ドラガン・ストイコビッチ
Dragan Stojkovic
フルネーム ドラガン・ストイコビッチ
Dragan Stojkovic
ニックネーム ピクシー(妖精)
国籍 ユーゴスラビア
生年月日 1965/3/3
出身地 ニシュ
ポジション MF(OH),FW(ST)
身長 175cm
体重 73kg
代表デビュー 1984/6/13(通算82試合,15得点)
管理人評価 S
所属クラブ
1981-86 ラドニキ・ニシュ
1986-90 レッドスター・ベオグラード
1990-91 マルセイユ(フランス)
1991-92 エラス・ベローナ(イタリア)
1992-94 マルセイユ(フランス)
1994-01 名古屋グランパス(日本)
主なタイトル
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コメント
 華麗なボール捌き、正確かつ強烈なシュート、そしてファンタジー。ストイコビッチは見る者全てに、ピッチとキャンバスとを勘違いさせる能力を持ち、魔法の足で、大きな、美しい芸術を描いた。
 代表デビューは1983年、18歳の時だった。その後、1984年欧州選手権、1986年ワールドカップ、1988年欧州選手権と不動のレギュラーとして活躍するが、いずれも予選敗退。そのプレーを世界に披露する事は出来なかった。ストイコビッチが世界的に注目されるようになったきっかけは、1990年ワールドカップ、スペイン戦での2得点だった。右から流れてきたボールに対し、ゴール前のストイコビッチがシュート態勢に入る。スペインのDFはたまらず体を投げ出したが、ボールはストイコビッチの足元に吸いつき、次の瞬間にはボールはゴールネットを揺らしていた。15分後にはFKを直接ゴールに突き刺し、ユーゴスラビアをベスト8に導く。続くアルゼンチン戦でもディエゴ・マラドーナ以上のプレーを披露し、アルゼンチンをぎりぎりまで追い詰めるが、惜しくもPK戦で涙を飲んだ。
 1990年ワールドカップ終了後にマルセイユに移籍。だが怪我によって本領を発揮できず。僅か1シーズンでエラス・ベローナへと移籍。その後も怪我が続き不遇の時を過ごしたが、1994年、ストイコビッチは地球の裏側への移籍を決意する。
 名古屋グランパスに移籍し怪我も癒えたピクシーは、日本人が見た事も無いようなプレーを次々とピッチ上で披露する。1995年にJリーグMVPに輝き、1995年度の天皇杯制覇も成し遂げた。1998年には永らく国際舞台から姿を消していたユーゴスラビアがワールドカップ出場を果たす。ストイコビッチもメンバーに選ばれ、4試合に出場、1得点を記録した。
 2001年7月21日。東京ヴェルディvs名古屋グランパスの試合がピクシーの引退試合となった。アウェーでありながら、東京スタジアムは名古屋グランパス・サポーターで覆い尽くされる。この試合も例によってストイコビッチの大活躍で、グランパスが3-0で勝利した。ピクシーがピッチで引退のコメントを発する。「あなたたちのことは、いっしょうわすれません。ありがとうございました」。多くの人が涙を流し、ピクシーも又、涙を流した。「ピクシー!オレッ!ピクシー!オレッ!」
 歓声は鳴り止まない。

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