ギュンター・ネッツァー
Günter Netzer |
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フルネーム |
ギュンター・テオドール・ネッツァー Günter Theodor Netzer |
| ニックネーム |
賢人 |
| 国籍 |
ドイツ(西ドイツ) |
| 生年月日 |
1944/9/14 |
| 出身地 |
メンヘングラッドバッハ |
| ポジション |
MF(CH,OH) |
| 身長 |
180cm |
| 体重 |
79kg |
| 代表デビュー |
1965/10/9(通算37試合,6得点) |
| 管理人評価 |
SS |
| 所属クラブ |
| 1952-63 |
1.FCメンヘングラッドバッハ |
| 1963-73 |
VfLボルシア・メンヘングラッドバッハ |
| 1973-76 |
レアル・マドリード(スペイン) |
| 1976 |
グラスホッパー(スイス) |
| 主なタイトル |
| 1972年 |
欧州選手権優勝 |
| 1974年 |
ワールドカップ優勝 |
| コメント |
西ドイツ史上最強と謳われた1972年欧州選手権のゲームメーカー。フランツ・ベッケンバウアーとネッツァーが交互にゲームを組み立て、ゲルト・ミュラーがゴールを決める。正に最強に相応しい布陣だった。
センチメーターパスと呼ばれる長短自在のパスを操り、FKの巧さも世界最高峰。ネッツァーのプレーは、常に華麗なイメージへと繋がる。
1952年、1.FCメンヘングラッドバッハで本格的にサッカーを始める。1963年に同じ町のクラブ、VfLボルシア・メンヘングラッドバッハに移ると「駿馬のイレブン」として西ドイツ国内に名を馳せることになる。名将ヘネス・バイスバイラーに率いられたチームは、瞬く間にブンデスリーガのトップチームに成長しバイエルン・ミュンヘンと覇権を争うまでに至った。その活躍が当時の西ドイツ代表監督ヘルムート・シェーンの目に留まり、1972年欧州選手権ではゲームメーカーとして西ドイツの優勝に大きく貢献した。
だがワールドカップには縁が無く、1970年、1974年共にライバルであるボルフガンク・オベラートとのポジション争いに敗れている。1974年には1試合に出場したが、その試合も敗れており、喜びに満ちたチームの中で1人、屈辱を味わった。
現在はコメンテーターとして相変わらず賢人ぶりを発揮。ドイツのスポーツ界でも最も人気のあるパーソナリティーとして活躍中である。 |
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