時津街道(西坂から時津) 
全行程 約10.3キロメートル
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西坂 浜口 赤迫 時津


長崎県内の最後に時津街道を測量しています。
翌日には2隊に分かれて大村湾を船で渡りました。
伊能本隊は彼杵から俵坂へと長崎街道の残りを測量して佐賀県へと移ります。
もう1隊は川棚から波佐見岩峠へと測量します。

 この時津街道は浦上街道とも呼ばれていたようです。打坂付近の道が切り崩されて無くなっています。

 とても歩きやすい街道です。

『大村郷村記』から書き出した地名等・・・本大橋から時津波戸まで
伊能測量順路に合わせています。

    

西坂
伊能忠敬測量日記より

文化十年九月十七日
(1813年10月10日) 曇天。

 長崎に逗留して測る。六っ時後
(午前5時過ぎ)出立した。総一手で測る。長崎市中大黒町の限り。八月十九日に残した印から時津街道を測り初める。長崎村字船津。長崎市中の飛地、西中ノ町。御料所浦上村山里。馬込郷の内、字西坂。・・略・・字御船蔵。字町道。馬込郷、俗に言う馬込宿。八月二十五日に海辺より打ち上げて残したの印に繋げる七町五十間二尺五寸(855m)、右に一町(109m)ばかり引き込んだ所に松月庵(現在の銭座天満宮)がある。小川の石橋巾二間(3.6m)ばかり、右に一本松の名高い大木がある。字新馬込。里郷字花見坂。山王宿。右に制札。右に山王宮。神主は恵妙、祭りは九月十八日、別当白岩山円福寺。字坂本。石橋(現在、川は暗渠になり橋はない)一間(1.8m)ばかり。







背景の地図は、長崎市長の承認を得て、同市発行の1万分の1地形図を複製したものです。
※長崎市都市計画課承認番号 長都計第10号 平成21年4月9日

浜口
字宿ノ坂。平野宿里郷。字左城。字柳道、中ノ川大橋(現在の原の田橋)巾六間(11m)。中ノ郷字辻。字浄福。字塔ノ尾。家ノ川(現在の浦上川の中流域の名)巾二十三間(42m)。字家ノ郷(長崎市家野町)。左は西で川添川向にある。直ぐに大村領浦上村西(現在は西町)。字井ノ上。字中原。字城ノ越。大村領浦上北村で街道を打ち止め三十二町四十五間(3,573m)。街道総測一里四町三十五間二尺五寸(4,428m)。大村領で野陣で小休止する。

 それより御料所の浦上村中里へ引き返して、庄屋の高谷重十郎宅
(浦上天主堂のある高台にあった)で中食。八っ時頃(午後2時頃)宿へ帰る。八っ半後に我等(ワレ・伊能忠敬)は西ノ御役所(現在の県庁の地。九月七日に新任の長崎奉行の牧野大和守成傑が着任している。遠山左衛門尉景晋は十月十三日に長崎を離れる)へ行く。出立並びに長崎での日々の測量を届けて、馬場為八郎(蛮学稽古世話役・紅毛大通詞見習。シーボルト事件では有罪になっている)の忰の伝之助が暇乞いに来る。



九月十八日 朝は曇天、午後より晴れ。

 五っ時頃
(午前7時頃)長崎炉粕町を出立した。総一手で測る。昨日測ってあったので一里余り(約4q)は測らずに行く。彼杵郡大村領浦上北村。昨日打ち止めより時津街道を測る。浦上北村本村。人家が散在していて字はない。只、西又は東という。右に口留番所。字東。字西。字中通(住吉商店街)


『大村郷村記』に記された地名等
犬淵〈本大橋)…西村庄屋門前…袋底…城の越…長崎御料境傍示石(元禄二年に建てられたが現在は無い)…番所…住吉大明神鳥居前



背景の地図は、長崎市長の承認を得て、同市発行の1万分の1地形図を複製したものです。
※長崎市都市計画課承認番号 長都計第10号 平成21年4月9

赤迫
右の岩に六地蔵と釈迦阿弥陀観音を彫刻している。枝岩屋、家数三十五軒。左に岩屋大権現一ノ華表(かひょう、鳥居のこと)前。八町ばかり(873m)引き込んだ岩屋岳の梺(ふもと)に本社がある。平宗川は巾六間(11m)。枝平宗。百姓茂一郎(高谷正蔵.別名茂一郎。この後、時津新茶屋を新築した)宅で小休止。字百合畑(百合野)。時津村字内坂(打坂)



『大村郷村記』に記された地名等
六地蔵前…岩屋山鳥居前…滑石村浦上北村境平宗川石橋…横道式見越追分(標石は現存)…時津村境打坂






背景の地図は、長崎市長の承認を得て、同市発行の1万分の1地形図を複製したものです。
※長崎市都市計画課承認番号 長都計第10号 平成21年4月9日
参考図・伊能大図松浦史料博物館蔵
 左の地図に相当する部分

時津
時津川(現在の打坂橋の所)巾三間(5.5m)。枝栗岩(通称の鯖腐らかし岩の事と思われる)。字野田。十四、五町引き込んだ左の山根にある。枝元村の内、字丸田。枝元村。時津本村。申(文化九年)十一月二十九日に残したの印(支隊の坂部一行が残した)へ繋げる。街道総測一里一十三町三十三間三尺五寸(5,406.5m)

 九っ時後
(午後0時過ぎ)に時津村に着く。止宿は本陣が庄屋の松尾七左衛門宅(現在の元村郷の法務局の裏)。別宿は福嶋屋茂一郎宅(旅籠か)。長崎より江戸からの書状が届く。この夜少し星を観測する。



『大村郷村記』に記された地名等
滑石村境打坂…打坂下川石橋
(打坂橋)…横尾通り横道…継石…丸田川石橋(鳥越橋)…茶屋本門…茶屋塀下追分…市場入口家際…八幡宮鳥居前市場制札場波戸際番所石垣