
想い出のクラブ。
★日興證券女子サッカー部ドリームレディース★
画像は97年ごろの日興證券ドリームレディースの試合前の記念撮影だと思います。Lの得点王だった、リンダ・メダレン選手や、アグネッテ・カールセン選手、ハイジ・ストール選手、そして当時の日本女子代表だった、大松真由美選手、山木理恵選手(現:大原学園)、大部由美選手(現:YKKAP)、そして日興の黄金時代を支えた武岡イネス恵美子選手、森本鶴選手、虎見ユリ選手、西貝尚子選手の姿も見えます。
日興證券は、元々強いチームではありませんでしたが、日産FCの廃部撤退にともなって日産からも日本人選手を獲得、そして北欧の外人選手を多く擁して一気に強くなって行きました。これほど短期間に強くなってリーグを席巻したチームは他に無いかも知れません。
もちろん、外国人選手がいることで周りの日本人選手たちもその動きについて行こうと自然と運動量も、また実力や経験もアップしていったと思います。
ですから強かった頃は、日本代表にも多く選手が選出されていました。外人によって強くなって、チーム力も高まったというイメージでしょうか。
ただ、非常に残念な事に、強かった日興証券が突然の廃部になってしまったのはリーグにとっても大きな損失でした。リーグの優勝争いをするチームでさえ、証券不況と言う「お家事情」でチームをたたまざる得なかった現実はファンにとっても大きな失望につながりました。
大部選手は、昔から美形DFとして有名で試合後には、サイン攻めにあっていましたっけ。今でも現役で頑張っている日興證券DLの数少ないOGですね。
★プリマハムFCくの一★
2000年の全日本女子サッカー選手権の時でしょうか、山郷のぞみ選手(現:さいたまレイナス、日本代表)や、森本ゆう子選手、山岸靖代選手(現:伊賀FC、日本代表)、東明有美選手(当時日本代表)、内山環選手、(当時日本代表)、仁科賀恵選手(当時日本代表)など、懐かしい顔ぶれが見えます。
この当時外国人はいなくなりましたが、それでもプリマハムは、優勝候補の筆頭であり、リーグでも、全日本でも常に上位進出をしていました。
右の画像では、三井ともみ選手(現:宮本ともみ選手伊賀FC、日本代表)の姿も見えます。当時から長身のMFとして日本代表入りを果たして活躍されていました。体格の良さと負けじ魂は、目を見張るものがありましたね。
このプリマハムFCくの一も、強かったのに廃部になってしまいました。その後伊賀FCへと変わったのです。当時からプリマには色々と噂が流れていました。
地域リーグ決勝大会に勝った男子のプリマハムFC土浦がJFL入りを果たしたのですがプリマは運営から撤退してしまいます。結局土浦から、本拠を水戸に移して”水戸ホーリーホック”になったのですが、この事態は女子チームにも影を落としました。
親会社の経営が厳しくなると真っ先にカットされるのが企業スポーツだったのです。
結局この波は女子の「プリマハムFCくの一」にまで及んでしまったのです。
ただ、救われたのが地元で市民チームで再出発をしたことです。女子のチームで資金的にも乏しい中、運営して行くのは大変な事だと思いますが、頑張っている姿には感動します。今も元プリマの選手たちが残っています。プリマの遺伝子が今も伊賀FCの中にはあるかも知れないですね。
★TOKYO SHIDAXレディースサッカークラブ★
東京・調布市に本拠を置いたSHIDAX。朝日田朗子選手、岡村和美選手、赤間恭子選手、宮下由香選手、荒木知栄子選手、泉美幸選手、吉泉愛選手、玉垣有紀選手、小沢純子選手(元日本女子代表)などが在籍していました。決して強豪チームではありませんでしたが、最後の大会となった全日本選手権では、たしか3位になったと記憶しています。「東京」という名称をチーム名に入れて、東京の地元チームをアピールしていましたが、なかなか地元密着とは行かなかったようです。

95年の大会を最後にチームは解散してしまいました。不況になった頃の最初のLリーグ撤退チームになってしまいました。当時は熱心に横断幕を持参して追いかけていたサポーターもいて、それらの人たちの事を思うと、また選手たちの事を思うとこの廃部についてはとても切なくなったものです。

最後の試合は敗戦でした。そしてこのゲームを持ってチームは終わりです。うなだれる選手たちにも寂しさが漂います。この後一部の選手は移籍する事も出来ましたが、多くの選手はLと言う舞台から去ってしまいました。ファンにとってもまた選手たちにとってもチームが無くなるという現実はあまりにも残酷だなと思った初めての出来事でした。
★松下電器パナソニック・バンビーナLSC★
記憶は定かではありませんが、99年ごろの画像だと思います。読売から移籍した高倉麻子選手(元日本代表)や、日興證券廃部後加入した虎見エリ選手、ラガッツァから生え抜きの鳥越恵選手、日向千夏選手、轟奈都子選手(現:A新潟)、などの選手たちの顔が見えます。チーム名が示すように松下電器のチームで、Jリーグガンバ大阪の下部組織という位置づけでした。ユニフォームも胸のスポンサーロゴ以外はガンバ大阪と同じ仕様のものでした。
リーグでも優勝経験があり、当時はリンダ・ヒューズ選手や、藤原美佳選手、門原かおる選手、埴田真紀選手、が活躍されていました。
飛びぬけたストライカーは存在しませんでしたがチームの総合力で勝利を重ねていた印象が強いですね。そんなバンビーナも松下電器産業の業績悪化に伴いチームがなくなってしまいます。リストラの一環だったのでしょうね。総合電器メーカーでさえ厳しい時代を迎えていたわけです。Jリーグではサテライトや、ユースチームを持つのは当たり前になっていましたが、女子チームに関してはJのクラブごとにまちまちな対応でした。ですから横浜マリノス(日産自動車)の女子チーム日産FCのようにすぐにリストラ対象にされてしまったチームもありました。Jリーグの規約にでも「女子チームを持つ事。」という一項があれば安易に廃部にされないのでしょうがね。
松下バンビーナは廃部になりましたが、チームは高槻FCに受け継がれ「スペランツァ高槻」として今もLリーグに参戦中です。市民クラブになって選手の皆さんもスタッフの皆さんもより厳しい環境に置かれていると思いますが、L1入りもして奮闘中です。
★YKK東北女子サッカー部フラッパーズ★
90年代後半、Lリーグは加盟チームの相次ぐ廃部で岐路に立たされていました。そんな中加盟に手を挙げてくれたのがYKK東北事業所でした。チームには、廃部のOKIから大部由美選手が加わったり、フジタにいた増田明子選手、吉泉愛選手、元シダックスにいた選手スタッフも加わって、陣容は強力なものになりました。参加初年度からリーグでも下位に甘んじる事のない活躍を見せていました。厳しい時期にリーグに参入してくれて本当にありがたい事だったと思います。
なかなか優勝争う位置にまでは行けませんでしたが、企業の後ろ盾もあって将来に向けても期待感は高まっていましたが、徐々にチームの成績も失速して行くのです。会社としてもあまり運営に力が入って無い状況がファンにも何となくわかっていました。
そんな状況になり始めていた頃に、「東京電力Lリーグに参入」というニュースが飛込んで来ましたが、その数日後には「YKKフラッパーズ、東京電力にチーム移管」というものに変わっていました。YKKのファンの方にとっては複雑な思いだったでしょう。厳しい時期にYKKがLリーグに参入してくれた事には感謝していますが、長続きしなかった事は残念ですね。こんどは「東京電力」として新しい1ページを築いて行くフラッパーズです。
★宝塚バニーズ(旭国際バニーズ)★
リーグに加盟して長く活動してきたチームでその原点は「旭国際バニーズ」と言いました。親会社は「カントリークラブ」を運営されていて選手たちも一部の人は「キャディー」をするかたわら選手生活を送る方もいたそうです。リーグでは思うような成績を残せないでいましたが、水間百合子選手や佐藤恵子選手、赤星照美選手など主力選手の活躍は目立っていました。また外人でもトッププレイヤーを加入させたりして話題も提供。弱かったGKにはクリスティーヌ・ザイツ選手やジェニン・サパラ選手などもいましたね。若い選手たちを育てるのもうまいチームで、高校生の頃からレギュラーを掴んだ阪上由紀代選手などは登録10年を迎えた今も現役で頑張っておられます。
後に元日本代表で、Lリーグでもトッププレイヤーだった読売の「野田朱美選手」が加入したり話題性も多いチームでした。(ちなみに野田選手はサッカー引退後プロゴルファーを目指した事もあった。そんな経緯からも移籍して来たそうです。)
このチームの誇れるのはLで最初に地域を名乗って市民チームに移行させたことです。ユニフォームには「ASAHIKOKUSAI」のスポンサーネームは残りましたがチーム名は「宝塚バニーズ」になって市民クラブとして再スタートしています。さらに誇れるのが地域で展開しているジュニアチームの存在で地域の大会でも活躍を見せて「宝塚バニーズジュニア」からトップチームへという選手も多く出しています。
2006年からチームは宝塚を離れて京都に本拠を移して「バニーズ京都」として再出発しています。選手の皆さんは大変だと思うのですが未来に向けて頑張っていただきたいものです。