第9回「沖雅也研究会」兼「『沖雅也よ 永遠に』第16回オフ会」

2017年12月9日(土)、今回も映画監督であり脚本家の柏原寛司氏のご協力により、
人形町「Base KOM」にて「第9回沖雅也研究会」が開催されました。
今回もミルキーさんにポスターを作っていただきました〜♪
「ふりむくな鶴吉」のクランク・イン。千葉勝浦です。




ゲストは管理人悲願の竹下景子さんをお迎えして、柏原監督との夢の対談です。
竹下さんは沖さんと共演のご縁が多くあり、
「幡随院長兵衛」(沖さんとの絡みなし)
「青葉繁れる」
「剣と風と子守唄」
「必殺仕置屋稼業」(沖さんとの絡み少なし)の他、
「ふりむくな鶴吉」では相手役として一年間共演、
「姿三四郎」でも共演されています。
どんなにこの研究会に来ていただく日を夢見たことでしょう。
しかし、大女優である竹下さんが、このお話を受けていただけるとは、
マネージャーからご連絡をいただいてもなお、半信半疑でした。

今回の参加者は28名。
さすが竹下さんの人気は大きく、最終的にはキャンセル待ちが10名以上となってしまいました。
対応出来なかった皆様、申し訳ありません。
参加出来なかった皆さまのために、ここに貴重な内容を報告させていただきます。
今回は竹下景子さんのファンの方にも楽しんでいただける内容となりましたので、
ファンの方にぜひ読んでいただければと思っております。

午後1時15分から研究開始。
まずは竹下さんと沖さんの共演シーンのダイジェストです。
「青葉繁れる」
「剣と風と子守唄」
映画「ブルークリスマス」
「姿三四郎」
そしてTBSの朝の情報番組「奥さま8時半です」から、
竹下さんが沖さんについて語っていらっしゃる部分の音声を管理人がまとめました。
皆さんがこれをご覧になっている間、
管理人はそわそわしながら竹下さんをお待ちしていました。
その間、ひょっとしてこれは全て夢なのではないか?
もしかして私の妄想なのでは?とまで思っていました。

車から降りていらした竹下さんは女優オーラ満載で、
すぐに通りの人々が気がついて注目していました。輝く美しさです。

2Fの三日月座で、柏原夫人とご対面。
夫人が撮影した月の写真や、柏原監督のコレクションである
映画のポスターの中の出演者の方々を懐かしそうにみつめていらっしゃいました。
2日前には年末特番の録画撮り、前日にはドラマの制作発表があったのを知っていた管理人が
お座りいただくよう何度か促しましたが、
「吸い寄せられる」と、ポスターをひとつひとつ眺めていらっしゃいました。
何事にも興味を持って、目を輝かせていらっしゃる竹下さん。
こちらが何か話すと、ひとつひとつ丁寧に聞いて下さいます。

柏原ご夫妻と竹下さん。絵になります。





地下のダイジェストが終了し、いよいよ竹下さんが地下へ入られると、 大きな拍手とため息が起こりました。

(以下、竹下景子さん=赤、柏原監督=青、管理人=黒 で表示。敬称略)

よく引き受けましたね。(笑)
熱意に負けました(笑)。
まず、柏原監督と竹下さん、お二人が揃われたということで、
「姿三四郎」のことからうかがって行きたいのですが。
二役っていうのは、役者さんにとってはやりがいがあるんだよ。
だから、やってて面白かったんじゃないかと思いますけど。
あれだけのボリュームの役を、よくぞやらせていただいたなあと、あらためて…。
すごく楽しかったことはよく覚えているんです。
出番も多かったですよね。
そうそう。まあ、二人分ですから(笑)。
勝野さんどうでもいいから、竹下さんだけ書いておきました(笑)。
ありがとうございます(拍手)。
勝野さんとは三船プロで同じ所属タレントでもあって、
プロデューサーの方たちともプロダクションぐるみでお付き合いがあったものですから、
勝野さんともよくご一緒させていただいて。
当時、沖さんも売れっ子さんだったから。なんて幸せな現場だったんでしょうね。
ギャラ安かったとは思いますけど(笑)。
あんまりキャストがどっと出ると、どうしてもね。
確か、日テレの創立何年かの…。(※1)
そうですそうです。記念ドラマみたいな感じで。
今、観直すと、東京もロケで撮れる場所が沢山あって。
多摩川のほとりに行ったりとか、山、川っていうと御殿場の方に行くとか…。
三船プロは時代劇が多かったので、本当によくそういうところまでロケバスに揺られて。
東宝は東名高速沿線ですよね。
そうなんですか?
東映は何となく東北道の方へ行くとか。
ああ、撮影所のある場所が東宝は砧で、東映は練馬の大泉というところなんで、
自然と近いところからですね。
国際放映ですよね。「姿三四郎」は。
国際放映!懐かしい。
入るとバーッと掲示板があって、何組何組っていっぱい撮影のチームがあって、
組って書いてあって。柏原組とか。
あ、私はこれねって思って。あ、なんか全然沖さんの方に(話が)行かないですね(笑)。
沖さんも結構国際放映多かったですよ。
そうですよね。国際放映ってあの頃本当にいろんな番組が。
同じ番組の中で何組って分けているんですか。
二本持ちだったりするとそうだし、番組自体も沢山入っていたし。
ひとつの組が行ったら次の組が準備してますから。
「姿三四郎」は山川(迪夫)さんがメインでいて、それから土屋統吾郎がいたんで、交互にやってましたね。
だからもう私たちは何冊も台本を持って。
私は「姿三四郎」が最後ですか?沖さんとご一緒なのは。
そうです。
けっこう沖さんと共演してますよね。
そうなんです。一番共演が多い女優さんです。
私はそれ、本当にびっくりしたんですよ。
(竹下さんは)沢山の方と共演されているから…。
沖さんはあまり、女性がらみというとおかしいですけど、相手役がいない役が多いんですよね。
で、「(ふりむくな)鶴吉」は一年ありましたし、「姿三四郎」が半年あって。
そうですね。長いスパンのものが多かったですものね。
はい、それもあります。沖さんが振られやすい役で(笑)。
そういう風に仕向けるっていうところがあったんじゃないですか。
やっぱりいい男でモテたらつまんないから。
沖さんが惚れられてうまく行っちゃったら、当たり前だもん(笑)。
それで乙美さんはあんな風に…。
二人ともですものね。あの令嬢(高子)も。
二人とも三四郎が好きなんですよね。
演じ分けというのは、どうしていらっしゃるんですか。
なかったです。ごめんなさいね、何のプランもなくて(笑)。
でも、もうそれはきちんとホンの中には描かれているし、
わりと女優さんって私だけじゃないと思いますけど、扮装から入るんですよね。
衣装が全く違うから。下町の娘と貴族の格好とで、全く違っちゃいますもんね。
もう、気分が全く変わります。
ドレスになると上から目線になり、下町の娘さんになると、
いつも可愛い花柄の紬を着付けてもらって、流行りのピンクで。
すると、そういう気分になるんですよね。
乙美さんというのは、その時の竹下さんのイメージのままで、
純情で三歩下がって三四郎さんについて行きますという役で、
高子さんというのはわりと跳ねっ返りなところがあって、
でも悪い人になりきれないみたいなところがあって。そういうのは柏原さんの脚本で。
わりと好みのタイプです(笑)。振り回される方がいいな、みたいな(笑)。
男を振り回す女って、けっこう魅力的じゃないですか。
(客席を指して)今、皆さんに振り回されてる(爆)。
ですって!(笑)。
でも、あの当時は乙美さんみたいな人が当然だったんですよね。ヒロインは。
そういうのは、意外とつまんないんです、ライターからすると。
市川(森一)さんがモモコシリーズって書いたじゃないですか。
あれもそういう発想で、いわゆる純情な、竹下さんみたいな女優さんを、
お嫁さんみたいな役で書いたらつまんないわけ。
だから真逆のやつで書くと、より魅力的になるんです。
たとえば料理しているシーンを書く時に、
本当に良妻賢母の奥さんが料理しているとつまんないんです。
ちょっと料理しないだろうっていうタイプが料理していると、逆に可愛くなる。
高子はそっちタイプ。
当時は男性は乙美さんが良かったと思うんですが。
普通はね。いやあ、俺はもう誰でもいいんですよ(笑)。
今のヒロインとしては高子さんみたいな女性が多いんじゃないかと思いますけど。
だから、(竹下さんが)両方出来るのがすごいな、と。
すごくも何ともないんですけど、とにかく現場が雰囲気を作ってくれたっていうかね。
ただ、楽しかったです。
現場は楽しい雰囲気だったんですか。
楽しかったですよ。とっても段取りよく進んで行くし、
ロケーションも多いから、セッティングの間などは皆で楽しくおしゃべりしたりして。
決闘シーンの写真があるんですが、皆さんとお雑煮を食べたりしている写真が残っていて…。
そう、葦、葦という感じの中でやってましたね。
だから、制作さんの配慮だったのかも知れませんけど。
さっき確認しましたけど、私は沖さんと「姿三四郎」が最後だったでしょ。
あんなにクールで、ちょっと人が近寄りがたいような役柄を演じている沖さんが、
普段もそういう感じかなと思っていたら、姿三四郎でお目にかかった沖さんは、
ものすごく明るかったんですよ。ちょっとビックリして。
もう、車ももう乗らない、お酒も飲まない、
僕仕事だけ一生懸命やるって感じで、高校生みたいに明るくて。
だから、現場もものすごく楽しかったんです。
鶴吉の時とは違ったんですか。
全然違う。元々フィルムの方がお好きだったんでしょうかね。
そうですね。フィルムから出てますからね。
カチンコの方が気合が入るっていうことがあるのかも知れないですね。
私はどちらかというとスタジオドラマの方が多かったので。
フィルム、映画スタイルの方がお好きだったのかも知れないですけど、
今思い返すとえっ?って思うくらい明るくて。
私、あ、すごいと思って。まだ二十代ですよね。
仕事は仕事で真面目な方ですから一生懸命役に打ち込んで、
役そのものっていう感じはいつも受けていたんですけど。
でもまあ、皆いる中で普通におしゃべりをしないわけではないんですけど、
そんな沖さんが仕事のためにもちろん怪我をしちゃいけない、羽目を外しちゃいけない、
そんなにストイックになれるんだと思って、すごく感心した覚えがあるんですよ。
それが何を思ってご自分の中で決意されたのか、ちょっとそこまでは踏み込めなかったです。
元々ストイックな人ですよね。
本当にそうです。役っていうと入っちゃうような。
僕らのアクションでいうと、やっぱり銃の構え方とか、
そういうのをすごくこだわってカッコイイんですよ。
アクションシーンとか、立ち回りとか、そういうのはお好きだったんですか。
そういうのは見事です。本人も好きだったと思います。
いかに自分を魅せるかっていう魅せ方を考えてあるんです。
普段から鍛えてたんですかね。それともパッと出来ちゃったんですか。
鍛えてたと思います。
よく役者さんで、ああしようこうしようって言って来る人いるじゃないですか。
沖さんはそういうのはなかったんですか。このシーン、こういう風にやろうよとか。
アクションでなくて芝居でも、
「俺、こういう風に言うからさ」とか、結構そういう人いるんですけど。
役を自分の方に近づけるタイプと、役に自分の方から近づいて行く人と二つのタイプがありますけど、
沖さんはもう入って来た時に役になりきっていて。
だから現場であんまりディスカッションとか私はしたことがなくて。
宇野重吉さんに演技論なんかを一緒にうかがったと聞きましたが。
演技論というより、一年間ご一緒させていただいて、宇野重吉さんの養女(役)でしたし、
(沖さんは宇野重吉さんを)父のように慕う鶴吉っていう下っ引きでしょ。
だから一緒にいる時間も当然長くて。
で、宇野さんは民藝の押しも押されぬ大看板というか、私たちから見ても先生みたいな。
別に偉そうっていうわけじゃないんですけど。訊きたいことがいっぱいあるわけですよね。
それで、演技者とは、とか演技とはっていうことを
おしゃべりの中からそっちの方に行ったのかも知れませんね。
そうしたら宇野さんが、演技というものに正解はない、
こんな芝居をしようとして振り子が大きく右に振れたとしても、またそれは自然に
引き戻される力も働いて、行ったり来たりするもんだというようなことをおっしゃったんですよね。
だから、こうだって決められるものじゃないっていうか。
もちろん歌舞伎のように様式があったり型があったりするものはまた違うのでしょうが、
劇団民藝ですからリアリズムを追求されている宇野重吉さんの言葉らしいと思って。
芝居とは、俳優とはっていうことをいつも問いかけながらやるのが
生身の人間だっていうような受け止め方を私はしたんですけどね。
そういう時は沖さんは、じっと耳を傾けていらしたような。
尊敬する俳優さんに宇野重吉さんを挙げていらしたので。
あ、そうですか。私も本当に大好きだったです。
劇団の中では厳しい方だったようですけど、スタジオではぼそぼそと喋ってニコニコして。
劇団の関係の人って劇団では結構厳しいですよね。
稽古をして、なかなかOKが出なかったっていう話を樫山文枝さんとか日色ともゑさんとか、
ちょっと仲良しだったものでよく伺いましたけど、
スタジオでは本当に好々爺で、優しい宇野重吉さんでした。
何となく宇野さんの周りを皆で囲んで、ぽつぽつとお話を聞くというのは、いい時間でした。
(前回の研究会に)丹古母さんが見えた時には、仕切ってたのはハナ肇さんだと…。
(笑って)ハナさんはまたにぎやかでね、やっぱりクレイジーキャッツで。
場を盛り上げて下さる感じだったんですか。
そうです、そうです。
西田さんもいらしたし。
西田さんはもう、プレスリーそのものだったです。(えー?!)
よく歌唄ってくれたの。西田さんも二十代ですから、若手注目株だったですものね。
また西田さんも竹下さんもブレークする前で、主演じゃなかったですから。
だから、最初の頃は沖さんにも気安く声をかけられなかった気がするんです。
私自身が一年間のドラマっていうのが生まれて初めてでしたから。
最初、千葉の房総の方でロケがあって、やっぱり私がいっぱいいっぱいで、
そんなに気安く話は出来なかったですね。
でも、当時はちゃんと本読みがあって、お稽古場でリハーサルがあって、
それからスタジオ収録だったので、今よりももっともっと時間がかかって、
その分みんなが親密に話が出来る環境だったことが記憶にあります。
後半だったと思うんですど、沖さんがお茶目で、
竹下さんの襟元にプーッと息を吹きかけてパーッと逃げたのを見たんですが。
そういう悪戯もする方でしたか。
まあ、たまに…場をなごませるためにだったんじゃないですかね。
そうですか?キャーッと竹下さんが言って、それを遠くで喜んで見ていらして、沖さんが。
勿論始終そういうことをする人ではなかったですけど、
たまにはあったかも知れませんね。
(管理人が事前にお渡した資料で)音源だけが入っているものがありましたが、あれは?
あれは沖さんがゲストで、竹下さんと吉沢京子さんと仁科明子(当時)さんが、
沖さんを語るという番組だったんですよ。
吉沢京子ちゃんにも明子ちゃんにも会ってるんですね。
ほぼ、同い年だったんですよね。
その女優さんたちが沖さんを囲んで沖さんについて話すという番組で。
ちょうど仁科さんとご一緒の番組があったので番宣だったんですけどね。(※2)
その時に竹下さんが語っているのを聞いて、私は沖さんのお嫁さんはこの人だと思ったんです(笑)。
訊いているのは局のアナウンサーさんだったんですか。
鈴木さんっていらっしゃいましたよね、TBSの。(※3)
ああ、鈴木治彦さんでしたか。やっと少しつながりました。
それで、ここまで沖さんのことを言って下さるのなら、
やっぱり竹下さんにお任せしようと私は思ったんですね(管理人熱弁)。
世間で『息子のお嫁さんにしたい』と言われている時(※4)、
いや、沖さんのお嫁さんにしたいと思ってたんです。
なんだか母親のようですね(笑)。親心というか。
嬉しそうに恥ずかしそうに私がしゃべってるので、
これどういう場所だったんだろうと思ってたんですけど。
そこで私が『ベビー大福』って言われてたって言ったんですね。
覚えていらっしゃらないですか。
言われたんでしょうね(笑)。
ただ、その当時の映像を観ると私本当に真ん丸で、
針で刺したらシューッって縮んじゃうっていうぐらい真ん丸だったから、
沖さんは上手にあだ名をつけてくれたんだと思います。
沖さんは鶴吉のツーショットの大きな写真をご自宅の玄関前に飾っていらしたんですよ。
あら、そうですか…今知りましたよ(笑)。
それから、お弁当を作って来てくれって頼んだという…。
それそれ、それはよく覚えています。
沖さんに頼まれたかどうかっていうのは私も定かじゃなかったんですけど、ない頭をひねって。
まだ大学三年生でしたので、一応まだ大学にも、
あんまり行かなかったですけど(笑)行かなくちゃいけないし、
週のうち3、4日はNHKに通うわけですけど、
どこもそうかも知れないですが局の食堂っていうのはメニューもなくて、飽きるんでしょうね。
だからお弁当作って来てって言われたんですけど、私も言われたら舞い上がっちゃって、
丸い三段重ねのお重タイプのを買って。
だけど当時私はまだ四畳半で二世帯で共同トイレみたいなところにいて。(えー?!)
お嬢様のイメージでしたが。
いえいえ、親の仕送りでまだ生活をしていて、銭湯が50円でしたからね、私が大学に入った時には。
わざわざお弁当箱を買って下さったんですか、沖さんのために。
もちろん買いました。(ひゃー)
何を作っていいのかわからず鮭を入れたりとかしていて。
今はありふれていますけど、当時キウイフルーツがグリーンですごく綺麗でしょ。
だからこんなのを入れたら私ちょっといい点がもらえるかも知れないと思って(笑)。
三段重ねですから、デザートのところにキウイを剥いて入れたんですよね。
そうしたら沖さんはそれが何だかわからなくて(笑)。
もちろん、一緒には食べないんですよ。楽屋が別ですからね。
沖さんは個室があって、私は個室があったかどうか忘れましたけど。
それでお弁当箱が返って来るんですけど、「あれはなあに」って(笑)。
「キウイって言います…」
「きゅうり?」って(笑)。
「いやいや、きゅうりじゃなくてキウイっていう果物なんです」
「ああ、そう…」
そこで会話は終わってしまったんです。
あんまり好きじゃなかったのかも。
何回か持って行ったと思うんですけど、
「今日のはね、おいしくなかった」とかね。(爆笑)
二十歳の子供が作るんですから、しかもこんな(手で円を作って)昔ながらのガスで作るんですから。
だから、よく食べてくれたなあと思って。
よく作って下さいましたね。
何を作ったのか、皆目覚えていないんですが。
それは断りづらいとか、そういう理由もあって?
いや、やっぱりちょっといい点取りたかったんじゃないですか。
一応一年間ずっとレギュラーで相手役をさせていただくわけですから。
どうも沖さんはそこで誘いそこねたみたいなんですけど。
僕から言うとね、そうやって作って来てくれと頼んでおいしくなかったなんて言う時は、
気がある時ですよ。(えーっ!)
ほらほらほらほら!(笑)
ちゃんと言って下さっていれば(笑)。
例えば基本のパターンで、修学旅行の時に好きな女の子に何か投げたりするじゃないですか。
あれと一緒の感覚で。
さすがよくご存知で。
沖さんは気があったのかも知れないね。好きだったのかも。
(お弁当については)中尾ミエさんの番組(※5)で沖さんがおっしゃったんですけど、
そういうのはまず誘うのが礼儀だ、好きだとか嫌いだとかじゃなくて、まず誘うのが礼儀だ、
あなたはその礼儀がなってないと怒られて謝っていらっしゃいました(笑)。
だから、沖さんとしては何となく誘いそこねたみたいな感じだったんですけど。
だって自分の玄関に写真置いてたんだから。(ファン心理を弄ぶ柏原監督)
そうですよ〜!(管理人熱がこもる)
誘われたら行きましたか?
行ったでしょうね(うわー!)。
ああ、惜しい〜!(爆笑)
もう、あくまでグループ交際で終わりました。
だからお酒を飲みに行くということもなかったですし、あくまで現場で。
おしるこぐらいだったですよね。
今映像を観て思い出しますけど、クールな沖さんがふっと笑った時の、
あの可愛らしい口元が本当に魅力的で、そういう時はグッと来てましたね。
グッと来てました?やっぱり?(管理人怪しいテンション)
良かったです、グッと来てくれていて(笑)。
沖さん片想いかなと思ってたんですけど、ちょっとそれは良かったです。
なんか沖さんのお母さんみたいになって来てるね(笑)。
だって、お嫁さんになって欲しいなと思うぐらいだったんですから。
「姿三四郎」の時は、もう全くそういう感じはなくて?
そうそう。まあ勝野さんもいらしたし。
竹下さんも売れてしまったし。
いやあ、そんなこともないですけどねえ。
何の話をしたのかは忘れちゃったけど、楽しい現場でした。
ちょっと聞いた話で鶴吉の現場の時なんですが、沖さんが冗談めかして竹下さんに、
まだ自分は一人前の役者じゃないから、一人前になるまで待てるかなみたいな話をしたんだけど、
全然本気にして下さらなくて、全く冗談だと思われたという話もあるんですけど、覚えがないですか?
あら〜、覚えがないです(笑)。
私はよく蛍光灯って…蛍光灯って古いギャグですか?分かりませんよね?今LEDですものね。
蛍光灯って鈍いっていう意味で、後から明るくなるっていう喩えなんですけど。
でも私から見ても、その鈴木さんのインタビューで答えてましたけど、
年は変わらないのに何て大人だろうっていうのが、私の沖さんの第一印象でした。
完成度高いじゃないですか。
見た目の完成度ですか?
いやいや、演技的にもです。全部作ってパッとその場にいると、もう役になってると。
私からみるとプロですよ。もう、ぶれてないっていう空気感でした。
今度また鶴吉が八話みつかったそうです。作曲の樋口康雄さんがお持ちだったんです。
権利の関係でNHKからお電話があると思いますが、早めにOK出していただいて(笑)、
そうすると公開になると思うんです。
嬉しいですねえ。今観たら本当に楽しいと思います。
ゲストも豪華で。印象に残っている方とかは。
最初の方に木内みどりさんがお出になってるんですよね。(※6)
薄幸な女性の物語だったんですけど、その時に初めて木内さんにお目にかかって、
その後何度かご一緒したんですけど、木内さんは明るい方で、
私から見るとちょっとお姉さんなんですけど、明るいキャラクターを演じられて、
オリーブちゃんみたいなお洒落な先輩っていう感じだったんですけど、
その時は幸薄い感じがすごく良くて。それはよく覚えていますね。
本当に色々な方が出て下さっていたドラマですよね。
「姿三四郎」も色々な方が出ていらして。
「太陽にほえろ!」の人気にあやかったところもちょっとあって、太陽に出ていらした竜雷太さんとか。
竜さんも三船プロだったんですよ。
三船プロの役者さんが沢山出ていたドラマでもありましたね。
「姿三四郎」で乙美さんのお父さんが亡くなった時に、そちらの脚本家が書かれたんですけど(笑)、
乙美さんがわーっと三四郎に泣きつくシーンがあって、あれは何故源之助を後ろに立たせたんですか?(笑)。
ライバルだから。演出的にはたぶん、統吾郎さんまっすぐな人だから(源之助が)見てたけど、
ちょっと横向いちゃった方が逆に良かったかも知れないね。
泣いてるのを見た瞬間にちょっと顔がきつくなって、横向いた方が良かったかも知れない。
ずっと見ちゃってるもんね。背中の芝居にしちゃった方が良かった。
沖さん真面目だからその通りやってるんだけど。
たぶん、監督が言ったことはもう一挙手一投足間違いなくやってますよね。
後ろ向くように書けば良かったなと終わった後から思ったけど。
何も後ろに立って見てなくてもって思ったんです(笑)。
あとは位置関係ね。セットだから近いから。
もうちょっと離れてるとまた違ったんだよね。
ショックはショックだよね。自分の時には泣いて来ないで、姿三四郎が来たら泣くわけだから。
すごいですよね、当時のドラマは爽快で。痛快というか。
人間がみんなまっすぐでね。楽しめました。
「姿三四郎」は男のドラマだから、そこで紅一点、おいしいところを持って行って(笑)。
高子さんの役は事務所からNGは出なかったんですか。
出ませんでした。まあ、二役ってことでしたから、
それは幅があればあるほどドラマとして面白くなるのでしょうね。
でも、まあ見た目は違ってますけど、私の中ではもうちょっと膨らませれば良かったなと。
今観るとやっぱり後悔しますよね。こんなことしちゃってと思いますよ、本当に。
ああ、芝居が出来てないって。(ええええ?!)
演じてる方はそう思うもんなんですよ。監督はもっとあちゃー!と思ってるかも知れない。
ああすれば良かった、こうすれば良かったと。
ただねえ、自分でよくやってるなと思ったワンカットは、「青葉繁れる」の劇中劇。
ロミオとジュリエットですね。
ジュリエットが登場してくるシーンを再現しているわけですよね。舞踏会で。
皆が舞踏会でダンスをしているところの後ろから出て来るシーンで、
何であんなに格好つけて出て来てるのかと思ったら、
ジュリエットになって出て来ているわけですよね、あの人ね(笑)。
そうしたら沖さんにジュリエットになってない!って叱られちゃうわけでしょ。
私としては、あそこは頑張ったシーンなんです。こうやってポーズをとって。
今だったら恥ずかしくて出来ないかも。怖いもの知らずでしたね、
それでいきなりギューなんて抱きしめられたら、本当にびっくりしちゃいますよ。
でもそれはお芝居ですよね(笑)。
リハーサルがあった上で本番だったんでしょうけど、
沖さんもそういう時はすごく本気モードになるので、
相当びっくりして離れてるなあって思いました。
ハッ!っていう感じでしたね。まだまだあの頃はおさげ髪でしたから。
18、19ぐらいだったから。
他の男子はちょっと高校生ぽくなかったですが(笑)、竹下さんは本当に。
大学一年生の終わりぐらいだと。
あの役はモデルが若尾文子さんだったという話ですが。
そうみたいですね。よく言われました。
井上ひさしさんの中では若尾さんだったかも知れませんが、
もう全然違うドラマになっていましたからね。
千葉県知事はいかがでしたか。(笑)
千葉県知事はね、やっぱり「これが青春だ〜っ」っていう感じでしたよ。
(手を挙げて)「おはよっ!」て、こういう感じ。
(意外とモノマネが上手い竹下さんに一同爆笑)
沖さんと森田さんはそういう意味でも好対照でしたし、あとは…(三ツ木)清隆君ね。
だから沖さんとはやっぱり二人っきりではしゃべれなかった。
赤塚(真人)君とかいてくれれば、皆としゃべれるんでしょうね。
やっぱりグループ交際になっちゃう。ドキドキしちゃって。
沖さん、背も高いし…。私、中高一貫教育の女子校だったので、校則で絶対男女交際は禁止で。
当時バス通学で、男子部はすぐそばで同じバス停で降りて、バス停の奥に教会があるんですけど、
教会を境にして左右に男子部、女子部に分かれて行くんです。
それで男女交際禁止なので、私が仮に座っていて、男子部の生徒が重そうなカバンを持っていても
絶対持っちゃダメっていう…。
でも、竹下さんだから、付け文とかなかったんですか?(笑)
全くなかったです。だから、高校生ぐらいになると思春期なので、
入学式とかセレモニーの時は男子部にある講堂に行くわけですよね。
そんな時に気になる人と…バスとかで自然と仲良くなっちゃう人もいたのかな?
私自身は全然なかったですけど。
でも、友達の代理で公衆電話から一年先輩の男子に電話した記憶があります。(えー)
そんなだから私本当に口下手だし、話が出来なかったですよ。
でも、男子部の方はテレビに出ている方だから注目して見ていたんじゃないですか。
そんなこともなかったような…。(再び『えー!』)
寄せつけない雰囲気があったとか。
それもなかったと思いますけどねえ。
実際、中学生の役で一年ぐらいは出ました(※7)けど、
それで終わるかなって自分自身思っていましたし。
そんなに女優でやって行こうという向上心で臨んでいらしたわけではなかったんですか。
全然。だから周りからは「中学生群像」っていうドラマに出るようになって、
じゃあ将来は女優さんなのって訊く人も中にはいましたけれども、私は子供の頃小児喘息で、
当時は子供の喘息って大人になれば自然に治るみたいに言われていたんですね。
私自身も健康になってはいたんですが、そういうコンプレックスがあったんです。
ひ弱に育って…実はひ弱でもなかったんですけど(笑)。
当時の私としてはひ弱に育っているし、しかも俳優さん、女優さんになれる人は
選ばれた人だっていうのが私の頭の中ではあったので、
とてもプロにはなれっこないというのが強かったですね。
ただ、まあすごくテレビは好きでしたし、テレビドラマも大好きでしたし、
どちらかといえばテレビが好きだったんですね。
だから大学で東京に上京して4年間親元を離れて、
卒業と同時に帰りますっていう約束をしたんですけど、いまだに約束破ってますね(笑)。
4年間は思い出作りをしようと思って、その一環で三船プロとまたご縁が出来て、
プロダクションを訪ねて行ったら、当時女子大生でタレントでっていうのは、
まだちょっと付加価値があったんですね。
そんなことで、仮の専属契約を会社が結んでくれて、それで会社が当時3本ぐらい
レギュラーを作っていたので、三船さん主演のものですとか、「大江戸捜査網」ですとか。
スタジオもあるでしょ、三船プロは。
そう、オープンセットもありましたからね。時代劇が撮れる立派な撮影所がありました。
それで最初に中野良子さん主演の女の忍者ものでした。(※8)
私は忍者の子分で、ただ走って。映画スタイルで撮るんですけど、ただ山の中を走っていて、
アフレコで後で音声をつけるんですけどね、はぁはぁばかり言ってて酸欠を起こしそうになって(笑)。
加減がわからないから、目の前が真っ白になって。
まあ、当時の監督さんがよく教えてくれました。
映画の人、フィルムの人っていうのはね。
もう、錚々たるお名前の監督さんでしょ。東映、大映、東宝…超一流の監督さんたちで、
よく教えて下さったなって思いますけど。
お墓参りしてしゃがんで、そのままコロンって転げちゃったり、
恥ずかしいようなことがいっぱいあって、NG連発でした(笑)。
そういう意味でいうと、沖さんってやっぱり自分を魅せる、
魅せ方をよく研究していらしたって監督おっしゃったけど、
最高の自分でいつも現場にいるっていうのがあって、完成度が高かったと思います。
鶴吉の最終回のシーンは覚えていらっしゃいますか。
最後に御神輿をみんなで担いでいるところが最後だったんですけど、
お二人(鶴吉とやよい)が並んで、御神輿を見ているっていうのが全く最後のシーンだったんですが、
これで全部終了になりますっていうところを私は上から見ていたんです。
NHK放送センターって上に見学センターがあってガラス越しに。
ああ、私たちも時々手を振るんですよね、見学の方に。
竹下さんに振っていただいたことはなかったんですけど(笑)。
その時、沖さんはぽろぽろって泣いてしまって、もう本当に子供みたいになって、
西田さんに手をとられて下がって行くみたいな…。
「皆で鶴さんを送ろうね」と手を引っ張られて。
その時だけは子供みたいになっちゃってというのが、ご自分でも感慨深かったのかと。
いっぱいいっぱいのところがあったんじゃないですか。
22、3でNHKで無理をなさっていたのかなと。
一年間頑張らなくちゃいけない。
それはご自分で思っている以上にプレッシャーがきっとおありだったでしょうね。
ほっとしたんだと思いますよ。
視聴率が悪けりゃ全部自分のせいですから。
毎週毎週撮りつつ、一喜一憂…まあ、NHKですからそんなに数字は気にしないとはいいつつ、
やっぱりいい時もあれば悪い時もあったと思いますからね。
そんな中で自分が頑張らないとっていうことは、人一倍思っていらしたんじゃないですかね。
竹下さんはあまりそういうことは関係なく?
プレッシャーはなかったですね。
ただ、一年一緒だと、もう皆と会えなくなるっていうのが淋しいし、
そのスタジオもリハーサル室も自分の家よりも長くいる空間でしたからね。
そういう場所で皆と会えなくなるっていうのは淋しかった記憶があります。
前に丹古母さんが来て下さった時に、竹下さんについて
「可愛かったね。お嬢ちゃんお嬢ちゃんでね」とおっしゃってたんですけど。
いたいた、丹古母さん!(笑)
だからもう、本当に私、ただの子供でしたね。学生タレントですよね。
女子大生タレントって言われた走りでいらっしゃいますよね。
それで人気爆発で、沖さんは惜しいことしたなって思っていらしたと思うんですよ(笑)。
柏原監督は一番最初はどういう形で?
「大追跡」っていう番組が一番最初で。
まあ、今は監督やってますけど、その頃はずっとライターやっていましたから。
あんまり現場にはいらっしゃらなかったんですか。
あんまり現場は行ってなかったです。
書いていらっしゃる時分は。
そうです。打ち上げの時とかではお会いしますが。
沖さんのは結構書いてたんで、こっちが書いている以上に作りこんで来るじゃないですか。
動きがいいですから。
「大追跡」っていうのはアクションものなので、
結構ラフな動きをする藤竜(也)さんと、きっちり動く沖さん。
あと、チンピラ風の柴田恭兵(笑)。バランスがあるんですよね。
恭兵さんは当時チンピラ風だったんですか?
今はすっかり善人になりましたね(笑)。
当時はもう、リーゼントっぽい頭のチャラチャラしてる感じの不良っぽい感じで。
それがカッコ良かったんですけどね。だって今、武士の役でもシュッと…。
最近バカな芝居したくないみたいだから(笑)。
ずっと一緒にやってるんですが、やっぱり最近はそういう芝居はしたくないみたいで。
やっぱり気持ちが変わってくると。
沖さんはだから、そういう間に挟んでイジられたり。真面目な奴ってイジられるじゃないですか。
逆に途中からイジり返して行ったり、面白かったんですけど。
そういう意味では最初から、外れたことはあまりしなかった…。
ええ、最初からしっかりしていました。
たぶん、日活で、色々なスターの間に入ってやっていたから、やっぱり相当。
行儀みたいなことをね。
教わってたのと、あと、どうやったら自分がその中ではっきり映る、目立つかっていうことを考えてましたね。
そう、何が違うって、やっぱり映画の芝居ですよね。
その、アクションも映画のような気がする。
柴田恭兵さんっていうと、どっちかっていうと、それこそ小劇場のスターじゃないですか。
だから、その場の瞬発力みたいなものがすごくあるので。
西田さんも当時そうだったんですよ。瞬発力。
芝居を崩すとかそういうんじゃないんだけど。
でも、沖さんはワンカット、ワンカットの中で自分を魅せるっていうのかな。
沢山のカメラでそのシーンを撮るんだけど。基本そうですよね。
やっぱり自分の『出』っていうかで、ある程度決まりますからね。
映画関係の人は、沖さんみたいにやっぱり映画的になって来て。
でも、だんだんやって行くと、芝居的なこともやりたがるんですよ。(へー)
それだけじゃ満足出来なくなって。
後半、つか(こうへい)さんとかと一緒にやられていたみたいで。
だから、それだけじゃなくて違う方向に行きたいという。
逆に、芝居やってた方は映像やりたいとか、変わって行くと思うんです。
自分を変えたいっていうのもありますからね。
沖さんの中にもあったんでしょうか。
たぶん、あったと思います。
違う自分になりたいっていうか…。
ええ。
まあ、俳優さんだから色んな自分にはなるわけですけど。
やっぱり俳優さんが同じ役やりたくないっていうのと一緒で。
だから、渥美さんみたいにずっと寅さんやるっていうのはね。
それは大変だったと思います。
山田洋次監督さんは、今でも寅さん撮りたいっておっしゃるから…。
本当に大好きなんですよ。ああいう寅さん像を創った渥美さんをものすごく山田洋次監督さんは、
監督としておそらく尊敬をしていらっしゃるんですね。
渥美さんって分かりやすく話をして下さるし、その話がすごく面白いから、
いつの間にか皆聞き入ってしまうんですけど、楽しいところはすごく可笑しいし、
すごく笑ったりしながら聞き惚れてしまうんだけど、
その一方で普段はすごくもの静かなんです。
私は「男はつらいよ」はもう最後の方だったので、三十何作になってからご一緒したんですけど(※9)、
「ワタクシは病人でございますから」って、すぐ引っ込んじゃうんですよ(笑)。
セットチェンジの時なんかね。
だけどセットの中に入って待っている時なんかは、渥美さんのそばでみんな話を聞いていて、
「お嬢さん、何か不思議な話はありませんか」って。
私本当に鈍感だからお化けも見たことないし、UFOも見たことないし、
「いやぁ、渥美さんごめんなさい、私そういう話知らなくて」というと
「そうですか…。いや、実はね」と、怖い話を(笑)。本当に怖いんですよ。
そういう部分を山田監督さんは寅さんとして引き出して。
もちろん監督さんは監督さんでクリエイティブな部分はあるんだけれども、
ご自分の中にない渥美さんの素晴らしい部分を…。
ちょっと話は変わるんですけど、やっぱり山田さん自身、
僕もちょっと何回かお会いしてお話ししたことあるんですけど、大先輩ですよ。
インテリだからアウトローコンプレックスっていうのがあるんですよ。アウトローが好きなんです。
憧れるところがあって、初めハナさんで馬鹿シリーズやってて、
それから渥美さんになって寅さんになって。
やっぱりああいうアウトローが目の前に現れた時に憧れるんですよ。
ああ、なるほど。
じゃあ竹下さんもアウトローな女優さんに憧れるということはありますか。
怖いのはイヤ〜。(笑)
アウトローでもいいけど、私が出会った時にはもう渥美さんの寅さんは
だいぶ丸くなっていらしたんですよね。
丸くなってたよね。
最初の頃を観ると、暴れん坊で。
そうそう、最初の頃はこんな奴が横にいたらエライ騒ぎだってことがあったのに、
だんだん丸くなって来てますよね。
おいちゃん、おばちゃん、さくら、寅さんはどんなに大変だったろうと思うけど、
変わらないとはいえ、変わって行きますものね、あれだけ長くやって行くとね。
だから、哀愁を感じさせる引き際の潔いあんな人には憧れますよね。
もはやあまりアウトローではなくて。
下町のいいおじさんになってて。
そうですね。
沖さんは一回も出てないの?
ないです。
普通、オファーがあってもおかしくないよね。
え、そうですか?どこに入るんですか?(笑)
ライバル役とか。(えー?!)ヒロインのライバル役とか。
意外と長くやってると固まっちゃうじゃない。
沖さんみたいな違うのが入って来ると、面白かったと思うけど。
沖さんはずっと映画がやりたくてやりたくて…ずっとおっしゃってたんですけど、
やっぱり映画の出身だからなんでしょうかね。
そうでしょうね。
でも、映画に力のない時代だったから。
私たちの世代はそうですよねぇ。
「ブルークリスマス」は勝野(洋)さんと竹下さんで売り出すみたいな宣伝文言はあったんですけど、
石井(幸一)プロデューサーによれば東宝にそんな力がなかったからとおっしゃっていました。
勝野さんとコンビで売りましょうという話はあったんですか。
う〜ん、どうでしょうね。
三船プロとしては勝野さんを売り出そうというのは、機運としてはあったと思いますね。
三船プロは経営でいえば東宝のグループ会社だったので。
でも演じる現場の私たちというのはあまり外野の思惑は関係なかったと思います。
「ブルークリスマス」は監督が岡本喜八さんなので、けっこう東宝は力入れてたはずなんです。
力は入れたかも知れないけど、そして豪華出演者ではあるんですけど、
SF映画撮るにしては予算がなかったんですよね。
そうだと思います。
だから宇宙船が一個も出て来ない(笑)。超低予算のSF映画として歴史に残ってますね(爆笑)。
やっぱり東宝からすると大作風にして、岡本さん監督だし書いてるの倉本さんだし。
でも、今言ったように予算の問題とかで規模感が出なかったから、ちょっとね。
あれだけのメンバーを揃えて。
そうですねぇ。
仲代(達矢)さんは出てるしさ。
無理にSFにしなきゃ良かったかも(笑)。今だから言えることですけれども。
倉本さんはSF向いてないと思う。北の国ですから。(笑)。
やっぱり大地に根差す方が。
人間ドラマの方が。
なんでSFになっちゃったんですかね。
東宝は特撮が得意だから、思わずその方向に行きたがるんですよ(笑)。
でも「北の国から」でも最初UFOが出て来たという話もありましたよね。
UFOは(原田)三枝子ちゃんの先生が登場するエピソードですけど、
大きい自然というと伝説とか民話とか神話とか。
だから、倉本先生の作品の中には「ニングル」っていう舞台劇がありますけど、
精霊たちの物語ですよね。UFOといっても、どっちかっていうとそっちに繋がるお話です。
そういうおとぎ話のような不思議な話は、アイヌの人たちの中にもあったりするんじゃないですか。
元々そういうところに五郎さん(田中邦衛さんの役名)はシンパシーを感じて住んでいるわけですけど、
私たち人間というのは自然の中ではひとつの生き物であって、
決して人間だけが偉いんじゃないということを、まあ家族のドラマではあるんですけど、
そういうこともあったんではないかなと思いますね。
私が竹下さんを好きだと言うと、たいていの方は「北の国から」を出すんですよね。
やはりそう言われる時が多いですか。
多いです。そして連続ドラマとしては半年のドラマで、オンエアが82年か3年(※10)で、
それがすごくヒットしたので、それからスペシャル版として20年続いたんですけど。
最初の半年間のドラマを一年半かけて撮ったんですね。
富良野の四季を撮らなくてはいけないんですけれども、
そんなに長期のビデオのロケ、今までテレビ業界は撮ったことがなかったんですね。
しかも極寒の零下20度にもなるところですから。
最初夏に合宿をして秋に撮り始めましたから、すぐ冬になっちゃって、寒いわけです。
私たちは富良野プリンスホテルで。
役者は風邪ひいたり怪我したりするといけないからって。
スタッフさんはペンションですけど、私達は立派なリゾートホテルに泊まって、
そこから現場に行くんです。スタッフは本当に南極越冬隊みたいな格好ですよ。
ダウンなんてまだない時代で、白金カイロで(笑)。
だから動けないったらありゃしない。それでこんな大きいカメラなんですけど、
とにかく寒いと電池が早く消耗するので、毛布でぐるぐる巻きにして、本当にすごい撮影でしたね。
冬の間それを撮って、雪解けの季節になると綺麗な景色は撮れないので、
当時まだフジテレビが河田町にあって、
「ただいま」って言ってドア開けるところまでロケで、
バタンとドアを閉めるところからフジテレビで(笑)。
そんなことをやりながら一年半かけて撮ったので、かなり思い出深いロケだったです。
でも、倉本先生もしょっちゅう現場に来て下さって、
それで皆でディスカッションしたりしながら、合宿みたいでした。
だんだんストーリーが暗くなって来るんですよね。竹下さんも…。
だから、可愛い子はいじめたくなるっていうじゃないですか(笑)。
そうだったんですか。
倉本さんもそうだったんですよ、きっと(笑)。
幸せにしたくない。落とすだけ落してやる、みたいな。(爆笑)
じゃあ山田洋次さんも、そういうところから(笑)。
そうかも知れないですね。
富良野によく皆さん夏休みにいらっしゃるんですけど、
私は毎夏キャンプに行ってるんです。
ファミリー・キャンプっていう形で、一泊なんですけど、全国から来て下さって。(※11)
キャンプに参加された方と、地球の46億年の歴史を460メートルの道に例えて
フィールドを一緒に歩くんです。
が作ってあって。フィールドをね。
ここでこんな出来事がありましたって。
あとは五感を使って。どうしても私たち物を見ることで情報を得ることが多いんですけど、
本来は耳で聴いたり鼻で匂いを嗅いだり、手や足で触ったり、
それが全部あって生きているっていう実感を伴うということを
小さい頃に体感してもらいたいということで、
ご家族で参加してもらえるキャンプに毎夏行くので、旅行者の方にも会うんですよね。
そうすると、ビデオ借りて全部観て来ました、とかね。
古い作品でも若い方がよくご覧になる作品ではありますね。
「雪子おばさん」とか呼ばれて、当時は「え?おばさんじゃないわ」と思って
「はい?」なんて答えて。(笑)
撮ってる時は皆一生懸命ですけど、そうやって残っていくと嬉しいな、
ありがたいなと思っています。
鶴吉もいっぱいみつかるといいなと思っています。
本当ですねえ。樋口さんが持っていらっしゃるとはねえ。
脚本家の先生方は持っていそうですけどね。杉山義法さんですからね、ほとんどは。
NHKの方にも訊いて下さいよって言ったんです。
杉山先生お亡くなりになって、ご遺族の方が…そういうことはないんですかねえ、当時は?
ああ、でも結構好きな人はビデオが一番最初のデカい時から持ってました。
「太陽にほえろ!」の小川英さんは、お金持ちだから(笑)沢山持ってました。
初期の頃でもお金のある人は買ってました。
当時はテープひとつ一万、二万とかそういう時代でしたから。
ビデオデッキだって大変なものでしたよね。
私なんか、とっても手が出なかった。もちろんね。
あと、ディレクターが持ってるかも知れない。NHKの。
NHKの方もあちこち訊いたとおっしゃっていました。
ハナ肇さんのところも、ご遺族が膨大な量があるから調べきれないということだったとお聞きしました。
西田さんはご自分の出演作を全部ディスクに焼き直してるって。
それを観てご自分で泣いてるって(笑)。
景子ちゃん良かったよ〜って。ご一緒に出演したものがいくつもありますので。
久しぶりに観たら泣いちゃったんだよ〜って。
いい人だから、西田さん。思い出して泣くらしいです。
(西田さん所属の)青年座で取っていないですかね。









あっという間の一時間が終了し、ここで参加者からの質問タイムです。

Q:沖さんのお人柄について、教えていただければ。
私の印象では画面の中と変わらない人でしたよ。
鶴吉なんかでも本当にお若かったので、
周りの人たちがそんなに壁を作るっていう感じではないんですけど、
皆でふざけるとかいうことは全然なかったかな。やっぱりクールな沖さん。
私の中では一つ違いでも大人でしたね。
デビューが早かったから…15で家出してすぐデビューして、
大人にならざるを得なかったところもあったのでは。
そうですか…。そういう個人的なお話は私は一切しなかったですね。
(柏原監督に)何かお話されたことあります?
僕は打ち上げでちょっと話しただけで、細かいことは話していないです。
プライベートなことはあまりお話しにならない方でしたよね。お酒は強かったですか。
わかんないですね。
あんまり飲んだっていう…私はそういう席に行かなかったので分からないけど、
皆で飲みに行くとかっていう話もあんまりなかったんじゃないかな。
西田さんとは新宿の焼き鳥屋さんに行ったんですけど。(笑)
やっぱり新劇っていう感じですよね。わいわいっていう感じで。何人かご一緒してね。
沖さんはそういう席にあまり参加されなくて。
やることが多かったっていうこともあるかも知れないですよね、主役だし。
掛け持ちで仕事もされていたので。「ふりむくな鶴吉」の後半は京都で必殺があったので、
往復してやっていらしたので、お休みが全然なくて。
そういうこともあったので、多分そういう暇もなかったのではないかとも思うんですけど。
車の運転がお好きだったんじゃないかな。
女優さんもそうですけど、車運転することでストレスを。大きな声を出して歌を歌ったりとか。
沖さんはそんなことはないと思いますけど(笑)。
だから好きだって山本陽子さんはおっしゃってました。
思いっきり一人で自由になれるっていう場所が車で。
沖さんちょっとそういうところがあるかも知れない。
Q:鶴吉の頃はとても生意気でって30歳の時ご自分で中尾ミエさんの前でおっしゃっていたのですが。
ミエさんにもずいぶん迷惑をかけて、とおっしゃっていたんですが、
そういう感じはなかったのでしょうか。
そうだったのかなぁ。
いや、生意気っていうか…まあ、スターさんみたいな雰囲気はちょっとあったかも知れない。
でも偉そうにというのではなくて、あくまでも役をきちんと掘り下げてという、
そういう意味でのスター性はありましたよ。
生意気ねえ。(笑)生意気ってどういう時に生意気なのかと思うけど。
照れだよ。照れで言ってるんじゃないの。
先輩の前で生意気とか、私の中ではそういう記憶はないですし、
さっき監督がおっしゃったように、(脚)本を自分で直すということもなかったし。
寡黙な感じだったような気がします。
伊吹吾朗さんとかと…。
あ、伊吹さんとの方が…大人たちの方が話していたような…。
でも、自分からしゃべるっていうよりは何となくそこで相槌打っているとか。
笑ったりはもちろんするでしょうけど、自分がいつも話をしてそれでリードする感じは…。
伊吹さんは色々おしゃべりしていて、今もにぎやかっていうか楽しい方ですけど、
むしろ伊吹さんの方がムードメーカーだったかも知れないですね。
Q:沖雅也さんの死を知られた時、どう思われたでしょうか。
それと今日の沖雅也研究会、いかがだったでしょうか(笑)。
出来れば「笑っていいとも!」形式にどなたか次のゲストを紹介していただければ。(爆笑)
私が紹介するんですか?(笑)
まず、沖さんの訃報はどこで知ったかちょっと憶えていないんですが、
ただもう頭の後ろを重い物で殴られたような、そんなショックですよね。
田宮二郎さんが亡くなった時、ロケ現場で私達『えっ?!』と言ったんです。
たまたま私が住んでいたマンションの隣りに田宮邸があったんです。
それで一方的に親しい感じがしていて。
初めてのドラマのレギュラーがTBSの田宮二郎さん主演の「白い影」で。
ヒロインが山本陽子さんで、医師と看護婦のロマンスもあり、医療ものでもあって、
看護婦さんがいっぱいいて、その一番下っ端で、
真ん中に中野良子さんがいて私はそのバーターで(笑)、
私は走ってるばっかりで。銀のトレイを持って先生と中野さんの後をついて歩いてました。
なので、その訃報がすごくショッキングで、その場で皆で黙祷したんですね。
沖さんが亡くなられたのは勿論その後で。
(沖さんの時も)もう何年もお目にかかっていなかったので、
ショック以外のなにものでもなかったです。
どうしてと考える余裕もなかったです。嘘であって欲しいと。
姿三四郎の時は明るかったから、それが気になっちゃったんですよ。
どこか無理してたんじゃないかしらって。
その前の「大追跡」という作品でだいぶイジられて、沖さんの中では面白くなったんですね。
それで沖さんのキャラクターがちょっと変わって。
その次が「俺たちは天使だ!」っていうものすごく弾けたドラマがありまして、
わりと明るい役が多かったので。
「姿三四郎」の時はまだそんなに病気という感じではなかったんですね。
ただ、人と接することを覚えたって言っちゃ変ですけど(笑)、
藤竜也さんとかが沖さんを育てて下さったんじゃないかと思うんですけど。
それだけのことかも知れませんけど…仕事だけ!っていう感じでしたから、
ちょっと私はきょとんとした記憶があって。
それが沖さんとお目にかかった最後だったので、
亡くなった時にそんなことを勝手に結びつけて考えてしまったのかも知れないですね。
あと、えーと、次にご紹介っていうのは(笑)、鶴吉でまだ出ていないのは誰ですか?
伊吹さんも西田さんもまだですし…というか、丹古母さん以外はまだです(笑)。
私の中では竹下さんがこの研究会の最終回と思っていて。
最後は竹下さんに来ていただきたいという一心だったんですね。
まさかもう来て下さるとは思わなかったので、次まで頭が回らない状態です(笑)。
ぜひNHKの方に働きかけていただいて、鶴吉を鑑賞する会を…。
鶴吉の前の「天下堂々」という番組はアーカイブスで出演者が集まってという会があったので、
主演の沖さんがいないとアレかも知れませんが、
出演者が集まるという会があってもいいと思うんですけどね。(管理人ふたたび熱弁)
ただ、皆さん大物になりすぎて、来て下さるかどうか。
伊吹さんは来ると思う(笑)。フットワークがいい方ですから。
Q:以前、吉沢京子さんが(研究会に)いらした時に、
撮影が終わって車でおうちまで送ってもらったっていう話をされていたんですが、
竹下さんは送っていただいたりとか、そういうことは(笑)。
(無言で手で大きくXマーク)(爆笑)
気になったわけですね?報告が出来なくて申し訳ないです(笑)。
こんな車だったのよとか、こんな曲聴いてたのよとか言えれば良かったですけど。
帰る時間が別々だったんじゃないでしょうか。鶴吉はロケじゃないから、ロケがあれば…。
全部セットでしたよ。土手とかも全部セットで作ってましたからね。
Q:音声の中でおっしゃっていた
(ダイジェストの中にあった『奥さま8時半です』での竹下さんの発言)
お茶目な沖さんというエピソードが、何か他にもあれば。
あんまり覚えていないですねぇ。
ベビー大福と名づけられた時は、『お前はベビー大福だ!』とか言われたんですか(笑)。
どうだったんでしょう。呼ばれたら覚えてそうなもんですけどね。どうだったんだろう。
でも、多分呼んでたんじゃないですか。それを聞いて笑ってたりしたんですかねえ。
でも、呼ぶのに長いですよね、ベビー大福って。
ベビー!とか大福!とかだったらいいですけど、
ベビー大福〜!って呼ぶのは、ちょっと大変ですよね(笑)。
沖さんも否定していなかったですよね。竹下さんの場合はそういうイメージでって。
呼んでたってことにしておきましょうか(笑)。
Q:「ゲゲゲの女房」で竹下さんがイカルの役をされていた時に、
ご主人役の風間杜夫さんの役が、年取った沖さんがこの役だったら
ぴったりなんじゃないかといつも観ていたんですね。
あの年になってご夫婦役ならぴったりなんじゃないかと思っていて。
竹下さんは沖さんがもし生きていらっしゃったら、どんな役が。
想像出来ないです。でも監督、小林旭さんがうんと若い頃ね、沖さんとソックリでしょ。
すごく似ているんですよ。口元とか。
だから北帰行がヒットした時の小林旭さん。
ああいう風になったかなあとちょっと思うんですけど、それ以降はやっぱり想像が出来なくて。
風間さんのお父さんは銀行を潰しちゃったりとか、
映画が好きで映画館作ったけど潰しちゃったりとか、夢をいつも追いかけてるお父さんで、
経済力では頼もしくないんだけど、それを補って余りある包容力がある
優しくて、洗濯物を干してくれるあったかさのある、優しいお父さんでしたよね。
沖さんのお父さんって、ちょっと想像出来ないんですが、観てみたかったですよね。
相手役がない役が多かったんですよね。沖さんは孤高の男みたいな役が多くて。
結婚している役もほとんどなくて、子供がいるとかそういうイメージじゃなかったんですね、
やっぱりキャラクターが。
素敵に年をとられたと思いますけどね。
ちょっとやせがまんが似合うというか、そういう年の重ね方を私だったらして欲しいですね。
マイホーム・パパみたいになって欲しくない(笑)。
カッコいい沖さんでいて下さるんじゃないかと思います。
Q:映像を観た時、沖さんとすごく身長差がありましたが。
すごーくありました。
Q:ラブシーンとか大変だったとか。
いつも見上げてたっていう印象しかないです。
ただ、鶴吉の場合は私はほとんど下駄はいてるので。おうちの中は正座してますから。
だから外で会う時はちょっとだけ上げ底だったので、少しカバー出来てたかも知れませんが、
何か言う時には沖さんが少しかがむまでは行かないけど、そんな風にして下さっていた気がしますね。
よく、撮影で台の上にっていうのが…それはなかったですかね。
時にはあったかも知れないです。胸から上を撮る時とかね。
私がフレームの下に行っちゃうから(笑)。
私、殺陣で相手の方が台の上に立っていたのを見たんですが。NHKで。
それは大きい台の上で?
いいえ。多分、アップを撮るのに丈が合わなかったのかと。
多分ね…。でもそれは、初めからわかってキャスティングすればいいのにね(爆笑)。
台の上での立ち回りは大変だったと思いますね。
そりゃ、そうでしょ(笑)。
女優さんはあまり背が高いと相手役に困ると聞きましたが、
竹下さんはこんなに小さい方とは思わなくて。お顔もこんなに小さくて。
最近は男の方も大きいんです。阿部寛さんも大きいんですよ。
だから「坂の上の雲」の時も大変でしたね。ゲゲゲの向井君も背が高くて。
だから男優さんも皆背が高くなったけど、初期の頃はやっぱり沖さんが一番背が高くて。
Q:最後に、竹下さんの中では「ふりむくな鶴吉」は、どんな位置でいらっしゃいますか。
NHKアーカイブスで鑑賞会があった時に、お手紙に「私の青春です」と書いていらっしゃったので…。
スタートラインでもあり、青春ですね。
色々な作品があったから忘れちゃったということもおありでしょうが、
鶴吉は印象ありますか?(やや強引な管理人)
一年フルに収録にかかわったっていうのは大河ドラマがあったりと色々ありますけれども、
その中で皆が一生懸命に全身全霊を込めて作品に取り組んだという、
沖さんも若かったから本当にそうだと思うし、
だからラスト・シーンの涙にもきっとなったのだと思うし。
沖さんほどの張りつめ方は…私ははしゃいで終わったような気がしないでもないんですけれども、
それだけレギュラーの沢山の皆さんの中に私も参加が出来て、毎回毎回ドラマがあって、
そんなめくるめく一年間!後にも先にもないですものね。
私自身も怖いもの知らずだったので、
もしかしたら中尾ミエさんも迷惑だなあこの子って思っていらしたかも知れないですけど(笑)、
ハナさんにしてもおありだったかも知れないですけれども、でも、そうして皆仲良かったし、
沖さんっていう大黒柱がいてくれたので、皆で沖さんを大事にして、
楽しく元気にしていた一年でしたものね。
それ以降、そんな作品は…まあ、苦労した作品ということではいくつか思い浮かぶんでしょうけど、
大好きです、鶴吉。沖さんの中でも大好きな作品になってるんですか。
一番好きな作品だとおっしゃってました。
沖さんが亡くなった時に衝撃が大きかったので、
沖さんの話っていうとそっちの話になっちゃう人も多いし、
あることないことばかり言われて敵ばっかりみたいになっちゃっていたんですね。
それをまた今何十年経って、
こうして竹下さんがいらして沖さんのお話をして下さるということで、胸がいっぱいで。(拍手)
私も本当にいい時間でした。


〜〜〜☆☆☆〜〜〜☆☆☆〜〜〜☆☆☆〜〜〜

竹下さんの言葉遣いの美しさにも惚れ惚れしましたし、
沖さんのお話の他、「北の国から」「男はつらいよ」のエピソードもうかがえて、
とても充実した時間でした。
「北の国から」のUFOのについても謎が解けましたし、
渥美清さんが竹下さんのことも「お嬢さん」と呼んでいらしたことがわかったりして、
竹下さんファンも大満足でした。
柏原監督に源之助が立つシーンについてうかがえたのも、大きな収穫です。
書いたり演じたりする方は、こんな風に考えるものなのですね。
沖さんは本当に素敵な方と一緒にお仕事をされていたのだなあと、
後で皆さん口々におっしゃっていました。

竹下景子さん、こんな小さな会に足を運んで下さり、本当本当ににありがとうございました!


※1 「姿三四郎」は日本テレビ開局25周年記念番組企画
※2 TBS「早春物語」1976年1月15日〜4月22日放送
※3 鈴木治彦TBSアナウンサーと、宮崎総子氏(フリー)が司会の朝の番組「奥さま8時半です」
※4 1977年に政治家の荒船清十郎氏と竹下景子さんが雑誌の企画で対談した時、
荒船氏が「息子のお嫁さんにしたい」と言ったところからブレークし、
「お嫁さんにしたい女優癸院廚噺世錣譴
※5 テレビ東京「ミエと良子のおしゃべり泥棒」は1982年5月21日放送
※6 木内みどりさんゲストの「ふりむくな鶴吉」は第4話『深川余情』
※7 1969年のNHK「中学生群像」
※8 現・テレビ東京「おんな組アクション控」
※9 竹下さんの「男はつらいよ」は第32作、38作、41作の三作
すべて違う役での出演ということではヒロインとして最多
※10 「北の国から」の連続ドラマは1981年10月9日から1982年3月26日放送
※11 富良野自然塾の主催で、ほぼ毎夏「三世代ファミリーキャンプ」が開催されており、
竹下さんがインストラクターを務めている










終了後は特別にツーショット撮影会に応じていただき、
皆さん嬉し恥ずかしで隣りに並んでいらっしゃいました。
撮影はユウさん。最近お仕事で使うというカメラと三脚を買われたということで、プロの撮影です。
クリスマスということでプレゼントを渡される方もいらしたのですが何故かお酒が多く、
マネージャーが「竹下はいったいどういうイメージなんでしょう」と苦笑されていました。

その後、2Fの三日月座へ移動して、竹下さんに一言いただいて乾杯をしました。
竹下さんの「沖さんに乾杯!」の声を、その場にいた者はいつまでも忘れることはないと思います。







闘病中のひまりさんにも温かい声をかけていらしたり、
トコさんが持っていらした「ふりむくな鶴吉」の台本に見入っていらしたり、
宮城からいらしたmarioさんに宮城のお話をされたりと、
とても気さくな竹下さんに、皆さんすっかり魅了されていました。

お時間が限られているので、こちらがハラハラするほど皆さんとお話しして下さり、
これにも皆さん感謝感激です。
最後に皆で記念撮影。







外でポスターと記念撮影する竹下さん。本当にお美しいです。







車に向かわれると、柏原監督がさっと前に出て車のドアを開けるエスコートぶり。
ハードボイルドですが、フェミニストでもある柏原監督です。

いつもよりごった返す三日月座ですが、ここでくじ引き。 ミルキーさん渾身の沖さんカレンダーが6名に当選しました。

柏原監督には感謝をこめて、金のジャケットが贈られました。
サービス精神で帽子を被って出て来て下さいました!
柏原監督、今回も大変お世話になりました。










今回も竹下景子さん、柏原監督ご夫妻、そして参加して下さった皆様のおかげで、大変楽しく、そして沖さんを感じられる温かい会となりました。
皆様に、ここでお礼を申し上げます。

付記:ミルキーさん、marioさんのブログもご覧下さい。
「ミルキーさんのブログ」

「marioさんのブログ」



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