告白シマース! 年齢と体重でウソついてました…

初対面モジモジ対談 吉沢京子/沖雅也

『さぼてんとマシュマロ』NTV系・土曜・夜7:30〜8:00(10月2日より)
テキレイ期の男のコと女のコが、初めて顔を合わせるとこうなる!
見本みたいに最初はおとなしかったが、後半は大変、一気に若さが爆発した!

1971年10月 月刊平凡より














雑草とバラ
── 映画撮影中オートバイで転倒負傷した沖雅也くん。
10月から放映の『さぼてんとマシュマロ』で、吉沢京子ちゃんと、共演が決まりました。
8月のある日、退院した沖くんを京子ちゃんがお見舞い。
ふたりとも人見知りがひどく、初対面でもじもじ。
そのうち、思いきったように京子ちゃんから口を開いた…。

吉沢 もっと重病人かと思ってました。ピンピンしてるのね。
沖  当然サ、若いんだもの。回復力バツグンなんだョ、雑草の強さを誇ってるんだ。
吉沢 お見舞いのプレゼントにバラの花持って来ました。
花ことば「情熱・あなたにめぐり会えてよかった」
沖  うれしいなァ、『さぼてん』でめぐり会った雑草とバラだね。
吉沢 沖くん、雑草より頼りになる大木って感じョ。

── 早くもイキが合ったところ見せはじめたふたり、この分なら、いい番組が出来そうです。

沖  京子ちゃんて、実物の方が写真よりやせてるカンジだね。もっとオデブチャンかと思ってた。
吉沢 やせたんです。夏やせ。4キロも減って、今46キロ。
沖  そうすると、昔は50キロ?
吉沢 前はサバ読んでたの。カッコ悪いもん。
沖  ボクもサバ読んだこと、あるんだ。
吉沢 体重? 身長?
沖  年齢。16歳の時、19歳って言ってデビューしたんだ。
今年、19歳になったらケガしちゃった。バチがあたったのかなァ。
吉沢 19歳は女の子のヤク年ョ。女の子だったら大変ね。
沖 男でよかったなァ。女の子だったら、京子ちゃんともコンビ組めなかったし。
吉沢 調子いいわねェ。
沖  調子にのってるんだ、いま。すごくツイてるカンジ。
吉沢 毎日、退クツしない?
沖  そのこと。だれか見舞いに来てくれないかなァと思ってたんだ。
吉沢 食べて、寝るだけ?
沖  ウン、食べるのと寝るのが、ボクの趣味でよかったョ。
吉沢 あたしも食べるの趣味ョ。人の分までとって、食べちゃう趣味があるの。
沖  趣味ワルイなァ。気をつけないと、弁当横どりされちゃうかなァ。
吉沢 人のお弁当ほど、おいしそうに見えるものはないわね。
沖  ワルイ女の子と組んだなァ。
吉沢 ワルイコトはイイコトョ。

京子ちゃんのヌード!?

── 京子ちゃん17歳、身長156センチ、沖くん19歳、身長183センチ。ふたりならぶと、ゴランの通りです。

沖  年齢は、ふたつちがいで、ちょうどいいんだけどなァ。
吉沢 沖くんが大きすぎるのョ。
沖  京子ちゃんが小さすぎるのサ。
吉沢 コンプレックス感じるわ。
沖  短小の悩みはよくあるものサ。
吉沢 なんのこと、それ?

── なぜか、ドギついムードが漂っています。こんなドギツサいっぱいの男性週刊誌の編集部を舞台にしたのが、『さぼてんとマシュマロ』

吉沢 男性週刊誌、読む?
沖  『平凡パンチ』、ボクの愛読誌。マンガも好きだけど。
吉沢 京子、『パンチ』にのったことあるのョ、昔。
沖  ホント? ヌード?
吉沢 やーね、着物着てョ。
沖  残念、10年早いか。平凡の人たち、一緒に来なければすごいいいムードなんだけど、残念だなァ。
吉沢 撮影はじまったら、イヤでも顔、合わせるようになるわョ。
沖  はやく、イヤになりたいなァ。

── 番組で演ずるのは、恋人どうしなんですが、ソバで見た限り、夫婦で共演するようなハシャギ方でした。
二人ともノってました。


沖さんがアイドルとしてブレークしはじめた頃の対談で、顔にも幼さが残って初々しい。



特集グラフ★秋のヤングのおしゃれくらべ

男の部屋

テッテイ主義の…沖雅也

1971年10月 月刊平凡より

まっ白なジュウタンは一ヶ月に一度はクリーニング、こりにこった照明
なにしろすべてがデラックス
ぼくの身分じゃ…なんていわれそうですけれど、この部屋はオジのマンションなんです
仕事中にケガをして ギプス生活をしているため
動きがとれないので 目下は居そうろうの身分なんですよ







スター私生活ルポ 沖雅也くんのおかしなひとり暮らし

われわれ、平凡特別調査団は、きょうの私生活探検に沖雅也氏を選び、
テッテイ的に追求してみた。ところが、である…。

1971年12月 月刊平凡より











新宿駅徒歩10分、バス、トイレ、水道付き、電話アリ、権利金敷金不明、家賃5万円。
これが、沖雅也氏の住居であります。
新宿の雑踏にも近く、有名な花園神社のそば、青少年に良い環境であったヨ。
ここは、沖クンのマンション。
沖クンはまだ結婚してません。
結婚というのはアレだから、つまりひとり暮らししている、独身男性なのだ。

全国の独身女性12歳から29歳ぐらいまでのだれかが将来、沖クンの嫁サンになるわけで、
この本を読んでるあなたかも知れません。
独身男性というのは、不便なもので、待っててもだれも料理も洗たくもしてくれない。
クイズ第1問、沖クンは洗たくはどうしてるの?
解答、ほかにやる人がいないので自分でやる。
パンティーとクツ下だけ。パンティーは無数、クツ下はスーツ以外の時ははかない。
つねにハダシであります。
クイズ第2問、料理はどうしてるのか?
解答、男の子も19年生きると物グサになる。
料理も昔は、ハンバーグ、スパゲティあたりまでマスターしたのだが、
最近は米をトグのもメンドー。
電気ガマに洗ってない米ブチコンで、水をうってあったヨ。
タイテイ、腐る、とのことだ。
マンションの一階上に、伯父さんが住んでいて、そこでメシにありつくと彼は告白したのである。
それでは、部屋の清掃はどうしているのか。
写真でわかるように、電気掃除機などという文明の利器がある。
これでゴミを吸いまくるのだ。
休みの日、部屋でボケーッとしてるか、フラフラ買い物にいくか、読書をたしなむ。
多彩なスポーツ歴を誇る彼も、オートバイから落馬?してから芸がなくなったヨ。
また、沖氏はコーラとサイダーで生きてるというカンジで、
台所のスミにコーラが2ダース、サイダーも20本。
結論としては、こりゃ、どうしても女房ちゃん必要ということであった。

「さぼてんとマシュマロ」の頃に住んでいた新宿のマンションの記事。
アイドルは何でもオープンにしなければいけなかった時代なのだなあと
今見ると驚く。




座談/このグーな3人組 仲雅美 吉沢京子 沖雅也
シャレた関係ってオレたちのコトだな!?
いまグングン人気の『さぼてんとマシュマロ』。
ドラマと同じくらい仲雅美・吉沢京子・沖雅也の3人は
恋人ムードがいっぱいなので〜す!

1971年12月 月刊明星より

雑誌社を舞台に、カメラマン役の沖クン、その弟役に仲クン、
定時制高校に通学しながらその雑誌社のアルバイトをしている吉沢京子ちゃん。
沖クン仲クンの兄弟と京子ちゃんが恋に…というのが『さぼてんとマシュマロ』なんだ。
もちろん、さぼてんは沖クン仲クン マシュマロは京子ちゃん。
さぼてんに近づくとトゲでチクリ。
ふたりに接近する女のコはナゼかケガしちゃうというワケだけど、
ホントのふたりはトゲ1本もないから平気だョ。
仲クンのスケジュール(『刑事クン』(TBS系)※原文のまま)、
『どくとる親子奮闘記』(フジTV系)にも出演)の都合で、
この3人がそろうのは週に1回だけ。
3人いっしょのところをのぞいてみたら…。

三角関係

仲  京子ちゃん、大丈夫?
京子 ナニが?
仲  ボクがいない間に、雅也に誘惑されなかった?
沖  オイオイ。雅美、心配するなよ。京子ちゃんをエスコートする時はドウドウとやるから。
仲  それでこそオレの兄貴役だ。(笑) 沖  ところでさ、京子ちゃん。もしドラマと同じようによく知ってるふたりの男のコから愛されちゃったらどうする?
京子 ワァーステキ
仲  浮気者!(笑)
京子 だけど、ふたりとも、ホントにステキだったら困っちゃうと思うわ。ちょっぴりイカスけどネ。
沖  ウン。わかる感じだな。
仲  芥川龍之介の『偸盗』って小説は、沙金という女性を兄弟が愛しちゃうようになるんだ。最期は沙金が死んじゃうけどネ。
京子 死ぬんじゃゴメンダワ。
沖  現実的。(笑) 京子 雅美に雅也 名前も兄弟みたいでドラマの延長みたいでしょ。だから、私たち最高の三角関係じゃない。
仲  死ぬ心配もないし(笑) 沖  世界でいち番平和なシャレタ関係ってとこだな。
京子 話違うけど沖さんもうケガは平気?
(今年7月、映画のロケ仲に単車で転倒して右肩を骨折)
沖  ウン。この前、骨をつないであった針金をとったんだけど、もうスッカリいいんだ。でも、このドラマが始まるまで運動しないでジッとしてたらカラダがなまっちゃって。
京子 ヤーネ。オナカが出てきたみたいな感じョ。 沖  冗談じゃないョ。まだ19才だョ。腹なんか出たら大変だョ。(笑)
仲  ボクたちって、スポーツする機会あんまりないだろう。だから、ボクは朝起きると時どき縄飛びやるんだ。
沖  縄飛びは腹にいいんだゾ。
京子 もうやめて!年寄りみたいョ。

盆栽 麻雀 寝だめ

仲  雅也、撮影が休みの時はどうしてる?
沖  オレは釣りが好きだろ。海へ行きたいんだけど、時間もないから釣り堀でガマンだな。それに盆栽。
京子 ヘェー!沖さんが盆栽いじるなんて想像できないワ。
沖  オレはこう見えても意外とクラシックなんだ。雅美なんてどうかな
仲  明日は休みなんて聞いたら、スグ友だちに電話ジャンジャン。それで麻雀。
沖  京子ちゃんはナニやってんの?
京子 お母さんとショッピング…それから寝だめ。(笑)
仲  全員、恋とはほど遠い状態だ。
京子 それにしても、日舞、三味線バッチリの仲さんが麻雀ジャラジャラ。元モデルの沖さんが盆栽とは大発見のビックラだわ。(笑)
沖  京子ちゃんの寝だめもビックラだョ。(笑)でも、マシュマロ娘の京子ちゃんとしては寝顔がまたカワイイって感じ。
仲  京子ちゃんが歌ってるこのドラマの主題歌『恋をするとき』じゃないけど猯を夢みるとき”って顔でネ。
京子 ふたりに、ごちそうしなきダメみたいネ。(笑)
仲  マアマア、固いコトは抜きにして。雅也は歌のほうは?
沖  いろいろ話はあるんだ。いい曲があればやりたいけどネ。雅美はドラマづいちゃってるけど、歌も『ポーリュシカ・ポーレ』がヒットして大忙しだな。
仲  おかげさまで。12月に新曲『涙のジャーニー』が出るんだ。みんなに宣伝してくれよな。(笑)
沖  OK。(笑)オレも京子ちゃんや雅美に負けないようがんばるゾ。

来年やりたいモノ

京子 今年の残り少なくなって来たわネ。ゼッタイやりたいものってナニがある?
沖  これぞアクションっての。オレは今までスタントマン使ったコトないんだ。その実績を生かしてね。
京子 また骨を折らないでョ。
沖  大丈夫!(笑)
仲  ボクは本格的な時代劇に取り組んでみたいな。それも一生を演じるようなモノをね。京子ちゃんは?
京子 見るひとをウットリさせるような“恋物語”。たとえば『ロミオとジュリエット』みたいに。
仲  三角関係じゃないやつネ。(笑)



「さぼてんとマシュマロ」がヒットし始めて、アイドルらしくなって来た頃の対談。
映画「八月の濡れた砂」の撮影中の骨折のことや、歌に挑戦することなどが話に出てきて面白い。
それにしても、沖さんがパチンコが上手だったり、仲さんが麻雀が趣味だったりと、藤氏のアイドルの発言として大丈夫だったのだろうか。
まだ鍛え込んでいない体とともに、貴重な記事。




失礼!拝見します 横井伯典・ズバリ人相
1971年ごろの週刊誌より。

「これからもまだまだ転進する野心家」
小林旭と石浜朗をうまいことまぜ合せると、こんな顔ができそうである。
とまでは見当をつけたものの、芸能界では新人で、ゴシップもそれ以外の資料もない。
なにか話がきけるかとマネジャーに問い合わせてもらったが、十九歳にしては古風な(つまり折目が正しいとか、義理人情に厚いといったほめ言葉に近い表現)といった程度である。
仕方がないから今回は人相術を駆使しよう。
ヘアスタイルがいまふうでひたいははっきり見れないが、眉骨の高さからみると、父親によく似たところがあるらしい。そしてだいぶ広いようだから、それほどの苦労はしてないだろう。
この際せめて父親の生き方でも分るともう少しおもしろいが。
眉骨の高さにくらべて、眉は長くはない。少し偏屈のきらいがある。だから自分が乗れることには熱中できても、気に入らないことなら振り向くまい。
ファッションモデルをやってたにしては、眼が小さい。だがいい光り方をしてる。
この光り方は、野心をもつ若者のそれである。自分の手で一旗あげてやろう、なにかをつかみたい、そうした感じが溢れている。
ただ形の小ささからみたら、現在の生活は一見華やかにみえるものの、決して安定したものとはいえない。つまり役者稼業は安住の地でないのである。
モデルをやり、役者をやり、これからもまだまだ転進するだろう。しかし野心があるだけに、中年にはなにか自分の地位を確立することができると思う。

鼻は顔の大きさに比べて、けっして大きくない。肉も薄い。小鼻の張りも弱い。
これは十九歳という若さのために、まだ本当の世の中の仕組みがわからず、どこで自我を発揮していいのか今は人のいうままに動くロボット役者のようなもの、いずれ自己の再発見に成功すると、もう少し全体に厚みが出ると考えていい。
だからもしいまのままなら、役者としては大成しまい。
男の生きる世界は、すべてが政治である。かけ引きの世界である。自分一人だけで生きていゆくことはできない。
相手がいる以上、うまく自分を表現し、相手に妥協し、屈服させる技術がないと、下積みの人生になってしまう。
笑った口許には男を感じるが、ふつうの顔の口には、幼さが残る。
大人と子供の中間で、かっこうだけは成人に近づいているが、こんなところに意識と教養の幼さが顔をのぞかせているように思う。
ほほ骨は高く、横にも張っている。
着実性と積極性が同居していて、目先の計算の早さとなんでもやってやろうという、現代っ子気質がみえる。
あごに一番魅力を感じる。
彼の将来を先物買いするなら、この部位一点だけでいい。力強くしゃくれている。
もう十年もたつといい相になる。自尊心は強く、まわりの悪口や、たとえば迫害なども気にならない。
ゴーイングマイウエー的なところをもつし、実行力もある。
だから味方には頼もしくても、敵もできる。
それだけに、心の拠り処として占いか宗教のいずれに関心をもつ。若いわりには縁起を気にするほうである。
異性を選ぶにも慎重である。
ただ結婚と遊びを割り切るチエがあるから、金が自由になったら遊ぶほうである。
それでいて結婚するとき、案外一人でアツくなって、カスをつかみかねない。
長所は短所となりやすい好例といえる。
つまり自分ではうまく立ち廻ったつもりでも、アツくなった眼でみてきめるからこうした結果を招くといえる。
一度熱中すると、ブレーキのきかないところがある。

来年あたり、対人関係で苦労しそう。それが動機で仕事が変わる含みもある。
なんといってもまだ若い。
天性の容姿だけを売り物に、たいした苦労もしてないから、みずみずしさが視聴者の共感をよぶのだろう。
春秋に富む若者である。

確かに上京してから一年足らずで映画デビュー、それも主人公の相手役として抜擢されて3年ほどの記事だから、苦節ン十年ということではないだろうが、「たいした苦労もしてない」ということになってしまったのだろう。その後はむしろ不幸な家庭環境や家出を売り物として少女たちの共感を招いたアイドル時代に入る直前の記事だろうか。 おでこが広いと苦労していないのか〜、眼は小さいかなあ?などと読み進んだが、なんとなく好感を持ってくれていなそうな書き方が、意識と教養の幼い私には気分が悪かった記事だ。 特に「役者稼業は安住の地でない」「役者としては大成しまい」という一節。
沖さんが役者を辞めてしまうなんて考えられなかったし、辞められたら困るじゃないのと、記事を読みながらぶつぶつ文句を言った。
「来年あたり、対人関係で苦労しそう。それが動機で仕事が変わる含みもある」というのは、事務所からの独立かと考えれば一致するが、当たっているのか当たっていないのかよくわからない人相占いだ。



大好きな砂漠のサボテン 〜プライバシー拝見〜
近代映画1972年3月号より。

『さぼてんとマシュマロ』でモダンなカメラマン役を演じている沖くん、
そのノーブルな魅力で爆発的人気を呼び、
その彼の秘められた私生活を初公開です

ボンサイとボウリング

灼熱の太陽と赤くボロボロに腐敗した岩山を遠くにながめ果てしなく続く砂の世界。
死の世界といわれるこんな砂漠にポツン、ポツンと
緑色のその姿をあざやかに浮きあがらせるサボテン。
わずかな水分でその生命を保ち、その生命力の強さにひかれるという沖くん。
高校を一年で中退後、大分をひとり飛び出し、右も左もわからぬ東京で、
サッポロラーメンの店員、洋菓子店の配達人、バーテンと転々と職をかえ、
そして今日のこの栄光を手に入れた沖くんの、そのバイタリティーと、
砂漠のサボテンはどこか一致した所があるのでしょう。
沖くんはこのサボテンが大好きなんです。
そして初めての主演作品がNTVの『さぼてんとマシュマロ』というのも
何かの引き合わせかも知れません。
それだけに連日大ハリキリで撮影に取りくんでいる沖くん。
役柄はカッコいい雑誌社のカメラマンで、吉沢京子ちゃんと大奮闘ですが、
その私生活、プライバシーもカッコよく大奮闘のようです。
まずそのプライバシーを自宅から拝見してみました。
東京は副都心新宿。今や若者のメッカとなっているここ新宿の街でも、
歌舞伎町と並びもっともにぎやかな花園界隈。
その中心にある真っ赤な神社“花園神社”にほど近いマンションに沖くんの住居があります。
2LDKのゴキゲンなお部屋はちょっと広すぎるくらいですが、
機能的でその上まっ白な壁にブルーのジュータン。
白い動物の敷皮がてんてんと置かれ、照明も部屋のすみずみから
放射状に照らした超モダンで見事なインテリアは広さを感じさせません。
ノーブルな沖くんにはぴったり合った装飾といえます。
その部屋でゆりいすにそわって本を読んだり、レコードを聞いたりしているのが 自宅での生活ですが、
新宿は花園、夜ともなれば華やかなネオンに誘われて、
ついフラフラと外に出たくなるのが人情ながら、ほとんど外出はしません。
かといって沖くんもまもなく20歳になる青年。
お酒も飲めば、ボウリングもしますがもっかは禁酒中。
“仕事にさしつかえては”が理由ですが、
飲ませばウィスキー一本ぐらいはペロリの酒豪家がプッツリ断ったということは、
プロとしての自覚と仕事に対しての意欲の現れなのです。
だからいまはボウリングが唯一の楽しみ、
それだけにアベレージも高く170ぐらいと好調です。
「ぼくはもともと出不精なんですよ。つき合いがなければあまり外出もしませんしネ。
休みの日でも家ですることがなければ事務所(所属するサムライプロ)に顔を出して
事務所の人とダベっているくらいですから」というだけあり趣味も家でする“盆栽”。
これは九州で病院の院長をしているおじいさんから受けついだもの、
樹齢300年という見事な盆栽を見てからとりつかれたものですが、
「盆栽っていうのは年寄のものみたいにいわれていますが、
枝を切ったり曲げたり、創作する楽しみは若者にも理解できるものです」
と凡才論ではなく盆栽論を力説する沖くんです。

毎日精いっぱい生きる喜び
三月いっぱいで放映が終る予定の『さぼてんとマシュマロ』は今追い込みたけなわ。
早朝3時とかいう狂ったスケジュールも度々ありますが
平均は7時起きでロケやセットへ通っています。
「おはようございまーす」
と一人一人にていねいにあいさつして回る姿は、長身の彼がすると少しコッケイな感じもうけますが
いつもカラッとした沖くんらしく実に気持ちのいいあいさつです。
「本当はネ、僕は人見知りする性格なんですよ。だから初対面の人と話すときは
ちょっと意識し過ぎるきらいがあるんですけど、
人はみんな『明るい性格だネ』なんていうから本人もそういうことにしてるんですよ」
と笑いながら話す顔は本当に若者のくったくのない笑いでいっぱいです。
だからスタッフの評判は良く沖くんの回りにはいつも笑いがたえないくらい。
仕事のほうはガッチリ乗っている沖くん。
「俳優の中で目標なんて持とうとは思っていません。僕は僕なりにやろうと思っています。
『あいつは性格俳優だなァ』なんていわれる俳優になりたいですね。
まあしいてあげれば宇野重吉さんみたいな人ですが…」
というだけありこの芸能界へ入ってからまだ3年のキャリアでが
常に勉強することをおこたらない沖くん。
43年日活映画の『純潔』でデビューして以来見ちがえる程の演技力を増した事が
その証明といえます。
身になるものはどんどんと吸収していくすべを知っている彼は
数少ない芸能界での親友、浜田光夫さん松山省二さん近藤正臣さんと
若手の中でももっとも個性おある芸達者な人たちばかりです。
「あまり飲みに行ったりはしませんけど、話がためになることばかりで
いい先輩たちですよ」 このように燃える沖くんも、やはり映画育ちだけに、本家日活での出演が不可能になり
テレビ一本にしぼられて来た事態が残念でならないとコボしますが、
もし自分が芸能界に入っていなかったら、今の自分の姿が見当もつかないそうで、
絶対悪くなっていたかも知れない、それを助けてくれたのもこの芸能界。
自分の一生を賭けて進むべき道かどうかもわからないながら
「一日を精一ぱい頑張れたらそれでいい」 と自分にいい聞せるようにつぶやく沖くんです。

結婚はまだまだ 30歳まで考えない
沖くんの魅力はバスケット、ボクシング、水泳できたえた長身と甘いルックスですが、
それもさることながら、自然に身体全体からにじみ出ているノーブルな雰囲気につきそうです。
その上、服装のセンスもバツグンで、いまや若者の服装の流行は銀座より新宿、
その新宿に住んでいる沖くんはいち早く流行をキャッチし、自分のものにする手早さです。
だから『さぼてんとマシュマロ』でのカッコイイカメラマンの服装も
ほとんど自前のもので撮影しているくらい。
このカッコよさはティーンのハートをくするぐのでしょう。
それだけにファンレターも「お兄さんになって欲しい」が圧倒的で
一日平均30通〜50通とものすごいものです。
平均年齢は12、3歳ぐらいでロケなどへ行くと必ず
2、3人は追いかけてくるほど熱狂的なファンです。
ファンあっての沖ということは当然自覚していますが、
沖くんにとっては特別それを感じているようです。
「43年にデビューしてパッとしなかったし、そういう意味で
この『さぼてんとマシュマロ』は僕にとっていわば二度目のデビューといえそうで、
やっと日の目を見た思いがするんです。
それについてきてくれたファンは大変ありがたいんですよ」
と語る沖くん。
その意味で、大事なファンに対するお礼はいい仕事をすることでつぐなえると思い、
これからも多方面へその活躍の範囲を広げる意欲でいっぱいです。
まず手はじめにお風呂はトイレに入っている時にしか歌ったことのない
歌のレッスンを開始する予定で、歌手沖雅也の誕生も夢ではなさそうです。
「歌を吹き込めとはいわれているんですけど、まだ自信がないんですよ。
もうちょっと待ったほうがいいと思います」
とちょっぴり消極的な一面を見せますが、
これもなまじのことで妥協してはいけないという完全主義に立つ考えからのようです。
私生活では、仕事に追いまくられ、少ない自分の時間を
最近買ったばかりのゴキゲンな愛車“スカイライン2000GTX”でドライブすることと
ボウリングに行くだけの余暇に。
「東京に来ておぼえたんですけどスキンダイビングにこってるんです。
それでこの夏はタヒチにでもいって好きな釣りやスキンダイビングを
おもいきりやりたいですね」
と夢をふくらませます。
19歳の青春の全てえお仕事に賭けている現在の沖くんは
普通の人のようにガールフレンドとデートをするなんて夢にも思っていないようです。
「だいたいつき合い範囲がせますぎますよ。
エッ!結婚、まだまだ30歳ぐらいにならないと生活能力が持てないと思うんです。
だからそれまで気ままにくらしますよ」
とあっさり逃げられたようです。
なにはともあれ普通の19歳の青年が経験すること以上のことを早くも経験してきた沖くん。
俳優として一生をおくることより今時点の自分の生き方に
一生懸命生きるという自覚を自らさとり、今日を精一ぱい努力するその若さが
これからの沖くんを想像できることと思います。
『さぼてんとマシュマロ』の後ドラマ出演も同じNTVから決まりそうで、
72年の新春を迎え沖くんにとっては今年が大切な年、数少ないヤングのアイドルとして
これからも大成して欲しいと願うのはファンばかりではないようです。

ティータイム MASAYA OKI
沖くんの初恋は中学2年生の時です。
「清潔で明朗で全体の感じがなんとなくよかった」
というショートカットの女の子だそうです。
同級生のA子さんでバスケット部にいた沖くんは放課後、バスケットの話をしたり、
面白かったテレビの話をしたりたわいのないことで胸をワクワクさせたのです。
中学2年から中学3年まで続いた交際、お正月には家に遊びに行き、
バレンタインデーには日記帳などもらい楽しい毎日を送ったのですが、
どういうわけかその仲もだんだん離れ初恋は淡く清らかな思い出を残して
消えてしまったのです。
そこで沖くんの理想の女性像はどんな女の人なのかくわしく聞いてみました。
あんまり女の子のことは話したくないんですよという沖くん。
「理想の女性というのは年齢によって変ると思うんです。
でも今はそうですね、内容的に可愛い人。
カッコイイなんている外面的な要因にも多少はこだわりますが、
黒い髪の長い人が好きですね。
今の芸能界に?わかんないですね。何しろ色んな人がいますのでネ」 と少々具体性にかけますがだいたい想像がつきそうです。
つい一年前までは『ロミオとジュリエット』のオリビア・ハッセイみたいな女性が
好きだったそうですけどいまは何かよくなくなってきたとのこと。
理想は年々かわり、そのタイプも色々ありそうですが今の沖くん、
30歳までは結婚しないと断言したので、もっかは理想の女性をウの目、たかの目で物色中のようです。

好きな食べ物は肉 嫌いなものは納豆
ここに沖くんの全てを紹介しよう。
好きな食べ物は肉 嫌いなものは納豆
ここに沖くんの全てを紹介しよう。
本名- 楠城児
生年月日- 昭和27年6月12日生れ
出身地- 大分県別府市
最終学歴- 大分県立舞鶴高校
家族- 両親と妹(○○子)17歳
身長- 182センチ
体重- 72キロ
デビュー- 昭和43年10月日活映画「純潔」
趣味-  盆栽と釣り
好きな食べ物- 肉類と野菜、果物
嫌いな食べ物- 納豆
好きな色- ブルー系統
愛車- スカイライン2000GTX
現在凝っているもの- 部屋のインテリア
これからやりたいこと- 歌の方も勉強したい
目標- いないけどしいていえば宇野重吉さん
今までに一番うれしかった事- デビューした日
一番悲しかったこと- 映画での初の主演作『八月の濡れた砂』(日活映画)が
骨折というアクシデントに見舞われおろされたこと
買い物は- 新宿に住んでいてもあまり新宿では買わず赤坂、六本木が多い
ファンレターの宛先は- 東京都港区芝西久保桜川町若葉ビル内「サムライプロ」気付 ※当時

ブレイク直後だが、まだ初々しいインタビュー記事。
『さぼてんとマシュマロ』が二度目のデビューとご本人も捉えていたことがわかる。
未成年の飲酒に対する考えが緩やかだった頃でもあり、
堂々と19歳での禁酒が書かれているし、グラビアでは手にはタバコも。
芸能界での親友として浜田光夫さん、松山省二さん、近藤正臣さんを挙げられているのも興味深い。




沖雅也・恋も知らないボクだけど…
女学生の友1972年4月号より。

「ワルだったことは事実だけど、勉強もけっこうできて、
クラス委員なんかもして、意外と人気があったんだ」
ケンカとバスケットにあけくれた中学時代。
そのころのことを話す彼の目はかがやく。

お待たせしました。時間は気になっていたんだけど、
出るときになにを着ていこうかなんて迷いだしたら、
ついうっかり時間を忘れちゃったんですよ。
…なんていって、そんなにたくさん洋服を持ってるわけじゃなんだけど…。
でも、(グレート黒のチェックの上着のえりに手をかけて)この上着いいでしょう。
こないだ作ったばっかりなんです。
この上着がはでだから、パッと脱いだときの、黒いセーターと黒いスラックスってのが
生きてくると思ったんですよ。
ねえ、こう見えても、なかなか気を使ってるでしょう。
それほどおしゃれじゃないつもりだけど、やっぱり俳優だから、
そのていどのことは考えないとね…。
このかっこうでここにくるとき、事務所の連中は
「インタビューだなんてウソついて、ホントはこっそりデートでもするんじゃないか」
なんていってるんですよ。
みんなぼくに恋人がいないってこと、まだ信用していないんだな。
え、ウソだろうって?弱っちゃうな。
事務所の連中だって信用してくれないんだから、
記者のひとに疑われてもしかたがないかもしれないですね。
でも、ほんとなんですよ。
笑われるかも知れないけど、いま恋人がいないだけじゃなく、
ぼくは初恋も知らないんですよ。

そりゃもちろん男だから、恋人がほしいとは思うし、
そのチャンスもあったことはあったけど…。
あれは、中学3年のときだったかな。
大分県の王子中学ってところなんだけど、京都と奈良に修学旅行に行ったんです。
京都で、夜の3時間ほど自由時間があったんだけど、男子は、その時間を
好きな女の子といっしょに送ろうってんで、けんめいに誘ってたんだ。
もちろん、女の子のほうも同じことをやってて、
ぼくも、3、4人の女の子に誘われたけど、はっきり断ったんですよ。
もったいないって?そんなこと思わなかったな。
ぼくは、中途半端ってきらいなんだ。
相手に気をもたせるようなことをしたって、どうせ結婚できるわけじゃないし…。
けっきょくは相手を傷つけるだけだから、
いいかげんな気持ちで“恋愛ごっこ”はしたくないんです。
この気持ちはいまでも同じだな。
ぼくに恋人がいない理由は、これでわかってもらえたかな。
それに、ぼくは昔から恋人どころじゃなかったんだ。
スポーツとケンカに明け暮れてたから…。
ま、要するに硬派だったんですよね。


《なんでもいいからお金がほしい》
大分県に日田ってところがあるのを知ってますか。
小さな町なんだけど、いいところですよ。
自分のふるさとのことは、だれもがそう思ってるだろうけど…。
日田の三熊幼稚園から若宮小学校っていうのが、ぼくの学校。
小さいころから、からだは大きかったな。
いつも教室のうしろのほうにすわらわれていたから。
小学校4年のころ、バスケットをはじめたんです。
といっても、学校にころがっているバスケットにボールをほうりこんで
遊んでいるだけだったけど、すっかり夢中になっちゃって…。
(遠くに目を向けるような顔をして、ホーッとため息)
中学にはいったとき、本格的にバスケ部にはいったんです。
ぼくは、わりにスポーツが好きでね、ほかにもカラテやボクシングなんかもやるんだ。
きらいなスポーツはないっていってもいい
んじゃないだろうかね。
小学校5年のときに、ちょっとおもしろいことがあったんだ。
ぼくはからだは大きかったけど、それまではあまりケンカはしなかったんです。
それなのに、どういうわけか、6年生の番長が、
「気にいらねえ野郎だ。でっかり態度しやがって」
なんて、ケンカをふっかけてきたんだ。でっかいのは態度じゃなくからだなのにね…。
ぼくはケンカの経験はなかったけど、内心では、
「やれば、ぼくだって強いはずだ」という、自信みたいなものはあったんだ。
だから、その番長のケンカを買って、みんなの見てる前で、
とっくみ合いの決闘をやったんです。
まわりをみんながとりまいてるなかで、あれで10分か20分、上になり下になりしたかな。
ふたりとも鼻血を出して、洋服は破れてボロボロになっちゃったけど、
とうとう番長をのしちゃってね…。
(てれくさそうに笑って)あれがかえってよくなかったのかな。
あのときから妙に自信をつけちゃったからね。
中学は別府市の碩田中学にはいったんだけど、
そのころはもう、バスケとケンカばかりだったな。
うちのバスケット部って、けっこう強くってね、毎日8時ごろまで練習するんですよ。
そのひまを見て、っていうのもおかしいけど、ケンカをしてました。
途中で王子中学に転校したけど、変わらなかったな。
市内の、中学、高校グループを敵にまわして、毎日のようにやってたね。
それでも、ぼくは勉強もけっこうできてね、クラス委員もやってたんですよ。
まあ、ワルではあったけど変にまじめなところもあって。

自分でいっちゃ変だけど、そんなわけで、まあ勉強もできる、ケンカも強い
っていうんで、女子にはけっこう人気があったみたい。
そのころの男の子って、いばってみたいとか、大きい顔をしたいとか、
強くなりたいなんて気持ちがあるでしょう。
ぼくはその全部を持ち合わせていたってわけですね。
高校は、大分県立の舞鶴高校ですけど、1年の冬に退学しちゃって家出したんです。
そして、すぐ東京に出て、バーテンとか、店員、土方…いろんな仕事をしましたよ。
どうしてそんなことになったのかは、カンベンしてください。
16歳だったけど、それなりにずいぶん考えて行動したんです。 注1)
(暗い目の色になって)いまでもよかった、と思ってることもあるし、
後悔しているところもあるし…。若いころって、そんなものじゃないですか?
ぼくのおじは医者をやってるし、親の希望は、医者をやらせたかったみたいですね。
ぼくも、いまの仕事でなければ、医者か実業家になりたいな。
医者っていうとカッコいいけど、そんなんじゃないんです。
ぼくにとって、職業っていうのは金もうけの手段なんだ。
犠牲的精神で医者をやろうなんて…。
いまの世の中で、金もうけじゃなくてなにかをやってるひとがいたなら、
そのひとはバカだと思うな。
金もうけといっても、悪いことをして、というわけじゃなくて、
多少スレスレのところをくぐることはあるかもしれないけど…。
実業家になりたいと思ったのも同じ理由なんですよ。
なぜそんなに金にこだわるかっていうと、人間の価値は金では決まらなくても、
そのひとの人生の基盤は財産に左右されることが多いと思うからなんです。

どんなに有名な俳優でも、財閥のひとと話をしてみてもかなわないでしょう。
基盤の大きさがちがうからなんです。
このいいかた、わかってくれる?

《みえっぱりの人はきらいだ》
ぼくが、いま俳優の仕事をしてるのも、
はっきりいえばもうかるからやってるみたいなもんです。
いま、『さぼてんとマシュマロ』が終わって、
岡崎友紀ちゃんといっしょの『一二三と四五ロク』(TBS系)に入ってるし、
3本のテレビ番組をかけもちするようになったから、
この職業、なんとかうまくいきそうだね。注2)
そんな気持ちで俳優をやってるだけだから、
「俳優を一生つづけます」なんてカッコいいことはいえないな。
家出してから、ギリギリのところを歩いてきたから、なにもこわいものはないのが、
ぼくのとりえかもしれないね。


----沖くんの好きな女の子のタイプって、どんなひと?
う〜ん(長いあいだ考えて)昔は、大和ナデシコみたいなひとがいいと思ってたけど、
いまはなんていうのかな、フィーリングの合うひとがいいな。

----じゃ、きらいなタイプは?
みえっぱり。大きらい。

----好きな色は?
白、黒、ブルー。いまのこの服装を見てくださいよ。

----きらいな色は?
茶系統は、どうも合わないんですよ。ひとが着てるといいな、とは思うんだけど…。

----趣味はなんですか?
あまり時間がなくて行けないんだけど、釣りはいいですね。
家にいるときは、推理小説を読んだり盆栽をいじったりしてるんです。
以外に年寄りくさいところもあるんですよ。

----好きな花は?
バラ。とくに燃えるようなまっ赤なヤツ。情熱的なのかな。

----好きなことばは?
『この道よりわれを生かす道なし。この道を行く」
大好きなことばです。男が、キッと前を向いて歩いて行くって感じがいいな。
注3)
どうもちょっとしゃべりすぎたかな。
沖雅也っておしゃべりだと思われるんじゃないだろうか?


注1)この直後、中学3年の1月に家出したことを発表。
注2)岡崎友紀さんと共演で撮影に入ったのは「だから大好き!」。
「1・2・3と4・5・ロク」も同時期の放映開始だが、共演は梅田智子さん。
注3)武者小路実篤の言葉。


おいおいとツッコミを入れたくなる箇所もあるが、若干19歳の若者が
ツッパッて背伸びをしている可愛さも見え隠れする。
子供だった私は、この一言一句に惑わされて悩んでいたものだ。
俳優の仕事は「もうかるからやってるみたいなもん」だと言われれば悩み、
ケンカにあけくれたと言われれば『雅也って不良なの?!』と傷ついた。
『こんな人、もうキライ!』と何度思ったか知れないが、
40年以上もそのまま好きでいると、これらの言葉もいとおしい。
中学なのに「どうせ結婚できるわけじゃないし」と逆ナンを断ったというエピソードも、
実は見栄坊で照れ屋だったんだろうと、今になれば理解出来る。
「けっきょくは相手をきずつけるだけだから」という発想は、
親からの無償の愛を信じられなくなった若者のものとして当時から共感を感じていたが、
「初恋も知らない」というのは、さすがに当時でも信じなかった(笑)。
それまでに付き合っていたGFたちが泣くぞ〜。




今よみがえった太陽のために −ゲバルター沖雅也ものがたり
月刊明星1972年5月号より。

家出、たび重なる転職、その果てに思っても見なかった幸運が若い雅也の心をとらえた。それは長い長い旅路のあとだった。

案内してきたボーイが一礼して出て行くと、雅也は手にしたバッグを豪華なベッドの上に放りあげ、自分もコートのまま、ドスンと大の字に寝ころがった。
「とうとうやったぜ。これからのことは運まかせだ。なあに、なんとかなるだろうさ」
彼は天井をみつめながら、そうつぶやいた。
彼、沖雅也はこの前日、九州・大分市の自宅を出て、東京行きの夜行列車に乗った。そのことを彼の両親や妹は知らない。早く言えば家出してきたというわけだ。
そして、一昼夜かかって東京駅へたどりつくと、彼はそのままタクシーを飛ばして、このホテル・ニュー○ータニに乗りつけた。
(どうせ同じ家出なら、こそこそみじめったらしくするより、堂どうとやってやれ)
そう考えた雅也は、家出第一夜の夢を、東京でも一流のホテルであるここで結ぶことにしたのだ。
(さてと、明日になったらさっそく何か職をさがさなくちゃいけないな)
ポケットには、アルバイトでためこんだ10万円の金がはいっているが、そんなものにいつまでもたよってはいられない。
彼は寝ころんだまま、東京駅で買った夕刊をひろげ、その求人広告欄をながめはじめた。
(住みこみ店員募集。18才以上の男子。上野・御徒町サッポロラーメンの店XX軒)
そんな文字が目にとびこんできた。
「住みこみってのは好都合だな。年はちょっとばかり足りないけど、なんとかごまかしてもぐりこんじゃおう。それにしてもデラックス・ホテルの客が、明日はラーメン屋とは皮肉だな。しかしまあ、それもいいさ」
ブツブツひとりことを言っているうちに、やがて彼はグーグーと大いびきをかいて眠りこんでしまった。東京の町にもまだトソ気分の残っている昭和43年1月8日。沖雅也、16才の春のことである。(注1)

スパルタ教育
日本がようやく敗戦の痛手から立ち直りかけた昭和27年6月12日。大分県の別府市で沖雅也(本名・楠城児)は生まれた。
小っちゃくて、病気ばかりしている赤ん坊だった。カゼがもとで肺炎にかかり、あやうく命を落としかけたこともある。
両親は、そんな雅也を将来医者にし、久留米で大きな病院をいとなむ彼の祖父のあとをつがせたいと夢をたくしていた。
やがて彼の一家は、父がガソリン・スタンドを経営している日田市(大分県)に引っ越し、そこで彼は日田幼稚園にはいった。
その頃にはもうすっかり健康になっていたが、どちらかといえばひっこみ思案で、家の中でばかり遊んでいるおとなしい子だった。
その彼が、一転してすごいワンパクぶりを発揮しばじめるのは、若宮小学校に入学してからだ。
勉強がよくできていつもクラスのトップ。運動会でも1等をとった。それが彼に自信をあたえたのだろうか。イタズラでもクラスの先頭に立って、担任の若い女の先生をさんざん手こずらした。
あまりのイタズラの激しさに、学校から両親に苦情が持ちこまれることもたびたびあった。
ある真冬の日。またまた学校からの電話で、雅也が少しタチの悪いいたずらをしたと聞いた父は、彼の手首をつかんで立ちあがり、
「いっしょに来い」
と、近くの川に引っぱって行った。そして、彼の腰に長いヒモをつけると、いきなり川の中へ突き落とした。
雪でもちらつこうとかという寒い日である。氷のような川につけられて、雅也のくちびるはたちまち紫色になった。
「あなた、やめてください!この子が死んでしまいます」
かけつけた母が必死になってとめたが、父はきかず、ヒモをたぐり寄せては、また突き落とすというセッカンをくりかえした。
ところが、当の雅也は泣き出すどころか、がたがたふるえながらもケロッとした顔つきで、まるで水遊びでも楽しんでいる調子。これには父のほうが拍子ぬけして、お仕置きを中止してしまった。
バリバリの九州男児である父としては、きびしいスパルタ教育のつもりだったのだが、雅也のキモの太さの前には、それも通用しなかったというわけだ。

初恋
中学は大分市の碩田中学。(小学校4年の時、一家は大分市に移った)
雅也はクラスの女の子にモーレツにモテた。デートにさそわれたり、ラブ・レターをもらったりしたことは数えきれない。だが、彼はそんなものに見向きもしなかった。
しかし、その彼がたったひとり好きになった女のコがいる。やはり同じクラスのA子さんで、目のパッチリとした明るく清楚な感じのするコだった。
A子さんのほうでも彼に好意を持っていて、誕生日に家へ招待してくれたり、バレンタイン・デーに、日記帳をプレゼントしてくれたりした。
雅也も彼女のそうした好意だけは、すなおに受けることができた。
だが、2年になると、彼は同じ市内の王子中学に転校することになった。家がまた移転したからだ。
離れ離れになったA子さんとは、それからも日を決めて会っていたが、やがてそれが彼には次第に重荷になりはじめた。そんなヒマがあったら好きなバスケットの練習をしたほうがマシだ。そこでなにかと口実をつくってはデートをすっぽかした。
そんなある日、久しぶりに会ったとたん、彼女は顔をくもらせてこう言った。
「このごろ、私をさけてばっかりいるのね。もうキライになったんでしょう?」
雅也はうろたえた。こんなテレビのメロドラマみたいなことを言われたのははじめてだからだ。うろたえたあまり彼は大変なことを口走った。
「いや、キミがきらいっていうより、オレは女ってのがみんなニガ手なんだよ」
彼の初恋がその時かぎりで終わったことはもちろんだ。

くやし涙
雅也は碩田中学の時からバスケット部のレギュラーとして活躍したが、王子中でも副キャプテンとしてバスケ部になくてはならない存在になっていた。
2年の時、大分市の中学対抗バスケット大会で、王子中学はつぎつぎに勝ち、市内一の実力校である城南中と、決勝戦で対決することになった。
試合は雅也らの奮闘で王子中優勢のうちにすすめられた。
第2セットのとちゅう、雅也は張りきりすぎて、相手方の選手とからみ合い、転倒してしまった。
あわてて立ちあがろうとしたとたんん、足首に激痛が走った。どうしても立てない。かけ寄る仲間たちに、「大丈夫だ、オレはまだやれる」と声をかけたが、ひどいネンザでとうてい試合をつづけられる状態ではない。
退場。そして、それをキッカケに王子中チームはずるずると失点を重ね、ついに敗北を喫してしまった。
(ちきしょう!オレがケガなんかしなけりゃ‥‥)
雅也はくやしさのあまり、肩にかけたタオルをとって床にたたきつけた。不覚にもポロリの涙がひと粒こぼれた。
それをめざとく見つけたのが、引きあげてきた仲間のひとりだ。
「なんだお前、ガラにもなく泣いてんのか?」
「バッカヤロー。オレが泣くわけないじゃないか。サロンパスが目にはいったんだよ」
彼はそういいながら、ネンザした足首に、ヤケのようになって湿布薬のスプレーを吹きつけた。

ナイフの傷
このころから、彼のケンカ三昧の生活がはじまる。
マジメに勉強し、一流の大学を卒業して医者になる。両親が望むようなそんなコースの上を走ることは、彼の多感な青春の血が許さなくなっていたのだ。
当然のことながら、学校の成績はぐんぐんと下がり、小学校時代の、秀才の影はなくなってしまった。
そのかわり、暴れん坊の仲間をひきい、ほかの中学にまで遠征してケンカにはげむ毎日がつづいた。
赤ん坊の頃はあんなにひよわだった彼も、今では堂どうたる体格になり、ケンカをすればかならず相手をKOした。
だが相手だっておとなしくなぐられているわけはない。
それ相応の反撃も当然あるから、彼のからだにはナマ傷がたえなかった。
ある時などは、右ヒザの上をナイフでふかぶかと刺され血が噴水のように吹き出したこともある。仲間は心配して病院へ連れていこうとしたが、彼は笑って受けつけようとはしなかった。その時の傷あとは、いまでもはっきりと残っている。
「もういいかげんにしてちょうだい。こんなことばっかりやっていて、あなたはどうなると思うの?」
そんな雅也の荒れた生活を不安がった母はことあるごとに彼をいさめたが、スパルタおやじの父は、なにも言わなかった。
「中学生にもなったら、自分のことは自分で責任をとれ」
と、彼の独立心をみとめたからだろう。あるいは、「注意したってきくヤツじゃない」と、サジを投げていたのかも知れない。

ニセの履歴書
県立舞鶴高校に入学したころの雅也は、すでに医者になるという希望とすっかり捨ててしまっていた。といって、平凡なサラリーマンで一生をすごすことは、彼の性格からいってできそうもない。
(なにかドカーンとやってみたいな。この世に生まれてよかったって、ほんとに思えるようなドデカイことを)
彼の胸に芽生えたそんな思いは、やがてぐんぐんとふくれあがり、その年の終わるころには、もうどうしようもない衝動となって、彼をゆり動かした。
年が明けて1月の7日。彼はついに人生の冒険にふみ出した。トラの子の10万円を内ポケットにおさめた学生服の上からコートをひっかけ、白いバッグひとつさげたスタイルで‥‥。
バッグの中には下着といっしょに、「人を動かす」という本が一冊。(注2)
なにかどえらいことをやって、人を動かすような人間になりたい。それだけがこの家での動機でもあり、目的でもあるという、思えば無鉄砲な旅路への出発だった。
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
さて、デラックス・ホテルのベッドで一夜をあかした雅也は、翌朝、ホテルを出ると求人欄にあった上野のラーメン屋をたずねた。そして、年を2つ(注3)ごまかしたニセの履歴書を出し、まんまと住みこみで働かせてもらうことになった。
2ヶ月後、彼はラーメン屋をやめてカステラ工場の配達係になり、さらに2ヶ月後には池袋のバーにバーテン見習いとしてつとめた。いずれも住みこみで、食べるのがやっとという給料だったが、彼はまるで気にしなかった。
(いまに見てろ。オレはきっと“なにか”をやってみせるぜ)
彼はそのでっかい夢を決して捨てなかったのだ。
ある日、彼は働いているバーで、あるモデル・クラブのマネージャーから声をかけられ、ファッション・モデルになることをすすめられた。
そして、なんとなくその言葉に従ってモデルの仕事を始めたことが、彼の運命を大きくひらくことになったのだ。

試写会
その年の秋、彼は日活からスカウトされ、オーディションに合格すると同時に、丘みつ子の相手役として抜擢されることになった。(注4)
その作品が完成して最初の試写会で、彼ははじめて自分の姿をスクリーンの上に見た。
われながらひどい演技だった。はずかしさに逃げ出したいくらいだった。しかし、そのいっぽうで彼はいいようのない感動をおぼえていた。
やがて彼ははっと思いあたった。
(そうだ。オレがさがしている“なにか”はここにあったんだ。いまはヘタクソでも、オレの生きる道は役者以外にはないんだ)
雅也は、目の前が明るくひらけていくのを感じながら、胸をはって試写室を出た。
映画俳優としての彼のそれからは決して平坦なものだったわけではない。
アクション俳優として数多くの映画には出たがいずれもわき役だったし、去年の夏(注5)には「八月の濡れた砂」ではじめて主役を与えられながら、ロケ中の負傷で役をオロされるという不幸な出来事もあった。だが、彼は信じていた。チャンスは必ずまたくると。
そして、そのチャンスはきた。テレビ映画の「さぼてんとマシュマロ」(日本TV系)の主役だ。この役を演じることで、雅也は日本中の若者のアイドルという「ドデカイ夢」を、その手にしっかりとつかんだのだった。


注1:この記事が出た時点では、まだ学歴詐称については公表されていなかったので、実際は15歳。後に出て来る舞鶴高校は、実際には受験もしていない)
注2:ディール・カーネギーの著書。ビジネスマンのバイブルとも言われ、松坂大輔投手も愛読書として挙げている。
注3:実際には三歳サバ読む。
注4:映画「ある少女の告白 純潔」
注5:昭和46(1971)年

まだ、家庭の事情やゲイバーに勤めていたことなどがバレていない頃の記事なので、多分に美化されたアイドルのサクセス・ストーリーにはなっているが、父親のスパルタ教育や初恋の話なども出ていて興味深い。
中学時代のケンカ三昧の日々などという話も事実がどうかは不明だが、勉強に集中しなくなって成績が下がっていたことは事実らしい。これも、家庭が落ち着かない中で、進学のことなどを親に相談することも出来ずにいては致し方ないことに思えるが、彼の中でこうして美化したのか、この記事を書いた人がアイドル雑誌にふさわしく脚色したのかは不明。



新春対談 沖雅也 仲雅美 「夢、仕事、青春」について大いに語る
1972年正月「セブンティーン」より。
「さぼてんとマシュマロ」に兄弟役で共演中の仲雅美さんとの対談。沖さんは19歳で人気が出始めた頃のことだが、この頃は「ポーリュシカ・ポーレ」の大ヒットで仲雅美さんの方が歌番組の出演で多忙だった。
二人は名前も顔立ちも似ているといわれてよく混同された。
ちなみに、「さぼてんとマシュマロ」では沖さんが兄役だが、実際は仲雅美さんの方が年上。

「今年はティーンのハートをひとりじめ ガンバらなくっちゃ!!」

若いってことは本当にすばらしい。人生をまじめに考え、じっくり自分を見つめる−−。“さぼてん−”の兄弟コンビ、沖雅也くんと仲雅美くんも、いっしょになればきまって話しだすのがそのこと。そんなふたりに会話を、美しい名言とともにあなたにお贈りしましょう。

希望は強い勇気であり、あらたな意思である
マルティン・ルター

沖「いよいよ72年だ。ぼくは新しい年を迎えるたびに何かひとつ、新しい希望を持つことにしているんだ。」
仲「ぼくは欲張りだから、たくさん希望を持つ。だけどたいてい、年の終わりには絶望しちゃう。(笑い)」
沖「とにかくそういうもんだね。仕事をしていてそう思うんだ。何ていうと年よりじみてきこえるけれど。」
仲「だけど、性こりもなく希望を持ち続けるというのもいいんじゃない。」

生命のあるかぎり、希望はあるものだ。
セルバンテス


仲「ところで、今年の希望は例えばどんなもの?」
沖「旅行したい。」
仲「これは驚いた。ぼくとまったく同じことを考えている。ひとりでふらりと出かけたいんだ。」
沖「これは驚いた(口調をまねて)。ぼくとまったく同じことを考えている。(ふたり声をあわせて笑う)」
仲「ぼくが、ひとり旅をしなくてはいけないなと考えたのは去年のくれのことなんだ。」『刑事くん』のロケが名古屋であって、昼に終わった。」
沖「それで、ふらりと汽車に乗っちゃった。」
仲「そう、急に肉が食いたくなってね。以前、木下恵介先生に連れていってもらった京都の肉料理屋を思い出したんだよ。」
沖「だけど、肉なら神戸が本場でしょ。」
仲「そうなんだ、汽車に乗っているうちに、そう考えて神戸まで行っちゃった。」
沖「そんなことだろうと思ったよ。(笑い)」
仲「それで、ブラブラ本町を歩いてみたんだが、本当に新鮮な気がした。ゴミゴミした街の中に、朝鮮人参を売っていたり、“スカート、ズボンの丈、直します”なんていうカケハギ屋の看板がゆれてたりしてね。」
沖「わかるな、なんとなくわかる気がするよ。」
仲「まっ白なブーツに、まっ白なセーター、赤い帽子をかぶった小さな女の子が三輪車を片づけ、店の前をそうじしてたりするのがじつにいい風景だった。うれしくなって、思わずJUNの店でシャツ買っちゃったけどね。」
沖「そういう何気ない日常のなかにある暖かさがとてもうれしかった・・・。」
仲「そうなんだ。これはだいじなことだと思い直したんだよ。つまり自分自身の時間を持つってことがいまのぼく・・・沖くんもふくめてだけど、すごくだいじなことじゃな<いかってね。」

人間は孤独でいるかぎり彼自身であり得るのだ。だから孤独を愛さない人間は自由を愛さない人間にほかならぬ。
ショーペンハウエル

沖「いい話だね。ぼくら、時間に追われて、自分を考え直すことを忘れている。自分を見つめなければならない俳優のくせにね。だけど、仲ちゃん、肉はどうしたのさ?」
仲「もちろん、食べたよ。モリモリとね。名古屋から神戸までゆられて、ブラブラ歩いたんだもの。腹ペコだったからね。(大笑い)」

孤独はいいもの、ということをわれわれは認めざるを得ない。けれどもまた孤独はいいものだと話しあうことのできる、だれか相手を持つことは、ひとつの喜びである。
バルザック


沖「ぼくの場合、海外旅行に行くと、仲ちゃんと同じような感じを持つんだ。」
仲「外国まで行かなくちゃわかんないなんて、ぜいたくだね。(笑い)」
沖「ぼくは九州育ちだからね、どうしても南に行きたくなっちゃう。これまで、香港、台北、グアムに行ってるけど、グアムのココナツ島の海なんかいいもんね。」
仲「そりゃ、日本の汚れた海とはちがうだろうね。」
沖「うん、ほんとのエメラルドグリーンでね、そんな海をじっと見ながらいろんなことを考えるんだ。そうすると仲ちゃんとまったく同じ結論に達したりして。」
仲「ただし、結論に達するまでに、お金がかかりすぎるなあ。(笑い)」
沖「だけど、そうやって日本に帰って来たときは、何かこう、ちがったものが自分の中に生まれることに気づくんだ。」
仲「うん、わかるな。視野が広がり、再出発への希望みたいな・・・。」
沖「そうなんだ。だけど日とともに、それがしぼんじゃう。だから、またすぐどこかへ行きたくなる。」
仲「それじゃ、日本航空かなんかで、定期券を売ってもらわなくちゃならない。(笑い)」
沖「だけど、澄みきった空と海のまん中に、ポツンと自分ひとりがいるとき、自分は汚れてるんじゃないだろうかと、生活や生き方をしみじみ反省させられちゃうんだ。」
仲「それはよくわかる。また前の話にもどるけれどね、神戸に向かう汽車から外を見たとき、外の風景がじつに美しかった。ポカポカとあたたかい日でね。太陽が輝いていて、キラキラと川の水に反射していたんだ。」
沖「ああ日本にもきれいな川がまだあった・・・。」
仲「という感じなのだけどそれもやがて汚れる。ちょうど、ぼくらのようにね。いちど汚れたものをもとにもどすのはたいへんだ。子供のころのように、純で自由でいられなくなったということが、汚れているといえばね。」

人間に生まれたときは自由である。しかるにいたるところで鉄鎖につながれている。
ルソー


沖「つまり、沖雅也、仲雅美という名を捨てる必要があるわけだ。」
仲「そう、中俣真人に帰って、なおかつ人間としての魅力があるようにならなければいけない。」
沖「やっぱり、どこかへ行かなくちゃなあ。」
仲「こんどは北海道ぐらいにしろ。ぼくのおじいちゃんが札幌で動物園長をしてるから。」
沖「オーストラリアに行きたかったけど、じゃ、今年はまず北海道だ。」
仲「おじいちゃんは、もう64歳だけど、すごくりっぱで若わかしいんだ。ぼくがいちばん尊敬する人間だからよくたのんでおくよ。」
沖「それはありがたいね。よろしくお願いしま〜す。(笑い)」

青春は、狂気と熱の燃ゆる時代である。
フェヌロン


沖「仲ちゃんのおじいちゃんみたいに64歳で、若わかしいってのはいいな。」
沖「新潮が180センチぐらいあって、いあmでもレブロンのアストリンゼントなんかをつけてる、おしゃれなんだ。」
沖「そりゃいい。精神も肉体もおとろえてないんだぼくもそういうふうになりたい。」 仲「ぼくも。若さってことは、けっして年齢じゃないって気がするよ。おじいちゃんを見てると。」
沖「若いってことは、得だけどね。若いってことでいろいろの試みができるから。」

青春はなにもかもが実験である。
ロバート・スチーブンソン

仲「そう、いろいろな失敗も若いってことでゆるされる。ただ甘えちゃいけないけどね。」
沖「ぼくは“若さ”ということばから、躍動、エネルギー、爆発、無謀、無知、といったことばを連想するんだ。」
仲「若いから、どんなことでもやれる。ぼくらはまだじゅうぶん“若さ”の中にいるわけだから、今年も大いにがんばらなくちゃいけないわけだ。ヤルぞ!!」

人間は、かれが日常従事している労働のうちに、かれの世界観の基礎を求めなくてはならぬ。
ペスタロッチ

沖「がんばるっていえば、新年そうそうLPが出るんだって?」
仲「うん“哀愁のロシア民謡”で、第2弾目。例の『ポーリュシカ・ポーレ』なんてのが入ってる。1月25日発売、アレンジはちょっとちがうけど。」
沖「さっそくレコード店に予約しとこう。(笑い)」
仲「よかったぁ、これで一枚は確実に売れる。(笑い)」
沖「というところで、じつはぼくも、歌のレッスンをはじめてるんですがね。」
仲「へえ、デビューは?」
沖「そんなにびっくりしないでよ。それにデビューなんてまだ先のことだよ。でもその節はよろしくね。」
仲「いまから、レコード店に予約・・・。」
沖「じょ、じょうだんじゃないよ。早すぎるよ。」
仲「俳優としては、『さぼてんとマシュマロ』のように自分の地でやれる役はどう?」 沖「ああいう楽しい仕事は大好きだけど、今年はもっとシリアスなものに取り組んでみたい。うんと欲ばってみたいんだ。若いモン。」
仲「いいことだね。ぼくらは役者という仕事を通してあらゆる可能性を試みるべきだしね。」
沖「うん、自分をふり返ってみて、俳優として伸びた面もあるし、伸びない面もある。伸びた面はよりいっそう、伸びない面は確実に伸ばすといった努力が今年こそだいじだと思うんだ。」
仲「幸いなことに、ぼくらは自分と違う人間になれるわけだから、いろいろな人間を味わえる・・・。」
沖「それだけに、自分を見失わないように、見つめていかなくちゃ。」
仲「というと話はまたぎゃくもどりしちゃう。(笑い)」
沖「ともかく、ぼくは背伸びしなくちゃ成長しないし、背伸びしすぎると失敗するし・・・。」
仲「そこが苦しいところだけど、失敗を恐れずに、今年もまた仲良くやっていこうじゃん。」
沖「そして、ティーンのハートをバッチリひとり・・・いやふたりじめだ!(笑い)」
仲「異議なし!(笑い)」

よき友人との交わりは人生の宝である。
リリー



意気投合したようで噛み合わない会話が面白い。今はお互い意外な私生活の一面を暴露したりする話が主流のようだが、当時のティーン雑誌の対談は。だいたいこのように青春をテーマにした内容だった。 それだけに素顔が見えない会話でもあるのだが、19歳でここまで考えられるのかとか、年上の仲雅美さんに対抗して背伸びしているなとか、興味深く読むことが出来る。


特別企画 シナリオは生きている見ている知っている
1972年3月 「週刊セブンティーン」

「沖雅也 理解型 − 大声で3回読む」

「コンディションのいいときなら、自分の部屋で大声で3回読めば、セリフはバッチリおぼえられます。“さぼてんとマシュマロ”なんか、スッと憶えましたね」
というのもそのかげには、沖クンなりの努力があるから。
まず台本をもらうと、全体のシーンをつかみとり、つぎに自分のセリフの部分を、こまかくおぼえていく理解型のタイプ。
「いまだに印象に、強くのこっている台本は、ふたつあります。ひとつはデビュー作の日活映画“純潔”の台本と、もうひとつは去年の秋に日本テレビの、火曜日の女シリーズのひとつで“クラス・メート”(本文ママ)の台本。このドラマはボクの好きなシリアスなドラマだから、いまでもよく記憶しているんです」
また先輩が役作りの上でなにか、アドバイスしてくれたときなどは、自分で納得がいったらその忠告を、沖クンは台本に記入している。
「いたずら書きは、あんまりしたことがないなあ」
という沖クンだけど、たまに気がのると、台本のなかに登場人物のコスチュームをかいたりする。
あとは重要な記号が、台本にびっしり。
まずセリフの上に、赤とか黒とか衣装の色をかき、つぎに“低”とか“高”とか書きこんである。
「低というのは低い声で、高というのは高い声で、セリフをしゃべるというしるし」
さらにセリフの上に、矢印の横線がひいてある。
「これはセリフのしゃべり方でなく、演技の強弱をあらわしたもの」
沖クンの台本には、演技者としての苦心のあとが記録されている。
沖クンは台本をきちんととっておく。
「役者にとって台本は自分の歴史です」
キマジメな沖クンである。

アイドル時代でも、役者らしいコメント。
沖さんが書き込んだ台本を見せていただきたいものだが、きちんととっておいたはずの台本は、今どこにあるのだろうか。



1972年5月 「保存版 沖雅也事典」ひと目でバッチリ!マサヤのすべて


過去、現在そして未来!沖くんの頭のテッペンからツマ先まで、あますところなく収録!

いつも一部しか見せない沖くん。その生い立ちから現在の生活までを、完ぺキに、総合的にスポット!マサヤの若さを100パーセントひっぱり出そう。

癸院_甬遏‘鐓觧から沖雅也への転身
九州に生まれ、育ち、ひとりぼっちで上京!苦労を重ねて、やっとつかんだタレントへの切符!

 本名、楠城児。大分県別府市に昭和27年、6月12日に生れる。

小学校時代
 日田市の若宮小学校。父は石油共同組合の役員。小さくて、体の弱い子供だった。
 家の建て前の時食べたスシにあたって、食中毒をおこしたことがある。病気勝ちだった。
 学校の成績は、10番以内を上がったり下がったりだった。
 なにかイタズラをして、父親にしかられ、家の裏の川につき落とされたことがある。
 4年生の担任の先生が若い女性。アコガレのヒトミでみつめた記憶がある。
 理科、算数などが得意だった。
「簡易保険について」という作文でなんとか大臣賞をもらった。

中学校時代
 昭和39年碩伝中学入学。これは、にしきのあきらさんと同じ学校です。
 バスケットをはじめる。このころから、身長、伸びはじめた。
 中学2年の時、王子中学に転校。
 初恋、同級生のショート・カットの女の子。明るい人気者だった。
 ホンワカしたムードの相思相愛だったけど高校進学とともに交際はとだえた。
 学校の成績は、上。オール5の時が、一度だけあった。

高校時代
 県立舞鶴高校。大分県下で、東大進学率1番の秀才校である。バスケットも強い。
 バスケットをやりたかったので、この学校を選んだ。
 1年生の時の1月、突然、故郷を捨て、上京。前後の事情は、秘密につつまれている。
 「ぼくは、おばさんの子供みたいに育てられた。家を出た理由は、今は言えません。言うと、傷つく人がいるから。」

上京
 あり金をフトコロに、上京。上野のラーメン屋の出前持ちになる。将来、どうしようなどという余裕はなかった。
 その後、江古田の文明堂でカステラの配達係。池袋のスナックのバーテンなど、半年の間に次々と転職。
 バーテンをやっている時、モデル・クラブのマネジャーの目にとまり、モデル生活へ。
 ひと月後、日活からデビューする話が持ち上がり、『純潔』で、丘みつ子さんの相手役に抜テキされた。
この年、日本プロデューサー協会新人賞を受賞。

映画
 日活映画の最後のアイドル、ヤクザ映画などに出演していたが、去年3月、NTV『クラスメート』も出演。再び脚光を浴びる。
 7月、『八月の濡れた砂』に出演が決まり、撮影中、オートバイから転落。
 右鎖骨骨折。1ヶ月で回復。
 9月『さぼてんとマシュマロ』の主役に決まる。

癸押仝什漾〆の沖雅也さんのすべて!
180センチを越す長身で挑む、激しい人気スター生活。物心ともに充実したそのはだかの中身は?

 朝

 歯をみがく。ムシタオルで顔をむす。ヒゲそる。顔洗う。
 最近、ヒゲが濃くなった。1日1回そる。歯は丈夫。髪は柔らかいので、クシで整髪すればOK。
 朝メシはほとんど食べない。


 スーツはあんまり好きじゃない。ラフなかっこうが多い。
 純日本風の顔なので、最新流行のファッションは避ける。クツ下ははかない。
 最近、忙しいので、ホオを中心にして、ニキビが増えてきた。


 食事、朝の分まで食べる。肉類、野菜、なんでもOK。ステーキ、サシミ、ナベ物が大好物。
 ナットウ、キライ。食事はいつも2人分食べる。
 自分で料理作る時、スパゲティー、カレー、テンプラ、ハンバーグなど。みそ汁も作れる。
 食後、読書など。今、エミール・ゾラの『居酒屋』読んでいる。真実味がある。
 ほんとうの人間なんて、醜いものだと思う。
 睡眠時間、5、6時間。足りないけど、ねむるより起きている方が楽しい。若い証拠です。

スポーツ
 ほぼ、万能にちかい。専門はバスケット。ジャンプ力75センチぐらいある。
 水泳、4.5キロは泳げる。
 ボクシング、空手などはジムに通って練習した。野球、バレーボール、サッカーなどもテクニシャン。
 体格は、筋肉質のやせ型。

趣味
 盆栽いじり、磯づり。海が好き。麻雀やケイバはきらい。
 最近、ファンからの贈り物で、ぬいぐるみがたまりはじめた。

 久留米のおじさんのところから、高校に通っている。17歳、3年生。
 バスケット部のキャプテン。身長が173センチある。美少女らしい。
「ぼくが、今なにか言うことで、芙美子に迷惑をかけたくない。そっとしておいてやりたい。上京して進学するのなら、一緒に暮らしたい」

貯金
 してない。そんなにかせいでません。
 1日、3千円か、4千円はどうしてもかかる。

出演中の番組
『だから大好き!』『1・2・3と4・5・ロク!』「未婚・結婚・未再婚』『キイハンター』。
 2枚目のカッコイイ役は比較的楽です。
 アクションは好き。

からだ
 身長183センチ、体重70キロ、胸囲100、ウエスト76。足のサイズ27センチ。
 視力、右0.9・左0.8。二重まぶた。

性格
“神経細かいところもあるクセに、わりと図太い度胸がある”と評判。
「経済観念がないみたいです」と本人。
 マネジャーのH氏、
「大人と子供が、ごちゃごちゃにまじってますね。明るいやつです」
 仲雅美くんの沖クン評、
「ライバルとして意識したことは、あんまりないけど、年下のワリには苦労してるから、シッカリしてると思う。たよりになるね」

癸魁〔ね茵\椎・沖雅也のめざすもの
6月12日、20歳になる。おとなの仲間入りをする彼。沖雅也の生活青写真をのぞく・・・。

結婚
 30歳ぐらいの予定。家事は女房にまかせる。女性を見る目はまだない。
 ただし、顔は2番目に大切。内面的にかわいらしい、男からみて、いじらしい女の人がいいと思う。
 不潔なコはキライ。女の子は、みだしなみが大切だと思う。


 世界旅行をすること。ヨーロッパもいいけど、特に、ニュージーランドや南海の孤島に行ってみたい。
 10年ぐらい、そこで暮らしたいと思う。

将来
 歌は副業。役者としても、まだ1年生だと思う。
 いつか、あの役なら沖雅也だ!っていうようなものをみつけたい。
「人気があるのは悪いことじゃないけど、出れば出るほど不安になるものですね」という。
『少年マガジン』の中に、『ワル』というマンガがあるけど、ああいう役をやってみたい。不良っぽくて、シンはまじめな人間の役。


<以下 管理人の感想>
「さぼてんとマシュマロ」で人気が出て、四月の新番組で4本のレギュラーを持った、飛ぶ鳥をおとす勢いのアイドルだった頃の沖さん。もうすぐ20歳になるというところだ。
好きなスターの全てを知りたいというファンの要望に応えるかたちでの企画。なぜかインディアンのような箇条書きで、「歯をみがく」ところまでレポートしてくれている。
写真もベッドから起き上がる姿に「朝 起床は7時ぐらい 今日も仕事が待っている ねむいなんていっていられない」という添え書きがついている。他にも
「愛車の前で 免許は18歳の時にとりました」
「沖クンの家は新宿区のマンション この部屋は居間 ステキなインテリアだ」
「美容院は月一回 イロイロ注文が多いので、美容師さんが泣いてます」
などと身元調査のような細かさで報告してくれる。なかには
「沖クンの洋服ダンス 服はブレザー7、Gパン8 スカーフなど無数」
というものまである。数えるな〜
「休みはめったにない たいていボーッとしてすごす そうでない時は新宿へ買い物」という忙しさの中で、こういう取材もこなしていた沖さんは、ともすれば流れ作業になりがちな仕事に危惧を感じていたようだ。「人気が出れば出るほど不安になるもの」という言葉は謙虚だ。

文中に「高校進学」とあるが、実際には中学三年の1月に家出したため、高校は受験すらしていないというのは有名な話。この数ヶ月後に開かれた「沖雅也故郷に帰る」という大分でのコンサートで、沖さんは経歴詐称について自ら公表し、謝罪している。

中学に進学したばかりだった私の目を引いたのは、エミール・ゾラの『居酒屋』だった。早速本屋へ行って購入して挑戦したが、睡眠薬代わりになるばかり。沖さんが本当の人間なんて醜いものだと思った理由を探し出すことは、とうとう出来なかった。
そして、この特集で一番私の心に引っかかったのは「顔は二番目に大切」の一言だった。今でも鏡を見る時に、この言葉がリフレインしてしまうことがあるほど胸をえぐる言葉であり、私のコンプレックスの原点になっている。



1972年3月月刊平凡  初共演よろしく‥対談「恋ってなあに‥」


19の男の子に、18の女の子、それで“恋ってなあに”とくれば、ムムッていう感じだけど、話の中身はサテ!?

お二人は新婚さん?
この日、東京は春の陽ざしがポッカポカ。ロケの場所は、渋谷の元・赤阪離宮の前、小っちゃな公園があって、前日の雨の水たまりが、そこここにキラキラ光っている。
友紀ちゃんは、日曜にもかかわらず仕事。NTVの『三丁目四番地』のセットで、浅丘ルリ子さんや森光子さんをお相手に、朝から奮闘中。
沖くんは、この日は久し振りのお休み。午前中はベッドのなかでスヤスヤ、恋の夢なんかみていたわけ。
お昼ちょっと前に沖くんをたたき起こして(ゴメンナサイ!)NTVへ。そこでちょうど友紀ちゃんもお昼休み。このお昼休みの時間をもらってのきょうの対談。いそいで二人に車に乗ってもらって撮影場所へ二人降りたところで、試合開始!

友紀(デッカイ沖くんを見上げるようにして)はよーございます。
雅也 本当は、オーキーっていいたいんでしょ(とニヤニヤ)。はじめまして、お姫さま。
友紀 ウフフフ、はじめまして王子さま。

と二人はなかなかいいムード。お姫さま、王子さまなんて呼び合う仲なんて、とふんがいするのは、でも早とちりなんだ、実は。

雅也 新番組『恋ってナーニ』(*注1)共演のはずなのに、今のところ友紀ちゃんとのカラミ全然ないネ、残念ながら。
友紀 そうなのよネ。でも沖くん、スッゴク役得なのよネー。
雅也 そうなのデス。典型的な二の線(二枚目役の事)、まるで正義の味方・月光仮面。友紀姫が危険になるとサッとあらわれ、助けた後再びサッと消える。イイー。
友紀 その点友紀は、例によって例のごとく三の線(三枚目役の事)なんだナー。沖くんは実生活でも、やっぱり二の線?
雅也 いやー、それがそうじゃないんだなー。髪の毛なんか染めちゃってるから(ほとんどのタレントは、カラー効果のため、男優でも髪を茶色に染めている)、変な目で見られることもあるし‥。
友紀 そう、そうは見えないけどナアー。
雅也 イヤ、そんな事、きょうはボクをいびる日なの?

と、話がいい所になり始めたら、もう場所移動の時間。こういう話をしながらも、カメラマンはアッチコッチとかけずりまわって撮影。
二人に花をもってもらって、並んでもらったら、集まっていたファンのなかから、「ウワアー、まるで新婚旅行のアツアツのお二人さんみたい」という声もかかり、そういえばこの二人、18歳と19歳というナントナクちょうどいいお年ごろ。“恋ってナーニ”というには。

そろってお洗濯
友紀ちゃん、昼食をとるべく、場所をNTVの近くのレストランに移して対談再開。
友紀 時間ないから、すぐ出来るもの。ウン、カレーライスでいいわ。
雅也 ボクは友紀ちゃんが帰ってから、ゆっくりとタラフク食べるからとりあえずコーヒー。
友紀ちゃんパクつき始めると、やっぱり沖くんも食べたそう。
雅也 18の女の子ってヒマな時は何してるの?
友紀 ウーン、やっぱりスヌーピーと遊んでるか、スヌーピーのお洗たくをしているか。沖くんは?
雅也 ボクも洗たく、もっとも自分のだけど。その他は、ビリヤードかボウリング。
友紀 最近はボウリングもやらないなア、アベレージは?
雅也 普通は180位かな。この間左手でやったら150だった。
友紀 ウワア、すごい、こんどおしえてもらオ。

と話がはずんできたらもう予定の時間はすぎていた。
友紀ちゃんコーヒーをグイとのんで、立ちあがった。
友紀 それじゃ、沖くんまたネ。時間がなくてごめんなさい。
雅也 ゴハンもたらふく食べられなくて、かわいそう。そのかわりボクがたっぷり食べるから。おつかれーー。

− 取材こぼれ話 −
♥対談というのは、ほとんどいつも時間がなくて‥。きょうもそう。友紀ちゃんのお昼の時間をもらってやっと出来た。
それを知った沖くん、記者にむかって、
「かわいそうだなあー。これからメシの時間はよしましょうヨ、ネエ」
ギロッと記者はにらまれました、スミマセン。
♥このTV『恋ってナーニ』(仮題)では、毎回歌を歌うことになっている友紀ちゃん。うれしくてしょうがないって感じ。しかもすぐ新曲が出る。曲名は『黄色い船』っていうの。
それに対抗したわけじゃないけど、沖くんの方も今度初めてのレコードを出す。『あしたの虹』(*注2)っていうの。聞いてあげてネ、ネッ。

*注1 仮題。『だから大好き!』というタイトルで放送された。
*注2 この曲はB面となる。A面は「哀しみをこえて」。




1972年5月 月刊明星 はじめましてこんにちは対談
「恋も知らにゃあで おみゃあ、おくれとるでヨー」


4月1日からはじまる『だから大好き!』(日本テレビ系)では、沖雅也クンと岡崎友紀ちゃんの初共演が実現する。日本に来た南の島の王子と王女という変わった役を演ずるふたり。スタート前から早くも呼吸もぴったりのアツアツ・ムードだ。

外国へ行きたい!
岡崎 (ノッポの沖クンと背くらべして)ずいぶんちがうわねえ。恋人同士としちゃ、あんまりつりあわないみたい(笑)。
 キス・シーンの時には、友紀ちゃんが台にのらないとダメだな。(笑)
岡崎 おあいにくさま。そんなシーンはないの。
 それは残念。せっかくの初共演だっていうのにさ。(笑)
岡崎こんどのドラマには、ミュージカル仕立てのところが出てくるでしょ。それがすごく楽しみなの。それと、王女さまになれるっていうのも、とってもステキだわ。
 ぼくのほうは、王子さまなんて少しテレくさいね。(笑)。
岡崎 女の子っていうのは、みんないちどは王女さまになるのを夢見るものなのよ。
 ぼくは気にいってるのは、南の島の王子ってところ。ぼくは九州・別府の出身だから、寒いのは苦手なんだ。(笑)だから、外国へ行くとしたらぜったい南のほうがいいな。
岡崎 いまいちばん行きたいのはどこ?
 タヒチ島とか、ニュージーランドなんか行きたいね。
岡崎 あら、私、この11月にニュージーランドとオーストラリアに遊びに行くのよ。
 いいなあ。王子さまはお供できないかね。(笑)

恋には縁がないの
岡崎 私はいま、海外旅行するのがいちばん楽しみなの。だから、ひまさえあれば外国へ行っちゃうわ。
 外国へ行ってなにするの?
岡崎 楽しいのは買い物ね。好きなボウシを集めたり、オシャレ用品なんかいろいろ買いこんだりして‥。
 ぼくはなんとなくフラッと行くのが好きだな。なるべく素朴なところへね。おととしもひとりでグアム島へ出かけて、25日間も暮らしてたんだ。
岡崎 そんなに長くいてタイクツしなかった?
 ぜんぜん。毎日、泳いだり、スキン・ダイビングをやったり、トローリングしたり、動きまわってたもの。そのうえ、あっちで知り合ったアメリカ人にハワイに連れてってもらって、水上スキーをやったしね。
岡崎 せっかく外国へ行ったのに、恋ひとつしないでスポーツにうつつをぬかしてるなんて、だらしないわねえ。(笑)
 そういう友紀ちゃんこそ、ボウシばっかりさがさないで、たまには恋人みつけろよ。(笑) 岡崎 おたがいに、恋には縁がなさそうねえ。
 だから、せめてこんどのドラマの中で、モウレツな恋をすることにしようよ。(笑)


<以下管理人の感想>
当時トップアイドルだった二人の初共演ということで、アイドル雑誌の王道「平凡」と「明星」がそろって対談を組んでいる。
文中にもある通り、岡崎友紀さんのスケジュールはぎっちりで、ご本人も、いつも眠くてよく覚えていないとおっしゃっていたほど。80年代後半に「TV探偵団」という番組で「だから大好き!」のタイトルバックが流れた時、「ああ、こんなのだったんだ〜」と驚いていたので、放送された作品を観る時間もなかったらしいことがうかがえた。
司会が「これは、沖雅也さんですね」と言うと、「だからちょっと悲しいんですけどね」とおっしゃっていた。
私が「小さな恋のものがたり」のロケで岡崎さんをおみかけした時も、何だかいつもうつむいて、疲れた様子だったのが印象に残る。友人が「テレビで観るより小さくて痩せてるんですね」と声をかけると「そうなの・・・」と、小さな声で答えていらしたそうで、私たちはテレビでの元気なキャラクターと全く違う岡崎さんの姿に、少々びっくりしたものだ。
沖さんが「メシの時間はよしましょうよ」と記者に向って抗議してあげるところが男らしくて嬉しい。


1972年5月 「週刊セブンティーン」より

人気TVドラマ(秘)エピソード集 沖くんは出ベソ?!
「アベックにひやかされたラブシーン」

真紅のブーゲンビリアが咲き乱れる、南海の楽園、バール王国から逃げ出し、日本にやってきたサヤカ王女(岡崎友紀)。
その王女が危険におちいるたびに、伊集院隼人(沖雅也)と名乗る青年が、助けてくれる。
実はこの隼人青年こそ、ダイヤ王国の皇太子だったのだ‥。

♥はじめこのドラマはグァム島ロケが予定されていたのだが、沖雅也のスケジュールの都合がつかないために逗子マリーナでロケすることになった。
「グァムに行けないで、グァムかり」
と岡崎友紀だけが、ひとりしょんぼりしていた。

♥撮影をはじめたのは、2月だから、フェニックスという木に、寒さよけのコモがまいてあった。
「あんなコモがまいてあったんじゃ、南の島の感じがでない、とってください」と、監督が申しこんだら、「コモをとるのに、1本につき4万円かかります」といわれ、数百本もある木をみて目をパチクリ。
政府の費用でコモがとれる、3月15日まで、木の入るシーンの撮影を延期した。

♥ドラマのなかで、沖雅也がオートバイに岡崎友紀をのせて逃げるシーンがあった。以前、映画のオートバイ撮影で鎖骨を折る大けがをしたことがある沖(注1)は、
「このシーンだけ、スタント・マンを使ってください。またケガをして迷惑をかけるといけませんから」
と申しで、スタッフ一同大感激。

紀伊ロケが楽しみ!
♥沖雅也と女スパイ役の有吉ひとみがラブシーン(注2)をする場面を、新宿の中央公園で撮影したときのこと。
有吉が、沖が王子さまだという証拠である、胸のホクロを調べるために「寒いから洋服を貸して」といって、沖の服をぬがせるところがあった。
撮影が夜だったから、公園のなかはアベックでいっぱい。沖がはだかになるとアベックがひやかすので、沖がいやがって、撮影がなかなか進まなかった。

♥このとき、有吉はホクロと沖の乳首をまちがえるのだが、撮影の予定では沖のおヘソとまちがえることになっていた。ところが沖が、
「おヘソはかんべんしてください」
とたのんだので、急に乳首に変更された。彼は出ベソかも‥!??

♥沖も岡崎も、たいへんスタッフ思いで、ふたりとも必ずさしいれをもってくるので、スタッフ・ルームはいつもくだものやお菓子でいっぱい。

♥5月20日から10日間、そろって紀伊半島にロケに出かける。4本も仕事をもって(注3)いそがしい沖は、いまから楽しみにしている。

注1:この前年、日活映画「八月の濡れた砂」の撮影中の事故のこと。このケガ 注2:子供も観る番組なので、正確にはラブシーンではないのだ。
注3:この「だから大好き!」の他に「未婚・結婚・未再婚」1・2・3と4・5・ロク!」にレギュラー、「キイハンター」に準レギュラー出演。


「こんな先生ほしくない?」1972年4月 週刊マーガレット?

「1・2・3と4・5・ロク」で、三枝の担任、長島先生を演じる沖雅也さん。スポーツ万能、生徒おもいでハンサムで‥‥こんな先生がいたら‥‥ね?

●本名/楠城児●昭和二十七年六月十二日、大分県生まれ●長男(四人家族。十七才の妹一人。)
●183センチ、70キロ。
■三月二十五日発売の「哀しみをこえて」(テイチクユニオン)のふきこみは、やぶれかぶれでやったのだ。
■不潔感をあたえる女の子って、ほんとにいやだねえ。
■ニュージーランドへいって、マトンをがっぱがっぱ食べてみたいなあ!
■毛むくじゃらの黒いくもは、ほんとにいやだね。おそろし〜い!
■おじいちゃんからおそわった盆栽とつり−−いい趣味でしょ?
■なっとうは、においをかいだだけで、むかむかしちゃう。
■中学ではバスケット部の部長。三年のとき、名門王子中学にひきぬかれた。
■大分県の碩伝中学の二年先輩に、にしきのあきらさんがいたんだぞ。
■スラックスは、大きな洋服だんす二つににはいるくらいあるんだ。
■アクセサリーは好きじゃないな。時計をするのも大きらいさ。
■デビュー当時は、やることなすこと失敗ばかり。
■車が大好き。正月は自分で運転して、大阪までいってきたのだ。

♥くもがきらいな沖さん−−意外と神経質。胃に注意して!
♥沖さんは27さいになるころに大きな転機に会う?
♥弁護士・商社マン‥‥沖さんがほかの職業につくとしたらこれ。


「気の合う同士 夢はデッカク オーストラリアへ!!」1972年4月頃 週刊セブンティーン

沖雅也がスターの道を歩むきっかけとなったのが、昨年春の『クラスメート』出演だった。そのドラマで共演した近藤正臣から、彼はさまざまな助言をうけた。そのときの思い出や近況、将来の夢などをふたりに語りあってもらった。

お酒を飲んで演技の話に夢中‥‥

ブラウン管のプリンス近藤正臣と、ナイスガイ沖雅也、ティーンのアイドルふたりが初めて会ったのは、去年の春NTV系で放映された“火曜日の女シリーズ『クラスメート』で共演したときだった。
あれから1年。ばったりめぐりあったふたりの話題は、初対面の思い出から、現在の仕事、プライバシー、いっしょにバカンスを楽しみたいというプランまでバッチリ!

沖 あのときは先輩にすっかりお世話になっちゃって。ぼく、テレビはあれが初めてだったんですよ。

近藤 そうだってね、でもふしぎだなあ。沖クンがでた日活映画を見たわけでもなしのに、初対面という感じがしなかった。
沖 ぼくは『柔道一直線』よりももっと前、近藤さんが東映京都の映画に出てたころから知ってましたよ。
近藤 あそう、じゃあ間接的には会ってたわけか(笑)。しかし、なんてカッコいいヤングだろうと思ったよ。服装の色彩感覚なんかバツグンだったね。
沖 テレちゃうなあ。ぼくは近藤さんに近づきたいものを感じたけど、とてもひきつけられちゃって‥‥。それにいちばんオトナで、やっぱりスターだったでしょう。ぼくは日活からはなれ、テレビに新天地を見つけようとしてたところだから。
近藤 “やるぞ!”という意欲にあふれてた。セットではいつもいっしょで、仕事のあと、食事に行ったこともあったよね。
沖 飲みに行ったんじゃなかったっけ?(笑)ぼくはあのドラマで、ぐれた高校生をやったでしょう。好きなタイプの役だから、チャンスをいかさなくてはと夢中だった。近藤さんは高校生じゃなく、先生をするんだって思ってたんですって?(笑)
近藤 だからフに落ちなくてさ(笑)。キャスティングをまちがえたんじゃないかと、思ったよ。
沖 でもあのとき、29歳だなんて、ぜんぜん見えなかったなあ。せいぜい、24か、25くらいにしか‥‥。
近藤 きみは礼儀正しい若者だ(笑)。話といえば、ぼくもファッションには興味があったから、よくその話題が出たね。
沖 映画入りの前、ぼくはモデルをしていたし‥‥。近藤さんだって、すごくいいセンスだったもんなあ。とにかく、女性ファンのあこがれのまと、だったんだから(笑)。

ボディビルの雅也 自作の詩をDJでの正臣

近藤 沖くん、今仕事は?
沖 モーレツなんです。テレビが『だから大好き!』(NTV系)『1・2・3と4・5・ロク!』『キイハンター』(TBS系)『未婚・結婚・未再婚』(NET系)と週4本。きついんすよ、今1週おきの日曜日には、全国を飛びまわって、後援会の発会式をやってるし‥‥。
近藤 すごいもんだね。そんにはハードスケジュールで、身体は大丈夫?
沖 この前『キイハンター』のアクション撮影で足をネンザしたけど、健康には自信あるんです。仕事中でも2時間くらいヒマができると、新宿のトレーニングセンターへ飛んでっちゃう。じつはきょうもひと汗かいてきて‥‥(笑)。
近藤 いい身体してるものね。それで後援会の発会式ってどういうぐあいにやってる?
沖 今までに富山、名古屋、東京と終わって、これから仙台、札幌、大阪、高松、福岡と、まわるんです。大阪では“沖雅也ショー”もあわせて開く予定ですけど、ぼくはしあわせだと思いますね。熱心なファンの人たちに、激励されると、胸にジーンときちゃって‥‥。
近藤 沖クンはそれだけファンに愛される魅力を持ってるんだから、才能を大切にしなくっちゃね。テレビはこわいと思うんだ、自分の気がつかないうちに人気はパッと出るけど、ちょっとでも自己反省をおこたると、その反動がドカンと来る。
いつも冷静に自分を見つめる余裕がないと、足をすくわれるから‥‥。
沖 ぼくなんか、まだまだだけど、近藤さんは、仕事を選んでるんじゃないですか?
近藤 そんなナマイキいえないよ(笑)。今はテレビが『あの橋の畔で』(NTV系)と『地の果てまで』(TBS系)の2本、これで1週間みっちりかかっちゃう。ほかにST(セブンティーン)の集英社提供のDJ番組(文化放送)がはじまったので、その録音もせっせと取ってるしね。
沖 ラジオもいいなあ。どんな構成で?
近藤 ぼくのおしゃべりと音楽が中心になるけど、自作の詩も紹介したいんだ。詩は前からぜひやりたいと思ってたし、今チエをしぼってるところ。
沖 ヨワイな、ぼくは全然詩才なんてないから、ボディビル専門だ(笑)。
近藤 そのほうが、モテルかもしれないなあ(笑)。

恋をして“キラキラした時間”をもて!!

沖 近藤さんの『明日は今日より暖かい』っていうあの歌とってもサワヤカでいいなあ。ぼくも3月25日発売で『哀しみをこえて』を出したけど、人前で歌うのは全然ニガ手なんだ。

近藤 ごけんそんでしょう(笑)。沖くんはきっと歌がうまいと思うな、いちど聞いてみなくっちゃ。
沖 うまいんじゃなくて、好きなんですよ。だからこれからもツツマシク歌っていくつもり。ほんとはハナ歌くらいがいちばんピッタリなのかな(笑)。
近藤 本職の歌手よりうまかったら失礼だよ(笑)。ぼくだって、ひそかに“オレはうまいんだ”と思ってるが、人にはけっしてそういわない(笑)。
沖 レコーディングのときは、緊張しちゃってもう汗だく。だって、てんでウタになってないんだもん。ひといや(笑)。近藤さんは『植物誌』っていうLPまであるんだから‥‥。
近藤 でも歌手なんて恥ずかしいよ。テレビでコマソンとか、テーマソングを歌ってるだけなんだから。作詞には興味があっても、本格的に歌に取り組むつもりはないね。
沖 映画に出演の予定はないんですか?
近藤 6月ごろに1本撮る予定があるけど、今のところ休みを取ることもできないんで、どうなるかメドがつかないんだ。
沖 ぼくははじめ映画で育ったし“なにかこれだ!”という作品に、1本でもいいからでてみたい。自分の可能性を映画でトライしたい気持ちは、今もありますね。
近藤 沖クンねえ、ぼくはきみに恋愛することをすすめたいなあ。
沖 ええッ!
近藤 そうおどろかないでよ(笑)。別に深い意味はないんだが、青春時代に“キラキラした時間”を所有することは、大切だと思うんだ。それは必ずプラスになる。
沖 ウーン、“キラキラした時間”か(笑)。でも今のぼくは、まだ女の子となんだかんだという時期じゃないし、恋をして、結婚するとしても、27か28くらいがいちばんいいんじゃないかなあ。近藤さんはきれいな奥さんも、子供もいるからいいけど‥‥。
近藤 逆襲してきたね(笑)。うちの“ひみこ”は5つで今、幼稚園へいってるんだ。仕事に追われて、ろくにめんどう見られないが、夜中の1時、2時まで起きてるよ。いっしょに遊ぶとかわいいんだよね。
沖 ストップ!ぼくを早く結婚させようと思ってもダメ、ダメ(笑)。

ふたりいっしょに夢のオーストラリアへ!!


近藤 今年の正月、京都南座の楽屋でバッタリ会ったっけね。あの前に、ぼくは東京駅のデパートで、吉沢京子ちゃんと偶然ぶつかったんだよ。彼女とは『柔道一直線』で共演してたから“やあ、しばらく”というわけで‥‥。
沖 ぼくは京子ちゃんと『さぼてんとマシュマロ』でコンビだったでしょう。だから南座の“にしきのあきらショー”に彼女がでると聞いて、陣中見舞いに行く約束したんです。
近藤 京子ちゃんのおかげで、再会がかなった(笑)。まさか楽屋できみに会えるとは思わなかったなあ。『クラスメート』から8か月ぶりだったものね。
沖 あのとき近藤さんにいわれたこと、忘れてませんよ。“沖クンはわりとカゲのある若者の役が多かったようだが、『さぼてんとマシュマロ』でコミカルな芝居をやったのは、役者として大きな武器になると思う”って‥‥。
近藤 そうね。『さぼてん‥‥』は2回くらいしか見てないけど、ぼくは”陰の芝居”より“陽の芝居”のほうが、むずかしいと思うんだ。コミカルな演技というのはムードやフィーリングだけじゃできない。それがやれればカゲのある役がキワ立ってくると思うね。
沖(熱心に聞き入る)
近藤 ぼく自身、わりとカゲのある若者の役が多いから、たまに三枚目的な明るい芝居をやると、すごく苦労する。そういう演技をするのに必要な童心ってものは、いつまでも大切にしたいなあ。
沖 近藤さんが持ってる雰囲気って、ぼくとまるでちがうでしょう。近藤正臣のイメージが、そのまま演技のフィーリングに生かされてるみたいで‥‥。ぼくなんかうらやましくて、先輩の出るドラマは、できるかぎり見るようにしてるんですよ。
近藤 そんなにモチあげないで(笑)。ところで沖クンはいつになったら休みが取れる?
沖 それが今のところ、雨でロケが流れたときくらい(笑)。でもテレビの秋の新番組を撮る少し前に、からだがあくんじゃないかな。2週間くらい休みをもらえたら、外国のどこか暖かいところへ行きたいんです。
近藤 ぼくは、行くなら絶対オーストラリアだ。前からカモノハシがどうしても見たくってね。知らない?くちばしがカモそっくりで、手足に大きな水カキがある動物なんだよ。
沖 じゃあいっしょに、カモノハシに会いに行けばいいや(笑)。オーストラリアの近海は世界一の大サンゴ海だっていうから、ヨットでクルージングもできるし。
近藤 きまった!今からカッコいいヨットをチャーターしておこうか。スキンダイビングで“宝さがし”なんかもいいぞ!
沖 こうなれば、この約束ゼッタイ実現させなくっちゃ!
近藤 そうだね。具体的にきめなきゃいけないから、そのうちまた会おう。
沖 じゃ、またおねがいします。

やっと実現したふたりだけの時間。久しぶりの再会で、その話にはキリがなかった。“こんどいつ会おうか?”と、またの機会を約束しあった気の合う同士、雨のなかを、それぞれの仕事場にもどっていった。



近藤正臣さんと沖さんがアイドル同士として対談する企画なんて、今でも想像もつかない話だが、近藤正臣さんもこの頃は押しも押されぬアイドルで、私も文中にある『明日は今日より暖かい』というレコードを買った。そうだった。私は先に沖さんのファン表明をした友人に対抗して、表向きは近藤正臣さんのファンだということにしていたのだ。
近藤正臣さんが好きだったのも事実だ。これまた文中にある『あの橋の畔で』はメロドラマだが毎週楽しみにしていたので、クラス替えの自己紹介で「好きなテレビは何ですか」という質問が入って、「『あの橋の畔』です」と答えて、何だか笑われたのを覚えている。
近藤正臣さんはアイドルの王道ともいえるグ○コのチョコレートのCMに出演していて、『明日は今日より暖かい』はその“コマソン”だった。大好きな歌なので、沖さんがこの歌を好きだと言っているのが嬉しかった。
B面の『雪が降る』は歌詞を歌わずに「雪が降る・・・あなたは来ない」と台詞風に語る方式が面白く、のちに小堺一機さんがそのものまねをしていた位だ。
近藤さんの沖さんに対する助言はなかなか興味深い。さすがに10歳年上で、芝居に対するアドバイスなど、沖さんには興味深かったことだろう。『クラスメート』では同級生でも、ちっとも違和感がなかったが・・・(近藤さん若い!)。
沖さんはここでも映画へのこだわりを示している。よほど映画がやりたかったのだろう。日本映画も世界に進出して賞を取るようになったこの頃、沖さんにもいい映画をさせてあげたかったとつくづく思う。
この頃の沖さんは文中にあるようにレギュラー4本で休みがないような状況だったにも拘らず、わざわざ京都まで吉沢京子さんの陣中見舞いに行っている。沖さんの大分でのショーの時は、吉沢京子さんがゲスト出演しているし、何だか仲良しで羨ましい。当時は随分ヤキモチを妬いたものだ。
そういえば、吉沢さんのお誕生日にケーキを囲んでいる写真も、どこかのグラビアに載ってたなあ。吉沢さんのお母さんとスリーショットで(笑)。


4年7ヶ月ぶりに故郷・大分に帰った沖雅也が秘められた過去を全告白

1972年8月 週刊セブンティーンより

みなさん!ぼくの不義理を許して下さい
思い出の地に、いま

8月12日、故郷の大分へ向かうジェット機のなかで沖雅也の胸には、さまざまな思いが流れていた。
4年前の昭和43年1月4日、家出をした日は雪が降りしきる寒い日だった。
その日、九州の大分駅から身を隠すように東京行きの列車に乗った彼。いまは東京から大分までジェット機で、わずか80分の旅なのに、家出をしたあの日は、東京までの汽車の旅がとても長く感じられた…。
ジェット機は午前11時50分、無事新大分空港に着陸した。そこには思いもよらないたくさんのファンの歓迎が待っていた。
『お帰りなさい、沖雅也君』
心のこもった大きな横幕もあり、暖かく迎えてくれた故郷の人、人…。そのなかに父、楠宗生さん(47歳)の姿もあった。すぐに車で大分にむかい、地もとのテレビ局や新聞社へ挨拶まわりを。そして、懐かしの母校、大分市立王子中学校を訪れた。
車から降りた雅也は、校門をじっとみつめた。
この門をくぐって通った3年間(*管理人注1)。
この門のなかには彼の青春の思い出が、いまも生きていた。
「楠 − 楠じゃないか!」
このとき雅也は声をかけられた。それは教わったことはいちどもなかったが、顔はよくおぼえている先生のひとりだった。
楠 −! 4年ぶりで呼ばれる懐かしい自分の名前。
雅也は父とともに職員室に入った。そこには校長先生をはじめ、2年生のときの担任の森崎先生、数学の秦先生、中3のときの担任の上尾先生(現上野ヶ丘中学校)など、10人もの先生たちが彼を迎えてくれたのだ。
「うむ。ちょっとテレビで見るときの顔と違うな」
「寝る時間は十分あるか」
「ちょっとやせたんじゃないのか」
「どうだ、バスケット部にいたころを思い出して、体育館で練習してみんか?」
先生たちとともに中学時代の思い出話にひとしきり花が咲いた。この日、市内のレストランで、上尾先生を中心に雅也がいた3年6組の同級会が偶然にもひらかれていた。それを知ったとき、彼は先生たちと別れて会場へかけつけた。
会が始まるにはまだ時間が早く、そこには同級生の女子が3人と男子がふたりきているだけだった。突然はいってきた彼をみて、みんなは驚き、
「おう、しばらくだな!」
とかけよってきた。雅也をかこみ、それぞれの話に夢中になっていく姿は、4年7か月という月日の流れを、いともかんたんにもとにもどしてしまっていた。
「楠くんは中2のとき碩伝中学校から転校してきたんです。背が高くてね、バスケット部に入っていた彼はみんなのあこがれのまとでした。演劇部にも入っていて、大男の役をユーモラスに演じたことを、いまでもはっきりおぼえています。模範生の一面不良っぽいところがって(原文ママ)、しかも成績はクラスのトップ。テレビの青春学園物の主人公そっくりの魅力を持ってたんです」
同級生のひとりは、なつかしそうに当時をふりかえり、雅也のモテモテぶりを語ってくれた。
みんあと楽しく話した後彼はひとり大分駅前の公園へ行った。大きなフェニックスがある公園を前にした大分駅 − 4年7か月前、家出をしたとき、雅也は当時とまったく変わらないこの駅から旅立ったのだ。
おそらく、つぎからつぎへと、そのころのことが泉のように、はなやかな映像となって、浮かびあがってくるのだろう。彼はいつまでも駅をみつめていた。
その夜、宿舎の大分西鉄グランドホテルには、久留米のおじさんの家にいる妹の○美子さんもかけつけ、夜遅くまで彼の部屋の窓には明りがついていた。

涙でとぎれた雅也の声
よく日、大分文化会館で『沖雅也・故郷に帰る』のワンマン・ショーが開かれた。『さぼてんとマシュマロ』で共演した吉沢京子、親友の桜木健一、雅也とおなじプロの多摩川良一、丹波哲郎たちが友情出演した。
1回目のショーが終わり午後5時から2回目のショーが始まった。異常なくらいに大熱演する雅也の演技に、司会者が感激して泣いた。
そして最後に雅也が挨拶に立った。わーっという嵐のような拍手。雅也は頬をバラ色に染めていった。
「ぼくの故郷は、この町です。4年7か月前、ぼくは父や先生や友だちにみつからないようにして、この町の駅から、ただ、からっぽな気持ち、それだけで汽車に乗りました。ぼくはきょう一人前になったから帰ってきたのではありません。
東京に出てからいろいろなことがありました。でもぼくはまず食べて生きていかなければならなかったのです。
運よくみとめられて、きょう、こうしてステージをみていただくことは、なにものにもたとえようのない喜びです。
ぼくはきょうまで、たくさんの人たちに、迷惑のかけっぱなしでした。ぼくのこれまでの不義理を許してください…ありがとうございました」
雅也の声はなんどか涙でとぎれた。会場のあちこちからすすり泣きの声がおこった。そのボックスの片すみで、○美子さんがしきりにハンケチをあてていた。
だが、だれがこのとき知っていただろう。○美子さんの隣の席が、たったひとつぽっかりと空席になっていたのを。
そこは、母のために用意した席だったのだ。そのおかあさんの姿は、雅也の精いっぱいのショーが終わるまで、みることができなかった。
けれどその夜、別府に住んでいた母が、雅也のホテルを訪ねたのだ。前夜は父と妹と、そしてこの夜は母とふたりきりで語りあった雅也。
だが、なぜ雅也は両親とそろって会えなかったのか。
そこには、いままで人に語れなかった、雅也の悲痛な家庭の事情がかくされていたのだ。

離婚…その悲劇のなかで
雅也の父、楠宗生さんと母の礼子さんは、昭和41年12月に、協議離婚をしていたのである。それ以来、43年1月4日、彼が家出するまでの約1年間、雅也は父と暮らしてきた。(*管理人注2)
県下では新学校として1・2をあらそう優秀な舞鶴高校に進学できる実力を持ちながら、家出をした雅也。その家出には、両親の離婚という悲劇が、大きな比重を占めていたことは、否定できない事実だった。周囲の人たちはいう。
「城児が『心配するな、探すな』と、簡単な書きおきをのこして家出したとき、じつに生きた心地がしませんでした。
私は、あの子をスパルタ式に育ててきました。そうしたきびしいしつけのなかで、独立心も植えつけてきたし、家からいなくなったことで、悪の道にはいったり、自殺をするというようなことだけはないと信じていました。
それでもいちおうは、警察に非公開捜査を依頼したのです。半年間ゆくえがまったくわからず、やっとのこと9月に、大分の新聞の“大型新人あらわる”という記事を見て、城児のことがわかったのです。 城児と連絡がとれるようになったのは、それからでした。
とにかく、あの子の家出の責任は、すべて父親としての私にあります」
と、雅也の父、宗生さんは、息子の成長ぶりに瞳をぬらし、語ってくれた。
また、雅也の担任だった上尾真○先生は、
「家出後、学校にはおとうさんから、病気で休ませてほしいという届け出がありました。
しばらくして楠の家出を知らされたとき、3月の卒業を間近にして、私は心配でなりませんでした。
でも、新聞で楠のことを知り、おとうさんにやっと卒業証書を渡すことができたのです」
数学の成績はいつも90点以上、その数学を教えていた秦康○先生は、「年の暮れの29日まで、補修事業があったとき、楠は“さみしい”といっていました。別れた病弱のおかあさんや家のこと、進学の問題などで、悩んでいたのでしょう。
映画の好きな楠が、ある日映画館からでてくるところを見つけましたが、やはり元気がありませんでしたね。
楠が、日活映画『花ひらく娘たち』をとおして、突然私たちの前にあらわれたとき、学校内は騒然となったんです」(*管理人注3)
雅也の家出は、彼をとりまくひとたちに大きなショックをあたえた。
きびしいしつけをうけ、高校生となんら変わらないほどに成長した雅也。
学校では長身をいかしてバスケットボールや演劇に熱中。友だちづきあいもよく人気者だった彼だが…。

“偽り”の過去を告白!
ある週刊誌は、沖雅也が両親の離別、年齢や本名まで偽っていたと報じた。語るにも語れなかった悲痛な過去。
雅也は、いまこそ真実を告白するのである。
「家出した4年前の1月4日はひどい雪の日でした。東京へ出て、まずぼくがしなければならなかったことは、いったいどうやって食べていけばよいのかという、切実な“生きるための方法でした。
中学校の卒業証書も持ってないので、まともな会社では働けなかった。そこで背が高かったので、3つ年をサバよんで、昭和27年生まれを、昭和24年生まれと偽ったのです。
本名を木本明としたのも家出先を家の人に知られたくないと思ったからです。舞鶴高卒としたのも働くための手段でした。
なぜ舞鶴高卒にしたかというと、その高校にあこがれていたからです。悪いことには違いなかった。でもそれをやったおかげで、15歳のぼくは18歳となって働くことができたんです。飢えることなく生きていくことができたんです。もしそうしなかったらどうしていたかわかりません。
やがてセントラル・ファッションから日活映画に出演するようになり『純潔』でデビューしました。
それから苦労の連続でした。でも、モデルの仕事のとちゅうで映画界にはいり、ようやく出演できるようになって、両親や友だちが連絡をくれたときのよろこび…それは、なににもたとえようがないほどにうれしかった…。
右も左もわからない大都会にでてきたいなか者の15歳の少年が、食べるため、生きるために過去を偽ったのは、こんな理由からだったのです。
いまも、舞鶴高校の文字をみると、ぼくの胸は痛みます。
それは、ぼくが無断で高校の名前を使ってしまったばかりではありません。ぼくはあたりまえの受験生のように高校を受けて、勉強したかったからです。
大分の王子中学校を訪問したとき、森崎先生は“本をたくさん読んで勉強しろよ”といってくださった。
いままでは好きな演劇の仕事に無我夢中だった。でもこれからは一生懸命いろいろなことを勉強していきたいと思っています。頑張っていきたいと思っています…」

ショーの最後で、「ぼくのこれまでの不義理を許してください」と涙をうかべ訴えた彼。
でも私たちは、そんなことを気にしないで力いっぱい頑張ってほしいと願う気持ちでいっぱいなのだ。むしろ大胆に過去を告白し、ファンの審判に訴えた、沖雅也の勇気に、心からの拍手を送りたいのである。

注1:実際には二年の途中からの転校生だった。
注2:「一人アパート借りて暮らしてた」というのが後日の本人談。
注3:デビュー作「ある少女の告白・純潔」は大分では上映されなかったのだろうか。


アイドル雑誌の記事だからひらがなが多いのはともかくとして、内容もきれいに感動を与えるように仕上げてあるのは仕方がない。
それでも当時の私は、この記事を何度も何度も読み返しては涙していた。今では離婚など珍しいことではなくなったが、この記事ではそれを『語るにも語れなかった悲痛な過去』としている。私自身も両親の事実上離婚と、それにまつわるがトラブルで鬱屈していた時だったので、沖雅也という人の登場は、私にとっては救世主のように思えたのだ。
家を出た父と、取り戻そうとして私を表面に押し出した母、対外的には父親がいる温かい家庭があるように演じ続けるのは、小学生だった私には無理があった。「絶対に人に言ってはいけない」と口どめされて誰にも相談できずにいた私に、同じような悩みをかかえながらも笑顔の美しい青年・沖雅也が目の前に現れた。私はそれに飛びついた。

実父の宗生さんが亡くなられた時、葬儀で号泣し、「人の骨って本当に重いものですよ」と父親への愛情を溢れさせた沖さん。今、父親が死んだことを知っても感慨すら沸かない心の狭い私の前で、沖さんは今も優しく微笑み続ける。


「私のPR宣言」

1972年9月号 近代映画より

歌が売れてる?…そんな馬鹿なとは思うけど………!

意欲と自制心のかたまり
国際放映で「小さな恋のものがたり」(NTV)セット撮影に入っている沖くんをつまかえてのインタビュー。
「めし食いながらやらない!」 これも沖くんのPRのひとつ、じっくり話が出来るからという考えからですが、所がいざインタビューとなるとあんまり話さないのがいつものクセ。そこでこちらも 「歌が(レコードのこと)売れてますね」とハッパをあおる。 とたんにニコッとしてインタビューの開始とこうなるわけ。 「そんな馬鹿なと思いますね…実感としてこないからかなァー。オレへただけど、歌える時期に歌っておこうと思うもんね、芝居のプラスにもなるし…」 といつも自信たっぷりな沖くんにしては消極的なPRです。 そこで話題をかえて、沖くんは女性にもてるでしょうと、またハッパともちあげてから、彼の女性撃退法を尋ねてみました。 「俳優沖雅也だからもてるんじゃないの。それに撃退法っていっても、僕のファンはまだそれほど積極的にくるなんてことはないですよ、他の人で少し人気が出てくると変なことをする人がいるけど、ぼくは自制心があるから、それやったらおしまいですよ」 という彼、たしかに自制心はひと一倍に強い。今まで彼がデビューした時からの彼を見なおせばはっきりわかりますが、意欲と自制心が今日の彼を作ったといっても過言ではないのです。 「PRでしょ、こんど8月25日に『幸福への出発』というレコードを出します。(注1)テレビは『小さな恋…』と『キイハンター』みなさん聞いて下さい、見て下さい」 ズバリのPR、これが意欲のあらわれなのでーす。 次は、仕事を抜きにして人間自分をPRすうる時、一番真剣に自己を表現っていうか、顕著に表わすのがプロポーズの時だと思うけど、その時沖くんだったらどうPRするか聞いてみましょう。 「弱ったなー、やっぱりその時にならないとわかんないけどねー。オレ意外と親切だしやさしいと思うけど…。やっぱり好きな人だったら一生幸せにするからってこと思うよ、一生懸命働いてさ…やめようとこんな話」 さらりと逃げられた感じですが、もっかひとりぐらしで掃除、洗濯と自分でやっているだけあって沖くんのお嫁さんは何にもしなくていいかも知れないよ。

かくれた才能 インテリア・デザイン
「あとオレがだれにも負けないと自負できうるのは根性だね。高校中退して(注2)上京してさ、色々な仕事について、一日の食事も満足にできない生活をおくって来たでしょ、それもひとりですよ、その時のことを考えれば何でも出来るしまたそれに耐えられる根性を身につけているからね」 身長182センチ、体重72キロ堂々たる体かくであります。外面だけではなく心も何にも負けないガンジョーそのものなのです。 そこで体格に移項しましょう。 自分の身体でもっともPRできると思う所はどこなんでしょう。 「やっぱり足かなァー、バスケットできたえたでしょ、バネがすごく強いんですよ、 『キイハンター』で千葉さん(千葉真一さん)にほめられたぐらいですから。 顔?そうねー、自分で自分の顔のことを自慢できるわけはないでしょ」 ごもっとも。あとはあまり人に話さずかくれた自分の得意というか、こう特技のような PRはないものでしょうかね。 「(簡単に)別にないなァー。しいていえば部室(原文ママ)のインテリアなんかうまいもんですよ。叔父さんがその専門家(注3)なんで、あとは盆栽かな、そのくらい」 いとも簡単な答え。 最後に自分は役者であるから将来こういった作品を演じてみたいなんていうものは…。 「ありますよ、それは…(ここでマネージャーが沖くんをつっつき口を止めさせる)それはいまはいえない、(ここでしばらく記者と"いいじゃないですか” "ダメ”の問答が続いたが結局聞けずに終ってしまいました)」 沖くんのPRはだいたいこんな所ですが、彼の自己防衛本能は作られたものではなく、自然に身体から出てくるもので、常に優等生の答えが帰ってきますが、喋っていい事悪い事をハッキリわけているあたり、サスガーっていう気がします。

注1:『君と二人で』がA面、『幸福への出発』はB面として発売された。
注2:まだ年齢逆詐称していた頃なので、高校中退と発言したと思われる。
実際は高校入学前に上京。
注3:日景忠男氏は建築科卒。


「やっぱり好きな人だったら一生幸せにするからってこと思うよ、一生懸命働いてさ」という一言から、理想的な家庭を生真面目に想像する20歳の青年の姿が浮かび上がる。
演じてみたい作品の場面でマネージャーからストップがかかったのは
「高校生無頼控」の話になりそうだったからだろうか。


《特別読物》小説/沖雅也 「涙は燃えた!」

1972年11月7日号 週刊セブンティーンより

旅立ちの列車は動きだした
昭和43年1月4日、九州、大分は雪だった。
コートのえりをたてた、目だって背の高い少年が、人目をさけるように駅へいそいでいた。雪は、彼の眉や肩にようしゃなくふりかかった。しかし、だれかにみつかるまいかという恐れでいっぱいの彼の心は、冷気を感じる余裕はなかった。
彼の名は、楠城児 -のちの沖雅也であった。中3の正月、彼は、家をあとに東京へ向かおうとしていたのである。
城児のからだが、ぎくっとなった。
道の向こうに、同級生が現れたのだ。
家出するところを、見られてはまずい ---。
さいわいに、同級生はにこっと笑ったきりで通りすぎた。城児はホッとした。
ほとんど走るように、城児は大分駅へかけこんだ。鉄のにおいをさせて、すべりこんできた東京行きの急行が、彼のからだを吸いこんだ。
ざわめきのあいだの短い停車時間が、城児にはひどく長く感じられた。今にも車室の入口に、血相を変えた父が現われ、列車の外に引っぱりだされるような気がした。発車のベルが鳴りおわるのを彼はいまかいまかと待った。
やがて、列車は動き出した。
大分の町が、遠ざかってゆく。なにも知らず、こたつにあたっていた妹の○美子よ、さようなら。たったひとりの兄がもう家にいないと知ったら、どんなに驚くことだろう。そして父も、母も。
いや、その母は、いなかった。城児の父母は離婚して、母は一年前に家を去っていた。今、彼が、からっぽな心を抱いて、大分の町を去って行くのも、両親の別離以来、彼の心に吹きつづける、つめたい風のせいだった。
さらば故郷。東京へ向かったとき、城児は15歳だった。

列車は、関門トンネルをぬけて、九州を離れた。城児のあたまのなかを、九州で過ごした15年間の思い出が、つぎつぎにひらめいては消えてゆく --。
さっき列車が通りすぎた別府駅 --- 城児は、この有名な温泉の町で生まれたのだった。
若く、美しい彼の母は、からだが弱かった。城児を産んですぐ入院したため、彼は父につれられて、別府から汽車で2時間ほどの、日田市に移った。
若宮小学校に入学し、小6までここで過ごした彼は、父の仕事のつごうで、大分市へ引越し、荷揚小へ転校した。
40年4月、小学校を卒業して、碩田中学校に入学する。家庭は裕福で、城児は楠家のぼっちゃんとして、ぜいたくに育った。小さいときから、おしゃれで、潔癖で、小学生のころから、注文のズボンでないとはかなかったくらいである。
城児の家は、北九州の名門であった。九州帝大(いまの九大)医学部で、だれも知らぬもののない名医、楠内科の楠博士は、城児の祖父であり、伯父は、心臓外科の権威であった。親せきは、ほとんど医者である。しかし、城児の父は、九大経済にすすんで事業家となった、かわりだねだった。
周囲の環境から、城児はばくぜんと、将来の希望を医者ときめていた。男の子のいない伯父は、楠病院の後継者に、城児を望んでいた。彼の成績も、期待にこたえるのに十分だった。
成績優秀だったが、彼は、青白い本の虫だけではなかった。りっぱな体格の父に似て、タケノコよりも勢いよく成長した彼は、180センチ以上ある長身を生かして、バスケットのクラブに入り、活躍していた。水泳も得意で、演劇もやった。中学2年のなかばに、父の仕事のつごうで、一家はまだ引越しをした。城児は、王子中学校に転校した。
城児の転入が、王子中にまきおこしたセンセーションは、5年後のいまも、同級生のあいだで、語り草となっている。
ずぬけた長身で、ハンサム、頭がよくてスポーツ万能、碩田の楠城児の名は、王子の生徒のあいだにも知れわたっていたのだ。そのプリンスが、自分たちのところにやってくる!女の子たちがわきかえってしまったのも、むりはない。
王子中でも、城児はバスケットと、演劇をつづけた。成績はクラスでトップだった。転校そうそう、西も東もわからないのに、自治会の委員長に推せんされてまごついてしまったこともある。
彼の行く先ざきには、女の子のあつい視線とため息がつづき、何人の女の子が片思いに胸をこがして、手紙を書いては破りすてたことだろう ---。

思い切りよく すてるのだ!
しかし、城児のに熱をあげる女の子たちも、彼の心の奥底の悩みを知らなかった。
孤独だった。両親の性格の不一致からくる不和が、家庭を暗く、冷たいものにしていた。
両親はともに、つよい性格だった。礼儀作法にきびしく、幼いからといって、こどもたちをあまやかせはしなかった。子が親にあまったれて、べたべたまつわりつくことは、城児の家ではなかった。
楠城児、という、独立した一個の人間として、小さいときからスパルタ式で育てられた彼は、ある意味では、両親ににた、やはりつよい性格の少年だった。
両親の争いを、彼はいっけん、冷静に傍観することができた。泣いたり、やめてよと哀願することは、彼のほこりがゆるさなかった。
だから、41年の暮れ、城児が中学2年の2学期、母がついに家を出ていったとき、城児は母のあとを追いはしなかった。唇をむすんで、去ってゆく母を見おくったのだった。

しかし、14歳の少年にとって、産みの母が家から消えるということが、痛手でないはずがあろうか。
母のあとには、お手伝いさんがきた。仕事で忙しい父は、めったに家にいない。がらんとした家は、いたずらに広い…。
城児は中学3年になる。いやでも、高校入試と対決しなければならない。重大な1年だ。医師をめざす彼は、どうしても医大に直結する、大分の名門高にすすまねばならない。
「きみの実力ならだいじょうぶだよ。さぼっちゃなんにもならないが --- 」
先生はいった。がんばろう --城児は机に向かう。しかし、なにかむなしいのだった。
友だちが、家へさそってくれた。台所には、友だちの母がいる。
「おかあさん、なんかつくってよ。楠をつれてきたから」
「あんたも楠クンみたいによくできるといいんだけどね --- ちょうどいいわ、楠クンの爪のアカ、もらって飲んだら」
「よせよお、あたまのわるいの、親ゆずり、かあさんの子じゃないかよお」
「そんなヘラズぐちは、かあさんゆずらないよ。おしとやかなんだから」
ふざけあうともだちとその母。城児は、たまらなく、うらやましかった。
からだのなかを風が吹く…彼はさびしかった。むなしかった。泣きごとをもらしはしなかったが、彼の心には、深い傷が、大きな穴をあけていた。
秋風とともに、入試への最後の追いこみがはじまる。城児はふと、不安になった。こんな、がらんとした気持ちで、はたして、入試にたちむかえるだろうか。もし、万一、失敗したら…。
秀才は孤独だ。点をとっても、あたりまえ、うしろからはライバルたちがおしよせる。たまらなく息苦しく、失敗したときの屈辱感は、なみはずれて大きい…。
不安な彼の心の底で、かすかに彼を呼ぶ声がする。
(城児、行け!いやな世界は、思いきりよくすてるのだ!おまえには、新しい世界がある。楠城児ではない世界。それは、おまえを待っている…)
城児は、そのことばに従ったのだ。
彼は、とびだした。さがさないでください。心配するな。父への書きおきは、短かった。荷物もなかった。こづかいをためた5万円、それが全財産だった。

『木本明。18歳です…』
東京へ着いたときは、朝だった。やたらに広い、灰色の大都会。知人は、だれもいなかった。城児はその夜、旅館に泊まった。
からだが大きいので、家出の少年とあやしまれはしなかった。一夜明けると、彼はさっそく求人欄で仕事をさがした。
(15歳、中学も出てないで、勤め口があるだろうか…)
徒町町のサッポロラーメンが、住み込みの店員を募集していた。ここなら学歴は不要だ。食事とねぐらの心配もない。城児はでかけることにした。
御徒町にたどりつくまでに、ふっと心配になった。本名をいってはまずい。父が警察に捜索を依頼しているかもしれないのだ。
「木本明。18歳です」
城児は、ラーメン屋に採用された。
「いらっしゃい!何にしますか?はい、タンメン一丁、モヤシ一丁!」
ラーメン学第1課は、釜あげからはじまった。ゆでかた、いためかた、スープのとりかた。
城児は、出前もした。月給は1万7千円から、2万ぐらいだった。
1ヵ月で、城児は、ラーメンの技術をぜんぶおぼえてしまった。もう、ラーメンには用がない。ラーメン屋のおやじになるつもりはない彼は、つぎの仕事をさがした。
トラックの運転手の、助手の仕事があった。
(これがいい!ほうぼうへ行けるから東京の地理がおぼえられる)
あまりにも広すぎる東京に、彼はねをあげかけていたのだ。まもなく、トラックの助手台に、彼の姿が現われた。カステラやどら焼きを、配達しはじめたのだ。

つめたい冬はおわり、東京には初夏がおとずれていた。このころ、九州の父は、必死になって彼の行方をさがしていた。
警察にもなんども足を運び、手がかりのないことにがっかりして、帰ってくるのだった。
3ヶ月間で、東京のすみずみまでおぼえてしまった城児は、こんどはバーテンになっていた。やっと16歳になったばかりのバーテンだが、だれもそれには気づかなかった。
ある日、客のひとりがいった。
「きみが、こんなところにいるのはもったいないよ。モデルをやってみないか」
「え、モデル?男のですか?」
「そうだよ。きみのからだとルックスはモデルにぴったりだ」
モデルクラブ、セントラル・ファッションの木本明として、城児は変身した。
仕事はつぎつぎにあった。やがて、オスカーという別のクラブに移ったとき、城児の月給は5万円あまりになっていた。
都会に出て半年あまり --毎日が夢中であり、緊張の連続だった。九州にいれば、まだ高1の自分が、ここでは19歳の社会人として、ふるまわなければならない。東京のはじめての夏がおわったとき城児に、日活のオーディションを受ける話がもちこまれた。
城児は、チャンスの前髪を、逃しはしなかった。オーディションは合格、日活入社がきまった。
このとき、日活にだした履歴書が、数年のちに、意外な波紋をおこして、彼を苦しめることになる。批判はいろいろあるが、チャンスの陽光をあびかけた16歳の少年が、家出の暗い過去を、知られたくなかった心情は、うなずけるものがあるのではないか。
ようようたる海のような未来を象徴して、“沖”、日活社長堀雅彦から一字をとって、“雅也”、沖雅也は、こうして誕生した。第1作は、丘みつ子と共演の『純潔』、つづいて吉永小百合との『花咲く娘たち』(管理人注1) ---。
家出したその年の10月に、城児は、スクリーンをとおして、故郷に帰ったのだった。

城児のからだが宙に舞った!!
沖雅也となってから、城児は、つぎつぎと映画に出るかたわら、モデルもつづけ、仕事のあいまには、新宿のジムに通って、体力づくりにはげんだ。
ある夜、仲間たちと、息ぬきにいった六本木のクラブで、城児はひとりの男に呼ばれた。
「ぼくは日景です。きみ、楠さんのぼうやでしょう。ぼくはおとうさんの知りあいなんだ」
城児は、そそくさとあいさつをして、その場を離れた。父の知人と聞くと、なんとなくけむったくて、いやだった。
彼は、日景忠男氏が、父の古い友人で東大の大学院で建築学を専攻した人物であることを知らなかった。建築を学びながら、日景氏はなぜか芸能界に心をひかれ、演劇評にも一家言をもつ、異色の人物だった。
城児の父は、日活を通じて、息子の所在を知ると、東京にいた日景氏に、くれぐれもよろしくたのむと、依頼しておいたのである。
城児をひと目見たとき、日景氏の心には、電流のようにひびくものがあった。
(うむ ---この子はすばらしい。きっとものになるなにかがある)
城児は、日景氏を、最初は敬遠していたが、知りあってみると、なんともいえずいいおじさんであることがわかってきた。
彼の助言は適切であり、まだ若く、処世の術にたけない城児は、日景氏から学ぶことがおおかった。
日景氏の母も、心のあたたかい婦人だった。楠さんのぼうやが、大きくなったことを喜び、ニューフェースでは出費もたいへんだろうと、そっとこづかいをくれたりした。
城児は、しだいに日景氏が、自分にとってなくてはならぬひとになってゆくのを感じた。彼は、おじさんであり、父がわりであり、マネジャーであり、人生の教師でもあった。
城児はこのころ、日本テレビの『火曜日の女』シリーズ、“クラスメート”にでていた。この不良っぽい学生役の好演で、沖雅也の名は全国に知られた。
つづいて46年の夏、19歳になったばかりの城児に、『八月の濡れた砂』の主役があたえられた。追いかけるように、日本テレビで秋から放映される『さぼてんとマシュマロ』の主役も、彼に内定した。
城児はうれしかった。人気はあげ潮に乗り、『さぼてん---」は、はじめての青春連続ドラマの主役だった。
これで成功すれば、人気は不動のものとなるだろう。
デビュー当時の、大型新人の名にこたえるためにも、ここで、どうしても、クリーンヒットを放っておかなければならない。
俳優となって、3年がこようとしている。『八月の濡れた砂』をヒットさせ、『さぼてん---」で全国の茶の間に、沖雅也の名をきざみつけよう ---城児の目は輝いた。

『八月の濡れた砂』は、クランク・インした。7月15日、茅ヶ崎海岸で、ロケが行われた。
午前10時、すでに太陽は高い。城児は、オートバイにまたがった。波打ちぎわを疾走するのだ。
「スタート!」
城児はとびだした。轟音 ---。
「あッ!」
大波がうちよせた。車輪があらわれ、城児のからだは宙に舞った。
浜辺にたたきつけられたとき、骨の折れる音がした ---。

はじめて見せた大つぶの涙
鎖骨切断。複雑骨折。
城児は、撮影所に近い病院にかつぎこまれた。
マネジャーの日景氏に、事故の知らせがはいったのは、午後4時ごろだった。
彼は、宙をとんで病院へかけつけた。
殺風景な病室に、城児はほうたいで、ぐるぐるまきになっていた。蒼白な顔でかけこんできた日景氏に、看護婦は遠慮して席をはずした。
「ごめんなさい」
「---」
日景氏は、声がでなかった。城児の、しぼりだすような声がした。
「これで、みんなパーになってしまった。また1からやりなおしだ…」
日景氏は、城児の顔を見ることができなかった。むりやり、ほほえもうとしていたが、城児の陽にやけたほおはひきつり唇はふるえつづけていた。
大つぶの涙が、城児の目にもりあがりゆっくりと目じりを流れおちた。城児の涙を、日景氏は生まれてはじめてみた。
母が去ったときも、泣かなかった子が全身で耐えながら、泣いているのだ。涙をふこうにも、腕は動かない…。
日景氏は、くるりと城児に背を向けた。彼もまた、あぶれてきた涙を、城児にみられたくなかったのだ。
「なにいってんだ、ばかやろう。パーなんてことがあるもんか!」
しかし、日景氏の目のまえの窓ガラスはくもり、夕ぐれの庭は、にじんで見えなかった。
全治3ヶ月!折れた鎖骨といっしょに、城児の希望はむざんに砕けたのだ。
これから、というときに。「ごめんなさい」のひとことに、城児のどれだけの無念がこめられていたか…。
「パーなんてことが、あるものか!」
城児と日景氏は、背を向けあって、泣いた。

手術は成功して、骨はつながったが、城児はギプスでかためられた。最低2ヶ月、このよろいからでられないという。
『さぼてん---』のクランク・インは、1ヶ月後だった。
『八月の濡れた砂』は挫折したが、『さぼてん---』はあきらめきれなかった。
日本テレビが、主役のオーディションを行ったと聞いて、日景氏はショックをうけた。しかし、競争の激しいこの世界では、これは、あたりまえのことなのだ。
「主役はぼうやだ、だれにもわたさん」
日景氏はいった。「覚悟はいいな。少しくらい苦しくても、ガマンできるな」
「できるとも」城児はこたえた。
「よし、できるだけ、元気いっぱいの顔をしてるんだぞ。ギプスは、おれが何とかする」
1週間で、ギプスをはずしてくれ、という、日景氏の申しでに、主治医は目をむいた。
「無茶だ。骨がくっつかない」
「動かさなければいいんでしょう。ぜったい、動かさないよう、ぼくが、責任をもちます」
主治医はとりあってくれなかった。
日景氏と城児は、あきらめなかった。ギプスがとれれば、撮影はできる。日景氏の日参に、医師はあきれていった。
「日景さん、あなたはじつの親じゃないか、そんなことがいえるのでしょう。親なら1ヶ月でも2ヶ月でも、完全に治るまでギプスに入れてくださいといいますよ」
日景氏は、これほどつらい思いをしたことはなかった。医師が、彼を、仕事第一のマネジャーとしてしか、見ていないことが、なさけなかった。
たしかに、親なら、2ヶ月でも3ヶ月でもギプスをつけて、というだろう。しかし、それでは、城児の俳優の生命はふりだしにもどるのだ。
あのとき15歳の少年が、やっとのぼってきた坂道をどうして突きおとすことができよう。彼は、のぼらせてやりたかった。その思いは、城児もおなじなのだ。

一歩一歩 痛みにたえて
主治医のことばに、ショックをうけながら、日景氏は、ギプスはずしをあきらめなかった。3週間めに、医師はついに負けた。クランク・インの、ふつかまえだった。
「ぜったい、方肩を動かすなよ」
城児は、そのことばを守った。ひさしぶりに背広を着て、関係者へのあいさつまわり、全快パーティーとかけめぐりながら、あたまをさげるたび、肩をかばい、それを気づかれまいとして汗が流れた。
夜、日景氏は、ばらばらにしたギプスのなかに、城児をおしこんで、ほうたいでしばった。
「でも、眠ったら、自信ないなあ」
「心配するな、ぐっすり眠れ」
眠っている城児は知らなかった。日景氏は、ベッドのそばで一睡もせず、城児を見守っていたのである。からだが動くと、おさえつけた。
彼は、自分が責任をもつという、医師との約束を守ったのだ。
朝がきて、城児が起きると、日景氏はベッドに倒れこんだ。これが、2週間、つづいたのである。
全快パーティーに ---ほんとうは「全快」してはいなかったのだが --- 『さぼてん---」の原作者、武田京子先生がかけつけ、
「沖くんは、わたしの描いた伊藤仁のイメージにぴったりです。沖くん以外のひとは考えられません」
と、いったとき、城児の胸はよろこびでふるえた。
(起きてよかった!)
クランク・イン後、すぐにロケがあった。伊藤仁が、勤務先の出版社の、会談をかけあがるシーンである。
ロケには、集英社がつかわれた。
城児は、入り口の階段を見て息をのんだ。
10数段、かなり急な勾配で、そこを一気に、軽快にかけあがるのだ。ふだんの城児なら、なんの苦もない仕事だった。しかし、いまは、傷ついた肩が…。
テストに、城児はかけあがって、うっと息をのんだ。右足がステップにかかるたび、ズキン!と骨にひびく。なんとかドアにたどりついたときは、あぶら汗がにじんだ。
「OK。だけど、も少し勢いよく ---タタタタとね」
タタタタッと ---その1歩1歩が、どんなに苦痛か、監督にはわからないのだ。
しかし、城児はうなずいた。「はいっ」「はい本番!スタート!」
城児は走った。痛い!ひびく!ズキン、ズキン!息がきれ、目がくらみそうになる。
が、はた目には、フレッシュなカメラマンが、いともかるく階段をかけあがっていくとしか見えなかった。
「カット!」
城児は、玄関に倒れこんだ。柱でからだをささえると、つめたい汗が、ドッと吹きだした。
「だいじょうぶか?」
日景氏がささやいた。
「だいじょうぶ!」
「痛かったのか?」
城児の目尻に、うっすらとにじんだ涙を、日景氏は見た。
「これは汗だよ」
見おろす階段の、なんと高く、さわやかに感じられたことだろう。城児はのぼったのだった。若ものが、情熱を賭ける道を、いま1歩。
そして彼は、これからものぼりつづけていくにちがいない。
(おわり)

注1:『花ひらく娘たち』のこと。


アイドル雑誌に掲載される美化されたサクセス・ストーリーの中でも、沖雅也の物語は群を抜いて波乱万丈だった。裕福な暮らしから孤独を経験、そして15歳で家出、上京。年齢をごまかして働き、晴れてスターとなるまでの物語は、夢見る少女たちを熱狂させた。今となれば首をかしげる箇所もいくつかあるが、他の同年代のアイドルと比べて苦労して老成した沖雅也というスターは、私のハートもわしづかみにしたのだ。

だが、このサクセス・ストーリーで目を引くのは、「日景氏」という単語の多さだった。普通、親ですらここまで物語には登場しないのに、ここでは日景氏の目線で語られる箇所の多さに、多少のためらいを感じたのも事実である。この人物は一体何者だろう。父親の知り合い?同居しているのか?このストーリーを書くにあたって、筆者は沖雅也その人より、日景氏から多くのインタビューを行ったという印象ではあるが、そうだとすると、沖さんの日景氏への依存の大きさを感じずにはいられないのだ。この記事では、沖雅也だけでなく二人三脚で歩んだ二人の歴史を読んでくれといわんばかりではないか。
残念ながら、私は日景氏には興味はない。それはルックスや週刊誌で言われていること云々とかいう話ではない。沖雅也という一人の俳優が放つ光を浴びたかった私には、二人三脚のドラマは不要だったし、沖さんと私の間に日景氏が立ちはだかるような気すらしたのだった。




ことしこそ 番長役で対決だ!!


1973年1月 週刊セブンティーン

成人式を迎えた 水谷豊 沖雅也 の'73年に誓う友情の往復書簡

ひとつき早い兄貴の 沖雅也くんへ
『火曜日の− の思い出は今も・・・』

沖さん、いや、沖くんと呼ぶことを許してほしい。
ことし成人式を迎える仲間として、ぼくはきみにこの手紙を書こう。
ぼくがまだ小学生のころ10歳年上の兄貴が成人式をむかえたときは、ずいぶん大人にみえた。いつのまにか自分もその年になって、ちょっぴり、複雑な気持ちがする。もうしばらく10代でいたかったような・・・。
沖くんがぼくとおなじ年とはおもわなかった。ぐっと落ち着いてるし、正直いって24か25くいらいに見えるものね。それとも、ぼくが子供っぽいのかな?
もっとも、生年月日は沖くんが27年6月12日、ぼくは7月14日だから、約一ヶ月ちがう。やっぱりぼくが弟分だ。それにからだもずいぶん差がある。はじめてきみと会ったとき、思わず大きいなあ!と圧倒されそうになったよ。
芸能界にいるとまわりがみんな大人のせいか、ハタチになったという意識がない。沖くんだっておなじだろう。それでも自分の人生を客観的に見ると、未成年から成年になったことはひとつのエポックじゃないだろうか。
ぼくの場合でいえば、NTV“火曜日の女シリーズ”『あの子が死んだ朝』で、本格的ドラマに初出演したのが19歳のときだった。このドラマは、去年1月4日から6回連続で放映され、ぼくは、反抗期の不良少年“卓也”の役をもらった。
不良仲間がひき起こした殺人事件の容疑者にされ、無実を証明するために、自分の母といっしょに真犯人を探すという心理的なサスペンスドラマ。
この役にめぐり会ったことは、ぼくの青春にとって忘れがたいできごとだった。
その前年、ぼくは大学入試にに失敗し、心のよりどころをなくしていた。夏には黙って家を飛び出し、山中湖の辺を放浪した。
歌手になろうと思った時期もあるが、“火曜日の女”から声がかあkってぼくはやっと、自分を取りもどすことができた。
このドラマで俳優に賭ける決意をしたとき、ぼくは迷いがふっ切れたんだ。
そういえば沖くんも九州の実家を飛び出して上京して取り組んだテレビドラマが“火曜日の女”の『クラスメート』だったね。ぼくよりまる1年早かったけど、不思議なめぐり合わせだと思う。ちょうど受験勉強の最中だったけど、『クラスメート』を見て、ぼくは感動した。
あのクールな不良少年のイメージは、いまもぼくのまぶたに焼きついている。沖雅也の名を胸にきざみ、心が高ぶるのをどうすることもできなかった。

ぼくがもうすぐ満20歳になろうとするころ、思いがけなく沖くんと初共演のチャンスが訪れた。去年の夏NTVから放映された『小さな恋のものがたり』に、きみが主演し、ぼくがゲストの不良少年役で出ることになった。
実際の沖雅也って、どんな男だろうと、ぼくは想像をめぐらした。やはり『クラスメート』の印象が強烈だったが、ドラマの筋書きにぼくはちょっぴりこだわった。
沖くんは岡崎友紀ちゃんと恋人同士で、不良のぼくが、仲間の手を借りてふたりの仲を裂こうとする。カッコ悪い役だが、運命とあきらめた。それに、はじめて顔を合わせた沖くんは、ぼくよりはるかに大きくて年も上に見えた。
初対面のあいさつもそこそこに、すぐ撮影。不良仲間が友紀ちゃんを誘い出そうとすると、沖くんがふんがいする。台本どおりだから仕方ないが、ぼくは置きくんの一発できれいにブッ飛んだ。
それから外へ出て、不良が4人がかりで沖くんを襲い、こんどはぼくがやる番だ。仲間に相手を押さえつけさせ、ぼくがパンチのラッシュで沖くんをめっためたに殴った。
いくらドラマでも、こういうのは後味が悪い。どういうものか、ぼくは去年10月からはじまったフジテレビの連続ドラマ『泣くな青春』でも、守谷親造という番長役を演じている。沖くんはもちろん、日活時代から番長役で鳴らしてきた。
キャリアが沖くんが4年、ぼくはまだ1年だが、ことしはぜひ“番長ドラマ”に共演して、1対1の男のケンカをやってみたい。
体力ではブがないが、迫力で手に汗をにぎらせる自信はある。それについて沖くんの意見を聞きたいんだ。
きみの『光る海』も見てるが、主人公 野坂孝雄にぴったりだ。映画『高校生無頼控』の大胆な演技も、沖くんの可能性を証明するものだろう。
ぼくの『泣くな青春』を見ていたら、ぜひ感想を聞かせてくれないか。
成人式といっても、ぼくは俳優としてまだかけだしだ。うまい芝居をするよりも、とうぶんは、若さをバクハツさせて、役にぶつかりたい。荒野を行く、一匹狼のように!
沖くん、仲間としてもういちど頼む。ことしこそ番長役で勝負しようじゃないか。正々堂々と − 。
水谷豊


70年代の青春スターで、いまも主役を張れる俳優といったら、誰が挙げられるだろう。私の場合は中村雅俊氏、柴田恭兵氏、そして水谷豊氏を挙げる。
先日も、好評でシリーズ化している『相棒』を観たが、青春時代とは違ったキャラではあるものの、相変わらずの活躍ぶりで、沖さんもご存命だったらこんな風に活躍していたのだろうかと、少しだけ影を重ねてしまう。
これは33年前の記事なので、青春してるぜ!汗かいてるぜい!という水谷氏の雰囲気がよく出ている。もちろんティーン雑誌の企画だから、本当に往復書簡を本人が書いたわけではないだろうが、要するに当時の水谷豊氏のイメージは、こういうものだったのだとよくわかる。
文中の『泣くな青春』でアイドルとしてメジャーになった水谷氏だが、『小さな恋のものがたり』では、ちょっとした沖さんの引き立て役だった。(ちなみに、この回はサリーが男らしくチッチのために立ち上がるという、個人的に大好きな回)
子役から仕事をしていた水谷氏は、実際には沖さんよりずっと芸能界の先輩だが、アイドルとしては後輩なので、何となく遠慮気味の文体になっているのも面白い。

さて、注目の沖さんのお返事は・・・。

番長がよく似あう 水谷豊くんへ
『挑戦状をありがとう!』

水谷くん、挑戦状をありがとう。
なにを隠そう、ぼくもきみとおなじようなことを考えていたんだ。ふたりにはどこか共通点があるのかもしれないね。番長役で勝負しよう、というきみに、ぼくはいま男の友情を感じている。
水谷くんは受験勉強に『クラスメート』を見てくれたそうだけど、ぼくもきみの『あの子が死んだ朝』を見て感動した。ぼくらにとって“火曜日の女”シリーズは、結びの神というわけだ。まるで結婚するみたいだけど・・・。
『あの子が死んだ朝』の“卓也”は、正直いってじつに迫力があったよ。
小柄なきみが、あれだけ見る者に迫ってくるのは、やはり演技力のためだと思う。あのドラマで、きみは“卓也”になりきっていたもの。
最初から印象に残っていたきみと、去年『小さな恋のものがたり』で共演できたのはうれしかった。気になるやつとは早く会いたいものだ。
ぼくをずいぶん年上だと思ったらしいが、きみだってハタチにはとても見えなかった。23、24歳という感じだったぜ。
ぼくは大きいから、小柄なきみがよく不良役でスゴ味を出せるものだと、内心おどろいた。しかし、きみは太くていい声をしているし自分に合った芝居をよく知っている。うかうかしてられないぞと、ぼくは思わず緊張したものだ。
わずか2、3日のカラミだったけど、あのときのことはよくおぼえている。ぼくと友紀ちゃんが“チッチとサリー”という仲良し同士で、不良グループに嫌がらせをされる。ぼくは君に1発お見舞いするんだが、あとが悪かった。
外へ出たら3人がかりで押さえつけられ、ボスのきみがダダダダッとぼくのボディを連打する。あれはこたえたよ。畜生、1対1なら負けるもんか!と、歯をくいしばった。ああいうのは男らしくない、こんどはぜひ1対1の勝負をつけよう。きみのチャレンジをよろこんで受ける。
しかし、きみの不良役はじつにうまい。もちろん『泣くな青春』は見てるが、あの“守谷親造は野性味たっぷりで満点だ。そういっちゃ悪いかもしれないが、地でいっているような感じがあるね。
放映がおなじチャンネルで、夜8時台に『泣くな青春』と、9時台にぼくの『光る海』が並んでいるのも不思議なめぐり合わせだ。続けて見てるファンも多いだろうが、ぼくはあの男っぽい“守谷”を見ると嫉けるんだよ。

ことし成人式といっても何だか実感がないみたいだね。ぼくは最初映画に飛び込んでから4年になるが、いつも仕事に追われてるせいか、年のことはあまり意識しないんだ。
不良少年役は、きみがほめてくれた『クラスメート』一応キメたつもりだし、それからもずいぶんやった。
ただ去年の『高校生無頼控』はあまり刺激が強すぎて、ファンの反響もいろいろだったがね。
ベッドシーンが多いから当然ティーンには抵抗があったろうが、ぼくは自分を俳優と割切って全力投球したんだ。その意味で、決して悔いるところはない。不良っぽい役は、どちらかというと好きなんだ。
『光る海』もセックス用語がポンポン飛び出してくる。これで大人のファンへの足がかりをつかんだともいえるけど、ぼくはそれと同時に、ティーンのファンも大切にしたい。いまの沖雅也だって、ティーンのファンが育ててくれたのだから。
自分を器用な俳優とは思わないが、大人向けとティーン向けの仕事を、並行してやっていきたいんだ。けっして安易なことじゃないあが、2倍の努力をすればきっとできる。困難な目標への挑戦のなかから、俳優としてのよろこびを発見できれば、しあわせだと思う。
成人式だから、あらためてなにをするというんじゃなく、これをひとつのけじめにして、新しい意欲を燃やそうじゃないか。ハタチになれば、もう甘えは許されない。大人の自覚を持って1作1作、精魂をかたむけて仕事をしよう。
水谷くんとは、いっぺん共演しただけだが、ことしはきっとチャンスがある。きみの提案通り、おたがいに得意の番長役で勝負したいものだ。
1973年は、きみにとってもぼくにとっても、ひじょうに大切な年になるだろう。
きみがやるならおれもやる。1歩もあとへは引かないから、そのつもりでいてくれ。
2度と繰返せない人生、たったいちどの青春を精いっぱい生きる実感をつかみながら、ぼくはこの1年にすべてを賭ける。おそらくきみの決意もおなじだろう。水谷くん、挑戦状はたしかにもらった。あとは男の勝負あるのみだ。

沖雅也


アイドルちっくな男らしい挑戦状。
今だったらこういった真面目さはおちょくられることが多いのだが、この頃は大真面目に語ることが許された(?)時代だったのだ。
『高校生無頼控』について触れているのが面白い。インタビューをまとめて往復書簡の形で文章にされたのだと思うが、一応ティーン雑誌で「ファンの反響もいろいろだった」と認めた上で、「決して悔いるところはない」と、ここで男らしく決めている。
まだまだアイドルだった沖さんは、ティーンのファンも大事にしなければいけなかったのだ。
この『高校生無頼控』は、日景氏によれば沖さんが自分で受けてしまった仕事だそうだが、事務所に出演交渉が来ていたら断っていただろう。

文中にある水谷豊氏主演の『泣くな青春』は、くしくも『小さな恋のものがたり』と同じく、私の母校で撮影された。沖さん目当てで夏休み中の母校に何度も友人と行ってみたが、撮影隊に喜んで近づくと、『泣くな青春』の撮影だったことがある。
当時まだ水谷氏は無名で、主演は異例の抜擢だったと思われる。その時点ではまだ『小さな恋のものがたり』で沖さんとの対決シーンがある第9話は放送されていなかったので、私も水谷氏のお顔に記憶がなかった。記憶がなかったというのは、子役時代の水谷氏が出演していた『バンパイア』は大好きな作品でずっと観ていたから、知らないというわけではなかったという意味なのだが、ともかくロケバスの中に沖さんの顔を探す私たちに、「なんだ〜。沖雅也なんてなんてやめて、僕のファンになりなよ!」と、窓から明るい笑顔で声をかけてくださったのが水谷氏その人だった。
その後もエキストラのアルバイトをしていた頃に一度お目にかかったら、いつもあちらから声をかけて下さる、気さくで明るいお兄さんだった。その時点では大スターだったのに、気取ることもない人柄に、いたく感激したのを覚えている。知人が同級生だったのだが、子役で仕事をしながらも勉強がよく出来て、委員長もつとめる人気者だったそうだ。
だが、そこまでナイスガイだった水谷氏から「お誘い」があったにも拘らず、私はファンにもえらく不機嫌だった沖さんに今までついて来てしまった。これもご縁なのだろう。


「マイ プライベートタイム」1972年10月頃 週刊平凡か明星(?)

《MEMO》
「光る海」「高校生無頼控」とテレビ、映画の話題作にいずれも主役で取り組むラッキーボーイ。歌も歌って、12月には『江東劇場』で初のワンマンショーを開くという。

■スポーツ■
本格的トレーニングの後はサウナで仕上げ 若いタレントの中にはスポーツ万能といわれる人が何人もいるが、もちろん彼はその癸院身長1m82cm、体重70圈胸囲1mの恵まれた肢体も、彼の右に出るものはいない。「役者は身体が資本、たえず鍛えていなければダメです」と2年前から始めたトレーニング。週2回の運動が理想だが、なかなか時間がないそうだ。ちなみに彼の肺活量は6000奸握力右58、左55、垂直跳び75cmと、体力測定の値はスポーツ選手なみ。運動の後、サウナで汗を流すことも、トレーニングの重要課題であるという。

■マイルーム■
壁の人形に囲まれて眠るさびしがり屋

15歳のとき家出して、九州から上京、以来5年、数々の職歴を重ねた彼はいま、俳優の仕事に打ち込むことにひじょうなよろこびを感じているという。
「恋人は仕事の障害になるから欲しくない」し、「休みも1日もいらない」のだそうだ。彼は自身を「仕事の鬼」と表現する。
そんな男のプライベートルームをのぞくと、壁いっぱいに人形を吊したにぎやかな部屋。人より早く大人になることをしいられた彼の、無邪気な一面をみる部屋だ。

■コレクション■
総額50万円の高級ライター

「仕事が僕の青春のすべて。遊びなんて何もしたいと思わない」といいきる彼に、これといった趣味はない。比較的興味を持って集めているのも、ライターだけだ。ダンヒルの18金(約18万円)を筆頭に、カルチェ(約7万円)漆塗りのデュポン(約7万円)と高価なものを揃えている。なかでもダンヒルのオイル・ライターは、稀少価値とか。

■おしゃれ■
皮を素材に使ったラフな服装を愛用

彼は朝起きると必ずパジャマをきちんとたたんでから洗面所に行くという几帳面な性格。おしゃれの第一のモットーには'清潔さ’をあげる。夏はGパンにTシャツ、冬は皮を素材に使ったラフな服装が好きな彼。きらいなのはネクタイである。スーツのデザインもネクタイがいらないようにするのにひと苦労。オーダーの服は青山《ジェルマン》、既製品は《伊勢丹》で、好きな色は白と黒。

20歳の秋、まだ新宿のマンションに住んでいた頃の記事。後年紹介された骨董品で囲まれた重厚な部屋とは違い、ファンから送られた品物が並ぶ。家具もカーテンも庶民的だ。ライターは高級だが、まだ盆栽も始めてはいない。筋肉だって、これからまだまだモリモリとついて来るのだが、腕や肩はまだまだ細い。ネクタイが嫌いというのも、スコッチのスーツ姿に憧れる諸氏には驚きの発言だろう。
それにしても、恋人も休みもいらないという彼の仕事へののめりこみぶりはどうだろう。やっと自分を表現する場所をみつけたから、決して離さないぞという覚悟だったのだろうか。20歳の若者の言葉とは思えない。



良子のなんでも聞いちゃお! - おとなの雰囲気を持ったクールな人
1973年ご3月頃の週刊セブンティーンで、坂口良子さんの対談記事のゲストとして登場

「沖雅也さんとは、以前『アイちゃんが行く!』で、ごいっしょしたことがあるの。そのとき沖さんは、ロケバスの中ではしゃいでいたかと思うと、きゅうにムッツリとむずかしい表情を浮かべたりしていたんです。
だからどっちがほんとうの沖さんだかわからないの。ちょっぴりこわいけれど、そこのところを問いただしてみようかな。」







黒=坂口良子さん
青=沖雅也さん

明るくふるまっているときと、ムッツリしているときと、どっちがおおいの?

どっちかなあ。場所や日によってちがうからね

むずかしいのね

べつにむずかしいわけじゃない。ぼくってずるいから、自分を人にわからせないようにしてるのさ

どうして?

ああ、こいつはこうだとわかっちゃうのは、役者としてマイナスだよ

ふーん、そういうものかしら?

明るいときのぼくと、沈みこんでるぼくと、どっちがいい?

そりゃ明るいときでも、ちょっとニヒルな感じのときもいいわね

ほら、いろいろな面があったほうが、人間として面白いだろ

--- オドロイタ!そんなにうまくポーズがとれるなんて…。
私は単細胞だからとてもまねはできない。
でも、そんなふうに俳優としての自分を考えてるなんて、沖さんておとななのね。

それじゃ、ひまなときは、いつもどうしてるの?

食ってるか、運動してるか、寝てるか、本を読んでる

この前のお休みはいつだった?

先週の金曜日

じゃ、「アイちゃんが行く!」見てくれた?

見ない。ゴメンネ

テレビも見ないで、なにしてたのよ

サーキット・トレーニングして、散歩して、部屋の掃除して、洗濯して、インスタント・ラーメンつくって食った(笑)

お掃除やお洗濯するなんて感心ね

なにしろ15歳のときから、ひとり暮らしですからね。うまいもんですよ

じゃ、朝もひとりで起きるの?

もちろん、目ざましがリンリンと鳴れば、オキマサヤ(起きますよ)(笑)

--- またオドロイタ!沖さんがこんな駄ジャレいうなんて。
きょうは、ゴキゲンな日らしいわ。よかった。(笑)

新番組の「ゴーゴースカイヤーズ」(注1)、がっかりだわ

なにが?

せっかく沖さんと共演できるのに、恋人同士の役じゃないんだもの

そこは、ディレクターもちゃんと考えてる。きみに恋する女なんてのは、まだムリだって(笑)

失礼ね、プン!

でもいいじゃない、きみは航空輸送会社のコピーライターで、ぼくが妹のようにかわいがる友だちっていうんだから

--- でも、ちょっぴりつまらない気もするけど…。
こんなふうにズケズケものをいう沖さんて、女の子にもきびしいのかな。

沖さんて、女の子につめたいでしょ

よくわかるね。たしかにそうだね。だけど、ずーっと心の奥ではやさしい

そんなふうにいわれたって、女の子はやっぱり態度でしえしてもらわなくちゃ、わかんないわよ

それじゃ説明するけどね、ぼくがハンドルをにぎってて、となりに女の子がすわってる。ドライブしながらケンカになって、降りろよ、と女の子をつきとばして降ろしちゃう

残酷!

そのあと気になって、ユーターンして彼女をひろい家まで送っていく、というわけ、わかった?

半分わかって、半分わかんない

じゃもうひとつ、ぼくの妹が大学受験のために東京へきてるんだ。
だけどいっしょには住まない。ぼくの生活とあいつの生活とはまるきり違って、ぼくのペースにまきこむことはマイナスになるからね

それは、よくわかるわ

たとえ彼女が合格してずっと東京にいることになっても、ぼくはほっとくね。あいつのほうから手助けしてほしいといってくれば、兄貴としてできるだけのことはするけれど

ほっといて心配じゃない?

心配したってしようがない。人間なんて結局はひとりなんだから

やっとわかったわ。そういったクールな考え方が、つめたい感じをあたえるってことなのね

どうやらわかったね。少し大人になったな

--- 沖さんのそんなクールさは、長いことひとりで精いっぱい生きてきた体験にささえられているのだと思う。
でも、わたしにはまだまだ、そこまで徹底して考えられない。甘ちゃんなのね、きっと。

「ゴーゴースカイヤーズ」のほかのお仕事は?

いま評判の「必殺仕掛人」てのがあるだろ。あの後番組の時代劇

へえ、時代劇なの

そう。時代劇っていってもアクションものだからおどろくことはないだろ

アクションもののほうがいい?

ああ、ぼくは芝居がへたくそだからね、はでなアクションでカバーしなくちゃ困るんだ

そんな…

そうなぐさめてくれなくてもいいよ。こはじゅうぶん自覚してることなんだから。
「さぼてんとマシュマロ」のころのことを考ると、赤面ものだね

でも、すごく評判よかったじゃない

あれは、原作を知ってるセブンティーンの読者のおかげだよ。
それと、ぼくはあのときは必死だったもの。
からだの負傷がなおりきらないうちに仕事に入ったり(注2)、
せりふのひとつひとつも討論しながら考えたしね。
監督やスタッフも応援してくれて、これがだめなら、ほんとにおれはだめになっちゃうという気があったもの

--- なに気ない顔して、こんなこという人がほんとうにこわい人なのね。
先輩として、あらためて見直さなくちゃ…。

自分にピッタリの役だったでしょ?

そんなことはない。あれはぼくでなくてもいいと思うよ。
なんてカッコいいこといまはいってるけど、あれには精いっぱい自分をかけたし、ティーンにみとめてもらえたのだから、ぼくとしてはうれしい仕事だったね

自分の性格にピッタリの役と反対の役とでは、どっちがやりいいものなのかしら?

さあ…人によるだろうけど、ぼくとしては性格に近い役のほうがやりいい。
ほんとうに芝居のうまい人なら、正反対の役がらこそつくりだす楽しみを持つだろうけどね

沖さんが、そんな風にいうと、わたし、だんだん自信なくなってきちゃうわ

悪いこといったかな。
でも、俳優としてやっていくとしたら、最低守らなければいけないのは、時間厳守と他人へのあいさつ。
どんなに不愉快なことがあっても
“おはようございます”“おつかれさま”はにこやかにいうこと。
芝居はやっているうちに、これが自分のものだというのが見つかるもんだよ

はい、よくわかりました。おつかれさま(笑)

沖さんて、すごく正直なんだと思う。
芝居がへただの、つめたいだのと、ふつうの人はとてもいえたものじゃない。
正直に自分をさらけだすことは、きっと自信があるからにちがいない。
そんなふうに、堂々と生きている男の人ってすばらしい。


注1)「Go!Goスカイヤー」のこと
注2)映画「八月の濡れた砂」のロケでの骨折のこと。「さぼてんとマシュマロ」の撮影にはギプスをはめたまま臨んだ


のちに恋人役として何度も共演することになる坂口良子さんとの対談。
沖さんをつめたい人という印象で見る坂口さんは、まさに当時の私と同じだ。
よく他のファンの人たちが、沖さんはいつも明るくて優しいと言っていたのだが、
私はこの記事が出た頃には、すでに一度怒鳴られて(「小さな恋のものがたり」の項参照)いたし、
握手会での不機嫌な様子も見ていて、この喋り方こそが沖さんらしいと思っていた。
「はしゃいでいたかと思うと、きゅうにムッツリとむずかしい表情を浮かべたりしていた」というのも、のちに私がよく見かけた沖さんの姿だった。

自分の芝居についての厳しい評価や、「さぼてんとマシュマロ」に打ち込んでいた様子も興味深い。
坂口良子さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。











「三度目の共演 気のあうふたりが恋の争奪戦!!」1973年1月頃 週刊セブンティーン

これまで、テレビドラマでは2度共演、映画では初めてコンビを組む森田健作・沖雅也。
仕事をはなれても仲のいいふたりだが、映画ではひとりの純日本調の女の子に、いっしょに恋してしまう兄弟役を演じる。さて、この対決はいかに‥‥。

年下の沖雅也が兄貴に!?

新春を飾って、いま森田健作と沖雅也のふたりが、ひとりの少女をめぐって恋をあらそっている!
といっても、これは映画の話。去年の12月23日にクランク・インした、松竹映画「男じゃないか闘志満々」で、森田健作と沖雅也が兄弟に扮して大活躍中。
ふたりが共演するのは、こんどが3回目。
大当たりをとった「おれは男だ!」(NTV)では、沖雅也がひねくれた秀才高校生役として、ゲスト出演して以来、ふたりはすっかり意気投合。
森田健作の青春テレビシリーズ「青春をつっ走れ」(フジ)でも、このコンビが実現している。
沖雅也が通信教育をうけながら、ダンプの運転手という役で、ゲスト出演したことがある。
そのときふたりは、
「こんどはぜひとも本編(劇場用映画)で、いっしょに仕事をしよう」
と誓いあった。
その夢が、新春早々みのったので、ふたりは大いにノッている。
しかももうひとつの大きな話題は、年齢からいくと森田健作のほうが3つ年上なのに、この映画では年が逆転して沖が兄、健作が弟役を演じていることだ。
ともに男っぽいふたりが展開する、純日本型の美女をめぐる恋の争奪戦!!そのストーリーは‥‥。
(この後、映画のストーリーの解説)

兄弟みたいに意気投合

撮影は、もっか大船撮影所で快調に進んでいる。
「もともとぼくはシリアスなドラマより、カラッと明るいドラマが大好き。この作品は、新春にふさわしい明るい喜劇だね」
健作は“快感旅行”以来半年ぶりの映画出演とあって、たのしそうにいう。
元旦から6日かで、ハワイで休みを楽しみ、すっかり日焼けしたからだは好調そのもの。
そんな健作をみて沖は、
「うらやましいな。ハワイなんかへ行けて、こっちは2日から4日まで仕事だったんだもの」
沖はその間、東京・江東劇場で、日吉ミミとの合同ショーをひらいた。
お正月から休みをとっていないから、健作の優雅なお正月をうらやむことしきり。
この映画が決まったとき健作は、沖との共演が実現してうれしそうだったが、年上の自分が沖の弟役と聞いて、
「えっ、彼が兄貴役なの!!」
とびっくりした。
一方の沖は、ニヤニヤしながら、
「ムード的にいっても、森田先輩には悪いけど、ぼくは兄貴で通用しますよ」
といって、健作を大いにくやしがらせたものだ。
でも、そこはお互いにハートが通じあっている仲なので、いまではすっかり兄弟のように意気がぴったりとあっている。
ふたりは、去年の秋、四国の愛媛で健作がショーをやったとき、いっしょになって以来の顔あわせ。
「なにしろ森田先輩は、ぼくとおなじに映画出身だから、気があうのは当たり前ですよ」
沖がしきりに“映画出身”を強調すれば、健作も、
「映画出身者とは、ぼくもなんとなく話があうからふしぎだよ」
と、ふたりとも、映画からスタートして芸能界にはいったことを誇りとしている。

好きな“映画”に闘志満々

この映画では、最後に健作が大学の剣道部にうつり対抗試合で3人抜きをやって優勝するシーンがある。
剣道といえば健作は2段の腕前。
でも、ひさしぶりに竹刀を握ると、とても疲れるそうだ。
「相手が剣道を知っているひとならなんともないんだけど、なんにも知らないとめちゃめちゃに市内をふりまわしてくるんで、危なくてしかたないんだよ」
としぶい顔。
沖のほうも、ことスポーツはとくい。
時間ができると、いまでもトレーニング・センターにかよってからだをきたえているが、
「こんどの映画では、じっと内面的演技が要求されるんで‥‥」
と、剣道でフラフラになっている健作を、気の毒そうにみる。
テレビだと、ワン・シーンを数台のカメラがいろいろな角度から撮ってまとめあげるが、映画はおなじワン・シーンでも、1台のカメラがこまかくカットを撮ってまとめる。
「だからテレビと違って、ワン・カットずつ演技の計算をしていかないとだめ。苦しいけど、こういうところが、映画でなければ味わえない演技のたのしみがあるんだ」
健作が言えば、沖も、
「ちいさな16ミリのテレビ映画用のカメラと違って、デンと置かれた35ミリの映画用のカメラの前で演技するのは、気持ちからして違ってくる。やっぱり自分の世界に帰ってきたんだという気分がしますよ」
ともに映画に賭ける意気ごみは、ものすごいものがある。
この映画のなかでは、健作が、新春にスタートする青春学園テレビ映画「おこれ!男だ」(NTV)で歌う主題歌を、劇中の挿入歌として使っていることも話題のひとつ。
その健作は、
「こんどの映画は、“高校さすらい派”に出て以来2年ぶりの主演もの。映画の仕事をやりたくてしようがなかったんでうれしくて!」
健作にとって、去年は、テレビや歌の活躍はあったが、
「かならずしも満足のいく1年ではなかった。今年こそこの映画を皮切りに、納得のいく年にしたい!」
と決意を語れば、沖も、
「去年は“光る海”という大事な作品に出演し、恵まれた1年だった。今年はこの作品を演技の基礎に、73年のスタートをきりたい」
まさに映画のタイトルそのまま、ふたりの映画に賭ける意気込みは“闘志満々”。
2月10日に封切られる映画で、男っぽいふたりがどんな恋の鞘当てをみせるか楽しみでならない!!


「おれは男だ!」で大ブレークして歌もヒットした森田さんのために作られた映画だが、沖さんも「高校生無頼控」は公開したばかりとはいえ、まだアイドルとして認められていたのでキャスティングされたようだ。 
文中に登場する「純日本型美女」は新藤恵美さんで、沖さんとは「闘魂」以来二度目の共演になる。今回は彼女とのキスシーンもあるが、「浴室の死美人」の共演ではベッドシーンもあるので、まだまだ甘い(?)。
12月23日にクランク・インで2月10日に封切とは、また何という忙しい撮影だと思うが、テレビドラマっぽい内容なので、とっとと撮影してしまったのだろう。
そのわりには、森田さんも沖さんも「映画」にこだわっている。
83年に放映された「決定版!蒲田行進曲」の中で、沖さん演じる銀四郎が中村屋の若旦那に「テレビ上がりがよう」といじめられるシーンがあるように、沖さんが活躍した時代は、まだまだ映画の方が位が上だという観念が横行していた。
それにしても、破竹の勢いだった森田健作さんが「満足のいく1年ではなかった」とふりかえっていることに驚く。その当時は納得していなかった仕事でも、今になればそれが自分にとっていかに価値あるものであったかがわかる。「青春」とはそんなものなのかも知れない。
沖さんも昨年をふりかえって「小さな恋のものがたり」には一言も触れてくれていないが、きっと今ならあの仕事も大事なものだっただろうと思って下さっていると信じたい。私にとっては、今もあの作品が「青春」そのものだから。
そういえば、その前年に母親と「高校生無頼控」を観てしまったために、翌正月の日吉ミミとの合同ショーに行かせてもらえなかったことが、今でも悔やまれる青春の1ページだ。

別の記事では森田さんが沖さんのことをこう表現している。
「最初の出逢いのときから、なぜかしら気が合い何でも相談できる沖雅也の、決して楽ではなかった過去の積み重ねの折り目正しさ」
沖さんの方は、あるファンの方が森田さんの記事を見せたところ「あいつはいつまでも子供だなあ」と、笑っていらしたということだが・・・。



大好きな砂漠のサボテン 〜プライバシー拝見〜
近代映画1973年3月号より。

『さぼてんとマシュマロ』でモダンなカメラマン役を演じている沖くん、
そのノーブルな魅力で爆発的人気を呼び、
その彼の秘められた私生活を初公開です

ボンサイとボウリング

灼熱の太陽と赤くボロボロに腐敗した岩山を遠くにながめ果てしなく続く砂の世界。
死の世界といわれるこんな砂漠にポツン、ポツンと
緑色のその姿をあざやかに浮きあがらせるサボテン。
わずかな水分でその生命を保ち、その生命力の強さにひかれるという沖くん。
高校を一年で中退後、大分をひとり飛び出し、右も左もわからぬ東京で、
サッポロラーメンの店員、洋菓子店の配達人、バーテンと転々と職をかえ、
そして今日のこの栄光を手に入れた沖くんの、そのバイタリティーと、
砂漠のサボテンはどこか一致した所があるのでしょう。
沖くんはこのサボテンが大好きなんです。
そして初めての主演作品がNTVの『さぼてんとマシュマロ』というのも
何かの引き合わせかも知れません。
それだけに連日大ハリキリで撮影に取りくんでいる沖くん。
役柄はカッコいい雑誌社のカメラマンで、吉沢京子ちゃんと大奮闘ですが、
その私生活、プライバシーもカッコよく大奮闘のようです。
まずそのプライバシーを自宅から拝見してみました。
東京は副都心新宿。今や若者のメッカとなっているここ新宿の街でも、
歌舞伎町と並びもっともにぎやかな花園界隈。
その中心にある真っ赤な神社“花園神社”にほど近いマンションに沖くんの住居があります。
2LDKのゴキゲンなお部屋はちょっと広すぎるくらいですが、
機能的でその上まっ白な壁にブルーのジュータン。
白い動物の敷皮がてんてんと置かれ、照明も部屋のすみずみから
放射状に照らした超モダンで見事なインテリアは広さを感じさせません。
ノーブルな沖くんにはぴったり合った装飾といえます。
その部屋でゆりいすにそわって本を読んだり、レコードを聞いたりしているのが 自宅での生活ですが、
新宿は花園、夜ともなれば華やかなネオンに誘われて、
ついフラフラと外に出たくなるのが人情ながら、ほとんど外出はしません。
かといって沖くんもまもなく20歳になる青年。
お酒も飲めば、ボウリングもしますがもっかは禁酒中。
“仕事にさしつかえては”が理由ですが、
飲ませばウィスキー一本ぐらいはペロリの酒豪家がプッツリ断ったということは、
プロとしての自覚と仕事に対しての意欲の現れなのです。
だからいまはボウリングが唯一の楽しみ、
それだけにアベレージも高く170ぐらいと好調です。
「ぼくはもともと出不精なんですよ。つき合いがなければあまり外出もしませんしネ。
休みの日でも家ですることがなければ事務所(所属するサムライプロ)に顔を出して
事務所の人とダベっているくらいですから」というだけあり趣味も家でする“盆栽”。
これは九州で病院の院長をしているおじいさんから受けついだもの、
樹齢300年という見事な盆栽を見てからとりつかれたものですが、
「盆栽っていうのは年寄のものみたいにいわれていますが、
枝を切ったり曲げたり、創作する楽しみは若者にも理解できるものです」
と凡才論ではなく盆栽論を力説する沖くんです。

毎日精いっぱい生きる喜び
三月いっぱいで放映が終る予定の『さぼてんとマシュマロ』は今追い込みたけなわ。
早朝3時とかいう狂ったスケジュールも度々ありますが
平均は7時起きでロケやセットへ通っています。
「おはようございまーす」
と一人一人にていねいにあいさつして回る姿は、長身の彼がすると少しコッケイな感じもうけますが
いつもカラッとした沖くんらしく実に気持ちのいいあいさつです。
「本当はネ、僕は人見知りする性格なんですよ。だから初対面の人と話すときは
ちょっと意識し過ぎるきらいがあるんですけど、
人はみんな『明るい性格だネ』なんていうから本人もそういうことにしてるんですよ」
と笑いながら話す顔は本当に若者のくったくのない笑いでいっぱいです。
だからスタッフの評判は良く沖くんの回りにはいつも笑いがたえないくらい。
仕事のほうはガッチリ乗っている沖くん。
「俳優の中で目標なんて持とうとは思っていません。僕は僕なりにやろうと思っています。
『あいつは性格俳優だなァ』なんていわれる俳優になりたいですね。
まあしいてあげれば宇野重吉さんみたいな人ですが…」
というだけありこの芸能界へ入ってからまだ3年のキャリアでが
常に勉強することをおこたらない沖くん。
43年日活映画の『純潔』でデビューして以来見ちがえる程の演技力を増した事が
その証明といえます。
身になるものはどんどんと吸収していくすべを知っている彼は
数少ない芸能界での親友、浜田光夫さん松山省二さん近藤正臣さんと
若手の中でももっとも個性おある芸達者な人たちばかりです。
「あまり飲みに行ったりはしませんけど、話がためになることばかりで
いい先輩たちですよ」 このように燃える沖くんも、やはり映画育ちだけに、本家日活での出演が不可能になり
テレビ一本にしぼられて来た事態が残念でならないとコボしますが、
もし自分が芸能界に入っていなかったら、今の自分の姿が見当もつかないそうで、
絶対悪くなっていたかも知れない、それを助けてくれたのもこの芸能界。
自分の一生を賭けて進むべき道かどうかもわからないながら
「一日を精一ぱい頑張れたらそれでいい」 と自分にいい聞せるようにつぶやく沖くんです。

結婚はまだまだ 30歳まで考えない
沖くんの魅力はバスケット、ボクシング、水泳できたえた長身と甘いルックスですが、
それもさることながら、自然に身体全体からにじみ出ているノーブルな雰囲気につきそうです。
その上、服装のセンスもバツグンで、いまや若者の服装の流行は銀座より新宿、
その新宿に住んでいる沖くんはいち早く流行をキャッチし、自分のものにする手早さです。
だから『さぼてんとマシュマロ』でのカッコイイカメラマンの服装も
ほとんど自前のもので撮影しているくらい。
このカッコよさはティーンのハートをくするぐのでしょう。
それだけにファンレターも「お兄さんになって欲しい」が圧倒的で
一日平均30通〜50通とものすごいものです。
平均年齢は12、3歳ぐらいでロケなどへ行くと必ず
2、3人は追いかけてくるほど熱狂的なファンです。
ファンあっての沖ということは当然自覚していますが、
沖くんにとっては特別それを感じているようです。
「43年にデビューしてパッとしなかったし、そういう意味で
この『さぼてんとマシュマロ』は僕にとっていわば二度目のデビューといえそうで、
やっと日の目を見た思いがするんです。
それについてきてくれたファンは大変ありがたいんですよ」
と語る沖くん。
その意味で、大事なファンに対するお礼はいい仕事をすることでつぐなえると思い、
これからも多方面へその活躍の範囲を広げる意欲でいっぱいです。
まず手はじめにお風呂はトイレに入っている時にしか歌ったことのない
歌のレッスンを開始する予定で、歌手沖雅也の誕生も夢ではなさそうです。
「歌を吹き込めとはいわれているんですけど、まだ自信がないんですよ。
もうちょっと待ったほうがいいと思います」
とちょっぴり消極的な一面を見せますが、
これもなまじのことで妥協してはいけないという完全主義に立つ考えからのようです。
私生活では、仕事に追いまくられ、少ない自分の時間を
最近買ったばかりのゴキゲンな愛車“スカイライン2000GTX”でドライブすることと
ボウリングに行くだけの余暇に。
「東京に来ておぼえたんですけどスキンダイビングにこってるんです。
それでこの夏はタヒチにでもいって好きな釣りやスキンダイビングを
おもいきりやりたいですね」
と夢をふくらませます。
19歳の青春の全てえお仕事に賭けている現在の沖くんは
普通の人のようにガールフレンドとデートをするなんて夢にも思っていないようです。
「だいたいつき合い範囲がせますぎますよ。
エッ!結婚、まだまだ30歳ぐらいにならないと生活能力が持てないと思うんです。
だからそれまで気ままにくらしますよ」
とあっさり逃げられたようです。
なにはともあれ普通の19歳の青年が経験すること以上のことを早くも経験してきた沖くん。
俳優として一生をおくることより今時点の自分の生き方に
一生懸命生きるという自覚を自らさとり、今日を精一ぱい努力するその若さが
これからの沖くんを想像できることと思います。
『さぼてんとマシュマロ』の後ドラマ出演も同じNTVから決まりそうで、
72年の新春を迎え沖くんにとっては今年が大切な年、数少ないヤングのアイドルとして
これからも大成して欲しいと願うのはファンばかりではないようです。

ティータイム MASAYA OKI
沖くんの初恋は中学2年生の時です。
「清潔で明朗で全体の感じがなんとなくよかった」
というショートカットの女の子だそうです。
同級生のA子さんでバスケット部にいた沖くんは放課後、バスケットの話をしたり、
面白かったテレビの話をしたりたわいのないことで胸をワクワクさせたのです。
中学2年から中学3年まで続いた交際、お正月には家に遊びに行き、
バレンタインデーには日記帳などもらい楽しい毎日を送ったのですが、
どういうわけかその仲もだんだん離れ初恋は淡く清らかな思い出を残して
消えてしまったのです。
そこで沖くんの理想の女性像はどんな女の人なのかくわしく聞いてみました。
あんまり女の子のことは話したくないんですよという沖くん。
「理想の女性というのは年齢によって変ると思うんです。
でも今はそうですね、内容的に可愛い人。
カッコイイなんている外面的な要因にも多少はこだわりますが、
黒い髪の長い人が好きですね。
今の芸能界に?わかんないですね。何しろ色んな人がいますのでネ」 と少々具体性にかけますがだいたい想像がつきそうです。
つい一年前までは『ロミオとジュリエット』のオリビア・ハッセイみたいな女性が
好きだったそうですけどいまは何かよくなくなってきたとのこと。
理想は年々かわり、そのタイプも色々ありそうですが今の沖くん、
30歳までは結婚しないと断言したので、もっかは理想の女性をウの目、たかの目で物色中のようです。

好きな食べ物は肉 嫌いなものは納豆
ここに沖くんの全てを紹介しよう。
好きな食べ物は肉 嫌いなものは納豆
ここに沖くんの全てを紹介しよう。
本名- 楠城児
生年月日- 昭和27年6月12日生れ
出身地- 大分県別府市
最終学歴- 大分県立舞鶴高校
家族- 両親と妹(○○子)17歳
身長- 182センチ
体重- 72キロ
デビュー- 昭和43年10月日活映画「純潔」
趣味-  盆栽と釣り
好きな食べ物- 肉類と野菜、果物
嫌いな食べ物- 納豆
好きな色- ブルー系統
愛車- スカイライン2000GTX
現在凝っているもの- 部屋のインテリア
これからやりたいこと- 歌の方も勉強したい
目標- いないけどしいていえば宇野重吉さん
今までに一番うれしかった事- デビューした日
一番悲しかったこと- 映画での初の主演作『八月の濡れた砂』(日活映画)が
骨折というアクシデントに見舞われおろされたこと
買い物は- 新宿に住んでいてもあまり新宿では買わず赤坂、六本木が多い
ファンレターの宛先は- 東京都港区芝西久保桜川町若葉ビル内「サムライプロ」気付 ※当時

ブレイク直後だが、まだ初々しいインタビュー記事。
『さぼてんとマシュマロ』が二度目のデビューとご本人も捉えていたことがわかる。
未成年の飲酒に対する考えが緩やかだった頃でもあり、
堂々と19歳での禁酒が書かれているし、グラビアでは手にはタバコも。
芸能界での親友として浜田光夫さん、松山省二さん、近藤正臣さんを挙げられているのも興味深い。



「私のPR宣言」

1972年9月号 近代映画より

歌が売れてる?…そんな馬鹿なとは思うけど………!

意欲と自制心のかたまり
国際放映で「小さな恋のものがたり」(NTV)セット撮影に入っている沖くんをつまかえてのインタビュー。
「めし食いながらやらない!」 これも沖くんのPRのひとつ、じっくり話が出来るからという考えからですが、所がいざインタビューとなるとあんまり話さないのがいつものクセ。そこでこちらも 「歌が(レコードのこと)売れてますね」とハッパをあおる。 とたんにニコッとしてインタビューの開始とこうなるわけ。 「そんな馬鹿なと思いますね…実感としてこないからかなァー。オレへただけど、歌える時期に歌っておこうと思うもんね、芝居のプラスにもなるし…」 といつも自信たっぷりな沖くんにしては消極的なPRです。 そこで話題をかえて、沖くんは女性にもてるでしょうと、またハッパともちあげてから、彼の女性撃退法を尋ねてみました。 「俳優沖雅也だからもてるんじゃないの。それに撃退法っていっても、僕のファンはまだそれほど積極的にくるなんてことはないですよ、他の人で少し人気が出てくると変なことをする人がいるけど、ぼくは自制心があるから、それやったらおしまいですよ」 という彼、たしかに自制心はひと一倍に強い。今まで彼がデビューした時からの彼を見なおせばはっきりわかりますが、意欲と自制心が今日の彼を作ったといっても過言ではないのです。 「PRでしょ、こんど8月25日に『幸福への出発』というレコードを出します。(注1)テレビは『小さな恋…』と『キイハンター』みなさん聞いて下さい、見て下さい」 ズバリのPR、これが意欲のあらわれなのでーす。 次は、仕事を抜きにして人間自分をPRすうる時、一番真剣に自己を表現っていうか、顕著に表わすのがプロポーズの時だと思うけど、その時沖くんだったらどうPRするか聞いてみましょう。 「弱ったなー、やっぱりその時にならないとわかんないけどねー。オレ意外と親切だしやさしいと思うけど…。やっぱり好きな人だったら一生幸せにするからってこと思うよ、一生懸命働いてさ…やめようとこんな話」 さらりと逃げられた感じですが、もっかひとりぐらしで掃除、洗濯と自分でやっているだけあって沖くんのお嫁さんは何にもしなくていいかも知れないよ。

かくれた才能 インテリア・デザイン
「あとオレがだれにも負けないと自負できうるのは根性だね。高校中退して(注2)上京してさ、色々な仕事について、一日の食事も満足にできない生活をおくって来たでしょ、それもひとりですよ、その時のことを考えれば何でも出来るしまたそれに耐えられる根性を身につけているからね」 身長182センチ、体重72キロ堂々たる体かくであります。外面だけではなく心も何にも負けないガンジョーそのものなのです。 そこで体格に移項しましょう。 自分の身体でもっともPRできると思う所はどこなんでしょう。 「やっぱり足かなァー、バスケットできたえたでしょ、バネがすごく強いんですよ、 『キイハンター』で千葉さん(千葉真一さん)にほめられたぐらいですから。 顔?そうねー、自分で自分の顔のことを自慢できるわけはないでしょ」 ごもっとも。あとはあまり人に話さずかくれた自分の得意というか、こう特技のような PRはないものでしょうかね。 「(簡単に)別にないなァー。しいていえば部室(原文ママ)のインテリアなんかうまいもんですよ。叔父さんがその専門家(注3)なんで、あとは盆栽かな、そのくらい」 いとも簡単な答え。 最後に自分は役者であるから将来こういった作品を演じてみたいなんていうものは…。 「ありますよ、それは…(ここでマネージャーが沖くんをつっつき口を止めさせる)それはいまはいえない、(ここでしばらく記者と"いいじゃないですか” "ダメ”の問答が続いたが結局聞けずに終ってしまいました)」 沖くんのPRはだいたいこんな所ですが、彼の自己防衛本能は作られたものではなく、自然に身体から出てくるもので、常に優等生の答えが帰ってきますが、喋っていい事悪い事をハッキリわけているあたり、サスガーっていう気がします。

注1:『君と二人で』がA面、『幸福への出発』はB面として発売された。
注2:まだ年齢逆詐称していた頃なので、高校中退と発言したと思われる。
実際は高校入学前に上京。
注3:日景忠男氏は建築科卒。


「やっぱり好きな人だったら一生幸せにするからってこと思うよ、一生懸命働いてさ」という一言から、理想的な家庭を生真面目に想像する20歳の青年の姿が浮かび上がる。
演じてみたい作品の場面でマネージャーからストップがかかったのは
「高校生無頼控」の話になりそうだったからだろうか。


<スタジオ・ルポ> TV時代劇を裏から見物”
1974年12月13日号 「TV fan」

「1時間で誕生“昔の人”」

沖雅也君、カツラをつけていっそうひょろ長くなった体を大食堂へ。NHK「ふりむくな鶴吉」の休憩時間だ。
エビフライとポークカツ、昔の人より一品多く注文した夕食をたちまちたいらげた。時代劇姿のまま、フォークとナイフを使った。テレビ局ではよくある風景だが、見なれない人には何となくおかしい。質問にちょっぴり緊張したおももちで、中学生のようにハキハキと答えてくれた。
「さすらいなんて、人生の目的にはならない。ボクはそう思います、ハイ」
今様に言えば、ヒッピー志向の青年が、父親が殺されたのを機会に、さすらいの旅をさらりとやめて岡っぴき稼業を習おうというドラマ。沖君は主人公の心のいれかえにおおいに共感している様子だ。おつきの長髪の青年(注1)が、マメマメしくお茶を入れて、鶴吉親分へ。
105スタジオを使っての録画どり、さすがは世界一の設備を誇るNHK。スタジオの隣には大劇場にも及ばないメーキャップ室がある。居酒屋の娘役中尾ミエさん(注2)が、口紅を自分で使って顔を仕上げていた。ソバで準備のすっかりととのった侍姿の伊吹吾郎君が、ポテトチップをポリポリ、これも何となくおかしい。
「走ったら落ちそうなんだな」とミエさんカツラを気にした。羽二重と読んでいる布でまず髪をおおい、カツラをかぶせて、生え際のところは接着剤でおさえる。
「マユを少し書きましょう」
メーキャップ係が細い筆でミエさんの顔に線を引く。出番OKだ。
メーキャップ係Aさんの話。
「メークの係は二人。一日二十四、五人、通行人を入れると、四、五十人の顔をつくりますか。レギュラー出演者で、メーク二十分、カツラ三十分、着物を着たり小道具つけたりが十分、約一時間で昔の人に化けかわる。伊吹さんは時代劇の顔。現代的な中尾さん、カツラが合うのでおや?と思いましたね。江戸女のマユはどうだったかななど時代考証的なことを考えながら、つくってあげるんですが」
チョビひげ生やした二十代のメーク係だった。(注3)

「なんでもハッポースチロール」
四人の作者が交代で台本を書いている“読み切りドラマ”の「ふりむくな鶴吉」は、ひとつひとつが完結したお話になっている。(注4)一週間のうち二日がリハーサル、三日間が本番、主役の沖君などは、だから週五日をNHKで過ごしていることになる。
美術を受け持つ人たちの手で、その週使う大道具や小道具がスタジオの中に持ち込まれる。でもドラマの主舞台になっている長屋は、そのまま。レギュラー・セットと言うのだそうだ。
ニックネームが“親方さん”のベテラン美術係Bさんの話。
「この間の東京・深川の材木置場、つまり木場のシーンでは、本物の丸太なんぞ、持ち込めっこないから、ボール紙の厚いので作ったんですよ。この石垣だって、ほら、ハッポースチロールに色を塗ったものですよ」
Bさん、この日はフイゴを作っていた。箱から風を送ると、炭火がおきる昔の鍛冶屋の必要品だ。炭俵が積んである。よく見ると、中身は炭でなくて、やはりハッポースチロールを黒く塗ってごまかしている。今どき俵に入った炭など売っていない。
美術係Cさんの話。
「それらしく見せて作るしかないんです。美術係は四人。どんなものをそろえるか分担して、ないものは小道具屋さんから借りてくる。時代考証の指導を受けているけど、理屈通りやっていたらドラマはつくれませんよ。でも視聴者も目が高くって、昔の屋根ガワラはあんなんじゃなかったなどと投書してくる。つらいですね」
NHKには大倉庫があって、そこが大道具置場兼製作所になっている。もう終わった番組「天下堂々」(注5)で使ったものが結構この番組でも間に合っている。同じ江戸時代の同じ捕り物番組、同じようなつくりなのだ。
小道具室には酒のトックリとか、おぜんとかがビッシリ並んでいた。
再び親方Bさんの話。
「木や草一本にしても造園屋さんから買ったり借りたりしてくるんだが、物価の値上がりがきついね。ススキ一本いくらの時代だから。どうしても予算がオーバーする。私らとしては道具のひとつでもよく見せたいのだが、なかなかネ・・・」
スタジオでは、藤原釜足さんの老人が走って、そのあとを沖雅也・伊吹吾郎君らが追いかけるシーン。(注6)砂ぼこりをたてるのに、噴霧器でシャー、シャー。砂ぼこりや煙といったら一昔前はドライアイス、もっと昔は発炎筒だった。道具類も時代とともに変わっている。

管理人注
注1:当時の付き人さんはキャロルと呼ばれた長髪のお兄さん。もちろん日本人です。
注2:さすがに娘役ではなく、下っぴきの寅吉(西田敏行さん)の奥さんで女将役。続きの「伊吹吾郎君」という書き方といい、年配の方が書かれた文章なのでしょうか。
注3:噂のあの方ではないようです。
注4:最初と最後だけ二話完結。
注5:「ふりむくな鶴吉」の前の金曜時代劇。
注6:第11話「風ぐるま」。

見学センターからずっと105スタジオを見下ろしていた私にとっては、懐かしい光景が蘇る記事。
砂ぼこりを噴霧器で起こすシーンも見たし、他にも巨大な扇風機で風を起こしたり、雨を降らせるホースもあった。夕暮れのシーンではオレンジのライトが使われていたし、真っ青な空もセットでのビデオ撮影ならではの光景だった。
長屋や居酒屋のセット、歩くとガタガタと音がして下が空洞とわかる道。
それらのセットの中で青いハッピの鶴吉が生き生きと動いているのをもう一度見るためなら、個人的にはとても辛い時期であったあの頃ではあるが、同じ人生をもう一度生きてみたい。
それにしても、リハーサルに二日、撮影に三日かかるスケジュールで、どうやって「必殺仕置屋稼業」の京都撮影所、「北都物語」の北海道ロケに行く時間があったのだろう。他にグラビアの仕事、準レギュラーの「おからの華」、「剣と風と子守唄」のゲスト出演もあったのだ。


「特集 魅惑の肖像そのぁ −映画情報 1975年4月号

あまいマスクの奥でキラリとひかる目がクールな感覚をのぞかせて‥さっそうと生きる男ひとり

☆NHKテレビ「ふりむくな鶴吉」はとても気に入っている作品とか。スタジオ内に置いてあるモニターテレビにうつる表情もなかなかけわしい。時代劇なのでメイクやカツラなど念入りで時間もかかる。端正な横顔をのぞかせて、まわりの人たちとおしゃべりに興じている姿がさわやかさを感じさせる。こういうときの彼は、あのホロズッパァーイというコマーシャル(注1)でみせる陽のほうの顔なのだろうな、と思う。

☆階段に腰をおろして、タバコに火をつけるとたちまちもの想う顔になる。どこかちょっとさびし気で、かわいいなとおもわせる何かを漂わせている。反面、ファンの女の子に向ける目はあくまでもやさしく、こんな目でみつめられたら恥ずかしい、消えてしまいたいと感じさせる。彼女らにとって彼はやさしく、頼もしく、そして背が高いハンサムなおにいさんになってしまう。受け手の年齢に応じてイイナと思わせる面が違うにしても女性にモテるということはまちがいないのだ。

おもっていたより背が高くて、ブラウン管をとおしては想像もつかないほど甘いフェイスなので一瞬とまどってしまった。NHKテレビ「ふりむくな鶴吉」のスタッフ一同で行う親ぼくボーリング大会が、きょうこれからあるのだと言う。
「ボーリングはずっと昔にやったけどネ、ブームになる前にもうやめちゃった」というから、いの一番にとびついて夢中になって、みんなが注目しはじめたころ、あきちゃったということだろう。
テレビ番組でみる沖雅也は、ゆかいなコマーシャルの中で百面相もどきの顔をしてみせたり、時代劇ではすごみのある表情、そしてメロドラマでは深刻なおももちで、どれが素顔の沖雅也なのかわからないくらいうまく役になっている。ひょっとしたらとてもおもしろいう愉快な人なのかな、あるいは沈黙は美なりを地でゆくような無口でとっつきにくい人なのかな、そうだ、ごくありふれた演劇青年くずれなのかも知れない。いろんなことを考えて会ってみたのだが、そのどれもがあてはまらない。それじゃ、なんだ、どういう感じがする?と問われても、即答できないような不思議なフンイキの持ち主なのだ。

「家でスッタモンダあってネ、中学おえると家出同然に東京へきたんだ。友達の大部分は大阪でおりたけど、俺は東京で働きたいと思っていたし、汽車が着いたのが東京だったってこと。早く一人前になりたいとばかり思ってたネ。はじめっからサラリーマンになろうなんて気持ちはこれっぽっちもなかった。だから仕事もいろいろ変わったヨ。配達員やら、ラーメン屋のコック、バーテンなんか‥‥その時はもう食うための仕事だったからネ、なんでもよかったんだよ。ぜいたく言ってられないだろ、食わなきゃなんないもん。ガラは大きかったかったんでネ、18才ぐらいでとおるんだよ、住み込みで働いたよ」

早く一人前になりたいと、からっぽ、無の状態からなにか形あるもの、ピンとくるものにめぐりあえるまで、彼はさまざまな職業と人間にかかわりあいながらチャンスを待った。

「バーテンやってる時モデルクラブにひきぬかれてネ、理由?金がよかったからサ。そいでしばらくいたけど、モデルの仕事ってヒマでね、日活に入社したんだ。理由?モデルの仕事がなあんにもなかったから。ほとんどやってないなあ」

彼の行動には単純明快そのものズバリの理由がいつもある。だが日活で青春ものでデビューして以来、29本ぐらい(注2)の作品に出て、日活が青春路線からやくざ路線にかわるころ、沖雅也の心の中にも大きな変化があった。
人生は出会いの連続で、いい出会いをした人がいい人生を送ることができるというなら、まさしく彼はいい出会いをした。それまで明快にわりきってこられた行動の力学がとつぜん働かなくなるような出会いに。

「日活時代は渡哲也さんにかわいがられてネ、テレビに映ってからは山崎努さんに影響うけたネ、ちょっと違うなって感じさせるんだヨ。だいぶ感化されて、よくいっしょに映画を観に行ったり、話をしたりしたヨ。そんなことがあって、自分にも別の感じがやどってきたんだ。NHKn「三四郎」なんかでは抽象的な芝居が要求されて勉強になったしネ、「焼あとの女侠」(注3)で沢竜二さんを知ったのも大きなプラスになったな」

いろんな人との出会いで得になるものはどんどん吸収していく生命力が、これからも彼を支えていくことになるのだろう。

「おもしろいかどうかは客が決めることだと思う。今は見せる映画と見てもらう映画の違いがわからないから断定はしないけどネ。すべて物事は無視はいけないと思う。古いからとか新しいからとかいってそれをいい悪いと決めつけることはオレはできない。オレはいつもいじめられていないといけない方だから、もっと勉強しなくちゃと思ってる。今は仕事、いい仕事でシビレたいネ。それから人間になること、男だから勝ちたいサ」

沖雅也、彼がなにか過去の確執に対してものすごく燃えているのはわかるのだが、それがなんなのかどうしてもつかめない。つっこんで聞いてもはぐらかされてしまうか、冷たくつきはなされてしまう。

「オレのことを一番知ってるのはウチの社長だネ。(注4)社長にはなんでも話すから‥‥」

プライベートなことは聞いても仕方のないことだが、それでも話をしている間じゅう、彼の周囲にモヤモヤとたちこめるなにかをつきとめようとして、ひどく疲れるインタビューになってしまった。そのあげく、やっぱりわからないのだ。自分をなかなか明かさない強い人間なんだなと思う。自己分析もしてみせる。

「ある日は自信まんまん、ある日はダメまるっきりダメ、もうオレはなんてダメなんだろうって思っちゃう。それでいいと思うんだ。こうだと思っちゃったらオワリだと思う、慣れることはいけないことだって‥‥。演技っていうのは、テクニックと感受性だと思うんだ。テクニックっていうのはみがけば光るけど、感受性ってのは持って生まれたもので、ない人にはまるっきりないものだと思うんだ。だから、みがけば、訓練すれば光るってもんじゃない。そう思ってるネ、オレは」

二時間足らずの会見だったが、彼は端正なマスクとギラッと光る目で、ほとんど演技論について話をした。自分のこと、生活や心理の面に分け入ろうとすると、とたんに話が抽象的になってしまうのだ。

「オレがもえると、周囲が傷つくし、もえていないと、オレは化石になっちゃうんだ」

恋についてきいた時、彼はこの謎のような言葉を吐いた。そしてつけ加えた。
「仕事についても同じなんだ。オレはまじめに生きてきたヨ。オレが思うマジメさだけどネ、自分に忠実に生きてきたネ」

彼が恋に仕事に、彼流のマジメさで生き、そしてもえる時、誰がきずつき、だれが化石になるのか。自分について、あるていど自覚もしている。

「オレは老けてるな、早熟だなって面がある。それは知ってる、だけどネ、年上のひとにかわいいネっていわれたら、かわいいデショって甘えることもできるんだ。正確ははっきりしてる方だから‥‥」

気性の激しさを内に秘めて、表面はあくまで、かっこいい青年でいられるふしぎな人。女子高校生のファンに対してもあんなにやさしい目で笑いかけることができるのに、撮影の時にみせたあのさびし気な表情が彼によく似合うのはなぜだろう。かといって普段は、そんな暗いイメージは全然ないのだ。彼の素顔はとうとう見られなかったのだろうか?

注1 梅仁丹のCM。
注2 日活映画は確認できるものが17本。29本という中途半端な数字を出しているからには、他にも出演しているのか?
注3 1973年12月の舞台「焼け跡の女侠」のこと。
注4 日景忠男氏のこと。この時点ではまだ養子縁組はなされていない。


1974年12月末のヨーロッパ旅行で購入されたコートを着ているように見える(黒白、いや緑白なのでよく見えないのが残念)なので、1975年初頭に受けたインタビュー。
いずれにせよ、沖さん22歳。何と言葉の選び方が上手なのだろう。取材記者が女性のせいもあるのか、うまくカッコつけながら相手を煙に撒いているのもなかなかのテクニックだ。
文中に山崎努さんに影響を受けて映画を観に行ったり話をしたとあるので、なかなかの哲学者である(と管理人は思ってます)山崎さんの影響を受けたひねり技なのかも知れない。
沖さんはいつも物事を抽象的に話して、本音を隠してしまう発言が多い。 今回は極めつけ、「オレがもえると、周囲が傷つくし、もえていないと、オレは化石になっちゃうんだ」という、スーパー難解沖雅也用語の登場だ。
相手が傷つく恋愛をしていたのか、相手の家族を傷つけていたのか、それとも自分を愛してくれる人に応えられなくて傷つけていたのか。いずれにせよ、今こんなことが言える22歳に会ったことがない。そんなことを言う輩がいたとしたら、張り倒してやりたいが。沖さんだから似合う謎の言葉だ。



『恋愛はできない、結婚は見合いだ』という24才 沖雅也 ニヒリズムの魅力


1976年11月10日号 女性セブン

『太陽にほえろ!』の視聴率が、またまた上昇を続けている。
現時点で考えられる原因はただひとつ。9月から新しく加わった刑事“スコッチ”こと、沖雅也の存在だ。
若い駆け出し刑事でありながら、いつもダークなスリーピースでビシッと決め、めったに笑わない。刑事たちが番茶をすすっているときも、彼ひとりだけは紅茶のカップを手にしている。それでいて、犯罪の追及には、冷酷なまでの執念を見せる。
これまで、『太陽にほえろ!』では、萩原健一、松田優作、勝野洋などの最年少刑事をスターダムに乗せてきたが、歴代の若手刑事にくらべ、この“スコッチ”はあくまで異質だ。
これまでのアイドル刑事にくらべて、“スコッチ”はキザなうえに冷酷だということで、小学生たちの間では、むしろ悪役扱いをされているともいう。
この“スコッチ”を、シリーズでクローズアップするにあたり、記者は沖雅也が過去に語ったいくつかの言葉を思い起こしてみた。
「過去のことなんて、オレは何も話したくないよ」
「結婚なんてしたくないな。一生しないかもしれない」
「オレは、やっとここまではいあがってきたんだ。これを女の問題なんかでつぶされてたまるかって気持ちだな」

また、以前の沖雅也を知る記者仲間のひとりはいった。
「なにも喋らない男だよ。秘密主義者っていってもいいんだろうな」
扱いにくい − そういう先入観をもっても、あるいは当然ではあるまいか。
『太陽にほえろ!』で彼が見せる、あの、クールでキザで、そして冷酷なイメージは、そのまま沖雅也本人のものではないのだろうか。
そうだとすれば、これほど取材しにくいスターはいない。
記者は、ある覚悟をもって、沖雅也に取り組むことにした。
まず、世田谷の国際放映のセットで会ったのが最初だった。
身長182センチ、体重72キロ。愛車、白のキャデラックに左ひじをついて、秋の陽光の仲に立っている彼の姿は、それだけで絵になっている。濃紺のスリーピース。チョッキから銀色に光って見えるのは、懐中時計のチェーン。
彼は、記者の目をじっと見ていった。
「自分のことをいいたくないというのはね、みんな同じじゃないですか。だれだってほんとうの自分を見せたくないでしょう。そりゃ、役者だから、ひとによく思われたいってことはありますよ。町を歩いていれば、知られてないより知られているほうがいいにきまっています」
しかし、と、彼は続けた。
「役者は、最後は人間性だと思うんだ。見るひとは、その人間性を見ているんですよ。ぼくがいちばんやりたいことは、人間性のある役者というものを確立する、ということなんです」
じゃ、きみの人間性につういて話そうじゃないか、というと、沖雅也はまっすぐ記者を見たまましばらく考えていたが、やがてきっぱりといった。
「いいですよ、つきあってください」

・『太陽にほえろ!』の岡田晋吉プロデューサー談
「沖くんを起用したねらいめは華麗さだね。七曲署のチームワークはよすぎるから、これに波風を立ててドラマをおもしろくしようということですよ。
若くて、背が高くて、きれいな男ということで沖くんを選んだんです。憎まれ役だから、華麗さが条件です。
でも、実際の沖くんは仕事熱心ないい役者ですよ。この作品に入る前、1週間の休みをとって伊豆の山にはいって、走って足腰をきたえてきました。やる気は充分だし、実際に危険なシーンでもいやがらずにやりますからね」

記者につきあってください、といったのは、沖雅也にとってはまさに異例なことだったようだ。改めて彼の過去の資料を調べてみても、自分からすすんで話したようなケースはまるでないのだ。
ほんとうのことはなにひとつ知られていないスター、それが沖雅也だった、といえるのかもしれない。
知られていることは、彼の簡単な経歴ぐらいなのだから・・・。

・沖雅也の知られている経歴。
昭和27年6月12日生まれ、本名・楠城児。大分県大分市の出身。父は楠宗生さん、母は礼子さんだが、42年12月12日に協議離婚している。
そのためか、沖雅也は43年1月に家出、単身上京。最初は上野御徒町のラーメン屋の店員となり、それ以後いくつもの職場を転々とし、16歳になる前にモデルの世界にはいったことがきっかけで芸能界入り。デビュー作は丘みつ子と共演の日活映画『純潔』。46年3月、当時の人気番組『火曜日の女シリーズ』の『クラスメート』で人気を得、以後『さぼてんとマシュマロ』、『高校生無頼控』、『三四郎』などに次々に出るようになった。

自分は運動部タイプだった、と沖雅也はいう。少年時代の話だ。
「中学時代はバスケット部にいたんです。大分市じゃ強いほうなんだけど、本番になると勝てなくてね・・・。スタープレーヤーでしたよ。でも、女の子にはあまりもてなかったみたいだな。ラブレターをもらったり、打ち明けられたなんてことはなかったもの。印象が派手だったから、敬遠されたのかな。友だちはいませんでした」
親友というものをもったことがない、という。それはいまでも変わりがない、ともいった。
「友だちがいないったって、陰険じゃなかったんです。取り組む世界が見つからなかっただけ・・・」
恋人もいない、親友もいない。そんなときに両親の離婚。それが15才の少年を家出にかりたてた。
こう見るのがひとつのわかりやすい図式であろう。しかし、事実そのような単純なことではなかったようだ。

・プロダクションの社長であり、同時に沖雅也の養父となっている日景忠男さんの証言。
「ま、親の離婚が原因で家出したようにいわれてるけど、そんなカッコイイもんじゃない。当時、なんとなく空虚だったんだそうです。親が離婚話をしているとき、子供がいるから別れられないとか、どちらが引き取るか、というような話が出たんでしょう。それを見ていて、いっそのことバラバラになろう、と思ったらしいですよ。15才の子供がそこまで考えるんだ。空虚にもなるでしょう」

その空虚さへの実感が、のちの沖雅也の心を形成したとしても、不思議はない。
空虚さが投げやりに通じていたことは、上京後の彼の生活の中に充分表れている。
「ラーメン屋、運ちゃん、バーテン・・・いろいろやりましたよ。青山のゴーゴークラブで、朝の4時5時まで遊んでましたしね。金なんかなくても遊べますよ。女をひっかけたっていいんだし・・・」
芸能界にはいるきっかけも、そうした投げやりの中から生まれた。
友だちとあるスナックに行くと、当時有名なモデルがきていた。
「カッコイイな、モデルって」
友だちがいい、沖雅也はどれどれと顔を見にいった。そして、テーブルに戻って、いった。
「あんなんなら、オレだってモデルになれるさ」
大口を叩いた以上、引っ込みがつかなくなり、次の日、彼はモデルクラブに出かけていった。
「べつに、どうしてもモデルになりたいわけじゃなかったんです。ところが、こんなに太っててモデルになれるか、といわれたんで、ようしってことで意地を張ったんです。86キロあったのを、2ヶ月で68キロまで落とした。そうしたら、モデルになれました」
反抗心が沖雅也の人生を決めたといえるかも知れない。
「いまになって思えば、暗中模索だったなあ。無軌道、無関心、無気力の“三無主義”だったんです。でも無気力だけではなかったな。求めていたものがわからなかっただけでギラついていましたから」
自分でその時代を沖雅也は“青春”といった。
「だいたい16ぐらいの男の子に、なにになりたい、なんて聞くのが無理なんだ。探り探り生きてるんだから・・・」
沖雅也にとって“青春”とは、闇の中を手探りで歩くことだったのだろうか。
モデルになったとき、沖雅也はまだ15才だったのを、19才と偽った。いわゆる芸能界の“サバ読み”とは逆だ。最初がそうだったために、日活からデビューするときも実際よりも4才年上のままであり、のちにその偽りがバレたとき、なにかとんでもない秘密があるのではないかと、痛くもない腹を探られることになったのだ。
確かに15才では仕事をしにくかったかもしれない。しかし、彼の心の中には、ガキ扱いされたくない、という燃えるような反抗心が渦巻いていたのではないだろうか。
人間不信と反抗心 − これがこれまでの沖雅也を支えていた。記者にはそれがはっきりと感じられた。

ほとんど自分のことは話さない、といわれていた沖雅也だが、意外なほどよく話す。それは、彼がすでに暗中模索の時期を卒業したということなのだろうか。それとも24才のいま、人生にたいして開きなおったのであろうか。
オレは結局オレなのだ、と。
話は翌日に持ち越された。大阪に向かう新幹線の車中であった。
「オレは運が良かったんですよ」
と、沖雅也はいった。
家出した不良少年でしかなかった自分が、ここまでこれたのは、
「運がよかっただけですよ。家出したことで、人生を浪費する人もいるけど、オレはしなかった。その違いだけですよ」
だが、15才で上京してからの9年の間に、沖雅也を大きく変えたできごとがあった。
彼はそれを、自分の作品に託して表現する。
「NHKで1年間続いた『ふりむくな鶴吉』が、いちばん印象的でしたね。あれに出ているときに、オレにとって重大な変化があったし・・・」
重大な変化 − それは、大分の父・楠宗生さんの死と、日景忠男さんの養子になったことに間違いない。
(昭和)50年4月23日、父が死んだ。
沖雅也は、偶然その前日、仕事で大分にいたのだ。
日景さんは、せっかく近くまできたのだから、親に会わせたいと考えたが、沖雅也は聞く耳をもたず、うるせえや、というばかり。
それでいて、市内の城島公園では、池の鯉にエサをやったり、ケーブルカー、ゴーカートなどに乗り、いつになくはしゃいでいたという。

・日景忠男さんの追憶。
「上京以来、ずっと故郷を拒否し続けていた男が、故郷であんなに楽しげに遊んだのも、父親が呼び寄せたのかもしれませんね。結局、その日の夕方大分を離れたんで、死にめには会えなかったけど・・・」
あるいは、父を憎んでいた沖雅也であった。周囲にたいするのと同様、父親にたいする反抗心も胸のうちに燃えたたせていたのだ。
だが、
「親父だ死んだとき、オレは生まれて初めて腹の底から泣きました。喧嘩ばかりしていた親子だけど、親父が死んでみて、親父がオレを愛していたことがよくわかったんです。オレが親父を好きだったこともね。なぜなら、オレと親父は同じタイプの人間だからなんです」
九州大学経済学部を卒業し、能力はありながら、最後は大分市石油商業組合の常務理事で終わった父を、沖雅也は、運がなかったという。
「オレみたいに運があれば、親父の人生も変わっていたはずです。やり手だったし、敵の多いひとだった。親父が不幸だったのは、オレのような好運と、いいブレーンに恵まれなかったからですよ」
自分は父親と同じタイプの人間なんだ、ということに気づいたのは、皮肉にもその父が死に、遅れて駆けつけた告別式の涙の中であったという。沖雅也は父を失い、同時に父との連帯を知ったのだ。
実父の死の直後、50年5月、沖雅也は日景忠男さんの養子になっている。だから、現在の本名は日景城児。
「いまでは社長がほんとうの親父ですよ。俳優とマネージャーであり、ひととひとであり、兄と弟であり、父と子であり・・・そんな関係でしょうね」
このように、自分を誰よりも理解してくれる人物をもつことを、沖雅也は、いいブレーンに恵まれて好運、というのだ。
父には、最後までついに心を開けなかった沖雅也だが、母親には会っている。
「親は離婚したけど、べつにオレと喧嘩したわけじゃないからね。わざわざ時間をつくって会うこともないけど、知人にサインを頼まれたりして、必然的に会わなけりゃならないときには会いますよ。べたべたすることもないし、疎遠でもない。それが普通の親子じゃないかな」
父にたいしたときのような反抗心は母にはもっていない。
日景忠男さんは、
「それは父親と彼が、プラスとプラスでぶつかりあっていたからでしょうね」
という。
反抗心に裏打ちされた沖雅也の強さの陰にひそむ、意外なやさしさを見たような気がした。それは沖雅也にとっては、うっかり見せてしまったやさしさだったのかも知れないが・・・。

疲れるだろうな、と記者は思った。沖雅也は思いつくままに言葉を口にするタイプのスターではない。一度自分の心の中で整理し、カブトをかぶせ、ヨロイをつけさせてから話す。だから、ともすると理屈っぽくなりがちなのだが、常にそのように身がまえていなければならないところに、かえって沖雅也の若さが感じられる。うっかりしたことはいいたくないのだ。
彼のこの点が、もしかすると人間不信からきているのか、スターとしての誇りに根ざしているかは別として、“スコッチ刑事”に見られるような、一分のすきもないクールさとなって現れ、これが人気に直結していることも、また事実なのだ。
記者は、ひとりの若い女性記者の言葉を思い出した。
「沖雅也って中村雅俊や三浦友和と同年輩でしょう。でも、くらべてみると彼だけが存在感が薄いみたい。隣に住んでいる若いひとって感じがまったくないのね」
だからすてき、といったのだ。
その存在感のなさは、彼がいつも自分自身をつくっていることに通じる。
疲れないのか、と記者が思った理由はそこにある。
しかし、沖雅也はいった。
「疲れませんよ。それが自分なんだから・・・。ぼくは、つねに沖雅也という名前を背負っています。ひとりになろうと、どこにいようと、オレは俳優の沖雅也なんです。早くいえば、みっともないことはできない。立ち小便は絶対にできない、ということです」
これほど強いスター意識の持ち主は、いまの若手スターでは稀有な存在といえる。親しみを売っているスターは星の数ほどいても。
沖雅也のこのスター意識はどこからきたか。生来のナルシシズムもあったろう。単身上京してきた15才のころの、職を転々とした苦しさ、貧しさのアクションであるのかもしれない。
それをいうと、沖雅也はしばらく言葉を選んでいたが、やがてきっぱりといった。
「金はないよりも、あったほうがいい。地位だってほしい。しかし、いちばんの理想は、俳優として確立したいことです。その理想像に近づき、突きぬけたい。ロマンですよ、男の・・・」
尊敬する人物も、目標とする人物も特にいないという。
彼にとっての目標、理想は、果てしなく大きくなってゆく“スター・沖雅也”にほかならないのだ。“男のロマン”という言葉を使ったとき、沖雅也は記者の目をじっとのぞきこんだ。わかってもらったかどうか、不安に思い、具体的に表現できないことをいらだっているような表情だった。
表現を変えた。
「オレは8時台のドラマには向いてない、と思われていたようなんです」
つまり、8時台のドラマ出演は、人気はあがるが、俳優にとっては欲求不満のもとになる。子供にもわかるようにドラマをくどくしているために、俳優はいい演技がしにくい。
しかし、沖雅也はいう。
「オレはやりますよ。8時台には8時台の価値観があるはずです。仕事として、なんでも不必要なものはない。やりたいものもあれば、我慢しなければならないものもある。この中から自分を確立してゆくのがほんとうの俳優でしょう」
ひとには絶対に弱みを見せまいとする強い姿勢が、この新幹線の中での、沖雅也のすべての言葉に表れていた。

この沖雅也の大阪行きは、大阪プラザホテルで行われた“中村翫右衛門さん俳優生活七十年をお祝いする会”に出席するためであった。
11月に大阪・中座の『新門辰五郎』、『ふりむくな鶴吉』に出演することになっており、翫右衛門を中心としたその制作発表パーティーでもあった。
老人の多いパーティー会場で、スーツ姿できめた長身の沖雅也は注目の的だった。和服姿の若い女性たちが彼を取り囲み、色紙やハンカチにサインを受ける。
パーティー会場なので、記者との会見も雑談めき、沖雅也の言葉には、新幹線の中のような気負いは消えていた。
「ぼくはいつもスーツばかりだと思われているようだけど、家じゃジーンズですよ。でも、外に出たら俳優ですからね・・・。スーツは数十着持っていますよ。ネクタイは親父(日景さん)と共有なんです。ワイシャツなんか、いつも親父に買ってきてもらうんです。こないだ初めて自分で買って、自分のサイズを知ったばかりなんですよ。39の82だって・・・」
「3か月ほど前に麻雀を覚えたんですけど、才能がないことがわかりましたよ。ナルシシストだから、自分の手に酔っちゃうんですね」
「趣味といえば、盆栽ですね。マンションのテラスには、70鉢以上並んでいますよ。孟宗竹、ぶな、かえで、姫婆羅・・・」

盆栽の話になったとき沖雅也の表情が変わった。まわりのものごとが目と耳にはいらなくなったようだ。記者と並んで、会場の隅の椅子にすわり、憑かれたように話し始めた。
「盆栽のことを、大きくなるべき木を小さくしてしまうというひとがいるけど、そんな、かわいそうだというような問題じゃないんですよ。自然の大木は雄大だけど、盆栽は芸術です。それに盆栽には自分の世界が見えるんです。盆栽を見ていると、水をやるのも面倒なこともあります。でも、やらなけりゃいけない。相手は生きてるんですから・・・。そういうときに水をやってこそほんとうの愛情なんです。そういうことから、スキンシップが生まれるんでしょうね」
沖雅也は、盆栽の話にことよせて、なにかをいおうとしているのだろうか。
それを感じた記者は、さほど興味のない盆栽談義を長い間聞いていた。
そして、盆栽の美しさから、手入れのしかたまで、ひと通り話したあとで、彼はいったのだ。
「盆栽からの教訓はすべてに当たりますね。ひとと違って、盆栽は喋らず、静かです。わずわらしくない。だから、オレは、ひととのつきあいの中に、情けの安売りはしないようにしてるんです。友だちにあいさつするのもうっとうしい。メシを一緒に、というのも面倒くさい。まして、金の貸し借りなんて絶対にしませんよ。貸したからといって相手にプレッシャーをかけたくないし、かけられたくもないんだ。オレには、だから、友だちがいないんです」
人間とのつきあいを避けて、静かな盆栽の中にやすらぎを見いだそうとする24才。これを老人趣味というのは当たるまい。そこに、あえて孤独の衣装をまとうことで自分の心を守ろうとする沖雅也の痛々しいまでのストイシズムが感じられる。
時間がたつにつれ、パーティー会場からは客が次々に去り、しだいに閑散としてきた。
それでも、沖雅也は立ち上がろうともせず、疲れも見せず、話し続けていた。

人間どうしのつきあいのことから、話題は女性のことに移った。
「女性のことだって、いまの境地としては、愛情の安売りをしたくない、ということですね。たとえばひとりの女性を好きになった。すると、オレはほんとうにこの女性を好きなのか、と考えて、それを見つめちゃうから、深くつきあえないんです」

・日景忠男さんの証言。
「日活時代ですか、17才ぐらいのとき、恋をしたらしいんだけど、そのときの口説き文句がふるっている。“おれも九州男児だ。女のひとりやふたりは食わせていけるんだ”っていったそうです。“ひとりはふたり”ってのはよけいですよね。相手の女の子、びっくりして逃げちゃった・・・」
だが、これまで沖雅也の恋愛問題が表面化したことはない。
いまとなれば、
「多少でも好きになった女性は、3、4人はいます」
といえる。
だが、しかし、と彼は言葉をつなぐのだ。
「ほんとうに意味の恋愛じゃないみたいですね。マスコミに知られたり、仕事に影響が出たりすることを思うと、愛情をかけられないんですよ。そういう追いつめられた状態の中で恋をするのも刺激があって、仕事によい影響も与えましたがね」
そのことを、つらいとも、後悔しているともいわない。
ここまで話を聞いていて、記者は完全に理解した。
沖雅也が、なによりも大切にしているのは、自分自身なのだ。それ以外のなにものでもない。
自分の生活、自分の名声、自分の地位、自分の将来、そして、自分の孤独も、悲しみさえも、彼は激しく愛しているのだ。
沖雅也の全人格は、この一点からスタートしている。
ついにパーティー会場には、最後の数人が残るだけとなり、沖雅也は立って出口に向かった。
歩きながら、雑談の続きのような口調でいった。
「いま、あるところの令嬢と、お見合いの話がもちあがっているんです。ぼくは拒否しませんよ。年齢的にはまだ早いかもしれないけど見合い結婚はいいと思いますよ。恋愛で相手の心のことでくやむよりも、見合いで第一歩から愛を育てていくほうがいいですよ」
そして、立ちどまり、自分に問いかけるようにいうのだった。
「愛って、育むものじゃないかなあ」


この狭山透という人が書いた文章は、生前に私が読んだ記事の中でいちばん面白く読めた。
誉めるばかりでなく、多少の揶揄も込めながら、沖雅也という男の内面に迫ろうとしているのがよくわかるし、当時すでに記事になって出ていたゲイバー勤めのことには、敢えて触れていない。
それが取材を受ける条件だったのかも知れないが、こんな書き方をする記者なら、皮肉のひとつも込めたくなるのが普通だ。その件について全く不問にしながら、ここまで沖さんの抽象的な言葉から、沖さんの性格をつむぎ出す力量もさることながら、なかなか良く言い当てているように思えた。

最後に「沖雅也が、なによりも大切にしているのは、自分自身なのだ。それ以外のなにものでもない」と締めくくっていること以外は、当時の沖さんのツッパった表情や遠くをみつめる横顔、静かな息遣いまでが感じられる、嬉しい記事だ。
沖さんでなくとも、なによりも大切にしているのは自分自身ではないだろうか。唯一の例外は親の子供に対する愛情だろうが、このインタビュー時、沖さんは24才の独身男性。自分のことばかり話す若者は、俳優でなくても私の周りに沢山いる。
この記者に、内面のナルシシズムを書かせたのは、あるいは沖さんの作戦勝ちかも知れない。何しろ俳優だから演技は本業だ。そして、抽象的なことから急に具体例に飛ぶ沖さんの言葉の選び方の巧妙さに、ファンである私もまんまとはめられてしまったのだから。
何よりも私の心を打ったのは、沖さんの「役者は、最後は人間性だと思うんだ。見るひとは、その人間性を見ている」という言葉だった。
沖さんは、私がどうして沖さんに惹かれたからを理解してくれている。そう思った。
顔が綺麗な俳優なら他にもいる。もっといい役をしている役者も沢山いる。それなのに、沖さんがブラウン管の中から私に手を差し出して心臓まで持って行ってしまったのは、沖さんが演じている役を通して、沖さんの人間性に何かを感じたからなのだ。
「仕事として、なんでも不必要なものはない」という言葉も嬉しかった。
少し前、私が涙にくれた悲恋物語に主演していた俳優が、雑誌の対談に出ていたのを読んだが、彼は私が今も愛して止まないキャラクターを、 「好きでない役」と言い、「続編は演じるのがつらかった」とまで発言していた。それは視聴者に失礼ではないのか。
沖さんは、自分が演じた役全てに人間性を吹き込もうとしてくれていた。それを知ることができて、とても嬉しい記事だった。
なお、沖さんが引用している“三無主義”は、沖さんが「不良」だった当時の若者を象徴する言葉として流行していた。(それをパロディーにしたのが『高校生無頼控』の三流主義)



1979年3月5日号 ananより


『出会いの後にくる別離(わかれ)が旅の最大の魅力だと思う』












正月のチュールリー公園は、零下20度の大寒波に見舞われたが、少しも寒いとは感じない。
凍てついた道を歩きながら、何度も転んで笑われたっけ。


僕は新年をパリで迎えた。
パリで迎える3度目の正月だった。時は残酷にもたちまちに過ぎ去って、
僕は今、帰国の便を待つド・ゴール空港の雑踏のロビーにいる。


元日の朝、僕たちはサンミッシェルの喫茶店でコーヒーを飲んでいた。
古都の一日をなんの拘束もなく過ごす、という最高の贅沢にひたりながら、
新春をひっそりと祝福している並木を眺めていた。
僕と一緒にいるのは、いつもの3人。
オヤジとマネジャーの和田平と、そして親友であり、俳優仲間でもある三景啓司クン。
言葉で確認しあう必要のない、気心知れた僕の家族だ。
それぞれがそれぞれの思いで、パリとの再会に感謝しながら、コーヒーを口に運んでいる。
僕は一生このまま、ここで彼らと座っているだけでも生きていけそうな気がしてくる……。

ジャン・ギャバンが現れそうな下町の屋根裏部屋

(ハッピーな時間ってこれなんだ)などとやけにうきうきした気持ちで、
ふと近くのテーブルに目をやると、男が笑いかけてきた。
40歳くらいのいかにも人の良さそうなパリジャン。
僕は自然と席を立って彼の傍へ行き、そして自然に「BON ANNNE」と言っていた。
フランス語を殆ど話せない僕が、なんのためらいもなく、ひきずられるようにとった行動に
僕自身少々ビックリしたのだが、もっと驚いたことに、彼は「アケマシテオメデトウ」と言ったのだ。
ジェラード・オリビエという名の彼は、かつて一度だけ映画の仕事で京都に滞在したことがあるという、無名のシナリオ・ライター。
もちろん僕たちはすぐに友達になった。
ジェラードに招待された彼の部屋は、レ・アルのアパートの屋根裏部屋。
いまにもジャン・ギャバンがヌッと現れそうな、映画で見たとおりの部屋である。
そこで僕は、フランス人がいかに自分の住まいに愛情を注いでいるかを理解した。
置かれた椅子のひとつ、壁の絵一枚、どれを見てもアーティストの心が感じられるのだ。
ジェラードの暮らしは、けっして裕福とは思えないのに、収入に見合った最高のおしゃれをこらしている。
僕はこの旅の間、少しでもジェラードと一緒にいて彼の生活を知りたいと思った。

自分を取り戻すパリの2週間

僕は子供の頃から、けっして旅好きではなかった。
日本にいても旅に出たいと思ったことがないし、海外にショッピング・ツアーなど真っ平のものぐさだ。
だが毎年正月の、パリで過ごす2週間は、1年に一度の安息であり、素直pに自分を取り戻すために時間である。
ただじっとしていても、何かを吸収できる街であるからだ。
僕たちは、クリヨンという一流のホテルに泊まりながら、レストランでの食事は稀である。
男4人が惣菜屋さんに買い出しに行って、自分の部屋で食事を整えるのが楽しいのだ。
セーヌ右岸のエトワール通り、コンコルド広場、凱旋門、シャンゼリゼなどの華やかな場所よりも、
学生たちで活気の溢れる左岸のほうが好きである。
サン・ジェルマン、デ・プレ、モンパルナス、リュクサンブール公園、カルチェ・ラタン…
どこを歩いても、その道端に何か「いいもの」(文中傍点)が落ちている感じなのだ。
パリの街はけっして前に進んでいる街ではないが、落としてきた古いいいものがいっぱい落ちている。
僕はそこに行くと落ち着けるし、自分を改めて見つめ直せる。
パリの散策には、地下鉄(メトロ)が最高。
何度乗り換えても料金は均一だし、そこに暮らす彼らのほんとうの姿を見ることができる。
地下鉄の出口で見た光景を、僕は忘れない。
改札口の小さなドアを開けて出る人たちが、必ず次の人が来るまで待っていてくれるのだ。
日本でのように、鼻先にピシャリなどという場面は絶対に見られない。
それは、公衆道徳という類いのものではない、と僕は思う。ゆとりだ。
ゆとりから生まれる優しさだ。フランス人は見事な個人主義に徹した人種だが、
自信に裏打ちされた個人主義だからこそ、真の優しさが生まれるのだと、僕は信じている。
パリの人々の振舞いを見ていると、それぞれが自分に自信を持って生きていることがよく解る。
人間の価値を決めるのは容姿の美醜や金の有無では絶対にない、ということだ。
よくパリから帰った日本人は、彼らのことを"冷たい”とか"馬鹿にされた”と言っているのを聞くけれど、ほんとうにそうなのだろうか。
日本人観光客が、そこに暮らす人々の迷惑になるようなことをしていない、とほんとうに言い切れるだろうか。
僕たちは、ほんとうに自分自身に自信を持って旅しているだろうか。
旅行者が卑屈な気持ちになっていれば、相手がやけに尊大な態度に見えるものだ。
そして、僕たちが、かけがえのない友人の家を訪問するときの心の準備と同じだけの、
生真面目さを持って出かけたら、きっと彼らは温かく迎えてくれると思う。
相手が馬鹿にした視線を送ってきたと感じても、それに笑顔を返せるのが、ゆとりである。
その先には、必ず新しいコミュニケーションが生まれるはずだ。

パリは僕に何かを教えてくれた

僕は毎年パリにやって来るが、名所めぐりなどしたことがないし、
趣味である骨董を見にクリニャンクールのノミの市に行っても、買いものもしない。
だけど、いつもパリは人間としての自分を考える材料を山ほど与えてくれる。
パテを買った惣菜屋のおばさんの笑顔、込んだ地下鉄で人に押された紳士の憮然とした顔、
カフェテラスでデートしていた老夫婦の微笑ましい抱擁。
そして親友ジェラードのあの小さくて粋な屋根裏部屋…さまざまな光景がどれもみな、
僕に何かを教えてくれた。
昨日、夜更けてドアがノックされた。
ボーイが残してくれたのは『アイ・ラブ・パリ』という1冊の本だった。
その中に小さな紙切れがはさんであった。
《パリに友達がいることを忘れないでくれ。ジェラード》
なんてキザで、なんて嬉しい奴だろう…。
人はよく、旅は出会いというけれど、出会いの後にくる別離(わかれ)こそ旅の最大の魅力だと、僕は思う。
淋しく切ない別離が多いほど、その旅は素晴らしかったことになる。
また来年も、あのサンミッシェルのカフェで、ジェラードとお茶が飲めるだろうか。
もう来ることは出来ないかもしれないが…。

(1月9日 パリ、ド・ゴール空港にて記)

自説を説いているあたりは賛否両論あろうが、ここでは評さない。 若い女性向けのファッション誌への寄稿なので、多少カッコつけた内容になっているのは仕方ないとしても、最後の「もう来ることは出来ないかもしれないが…。」という一文が印象に残った。



1979年8月 週刊TVガイド「沖雅也タイムス」


『10月新番組ではタウン誌の編集長役!!』

「俺たちは天使だ!」と「細腕一代記」の二本のレギュラーで大忙しの沖雅也。特に「俺たち‥‥」の、コミカルな演技と、小道具に使うブーメランの投げ方がカッコイイと、男子中学生からのファン・レターも急増。
「あれは、アドリブ・ドラマっていうぐらい、共演者全員のアイデアでどんどんセリフが変わったりするんです。とにかく、お客さんがバカバカしいと笑ってくれるドラマを作ろうということでして」。そのブーメランも、大型、小型、特殊装置のあるものなど、沖のアイデアがいっぱい。
今月末で撮り終えるということで、現在急ピッチの追い込み態勢。
「クーラーの入っていないスタジオなので、氷柱を立てて皆頑張っている。それでも汗ぐっしょり。あー、冷たいビールを飲みたい」。
ところで、十月新番組でも二本のレギュラーに。「体験時代」は、女子大生のテンヤワンヤ物語。タウン誌編集長役で沖が登場。また「火曜劇場」では、十朱幸代、原田芳雄などとの共演が決まっている。(*管理人注1)
「実は、十一月から来春放送予定の新番組の撮影が始まって三本になります。(*注2)本編(映画)もやりたいのですが、どうも時間がとれなくて‥‥」。

引越し

八月初旬に住み慣れた麻布から青山に引っ越した。(*注3)
「こんどは3LDKと広くなって住み心地いいですね。事務所にも近くなって便利。引越し理由ですか?実は、趣味でアンチークな家具をコレクションしていますが、これが収まらなくなりましてね」。

“盆栽”は玄人なみ!

好青年にしては、古風な趣味ばかりで、盆栽もそのひとつ。こちらは、“国風盆栽展”にも出品し、二位に入選するほどの風流人。一鉢百〜四百万円もするものばかり、約八十鉢もコレクション。
「いまは、テラスが手ぜまになって、大宮の盆栽村にあずけています。専門家に手入れをしてもらっています」。(*注4)

後援会員とグァム・ツアー
九月二十二日〜二十六日まで、約三十名の後援会員とグァム島旅行を楽しむ。ガーデン・ビア・パーティー、島めぐりなど大いに騒ごうというもの。
「泳ぎは、得意です。毎日、海とデートしてきますよ」と、沖。(*注5)

麻雀実践教室

ロケが中止など、予定外のオフが出来ると、仲間を集め麻雀を。メンバーが足りないと、事務所の社長に電話で頼み込むほど。「好きですね。いま一番面白い時なんでしょう。負ける方が多いよ。でも勉強勉強、いずれ借りは返すつもり」。

*注1 「甦る日日」(79年10月〜1月NTV)のこと。
*注2 80年1月から放送された「新・江戸の旋風」のこと。時代劇は撮影時期が早い。
*注3 西麻布(長谷寺からほど近い場所ながら、管理人未踏地)から終の住処となる南青山のマンションへ転居。
*注4 2005年に電話で問い合わせたところ、沖さんの盆栽は、もうそこにはないとのこと。持っていらっしゃる方がいらしたら、ご連絡下さい。
*注5 後援会報よりに詳述。

「俺たちは−」のキャラクター・ステッカー(20名)プレゼントまであり、久々にアイドル扱いの記事だった。「俺たちは天使だ!」のCAPというキャラクターは、久々に子供達のハートをキャッチしていたのだ。
この頃の私は後援会事務所に電話したり訪ねたりすることもなかったのだが、この記事で沖さんの近況がわかって、ホンワカと胸が温かくなった。沖さんはやはり心のオアシスだった。1971年にファンになってから8年が過ぎ、私の中では勝手に家族の一員のような愛情が芽生えていた頃で、もはや恋愛の対象としては諦めがついていた。(もっと早くに気づくべきだったのだが、そこは夢見る乙女。許して下さい)だが、恋する気持ちというのは相変わらずこの人にあり、沖さんの幸福は、何よりも優先されるべき大事なことだと、記事を見ながら確認してしまった。
その頃お付き合いをしていた人への罪悪感より、なぜかお付き合いをしている人がいるということに、罪悪感を感じた。今も昔もやっぱり私には沖さんが一番なのだ。
とはいえ、そうかー、引越ししたんだ。麻雀始めたのか・・・などと、遠くからほのぼのとした気持ちで見守って、ファンとしてのどかな気持ちでいられる時期でもあった。



1982年11月25日 入院中のインタビュー


昭和57(1982)年11月21日深夜、自宅でシャワーを浴びていた時に倒れて入院した沖さんだが、原因は不明。胆石がみつかったが、沖さん自身が訴えた心臓は異常がなく、筋肉の緊張ではないかという診断だった。

そして、わずか四日後の25日にはベッドの上でインタビューを受けている。
太っていたはずの沖さんの顔は元通りすっきりして、不思議と健康そうに鼻がツルツルと光っていた。だが、時々目をパチパチとさせるし、声が少し嗄れている。
ベッドの後ろに千羽鶴が吊るされている。ファンからのプレゼントだろうか。
ここでは、沖さんが話した言葉を忠実に残しておく。

*( )内はインタビュアーの質問
「年末に放映されるね、つか版忠臣蔵っていうので近松門左衛門っていう役でね、わりとまあ久しぶりに自分でやりたいことが出来る役というかね、そういうノリまくってやってたんですが、稽古やってまして、次の日本番っていうんで、普段より三倍ぐらいジョギングして、それでビール飲んで、フロ入ったんですよ。そしたらいきなり心臓がドン!と来たんで。
あのね、こうね、つかまれてね、−手で心臓をつかんで引っ張って放す動作をして− こうつかんでねじられてひきちぎられる感じね、感じでいうと。
だから、グーッと来てグーッと行ってパッと離されて、またグーッと来てグーッと行ってパッと離されてって感じで。
だから、ピッと止まったかと思うとドドドドドッて動き出すの。」
(じゃあグッと痛くなるわけですね)
「だから自覚症状としてはね、もう完全に心臓が止まるっていう自覚症状があるわけです、頭に。自分の頭にね。」
(「3時にあいましょう」より)

(一時はノイローゼ説も・・・)
「あれはねえ、結局仕事のやりすぎですよね。だからまあ、人の三倍、四倍ぐらいの分量の仕事をこなしてたんで」
(それはどういう状態で?)
「たとえばこういうね、−台本を手にとる− 題名は見せませんが(笑)、こういうテレビドラマの台本があるとして、こういうのを十冊持ってた。一週間にね。十冊か十四冊かな。
ということは、一週間に十四本撮るわけです」
(これは超人的っていうか、考えられないですよね)
「うん、考えられないでしょ」
(そういう状態が続いていると・・・)
「そういう状態が続いている時で、結局精神的にも参って。
だから医者が言うのはね、大体そんなことしてること自体が気が狂ってるからね、頭がおかしくなるの当り前だって、医者が言うのね(笑)」(酒井広うわさのスタジオより)


「すてきな女性 1983年5月号」
『「キマッタネ!!○○ちゃん」といわれるには、を教える座談会
化粧、酒、会話、セックス・・・男の想像力をかきたてる女がいいね!!』

『男が本気で女性をお選ぶ方法ってセックス?』

※映画監督・森田芳光氏、作家・高橋源一郎氏との対談

沖 ぼくは女性に大して一つの定義を持っていまして、女は生まれてそのままで娘になっていき、さらに妻となり母となる。ところが往々にして一般の女性は、娘であることと母であることは本能として認識してるんだけど、妻であることはしんどいんで、すぐ母親になっちゃう、というのが日本の女性に多いタイプじゃないのか。
だから、ぼくが女性としてキマッてると思うのは、母である前に妻であることをしっかりと踏まえて生きている人、娘−妻−母を完璧に生き抜いた人だと思うんだ。
高橋 考え方がわりとクラシックですね。
沖 そうです。ただぼくは、人間の生活ってやっぱり歴史がつくっていくものと思っているから、二千年の歴史をもってる欧米の女性と日本の女性では生きざまが違うのね。だって、日本が二十年に戦争に負けてさ、この十年ぐらい前からでしょ、日本の女の人たちがウーマンリブとかをあれは女性の真髄だって目を向け始めたのは。これじゃ重みが必然的に違ってきますよ。
高橋 じゃ、娘−妻−母を踏まえている人じゃないと、キマッたとは思わないわけですか。
沖 いや、根底にそういうものをしっかり踏まえてる人がかなりキマッてるというだけで、ぼくは女の人好きですから、どんなタイプでもキマッてると思います(笑)。
高橋 現在、ぼくはちょうどキマッた女の子についての長編小説を進行中なんですけど、これをしゃべるとネタが割れてしまうなア。
森田 大丈夫ですよ、口語体だから(笑)。
高橋 実は、主人公が十五歳でトルコ風呂のホステスをしてて、性的にはフリーという設定なんですよ。ぼくの現在の基本的な理想像といおうか‥‥。で、必要最低限なことだけしゃべって、そこにいてもらえればなおいいと思うのね。でも、沖さんの場合は女の子じゃなくて女でしょう?
沖 そう、女ですねえ。女の子というと、ちょっとロリコン志向が入るんじゃないですか(笑)。
高橋 そこが問題なんですが、ぼくは最近、年齢を下のほうに置いてしまって、二十一歳以上は原則としてもう女じゃないと限定してるんですよ。つまり、女性は年をとるにつれていろんな部分、生活なり人間的な関係なり、。むにゃらむにゃらの言葉が加わってくるから、悪くなる一方なんだ。
森田 確かに十五、六歳の女の子は魅力的ですよね。実際、ぼくがいまやってる少年少女映画のオーディションでも、男の子より女の子の方が魅力的なんですよね。ぼくらの仲間でもみんな、十五、六歳の女の子が素敵だって言ってるんだけど、それを一概にロリコンだとは言えないんですよね。確かに魅力的な女の子が多いし、概念みたいなものを突き放したようなところで行動しているところがありますからね。
だけど、ぼくとしてはやっぱりセクシーさが備わらないとだめなんだなァ。十五、六歳の女の子がセクシーだなんてぼくは感じないし、制服願望も全然ないんですよね。どっちかっていうと、化粧くさいほうが好きだし、化粧がキマッてるのがキマッてる女みたいな、そういうところが個人的にはありますよね。だから、化粧がうまかったり、ヘアセットがちゃんと整ってる人とか、すてきな香水つけてたり、お酒の飲み方がうまい人というのがキマッてるとぼくは思っちゃうんですよね。すごい単純ですけどね。
沖 でも、ぼくは自分の置かれた状況によって違ってくるな。仕事の忙しいときと暇なときとか、町を歩いてるときでも、欲情に駆られたときとそうでないときでは、もう全く変わりますよ。
高橋 欲情に駆られたときなんて何でもいいんじゃないですか。
沖 それは‥‥でも‥‥言えますね(笑)。
森田 でも、何でもいいということはないと思うな。
沖 あなたはそこまで追い詰められたことがないから(笑)。
高橋 そうですよ、最低の審美感さえ踏み破れます(笑)。
沖 ぼくは思うんだけど、男が本気で女性を選ぶ一番簡単な方法は、女性とセックスした後、ともにいて心地よかったらその人と暮らしても大丈夫。セックスが終った途端に顔見るのもいやになったらよしなさいというのが、根本の定義としてあるね。
高橋 全くぼくも同感です。
森田 ただ、それがセックスの前にわかれば一番いいんですけどね。
沖 そう、わかんないから苦労するの(笑)。
魅力的だと思って口説いても、その後のことは見極めがつかないんです。なってみなきゃわからない。最近の女性はすさまじいってねえ。
高橋 うん、すごいですよ(笑)。
森田 どうすさまじいんだ。
沖 二十歳の後輩がいたんだよ。おまえ、二十歳だろう、盛りだろう、処理はどうしてるって聞いたら、いまは新宿歩いたら女の子が声かけてきますよって言うんだ。
高橋 この後、歩いてみますか。ぼくもついていきますから(笑)。
森田 いやァ、来ないですよ、そう世の中甘いもんじゃない(笑)。

『まず、外見をきっかけにお近づきに‥‥』

森田 ぼくは非常に即物的ですから、決まってるなと思う人はすべて外見ですね。ただ、化粧しようと思うのは単に表面的なことじゃない。どういう色を使うかというのはマインドなんですよね。ぼくはその辺を認めてますから、まず外見をきっかけにしてお近づきになれりゃいい(笑)。女優に対してだって台本を渡すだけですよ、ぼくらがとれる手は。
沖 そんなこというけどさ、この間テレビ見てたら一流大学の建築科か何かにいるやつが、将来何になりたいかって聞かれて、監督です、ええ、ディレクターって言ってたよ。で、何故かっていうと、美しい女優と結婚したいからと言うのよ(笑)。
森田 いやァ、一時的な段階では他の人より女優に近いかも知れないけど、二次的な段階でガッカリすることが多いですからね、監督なんて立場は。要するに、会話が入ってくると今度はマインドが言葉になってくるでしょう。そうすると、また違ってくるんですよね。
高橋 だから、ぼくがさっき言ったように、言葉がないほうがいいんですよ(笑)。
沖 でも、高橋さんの話はカリカチュアしてますからねえ。
高橋 だめです、評論を入れちゃ(笑)。ぼくは最近、外と内の距離があるのは基本的に嫌いになってきたのね。距離の短さがうまくきちんとしてるような子にしか欲情を感じられなくなった(笑)。
森田 女優さんなんかに憧れることはないの?
高橋 憧れはしないけど、若い子だったら好きではあるなァ。
沖 ぼくは女優や歌手ってだめなんですよ。同じ神経ですからね。だから、ライバルとしてか見てませんね。異性としては見られない。
高橋 へえーっ、そんなものかな。
沖 そうですよ、男優というのは非常に女性的‥‥石原裕次郎さんが一生の仕事じゃないというのはその辺にあると思うんだけど、女性的神経が非常に強いられるんですよ。
森田 そうかもしれないね。でも、沖さんは特殊な性格ですからね(笑)。普通は役者だったら、女優にほれるべきだとか言うよね。女優はだめだってあんかなか言えないよ。
沖 神経的にだめなのよ。自分を鏡に映すような部分が見えると、たまらないですよ。話にしたって、同じジャンルの人とは最終的には上司の悪口、同僚の悪口、会社の悪口、不平不満でパーなのよ。それに比べりゃ、きょうは三人とも思考方法が違うから、出てくる言葉の一つをポッとつかんで、スッとしまっといて、後で出そうかな(笑)ってできるでしょう。それが会話のおもしろさなんでね。
高橋 ぼくも考えてるんだ。うちへ帰ったら、きょうつかんだことをドーッと書かなきゃってね。

『新しい面が見えてる女性はいいね』

沖 ぼくが今までキマッてると思ったのは、フランスで電車に乗ってたときなんだけど、前の車両にイングリッド・バーグマンみたいな女がいたの。あんまりきれいなんで追いかけてってね、隣に立って、チラッチラッと見てたら、イングリッド・バーグマンと同じ動きをするんだ。目をちょっとつり上げて、こうやって(上まぶたをパチパチさせて)ピクピクするの。どこでおりるか、どこでおりるかって思ってパーッと後をついていったら、メトロの出口−これが、文化文明が発達した日本の味もそっけもない自動ドアと違って、手であけて閉めるガラスのドアだったんだけど、その彼女がドアをあけたんだ。またパッと閉まるだろうなと思って見てたら、ぼくの前に一人、黒人の労働者がいたわけ。それがまた、背が百五十センチぐらいしかないきったないおっさんなの。向こうはイングリッド・バーグマンだよ。白系の赤髪じゃない。ところが、彼女、そのおっさんがドアに手をかけるまで待っててあげて、パッと手を上げてスッと去った。キマッてたなあ。思わず、キマッたーって言ったもん(笑)。
高橋 その後は追っかけなかったんですか。
沖 もうしばし茫然。ただ、その感触にうっとり(目をうるませて宙を見る)。
森田 劇的ですね。でも、本当ですか。
沖 本当ですよォ。
森田 でも、本当のバーグマンだったら、おそらくあけてやらなかったでしょうね。それをあけたということに落差があって、そこがおもしろいんですよ。フェイントをかけたもんでね。いいですね、そうやって外見と違うというか、こっちが想像してるパターンからちょっと外れた行動をしてくれるというのは、想像力をかき立ててくれるでしょう。
沖 そうの彼女を見て一つおもしろいなと思ったのは、徹底した個人主義が行き着くところには必ずゆとりが生まれるということなのよね。彼女がとった行動はゆとり以外の何物でもないんだよ。それはフランスの長い間に培われた個人主義からきてて、自分が大切で大事だから、人にやさしくするってことなんだ。
高橋 早い話がフランス人ってカッコいいんだよね。昔「スター千一夜」ってテレビ番組があったでしょう。時々外国からいろんな俳優さんが来て出演してたけど、フランスの俳優さんは、これは別人格なのね。
たとえば、一番びっくりしたのは、ミレーユ・ダルク。彼女がまだ新人で、アラン・ドロンと同棲しはじめたぐらいのときだったと思うんだけど、彼女の話し方を聞いていると、文化とか土壌があるんだよね。ホストは、一応日本のそれなりの知性を代表してる監事の人が、ピシッとフランス語なんかしゃべってカッコつけてるんだけど、三ランクぐらい彼女のほうが上なのね。くだらない質問に物すごいシャープな答えが返ってくるわけ。高踏的な内容をしゃべってるんじゃ決してないんだ。でも、会話の一片一片から身ぶりに至るまで、ほとんど完璧。
つまり、簡単に言ってしまえば、AがBで、Cでして、私はそれに対してこう思いましたということをきちんとしゃべれる。これはそれだけで偉大な作品を見ているように実にキマッてましたよ。
森田 ただ、ぼくはその逆もまたキマッてると言っていいと思うんですよね。要するに、全然教養がなくて、生まれた環境、氏素性も知れないような女の人でもいいんじゃないですかね。単に色気しかないというようなね。
さっきから化粧にこだわってますけど、ぼくはその女の人の顔と化粧品メーカーが合ってる人って好きなんですよ。たとえば、小麦色の感じで夏が似合う女の子にはマリー・クワントが合うというと、そのときにマリー・クワントをちゃんとつけてる人が好きなんですよ、ヘレナ・ルビンシュタインじゃなくてね。
沖 メナードでもないと(笑)。
森田 そう、もちろんぼくは、それがマリー・クワントかとうかわからないですよ。だけど、それらしい皮膚をして、それらしい色をしてにおいがするから、そうじゃないかと思うと、そうだったりするんですよね。これは全く個人的なもので、キマり方の最大公約数なんてわかんないですもんね。
高橋 ぼくはだから、さっき言ったような話で、年齢の低下プラスしゃべらない、タイプとしてはネコ型に変わってきましたね。ニャンとかいって、横にすり寄る(笑)。いいですねえ。
沖 ぼくが言ったのは瞬間のときなのね。で、森田さんは相手の女性がどんな女かということを言い、状況を高橋さんが言ったわけね。つまり、ぼくが点、森田さんが面、高橋さんが立体なのよね。いま話してることを説明すると。
高橋 ねえ、沖さん、評論やらない?(笑)。
森田 やったほうがいいんじゃないの。
高橋 ぼく理解者いなくて困ってるから、沖さんにほめてもらおうかな。
森田 これだけの感性を役に生かせないところがつらいね(笑)。監督がいないんだ。
沖 もう一つぼくの点を言っていい?前に一竹辻が花を着てる女とつき合ったことがあるんですね。それも右前に着て、たびをはかずに、京都のヒノキの一枚板のお盆に京菓子と抹茶を、いつも三時になると運んでくる女でね。その女が一番キマッてたのは、ご飯をミネラル・ウォーターで炊いた(笑)。
高橋 わりと細かいことにこだわる人ね。
沖 でも、ちょっとひっかかるよ、ミネラル・ウォーターで炊かれたらね。
森田 ひっかかるよ。でも、わかるな。
沖 とぐのもミネラル・ウォーターだからすごかったよ。スリーケースぐらい常に台所にあったもん、おれは気に入ったね、これはキマッたと思ったよ。
森田 ぼくはそんな特異体験ってないな。
高橋 沖さんの点的なこととは別に、ぼくは新しい面が絶えず見えてる女性がいいね。最近、快楽主義的傾向が日々に増してきたようで、変化がない人ってだめなんだ。

『童貞を失ったとき男は最も成長するんだ』

沖 ところでさ、ぼくは男にとって自分を成長させてくれたなと思う一番の女性って、これは間違いなく童貞を失った女性だと思うんだけど、どうかな。
森田 そのとおり。
高橋 違います。ぼくは、初めてキスした人です(笑)。いまでも感謝してるんだ。
沖 あまのじゃくだね、高橋さんは(笑)。
でも、ぼくは何といっても童貞を失った人ですよ、衝撃的だったのは。
森田 ぼくは童貞を失った人はあんまり衝撃的ではなかったけど、一つの肉体的な歴史としてはあったね。
高橋 ぼくのキスは十二才のときで女の子も同じ年だったんだけど、それはキマッてたね。何しろ人生観が変わりましたよ。
沖 キスしきゃない(笑)。
森田 ぼくの思い出といえば、忘れもしない十五歳のとき、当時のぼくは流行歌というか歌謡曲みたいなのばっかり聴いてたんですが、あの女性が−十歳以上年上の女性だったんですけど−そのときマイルス・デイビスのレコードを貸してくれたんです。何てカッコイイレコードを教えてくれたんだろうと、それがかなり刺激になって、いまのぼくの音楽志向のすごいメーンストリームになってますよね。モダンジャズが好きなのもそうだし、たとえば、ライブスポットとか、そこに来る女の人とか、香水のにおいとか、そういうすべてのものを十五歳のときに育んでくれたというね、きっかけを。
だから、ぼくはお酒飲めないわりには、カウンターで二人でジャズを聴きながら話せる女の人っていうのは好きですね。まずいな、本音言っちゃった(笑)。
高橋 じゃ、森田さんにとってキマッてる女は、お酒飲めなくてもいい、カウンターで一緒にジャズを聴ける女!
森田 そう、その後ホテルに行ってくれれば、もっと決まる(笑)。ぼくは女のキメ方というのはアフターアワーズで判断したい。すべて接し方ですよ。
高橋 やっぱり自分の志向の中で合う人がいいよね。
沖 本当に仕事場できゅうきゅうとしてるときに、異性を意識することはないですよ。それは仕事として真剣にやって、人間として一番大切な、まじめに日々一生懸命生きてるかという根源に属することだからさ、まじめに仕事をしてるときに、たとえば、ある人はスッとお茶を出した、そしてまた別のある人はしなだれかかってお茶を出したとすると、しなだれかかるのが女として感じたから、というふうなことじゃ、ぼくはいけないと思うんだ。
仕事と私生活のけじめは非常にむずかしいけれども、たとえばタクシーに乗ったときにふっと香水のにおいにほろっときたというのはわかるよ。でも、本当のビジネスの場でデンとぶつかってくるときに香水のにおいがしたからって、あ、いい女だなんて、それは感じないですよ。
森田 それは感じないな。ただ、ぼくなんか目が悪いから、香りから女性に入っていくときもままありますけどね。
高橋 ぼくも相当目が悪いから、それはよくわかるな。
沖 ただ、仕事という場所にそういうものを余り持ち込んじゃいけないんだね。だから、ぼくは仕事を離れた所で、自分も男としてもとに戻ったときに初めて、異性を意識するもんじゃないのかしら。
高橋 ぼくも仕事を集中してやってるときは女の子は邪魔だね、気が散るから。二つのことを一緒にはできないよね。
森田 総括らしいことを言いますと、デューク・エリントンの曲で、「ソフィスティケーテッド・レディ」というのがあるんですよ。まあ、洗練された女の人というあれね、それも言いかえれば、キマッてる人ですよね。その歌詞の中に、“スモーキング、ドリンキング、ネバー、スインギング”というのがあるんですよね。女の人が、たとえば失恋したにせよ、人生に対して失望したにせよ、何かとまどったときに、たばこも吸って、お酒も飲んで、何も考えたくないっていう、そういうときに出会えたら、男としてうれしいし、自分を必要としてほしいよね。そんなときの男と女ってお互いキマッてるなって思うよ、ぼくはやさしくしてあげたいなと思いますよね。
沖 お腹のふくらんだ女の人が編物しながら子守唄を歌ってるときもキマッてる(笑)。
ぼくなんかさ、逆に女から見たキマッた男って考えると、いろんな条件もあると思うけど、簡単にいえば、セックスが終わるだろう、パーッと万札を十枚、ポンとテーブルに置いて、パッと部屋を出たときだ(笑)。
森田 ぼくはたばこを吸ったり、酒を飲んだり、もうすべてのことを忘れたいと思ったときに、自分はカッコつけるとかキマるとか、そんなことじゃなくて、もうなりふり構わない、全部をさらけ出せる男、それがキマッてると思うよ、ほんとに。
高橋 ぼくは、大体いつもキマッてるから、他人のことは気にしない(笑)。
沖 キマるということは人間にとっていやなことなのよ。キメることはとても勇気のいることなんだ。この人いい女、この人悪い女というように言うのはいやなことですよ。
森田 そうです。ランダムでいいんですよ、乱数で。乱数の時代なんだからね。


最後となった会報の挨拶文の中で沖さんはこの対談について
「たまには違うジャンルの人とああやった話す場を持つことも刺激になっていいです。かなり地を出して話しちゃった‥‥という感じですが、どうでしょうか。終了後、記者の人に『評論家になったら?』なんて言われてにが笑い‥‥でした」
と書いている。
俳優としてではなく知識人の一人として招かれているこの対談だが、気になる言葉が随所にちりばめられている。
これが発表されてすぐに、沖さんが還らぬ人となったことに違和感をおぼえるのは、沖さんが珍しく殻を半分ぐらい脱ぎ捨てて話しているからかも知れない。もちろん主張に一貫性がない部分はあるが、それがかえって沖雅也という人のリアリティーを感じさせる。ここまで明るく理路整然と話せるところまで沖さんは回復していたのだと当時はほっと胸をなでおろしながら読んだものだが、回復期こそ気をつけなくてはいけないことなど、当時の私は知る由もなかった。

「母である前に妻であることをしっかりと踏まえて生きている人、娘−妻−母を完璧に生き抜いた人」「仕事として真剣にやって、人間として一番大切な、まじめに日々一生懸命生きてるかという根源に属する」等の言葉や、女の子の方から声をかけてくることを「すさまじい」と表現してしまう真面目で古風な九州男児な面が見え隠れするのは楽しいが、「木内みどりのちょっと夜遊び」でも語っていたパリの地下鉄でのエピソードなどは、個人的には反論したい部分もある。自動ドアが少ない欧米では、次の人が来るまでドアに手をかけて待つのは常識であり、イングリッド・バーグマンであろうが黒人のきったないおっさんであろうがそれは普通のマナーなので、個人主義とかゆとりということではなく、文化の違いではないだろうか。沖さんはきっと、私が後ろに立っていてもドアを押さえて待ってくれたりはしないんだろうなあと、ちょっと悲しくなった。

「自分が大切で大事だから、人にやさしくする」という解釈も沖さんらしいといえば沖さんらしくはあるが、人に優しくするという行為は、自分が大切で大事であることとは関係なくすることもあるのと思うのだが、そんな風にしか思えない沖さんに、ちょっと落胆したことも憶えている。
女優さんは「ライバルとしてか見てませんね。異性としては見られない」という意見は面白い。
これは失敗経験があるから言えることなのだとは思うが(笑)、俳優という仕事は女性的神経が強いられると感じていたことなどを、石原裕次郎さんのお名前を出して語っているのも、石原氏への憧れからなのだろうか。
森田氏に「これだけの感性を役に生かせないところがつらいね」といわしめる文化人らしい意見をちりばめながら、男がキマッてるのは「セックスが終わるだろう、パーッと万札を十枚、ポンとテーブルに置いて、パッと部屋を出たときだ」と、とんでもない地雷を踏んでいるのも、今となっては笑ってみられるエピソードのひとつだが、当時は『それって恋じゃないよね』と多少ムカつきながら独り言を言ったものだった。

タイトルや文中に何度も出て来る「キマッてる」という言葉は、当時千葉真一氏が「キマッてるね、千葉ちゃん!」と言われている車のCMが流行になったことから出たものだが、2006年の今だったら、さしずめ「イケてる」だろうか?


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