平戸街道(東彼杵から田平)
行程 約62.9キロメートル
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彼杵
 音琴 舳ノ峯1 萩坂 川棚西 川棚 百津 早岐 舳ノ峯2 広田 早岐西 大塔 日宇 佐世保
 宮田 左石 中里 半坂峠 佐々 古川 江里峠 山ノ田 高岩 江迎 江迎北 吹上 田平


伊能測量隊が彼杵から田平へ順に測量していない部分も在りますので、分かりにくいかもしれません。
彼杵から川棚までは、海岸線と街道が離れている部分が少ないので、
音琴の部分を除き伊能測量隊は街道を測量していません。
伊能図には海岸線のみ描かれているので、トレースできませんでした。
その為、その部分及び街道の全てにおいて、
平戸街道ネットワークの会顧問の鴨川卓先生にご教示いただきました。


『大村郷村記』から書き出した地名等・・・東彼杵思案橋から舳ノ峯まで
伊能測量順路に合わせています。



彼杵
十二月朔日(1813年1月3日)

 曇天で微雨。午後は晴れ。朝六っ頃(午前7時頃)に彼杵村を出立した。・・・中略・・・
これより平戸街道。則ち海辺に付いているので両用する。枝口木田郷。郷士の川口六右衛門宅で昼休み。


『大村郷村記』に記された地名等
本町堀川金屋町出口…嶋田川石橋…堀切川石橋…浜の宮石鳥居…立亀の鼻粒崎古城蹟朽木田川土橋(口木田)…水地権現の社

音琴
枝大音琴(ネコトのルビあり。東彼杵町大音琴郷)。街道と海辺の手分けに印を残す。三十四町二十一間(3,747.27m)。音琴鼻を回り四町四十間二尺(509.70m)。印を残す。

 又、
印より初めて印に繋げる。街道二町十二間
(240m)

 又、
印より初める。即ち海辺を測る。枝小音琴(川棚町小音琴郷)で打ち止めて印を残す。五町三十九間(616.36m)。沿海一里三十二町二十八間二尺(7,469.69m)。外に横切りが三町十間(345.45m)。総測一里三十五町三十八間二尺(7,815.15m)。それより乗船して、川棚浦へ上がり陸を行って十余町(千数百m)、川棚村(川棚町中組郷)へ七っ後(午後3時過ぎ)に着く。

 止宿は庄屋の佐藤元右衛門宅、別宿は福田幸右衛門宅。此の夜、晴天で測る。彼杵村の庄屋の山道住右衛門が
(挨拶に)来る。

『大村郷村記』に記された地名等
壱里塚…大音琴川土橋…音琴浦波戸の内曲り道小音琴川

舳ノ峯1
十二月二日

 終日曇りで風がある。又、雨と雪で寒い。同所に逗留して測る。七っ半頃
(午前6時頃)に出立した。

 彼杵郡舳
(ヘのルビあり)ノ峯峠。平戸領広田村
(佐世保市重尾町)と大村領宮ノ村(佐世保市瀬道町)の界に、印を残して逆に測る。即ち、平戸より大村長崎街道。又、順検使(巡見使)や上使の街道である。宮ノ村枝瀬(セのルビあり)道郷(瀬道町)字舳峯。


『大村郷村記』に記された地名等
偏の峰平戸領境(舳ノ峯)傍爾石弐本…土器面…四郎丸

萩坂
字四郎丸(佐世保市城間町)。忠吉宅で小休止。
字針木峠。野陣で昼休み。

大村郷村記』に記された地名等
四郎丸…四郎丸川伝い石…御堂の尾…宮似田…矢ひつ…ゆるぎ…大助原…大石ヶ原小峠…針木峠…白嶽観音の鳥居…ッ石…川棚村境壱里塚

川棚西

川棚村字平戸峠
(平尾では)

『大村郷村記』に記された地名等
一盃水…宮村境壱里塚搗臼小曲り

川棚
海辺との追分けに印を残す。一里二十三町十七間(6,467.27m)。止宿の測所前で打ち止める。五十七間(103.64m)。大雨なので打ち止める。一里二十四町一十四間(6,570.91m)

 九っ頃
(午後0時頃)に宿へ帰る。


『大村郷村記』に記された地名等
傘松…走り落し坂下…揚倉川石橋…庄屋門前

百津
十二月三日

 晴れ曇りで大風。微かに雪。同所に逗留して測る。

 朝六っ後
(午前7時過ぎ)、同村の測所より初める。街道を測る。左に鎮守長浜社がある。川棚川を渡り二十七間(49.09m)。武雄道の追分けの旧碑に繋げる。三町三十八間五尺(397.88m)。字岩立(川棚町百津郷岩立)。彼杵村枝小音琴(川棚町小音琴郷)。栄蔵宅で小休止。海辺へ出て印を残す。一十四町四十五間(1,609.09m)。街道の合計は一十八町二十三間五尺(2,006.97m)。此より海辺と街道を両用する。それより昨朔日に測り止めた印より初めて、沿海を順に測り、印に繋げる。八町二間五寸(876.52m)。此の分は海辺と街道を両用する。・・・中略・・・

 九っ半頃
(午後1時頃)に宿に帰る。此の夜は曇りで測れない。



『大村郷村記』に記された地名等
長濱大明神社…川棚川伝い石…大川端傍爾石…幸秀庵壱里塚…両領谷最中央・彼杵村境両領谷堤尺八…百津塩浜の上清水川

早岐
十二月九日

 朝より曇り、たびたび小雨。同所に逗留して測る。

 七っ半頃
(午前6時頃)に乗船して同村枝広田。字大手原の印より初める。・・・中略・・・大村街道の小森橋前に印を残す。三十三町四十五間(3,681.82m)。小森川の小森橋を渡り二十七間(49.09m)。又、伊万里と大村街道の追分けへ印を残す。是より海辺と街道を両用する。右に一里塚。塚の上に名松がある(海岸線を測量した為に右に位置していると思われる)。早岐村枝里ノ内、字早岐浦。土井町(佐世保市早岐一丁目)。揚場。東町。三辻に印を残す。九町二間四尺(986.67m)。中町の測所に打ち上げ三十間(54.55m)。此より町続き。本通りは西町、戸ノ上町、田中町である。・・・中略・・・

 沿海が一里九町三十八間四尺
(4,979.39m)。総測一里十町八間四尺(5,033.94m)

 大雨に付き引き取り八っ頃
(午後1時半頃)に帰り着く。此の夜も曇天で測れない。

舳ノ峯2
十二月十九日

 曇天で、たびたび雪が降る。同所に逗留して測る。七っ半
(午前6時半)に出立した。

 字舳ノ峯峠。大村領宮ノ村と平戸領早岐村広田の界に当二日川棚村より測った
印より初めて、平戸街道を測る。即ち順検使(巡検使)や上使の街道。

 平戸領の口留番所。字舳ノ峯
(佐世保市重尾町番所)。字小曲。字茶屋辻。字重尾(重尾町。現在、佐世保刑務所がある)。字御手洗(ヲテフツのルビあり)。字浦ノ河内(浦川内町)

広田
右の道端に矢石が高さ五尺ばかり(1.52mほど。現存しているが1m弱になっている。以前はすぐそばを川が流れていた)。右に四町ばかり(436mばかり)引き込んで佐々清左衛門入道の古城跡がある。字牛ノ巣城(牛盗城・広田城ともいう)という。枝広田(広田一丁目)。野陣で小休止。小森川の小森橋の手前、当九日に残して置いた印に繋げて街道を終る。通ばかり二十九町五間二尺(3,173.33m)・・・中略・・・

 総測一里一十四町一十四間
(5,480m)。九っ前(午後0時前)に宿へ帰る。此の夜は大曇りで測れない。

早岐西
十二月二十一日

 曇り晴れ。同所に逗留して測る。六っ頃
(午前7時頃)に出立した。

 同所の街道と海辺の追分けの
(十二月九日のモ印から分印までの街道は測量していない)印より初める。平戸街道を測る。西町。播摩町。戸ノ上町。田中ノ町。字出津(賤津)。字徳丸。字徳丸辻。字上ヶ倉。字札辻。字田野浦(田の浦町)の海辺へ出て印を残す。一十七町三十間(1,909.09m)

大塔
字大塔(大塔町)。日宇村字大塔。野陣で小休止。

日宇
日宇本村(佐世保市日宇町)で打ち止めて印を残す。一里四町三十三間(4,423.63m)印より海辺の入江奥の松尾川尻(日宇川)へ出て印を残して終る。三町四十五間(409.09m)。街道の通ばかり一里二十二町三間(6,332.72m)。総測一里二十五町四十八間(6,741.82m)

 日宇村の庄屋の久田儀右衛門宅で昼休み。それより乗船して八っ前
(午後1時半前)に宿へ帰る。此の夜は晴れで天測する。


十二月二十八日

後手の坂部・今泉・門谷・尾形・佐助は日宇村の平戸街道を二十一日に早岐浦より測量して打ち止めた印より初める。赤坂。枝福石。字毛風
(木風町)。福石谷川(福石川)は巾三間(5.45m)。茶屋坂。字大野(須田尾町付近)。字馬宿。

佐世保
佐世保村枝小佐世保(小佐世保町)。峯ノ坂(峰坂町)。字ハジノ木。小崎坂。字谷河原(現在の谷郷町。明治の字図には字谷川となっている)。佐世保村。庄屋の下に昨日川尻より打ち出して残した杭の印に繋げて終る。街道一里一十町四十間四尺八寸(5,092.36m)

八っ半頃
(午後2時頃)賤津浦(佐世保市相浦町)に着く。止宿の本陣は内山六右衛門宅(造り酒屋であったが、現在は相浦郵便局)、別宿は坂本甚右衛門宅、同じく江代屋茂吉宅。此の夜は晴天で測量する。

宮田
十二月二十八日

 曇天。手分けして後手は六っ頃
(午前7時頃)。先手は六っ後(午前7時過ぎ)に佐世保村を出立した。

 我等・永井・箱田・保木・甚七は同村の
印より初める。平戸街道を測る。止宿の測所迄、一町三十六間(174.55m)。右に鎮守八幡宮社(亀山八幡宮)。字折橋(折橋町)

左石
枝横尾(横尾町)。佐世保川は巾十二間(21.82m)。左に春日社(春日神社)。字境木。郡の界迄二十六町二十一間(2,874.55m)。松浦郡相神浦(アヒノウラのルビあり)村。野陣で小休止。字境木。字左石。道端に大石がある(現存しているが、川と道路に挟まれ、かなり小さくなっている。平戸から佐世保に向かう街道の左にある大岩から、この地名になったという)

中里
枝皆瀬(セのルビあり。皆瀬町)、枝吉岡(吉岡町)。左に天神社(天満神社)。本村字中里(中里町)。平戸街道と賤津浦道の追分けに御用杭の印を残す。一里四町五十二間(4,458.18m)

領主茶屋で昼休み。番人は篠崎茂吉。
・・・中略・・・総測二里二十二町二十二間(10,294.54m)

九っ半
(午後1時)に賤津浦(佐世保市相浦町)に着く。



一月十六日
(1813年2月16日。前年十二月二十九日から前日までは九十九島の測量)

 晴天。一同は同所を出立した。大手分けをして坂部・今泉・門谷・保木・甚七は六っ時頃
(午前7時頃)に乗船して大別当へ行く。

 我等
(われら、伊能忠敬自身)・永井・尾形・箱田・佐助は街道を測る。我等と尾形は木星の測量の支度に江迎へ別れる。

 永井・箱田・嘉平治・佐助は六っ前
(午前7時前)に出立した。相神浦村。中里村。平戸街道と賤津浦道の追分け。旧臘(昨年十二月のこと)二十八日に残した印より初め平戸街道を測量する。相神浦川の飛び石を歩いて渡る。巾二十一間(38.18m)。字本山(下本山町)

半坂峠
字岡ノ上。字白岩。字蜂ノ窪(佐世保市八の久保町)。半坂峠。村界。野陣で小休止。

佐々
佐々村の里村内、字口石(北松浦郡佐々町口石免)。字牧崎。右に天満宮社がある。

古川
佐々川の飛石を歩いて渡る。巾二十一間(38.18m)。街道を打ち止めて印を残す。通ばかりで一里二十七町九間(6,889.09m)・・・中略・・・総測一里三十三町四十九間四尺(7,617.57m)

 四っ半頃
(午前11時頃)に佐々村字古川(北松浦郡佐々町古川免)に着く。止宿は石田屋平太郎宅。佐々村は総名で本村は里村枝郷吉田村、市瀬村、小佐々村である。各庄屋がある。



一月十七日

 晴天。朝六っ後
(午前7時過ぎ)に佐々村字古川を出立した。

 同所の印より初め平戸街道を測る。枝市ノ瀬村
(佐々町市瀬免)字小原(ハルのルビあり。小春)。字加茂川(鴨川)。字田中。字松瀬(松瀬免)

江里峠
字江里(江里免)。江里峠。野陣で小休止。
小川が巾二間。江迎村
(北松浦郡江迎町)。枝村に猪調(イノツキのルビあり)(猪調免)がある。居村は長坂(長坂免)という。長坂。

山ノ田
字山ノ田。山ノ田川は巾三間(3.64m)。同じく川六間(10.91m)。字乱橋(乱橋免)

高岩
山田川下。乱橋川(江迎川)は巾六間(10.91m)。ハイゴウ川(江迎川)は巾六間(10.91m)。字高岩。大きな厳石。高岩川(江迎川)は巾二十間(36.36m)。二股川(江迎川)巾は巾十五間(27.27m)。此の川筋に白魚がいる。此の節は四っ手網を引く。

江迎
海辺へ打ち下がって残す印迄、二里五町四十五間(8,481.81m)。字大マメグル。新橋川は巾二十間(36.36m)。カレイ川(嘉例川)は巾十五間(27.27m)。江迎本村長坂(長坂免)。字白岩。平戸街道を打ち止めて印を残し、六町四十五間(736.36m)。街道の通ばかりで二里一十二町三十間(9,218.18m)・・・中略・・・総測二里一十五町九間(9,507.27m)

九っ前
(午後0時前)に江迎村長坂浦(北松浦郡江迎町長坂免)に着く。止宿は山本屋庄助宅。同じく嘉兵衛宅。此の夜は測る。




一月二十八日(1813年2月28日)

 江迎村字白岩に十七日に残した平戸街道の印より初め、街道を測る。

 字長坂。字梶ノ浦
(梶ノ村免)

江迎北
田平村枝古梶(古梶免)

吹上
琵琶石坂。吹上坂。字元山(本山免)。枝上亀村の内、字下亀(下亀免)

田平
伊能大図をかさねたもの
枝米之内村の内、字一関(一関免)。字笠松。御厨と平戸街道の追分けの碑に繋げる。一里二十二町五十三間四尺(6,424.85m)。佐嘉唐津へ行く道。田平本村小手田(小手田免)。庄屋の松田又助宅で昼休み。字馬場先。字長田(永田)。字坂口。田平村日野浦の人家の入口の海辺を測って残した印に繋げて終わる。二十一町五十六間二尺五寸(2,393.48m)。平戸街道の通ばかりで二里八町五十間五寸(8,818.33m)

 八っ時頃
(午後1時半頃)に日野浦(平戸市田平町山内免)に着く。止宿は別手に記す。(止宿は本陣が高橋伊兵衛宅、別宿が西嶋助右衛門宅、同 小嶋磯八宅)