はじめに はじめに
年表

1952年6月12日 誕生

1968年1月5日 家出・上京

ラーメン屋、菓子の配達助手を経てゲイバー勤務、日景忠男氏と出会う

1968年12月13日 日活映画「ある少女の告白・純潔」でデビュー

1970年 「犬と麻ちゃん」でテレビデビュー

1971年 「クラスメート」「さぼてんとマシュマロ」で人気が出る

1975年4月23日 実父逝去

1975年5月 日景忠男氏の養子となる

1981年4月11日午前9時45分頃
東名高速道路都夫良野トンネル先にて道路中央のコンクリート側壁に接触そのまま約150メートル暴走、横転
本人の説によれば、その日収録のあるラジオドラマ「ルパン&ホームズ」のアテレコの台本を読んでいたが、何が書いてあるか理解出来ないほど頭が疲れていたので、気分転換にドライブに出かけたとのこと
両足首捻挫程度で済んだのが不思議なほど愛車キャディラックの傷みはひどかった
近くの病院で怪我の手当てをした後、躁鬱病と診断され、精神科に二週間入院
抑うつ剤の副作用で肥満、肝臓障害、低血圧などに悩まされる
レギュラー出演中だった「太陽にほえろ!」「闇を斬れ」を休み、アメリカ旅行へ

1982年1月29日 スコッチ刑事殉職の形で「太陽にほえろ!」から去る

1982年11月21日夜 ジョギングを終えてシャワーを浴びていたところで昏倒
本人の弁によれば、心臓をわしづかみにされて引っ張られ、ぱっと離されたような痛みを感じたとのこと
たまたま下の階に漏水したため人が来て、救急車を呼ぶ
心臓には異常がなく、胆石がみつかる
この入院で、熱望していたつかこうへい氏演出のテレビドラマ「つか版忠臣蔵」を降板
インタビューに答え「今度あったら駄目かもよ〜」と発言

1983年5月 「二時のワイドショー」にて自宅を公開、「これが最後です」と発言

1983年6月25日 大阪にて舞台のCM撮りとファンの集いを終えて帰京
夜、契約していた女性を自宅に呼ぶ
同深夜、その女性と新宿京王プラザホテルにチェック・イン

6月26日午後5時頃 女性紹介サービスに電話をして複数の女性を呼ぶ
うち一人はその後数回ホテルに来る

6月28日午前4時40分頃 女性がホテルから帰る

6月28日午前5時 本館47階非常バルコニーより飛び降り自殺


その後

・養父である日景忠男氏との出会いがゲイバーであったことが発覚、同性愛の破局の末の自殺ではないかと憶測される
・保険金を巡って実母との確執が伝えられる
・日景氏と実母がインタビューで舌戦を繰り広げる
・ホテルに呼んだ女性たちやゲイバー時代の知人の証言が毎週のように週刊誌のトップ記事を飾る
・殺人事件の参考人として警察に呼ばれた、などのデマ記事も出る
だが、どの記事も躁鬱病についての詳しい説明はなく、「ノイローゼ」や「ストレス」という言葉が使われた
当時は世間は心の病に対する認識が浅く、躁鬱病は単なるうつ病とは症状が似ているものの病気としては違うものであることや、鬱から脱出しかかった時期が自殺の危険性があることについてを説明した記事は、ほんの僅かだった


ホテルに遺された遺書

今・・・・
プラザホテルさまへ 大変申し
分けなく、おゆるし下さいませ。
つかこうへい様 あなたの名
つかを使いし僕を ゆるせるもの
ならおゆるし下さい。
人は病む。いつかは老いる。
死を免れることはできない。
若さも、健康も生きていることも
どんな意味があうるというのか。
人間が生きていることは、結局何かを
求めていることにほかならない。
老いと病と死とを超えた人間の苦悩の
すべてを離れた境地を求めることが
正しいものを求めることと思うが、
今の私は、誤ったものの方を求めている者

(裏面下)
おやじ 涅槃でまってる

沖雅也


*管理人注)『人は病む』以降の文は、ホテル備え付けの仏教聖典からの引用


自宅に残された遺書(記入時期不明、密葬の二日後に遺品の中から発見される)

遺書
私は生きる気力を失い 苦しさに負け
死を選びます。
私の死は、私自身の人間としての問題で
有り、沖雅也としてでなく 日景城児と
して、死んでいきます。

日景家一同様、名を汚して申しわけ
ありません。許してください。

日景忠男殿 あなたにうけたあたたかい思い
やり、身にしみて感じておりました
十五年 大変お世話になりました
楽しい日々でした。お元気で 有りがとう


(改行そのまま)

翌日の報道から

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