シラーの『オランダ独立史』

2005年5月9日はシラーの没後200周年.さらにこの4月からは「日本におけるドイツ年」が始まっています.それを記念してシラーの『オランダ独立史』,ゲーテの『エグモント』という,オランダ独立の歴史を扱った両大家の新訳を公開することにしました.

シラー『オランダ独立史』の本文はこちら(pdf形式で約18MBありますので,ダウンロードしてご覧になることをお勧めします).ゲーテ『エグモント』については別館をご覧ください.

オランダ独立戦争・関係者系図

オラニエ公家系図

先行訳について:本書には丸山武夫訳による上下2巻の邦訳(岩波文庫, 1949)があります.

『オランダ独立史』目次

原著者まえがき……3
序……11
自由の精神
反乱を利した要因
反乱鎮圧の可能性
ローマ時代の自由の精神

第一部 カール五世の治世までのネーデルラント

十六世紀までのネーデルラント前史……27
古代ローマ時代
フランク王国時代
ブルゴーニュ時代
ネーデルラントの特質
ブルゴーニュ家からハプスブルク家へ
商業活動の発展
ヘント、ブルッヘの反抗
アントワープの繁栄
カール五世治下のネーデルラント……42
帝王カール五世
プロテスタント運動
カール五世の宗教勅令
異端審問
カール五世による恩恵
フェリペ二世への継承
ネーデルラントの支配者フェリペ二世……54
スペイン領ネーデルラントの状況
フェリペ二世の個性と治世
宗教裁判所……62
二種類の宗教裁判所
宗教改革以後の宗教裁判所
ネーデルラントの基本体制に対するその他の侵害……69
スペイン人兵駐留問題
外国人登用問題
オラニエ公ウィレムとエフモント伯……73
全州総督(執政)の座
オラニエ公
エフモント伯
第三の候補
パルマ公妃マルガレーテのネーデルラント執政就任……83
パルマ公妃マルガレーテ
国王帰国後の統治体制
フェリペ二世とオラニエ公ウィレムの確執
フェリペ二世の出発(1559)

第二部 フェリペ二世の即位と圧政の強化

グランヴェル枢機卿……94
グランヴェルの生い立ち
フェリペ二世退去当時のネーデルラントの情勢(1559)
司教区再編(1560‐61)
スペイン兵の退去(1561)
グランヴェルへの反発
プロテスタントの台頭(1561‐62)
フランス支援問題
臨時会議と使節派遣
貴族たちの足並み
三貴族の申し立て(1562‐63)
グランヴェル放逐(1563‐64)
国務評議会……129
執政の立場(1564)
国王派の貴族たち(1564)
腐敗
国務評議会の優位
トリエント公会議の議定書(1564)
エフモント伯のスペイン行……142
任務
派遣(1565)
帰還(1565)
宗教勅令の厳格化――全国的な反抗……148
国王の真意(1565)
国務評議会の反応(1565)
勅令への反応(1565)
三貴族の動向(1565)

第三部 ネーデルラントの反乱

貴族連盟……160
下級貴族(1565)
貴族連盟・貴族盟約(1565)
宮廷の対応(1565‐66)
乞食党……170
貴族連盟の請願(1566)
乞食党(1566)
穏健路線(1566)
使節派遣(1566)
オラニエ公一派の動向(1566)
乞食党の躍進(1566)
プロテスタントの公然化……191
プロテスタントの三宗派
穏健路線の拡大解釈
公然説法の始まり(1566)
アントワープでのオラニエ公の仲裁(1566)
サントリュイアン集会(1566)
スペイン派遣使節(1566)
スペイン本国の対応(1566)
聖像破壊運動……207
起源
発端(1566)
アントワープ(1566)
ヘント(1566)
トゥルネー(1566)
全国化(1566)
執政と連盟の締約(1566.8)
事後処理(1566)
スペイン本国の反応
国王のネーデルラント訪問構想
プロテスタントの動向(1566)
連盟の退潮(1566)
デンデルモンデ会談(1566.10)
内戦……234
執政の態度(1566)
ヴァランシエンヌ包囲開始(1566)
執政と連盟の対立の先鋭化(1566)
スヘルトーヘンボス(1566)
アントワープ城外の戦い(1567.3)
アントワープの騒動(1567.3)
ヴァランシエンヌ(1567)
国王軍の勝利(1567)
オラニエ公の辞任……253
新たな宣誓要求(1567.2)
オラニエ公の立場(1567)
ウィレブルック会談(1567.4)
辞任(1567.4)
乞食党連盟の崩壊……264
体制派となったエフモント伯(1567)
アントワープの屈服(1567)
北部の平定(1567)
乞食党連盟の末路(1567)
執政の得たもの(1567)
アルバ公の軍備とネーデルラント遠征……275
国王行幸の計画(1567)
アルバ公の行軍(1567)
ネーデルラント到着(1567)
アルバ公の着任(1567.8)
逮捕(1567.9)
アルバ公の施政とパルマ公妃の退場……291
血の評議会(1567)
執政の辞任(1567.9)

追補

エフモント伯、ホールネ伯の裁判と処刑……304
告発(1567‐68)
判決(1568)
処刑(1568)
訳者によるインターミッション……312
オラニエ公対アルバ公〜オラニエ公の最初の攻勢(1568‐71)
オラニエ公の第二の攻勢(1572‐73)
オラニエ公対レケセンス(1574‐76)
オラニエ公対ドン・ファン〜ヘントの和平と恒久令(1576‐77)
オラニエ公対パルマ公子〜ユトレヒト同盟とアラス同盟(1578‐80)
アンジュー公との同盟(1580‐81)
オラニエ公の弁明書と統治権否認令(1580‐81)
改暦(1582)
オラニエ公の最期(1582‐84)
パルマ公子によるアントワープの包囲(一五八四年〜一五八五年)……329
行動開始
スヘルデ河口両岸の砦(1584)
デンデルモンデ(1584)
ヘント(1584)
アントワープの孤立(1584)
スヘルデ川の防柵(1584)
パルマ運河(1584)
アントワープの姿勢(1584‐85)
ゼーラントとの連絡(1584‐85)
スヘルデ川の橋(1585.3)
ブリュッセル陥落とドゥール島奪還(1585)
爆弾船攻撃(1585.4)
洪水戦術(1585)
コーウェンステーン堤防(1585)
アントワープ陥落(1585.8)
訳者によるエピローグ……372
北部ネーデルラントからオランダへ(1585)
イングランドとの同盟(1585‐88)
スペイン無敵艦隊(1588)
スペインのフランス介入(1589‐92)
共和国への道(1588‐1609)

図版一覧
16世紀のネーデルラント……7
司教区再編……105
アントワープ周辺……334



シラーの作品    オランダ史資料館    ゲーテの『エグモント』

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