつけて下さった方々。
病を克服しての参加となったひまりさん。
今回初めてお手伝いをお願いしたごんごんさん、haseyukiさん、emirinさん、miwakooonさん。(ありがとうございます!)
すべて沖さんがつないで下さった必然のご縁なのかも知れません。

村川監督はふくろうがお好きだそうですので、全員からのお土産は管理人がふくろうの置物をチョイスしました。
巣から卵をとって孵化させようとして失敗した子供時代の経験から、
贖罪の意味でふくろうが好きだとおっしゃる優しい村川監督ですが、
なんと御年81歳。
美しく伸びた背中と颯爽と歩かれる姿(これがまた早い!)は
とてもそのお年には見えず、若々しく、かつダンディーです。
翌日は山形に戻ってそのまま登山されるとお聞きして、
帰宅してからとりあえずぶらさがり健康器にぶらさがった管理人です。

柏原監督には、いつもお世話になっている奥さまとペアでのディナー券をチョイス。
それぞれ持参した台本やグッズにサインをしてもらったりと、至福のひとときを過ごしました。

ミルキーさん渾身の沖さんのポスターやポストカードが抽選で配られました。
ミルキーさん、いつもありがとうございます。

最後に皆で記念撮影。オットーです!





そして、なんと二次会にも両監督にご参加いただきました。ぜいたく〜。
予約していたカラオケ屋さんの従業員さんたちが
その日から働き始めたのではないかと思えるほどバタバタのお店でしたが、
両監督はさらなる質問攻めにも丁寧に答えて下さいました。
二次会は少しくだけて、P音が入るお話も…。
しかしこれは参加された方のみの特典としましょう。
ひとつだけ、これはホテルにお送りする時に村川監督がおっしゃったのですが、
このお言葉だけは皆さんにお伝えしたいと思います。
「沖くんを嫌いな人なんていないと思うよ」





今回も村川透監督、柏原監督ご夫妻、そして参加して下さった皆様のおかげで、大変充実した会となりました。
皆様に、あらためてお礼を申し上げます。

付記:ミルキーさんのブログもご覧下さい。
「ミルキーさんのブログ」



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