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霊台橋
一村一博著
(熊日H23年刊)

  

新楊貴妃伝
田中知啓著
(自由塾H25年刊)


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  押戸石の丘   

  
一村一博(自由塾研究員)     入口紀男(熊本大学名誉教授)
Email: media@cc.kumamoto-u.ac.jp

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要約

  熊本県阿蘇郡南小国(みなみおぐに)町に「押戸石(押戸ノ石、おしといし、おしとのいし、おしどいし)」と呼ばれる巨石群の丘がある。
  この丘は阿蘇が造った自然の美しい造形である。遠くの景観も美しい。
  巨石群は、人工的に配置された列石遺構(ストン・サークル)ではない。
  多くの巨石に自然な亀裂や落雷痕、浸食模様は見られるが、約4,000年前のシュメル文字などのペトログラフ(岩刻文字)はどこにも刻まれていない。


map


Google 地図 (Google.com)の 押戸石の丘
所在地と石群の航空写真を表示 (クリック ↑)



写真1


【図 1】押戸石の巨石群
周囲が15メートルを超えるものもある。
 


【趣旨】

  熊本県阿蘇郡南小国(みなみおぐに)町の森の奥に「押戸石(押戸石、おしとのいし、おしどいし)」の丘(標高845メートル)がある。この丘の頂上付近にその巨石群がある。「鬼あるいはおしと(おしひと、巨人)が夜な夜ないしなご(お手玉)をして遊んだ」という言い伝えがある。最大の石は「太陽石」と呼ばれ、周囲が約15.3メートルである。この丘の巨石群は、その巨石の配置が直線状に並ぶなど、大変美しい。【図 1】と【図 2】などがその写真である。
  南小国町は、押戸石について日本ペトログラフ(岩刻文字)協会(任意団体)会長の吉田信啓に「認定」されたことを根拠として、同町の町づくり課は公設のホームページで「巨石に古代文字(ペトログラフ)が発見された」と表示しているようである。また、同町の教育委員会は現地に看板を立てて「大岩に約4,000年前のシュメール文字がペトログラフ(岩刻文字)として刻まれている」と公表しているようである。
  しかし、その吉田信啓とは、著書『奇跡のペトログラフパワー』(たま出版1995年)や『ペトログラフ岩に込められた原初宇宙パワーが難病を癒す』(たま出版2001年)などでも、科学的な根拠もないのに「古代の岩の不思議なパワーで胃ガンが消えた」、「恋の病に効く」などと称してきた人物である。阿蘇の山奥で過疎に悩む南小国町や周囲の団体が吉田信啓の人の気を引くためのウソにすがりつくことは自由であろうが、一方で、我われはこの地を遠方から善意で訪れてくれる観光客や子供たちに対して真実を伝えなければならないであろう。
  以下、押戸石の丘の巨石群が人工的に配置された列石遺構(ストン・サークル)であるかどうか、本当に古代人のペトログラフ(岩刻文字)が刻まれているかどうかについて検証し、明らかにする。

【所在地】

  押戸石の丘は、熊本県阿蘇郡南小国町大字中原地区にある。
写真2


【図 2】直線状に並ぶ巨石群



  阿蘇のカルデラの中を東西に走る国道57号線から国道212号線に入る。約10キロメートル北上すると、標高936メートルの「大観峰(だいかんぼう)」の近くに至る。そこからさらに6キロメートル北上して左折し、南小国のマゼノミステリーロードを西へ約2キロメートル進むと、阿蘇郡南小国町大字中原地区のマゼノ渓谷のあたりの左手に押戸石へ向かう小道が見える。車一台がやっと進める細い山道である。1.5キロメートルほど進むと小さな広場で行き止まる。右の背後に見える小高い山が押戸石の丘である。
  押戸石の丘は、車止めのふもとから普通に歩いて登れる距離にある。登り始めてやがて数分で押戸石の巨石群が見え始める。

【周囲の景観は美しい】

  この丘から遠くにひろがる360度のパノラマは、まさに絶景である。北東の遠くに標高1,791メートルの九重中岳や1,787メートルの九重山、またその西側に「小国富士」としてそびえる湧蓋山(わいたさん)、南の遠くに阿蘇の外輪山や根子岳が望まれ、本当に美しい。近くにはマゼノ渓谷があり、一枚岩の上を清流が流れ、中原川の源流となっている。

写真3


【図 3】各巨石の層理はおよそ一致する。 



【人工的に配置されていない自然の造形である】

「阿蘇火山」とは、現在も噴火を続ける中岳だけでなく、広大なカルデラと外輪山を含む全体の総称である。過去30万年の間に4回の巨大噴火を起こしている。特に約9万年前の最後(第4回目)の巨大噴火は最大規模であり、それによって現在に近いカルデラが形成された。阿蘇火山の噴火は、より古くは豊後(ぶんご)火山活動といって、主に現在の阿蘇の東側で粘度の高い流紋岩(りゅうもんがん)という岩質のマグマを放出していた。更に古くは豊肥(ほうひ)火山活動といって国東半島から島原半島までの広い地域で主に安山岩(あんざんがん)という岩質のマグマを放出していた。豊後火山活動と豊肥火山活動は総称して先阿蘇(せんあそ)火山活動と呼ばれる。
  現在の外輪山と、カルデラを見下ろす大観峰など、その周辺に露出して見られる岩石は、主に先阿蘇火山活動でできた安山岩と、その後のカルデラ噴火によって堆積した凝灰岩あるいは溶結凝灰岩でできている。安山岩の多くは、典型的にはおよそ84万年前のものと推定されている。凝灰岩とは、火山灰が堆積して加圧と結晶の析出によってゆっくりとできた岩石のことである。溶結凝灰岩とは、火山灰が地上に降下したときに高熱と加圧によってできた岩石のことである。約9万年前の最後の巨大噴火のとき、火山灰は朝鮮半島・北海道・サハリンに達した。そのとき溶結凝灰岩に覆われた地域は、溶岩台地となって現在も九州の半分に広く分布している。
  押戸石の巨石群も、前記先阿蘇火山活動で放出された安山岩でできている。安山岩のマグマはやや粘度が高く、溶岩流は層状にゆっくりと流れたものと考えられる。安山岩も、班晶(はんしょう)と石基(せっき)からなっている。班晶とはマグマが冷える前に既に結晶となっていたもので、石基とは班晶の間を埋めるガラス質などの成分である。安山岩は、二酸化珪素の含有量が53~63パーセントのものをいい、多くは灰色である。火山岩には、これより二酸化珪素が少なくてやや黒っぽい玄武岩(げんぶがん)やこれより二酸化珪素が多くてやや白っぽい流紋岩(りゅうもんがん)もある。押戸石の岩石はその中間の安山岩であり、斑晶および石基として、角閃石(かくせんせき)、輝石、酸化鉄(磁鉄鉱)及び斜長石を含んでいる。
  先阿蘇火山活動でできた安山岩の広大な台地は、その後のカルデラ噴火によって凝灰岩や溶結凝灰岩に広く覆われたが、凝灰岩や溶結凝灰岩は、安山岩よりも早く風化侵食されやすく、礫、砂、泥などの粒子となり、南小国を含む九州中央部の広範囲にわたって現在の豊かな地表を形成している。
  押戸石の丘の巨石群も、安山岩のマグマがゆっくりと流れてできたものである。広大な安山岩の台地は、その上に凝灰岩や溶結凝灰岩が堆積したが、押戸石の巨石群は、造山活動に伴う強大な褶曲作用によって岩盤が傾いたり、強く押し上げられるなどして割れ目を生じ、凝灰岩や溶結凝灰岩が早く風化侵食されて行く中で、地下の比較的硬質の安山岩がその姿を地表に現わしたものである。岩盤が褶曲作用の局所的な力によって山上で一直線状に割れると、地中の安山岩の層はその割れ目に沿って直線状に近い形で露出する。また、岩盤が大規模に割れるとき一点で鋭く押し上げられたり陥没したりすると、地中の安山岩はその一点の周囲に露出したり、あるいはそのとき環状に近い形となる。押戸石の巨石群は、そのようにして比較的硬質の安山岩が風化浸食の中でその姿を現在に残したものである。
  押戸石の巨石群は、いずれの巨石も安山岩の層(レイヤー)の構造(層理)が詳細に見て取れる。その層理は比較的に規則正しく、これはマグマの流れがゆっくりと冷えて層状構造をなしたものである。【図 3】に示すように、直線状に並ぶ巨石群はレイヤー面の方向がいずれの巨石もおよそ一致している。これも、地中の安山岩が岩盤の割れ目に沿って直線状に地表に露出し、風化浸食の中でその姿を現在に残したためである。
  以上申し述べたように、この巨石群は、造山活動に伴う褶曲作用の強大な力によって地中の安山岩の層が直線状に近い形状で地表に露出され、あるいは局所的には環状に近い形状で地表に露出され、長い年月をかけて風化浸食されてその姿を現在に残したものである。人工的に作られたものでなく、造山運動の力によって自然に作られたものである
  押戸石の巨石群について、これを人工的な環状列石遺構(ストン・サークル)とする科学的な根拠は存在しない。仮に人工的であると証明するには、たとえば英国の「ストーンヘンジ」のように、「自然には配置され得ないこと」が科学的に証明されなければならないからである。人の気を引くためにどのように恣意的な結論を先に述べても、それは科学ではない。押戸石を先史時代の人々が祭祀の対象とし得たことは想像もできようが、それとて人工的に配置されたことの根拠とはならないので、先史時代の巨石文化遺跡とは異なる。ユネスコや、アメリカやカナダの学会が、この巨石群があたかも先史時代の巨石文化遺跡であるかのように認証した事実はない。ニューヨーク州立大学にライル・ボルストという原子炉物理学者は在籍していたが(Lyle B. Borst 1912生‐2002没)、その原子炉物理学者も、この巨石群についてあたかも人工的に配置された遺構であるなどと確認したかのような論文を何ら残してはいない。我われは、人の気を引くためにそのような事実はないのに実際あるかのように作りあげて、この地を遠方から善意で訪れてくれる観光客や子供たちを欺いてはならないであろう。
  この巨石群は、前述したように、阿蘇が造った自然の造形である。人工的に配置されたものではない。それだけで世界に誇り得る美しい観光資源である。

【古代人のペトログラフ(岩刻文字)は刻まれていない】

  結論を先に言うと、この押戸石の巨石群には無数の亀裂や浸食痕が見られるが、 古代のペトログラフ(岩刻文字)は刻まれていない。
  一般に文字は絵文字から発展したものと信じられているが、世界で最初に文字が発明されたメソポタミアでは事情はやや異なっていた。今から約6,000年前の古代メソポタミアには「トークン」(token)と呼ばれる1~3センチの硬い粘土片があった。


約4,000年前のシュメル文字とは

ワイン  karanu (ワイン) 
リング  unqu (指輪) 
南小国


みなみおぐにまち
(現代の日本語を楔形文字で記したもの)


【図 4】シュメル文字はどの巨石にも刻まれていない。


  トークンは一定の形をした印鑑のようなもので、それを柔らかい粘土板に押し付けると文字ができる。粘土はメソポタミア地方で豊富に採れた。そのようにして古代メソポタミアではトークンが文明の記録を担っていた。その形をまねて柔らかい粘土板に刻んだものが絵文字に近い「古拙(こせつ)ウルク文字」であった。古拙ウルク文字が使われたのは今から約5,200年前のことであった。
  葦の硬い茎を削って先端を柔らかい粘土板に斜めに押し付けると、その跡の一つひとつはくさび(楔)の形になる。シュメル人によってその楔形を用いて今から約4,700年前に「楔形文字(せっけいもじ)」が発明された(【図 4】)。くさび(楔)の形をした一つ一つの要素は、漢字の画(かく)に当たる。楔形文字の方が古拙ウルク文字よりも書くのにはるかに容易であった。当時の楔形文字は約600文字しかなく(現代日本の漢字の数よりも少なくて)学びやすく、そのようにして今から約4,400年前のシュメルの都市国家では、完成した楔形文字が使われていた。シュメルの楔形文字は、約4,300年前にオリエント世界の共通文字として使われるようになり、パレスチナや遠くエジプトにまで広まった。シュメルには楔形文字の読み書きなどを教える学校や図書館もあった。楔形文字は日本語によく似ていて、漢字のように意味を表す表意文字や、かなのように発音を表す表音文字もある。漢字かな交じりのように混ぜて用いられた。音読みと訓読みがあって送りがなもふられた。シュメルはウル第3王朝(BC 2,113-BC 2,006)の興隆期を最後に滅亡した。今から約4,000年前のことであった。

写真5


【図 5】「鏡石」にも浸食痕が多い。 



  この押戸石の巨石群には自然な亀裂や落雷痕、浸食模様は見られるが、約4,000年前の時代のシュメルの楔形文字などが、最大の巨石を含めて、人工的に刻まれた箇所はどこにも存在しない。

写真6


【図 6】「鏡石」の浸食痕(例)の位置 



  「鏡石」と呼ばれる巨石の西南面に、牛の頭部の絵模様のような自然の浸食痕がある。 その浸食痕も古代人が彫った絵文字ではない。写真【図 5】と【図 6】、【図 7】がその巨石である。 その牛の頭部のような浸食痕のすぐ傍に蛇のような浸食痕がある。その浸食痕も古代人が彫った絵文字ではない。 【図 6】の写真はその位置を特定するための写真である。それらの模様は【図 7】の写真に拡大して示すように、深さや幅が一定しておらず、風化も激しく、岩石の脆弱な部分が侵食されて一時的にできた痕跡でしかない。
  我われは、これらの一時的な浸食痕がたとえ古代の絵文字などに似ていたとしても、「巨石に古代文字がペトログラフ(岩刻文字)として刻まれている」などと詐称して、この地を善意で訪れてくれる観光客や子どもたちを欺いてはならないであろう。
  それらの浸食痕もこれから数年の単位で更に侵食され、変化していくであろう。【図 7】は2007年9月に撮影した写真であるが、毎年変化しており、現在はさらに変化していることが衆目に確認されるであろう。


写真7


【図 7】「鏡石」の浸食痕(例)
(2007年9月撮影)
 


  押戸石の巨石群は風化侵食作用によって表面はぼろぼろに粗く、脆弱である。いずれの巨岩も1,000年を超えて現在の形を正確にとどめるものではなさそうである。


写真8


【図 8】安山岩のかけらが無数に散らばる。 


  特に表面に近い部分は明らかにもろくて風化が早い。表面には、亀裂や、酸性雨による酸化や溶解、暴風雨、乾燥、夏の強い日照り、紫外線、吹雪、0℃以下の氷結による急激な体積の膨張と破砕、日中の解凍、砂塵、日夜と夏冬の激しい温度差、頻繁な落雷などによって無数の浸食模様がある。それらの侵食摸様は、とても100年にわたってその形を正確にとどめるものでないと思われる。
  押戸石の巨石群の周辺には、【図 8】の写真に示すように安山岩が壊れたかけらが無数に散らばり、埋もれている。それらは、おそらくある時期までは一定の形状の巨石をなしていたであろう。それらのかけらを幾つか拾い上げてみると、岩石というにはややもろく、指で壊れることがあり、また両手で持って打つとたやすく破砕されてしまう。自然の力は、これを恐るべし。仮にこの丘全体が風雨によって 1 年間にわずか 5 ミリずつ侵食されるとしても、4,000年の間には20メートルも侵食されてしまう。  

写真9


【図 9】(引用写真)
吉田信啓著『ペトログラフ・ハンドブック』
(中央アート出版社)1994年初刊
 

  前記した日本ペトログラフ協会の会長吉田信啓著『ペトログラフ・ハンドブック』(中央アート出版社) は1994年の初刊である。その中に押戸石巨石群について「(ケルトの)ベル神と弓を持つ人像」(引用写真【図 9】)が紹介されている。しかし、2007年にその現物である巨岩を微に入り細にわたって調べてみても、【図 10】の写真に示すように、風化によってもうかすかにしか存在していない。わずか10年程度の侵食作用によって殆ど消えてしまったのである。

写真10


【図 10】吉田信啓の「ベル神と弓を持つ人像」は
風化されて2007年にはほとんど消失している。
 



  以上申し述べたように、押戸石の丘にペトログラフ(岩刻文字)は刻まれていない。



【巨石は落雷で着磁している】

  巨石の一つに「祭壇石」と呼ばれる岩がある(【図 11】)。「太陽石」と呼ばれる最大の石もそうであるが、ほとんどの岩は強く磁化されている。太陽石も祭壇石も表面に幾つものくぼみがあり、幾つもの亀裂が走る。方位磁石を表面に近づけると、場所によって磁針の振れが大きく変化する。それも決して神がかりな「磁気異常」などということではない。
  これらの石は、安山岩として比較的多くの酸化鉄(磁鉄鉱)を含み、強い磁性とやや導電性がある。このように高台に露出した岩石は避雷針のように落雷を受けやすく、落雷による亀裂模様が刻まれたり磁化したりして当然である。


写真11


【図 11】落雷によって着磁した岩石 


  これらの石は、この丘の上で幾度となく落雷を受け、地中の正電荷がこの石から空中の負電荷に向けて大電流となって放たれることを繰り返したものである。表面の多くのくぼみや側面の多くの亀裂はその痕跡である。また、落雷時の大電流の周りにはアンペアの右ねじの法則にしたがって強大な磁界が出現したはずであり、酸化鉄の成分は、加熱された状態からキュリー点(磁化変性温度)を通過して冷却されるときに、磁化の方向が固定され、その結果、表面に磁気的なまだら模様ができたものと考えられる。

【最後に】

  南小国町の町づくり課が公設のホームページで「巨石に古代文字(ペトログラフ)が発見された」と表示する内容も、南小国町の教育委員会が現地に看板を立てて「大岩に約4,000年前のシュメール文字がペトログラフ(岩刻文字)として刻まれている」と公表する内容も、いずれも人の気を引くためのウソである。この地を善意で訪れてくれる観光客や子どもたちは、そのような南小国町の町づくり課や教育委員会の手から守られなければならないであろう。
  地域の夢とロマンは大切にされなければならないが、せっかくの夢とロマンも、事実はないのに「町おこしや周囲の団体の利権に都合が良いから」という理由で、実際あるかのように事実として作りあげて公表されると、これまで申し述べた通り科学的な調査と証拠によって否定されてしまう。この押戸石の丘は、そのようなウソによって「汚損」されたり「偽装」されたりしてはならないであろう。
  世界の至る所に本物のペトログラフ(岩刻文字)は存在するが、この押戸石の丘に古代文字(ペトログラフ)は刻まれていない。世界の至る所に本物の人工の環状列石(ストン・サークル)は存在するが、この押戸石の丘の巨石群は先史時代の巨石文化遺跡ではない。しかしながら、この巨石群は、阿蘇の豊かな、そして過酷な自然がつくった美しい造形である。遠くにひろがる景観も本当に美しい。ただそれだけで世界に誇り得る優れた観光資源である。


結論

  1. 熊本県阿蘇郡南小国(みなみおぐに)町の森の奥に「押戸石」と呼ばれる巨石群の丘がある。
  2. 巨石群は、人工的に配置された列石遺構(ストン・サークル)ではない。
  3. 自然な亀裂や落雷痕、浸食模様は見られるが、4,000年前のシュメル文字などのペトログラフ(岩刻文字)はどこにも刻まれていない。
  4. 巨石群は落雷で至るところ着磁しており、それも神がかりな「磁気異常」などということではない。
  5. この丘は、阿蘇の豊かな、そして過酷な自然がつくった美しい造形である。遠くにひろがる景観も本当に美しい。ただそれだけで世界に誇り得る優れた観光資源である。


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