文玉珠さんの証言

ほとんどの慰安婦は60年以上も前前のことであり、どこの部隊に所属をしたのかも定かではないのですが、文玉珠の証言はある程度、裏が取れています。それも米軍の公文書で、彼女は釜山港から南方に向かったのは1942年7月10日と言っているが、以下の日付を見てください。裏がきっちりと取れています。

以下引用

朝鮮軍司令部は、日本陸軍のあらゆる司令部宛ての書面を彼に渡したが、それは、輸送、食料の支給、医療など、彼が必要とするかもしれない全ての援助を差し伸べるよう、各司令部に要請するものであった。  M739とその妻は、料理店の経営をその 義姉(妹)に委ねたうえ、1942年7月10日、 買い受けた女性22名を引き連れ、703人(すべて朝鮮人)と90名ほどの日本人男女(ほかならぬ彼と同じように人格低俗な連中)の一行で釜山を出航した。彼らは、7隻の護送船団を組み、4000トンの客船で航行した。無料の渡航券が軍司令部から提供されたが、渡航中の全ての食事の代金はこの捕虜が払った。 吉見著「従軍慰安婦資料集」P458 

そして彼女がいた部隊は「私はタテ8400部隊の軍属だった」と言ってます。その部隊は楯師団、第55師団のことで善通寺師団管区で編成され、楯第8400部隊というのは楯第55師団の師団司令部のことである。

つまり、彼女を連行した日、相手がわかり、彼女がいた部隊もわかり、それだけ彼女の証言の信憑性は高いのです。

つまりもしも軍の身の上が潔白であると言いたいのならば、当時の法で求められていた文さんの直筆の署名が入った同意書である慰安婦名簿を善通寺楯55師団が提出しないといけないのです。ところが国はこうした書類を提出できません。だから彼女達の証言を認めざるを得なくなったのです。