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  【第4回 アツイ話 編】大募集  

★ 第1回 胸キュン編 入賞作品

 最優秀賞

 

 

「フェリーの神様」

 

タクロー


何回僕は、右手に小豆島を見たのだろう。
何回君は、左手に小豆島を見たのだろう。  

週末には必ず僕の住む街・神戸から、君の住む街・高松へ、午後8時発のフェリーに飛び乗った。そして、君がたまらなく会いたいときは一つ前の便で神戸へやって来て、乗り場で待って僕を驚かせることもあった―「フェリーの神様が、そんなに会いたいならこうしたらわって教えてくれたの」って。

僕の夢は漁師だったから、フェリーの中では「いつかは漁師をしたい」と、よくそんな話をした。君は漁港の生まれだったから、いつも「遠洋船の乗組員の奥さんは、帰港が分かれば、全国どこの港でも迎えにいくのよ。フェリーの神様よね。」と同じ質問に、同じ答えを同じように繰り返していた。

今、分かったよ。確かな幸せとはなんでもない日々の繰り返し、だ。海を眺めながら話すこと、だ。

なぜだったんだろうね。僕も君も一緒に暮らすことを考えていたんじゃないのかい。

携帯電話なんかなかった時代だったけど、それが理由ではない。いつの間にか僕らは離れていた。君のお母様が亡くなり、僕の父が亡くなり、そんな家庭の変化も関係していたのかも知れない。
ただ、僕が31歳の誕生日に、君から右目から涙を流した女性の絵が送られたきた。それで、僕は驚き、大慌てで君に会いにフェリーに飛び乗ったのだけど、あれだけ出会っていた待ち合わせ場所をお互いを間違え、結局出会えなかった。
君は後でこう言ったんだ
―「きっとフェリーの神様が出会うな、って言ってたんだよね」って。

僕は漁師にはなれず、都会の中で人まみれになっている。ここでのパソコン仕事では、小豆島なんか見えない。時々、考え込むときさえある。告白するよ。一月前、全国紙に僕の記事が写真入りで載っただろう。僕は開発研究所の企画広報担当者、本当は今まで何百回も機会はあったんだけど、ずっと断り続けてきた。断り続けてきたけど、あの日は君の誕生日。君に会えるかも知れないと思って、初めて取材を受けた。
だけど、君からの連絡はなかった
―「やっぱり、今度もまたフェリーの神様が出会うな、って言ったのかな。」


【作者より】

 

 

「神は細部に宿りたもう」ということばがあると聞きましたが、私にとっての愛のイメージは、小さなもの、何気ない日々の暮らしの中にあるものなのです。そして、人生には、時間が経たないと分からないことが多くあります。齢50になって、やっとそんなことが分かり始めました。今、あなたはそばにいる人を愛していますか。

 

 

 (タクロー)

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 優秀賞

 

 

「鯛そうめんの美味しさ」

 

讃岐の夢太郎


父と一緒にフェリーに乗って福山へ行くことにした。
以前父は単身赴任で福山に居た事があり、その時食べた鯛そうめんをもう一度食べたいとポツリと言ったからだ。

ガンを患い闘病生活を一年程頑張り、ようやく外食の許可を得られ、今まで我慢していた気持ちがふと出たようだった。痛い注射や苦い薬、そして副作用に耐えて来た父と毎日看病に行った母と一緒に三人で行く事ができ、この旅行は神様がくださったプレゼントだと心の中で思いながら、フェリーの中から穏やかな瀬戸内海の波が行ったり来たりするのを見ていた。

フェリーを降り福山駅まで車で行き、父の記憶だけを頼りに鯛そうめん屋を探した。
勤めていた当時と街の様子が変わったようで、ようやく古い小さな店を見つけた。父は懐かしいようで、店の中をキョロキョロと見回していた。店員が注文を聞きに来、迷わず「鯛そうめん」を注文した。ここまでわざわざ食べに来るぐらいだから、どんなに美味しい物だろうと期待しながら待った。
暫くして鯛そうめんが出てきた。見た所、何の変哲もなく、文字通り鯛とそうめんだった。

恐る恐る箸を付けてみると、確かに美味しい。
しかし、そう特別に美味しいと思える物でもなかった。それより父と一緒に食べられるのが嬉しく、美味しく食べられた。

帰ってからも父は満足したようで、何度も「美味しかった」と家族や親戚に言っていた。一緒に食べた母が家で真似をして作ってみたが、どうも味が違うららしく、いろいろ何度も工夫をしてみるものの、父は毎回味が違うと言い続けた。

闘病生活はそれ程長くは続かず、父は亡くなった。
お葬式の後に親族で食事をした時に、父の幼少の頃の話が出た。戦後の混乱期に育ち、親を早く失くし、弟や妹を養うため朝早くから晩遅くまで田畑を耕し、鶏を飼っては卵を売りに行っていたそうだ。当時は貴重な慶事の時だけ鯛が出たそうで、その時食べた鯛の味は最高に美味しかったそうだ。
父はその時の鯛の味を福山の鯛そうめんの味と重ね合わせていたようだ。

いくら真似ても違うと言われるはずだ。
父が求めていた鯛の味は、生涯変わらなく、美味さその物だったのだ。


【作者より】

 

 

瀬戸内海には四国と本州を結ぶ橋が3つ出来ましたが、海を上から眺めるだけなく、海面に浮かんで波間を進んでいくフェリーから見る景色は爽快で何度もフェリーを使って本州と四国の間を行き来しています。海と接するのは人間にとって古代から体、そして心にとって良い事なのだと実感します。

 

 

 (讃岐の夢太郎 )

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 優秀賞

 

 

「ふたりの時間」

 

明石小春


毎週金曜日午後八時。

煌く夜景を背に、汽笛を鳴らしながら船は港を出航する。
神戸から高松まで三時間四十分の船の旅。週末を実家で過ごし日曜日の午後の便でまた神戸に戻る。
神戸の大学に合格し一人暮しするようになってから、この生活を繰り返していた。

そのフェリーの船内で高校時代のクラスメートと出会ったのは偶然だった。思いきって声を掛けた。
そのクラスメートも神戸の大学に通っていて毎週この便で帰省しているらしい。それ以来三時間四十分の船の旅を一緒に過ごす。広い客室の船内、二人で肩を並べて壁にもたれかかって、コンビニで買い込んだポテトチップスとかチョコポッキーとかをつまみながら、他愛もない会話を楽しんだ。

こんな夜中に家族以外の誰かといるなんて普通はない。こうしていると付き合っているみたいだ。
高松に到着する頃には時計は午後十一時半を指している。それを見てドキドキする。こんな時間に異性と二人でいるなんて初めてのことだった。親友といるよりも家族といるよりも幸せな時間。最高の楽しみな時間。二人で過ごす時間が待ち遠しくて週末が近付くとそわそわして落ちつかなかった。

夏が近づいたある日突然こう言われた。

「これからは実家に毎週帰るのやめようかな、一人暮らしにも慣れたし。大学で友達も出来たし」

ショッキングな一言をサラっと言われた。
「駄目だよっ。両親寂しがるよっ」必死で抵抗した。
「盆や正月には帰ろうと思うんだけど」

次の週、二人の時間ももうこれで最後だという帰省のフェリーの中で、ある決意をしていた。臆病で意気地なしの自分。
告白なんかしたことない。だから、これが精一杯。

「これ、使ってほしい」
そう言って四枚綴りの回数券を下を向いて差し出した。
これからもずっと、この時間を続けたいという思いを込めて。
緊張のあまり、回数券を持った自分の手をじっと見ていた。するともう一つの手がすうっと現われて、
その回数券を引き抜いた。そして一言。

「もうしばらく続けてみようかな、週末ジャンボフェリー」

照れながらも二人に笑みがこぼれた。


【作者より】

 

 

彼との出会いを思い出して書きました。私はフェリーの和室大部屋が大好きです。 ゆっくりくつろぎながら旅ができるからです。そして、あの場で繰り広げられる人間模様は、 他の乗り物には無い魅力ではないでしょうか。

 

 

 (明石小春)

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 優秀賞

 

 

「フェリーに決意を乗せて」

 

チャピナ


彼は言った
フェリーに乗って、香川に住むおばあちゃんのお見舞いに行くと…
おばあちゃん、大きな手術して、今元気がないんだって…
だから励ましに行くって

彼はいつもフェリーに乗って、香川に行ってた
フェリーに乗るとゆったり時間が流れるから好きなんだって
色々考えられるって

私も一緒に行きたいって言ったけど
断られてしまった
おばあちゃんは親戚以外の人に弱ってるとこ見られたくない人だからって…

昔同じようなことがあったみたい
彼のお父さんが彼のお母さんと付き合っていた頃
お父さんがお母さんを連れて、おばあちゃんのお見舞いに行ったら
後でおばあちゃん、恥ずかしいから来ないで欲しかったって言ったらしい
その後、結局お母さんはお父さんと結婚して、おばあちゃんの親戚になったんだけれど 

今、私はフェリー乗り場にいる
ある決意を固めて・・・
出発の30分前
彼はもうすぐここへやって来るだろう
私がいることにびっくりするかな
それとも怒るかな

でもいいんだ

私、彼と結婚して
おばあちゃんと親戚になるんだから


【作者より】

 

 

私の祖母は香川県に住んでいて、よくフェリーに乗って、家族で帰省していました。そんな思い出を胸に、彼との結婚を決意した1人の女性を思い浮かべて、この詩を書きました。

 

 

 (チャピナ)

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「甲板組の夜」

 

ひなさん


高校生活最大のイベント修学旅行、それは二年の秋に行われた。

当時のルートは夕方、南港をフェリーで出発、翌朝鹿児島に着き九州を縦断し、福岡より新幹線で帰る3泊4日コース。
この中で最も大事なのが初日の夜、そう<フェリーの夜>であった。この夜にまつわる言葉<甲板組><船底組>が代々語り継がれていた。

彼氏彼女のいる人は二人で夜甲板に出て語り合う<甲板組>。
そうでない人は甲板に出れず一晩を船中で過ごす<船底組>

いつから言われているか定かではないが<甲板組>になることが、当時の私達のステータスであった。そのため<二年の夏休み明けにはにわかカップルが急増する><しかしクリスマスまで続くのはほんの一握り>といった言い伝えもあった。

楽しい高校生活を送っていた私は<言い伝え>よりちょっと早く二年の春に彼ができた。一年は同じクラス、二年は別々、そんなシチュエーションもおのずと<甲板組>である気分を盛り上げる。

夏が過ぎ、言い伝え通りにわかカップルが激増し無事迎えた修学旅行。みんなの願いも天に届き天気も良好。夕食を終えた私達はまずほぼ全員甲板に出て大ディスコ大会。ひとしきり踊ってるうちにチラホラと端のほうに<甲板組>が二人だけの世界を作り始めた。
一組また一組。。。

船底友達の多かった私達はなかなか二人になるとは言い出せず、とうとう就寝の時間!甲板から追い出されてしまった。
<え〜まだ甲板組やってない>と思いつつ船中へ。
各部屋でしゃべり続けみんなが疲れだしたころ<行こう!>って彼がやっと誘ってくれた。

ワクワクして深夜の甲板に上がると、そこは無人。
静かな甲板、ザーッという波の音、空には満天の星、心地よい風。
そんな中二人で何をしゃべるでもなく、ただ寄り添って海を見、全身で幸せを感じてた。
ピーンとした空気の中、一緒にいられることがとてもうれしくてドキドキしてた。
実際は夜の海の寒さに負け十五分くらいしかいられなかったけど二人きりで大海原を渡っている気分は最高だった。

今もフェリーに乗ると思い出す風景。

その彼とは翌年別れてしまったけど。

覚えていてくれるかな?二人きりの甲板を。


【作者より】

 

 

25年前の話です。懐かしい。

 

 

 (ひなさん)

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「老夫婦」

 

永井愛


ある日、私がいつもと同じように瀬戸内にある海岸沿いを、フェリーを追いかけるように走っていると、老夫婦が「高校生? 何部? 」と声を掛けてくれた。
私は、「高校の陸上部です。」と答えた。すると、

「いつも一人でよく頑張っているよね。いつも二人で散歩しながら走っている姿を見てたのよ。これからも頑張ってね。」
と奥さんがおっしゃった。すると、今度は旦那さんが、
「わしも若い頃は、砂浜で海を見ながらよく走ったもんやった。海を見ていると、大きな夢を与えてくれる。わしが砂浜で走っている姿を、家内が気に入ってくれてね。」
と、どこか照れくさそうに続けた。
「一生懸命走っている姿が、本当にかっこよくてね。」
と奥さんが笑いながらおっしゃる。

二人は砂浜で出会い、そして結婚したのだそうだ。

私は、とても嬉しくなった。私の走っている姿を見て、昔の結婚する前の懐かしい記憶を思い出してくれ、幸せそうにその思い出に浸っている様子がみえたからであった。
おふたりとも海がとても好きそうだ。その大好きな海で、お二人は出会い、そして結婚する。そして、色々苦労もあったであろうが、年を取った今、その大好きな海を見ながら仲良く散歩している。その姿は、すこし妬けるほどうらやましい。

私がこの砂浜を走るのは、クラブ活動のない休日だけだ。多くても、週に1、2回。私は、砂浜を走っているだけだ。でも、その走っている私を見て、幸せな気持ちになってくれる人がいた。私は、とても心が温まってくるのを感じた。

最近私は辛いことばかりが続いていた。記録が伸びない。後輩にもおいて行かれた。部活も走るのもやめようかと思っていたのだ。

でも、また今度の休日には、この海岸を走りに来よう。老夫婦に別れを告げながらそう思った。いつものように走って家路に向かう。少し顔を上げてみた。

さっき近くにいたフェリーが遠くにかすんで見える。
フェリーの汽笛がやさしく鳴った。


【作者より】

 

 

高校の「短詩型文学」の授業でコン クールを知りました。

 

 

 (永井愛)

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 フェリーでエコ賞

 

 

「白い波しぶき」

 

高嶋ひろ子


ある夏休みのことだった。
地域の同級生や、下級生そして上級生、無論仲良しの友達も一緒、付き添いの祖母も、ご近所の小母様達も参加で小旅行に出かけた。

記憶では、朝早く、駅前のバスターミナルに集合し、およそニ時間バスに揺られて、明石経由で神戸港に到着し、神戸港から大阪港までフェリーに乗船した。船から下りてからは、陸路バスで奈良に向かった。

私は、何ヶ月も前から指折り数えて、この小旅行を楽しみにしていた気がする。今でもフェリーに乗船する前と、甲板に上がった時の、情景がそこのところだけ、切り取ったように、目に焼きついて浮かんでくる。
見送りに来ている母がいる。これまた見送りにみえていた母の幼馴染の方と、ごったがえしている長い列の中で再会し、私のそばで楽しそうにお喋りをしている。
私は早く乗船したくて、うずうずして、待っている間が殊更長く感じられた。やっとの思いで乗船でき、フェリーは出航した。 

何の気なしに甲板に、上がってみた。
八月初めのからっとした日差し、真夏の空、紺碧の海の波は何となく怖い感じ。見下ろすと波しぶきを白くあげてフェリーは進んでいる。それは、想像していたよりずっと早い速力だった。

頬になびく風が強く、心地良かった。
すると突然スピーカーから前奏が笛の様に鳴り、歌謡曲が流れ出した。ペギー葉山さんの「南国土佐を後にして」が洋上に溢れんばかりに響き渡っていたと思う。歌詞に「都へ来てから幾歳ぞ」という下りがあるが、私も18歳で上京し約30年余り東京で過ごしたのだ。

昨年の初夏に、エッセイ風の新聞記事をふと目にした。「昭和歌謡もよう」の9回目で「南国土佐を後にして」についてであった。
あの歌は1959年(昭和34年)にレコード化され、大ヒットを記録したとか。

そうすると、私は、当時10歳の女の子だったのだ。

時は午前中、
真夏の空と海が地平線でつながって、
フェリーで揺られて進んでいる私は、幸せな気分が何時までも続くように、白い波しぶきを見つめていたような気がする。


【作者より】

 

 

 

 

 

 (高嶋ひろ子)

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